武市
武市さんに告白され、私も想いを伝え、晴れて両想いとなれ、私は武市さんと今でも信じられないが恋人同士になれた。
次の日、「顔が見たくて」と愛おしさを隠しもせず微笑んでやってきた武市さんに私は朝からドキドキでテンパって大変だった。
昨日の夜、武市さんと付き合えたことに興奮し、本部で勤王まんじゅうを作る提案への返事を考えていたら全く眠れなくて寝不足気味だけど、武市さんが私の隈を心配してくれたので疲れも吹っ飛んだ。
一晩中考えて、やはりこの店は母の形見だから離れられないと説明すると武市さんは驚いたものの、そうだな、それなら仕方ないと納得してくれた。
「あの、それで、今度は私からご提案したいことがあるんですけど…」
「? なんだろうか。是非伺おう」
「このお店から完全に離れることは出来ないんですけど、その、週に数日ほどそちらにお邪魔させてもらうなんてことって、できますか……?」
つまり武市さんの本部と私のお店を日替わりで行き来して、武市さんの本部に行く日には朝だけそこで私のお店の和菓子や勤王まんじゅうを作って受け渡して、私のお店はその後から営業を始める、という具合だ。
「その、ずっといるわけじゃないのに厨房を用意してもらうのは迷惑だと十分承知してます。……ただ、その」
言い淀む私に武市さんは不思議そうな顔をしたので、えいもう勢いで言ってしまえと口を開いた。
「た、武市さんと少しでも沢山会えるなら、そちらに伺いたいなって、っ思、て……」
「……」
顔がどんどん熱くなっていく。恥ずかしくて武市さんの顔は見れないが、何も言わないところを見ると驚いている気がする。
やっぱり変だったかな調子に乗りすぎたかな……!
「だっ、だめでしょう、か……?」
恐る恐る、武市さんの方を見ると、返事を聞くより先にぎゅっと武市さんに抱きしめられていた。
「へっ!?」
「だめなわけあるか。迷惑などとんでもない」
「えっ」
「ああ、そうしよう。すぐに用意する」
「えっ、あっあの、ありがとうございます…!とっても嬉しいです!」
「私も、君が私との時間を大切に思ってくれて嬉しい……ありがとう」
武市さんの逞しい腕に力強く抱き込まれてひぇって心臓が止まりそうになる。嬉しそうな声が耳に吹き込まれて悲鳴が出そうになった。
「私も自分の恋人とは少しでも多く時を共に過ごしたいと思う。君もそうだと分かって本当に嬉しいのだ」
すると、肩口に顔を埋めて、首に感じる急な甘い刺激に今度こそひゃえぁ!?と変な悲鳴が零れた。
「ん?」
どうした?と顔を上げた武市さんは何か良いものを見つけた、みたいな顔をしている。
私は、首周りはこそばゆいというか弱いから触られるとダメなのだ。腰まで感覚が届いて震えてしまう。いつもそれが恥ずかしかった。首周りに触れるのは美容師さんくらいだけど。
「あの、なん、なにも、気っ気にしないでください」
「そうか?てっきり君は首が弱いのかと思ったが」
悪戯な笑みで問いかけられてぎくっと肩が跳ねてしまう。それを見て武市さんはフと微笑んだ。あう。私の誤魔化しは武市さんにはバレバレかもしれない。
とにかくこれ以上は恥ずかしすぎる…!他の話題に移さなければ…!
「あっ、あの武市さん」
「なんだ?」
「えっと、どうしてここ半年、お店に顔を見せてくれなかったんですか…?」
実は、これは昨日の夜に聞きそびれたことだ。
急な話題転換と質問の内容に武市さんは目を丸くして、少しバツの悪そうな顔になって考え込む仕草をした。
「……やはり、知りたいものか」
「え?えっと、まあ、ずっと気になってたので…」
「参ったな…しかし無礼を働いたのは私だし、君を傷つけたことも昨日痛いほどわかったし、君には知る権利があるか……」
「えっ、あの、言いづらいことなら無理には聞かないので…」
「まあ、君に嫌われるかもしれんと思うと臆病にもなる」
「えっ!?」
目線を逸らしてそう言う武市さんの言葉に、心の底から驚いて思わず叫んでいた。
「わっ、私が武市さんのことっ、嫌いになるわけないじゃないですか!」
有り得ません!と、噛みそうになるくらい慌てて否定したら武市さんは目を伏せて嬉しそうに「そうか」と口を開けて笑った。
「なら教えるが、嫉妬に狂った自分が怖くなったのだ」
「……しっ……と、」
「うん。君と顔を合わせる全ての者に、恋人でもない身で狂おしいくらい悋気していたのだ」
「へっ、」
「それほどに君を好いていると気づいた時、自分で自分が怖くなった。これ以上君に溺れていつ他の者に、ましてや君に危害を加えんかと思うととてもそんな心の弱い私には君に会う資格がないと思った」
手を包み込むように握られて、熱いほどの温もりとともに彼が今まで抱えていた辛さが流れ込んでくる気がした。
心が弱いだなんて、私を心配してくれる人の心が弱いわけない。
嫉妬だって嬉しい。
武市さんが嫉妬してくれていたなんて、そもそも今まで好かれてると思うわけもなかったから嬉しくて頬が熱を持つ。
「本当はずっと会いに来たかった。だがこんな恐ろしい自分は、優しい君に見合う男ではないとひとたび思ってしまうと半年も足が動かなかったのだ。…それでも高杉が君の店を襲ったと聞いた時は気付いたら君の所へ向かっていた」
「だから昨日の夜、会いに来てくれたんですか…?」
「ああ。それで君のためと思い離れる選択をするつもりでいたのだが……君が私と会いたいと思っていてくれたことがどうしようもなく嬉しくて、想いを打ち明けたら君と今こうして共に居られているという訳だ」
「そう……だったんですね……」
もう離れたくないと言っているような彼の手の力強さに、私もまた、彼の話を聞いてもう離れたくないと、空いていた方の手を彼の手に重ね、力を込めてみた。
節くれだって大きい手のひらに心臓が1度大きく跳ねた。
この手に握られている。
私もこの手を握っている。
それが許される関係になれたことに、今までの片想いが報われて胸がはち切れそうなほど嬉しかった。
武市さんと恋人になれて半年が経った。
私は初めての恋人に一体どうしていいかわからず、また肩を抱されたりふとした瞬間に手を握られたり、武市さんとの距離が更に近くなって心臓が持たないと何度も思う日々の連続だ。
勤王まんじゅうを本部に新設された厨房で作るようにもなり、武市さんと顔を合わせる機会が私用以外でも増えて、とても楽しい日々でもあった。
それに先日勤王党に岡田さんという新しい人が入り、今日が初の顔合わせだ。
武市さんと同じ土佐出身の人だと本人から聞いたのだけど、武市さんとは違って訛りのまま話されているのには驚いた。
握手をすると、あの日の初対面の田中さんのように隅々まで見られた。
私、そんなに変なのだろうか。
「おまんが武市先生の…ほおん…」
「えっ…えっと…よろしくお願いします…」
満足したのかやっと私と目を合わせてくれた。
「武市先生に害が出たらわしが斬っちゃるきの。せいぜい妙な気は起こさんことぜよ」
「…………へっ?」
いま私この人に斬るって言われなかった?
耳が拾った言葉に呆然としているとその人が突然うっと唸り声を上げた。
見ると武市さんが頭を掴んで下げさせていた。
「えっ、あの武市さん!?」
「以蔵おまえ彼女になんてことを言う……!」
「この、何するんじゃ武市先生!わしは先生の護衛として当然のことをしたまでじゃぞ!頭掴むことないがやろ」
「当然の報いだ!とにかく彼女に謝りなさい」
わーわーと繰り広げられる争いに間に入って止めると2人は渋々だが引いてくれた。
予想外の挨拶と初めて見る武市さんの怒ったような様子に驚いてしまった。
しかし、武市さんと岡田さんはさっきの言い争いがなかったみたいに、もう今は話に聞いた幼馴染特有の仲良い空気になっているからホッとした。幼馴染ってすごいなあ…。
丁度休憩の時間らしく私の和菓子作りを眺めている2人と時折話しながら作業していたら材料を切らしていたことに気づく。
新しいのを出そうと探したら私の背じゃ届かないところにしまってあった。
うーんどうしよう。あっでも武市さんか岡田さんに抱えて貰ったら届くかもしれない。
「あの、武市さん岡田さん」
「うん?」
「なんじゃ」
「抱いて貰えませんか?」
「「……は?」」
何か話していた2人に、腰に手を当てる仕草をしながらお願いしたら、2人とも耳を疑うみたいな驚いた顔をして固まってしまった。岡田さんなんて手に持っていたジャケットを落としてしまった。
「えっ、あのごめんなさい、えっと、あそこにある箱を取りたくて…腰の辺りを掴んで一瞬持ち上げてくれれば…あっ、でも私重いですよね!ごごめんなさい!やっぱり大丈夫です!そうだ脚立とかありませんかっ?」
何故2人がそんなに唖然としているのか分からないが、もしかして私の説明が悪かったのかと思い訳を説明したら途中で2人の手を煩わせないでいい方法を思いついたので聞いてみる。そうだよ私重いんだしむしろ持ち上げられるの恥ずかしすぎる。
「なんじゃああの女、随分無防備じゃの。それとも初心ながか?危うい言葉使いしよる」
「以蔵……」
「なんじゃ…げ、ほがに怒らんでえいじゃろ」
(このとき、呆れたような珍しいものを見たような顔の以蔵を武市は何も言うなと黒いオーラを纏って諌めた。)
「はあ…わかった。私が取るから場所を教えてくれ」
「あ、ありがとうございます武市さん」
「は〜なんじゃつまらんのう。ここはわしがお前を抱くって言うところと違うがか武市先生」
「へっ?」
「っおい以蔵!」
「おーおー怖い怖い。のう武市先生、今日は新兵衛とこの後すぐ向かうところがあるがじゃろ。物取るくらいわしがやっとくきに、先生は早う行っとうせ」
怒る武市さんを宥める岡田さんに、仕事とあっては仕方ないようで武市さんは何か悶々とした顔で厨房から出ていってしまった。
岡田さんとふたりきりになる。宣言通り箱を取ってくれるようで場所を尋ねられた。
武市さんより背は少し低いもののやはり私からしたら背の高い岡田さんは私が示した所に箱を見つけると手を伸ばして取ってくれた。
お礼を言って受け取ると、また私をじっと見てくる。
「のう、女」
「な、なんでしょう…?」
「おまん、武市先生と同衾したがか」
「……は?」
真面目な顔で尋ねられたどうきん?という知らない言葉にオウム返ししていた。昔の言葉だろうか。
「けっ先生もどういてこがな娘っ子を…」
するとぽかんとする私が気に入らないのか岡田さんは正に気に食わないといった顔でボヤく。
「えっ、む、娘って、私今年で25ですよ!」
「はあ!?おまんわしと変わらんがか!妙〜にガキ臭いき分からなんだわ」
「なっっっ」
たしかに武市先生と比べると足元にも及ばないくらい大人っぽくないですけどそこまで…えっでも今日会った岡田さんに子供っぽいって思われるなら武市さんにもずっとそう思われてたりするのかな。
どうやら私とそう年齢が変わらないらしい岡田さんの言葉に結構傷つく。
何故岡田さんに限らず勤王党の人って私に辛辣なのだろう。あっ、でも坂本さんは優しかった…。
田中さんは初めて会った時少し冷たげだった。やっぱりお師匠さんの恋人がこんなちんちくりんなのは弟子として許せないってことかな。
でもそれは何よりも私が感じていることだ。
最近はダイエットでお菓子の量もちょっと減らしたりしている。ただ仕事で味見が着いて回るので一向に減らないけど。
話は逸れてしまったが、そもそも岡田さんが言ったどうきん?ってどういう意味なんだろう。
「というかどうきんってなんですか?」
「あ?分からんか、先生に抱かれたがかって聞きよるがじゃ」
「………………はっ!?!?」
硬直。数秒後思いっきり叫んでいた。
うるさいわと怒られるがいやいったい何を言ってるんだこの人は。だ、だだだか?え?だかれ?え?
「えっ、は、いや、っえ!?」
「もう同衾ぐらいしちょるじゃろ?何かないがか、こういつもはムッとしとるけんど夜は荒っぽくなるとか上手い下手とか。酒の席で話のネタにしたろ思うての」
「なっ、なな、なん」
手をワキワキして聞いてくる岡田さんの言葉にかああと顔が熱くなっていくし思わず後ずさる。ほんと何を言ってるんだこの人は。男の人ってそんな話で盛り上がるのか?恋人がいた経験も男友達も武市さんと知り合う前まではなかった私からすると未知の領域だ。
というかそんなこと聞かれたってそもそも。
「な何も知らないので、お答えできないしそもそも知らないです……!」
「……………………は?」
岡田さんは分かりやすくぽかんと口を開けた。
「どど同衾って言われても、い、一緒のお布団で寝たことだってああありませんし」
「……おまんら確か連れ添って半年になるって」
信じられないものを見る目をされる。
「そう…です、けど…」
そんな目で見られて言い淀んでしまうが本当だし嘘でもない。
ない、のだ。
付き合ってしばらく経つけど、お出かけやキスより他は。
ほんとに、何もない。
世間一般の恋人がどんなものか知らないのでそれでも特に不満を感じてないのだが岡田さんがありえないといった顔をするから、もしかして男の人からしたらこの感覚はおかしいのだろうか。
「あの、おかしいでしょうか……?」
「んん……まあ、武市やったらそんなもんか…?いやの、武市先生が酒の席でおまんの惚気ばっか話しよるきに、てっきりもう同衾したもんじゃと思うちょったんじゃ」
「のっ惚気ですか!?」
初耳だ。武市さんはほとんどお酒を飲まれない方だから、それに惚気って。い、いったいどんなことを、恥ずかしいけど気になる。
「ああ、武市先生は酔うたらよう喋るぞ。やれ『わしの恋人は自分を卑下する癖がある』じゃの、『愛らしいんやきもっと自信をもってほしい』じゃの、べらべらと惚気よるきに」
「た、武市さんがそんなことを……」
「耳タコぜよ」
岡田さんはやれやれと耳を指でほじっているが、対する私は顔がどんどん熱くなっていく。
愛らしいってそんな、武市さんがたまに言ってくれるけど、未だに私はそれを惚れた欲目だと思ってるし、岡田さんがそんなことを聞かされてるのも私が恥ずかしくて耐えられない…!
あと岡田さんの再現による武市さんの口調が気になる。
「……武市さんってやっぱり土佐弁も話されるんですか?」
「いや?酔うたときくらいか」
私の前では訛りがないのだが、お酒の席では出ているらしい。それも初耳だ。
1度武市さんが田中さんと大喧嘩された際のお見舞いでお国言葉らしき単語を聞いたけど、あれ以前も以来も私は武市さんから訛り言葉を聞いたことがない。
岡田さんなら『いっとう』の意味を知っているだろうから、後で聞いてみよう。
それとせっかく武市さんの同郷の人と知り合えたのだし、この際思い切ってみよう。
「あ、あの頼みがあって」
「あ?なんじゃ」
「土佐弁、教えて貰えませんか?」
◇
「わっ私も武市さんがいっとう大事です」
「………………」
「……あ、あの、武市、さん、?」
どこか間違えてしまっただろうか。
ふたりきりのときに岡田さんに教えてもらった土佐弁であの時のお返しをしたら、武市さんは目をまん丸にして固まってしまった。
しかし慌てる私を見てハッとすると次の瞬間口元に手を当てて照れくさそうに笑った。
「いや、すまん驚いた。ははっ、何処で覚えたんだ?本かな?」
「あっ、いえ……その、使い方間違ってませんでしたか?」
「ああ、合っているよ。とても嬉しい。私も君がいっとう大事だ」
片手で肩を引き寄せられて、もう片方の手で手を握られて、愛おしい声色の言葉に心臓の鼓動が途端に早くなる。
大きなソファーに座っているのに引き寄せられると、隙間がないくらい太ももがくっついたので身体がドキドキで固まってしまう。
「あっ、ありがとうございます……それに間違えてなくて良かったです。実は岡田さんに教えて貰ったんです」
「……なに?」
「え?」
照れくさくておずおずと武市さんの顔を見ると、何故か怪訝な顔をされた。
「以蔵に頼まずとも私がいるだろう」
「お、驚かせたくて」
サプライズの方が喜ぶかと思ったのだが、武市さんはなにやら不満げだ。
「……彼は何か粗相をしなかったか……?」
「えっ?いえ、そんな、私が教えていただいている身ですし、逆に私の方が粗相していると思います、けど…」
「いつ間に習ったのだ?もしや私の知らぬ間に彼と会っていたのか」
「へっ?いやあのこの間初めてお会いした時に武市さんがお仕事に向かった後に教えて貰ったんですが…」
と思いきや岡田さんについて問いかけられる。粗相をやらかすとしたら私の方なので岡田さんは何も怒られることはないのだが、武市さんは私の返事に更に不機嫌そうに眉間にシワを作った。
「あの、もしかして勝手にお話しちゃったのがまずかったんでしょうか……?でもお仕事のこととかは何も聞いたりしてないので!ほんと、今度からは気をつけます!」
「……いや、すまない。その、そうではないのだ」
「へ?」
武市さんは申し訳なさそうに目を伏せて項垂れた。
それではないとはどれのことだろう?
「…………以蔵は君に触れたりしなかったか」
「…………はい?」
「つまり、あまり誰かとふたりきりにならないでくれると、だな……その、私以外の男と楽しそうに話す君を考えると、あまりいい気分じゃない」
珍しく言い淀む武市さんは、つまり私が他の人とふたりきりになるのがよくないらしい。えっ、それって。
「つまりただの嫉妬だ。狭量な男ですまん」
申し訳なさそうに謝られるも、私にとってはびっくりするくらい嬉しい。
「嫉妬…して、くれたんですか?」
「勿論するとも。はあ、恋人になる前に嫌という程己の重さを感じたのに、恋人になった後の方が重くなった気がするな……別に君を疑ってるわけじゃない、単に1人でヤキモキしているだけなのだ」
少し弱々しい声色で、武市さんは私の肩口にすとんと頭を置いた。
「えっ」
「あまり嫉妬させてくれるな……君の恋人は嫉妬深いのだ」
肩に回された腕に力が加わってより武市さんと密着してしまうので、心臓が爆音で鳴り出した。
「へっ!?あ、わ、わかりました…」
「年上の恋人らしく余裕を持ちたいものだ。が、君の前だとそれすらできなくなる。まるで若者のように感情を抑えられなくなった」
武市さんだって若者ですよね……?と返そうとしたら顔を肩口に埋めたままの人から悲しげな声が耳に届く。
「君は嫉妬などせんだろう」
「えっいえ嫉妬しますよ」
「ほう、初耳だ」
武市さんは是非聞きたいとばかりに顔を上げたが、武市さんは本当にカッコイイのだ。私、絶対武市さんより嫉妬してる自信がある。
「武市さん、ご自身じゃ気づいてないかもしれませんが、私のお店に来られる時とかお出かけの時、色んな方の視線を集めてて…やっぱり、ヤキモチ焼きます、ほんとに」
「私は君しか見ていない」
「えっ、あ、は、はい…ありがとう、ございます…」
これまでのことを語ったら思わぬ嬉しいセリフに心臓は跳ねるし言葉は詰まった。
「それに嫉妬、とは違うかもしれませんけど…武市さんといつも一緒にいられる岡田さんや田中さん、坂本さんが羨ましいです」
恋人になる前から武市さんとずっと居られる3人が羨ましかった。
それは今でも変わらないしむしろ今の方が気持ちは強くなってると思う。
私も武市さんと朝から晩まで毎日一緒に居たい。
「私はいつでも、こちらの店に移ってもらっても構わないぞ」
「あぅ…私もそうしたいのは山々なんですが…」
「ああ、分かっているよ。また機会を見て誘わせてもらおう」
親の形見のお店を離れられないのを理解してくれている武市さんは、項垂れる私を見て、フっと優しく微笑んだ。
「……やはり君は純粋で、心が澄んでいる。子供ながらに店を構え励む君は私には勿体ないほどに素敵だ」
「う、嬉しいです……でっ、でも子供はちょっと」
「おや、すまない」
「私ももう大人ですよ…?」
「すまん、だが私からすればまだまだ可愛いものなのだ」
やはり武市さんも私のことを子供だと思っていると分かり複雑だが、武市さんからは照れくさいけど可愛いとか愛おしいって気持ちが感じられて、やっぱり嬉しくて恥ずかしかった。
私なんかよりうんと大人でかっこいい武市さんと恋人になれて半年。
未だに平凡な私では釣り合うとは思えないしこういった経験の少ない私はちょっとした触れ合いでどきどきして固まってしまうのだ。
だから同衾なんて日が来るのか、それに実際来たらどうなるのか、私には分からない。
けれど岡田さんに言われて、なぜ武市さんはそんな雰囲気を持ちかけてこないのだろうとその日から不思議に思うようになった。
◇
「いつまであの娘に黙っとるつもりじゃ」
ある日、本部で武市の恋人を見送ってふたりきりになったとき以蔵は隣に立つ武市にそう放った。
武市は不意をつかれた様子ではあったが質問の意図を理解していた。
「分かっちゅうよな、武市先生」
以蔵に鋭い二の矢を放たれると、遠のく恋人の後ろ姿を見つめたままゆっくりと口を開く。
「……いずれ私から話すつもりだ」
以蔵はそれでは遅いと言いたげな顔になる。
2人とも気まずいのか、互いの顔を見ないまま。
「……新兵衛は先生とあの娘が付き合いよることにいい顔はしとらん」
「彼は怒っているからな」
「一応言っとくけんど、わしも同じぜよ。おまんがほがな男やとは思わんかった。正直…」
「なんだ。……見損なったか?」
「そ、こまではいかんけんど、どういて、とは思っちゅう」
「私は、おまえが怒っていることも十分理解している」
「……ほれでも付き合うんか」
やっと以蔵が武市の方を向く。辛そうな顔で問いかけた。
「ああ」
同じくらい痛ましそうに、されどもう覚悟を決めた男は即座に答えた。
「別れんか」
「無理だ」
いっそ嘆くような眼差しにも応えず、即答する。
武市の恋人の姿はもうすぐ見えなくなろうとしていた。
「できない相談だ」
苦しげな顔で、同じように武市もその場から立ち去った。
次の日、「顔が見たくて」と愛おしさを隠しもせず微笑んでやってきた武市さんに私は朝からドキドキでテンパって大変だった。
昨日の夜、武市さんと付き合えたことに興奮し、本部で勤王まんじゅうを作る提案への返事を考えていたら全く眠れなくて寝不足気味だけど、武市さんが私の隈を心配してくれたので疲れも吹っ飛んだ。
一晩中考えて、やはりこの店は母の形見だから離れられないと説明すると武市さんは驚いたものの、そうだな、それなら仕方ないと納得してくれた。
「あの、それで、今度は私からご提案したいことがあるんですけど…」
「? なんだろうか。是非伺おう」
「このお店から完全に離れることは出来ないんですけど、その、週に数日ほどそちらにお邪魔させてもらうなんてことって、できますか……?」
つまり武市さんの本部と私のお店を日替わりで行き来して、武市さんの本部に行く日には朝だけそこで私のお店の和菓子や勤王まんじゅうを作って受け渡して、私のお店はその後から営業を始める、という具合だ。
「その、ずっといるわけじゃないのに厨房を用意してもらうのは迷惑だと十分承知してます。……ただ、その」
言い淀む私に武市さんは不思議そうな顔をしたので、えいもう勢いで言ってしまえと口を開いた。
「た、武市さんと少しでも沢山会えるなら、そちらに伺いたいなって、っ思、て……」
「……」
顔がどんどん熱くなっていく。恥ずかしくて武市さんの顔は見れないが、何も言わないところを見ると驚いている気がする。
やっぱり変だったかな調子に乗りすぎたかな……!
「だっ、だめでしょう、か……?」
恐る恐る、武市さんの方を見ると、返事を聞くより先にぎゅっと武市さんに抱きしめられていた。
「へっ!?」
「だめなわけあるか。迷惑などとんでもない」
「えっ」
「ああ、そうしよう。すぐに用意する」
「えっ、あっあの、ありがとうございます…!とっても嬉しいです!」
「私も、君が私との時間を大切に思ってくれて嬉しい……ありがとう」
武市さんの逞しい腕に力強く抱き込まれてひぇって心臓が止まりそうになる。嬉しそうな声が耳に吹き込まれて悲鳴が出そうになった。
「私も自分の恋人とは少しでも多く時を共に過ごしたいと思う。君もそうだと分かって本当に嬉しいのだ」
すると、肩口に顔を埋めて、首に感じる急な甘い刺激に今度こそひゃえぁ!?と変な悲鳴が零れた。
「ん?」
どうした?と顔を上げた武市さんは何か良いものを見つけた、みたいな顔をしている。
私は、首周りはこそばゆいというか弱いから触られるとダメなのだ。腰まで感覚が届いて震えてしまう。いつもそれが恥ずかしかった。首周りに触れるのは美容師さんくらいだけど。
「あの、なん、なにも、気っ気にしないでください」
「そうか?てっきり君は首が弱いのかと思ったが」
悪戯な笑みで問いかけられてぎくっと肩が跳ねてしまう。それを見て武市さんはフと微笑んだ。あう。私の誤魔化しは武市さんにはバレバレかもしれない。
とにかくこれ以上は恥ずかしすぎる…!他の話題に移さなければ…!
「あっ、あの武市さん」
「なんだ?」
「えっと、どうしてここ半年、お店に顔を見せてくれなかったんですか…?」
実は、これは昨日の夜に聞きそびれたことだ。
急な話題転換と質問の内容に武市さんは目を丸くして、少しバツの悪そうな顔になって考え込む仕草をした。
「……やはり、知りたいものか」
「え?えっと、まあ、ずっと気になってたので…」
「参ったな…しかし無礼を働いたのは私だし、君を傷つけたことも昨日痛いほどわかったし、君には知る権利があるか……」
「えっ、あの、言いづらいことなら無理には聞かないので…」
「まあ、君に嫌われるかもしれんと思うと臆病にもなる」
「えっ!?」
目線を逸らしてそう言う武市さんの言葉に、心の底から驚いて思わず叫んでいた。
「わっ、私が武市さんのことっ、嫌いになるわけないじゃないですか!」
有り得ません!と、噛みそうになるくらい慌てて否定したら武市さんは目を伏せて嬉しそうに「そうか」と口を開けて笑った。
「なら教えるが、嫉妬に狂った自分が怖くなったのだ」
「……しっ……と、」
「うん。君と顔を合わせる全ての者に、恋人でもない身で狂おしいくらい悋気していたのだ」
「へっ、」
「それほどに君を好いていると気づいた時、自分で自分が怖くなった。これ以上君に溺れていつ他の者に、ましてや君に危害を加えんかと思うととてもそんな心の弱い私には君に会う資格がないと思った」
手を包み込むように握られて、熱いほどの温もりとともに彼が今まで抱えていた辛さが流れ込んでくる気がした。
心が弱いだなんて、私を心配してくれる人の心が弱いわけない。
嫉妬だって嬉しい。
武市さんが嫉妬してくれていたなんて、そもそも今まで好かれてると思うわけもなかったから嬉しくて頬が熱を持つ。
「本当はずっと会いに来たかった。だがこんな恐ろしい自分は、優しい君に見合う男ではないとひとたび思ってしまうと半年も足が動かなかったのだ。…それでも高杉が君の店を襲ったと聞いた時は気付いたら君の所へ向かっていた」
「だから昨日の夜、会いに来てくれたんですか…?」
「ああ。それで君のためと思い離れる選択をするつもりでいたのだが……君が私と会いたいと思っていてくれたことがどうしようもなく嬉しくて、想いを打ち明けたら君と今こうして共に居られているという訳だ」
「そう……だったんですね……」
もう離れたくないと言っているような彼の手の力強さに、私もまた、彼の話を聞いてもう離れたくないと、空いていた方の手を彼の手に重ね、力を込めてみた。
節くれだって大きい手のひらに心臓が1度大きく跳ねた。
この手に握られている。
私もこの手を握っている。
それが許される関係になれたことに、今までの片想いが報われて胸がはち切れそうなほど嬉しかった。
武市さんと恋人になれて半年が経った。
私は初めての恋人に一体どうしていいかわからず、また肩を抱されたりふとした瞬間に手を握られたり、武市さんとの距離が更に近くなって心臓が持たないと何度も思う日々の連続だ。
勤王まんじゅうを本部に新設された厨房で作るようにもなり、武市さんと顔を合わせる機会が私用以外でも増えて、とても楽しい日々でもあった。
それに先日勤王党に岡田さんという新しい人が入り、今日が初の顔合わせだ。
武市さんと同じ土佐出身の人だと本人から聞いたのだけど、武市さんとは違って訛りのまま話されているのには驚いた。
握手をすると、あの日の初対面の田中さんのように隅々まで見られた。
私、そんなに変なのだろうか。
「おまんが武市先生の…ほおん…」
「えっ…えっと…よろしくお願いします…」
満足したのかやっと私と目を合わせてくれた。
「武市先生に害が出たらわしが斬っちゃるきの。せいぜい妙な気は起こさんことぜよ」
「…………へっ?」
いま私この人に斬るって言われなかった?
耳が拾った言葉に呆然としているとその人が突然うっと唸り声を上げた。
見ると武市さんが頭を掴んで下げさせていた。
「えっ、あの武市さん!?」
「以蔵おまえ彼女になんてことを言う……!」
「この、何するんじゃ武市先生!わしは先生の護衛として当然のことをしたまでじゃぞ!頭掴むことないがやろ」
「当然の報いだ!とにかく彼女に謝りなさい」
わーわーと繰り広げられる争いに間に入って止めると2人は渋々だが引いてくれた。
予想外の挨拶と初めて見る武市さんの怒ったような様子に驚いてしまった。
しかし、武市さんと岡田さんはさっきの言い争いがなかったみたいに、もう今は話に聞いた幼馴染特有の仲良い空気になっているからホッとした。幼馴染ってすごいなあ…。
丁度休憩の時間らしく私の和菓子作りを眺めている2人と時折話しながら作業していたら材料を切らしていたことに気づく。
新しいのを出そうと探したら私の背じゃ届かないところにしまってあった。
うーんどうしよう。あっでも武市さんか岡田さんに抱えて貰ったら届くかもしれない。
「あの、武市さん岡田さん」
「うん?」
「なんじゃ」
「抱いて貰えませんか?」
「「……は?」」
何か話していた2人に、腰に手を当てる仕草をしながらお願いしたら、2人とも耳を疑うみたいな驚いた顔をして固まってしまった。岡田さんなんて手に持っていたジャケットを落としてしまった。
「えっ、あのごめんなさい、えっと、あそこにある箱を取りたくて…腰の辺りを掴んで一瞬持ち上げてくれれば…あっ、でも私重いですよね!ごごめんなさい!やっぱり大丈夫です!そうだ脚立とかありませんかっ?」
何故2人がそんなに唖然としているのか分からないが、もしかして私の説明が悪かったのかと思い訳を説明したら途中で2人の手を煩わせないでいい方法を思いついたので聞いてみる。そうだよ私重いんだしむしろ持ち上げられるの恥ずかしすぎる。
「なんじゃああの女、随分無防備じゃの。それとも初心ながか?危うい言葉使いしよる」
「以蔵……」
「なんじゃ…げ、ほがに怒らんでえいじゃろ」
(このとき、呆れたような珍しいものを見たような顔の以蔵を武市は何も言うなと黒いオーラを纏って諌めた。)
「はあ…わかった。私が取るから場所を教えてくれ」
「あ、ありがとうございます武市さん」
「は〜なんじゃつまらんのう。ここはわしがお前を抱くって言うところと違うがか武市先生」
「へっ?」
「っおい以蔵!」
「おーおー怖い怖い。のう武市先生、今日は新兵衛とこの後すぐ向かうところがあるがじゃろ。物取るくらいわしがやっとくきに、先生は早う行っとうせ」
怒る武市さんを宥める岡田さんに、仕事とあっては仕方ないようで武市さんは何か悶々とした顔で厨房から出ていってしまった。
岡田さんとふたりきりになる。宣言通り箱を取ってくれるようで場所を尋ねられた。
武市さんより背は少し低いもののやはり私からしたら背の高い岡田さんは私が示した所に箱を見つけると手を伸ばして取ってくれた。
お礼を言って受け取ると、また私をじっと見てくる。
「のう、女」
「な、なんでしょう…?」
「おまん、武市先生と同衾したがか」
「……は?」
真面目な顔で尋ねられたどうきん?という知らない言葉にオウム返ししていた。昔の言葉だろうか。
「けっ先生もどういてこがな娘っ子を…」
するとぽかんとする私が気に入らないのか岡田さんは正に気に食わないといった顔でボヤく。
「えっ、む、娘って、私今年で25ですよ!」
「はあ!?おまんわしと変わらんがか!妙〜にガキ臭いき分からなんだわ」
「なっっっ」
たしかに武市先生と比べると足元にも及ばないくらい大人っぽくないですけどそこまで…えっでも今日会った岡田さんに子供っぽいって思われるなら武市さんにもずっとそう思われてたりするのかな。
どうやら私とそう年齢が変わらないらしい岡田さんの言葉に結構傷つく。
何故岡田さんに限らず勤王党の人って私に辛辣なのだろう。あっ、でも坂本さんは優しかった…。
田中さんは初めて会った時少し冷たげだった。やっぱりお師匠さんの恋人がこんなちんちくりんなのは弟子として許せないってことかな。
でもそれは何よりも私が感じていることだ。
最近はダイエットでお菓子の量もちょっと減らしたりしている。ただ仕事で味見が着いて回るので一向に減らないけど。
話は逸れてしまったが、そもそも岡田さんが言ったどうきん?ってどういう意味なんだろう。
「というかどうきんってなんですか?」
「あ?分からんか、先生に抱かれたがかって聞きよるがじゃ」
「………………はっ!?!?」
硬直。数秒後思いっきり叫んでいた。
うるさいわと怒られるがいやいったい何を言ってるんだこの人は。だ、だだだか?え?だかれ?え?
「えっ、は、いや、っえ!?」
「もう同衾ぐらいしちょるじゃろ?何かないがか、こういつもはムッとしとるけんど夜は荒っぽくなるとか上手い下手とか。酒の席で話のネタにしたろ思うての」
「なっ、なな、なん」
手をワキワキして聞いてくる岡田さんの言葉にかああと顔が熱くなっていくし思わず後ずさる。ほんと何を言ってるんだこの人は。男の人ってそんな話で盛り上がるのか?恋人がいた経験も男友達も武市さんと知り合う前まではなかった私からすると未知の領域だ。
というかそんなこと聞かれたってそもそも。
「な何も知らないので、お答えできないしそもそも知らないです……!」
「……………………は?」
岡田さんは分かりやすくぽかんと口を開けた。
「どど同衾って言われても、い、一緒のお布団で寝たことだってああありませんし」
「……おまんら確か連れ添って半年になるって」
信じられないものを見る目をされる。
「そう…です、けど…」
そんな目で見られて言い淀んでしまうが本当だし嘘でもない。
ない、のだ。
付き合ってしばらく経つけど、お出かけやキスより他は。
ほんとに、何もない。
世間一般の恋人がどんなものか知らないのでそれでも特に不満を感じてないのだが岡田さんがありえないといった顔をするから、もしかして男の人からしたらこの感覚はおかしいのだろうか。
「あの、おかしいでしょうか……?」
「んん……まあ、武市やったらそんなもんか…?いやの、武市先生が酒の席でおまんの惚気ばっか話しよるきに、てっきりもう同衾したもんじゃと思うちょったんじゃ」
「のっ惚気ですか!?」
初耳だ。武市さんはほとんどお酒を飲まれない方だから、それに惚気って。い、いったいどんなことを、恥ずかしいけど気になる。
「ああ、武市先生は酔うたらよう喋るぞ。やれ『わしの恋人は自分を卑下する癖がある』じゃの、『愛らしいんやきもっと自信をもってほしい』じゃの、べらべらと惚気よるきに」
「た、武市さんがそんなことを……」
「耳タコぜよ」
岡田さんはやれやれと耳を指でほじっているが、対する私は顔がどんどん熱くなっていく。
愛らしいってそんな、武市さんがたまに言ってくれるけど、未だに私はそれを惚れた欲目だと思ってるし、岡田さんがそんなことを聞かされてるのも私が恥ずかしくて耐えられない…!
あと岡田さんの再現による武市さんの口調が気になる。
「……武市さんってやっぱり土佐弁も話されるんですか?」
「いや?酔うたときくらいか」
私の前では訛りがないのだが、お酒の席では出ているらしい。それも初耳だ。
1度武市さんが田中さんと大喧嘩された際のお見舞いでお国言葉らしき単語を聞いたけど、あれ以前も以来も私は武市さんから訛り言葉を聞いたことがない。
岡田さんなら『いっとう』の意味を知っているだろうから、後で聞いてみよう。
それとせっかく武市さんの同郷の人と知り合えたのだし、この際思い切ってみよう。
「あ、あの頼みがあって」
「あ?なんじゃ」
「土佐弁、教えて貰えませんか?」
◇
「わっ私も武市さんがいっとう大事です」
「………………」
「……あ、あの、武市、さん、?」
どこか間違えてしまっただろうか。
ふたりきりのときに岡田さんに教えてもらった土佐弁であの時のお返しをしたら、武市さんは目をまん丸にして固まってしまった。
しかし慌てる私を見てハッとすると次の瞬間口元に手を当てて照れくさそうに笑った。
「いや、すまん驚いた。ははっ、何処で覚えたんだ?本かな?」
「あっ、いえ……その、使い方間違ってませんでしたか?」
「ああ、合っているよ。とても嬉しい。私も君がいっとう大事だ」
片手で肩を引き寄せられて、もう片方の手で手を握られて、愛おしい声色の言葉に心臓の鼓動が途端に早くなる。
大きなソファーに座っているのに引き寄せられると、隙間がないくらい太ももがくっついたので身体がドキドキで固まってしまう。
「あっ、ありがとうございます……それに間違えてなくて良かったです。実は岡田さんに教えて貰ったんです」
「……なに?」
「え?」
照れくさくておずおずと武市さんの顔を見ると、何故か怪訝な顔をされた。
「以蔵に頼まずとも私がいるだろう」
「お、驚かせたくて」
サプライズの方が喜ぶかと思ったのだが、武市さんはなにやら不満げだ。
「……彼は何か粗相をしなかったか……?」
「えっ?いえ、そんな、私が教えていただいている身ですし、逆に私の方が粗相していると思います、けど…」
「いつ間に習ったのだ?もしや私の知らぬ間に彼と会っていたのか」
「へっ?いやあのこの間初めてお会いした時に武市さんがお仕事に向かった後に教えて貰ったんですが…」
と思いきや岡田さんについて問いかけられる。粗相をやらかすとしたら私の方なので岡田さんは何も怒られることはないのだが、武市さんは私の返事に更に不機嫌そうに眉間にシワを作った。
「あの、もしかして勝手にお話しちゃったのがまずかったんでしょうか……?でもお仕事のこととかは何も聞いたりしてないので!ほんと、今度からは気をつけます!」
「……いや、すまない。その、そうではないのだ」
「へ?」
武市さんは申し訳なさそうに目を伏せて項垂れた。
それではないとはどれのことだろう?
「…………以蔵は君に触れたりしなかったか」
「…………はい?」
「つまり、あまり誰かとふたりきりにならないでくれると、だな……その、私以外の男と楽しそうに話す君を考えると、あまりいい気分じゃない」
珍しく言い淀む武市さんは、つまり私が他の人とふたりきりになるのがよくないらしい。えっ、それって。
「つまりただの嫉妬だ。狭量な男ですまん」
申し訳なさそうに謝られるも、私にとってはびっくりするくらい嬉しい。
「嫉妬…して、くれたんですか?」
「勿論するとも。はあ、恋人になる前に嫌という程己の重さを感じたのに、恋人になった後の方が重くなった気がするな……別に君を疑ってるわけじゃない、単に1人でヤキモキしているだけなのだ」
少し弱々しい声色で、武市さんは私の肩口にすとんと頭を置いた。
「えっ」
「あまり嫉妬させてくれるな……君の恋人は嫉妬深いのだ」
肩に回された腕に力が加わってより武市さんと密着してしまうので、心臓が爆音で鳴り出した。
「へっ!?あ、わ、わかりました…」
「年上の恋人らしく余裕を持ちたいものだ。が、君の前だとそれすらできなくなる。まるで若者のように感情を抑えられなくなった」
武市さんだって若者ですよね……?と返そうとしたら顔を肩口に埋めたままの人から悲しげな声が耳に届く。
「君は嫉妬などせんだろう」
「えっいえ嫉妬しますよ」
「ほう、初耳だ」
武市さんは是非聞きたいとばかりに顔を上げたが、武市さんは本当にカッコイイのだ。私、絶対武市さんより嫉妬してる自信がある。
「武市さん、ご自身じゃ気づいてないかもしれませんが、私のお店に来られる時とかお出かけの時、色んな方の視線を集めてて…やっぱり、ヤキモチ焼きます、ほんとに」
「私は君しか見ていない」
「えっ、あ、は、はい…ありがとう、ございます…」
これまでのことを語ったら思わぬ嬉しいセリフに心臓は跳ねるし言葉は詰まった。
「それに嫉妬、とは違うかもしれませんけど…武市さんといつも一緒にいられる岡田さんや田中さん、坂本さんが羨ましいです」
恋人になる前から武市さんとずっと居られる3人が羨ましかった。
それは今でも変わらないしむしろ今の方が気持ちは強くなってると思う。
私も武市さんと朝から晩まで毎日一緒に居たい。
「私はいつでも、こちらの店に移ってもらっても構わないぞ」
「あぅ…私もそうしたいのは山々なんですが…」
「ああ、分かっているよ。また機会を見て誘わせてもらおう」
親の形見のお店を離れられないのを理解してくれている武市さんは、項垂れる私を見て、フっと優しく微笑んだ。
「……やはり君は純粋で、心が澄んでいる。子供ながらに店を構え励む君は私には勿体ないほどに素敵だ」
「う、嬉しいです……でっ、でも子供はちょっと」
「おや、すまない」
「私ももう大人ですよ…?」
「すまん、だが私からすればまだまだ可愛いものなのだ」
やはり武市さんも私のことを子供だと思っていると分かり複雑だが、武市さんからは照れくさいけど可愛いとか愛おしいって気持ちが感じられて、やっぱり嬉しくて恥ずかしかった。
私なんかよりうんと大人でかっこいい武市さんと恋人になれて半年。
未だに平凡な私では釣り合うとは思えないしこういった経験の少ない私はちょっとした触れ合いでどきどきして固まってしまうのだ。
だから同衾なんて日が来るのか、それに実際来たらどうなるのか、私には分からない。
けれど岡田さんに言われて、なぜ武市さんはそんな雰囲気を持ちかけてこないのだろうとその日から不思議に思うようになった。
◇
「いつまであの娘に黙っとるつもりじゃ」
ある日、本部で武市の恋人を見送ってふたりきりになったとき以蔵は隣に立つ武市にそう放った。
武市は不意をつかれた様子ではあったが質問の意図を理解していた。
「分かっちゅうよな、武市先生」
以蔵に鋭い二の矢を放たれると、遠のく恋人の後ろ姿を見つめたままゆっくりと口を開く。
「……いずれ私から話すつもりだ」
以蔵はそれでは遅いと言いたげな顔になる。
2人とも気まずいのか、互いの顔を見ないまま。
「……新兵衛は先生とあの娘が付き合いよることにいい顔はしとらん」
「彼は怒っているからな」
「一応言っとくけんど、わしも同じぜよ。おまんがほがな男やとは思わんかった。正直…」
「なんだ。……見損なったか?」
「そ、こまではいかんけんど、どういて、とは思っちゅう」
「私は、おまえが怒っていることも十分理解している」
「……ほれでも付き合うんか」
やっと以蔵が武市の方を向く。辛そうな顔で問いかけた。
「ああ」
同じくらい痛ましそうに、されどもう覚悟を決めた男は即座に答えた。
「別れんか」
「無理だ」
いっそ嘆くような眼差しにも応えず、即答する。
武市の恋人の姿はもうすぐ見えなくなろうとしていた。
「できない相談だ」
苦しげな顔で、同じように武市もその場から立ち去った。