武市

死んでしまいたいって、きっとこういう時に思うのだろう。
半年前から突然、武市さんが私の前に姿を現さなくなった。
それは丁度、あの武市さんと田中さんの大喧嘩の翌日からで。
私用でも来なくなったし、勤王まんじゅうの受け取りには田中さんとキンノブたちしか来なくなった。坂本さんが月に何度か来ることがあるものの、彼は笑みを浮かべたまま武市さんの話題には触れず、淡々と買って帰るのみだった。
去年は週に1度は武市さんに会えていたから、それがばったりなくなって、初めの月はお忙しいのだろうと思い、2ヶ月目は今までがラッキーだったのだと我慢し、3ヶ月目からはなぜ来れない理由すらも本人から教えてくれないのだろうと辛くて堪らなくなった。
避けられていると気づくのはそう遅くなかった。
どうして来てくれなくなったのかと、田中さんにそれとなく聞いてもお忙しいとばかりで、電話もふたつめの月に2度ほど掛けてみたもののそれ以降は迷惑を考えるとできず、嫌われたのかと思うと昭和勤王党に訪れるなんて絶対にできなかった。
顔を見たいにのにこちらから伺って嫌な顔をされたらと思うとそれこそ死にたくなる。
きっと、今までが幸せすぎたのだ。
望みすぎてはいけなかった。
好きになるんじゃなかったなんて思いたくない。
でも、こんなに辛くなるなら、突然顔を見せてくれなくなるくらいなら、仲良くなんてならなければ良かった。

朝目が覚めると、瞼の裏に浮かぶ彼女に毎朝胸が締め付けられる。

『武市さん』

そう言って笑う彼女の顔を見なくなって、もうどれほどの月日が過ぎただろう。
初めの月は仕事を詰め込むことで耐えられた。ふたつめの月は番号を知る人が限られている電話が鳴ったとき苦しくて堪らなかった。みっつめの月からは幾度も彼女の店に赴こうとする度に足を踏み止めて、初めの月より仕事を増やし日中は計画に全ての意識を向けた。
けれど目覚めの瞬間はどうしても意識が緩み、彼女の姿を思い出す日々が続いた。
田中君には彼女に大事がない限りなにも伝えてはくるなと伝えたため、彼女がこの半年の間に怪我を負ったということはないが、何よりも私が彼女の心を傷つけてしまったには違いなかった。
彼女の顔が見たい。
私は臆病だ。
こんな男嫌いになっただろうか。
今すぐ会いに行きたい。
嫌われたら耐えられない。
好きだ。
もう限界だ。
いつしか自分の中に宿る狂気に自分で自分が怖くなった。
遠ざけることでしか、大事な人を守る術を、私は知らなかった。





「単刀直入に聞くけど、勤王まんじゅう作ってるのってこの店?」

そう言うのは、自身をこの街で高杉重工を営む社長で、維新まんじゅうを売り出す高杉と名乗る人だった。
突然多くの兵隊を連れて店にやってきて、カウンターに立つ私の目の前に来るとこの店の店主に話があると言うので、私が店主ですと言えば目を丸くしたが、なら話は早いとばかりに本題に入った。
とうとうあのそっくりまんじゅうにクレームがやってきたのだと分かったのは彼が高杉重工の名を出した時だった。

「僕の高杉重工が維新まんじゅうを売り出してるのは知ってるだろ?」

カウンターに腕を置き身を乗り出す高杉さんは本心が読めない独特のオーラを纏っているし、私を逃がさないとばかりに店の中を占める兵隊が怖くて膝が震えた。
勤王まんじゅう作りを引き受けた時からこんな日がいつかくるとは思っていた。けど、なにもこんな武市さんに会えない日々でメンタルが弱ってる時に来なくても……!心の準備ができていないのだ。

「えっと、は、はい…」
「困ってるんだよね。君の作る勤王まんじゅうは維新まんじゅうと味は違うにしても見た目がそっくりだろ?別にまんじゅうのことくらい見逃したっていいんだけどな。市民がふたつをごっちゃにするし、あの武市らがやってるかと思うと気に入らなくてね」
「は、はい…その件については弁解のしようもなく…」

やれやれといったポーズで語る高杉さんの言い分はもっともで反論のしようもないので、とにかく頭をひたすら下げる。
ただ高杉さんは困ると言ったものの不思議とそんなに怒ってはいないようで目線を私から和菓子たちに移した。

「でも驚いたな、君1人で作ってるのかい。この店の菓子も?」
「そっそうですけど…」
「1人で店の商品作って勤王まんじゅうもって大変じゃないか?」

大変、という言葉に目を見開く。
たしかに大変だ。
けど全然苦じゃないし寧ろそれで武市さんに会えるなら頑張れるし楽しかった。
今は、会えてないけど。
今日なら会えるんじゃないかって。そうやっていつも頑張ってる。けど最近はもう来てくれないんじゃないかって。頑張って作ったって意味ないんじゃないかって。
高杉さんの言葉に途端に目頭が熱くなったけど急に泣いてしまったら驚かれてしまうから泣くのは耐えた。返事はできなかった。
そうしたら一向に答えない私を見て痺れを切らしたのか高杉さんが口を開いた。

「なあ、いっそやめちまえよ」
「は、」

勤王まんじゅう作るのさ、と目の前の人がカウンターを指でトン、と叩いた。

「勤王まんじゅうの評判はいいよ。気に食わないけど僕も食ったことある。悔しいけど美味かった。でも君にとったら別に勤王まんじゅうじゃなくたって良くないか?」
「……どういう意味ですか?」
「鞍替えしないかって言ってるんだよ」
「は?」
「維新まんじゅうに乗り換えてみないか」

ニッと笑顔で言う人は、つまり昭和勤王党の対抗勢力の高杉重工のお菓子に乗り換えろと、勤王まんじゅうから維新まんじゅうへと路線を変更しろと提案していた。
それは、今のメンタルが弱った私にはぐらついてしまう提案で。
だって、私はずっとこの店で武市さんを待つしかない。
このまま作っていたって武市さんに会える保証はない。
もう、ここらが潮時かも知れない。
……勤王まんじゅう、作るのやめようかな。
だから、思わず提案に乗りそうになってしまったのだ。

「なんなら報酬は今もらってる分より増やしてやってもいいぞ。悪い話じゃないだろ?」
「っ……!」

けれど、ニコニコと喋る人から出たその言葉にカッとなって、すぐそんな考えは吹き飛んだ。
そしたら考えるより先に口が動いていた。

「お断りします」

報酬なんてどうだっていい。私が勤王まんじゅうを作ってるのはそんなもののためじゃなかった。
だって私は武市さんに会いたくて、あの日勤王まんじゅうを作ることを決めたのだから。

「今なんて言った?」
「高杉さんの頼みは聞けません。勤王まんじゅうを作ることはやめられません。……すみません」

高杉さんに迷惑がかかってることは分かっているから、せめてものお詫びとして深く頭を下げた。
すると頭上から心底意味がわからないといった声色が耳に届く。

「君、状況わかってるかい?君もこの店もどうなってもいいのか?この店の中だけじゃない。周りも奇兵隊が囲んでいるんだぞ」
「そ、それは、わ、わかっています」

目の前の人は怖いし、私の周りに立つ兵隊だって本当に怖い。
対して私は丸腰だから従わないせいで何かされても自分で身を守れないかもしれない。
足だって遅いから逃げられる自信はないけど、いざとなったらお盆を振り回して必死で抵抗しようと思う。

「すみません。それでも高杉さんの頼みは聞けません」
「えぇ、なんでさ……従ってくれたら手荒なことはしないよ。僕だって君みたいな武器も持ったことなさそうな市民を痛めつける趣味はないんだ。ただ勤王の奴らが気に食わないだけでね」

ほとほと理解が出来ないなと高杉さんは額に手を当てて項垂れた。
なんだが話を聞くに、表情もリアクションも忙しない人だけど、私に乱暴する気はないらしいので、意外と優しい人なのかもしれない。

「あのな、こう話してる間にも住民は僕と君の間に何かあったと悟るはずだ。奇兵隊が取り囲んでるとあっちゃあ、君が悪いことでもしたかって、店の評判に傷がつくだろうな。もう既に評判は下がったかもしれないぞ」

逆に私の店のことを心配してくれる素振りをしてくれたので驚いてしまった。

「それに勤王まんじゅうを作る意味分かってるのか?昭和勤王党はこの維新都市における反抗勢力で、維新の敵だ。つまり僕のね。君がなんで武市に加担してるか知らないけど、僕だったらこの維新都市の反抗勢力に加担なんかしないけどな」

だから悪いことは言わないから維新に乗り換えろって、と言ってくれる高杉さんは兵隊を連れてきた当初のイメージから打って変わって、結構いい人なのかもしれない。
それでも頼みを聞けないのは、やっぱり私が武市さんを好きだからで。
武市さんから維新に乗り換えるなんてできないからだ。

「すみません。そんなに私の店のことまで気遣って下さってありがとうございます。けど、やっぱり勤王まんじゅうから維新まんじゅうには乗り換えられません」

もうしばらくは、たとえ武市さんが会いに来てくれなくても、いつかは会えると信じて、勤王まんじゅう作りを頑張ろうと思う。

「私は武市さんの頼みを、断りたくありません」

もう一度深く頭を下げると、高杉さんは私の返事に目を丸くし、ほおずえを着いて珍しい物を見るような目で私を見た。

「そんなにあいつの頼みが大事なのか?僕だってここの和菓子食ったことあるけど、なかなか美味いし、あいつらからの注文がなくたってやっていけるだろ?ここ」
「えっ?あっ、あの、ありがとう、ございます…食べて頂けてたなんて知らなくて…」

この人とは初対面だからきっと部下の方が買ってくれたのだろうが、たとえ武市さんにとって敵勢力に当たる人でも、誰かに美味しいと言って貰えるのは素直に嬉しくてお礼を言っていた。

「え?ああ、うん、食ったよ。美味かった。栗きんとん超好き。…あれ?何の話してたんだっけ。あっそうだ、君そんなに武市の頼みが大事なのか?」
「だ、大事です。武市さんはこの店の常連さんで、その、私の……」

今でも武市さんが私のことをそう思ってくれてるか分からないけど。
「…………友人、ですから」

思わず目線は下がるし頬は熱くなった。
すると高杉さんは頬ずえから頬を離し、まさに呆気に取られたように口を開けて固まっていた。

「……………………友人?…………武市の?」
「え?は、はい」
「ブっっ!!」
「!?」

突然たまらないと言ったふうに吹き出す高杉さんに、今度は私の方が目を丸くした。高杉さんはお腹を抱えて笑っている。しかもカウンターをバンバン叩いて。何がツボに入ったのか全く分からない。

「あっはっは!!きみ、面白いなあ!!あのつまんない男の、ゆ、友人って!」
「なっ!た、武市さんはつまらない人じゃありません!素敵なひとです!」
「ぶふっ!!もっ、もしかしてどこかに出かけたりしたのかっ…?」
「えっ?えっと…な、何度か…」
「あはははは!あいつにこんな友達がいてお出かけしてるなんて面白すぎるぞ!それに君も僕の奇兵隊に囲まれて、もちろん震えたようだけど引き下がらないし!一般市民なのに最高じゃないか!」
「はあ……?!」

褒められたのかもしれないが大笑いと共の言葉に全くそんな気はしなくて、それに武市さんがつまんないなんてちょっと失礼じゃないかと怒りたくなってしまった。
一通り笑い終えたらしい人は涙まで出たらしくて指でそれを拭いながら顔を上げた。

「あーっ笑い疲れた…ごめんそんなに睨むなよ。もう帰るからさ。店の邪魔してごめんな。もう来ないよ、仕事では」
「……何もしないんですか?」

ふう、と息を吐いて告げられた言葉に、てっきり頼みを聞かなかったらこの人と兵隊に最悪店をめちゃくちゃにされるかもしれないと予想していたから思わずそう聞き返していた。

「うん。さっきも言ったけど、あいつらが嫌いなだけで君に恨みはないんだ。それに僕、面白い人は好きなんだぞ。あーあの武市に友人ときたか〜、いい話のネタが出来たなあ」

最後の言葉はなんだか見逃していいものかと引っかかったけど、何も無いなら良かったとホッとしたし、気づいたら膝の震えも無くなっていた。

「なあ、武市の恋人だったりするか? 」
「は?!しっ、しませんっ!」
「なんだ残念だ!」
「なっ、何が残念なんですか…!」

ニヤニヤと笑いながらの斜め上の問いかけにぶわっと熱くなって、たまらず大きな声を出してしまった。
恋人なんて、そんな。いや万が一億が一叶うならなりたいけど…た、武市さんの恋人。うわ。想像したら余計に顔が熱くなった。今の私は妄想でゆでダコだ。

「いやだってあいつ君の菓子だけは人に食われるの嫌がるし、てっきり恋人が作ってるのかなと思ってたんだよ」
「へっ?」
「4年前になるかな。まだ僕とあいつがつるんでた頃にあいつが君のところの菓子をあんまり旨そうに食うからどんなもんかと黙ってひとつ拝借したらすっごく怒られちゃったんだよな」
「えっ」
「それくらい君の作る和菓子には思い入れが強かったんだろ。それで勤王まんじゅうも君にって、武市は相当惚れ込んでるらしいな」
「そ、そうなんですか…」

何気なく語られる話は私にとって衝撃で、そんな前から武市さんが私の和菓子をそこまで気に入っていてくれてたなんて、嬉しくて心臓がドキドキする。
半年間会えなかった辛さも、それだけで乗り越えられる気がした。

「さてと、そろそろ帰るとするかな。おわっ、予想通り野次馬が集まってる集まってる。こりゃ本当に店の評判落ちちゃったかもしれないぞ。まあ僕のせいなんだけど…」
「あ…」

高杉さんの言う通り表で沢山の人がなんだなんだと騒ぐのが見えた。
たしかに悪い噂が立ったかもしれないと思うと、そもそもの発端は私が勤王まんじゅう作りを始めたことだけど、やっぱり悲しいし店のこれからが不安になる。
高杉さんはさっきまでの威勢をなくした私を見て途端にバツの悪そうな顔をするとゆっくりと話し出した。

「…最初はここの店の評判が落ちて勤王まんじゅうが売れなくなったらいいって思ったけど、そもそも僕ここの和菓子好きだったし、君も面白いし、潰しちゃうには惜しいよな」

さあ帰った帰った、と高杉さんは兵隊を外に出すと最後に店を出る直前、振り返ってニッと私に笑いかけた。

「ここの和菓子が美味しいって触れ回っとくよ。流石に勤王まんじゅうは無理だけどさ。僕が言ったらもっと客増えるだろ」
「えっ、あ、ありがとうございます……!」
「暇が出来たら僕自ら買いにくるからな!それじゃまた」
「えっ!?はっ、はい!ありがとうございます!また」

高杉さんは背を向けたまま手を振って、とうとう店を出ていった。
バタン、と扉がしまった瞬間、急に力が抜けて私はその場にへたりこむ。
何よりも、なにもされなくてよかったと深く息を吐いて胸を撫で下ろした。

「な、なんとか…大丈夫だった…」

とりあえず私はこれからも勤王まんじゅう作りを続けようと思う。
武市さんに会いたいという気持ちも、諦めないで持ち続けたい。
そうしたらいつか、また前のように武市さんと笑顔で話せる日が来ると思って。





「何だと?」
「高杉の奴、勤王まんじゅうのことを調べたのか、あの店にたどり着いたようで…」
「そんなことを聞いてるんじゃない」

立ち上がった武市は机を挟んで目の前に立つ新兵衛に向けて怒りを隠そうとしない表情で詰め寄った。

「何故直ぐに報告しなかった?今日は君がずっと店を見張っていたのではなかったのか?君が私にあの店に行くなと言ったから、私は君に、彼女に何かあれば逐一報告するよう頼んだはずだぞ」
「でっ、ですが高杉たちは店をしばらく占拠したもののそれ以外は何もせず店を出て──」

武市の剣幕に新兵衛はたじろいだが、見張りの対象である彼女が無事であったことを懸命に語った。
しかし満足のいく答えではなかったらしく声を荒らげる武市は新兵衛に掴みかからん勢いで捲し立てた。

「私が頼んだのはそんな報告じゃないと言っている!何故高杉が占拠した時点で私の所に来なかった!」
「っですがその時あなたには大事な用があって…!」
「構うものか!」

ドンっと机を叩く拳は爪がくい込みそうなほどで、その広い肩は怒りで震えていた。

「彼女に何かあってからでは遅いのだぞ!」
「まあまあ武市さん、田中君を責めないであげて」

それまで様子を見ていた坂本が珍しく荒ぶる武市と蒼白する新兵衛を見かね、2人の間に入った。

「坂本君、しかし…っ」
「彼はよくやってくれてるじゃないか。それに武市さん」

肩に手を置き宥められるも引き下がらない武市に、坂本はそれまで穏やかだった金色の目をスっと鋭くし、表情からも笑みを落とす。

「そもそも彼女が襲われたのは何故なのか…誰のせいなのか、よく考えてごらんよ」

その瞬間、武市から怒りが消える。
眉間の皺は深いまま、されど顔色は驚愕と絶望に変わった。
その表情を見た坂本にぽん、ともう1度叩かれると、武市は机に置いていた手を力なく戻し、同じように顔を伏せて沈む新兵衛に頭を下げる。

「……田中君、すまない。坂本君の言う通りだ、君に非はなかった。責め立ててすまなかった。どうか許して欲しい。この通りだ」
「いっ、いえ、そんな、先生……!どうかお顔を上げてください……!」
「ああもう武市さんも田中君もそんな堅苦しくならないで、はい喧嘩は終わり!仲直りだ!田中君もいつまでも落ち込んでないでもう部屋で休みなよ」

新兵衛はさあさあと坂本に背を押されるまま、2人は部屋を出ていく。
残る武市は数分前と比べると落ち着いたものの、徐に手を当てた顔は今まで以上の苦悩を浮かべていた。

「……私のせいで、彼女を危険に晒してしまったのか……」

思い詰める癖のある彼を止める者は、その場には誰も居なかった。
ある決断を下した彼はジャケットとストールを羽織る。
そして半年間1度も足を運ばなかった場所へ、とうとう一人で向かった。
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