武市
高杉さんの来訪があったその夜、店で片付けをしているとトントンと扉を叩く音がした。
店仕舞いを終えたときに訪れる人は今まで誰も居なかったし夜だから怖くて初めは居留守を使おうかと思った。けど。
……まさかあの人だろうか。
脳裏に浮かんだ武市さんの姿に、心臓が高鳴る。
……まさか。
そんなわけないと頭を振る。
でももしそうならと思ってしまえば、期待に弾む胸を抑えながらそっと扉を開けていた。
「……夜分遅くにすまない」
「──あ……っ」
泣いて、しまいそうになった。
この半年間ずっと恋焦がれていた人がそこに居たから。
「た、たけち、さん」
声が震える。
慌ててやってきたのか息が乱れ、けれど半年前と変わらない佇まいに、半年前の日々が思い出されて、気づけば涙が零れていた。
た、武市さんだ……!武市さんだ!武市さんだ…っ!
どうして急に。
会えて嬉しい。
なんで今まで来てくれなかったんですか。
変わりなくてよかった。
やっぱり好き。
思いが溢れて止まらなくて、何も言葉に出来なくて。
「あっ、ごめ、ごめんなさ、っ」
突然堰を切ったように泣き出す私に驚いた武市さんの瞳が悲痛そうに歪んだ。すると目線を合わせるように屈んで、半年ぶりの大好きな灰褐色の瞳と近くで目が合う。
「大丈夫か?」
「っ」
穏やかな低い声。
胸が温かくなって、同時に酷く締め付けられる。
大丈夫じゃない。
嬉しくて死んでしまいそう。
でも今は何があっても死にたくない。
だって武市さんが私の目の前にいるから。
涙がぼろぼろ落ちるのを武市さんはその長く細い指で拭ってくれて。
その温もりに鼓動が痛いほどに鳴り出して、いっそ苦しかった。
けれど何よりも嬉しかった。
しばらく店の入口で泣く私と黙って見守ってくれる武市さんとふたりで立っていたら、ビュウと冷たい風が外から入ってきた。
「…このままでは風邪を引く」
「あっ…」
「……中に入っても構わないだろうか」
「っ、は、はい、どうぞ」
私に伺いを立てる武市さんは不思議な感じだ。
あれだけ何度も訪れたここに、まるで初めて来たみたいな反応をするから。
それか、自分はもう入ってはいけないみたいな。
涙を拭って、半年前武市さんがいつもいた席に向かい合って座ると、まるで半年前のようで胸がいっぱいになった。
武市さんは店内を痛ましい表情で見回した。
「……変わってないな」
「……はい。何も、変わってません、から…」
そうかと一言零すと安心したように武市さんが私の方を向いた。
「君も大事なかったか?風邪を引いたりしなかったか」
「あ、はっ、はい。…その、元気が取り柄、なので……」
「ならよかった。……それに、以前のように『元気だけが取り柄』だと言わなくなったことも嬉しいよ」
以前和菓子作りの才があると褒めてくれたことを言っているのだと気づき、照れくさいけど嬉しくて、武市さんに会えたことの嬉しさもあって、ぽつりぽつりとお菓子作りのことを話していた。
「えっと、は、はい…その、和菓子作りも楽しくさせて貰っていて…」
好きな人に会えなくて悲しかったけど、元々好きな和菓子作りは今でも楽しかったから救われていた。
「前よりも美味しいものが出来たんじゃないかと、思ったり、してて」
「ああ。知っている。君の菓子は今でも美味い」
「……へっ?」
照れくさくて下を向いていたからこの時武市さんがどんな顔をしているか見えなかったけど、愛おしそうな声色が耳に届いてドキッとして、そしてその言葉に思わず顔を上げる。
「ん?」
武市さんは間の抜けた声を出す私にどうした?といった顔をしたが、だって、そんな。
「……食べて、下さってたんですか?」
「……ああ。食べていたとも」
「…………てっきり、」
もう私の和菓子は食べてくれてないのかと。
この半年間、ずっとそう思っていた。
でも食べていてくれてたんだ。
本当によかった。
嬉しさが言葉にならなくて口を開けていたら、武市さんは私の反応の意味を察したようで、途端にバツの悪そうな顔になって何も言わなかった。
今日の武市さんはなんだか元気がないように見える。
それに悲しいことがあったような、辛いことがこれから起こることを知っているよな、そんな表情だ。
「…実は、今日は君に大事な話があるんだ」
そう語り出す武市さんの言葉と佇まいに私は、彼が勤王まんじゅうを私に作って欲しいと言った時のことを思い出した。
けれどあの時と違って、今はその顔がとても苦しそうで、私の目を見てはいなかった。
「まず私は君に謝らねばならないことがある」
「え?」
「すまなかった」
ただならぬ雰囲気に身体を強ばらせていたら武市さんが突然深く頭を下げたので、驚いて肩が跳ねてしまった。
「たっ武市さん!?」
「今日この君の店に高杉が兵を連れて押しかけたと聞いた。勤王まんじゅうを作ってもらう上で君に迷惑はかけないと約束しておいて、私のせいで君に危害が及んでしまった。本当にすまなかった……!いくら詫びても許されることじゃない……!」
「えっいえそんな顔を上げてください!初めはビックリしてしまいましたけど、高杉さんもすぐ帰ってもらえましたし!そっそれに高杉さんも悪かったと言ってくれて、だからお店のことは大丈夫です!だからお願いですからそんな、頭を上げてください…!」
「違う……私が心配したのは店のことだけじゃないのだ……!」
「え?」
「いや、確かに店のことも心配した。それは本当だ。だが1番の気がかりは他にあった」
「き、気がかりですか…?」
店のことじゃないならなんだろうか、でも本当に何も無かったからもう心配はしなくて大丈夫ですよと伝えようとしたら、それまで伏せていた顔が突然上げられて真剣そうな眼差しと目が合った。
「君だ」
「……へ」
「高杉に占拠されたと事が終わってから聞いた時、私は君の身に何かあったかと思うと、心が乱れて、とても他のことに手をつけられなかった」
ギュッと苦しそうに曲げられた眉と瞳に、本当に私のことを想っていてくれいるのだと分かって、たまらず目頭が熱くなる。
この顔を合わせなかった半年の間も、武市さんは私のことを友人として大事に思ってくれていたのだと思うとたまらなく嬉しかった。
「それで今さっき、本部を飛び出して来たのだが……今頃田中君は怒っているだろうな」
武市さんはフ、と目を伏せてそう零したが、何故田中さんが怒るのか分からず疑問符を浮かべてしまう。
「ど、どうして田中さんが武市さんに怒るんですか?」
「……いや、身内の話だ」
君が気にする必要はない、と言ってくれたが、私の目を見て言われると、自意識過剰かもしれないが私がその理由に関わっていると思ってしまったのだ。理由は思い当たらないけど。
この話題になってから武市さんは今までより悲しそうな顔になって、目線を下に伏せてしまった。
なんだろう。
何か決心がつかないと言ったふうに、けれど1度小さく息を吐くと、顔を上げ私に向き直って口を開いた。
「……君に相談がある。いや、決定事項を伝えに来たと言っても過言じゃない。こんなことを言うのは勝手だと分かっているが、君のためだ、どうか受け入れてほしい」
武市さんの滅多に見ない、まるで党首らしい厳かな雰囲気で語り出す姿に、相談の大事な中身が言葉からは予想できないことに、戸惑った。
武市さんの、好きな人の頼みならできる限り応えたい。
私のためだと言ってくれるなら尚更、受け入れたい。
だから、はい、と答えようとしていた。
「もう、君に勤王まんじゅうを作ってもらうのはやめにしたい」
「………………へっ?」
嘘、と思った。
冗談を言わない武市さんの瞳は普段と同じ真剣な眼差しで、この人が嘘をついてないことは明白だ。
嘘だと言って欲しい。
そんな、やめるなんて、勤王まんじゅう作りをやめるなんて。
私の答えは決まっている。できない。無理だ。やめたくない。
だってそうなると私と武市さんの大切なひとつの縁が切れてしまう。
私用で訪れてくれなくなった今、勤王まんじゅう作りまでやめてしまったら、本当に武市さんとの繋がりがなくなってしまう。
何があってもこの繋がりだけは断ちたくないのだ。
「なっ、なんで……そんなこと言うんですか……っ?」
胸が心が痛くてたまらない。心臓が痛い。頭も痛い。
声が震えるまま手を強く握りしめて、必死に訴えかけた。
「なっ、っなんで、半年も1度も顔を見せてくれなかったんですかっ?」
そうしたら今まで抱えてた疑問もこぼれ落ちて
「きっ、きらいになったのなら、はっ、はっきり言ってください」
まるで子供みたいに支離滅裂に駄々を捏ねてしまっていた。
武市さんは悲しみに暮れる私よりも悲しそうな顔をした。なんで武市さんの方が痛そうな死にそうな顔をするのか。
何も言わない武市さんに何か言って欲しくて私は堰を切ったように質問を繰り返していた。
「ま、まんじゅうに不備がありましたか?」
「そうじゃない」
「私の作る和菓子が嫌いになりましたか?」
「そうじゃない。先程も言ったが君の作る菓子は今でも絶品だし1番美味い」
私の言葉に苦しそうな顔で頭を振る武市さんにじゃあなんでやめろなんて言うのかと、答えが欲しくて必死に質問を投げかけてしまう。
なんで、半年も私を避けたのか。ずっとその答えが欲しかった。
この半年何度も自分で考えた。
勤王まんじゅうに不備があったのか。私の作るお菓子が嫌いになったのか。本当にただ忙しかっただけなのか。
考えた理由はそれで全てじゃなかった。本当はもう1つあって。でもそうだったら生きていけなくてずっと口には出さないようにしていた。
用意していた理由が全て違うなら、やっぱりそれしかないのかと思えて、もう辛くて辛くてたまらなくなる。
だって本当にそうなら生きていけない。
「なら、っわ、私が、き、嫌いになったんですかっ…………?」
武市さんの顔が見れなかった。ああと頷くところを見てしまいたくなかった。
「なっ……!」
目の前の人から驚愕をあらわにした声が零れた。
「あのときお見舞いに行ったのがまずかったんですか…?」
「違うっ!っ、だからそうじゃないのだ……!」
否定する人の悲痛な叫びに、ならなんで、と顔を上げていた。
「君はなにも悪くない……私の問題だ……本当にすまない…だから泣かないでくれ…」
ぼろぼろと頬を伝って落ちていく涙を止めることができなかった。
「避けてしまってすまなかった。君のことを嫌うなど有り得んから、どうかそうは思わないでくれ…」
すまなかったと何度も零すその人に、私は涙を拭うのも忘れて問いかけていた。
「た、武市さんの問題って、なんですか?」
「…色々とある。だが、ひとつは君と私との関わりだ」
「関わり…?」
「……高杉が今日店に来て、奇兵隊に囲われただろう」
「は、はい…」
「さぞ君は怖い思いをしただろう?ああなった発端は私と関わったからだぞ」
高杉重工の対抗勢力の昭和勤王党の党首である武市さんと関わったから、勤王まんじゅう作りを引き受け、その結果高杉さんが来たのは、紛れもない事実なのかもしれない。
「これから高杉以外のものが君にちょっかいを掛けてこないとも限らない」
だからもう私と関わるのはやめにしなさいと言いたげな武市さんに、さっき私のためと言ったのはそういうことかと理解した。
「今までは、私が伺っていたから防いでいたが……今はそうはいかん。だから頼む。もう君にまんじゅう作りは頼めない。君に怖い思いをさせたくないし、私たちの抗争に巻き込みたくないのだ」
この通りだと再び頭を下げる武市さんに、この時私は、頭を下げるのは私の方だと思った。
私はこの半年、自分のことしか考えてなかった。
嫌われたらどうしよう、なんで会いに来てくれないんだろう、そうやって自分のことばかり気にして、武市さんの都合を考えられていなかった。
自分の保身に走った私と違って私のために頭まで下げてくれる人に、自分が恥ずかしくなって、でもそんなふうに思っていてくれてたことが嬉しかった。
だから党首である武市さんが頭を下げてまでしてくれた覚悟に私も応えたいと思った。
そうしたら自然と涙も引っこんで、もう声も震えなかった。
「怖くなんてないです」
「なに、を……」
「それにまんじゅう作りはやめません」
「は……」
「それに巻き込まれただなんて思ってません。ぜんぶ私の意思です。勤王まんじゅうを作ると決めたのも……武市さんと仲良くさせて頂いたのも」
最後のが過去形になったのは、武市さんが今はそう思ってはくれてないかもしれないと思うと怖くて逃げてしまったからだ。私は臆病だ。
でもここだけは引いちゃいけない。
「だからむしろ勤王まんじゅう作りを続けさせてください」
「っどうしてそんな、そんな君は危険に近づく真似をするのだ!」
武市さんが私を心配してくれるのは武市さんの荒ぶる声から痛いほどわかる。
「……だって、武市さんが」
私の声が弱々しくなっていくのは、武市さんに気圧されたからじゃなくて。
「っ私の店に、来て、くれないから」
ずっと会いに来て欲しかった。
「作らせて貰えないと、私、武市さんにこの先、会えなくなっちゃうからっ……!」
声が震えるのは仕方なかった。これだけは1番大事だから。
「っだからお願いします、やめろなんて言わないでくださいっ……」
私が頭を下げて頼むと、ずっと呆気に取られていた武市さんが椅子から立ち上がる音がした。
そして私の隣まで来ると膝を床について、俯く私に目線を合わせると、涙を溢れさせる私の背にその大きな手を添えて優しく撫でてくれた。
その温もりに、いっそうこの人から離れたくない気持ちが強くなって、私はずっとお願いしますと呟いていた。
「っ」
「わかった、わかったから」
武市さんは同じ言葉を繰り返しながら泣き止まない私に温かい声でそう言うと、懐からハンカチを取り出して私の頬にあてがってくれた。
幼い子の面倒を見たことがあるのか、はたまたよく泣く子の世話をしたことがあるのか、手馴れた様子であやしてくれる。
「っごめ、なさ」
「謝らないでくれ。むしろそう言ってくれて嬉しいのだ」
「へっ?」
「…本当は私とはもう関わらないことが君にとって最良の選択だと考えていた。……私がそれを望んでいるかに関わらず」
武市さんは悔いるようにそう零すと、次の瞬間背中を撫でていた手を私の二の腕に移動させた。
「だが君がそう言ってくれるなら違う道を取りたい」
跪いて真剣な表情で語り出す武市さんに、熱意を感じて思わず胸が早鐘を打ち始める。
恥ずかしいけど、こんなこと考える自分は物語の見すぎだけど、今の私と武市さんの姿勢がまるでプロポーズの構図のようだから、涙も引っ込んでしまい途端に顔が熱くなっていった。
「私の本部で勤王まんじゅうを作らないか」
「………………は、い?」
優しく掴まれる二の腕と武市さんの真摯な表情に心臓の鼓動が早くなっていくなか、思わぬ提案に気の抜けた声を零してしまった。
武市さんの昭和勤王党で勤王まんじゅうを作るって、つまりは武市さんのいる所で勤王まんじゅうを作るってことだ。
それって、毎日武市さんに会えるかもしれないってこと!?
いきなりの展開に困惑する私を傍に武市さんは真面目な顔のまま続ける。
「そうすれば今日のように高杉たち維新軍の妨害を受けることも無くなる」
「えっ、で、でも何もありませんでしたし…」
「運が良かったと思った方がいい。次また同じように無傷で居られるとは限らないのだ」
驚いて状況が飲み込めないけど、武市さんが私を心配してくれていることはわかった。
「君はただの市民だ。兵隊を連れた高杉に太刀打ちできるはずも無い。私のような武人がその時傍にいればいいが、私もいつもそうできる訳じゃない。できることならいつも傍についていたいものだが」
「そっ、そんな、そこまでして頂くのは…」
「それほどに君が心配ということだ。わかってくれ。今後君の身に危険が及ぶかと思うと、私は何も手につかないのだ」
「で、ですが、高杉さんはもう仕事の用では来ないとおっしゃっていましたし…」
今日の高杉さんの言葉を思い出しながら伝えると、ぴくりと武市さんがその言葉に反応し、今までの懇願するような顔から目を丸くし固まった。えっどうしたんだろう。
「……待ってくれ。それは、私用では来るという意味か?」
「えっ?さ、さあ、どうでしょう…また来るとおっしゃっては頂けましたけど…」
「…………」
確かそう言っていたと思いながら答えたら、武市さんは押し黙ってしまった。私も急にどうしたのだろうと固まってしまって、少しだけ沈黙が流れる。
「なら尚更私の所に来てくれると安心する」
すると先程までの若干弱気が混じっていた武市さんの語気が強気に変わり、ずい、と前のめりになった。
えっ待っ。心做しか近くなったような距離にどきどきしてしまう。
「そもそも私が勤王まんじゅうの製作を頼んだのが発端だ。ならば私自身が償いをするというもの。全力で君を守ると約束する」
「ひょぇっ…」
武市さんの守るという言葉の甘さに心臓を掴まれて、思わず変な悲鳴が零れてしまった。
まるで王子様みたいな口振りに武市さんに惚れている私は顔がゆだって仕方ない。か、かっこいい……。だから混乱するばかりでまともな返事が返せないのも仕方ないのだ。
「ここは君の夢で城だから、それを奪うことになってしまうのは私も心苦しい。本当に申し訳ないと思っている。だからこそ、私の所に来てくれたなら必ず不自由はさせないと約束しよう。もちろん機器や材料も全てこちらで揃える。必要なものがあれば何時でも用意しよう」
だからどうかそうしてくれと下から見上げる武市さんの表情は真剣そのものだし、頂いた言葉も私にとっては夢みたいな話ばかりで、むしろそんなに良くして貰っていいのだろうかとこちらが申し訳なくなるくらい嬉しい。
友人として、依頼主と製作者として、心配して誠実に提案してくれる武市さんは、人としても男の人としてもかっこよくて惚れた欲目があるにしても私にはキラキラして写っている。
なんて素敵な人なんだろう。
私みたいに武市さんに会いたくて勤王まんじゅうを引き受けてしまった下心なんて一切ないのだろう。
そんなところがとても素敵で、結構複雑で、でもやっぱり嬉しい。
ああ、好きだなあと思った。
そんな武市さんの提案を私もできることならすぐ飲みたいけど、ずっと守ってきたお店を急に手放すのが難しいのも事実だった。
「あの……」
「うん」
「か、考えせてもらってもいいですか…?」
「…ああ、そうだな。急かせてすまない。困らせてしまったな。もちろん、いくらでも待つとも。…いや、できるだけ早い返事を貰えたら助かる」
「あ、ほっ、ほんとに、ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない」
そう言われるけれど、十分お礼を言うほどだ。
「いっいえ!そんなふうに私の作ったお菓子を気に入ってもらえて、それに心配して下さってそんなお誘いを下さることもです!本当に、う、うれしくて……」
本当に全部が嬉しくて、夢なんじゃないかって思えてくる。
恥ずかしいからつねったりはしないけど、夢なら醒めないでほしい。
武市さんが私を嫌ってはいないことがわかって、和菓子を今も好きでいてくれて、心配してくれて、本部に来てくれないかとまで言ってくれて。
そんなの、この半年間を思えば、全部夢みたいな話だ。
嬉しくて胸が張り裂けそうで膝に乗せた手を思わずギュッとしたら、ふと、武市さんの大きな手のひらが重なった。
へ。
「……喜んでもらえてよかった。ただ、何も私が気に入っているのは君の菓子だけではないのだ」
両の手で私の両手を包み込まれる。
「へっ、えっ?」
温かい大きな手で、どこまでも優しい包み方だった。
「…君を…」
言葉の続きを聞いてしまうと心臓が破裂する気がした。
目の前に跪き、両手を握り、真剣な眼差しで語り出す武市さんから目が離せない。
整った顔立ちのいつにも増して真剣な表情は私のときめき摂取許容量を一気に満たすに十分だった。
「いや、君に私のそばにいてほしい」
「へ、ぇ」
「口にするつもりはなかったが、君を説得するためにも必要だし、私自身もう我慢の限界だと思う。高杉のやつが君に興味を持ったのなら尚更だ」
壊れたみたいに鳴り止まない心臓の拍動が耳元で大音量で聞こえるし武市さんの言ってることが自分にとって嬉しいなんて言葉じゃ足りなくて真っ赤な顔に嬉し涙が溢れてきた。
武市さんは私の両手を今一度強く包み込むと、一拍置いて、初めて見た愛おしそうな笑顔で、言葉を紡いだ。
ちょっと待ってくださいそれ以上は心臓がもたないですお願いだからそんな私の好きなかっこいい顔で迫らないでお願いだから。
「君が好きなんだ」
私、死んじゃうんじゃないかと思った。
「ぁ……ぇ……」
好き。武市さんが。私を。
どっどっどっどっと鼓動が大きくなっていく。
身体中、熱くないところがないってくらい沸騰する。その中でも痛いほど温かいもので満たされた胸と包み込まれた手が特に温度を上げていく。
ぐわっと心と頭から溢れてくる何かが私の中をぐるぐる駆け巡る。
どれも喉元まで来るけどつっかえたみたいに声にならない。
あ、私泣いてるんだと気づいたのは、武市さんが私の頬に掌を添えて長い指で涙を拭ってくれたからだった。
目元をすっと撫でる指先は本当に優しくて、それでまた泣いてしまいそうになる。
「君が嬉しい時、悲しい時、不安な時……傍にいられるのが私であったらいいのにと思う」
武市さんの一言が、私の中に流れ込んでくる。
「君を抱きしめられる人が私であればいいのにと思う」
武市さんの手のひらが私の頬を撫でて手を握ってくれている。
「君の唇に口付けられる人が、私であればいいのにと思う」
武市さんの瞳が私を愛おしそうに見つめてくれている。
本当に、こんな幸せがあっていいんだろうか。
告白なんてされると思ってなかった。
ずっと叶わないと、高嶺の花だと、それでもいいと思っていた。
私じゃ釣り合わないし、避けられた間なんてもう諦めないといけないとすら思っていた。
それでもずっと諦められなくて。
「わ、わたしも…」
武市さんが好きだと気づいた瞬間から。
「私も、武市さんがいい、です」
好きで 好きで 大好きで。
「私も、武市さんが……っ好き、です」
あなたが好きでたまらなかった。
温かなものに身体が苦しいほどに包まれていると気づいた瞬間、武市さんに力強く抱きしめられているのだとわかった。
「っ……」
手のひらが背中に回され、初めて目の前の身体の逞しさを服越しに感じてしまって、心臓がばっくんばっくん騒ぎ出して少しも動けなくなった。
武市さんは抱きしめてから何も言わなくて、異性に抱きしめられたことのない私は経験も耐性も0だから、どうすればいいか分からず抱きしめられるがままになっていたら、突然低い声が耳元に聞こえてきて、その甘い刺激に思わず肩が跳ねてしまった。
「……愛おしさが溢れた時、叫び出したいくらい嬉しいが、人は何も言葉に出来なくなるモノなのだな」
「へっ……?」
「君の言葉を聞いて……たまらずこの腕に抱いてしまった」
絞り出すように紡いだ武市さんは、そっと私を抱擁から解いてくれた。
そのまま私の腕を優しく引いて立たせると、もう一度肩と腰に手を回されて先程よりも強く抱きしめた。
ああああハグは続くんですね…!
どっくんどっくんと騒ぐ鼓動を感じる。私はもうここまで来たら思い残すことのないようにと、思い切って震える手で、おずおずと腕を武市さんの背中に回して、ぎゅっと抱きついてみた。
うああやばい、これは叫び出してしまうほど、恥ずかしい、むりだ、しぬ。
でも胸は幸せでいっぱいという、私の体はとても騒がしい状態だ。
武市さんは私からの抱擁に気づいたのかまた腕の力を強くした。
あっやばい武市さんの胸板が近いし厚い。それに顔も胸もお腹も武市さんにくっついてて心臓破裂しそう。てかする。
もうどきどきのしすぎでつま先から手の先までピクリとも動かせない。
武市さんは再び抱擁を解くと、私の肩に手を置いて、とても柔らかに微笑を浮かべた。
「すまない……君と想い合えていた嬉しさで力が篭ってしまった。力加減を誤ったかもしれん。どこも痛くないか?」
「えっ?!あっ、だ、だいじょうぶ、です……その、私も本当に嬉しくて……だ抱きしめ返してしまったので…!その、私も、たっ、武市さんと両想いで、ほんとのほんとにうれしくて…っ!」
だからその、とにかく嬉しいのだという気持ちを伝えようとしたら武市さんが私の口元を手のひらでそっと覆ったので、もごっと声が篭ってしまう。
「君は……はぁ…」
見上げると自分の目元をもう片手で覆って、俯き加減に深くため息を吐いた。
すると突然私の口元を覆っていた手を頬に滑らせ、もう片手も私の唇に親指を乗せて滑らせる。
ふと、私の顔に影がかかる。
「えっ?」
「……ん?」
軽く笑みを浮かべる武市さんの顔がいつの間にか鼻先がくっつきそうな距離に……つまりこれって、まさかキ。
「えっ?!あっ!ちょ待っ」
「すまん、君に煽られたのだ。我慢のきかない私をどうか許せ」
これから何が起こるかわかった瞬間にぼっっっと頭が沸騰する。口では言葉がついて出るけど抵抗はできなかった。いや別に抵抗したいわけじゃないんだけど……!
武市さんは謝る言葉を口にするけれど、堪らないと愛おしそうに笑っている。
まま待こここ心の準備が……!
「ぁ、ぇたけちさん待っ…!」
「私はずっと待った、もう待てんよ」
「はぇっ…」
フっと笑む武市さんの顔がすぐ近くにあって、繋がった手がぎゅっと握られて、堪らず目を瞑った瞬間、唇が合わさった。
初めての告白に初めての恋人に初めてのキスに、キャパオーバーな私は、よく倒れなかったと思う。
「今日はひとまず帰ろう」
武市さんは名残惜しそうに、けれど「また来る」と言ってくれて私の頬をひと撫ですると「まんじゅうの件、色良い返事を期待している」と笑みを浮かべて勤王党に帰っていく。
手を振って見送り終えた私は入口に立ち尽くし、その場に暫く呆然と突っ立ったものの、突然ひゅる~と力の抜けた足で店内に入り、近くの椅子にへたりこんだ。
う、あ、う、い。
口がパクパクして、でも胸に溜まっていた気持ちを解放させたくて、「あぁ~~~~」と叫びながら座面を叩いた。
「うそ〜〜うそ〜〜!?!!」
私、武市さんと恋人になったんだよね!?夢じゃないよね!?
今度こそ頬を抓ってみたけど、痛いから夢じゃなかった。
こんなに幸せなことってあっていいんだって、そう思った。
店仕舞いを終えたときに訪れる人は今まで誰も居なかったし夜だから怖くて初めは居留守を使おうかと思った。けど。
……まさかあの人だろうか。
脳裏に浮かんだ武市さんの姿に、心臓が高鳴る。
……まさか。
そんなわけないと頭を振る。
でももしそうならと思ってしまえば、期待に弾む胸を抑えながらそっと扉を開けていた。
「……夜分遅くにすまない」
「──あ……っ」
泣いて、しまいそうになった。
この半年間ずっと恋焦がれていた人がそこに居たから。
「た、たけち、さん」
声が震える。
慌ててやってきたのか息が乱れ、けれど半年前と変わらない佇まいに、半年前の日々が思い出されて、気づけば涙が零れていた。
た、武市さんだ……!武市さんだ!武市さんだ…っ!
どうして急に。
会えて嬉しい。
なんで今まで来てくれなかったんですか。
変わりなくてよかった。
やっぱり好き。
思いが溢れて止まらなくて、何も言葉に出来なくて。
「あっ、ごめ、ごめんなさ、っ」
突然堰を切ったように泣き出す私に驚いた武市さんの瞳が悲痛そうに歪んだ。すると目線を合わせるように屈んで、半年ぶりの大好きな灰褐色の瞳と近くで目が合う。
「大丈夫か?」
「っ」
穏やかな低い声。
胸が温かくなって、同時に酷く締め付けられる。
大丈夫じゃない。
嬉しくて死んでしまいそう。
でも今は何があっても死にたくない。
だって武市さんが私の目の前にいるから。
涙がぼろぼろ落ちるのを武市さんはその長く細い指で拭ってくれて。
その温もりに鼓動が痛いほどに鳴り出して、いっそ苦しかった。
けれど何よりも嬉しかった。
しばらく店の入口で泣く私と黙って見守ってくれる武市さんとふたりで立っていたら、ビュウと冷たい風が外から入ってきた。
「…このままでは風邪を引く」
「あっ…」
「……中に入っても構わないだろうか」
「っ、は、はい、どうぞ」
私に伺いを立てる武市さんは不思議な感じだ。
あれだけ何度も訪れたここに、まるで初めて来たみたいな反応をするから。
それか、自分はもう入ってはいけないみたいな。
涙を拭って、半年前武市さんがいつもいた席に向かい合って座ると、まるで半年前のようで胸がいっぱいになった。
武市さんは店内を痛ましい表情で見回した。
「……変わってないな」
「……はい。何も、変わってません、から…」
そうかと一言零すと安心したように武市さんが私の方を向いた。
「君も大事なかったか?風邪を引いたりしなかったか」
「あ、はっ、はい。…その、元気が取り柄、なので……」
「ならよかった。……それに、以前のように『元気だけが取り柄』だと言わなくなったことも嬉しいよ」
以前和菓子作りの才があると褒めてくれたことを言っているのだと気づき、照れくさいけど嬉しくて、武市さんに会えたことの嬉しさもあって、ぽつりぽつりとお菓子作りのことを話していた。
「えっと、は、はい…その、和菓子作りも楽しくさせて貰っていて…」
好きな人に会えなくて悲しかったけど、元々好きな和菓子作りは今でも楽しかったから救われていた。
「前よりも美味しいものが出来たんじゃないかと、思ったり、してて」
「ああ。知っている。君の菓子は今でも美味い」
「……へっ?」
照れくさくて下を向いていたからこの時武市さんがどんな顔をしているか見えなかったけど、愛おしそうな声色が耳に届いてドキッとして、そしてその言葉に思わず顔を上げる。
「ん?」
武市さんは間の抜けた声を出す私にどうした?といった顔をしたが、だって、そんな。
「……食べて、下さってたんですか?」
「……ああ。食べていたとも」
「…………てっきり、」
もう私の和菓子は食べてくれてないのかと。
この半年間、ずっとそう思っていた。
でも食べていてくれてたんだ。
本当によかった。
嬉しさが言葉にならなくて口を開けていたら、武市さんは私の反応の意味を察したようで、途端にバツの悪そうな顔になって何も言わなかった。
今日の武市さんはなんだか元気がないように見える。
それに悲しいことがあったような、辛いことがこれから起こることを知っているよな、そんな表情だ。
「…実は、今日は君に大事な話があるんだ」
そう語り出す武市さんの言葉と佇まいに私は、彼が勤王まんじゅうを私に作って欲しいと言った時のことを思い出した。
けれどあの時と違って、今はその顔がとても苦しそうで、私の目を見てはいなかった。
「まず私は君に謝らねばならないことがある」
「え?」
「すまなかった」
ただならぬ雰囲気に身体を強ばらせていたら武市さんが突然深く頭を下げたので、驚いて肩が跳ねてしまった。
「たっ武市さん!?」
「今日この君の店に高杉が兵を連れて押しかけたと聞いた。勤王まんじゅうを作ってもらう上で君に迷惑はかけないと約束しておいて、私のせいで君に危害が及んでしまった。本当にすまなかった……!いくら詫びても許されることじゃない……!」
「えっいえそんな顔を上げてください!初めはビックリしてしまいましたけど、高杉さんもすぐ帰ってもらえましたし!そっそれに高杉さんも悪かったと言ってくれて、だからお店のことは大丈夫です!だからお願いですからそんな、頭を上げてください…!」
「違う……私が心配したのは店のことだけじゃないのだ……!」
「え?」
「いや、確かに店のことも心配した。それは本当だ。だが1番の気がかりは他にあった」
「き、気がかりですか…?」
店のことじゃないならなんだろうか、でも本当に何も無かったからもう心配はしなくて大丈夫ですよと伝えようとしたら、それまで伏せていた顔が突然上げられて真剣そうな眼差しと目が合った。
「君だ」
「……へ」
「高杉に占拠されたと事が終わってから聞いた時、私は君の身に何かあったかと思うと、心が乱れて、とても他のことに手をつけられなかった」
ギュッと苦しそうに曲げられた眉と瞳に、本当に私のことを想っていてくれいるのだと分かって、たまらず目頭が熱くなる。
この顔を合わせなかった半年の間も、武市さんは私のことを友人として大事に思ってくれていたのだと思うとたまらなく嬉しかった。
「それで今さっき、本部を飛び出して来たのだが……今頃田中君は怒っているだろうな」
武市さんはフ、と目を伏せてそう零したが、何故田中さんが怒るのか分からず疑問符を浮かべてしまう。
「ど、どうして田中さんが武市さんに怒るんですか?」
「……いや、身内の話だ」
君が気にする必要はない、と言ってくれたが、私の目を見て言われると、自意識過剰かもしれないが私がその理由に関わっていると思ってしまったのだ。理由は思い当たらないけど。
この話題になってから武市さんは今までより悲しそうな顔になって、目線を下に伏せてしまった。
なんだろう。
何か決心がつかないと言ったふうに、けれど1度小さく息を吐くと、顔を上げ私に向き直って口を開いた。
「……君に相談がある。いや、決定事項を伝えに来たと言っても過言じゃない。こんなことを言うのは勝手だと分かっているが、君のためだ、どうか受け入れてほしい」
武市さんの滅多に見ない、まるで党首らしい厳かな雰囲気で語り出す姿に、相談の大事な中身が言葉からは予想できないことに、戸惑った。
武市さんの、好きな人の頼みならできる限り応えたい。
私のためだと言ってくれるなら尚更、受け入れたい。
だから、はい、と答えようとしていた。
「もう、君に勤王まんじゅうを作ってもらうのはやめにしたい」
「………………へっ?」
嘘、と思った。
冗談を言わない武市さんの瞳は普段と同じ真剣な眼差しで、この人が嘘をついてないことは明白だ。
嘘だと言って欲しい。
そんな、やめるなんて、勤王まんじゅう作りをやめるなんて。
私の答えは決まっている。できない。無理だ。やめたくない。
だってそうなると私と武市さんの大切なひとつの縁が切れてしまう。
私用で訪れてくれなくなった今、勤王まんじゅう作りまでやめてしまったら、本当に武市さんとの繋がりがなくなってしまう。
何があってもこの繋がりだけは断ちたくないのだ。
「なっ、なんで……そんなこと言うんですか……っ?」
胸が心が痛くてたまらない。心臓が痛い。頭も痛い。
声が震えるまま手を強く握りしめて、必死に訴えかけた。
「なっ、っなんで、半年も1度も顔を見せてくれなかったんですかっ?」
そうしたら今まで抱えてた疑問もこぼれ落ちて
「きっ、きらいになったのなら、はっ、はっきり言ってください」
まるで子供みたいに支離滅裂に駄々を捏ねてしまっていた。
武市さんは悲しみに暮れる私よりも悲しそうな顔をした。なんで武市さんの方が痛そうな死にそうな顔をするのか。
何も言わない武市さんに何か言って欲しくて私は堰を切ったように質問を繰り返していた。
「ま、まんじゅうに不備がありましたか?」
「そうじゃない」
「私の作る和菓子が嫌いになりましたか?」
「そうじゃない。先程も言ったが君の作る菓子は今でも絶品だし1番美味い」
私の言葉に苦しそうな顔で頭を振る武市さんにじゃあなんでやめろなんて言うのかと、答えが欲しくて必死に質問を投げかけてしまう。
なんで、半年も私を避けたのか。ずっとその答えが欲しかった。
この半年何度も自分で考えた。
勤王まんじゅうに不備があったのか。私の作るお菓子が嫌いになったのか。本当にただ忙しかっただけなのか。
考えた理由はそれで全てじゃなかった。本当はもう1つあって。でもそうだったら生きていけなくてずっと口には出さないようにしていた。
用意していた理由が全て違うなら、やっぱりそれしかないのかと思えて、もう辛くて辛くてたまらなくなる。
だって本当にそうなら生きていけない。
「なら、っわ、私が、き、嫌いになったんですかっ…………?」
武市さんの顔が見れなかった。ああと頷くところを見てしまいたくなかった。
「なっ……!」
目の前の人から驚愕をあらわにした声が零れた。
「あのときお見舞いに行ったのがまずかったんですか…?」
「違うっ!っ、だからそうじゃないのだ……!」
否定する人の悲痛な叫びに、ならなんで、と顔を上げていた。
「君はなにも悪くない……私の問題だ……本当にすまない…だから泣かないでくれ…」
ぼろぼろと頬を伝って落ちていく涙を止めることができなかった。
「避けてしまってすまなかった。君のことを嫌うなど有り得んから、どうかそうは思わないでくれ…」
すまなかったと何度も零すその人に、私は涙を拭うのも忘れて問いかけていた。
「た、武市さんの問題って、なんですか?」
「…色々とある。だが、ひとつは君と私との関わりだ」
「関わり…?」
「……高杉が今日店に来て、奇兵隊に囲われただろう」
「は、はい…」
「さぞ君は怖い思いをしただろう?ああなった発端は私と関わったからだぞ」
高杉重工の対抗勢力の昭和勤王党の党首である武市さんと関わったから、勤王まんじゅう作りを引き受け、その結果高杉さんが来たのは、紛れもない事実なのかもしれない。
「これから高杉以外のものが君にちょっかいを掛けてこないとも限らない」
だからもう私と関わるのはやめにしなさいと言いたげな武市さんに、さっき私のためと言ったのはそういうことかと理解した。
「今までは、私が伺っていたから防いでいたが……今はそうはいかん。だから頼む。もう君にまんじゅう作りは頼めない。君に怖い思いをさせたくないし、私たちの抗争に巻き込みたくないのだ」
この通りだと再び頭を下げる武市さんに、この時私は、頭を下げるのは私の方だと思った。
私はこの半年、自分のことしか考えてなかった。
嫌われたらどうしよう、なんで会いに来てくれないんだろう、そうやって自分のことばかり気にして、武市さんの都合を考えられていなかった。
自分の保身に走った私と違って私のために頭まで下げてくれる人に、自分が恥ずかしくなって、でもそんなふうに思っていてくれてたことが嬉しかった。
だから党首である武市さんが頭を下げてまでしてくれた覚悟に私も応えたいと思った。
そうしたら自然と涙も引っこんで、もう声も震えなかった。
「怖くなんてないです」
「なに、を……」
「それにまんじゅう作りはやめません」
「は……」
「それに巻き込まれただなんて思ってません。ぜんぶ私の意思です。勤王まんじゅうを作ると決めたのも……武市さんと仲良くさせて頂いたのも」
最後のが過去形になったのは、武市さんが今はそう思ってはくれてないかもしれないと思うと怖くて逃げてしまったからだ。私は臆病だ。
でもここだけは引いちゃいけない。
「だからむしろ勤王まんじゅう作りを続けさせてください」
「っどうしてそんな、そんな君は危険に近づく真似をするのだ!」
武市さんが私を心配してくれるのは武市さんの荒ぶる声から痛いほどわかる。
「……だって、武市さんが」
私の声が弱々しくなっていくのは、武市さんに気圧されたからじゃなくて。
「っ私の店に、来て、くれないから」
ずっと会いに来て欲しかった。
「作らせて貰えないと、私、武市さんにこの先、会えなくなっちゃうからっ……!」
声が震えるのは仕方なかった。これだけは1番大事だから。
「っだからお願いします、やめろなんて言わないでくださいっ……」
私が頭を下げて頼むと、ずっと呆気に取られていた武市さんが椅子から立ち上がる音がした。
そして私の隣まで来ると膝を床について、俯く私に目線を合わせると、涙を溢れさせる私の背にその大きな手を添えて優しく撫でてくれた。
その温もりに、いっそうこの人から離れたくない気持ちが強くなって、私はずっとお願いしますと呟いていた。
「っ」
「わかった、わかったから」
武市さんは同じ言葉を繰り返しながら泣き止まない私に温かい声でそう言うと、懐からハンカチを取り出して私の頬にあてがってくれた。
幼い子の面倒を見たことがあるのか、はたまたよく泣く子の世話をしたことがあるのか、手馴れた様子であやしてくれる。
「っごめ、なさ」
「謝らないでくれ。むしろそう言ってくれて嬉しいのだ」
「へっ?」
「…本当は私とはもう関わらないことが君にとって最良の選択だと考えていた。……私がそれを望んでいるかに関わらず」
武市さんは悔いるようにそう零すと、次の瞬間背中を撫でていた手を私の二の腕に移動させた。
「だが君がそう言ってくれるなら違う道を取りたい」
跪いて真剣な表情で語り出す武市さんに、熱意を感じて思わず胸が早鐘を打ち始める。
恥ずかしいけど、こんなこと考える自分は物語の見すぎだけど、今の私と武市さんの姿勢がまるでプロポーズの構図のようだから、涙も引っ込んでしまい途端に顔が熱くなっていった。
「私の本部で勤王まんじゅうを作らないか」
「………………は、い?」
優しく掴まれる二の腕と武市さんの真摯な表情に心臓の鼓動が早くなっていくなか、思わぬ提案に気の抜けた声を零してしまった。
武市さんの昭和勤王党で勤王まんじゅうを作るって、つまりは武市さんのいる所で勤王まんじゅうを作るってことだ。
それって、毎日武市さんに会えるかもしれないってこと!?
いきなりの展開に困惑する私を傍に武市さんは真面目な顔のまま続ける。
「そうすれば今日のように高杉たち維新軍の妨害を受けることも無くなる」
「えっ、で、でも何もありませんでしたし…」
「運が良かったと思った方がいい。次また同じように無傷で居られるとは限らないのだ」
驚いて状況が飲み込めないけど、武市さんが私を心配してくれていることはわかった。
「君はただの市民だ。兵隊を連れた高杉に太刀打ちできるはずも無い。私のような武人がその時傍にいればいいが、私もいつもそうできる訳じゃない。できることならいつも傍についていたいものだが」
「そっ、そんな、そこまでして頂くのは…」
「それほどに君が心配ということだ。わかってくれ。今後君の身に危険が及ぶかと思うと、私は何も手につかないのだ」
「で、ですが、高杉さんはもう仕事の用では来ないとおっしゃっていましたし…」
今日の高杉さんの言葉を思い出しながら伝えると、ぴくりと武市さんがその言葉に反応し、今までの懇願するような顔から目を丸くし固まった。えっどうしたんだろう。
「……待ってくれ。それは、私用では来るという意味か?」
「えっ?さ、さあ、どうでしょう…また来るとおっしゃっては頂けましたけど…」
「…………」
確かそう言っていたと思いながら答えたら、武市さんは押し黙ってしまった。私も急にどうしたのだろうと固まってしまって、少しだけ沈黙が流れる。
「なら尚更私の所に来てくれると安心する」
すると先程までの若干弱気が混じっていた武市さんの語気が強気に変わり、ずい、と前のめりになった。
えっ待っ。心做しか近くなったような距離にどきどきしてしまう。
「そもそも私が勤王まんじゅうの製作を頼んだのが発端だ。ならば私自身が償いをするというもの。全力で君を守ると約束する」
「ひょぇっ…」
武市さんの守るという言葉の甘さに心臓を掴まれて、思わず変な悲鳴が零れてしまった。
まるで王子様みたいな口振りに武市さんに惚れている私は顔がゆだって仕方ない。か、かっこいい……。だから混乱するばかりでまともな返事が返せないのも仕方ないのだ。
「ここは君の夢で城だから、それを奪うことになってしまうのは私も心苦しい。本当に申し訳ないと思っている。だからこそ、私の所に来てくれたなら必ず不自由はさせないと約束しよう。もちろん機器や材料も全てこちらで揃える。必要なものがあれば何時でも用意しよう」
だからどうかそうしてくれと下から見上げる武市さんの表情は真剣そのものだし、頂いた言葉も私にとっては夢みたいな話ばかりで、むしろそんなに良くして貰っていいのだろうかとこちらが申し訳なくなるくらい嬉しい。
友人として、依頼主と製作者として、心配して誠実に提案してくれる武市さんは、人としても男の人としてもかっこよくて惚れた欲目があるにしても私にはキラキラして写っている。
なんて素敵な人なんだろう。
私みたいに武市さんに会いたくて勤王まんじゅうを引き受けてしまった下心なんて一切ないのだろう。
そんなところがとても素敵で、結構複雑で、でもやっぱり嬉しい。
ああ、好きだなあと思った。
そんな武市さんの提案を私もできることならすぐ飲みたいけど、ずっと守ってきたお店を急に手放すのが難しいのも事実だった。
「あの……」
「うん」
「か、考えせてもらってもいいですか…?」
「…ああ、そうだな。急かせてすまない。困らせてしまったな。もちろん、いくらでも待つとも。…いや、できるだけ早い返事を貰えたら助かる」
「あ、ほっ、ほんとに、ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない」
そう言われるけれど、十分お礼を言うほどだ。
「いっいえ!そんなふうに私の作ったお菓子を気に入ってもらえて、それに心配して下さってそんなお誘いを下さることもです!本当に、う、うれしくて……」
本当に全部が嬉しくて、夢なんじゃないかって思えてくる。
恥ずかしいからつねったりはしないけど、夢なら醒めないでほしい。
武市さんが私を嫌ってはいないことがわかって、和菓子を今も好きでいてくれて、心配してくれて、本部に来てくれないかとまで言ってくれて。
そんなの、この半年間を思えば、全部夢みたいな話だ。
嬉しくて胸が張り裂けそうで膝に乗せた手を思わずギュッとしたら、ふと、武市さんの大きな手のひらが重なった。
へ。
「……喜んでもらえてよかった。ただ、何も私が気に入っているのは君の菓子だけではないのだ」
両の手で私の両手を包み込まれる。
「へっ、えっ?」
温かい大きな手で、どこまでも優しい包み方だった。
「…君を…」
言葉の続きを聞いてしまうと心臓が破裂する気がした。
目の前に跪き、両手を握り、真剣な眼差しで語り出す武市さんから目が離せない。
整った顔立ちのいつにも増して真剣な表情は私のときめき摂取許容量を一気に満たすに十分だった。
「いや、君に私のそばにいてほしい」
「へ、ぇ」
「口にするつもりはなかったが、君を説得するためにも必要だし、私自身もう我慢の限界だと思う。高杉のやつが君に興味を持ったのなら尚更だ」
壊れたみたいに鳴り止まない心臓の拍動が耳元で大音量で聞こえるし武市さんの言ってることが自分にとって嬉しいなんて言葉じゃ足りなくて真っ赤な顔に嬉し涙が溢れてきた。
武市さんは私の両手を今一度強く包み込むと、一拍置いて、初めて見た愛おしそうな笑顔で、言葉を紡いだ。
ちょっと待ってくださいそれ以上は心臓がもたないですお願いだからそんな私の好きなかっこいい顔で迫らないでお願いだから。
「君が好きなんだ」
私、死んじゃうんじゃないかと思った。
「ぁ……ぇ……」
好き。武市さんが。私を。
どっどっどっどっと鼓動が大きくなっていく。
身体中、熱くないところがないってくらい沸騰する。その中でも痛いほど温かいもので満たされた胸と包み込まれた手が特に温度を上げていく。
ぐわっと心と頭から溢れてくる何かが私の中をぐるぐる駆け巡る。
どれも喉元まで来るけどつっかえたみたいに声にならない。
あ、私泣いてるんだと気づいたのは、武市さんが私の頬に掌を添えて長い指で涙を拭ってくれたからだった。
目元をすっと撫でる指先は本当に優しくて、それでまた泣いてしまいそうになる。
「君が嬉しい時、悲しい時、不安な時……傍にいられるのが私であったらいいのにと思う」
武市さんの一言が、私の中に流れ込んでくる。
「君を抱きしめられる人が私であればいいのにと思う」
武市さんの手のひらが私の頬を撫でて手を握ってくれている。
「君の唇に口付けられる人が、私であればいいのにと思う」
武市さんの瞳が私を愛おしそうに見つめてくれている。
本当に、こんな幸せがあっていいんだろうか。
告白なんてされると思ってなかった。
ずっと叶わないと、高嶺の花だと、それでもいいと思っていた。
私じゃ釣り合わないし、避けられた間なんてもう諦めないといけないとすら思っていた。
それでもずっと諦められなくて。
「わ、わたしも…」
武市さんが好きだと気づいた瞬間から。
「私も、武市さんがいい、です」
好きで 好きで 大好きで。
「私も、武市さんが……っ好き、です」
あなたが好きでたまらなかった。
温かなものに身体が苦しいほどに包まれていると気づいた瞬間、武市さんに力強く抱きしめられているのだとわかった。
「っ……」
手のひらが背中に回され、初めて目の前の身体の逞しさを服越しに感じてしまって、心臓がばっくんばっくん騒ぎ出して少しも動けなくなった。
武市さんは抱きしめてから何も言わなくて、異性に抱きしめられたことのない私は経験も耐性も0だから、どうすればいいか分からず抱きしめられるがままになっていたら、突然低い声が耳元に聞こえてきて、その甘い刺激に思わず肩が跳ねてしまった。
「……愛おしさが溢れた時、叫び出したいくらい嬉しいが、人は何も言葉に出来なくなるモノなのだな」
「へっ……?」
「君の言葉を聞いて……たまらずこの腕に抱いてしまった」
絞り出すように紡いだ武市さんは、そっと私を抱擁から解いてくれた。
そのまま私の腕を優しく引いて立たせると、もう一度肩と腰に手を回されて先程よりも強く抱きしめた。
ああああハグは続くんですね…!
どっくんどっくんと騒ぐ鼓動を感じる。私はもうここまで来たら思い残すことのないようにと、思い切って震える手で、おずおずと腕を武市さんの背中に回して、ぎゅっと抱きついてみた。
うああやばい、これは叫び出してしまうほど、恥ずかしい、むりだ、しぬ。
でも胸は幸せでいっぱいという、私の体はとても騒がしい状態だ。
武市さんは私からの抱擁に気づいたのかまた腕の力を強くした。
あっやばい武市さんの胸板が近いし厚い。それに顔も胸もお腹も武市さんにくっついてて心臓破裂しそう。てかする。
もうどきどきのしすぎでつま先から手の先までピクリとも動かせない。
武市さんは再び抱擁を解くと、私の肩に手を置いて、とても柔らかに微笑を浮かべた。
「すまない……君と想い合えていた嬉しさで力が篭ってしまった。力加減を誤ったかもしれん。どこも痛くないか?」
「えっ?!あっ、だ、だいじょうぶ、です……その、私も本当に嬉しくて……だ抱きしめ返してしまったので…!その、私も、たっ、武市さんと両想いで、ほんとのほんとにうれしくて…っ!」
だからその、とにかく嬉しいのだという気持ちを伝えようとしたら武市さんが私の口元を手のひらでそっと覆ったので、もごっと声が篭ってしまう。
「君は……はぁ…」
見上げると自分の目元をもう片手で覆って、俯き加減に深くため息を吐いた。
すると突然私の口元を覆っていた手を頬に滑らせ、もう片手も私の唇に親指を乗せて滑らせる。
ふと、私の顔に影がかかる。
「えっ?」
「……ん?」
軽く笑みを浮かべる武市さんの顔がいつの間にか鼻先がくっつきそうな距離に……つまりこれって、まさかキ。
「えっ?!あっ!ちょ待っ」
「すまん、君に煽られたのだ。我慢のきかない私をどうか許せ」
これから何が起こるかわかった瞬間にぼっっっと頭が沸騰する。口では言葉がついて出るけど抵抗はできなかった。いや別に抵抗したいわけじゃないんだけど……!
武市さんは謝る言葉を口にするけれど、堪らないと愛おしそうに笑っている。
まま待こここ心の準備が……!
「ぁ、ぇたけちさん待っ…!」
「私はずっと待った、もう待てんよ」
「はぇっ…」
フっと笑む武市さんの顔がすぐ近くにあって、繋がった手がぎゅっと握られて、堪らず目を瞑った瞬間、唇が合わさった。
初めての告白に初めての恋人に初めてのキスに、キャパオーバーな私は、よく倒れなかったと思う。
「今日はひとまず帰ろう」
武市さんは名残惜しそうに、けれど「また来る」と言ってくれて私の頬をひと撫ですると「まんじゅうの件、色良い返事を期待している」と笑みを浮かべて勤王党に帰っていく。
手を振って見送り終えた私は入口に立ち尽くし、その場に暫く呆然と突っ立ったものの、突然ひゅる~と力の抜けた足で店内に入り、近くの椅子にへたりこんだ。
う、あ、う、い。
口がパクパクして、でも胸に溜まっていた気持ちを解放させたくて、「あぁ~~~~」と叫びながら座面を叩いた。
「うそ〜〜うそ〜〜!?!!」
私、武市さんと恋人になったんだよね!?夢じゃないよね!?
今度こそ頬を抓ってみたけど、痛いから夢じゃなかった。
こんなに幸せなことってあっていいんだって、そう思った。