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おはなし



お付き合いをはじめて、もうすぐ一年が経つ。夜だけしか会えなかったのが、悠くんの予定がない時にはお昼休みにも会えるようになった。最初の頃はちょっと申し訳なくて、バイトの前に時間作ってもらわなくても大丈夫だよって言ってたんだけど、まあ我ながら見事に流されてお昼ご飯を一緒に食べる日が増えた。こう、なんていうか、ちょっとしゅんとされたり、拗ねられたりすると、どうにも弱くて。
上手く仕事の段取りが行かなくて、いつも待ち合わせている時間に間に合わなくなってしまった。走って向かうと、すぐに気づいたらしい悠くんと目があった。
「あ」
「はあっ、ご、ごめんねっ、長引いちゃって」
「だいじょぶ。今日ちょっと寒いね」
「どこか入って待っててくれても、よかったのに……」
「だって外のが早く会えるから」
「……………」
「あ。そーだ、見て、カレー屋さんの割引券。もらったんだー」
じゃーん、と見せられた小さな紙。その前にこぼした言葉は、悠くんにとっては特段勿体ぶったものでもなんでもなくて、だからふとした瞬間にぽろっと落ちることが多くて、それに毎度のことながら大ダメージを喰らう。決して嫌な意味ではない絶句をなんとか飲み込んで、それはどこのお店の、と聞こうとして。
「それ、ぎゃうっ」
「あぶね」
「……ありがと……」
「どーいたしまして。足突っ掛かった?」
「……………」
変な段差に爪先を引っ掛けて、足首がぐにゃってなった。悠くんが咄嗟に手を伸ばして支えてくれたので、どこも痛めてないし、転ばなかった。ただ、こう、ぱっと掴まれた二の腕が、二の腕っていうかまあ思いっきり脇の下に手を挟んじゃったっていうか、最近太ったなーとか二の腕に肉ついたなーとかちょうど昨日思ったところっていうか。辛うじて絞り出したありがとうの後、言葉が出なくてもごもごしていると、そおっと覗き込まれた。
「……怒った?」
「は、っえ、っ怒ってないです」
「急に触ったから怒ってる……」
「ちが、違うって!怒ってない、ほんとに怒ってないから、悠くん」
「ごめんなさい……」
「ほんとに怒ってないんだってば!」

「……いつも外だとお金かさんじゃわない?」
「ん」
「あ、や、せっかくバイトがんばってるのに、もったいなくないかなって……」
カレー屋さんにて。久しぶりに食べる外のカレーはおいしかった。ご飯とナンがおかわり自由だったので悠くんはずっとおかわりしてご飯食べてたけど、それを見てふと思ったのだ。よく考えたら、もったいなくないかな、って。
「でも薫さんのお昼休みなんだし、この近くで食べなくちゃ」
「うん……そうなんだけど……」
「あ、じゃー今度ピクニックする?俺コンビニのおにぎり持ってくる」
「……それじゃ変わらないんじゃない?」
「ん?あー、そっか」
でも自炊とかあんましないしな、と宙を見た悠くんが、こっちを向いた。名案、って顔に書いてある。ピクニック、にはまだちょっと寒いような気もするけど、でも外でも晴れてる日なら大丈夫かな。職場から駅までの間に一つ公園があるのは知ってるし。そんなことを考えていると、悠くんがにこにこしながら口を開いた。
「薫さん、おべんと作ってきてたんでしょ」
「うん。あれ、話したっけ」
「関さんに聞いた。あ、奥さんの方の」
「ああ、麻陽ちゃん」
「前聞いた。俺も食べたい」
「……えっ」
「俺も薫さんのおべんとー食べたいな」
笑顔でそんなことを言われたら、断れるわけがないじゃないか。いいですよ、以外の選択肢はなかった。料理は嫌いではないし、せっかくなら、ちょっとぐらいは頑張りたいし。
しかし、悠くんにお弁当か。中身に悩む。好き嫌いはあまりないと言っていたけれど、食べ応えがあるものじゃないと、物足りないと思うかもしれないから。だって、あれだけ食べるわけだし。うちには、自分で使ってる細身で小さめのお弁当箱しかない。一応洗い替え用に二つあるから、自分の分と悠くんの分を作ることはできるのだけれど、これで足りるだろうか。おにぎりとか追加で持ってったらいいのかな。タッパーにからあげをしこたま詰め込む、とかも考えたけれど、それは運動会でお母さんがやるやつであって、公園で二人でピクニックの時にはそうじゃない、となんとなく思ったから、やめた。喜ばれそうではあるけれど。
スーパーで必要なものを買ってきたら、意外と量になってしまった。この中から使うのはほんの少しずつだけれど。お弁当らしいメニューを考えはしたけれど、悠くんが好きなものも入れたいから、とかやってるうちにいろいろ買いすぎてしまった。頑張って作らないと。
からあげは普段やらないぐらいちゃんと漬け込んだし、お団子みたいに串に刺したミートボールも上手にできた。トマトソースで、中にはチーズも入れてみたんだけど、自分でも美味しくできたと思う。レシピ本で見て、前々から作ってみたかったから、よかった。ベーコンのアスパラ巻きと、ポテトサラダと、厚焼き玉子と、ミニトマトと、ブロッコリー。きんぴらごぼうと、きゅうりの中華漬けと、さつまいものレモン煮。ご飯のところはそぼろ丼にした。にんじんを甘く煮たのをお花の形に抜いて乗せたら、かわいくなったので、ちょっと満足した。和風なんだか、洋風なんだか、中華なんだか、統一性は無くなってしまった。それに、自分ひとりのためのお弁当だったらこんなに盛りだくさんにしない。細っこいお弁当箱の中はもうぎゅうぎゅうになってしまった。でもきっと悠くんはこれだけじゃ足りないだろうから、おにぎりも作った。焼鮭とごまのおにぎりと、しょうがとおかかのおにぎりと、えだまめとしらすのおにぎり。外は寒いから、大根のジンジャースープも作った。スープジャーがあって良かった。思ったより時間かかったし、頑張りすぎちゃったけど、悠くんなら食べてくれるだろう。一応、美味しくない、ことはない、と思うし、多分。
お弁当箱が二つと、おにぎりが入ったタッパーと、スープジャーで、結構な荷物になってしまった。なんとか電車の中でもお弁当たちを守り切って、ようやく会社に着いた。せっかく頑張って作ったのに、食べる時にはぐちゃぐちゃ、っていうのは流石にちょっとさみしいから。
「榎本先輩、おはようございます」
「おはよう」
田幡くんにばったり会って、彼の目が、私の手元に落ちた。お弁当が入っている袋をじっと見つめた田幡くんが、今日は大荷物ですね、と目を上げる。不思議そうにしていたので、嘘をつくことでもないし、正直に中身を伝える。
「お弁当なんだ」
「そうなんですね、お弁当……」
「うん」
「……あっ、先輩最近外勤も多いから、お腹空いちゃいますよね。そうですね」
「……はっ、ちが、私だけのじゃなくて、私が全部食べるわけじゃないの、田幡くん」
「だっ、大丈夫ですよ!多いとか思ってないです!」
「違うんだってば、本当に、聞いて田幡くん」
「誰にも言いません!」
「聞きなさい!」

絶対全部食べると思われた。重そうな大きい袋の中のお弁当、全部一人で食べると思われた。二人分入ってるのに。なんなら二人分よりちょっとおにぎりの分多いぐらいなのに。大丈夫ですから!と拳を握って勘違いしたまま会議に出てしまった田幡くんの誤解を解けないまま、昼休みになった。悠くんとの待ち合わせ場所へ向かえば、彼はもう既に待っていて。
「あっ、ごめん、また待たせちゃった」
「ううん。早く着いちゃって」
「……珍しいね」
「お弁当が楽しみだったかんね」
重たそう、と袋を手から取られて、近くの公園へ向かう。そういえば田幡くんと悠くんは面識があったはず、と思って、先程の勘違いについてを話せば、めちゃくちゃ笑われた。ひどい。誤解を解いてほしいだけなのに。
「だって、はー、薫さんが全部って、この量、あはは、無理でしょ」
「だから誤解なんだってば、悠くんからも田幡くんに言ってよ」
「んー、わかったわかった。今度ね」
「忘れないでね!」
「うん」
目的地の公園に着いて、ベンチに腰を下ろす。お待ちかねといった感じの悠くんが、そわそわが止まらないようだったので、お弁当箱を渡した。どきどきしながら様子を伺っていると、蓋を開けた悠くんが、こっちを見る。珍しく目が丸い。
「かおるさん」
「は、はい」
「俺はこんなお弁当見たことない」
「え、あっ、だ、だめだった……?やっぱ、もっとお肉とかたくさんの方が、」
「持って」
「よかっ、え、っえ」
「持って。写真撮るから」
「しゃし、い、いやだ」
「撮るから持って」
「嫌、いっ、恥ずかしいからやだ、悠くん」
「じゃあ薫さんの顔は撮らないでお弁当だけにするから早く持って!早く食べたいんだから!早く!」
「ひい……」
ばしばし写真を撮られた。曰く、自分の膝の上じゃあ近くてちゃんと撮れないでしょ、だそうで。崩れてるかもとか片寄っちゃってるかもとか心配してたけど、それは杞憂だったようで、ちゃんと詰めた通りに収まっていた。がんばって作ったし、せっかくなら綺麗なまま見て欲しかったから。電車の中で守り抜いた甲斐があった。
「いただきまーすっ」
「……ど、どうでしょうか……」
「んー、うまー、これうまい、なに?これ」
「きんぴらごぼう……」
「お肉入ってる。きんぴらごぼうなのに」
「うん、悠くん、そっちのがいいかなって」
「俺さっきこんなお弁当見たことないっつったけど、そもそも俺お弁当とか作ってもらったことあんまないからさ、あ、からあげうまい」
「そうなの?」
「ミヤコちゃん料理うまくないし。厚焼き玉子とか多分殻入ってっし、なにこれチーズ入ってる!」
「わあ」
「やべー、店出しなよ薫さん」
「あ、あったかいスープもあってね、あと、おにぎりも」
「……お弁当屋さんになりなよ……」
「いやいや……」
予想通り、気持ちいいぐらいにぺろりと食べ切った悠くんが、ごちそうさまでした、と手を合わせた。作りすぎなくらいかと思ったけれど、おにぎりまでちゃんと食べてくれた。勿論、自分の分は自分で食べたわけだし。自分でもよくできたと思ったミートボールはちゃんと気に入ってもらえたようで、三つ串に刺さっていたうちの一つは一番最後に残っていた。悠くんは、好きなものは最後派らしい。
「うまかったー。コンビニとかのお弁当よりもよっぽど豪華じゃんね」
「そ、そうかな」
「毎日こんなん食べてたの」
「……いや……毎日こういうお弁当ではないかな……」
「じゃー、今日が特別?」
「そうだねえ」
「……へー、そー……」
小さくなにやら言っているかと思えば、やったー、って。隠しきれなかったらしい、嬉しそうに緩んだ顔に、こっちまで嬉しくなる。特別、って言葉にすると、たかがお弁当なのに非日常に感じてしまうから、不思議だ。悠くんだから特別、だから。
「あ、時間。薫さん、お昼休み」
「あっ、うん、そうだね、戻らなくちゃ」
「お仕事がんばってー」
「はいっ」
空になったお弁当箱たちを袋に入れ直して、急いで会社への道を戻る。そういえばデザートもつけられたら良かったな、と思いながら。


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