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おはなし



「俺にも英語の歌詞書いて」
「読めない奴には書きたくない。嫌だ」
「書いてよ!読める!」
「全部にルビを振るのは面倒だから嫌だ」
「どらちゃんのバカ!頭でっかち!」
「鼓膜破ける」
ここ最近ずっと、ボーカルくんがりっちゃんに英詞をせびっている。なんでかっていうと、発端は少し前に遡って、ライブの打ち上げで一緒にやったバンドのギターとボーカルの女の子たちに「英語で歌詞書けるんですか、すごーい」「あたしたちのも添削してほしーい」とりっちゃんがちやほやされていて、まあその子たちがどうなったかは俺は知らないんだけど、それを見ていたボーカルくんが嫉妬の炎に燃えているのだ。女の子にきゃっきゃ言われてたりっちゃんにはもちろんひとしきり文句をぶーたれた後で、今度はりっちゃんに英詞をおねだりした女の子の方に。それで、俺だって全部英語のやつ歌ってみたい!なぜならかっこいいから!とボーカルくんがりっちゃんに掛け合っては、無視されたり拒否されたり鼻で笑われたりしているというわけで。望み薄だと思うんだけどなあ。
「なんでだよ!努力するから!」
「まずまともに日本語読めるようになってからにしたら?」
「日本語は読めるわ!日本人だぞ!」
「……はい」
「なにさ」
「読んで」
りっちゃんがボーカルくんにスマホを向けた途端、ボーカルくんが固まってしまった。なんか見ちゃいけないものでも見せたんだろうか。グロ画像とか。覗き込んだら、なんか文章が書いてあった。お前は読めるよな?と聞かれて、目を擦る。文字は読めるけど、漢字はそんなに得意じゃないぞ。
「……やま、みち?やまじ?」
「何かは分かるだろ」
「知らない」
「バカ2号」
「しつれいだなー」
「ベースくん」
「はいっ」
部屋の隅っこで我関せずって感じでこそこそしてたのに、りっちゃんが突然呼んだから、ベースくんが飛び上がってしまった。驚かせたらかわいそうだ。びくびくしながらこっちに来たベースくんがりっちゃんにスマホを向けられて、目を細める。ちなみにまだボーカルくんは固まっている。
「なんでしょう」
「……な、夏目漱石……?」
「ほら。一般人」
「嘘だー、ベースくんが頭いいからでしょ」
「ベースくん、読んで」
「や、山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ……え、ぜ、全部読むの」
「これなーんだ」
「えっ、と……草枕、だっけ……」
「正解。ベースくんに拍手」
「わー」
「あ、ぇ、えへ……」
ぺちぱち、と響いた音に、ベースくんが照れ照れしている。りっちゃんの言い方は嫌味くさいけど、俺はそういうのなく、ほんとにすごいと思う。ナツメソーセキ、名前は聞いたことあるよ、もちろん。猫の人でしょ。ワガハイが猫。
一時停止から戻ってきたボーカルくんが、そういうのはズルだ、なぜかというと俺はそれ学校で習ってないから、と反論し始めたあたりで、りっちゃんのスマホに着信が入ったので一旦話が中断した。中断してる間にいつもだいたい話が別の内容に変わっちゃうんだけど。
「どらちゃんズルっこだったよなあ」
「でもボーカルくん、読んで、しか言われてなかったよ。ナツメソーセキかどうかは聞かれてなかったじゃん」
「文字がいっぱいあると視界がぼやけるだろ」
「おじいちゃんかよなあ」
「ぎたちゃんはどっちの味方なの!」
「決めてない」
「俺の味方して。帰り肉まん買ったげるから」
「そうするー」
「よし。じゃあべーやん、ネコ見して」
「えっ、う、うん」
「気分転換は大事だかんね」
「えー、俺も見たい。見して」
「うん……」
「なんだっけ名前、シッポだっけ」
「クロ」
「ボーカルくん、なにシッポって」
「しっぽ付いてるだろ、ネコなんだから」
「人間に鼻って名付けるみたいなもんじゃん」
「ハナはいるだろ、女の子に」
「そっか……まあ……言われてみれば……」
「シッポちゃん元気?」
「クロなんだけど」



「英語の歌詞!」
「ギターくん、これどうにかして」
「組体操みたい。ね、ベースくん」
「うん。すごい」
「どうにかしてっつってんの」
後日。りっちゃんにボーカルくんが絡み付いてる。なんだっけ、扇みたいな技、組体操になかったっけ。あれみたい。ボーカルくんが、えーいーごー!と叫んでいるので、至近距離で大声を食らったりっちゃんが耳を押さえている。鼓膜破けてないといいね。
とりあえずボーカルくんをりっちゃんから引き剥がして、椅子に座らせた。ベースくんと二人がかりじゃないと剥がせなかった。俺は、りっちゃんが全く協力してくれなかったのにも問題があると思う。もう疲れたとか、うるさいし暑いとか、そんな体力ないとか、言ってたけど。
「英語の歌詞……全部英語の歌詞の歌が歌いたい……」
「この前日本語読めなかっただろ」
「あれは突然だったから!もっと短い文章なら読める」
「ボーカルくん本読んだことないの?」
「あるよ!バカにすんな!」
でも教科書開くと寝ちゃうって前言ってたじゃん。今だって打ち合わせについてけなくて暇な時、書類の文章の中の「る」とか「ね」とか「む」とかの丸の中を全部塗りつぶす暇つぶししちゃうじゃん。言ったら巻き込まれそうだから言わないでおこう。ベースくんも同じようなことを思ってるのだと思う。口が何か言いたげにもにゃもにゃしている。
りっちゃんが、だから、とうんざりした顔で言った。ただでさえ今、歌詞の漢字に振り仮名を振ってやっていて、英語もボーカルくんが分かんないって言うやつにはカタカナを当ててあげていて、読みに関してはほぼ介護状態でいるのに、この期に及んでなにが全英詞だ、ふざけるな、と。多分この説明も俺たちが来る前に散々繰り返したからうんざりした顔してるんだと思う。一回ぐらいやったげたらいいのに、と俺は思わなくもないけど、りっちゃんからしたら、英語で歌詞を考えた上でそれにわざわざカタカナを振る、二度手間が億劫なのだろう。やったことないから知らんけど。
「だからあ!カタカナいらないから!」
「いるだろ。カタカナ振らなかったらどうやって歌うんだよ」
「英語読むんだよ!」
「俺はハミングで誤魔化すかっこ悪いボーカルくんなんか見たらその場で笑い死んでしまう自信があるから嫌だ」
「わはは、かっこ悪」
「ぎたちゃんどっちの味方なの!肉まんの恩は忘れたの!」
「そうだった。忘れてた」
「食いもんで買収されるなよ」
「お腹空いてたから」
「常にだろ」
「べーやん!べーやんからもどらちゃんに頼んで!英語でかっこよく歌うとこ見たいって言って!」
「ヒッ」
「びっくりしてないで!ほら!」
「ボーカルくん、ベースくん耳壊れちゃうよ」
「それはごめん!」
絶対にやりたくないりっちゃんと、どうしても引き下がらないボーカルくん。完全に堂々巡りだ。堂々巡ってる間、三回に一回ぐらいの割合で「ねえべーやん!」とベースくんが不意打ち爆音を食らっていちいち跳ね上がるのがかわいそうだ。ベースくんを挟んでる俺もびっくりするんだから、直で食らったらマジ耳壊れる。椅子をがたがたさせながら全然諦めずにだってだってって言ってるボーカルくんに、りっちゃんがでっかい溜息をついた。
「もー。わかった」
「やったー!」
「やってない。宿題出すから、答えがわかったら書いてやる」
「俺が学校で習ってる範囲内にしてよね!こないだみたいな、見たこともないやつは駄目だから!」
「わかったわかった」
「イエーイ!」
「いえー」



また後日。
「だってりっちゃん足遅いじゃん」
「遅くない。お前よりは早い」
「そんなことないでしょ」
「そんなことなくないだろ」
「俺もそんなに足速くないけど、りっちゃんより俺のがマシ」
「ふざけんな」
「ふざけてないですう」
「全部すっとろいお前よりかは俺の方が早く走れる」
「そんなことはなーい」
「なにもめてんの?」
「あ、ボーカルくんおかえり」
なんかどっかに話に行ってたボーカルくんが戻ってきた。りっちゃんと俺どっちの方が走るの早いかって話してたの、と説明したら、どっちも遅い、と切り捨てられた。ひどいなー。俺もそりゃ走るの速くはないけど、りっちゃんよりはマシだって言ってるじゃんか。それと、ボーカルくんも決して足が速くはない。ちなみにベースくんは、俺とりっちゃんが走る話を始めた辺りで、静かに部屋を出て行った。なんか飲み物とか買いに行ったんじゃないかな。多分。
「もうちょっと待ってって」
「あーそ」
「なにが?」
「ギターくんには関係ない話」
「あー。秘密だ。ずるい」
「話しても分かんないだろ」
「じゃあいいや」
「あっ!ねえ!どらちゃん!宿題は!?」
「宿題」
「忘れちゃったの!もう!」
はたりと動きを止めて考えていたらしいりっちゃんが、手を打った。思い出した、って顔。俺も忘れてたけど。そうだった、とその辺にあった紙を裏返したりっちゃんが、ボールペンを走らせた。
「はい」
「読めない。ニョロニョロで」
「……………」
筆記体とか、そういう感じでしょ。りっちゃん外国いたことあるって言ってたの、聞いたことある。ていうかよく見たら、崩れ文字なだけだからがんばれば読めるよ。ボーカルくんは字めちゃくちゃ綺麗だけど、りっちゃんそんな字綺麗じゃないから。まともにやってくださあい、と口を尖らせたボーカルくんに、にやにやを引っ込めたりっちゃんが再び紙に向き直った。怒ってるみたいだから、真顔になるのやめてほしい。
中学校の英語の教科書ですか?ってぐらいはっきり分かりやすくアルファベットを書き直したりっちゃんが、ボーカルくんの顔に紙を押し付けた。ふぎゃー、ってこもった声がする。どれどれ。なんて書いてあるのかな。
「……………」
「うーむ」
「クイズだから。正解分かったら言って」
「えー。クイズね」
「……………」
ローマ字のように見えるんだけど。英語じゃなくてローマ字で、「パンはパンでも食べられないパンは?」って書いてあるみたいに見える。俺が間違ってるんだろうか。ボーカルくんは、うんうん唸りながら紙とにらめっこしてる。はい、と挙手したら、うん?って首を傾げてりっちゃんがこっちを向いた。
「どうした」
「答えたいです」
「どうぞ」
一応、ボーカルくんに聞こえたら自分で考えたことにはならないだろうなと思って、りっちゃんの耳に寄ってったら、一瞬嫌そうな顔で引かれたけど、ひそひそ話の耳打ちがしたいと分かってくれたらしく、こっち来てくれた。よかった。
「フライパン」
「うん」
「……ピーターパン」
「うん」
「……あと……うーん……腐ったパン」
「全部正解」
「よーしゃ。いえーい」
「ハイタッチするほどのことか?いえー」
「えっ!?どういうこと!?なんでぎたちゃんには分かったの!?」
だってこれ英語っていうか、そりゃアルファベットで書いてあるから英語と言われれば英語かもしれないけど、クイズ自体も回答も日本語というか。ボーカルくんが言ってた、俺が学校で習ったことあるやつにして、という要望には答えてくれたんだろう。確かに、ローマ字は学校で習った。疑問を浮かべながらもハイタッチには応じてくれて、その手で平坦に拍手したりっちゃんが、お前でもこれぐらいならわかるということがわかって安心した、と俺の髪を掻き回した。馬鹿にしとんのか。ローマ字ぐらいは読めるわ、キーボード打つ時に使うじゃんか。ん、あれ?そうすると、ボーカルくんはキーボードが打てないんだろうか?まだうんうん言ってるボーカルくんに目を向けると、こっちを見た。
「やめて!そんな目で見ないで」
「そんな目って」
「馬鹿を見る目だろ」
「今必死に中学校の時習った文法思い出してるから!YMCAみたいなやつ!」
「なにそれ」
「……SVOCのこと……?」
「そう!どらちゃん分かってんじゃん」
「それ出題したのは誰だよ」
「どらちゃん」
最初の単語はパンって書いてある風に見える、パンって日本語?英語でパンってなに?と頭を抱えているボーカルくんに、「パンは英語でブレッド」とか余計なことをりっちゃんが言ったので、多分もうボーカルくんは永遠に正解に辿り着けない。この人、なにがなんでも英詞書くつもりないな。聞かれたことには正確に答えてるのかもしれないけど、答えを導き出す邪魔をしている。
ボーカルくんの脳味噌が爆発する前に、ベースくんが戻ってきた。ビニール袋とペットボトルを持っているので、やっぱりコンビニにでも行っていたらしい。おいしそうだったから、と袋からコンビニスイーツを出したベースくんが、紙に向かって唸り続けているボーカルくんを恐る恐る見た。
「……な……なにがあったの……?」
「ひゅくらい」
「あっもう食べてる!ずる!」
「うまい」
「てゆか、味あるやつなのにりっちゃん勝手に食べたの。それなに」
「みたらし」
「もー。ベースくんどれがいい?」
「どれでも……」
「じゃあ俺これにしよ。クリームだって」
「……ボーカルくんは?」
「んあー、後で食べる、なんでもいい、ありがとー」
「そっか、じゃあ、俺これにする」
「いっただっきまーす」
「ごちそうさまでした」
「もっと味わって食べなよー」
「一口寄越せ」
「やだよ!りっちゃんの一口、三分の二行くじゃん!」
「いかないいかない。ベースくんのは?」
「あっ、こしあん……食べる……?」
「ちょうだい」
「まだ口つけてないから、はい、どうぞ」
「ベースくん、めっちゃいかれるよ。もうあんこの部分とか全部食べられるよ」
「俺お腹すいてないから、うん、大丈夫」
「ありがと」
「うん……」
「ベースくんかわいそう。りっちゃんにいじめられてる」
「いじめてない。なっ」
「うっ、うん……」
「かわいそう……」
そんなこんなしてるうちに、ボーカルくんが力尽きた。いつのまにか、べったりと机に伏している。ベースくんが気になってるみたいだったから、りっちゃんの宿題だから答えはボーカルくんに教えちゃダメだよ、と教えてから紙を取り上げて見せる。一度文章を目で追って、数回まばたきして、再び目で追いかけて、眉を寄せている。そんな難しく考えなくていいから。マジで文章そのまんまの意味だから。ぼそぼそとりっちゃんに耳打ちするベースくん。一つ頷いて、ぱちぱちと拍手の音。ベースくんがかわいそうなものを見る目でボーカルくんを見ていたのは、見なかったことにしてあげよう。
「……ボーカルくん。これもあげるから、後で食べてね」
「……なに……?」
「おせんべい……」
「……なんで……?」
「えっ……考えたら、お腹空くかと思って」
「……べーやんありがとー……」
脳味噌を使い果たしたのか、元気がない。知恵熱出てたらどうするんだ。発端のりっちゃんは我関せずって感じで欠伸してるし。



そのまた後日。
「メロンパン?」
「違う」
「コッペパン?」
「違う」
「ロールパン?」
「違う」
「食パン?」
「違う」
ボーカルくんが、りっちゃんの後をずっとくっついてパンの名前を言っている。なんのゲームだろう。混ざろうと思って、フランスパン!ジャムパン!ってついてったら、蹴っ飛ばされて追い払われた。ひどい。
「全部違う!パンじゃない!」
「でもべーやんはパンがヒントだって教えてくれた!」
「あんぱん。りっちゃん、あんぱん」
「正解した奴は引っ込んでろ」
「正解?」
「宿題。パン」
疲れ切った声で端的に言われて、ようやく思い出した。まだあれやってたの。もうとっくに終わったと思ってた。そう素直に言えば、げっそりって感じでりっちゃんが肩を落とした。
「ベースくんがヒント出してからずっと、いろんなパンを後ろから叫ばれる気持ちにもなれ」
「お腹空くね」
「ねえ、ほんとにパンじゃないの?」
「パンじゃない。よく読んだらわかる」
「もうあの紙どっかやっちゃった」
「……………」
「痛い!いって、グーはやめろよ!ほんとに痛いだろ!紙はどっかいっちゃったけど、写真撮ったよ!」
「もう宿題の提出期間終了にする」
「やだー!英語の歌詞ー!」



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