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ゆうとかおる おまけ




「敬語やめましょ」
「……はい?」
「敬語。やめましょ」
横峯さんと、ラーメンを食べに来た。前に来たことがあるお店だけど、期間限定がありましたね〜なんて話になったから。柚子塩ラーメンを頼んだのだけれど、さっぱりしてておいしかった。じゃなくて。
「……やめるとは?」
「だって、距離があるんですもん。今から敬語なしで」
「えっ」
「はじめー」
「……………」
「……………」
「……………」
「……そうなると思ったんで、この店出たらにしましょっか」
「……横峯さんだってまだ敬語じゃないですか……」
「俺はすぐ敬語なくせますよ。すぐですよ、すぐ」
それは威張れないと思うのだけれど。
ていうか、そんなこと急に言われたって、できるだろうか。横峯さんの言い分も、決して分からなくもない。距離があると言われれば確かにそう思う、けど。横峯さんに一つ分けてもらった餃子をつつきながらそう考えていると、食べないんですか、とのんびり聞かれた。
「た、食べます」
「あー、食べたら店出ないといけないから、そんでゆっくりしてるんですね」
「違います!」
「なるほどー」
あらぬ誤解をされている。そうじゃなくて、ほんとに、理由が気になるだけだ。だって今までずっと敬語だったのに、なにも言わなかったわけだし。それともずっとそう思っていて、ようやく言うことにしたんだろうか。そうだとしたら、ちょっと気持ちがわからなくもないから、聞くのも申し訳ない。けど、横峯さんはそういうこと考えなさそうなんだよなあ、とか。どうしてですか、ともう一度聞けば、少し考えた横峯さんが、口を開く。
「じゃあほんとのこと言いますけど。薫さん、職場の人には時々普通に喋るって言うじゃないですか。ずるくないすか、俺には敬語なのに」
「職場の人って……誰に聞いたんですか?」
「……あの……こないだ薫さんと一緒にでかいペットボトルいっぱい買いに来た人……」
「ああ、田幡くん」
「ずるいじゃないですか」
あからさまに拗ねている。珍しい。横峯さんもそういうこと思ったりするんだ、と少し驚いたと同時、それがもし嫉妬だったら、と嬉しくなってしまった。嬉しくなった勢いで、うっかり口に出てしまった。言ってしまった後、浮かれた自分が恥ずかしくなったのだけれど。
「横峯さんも、嫉妬とかするんですね、って思っ、あ、いや、そういうんじゃなかったら、ごめんなさいなんですけど……」
「……………」
「……?」
「……しっ……」
「……はい?」
「……と、とか、では……」
「……………」
「……そういうわけじゃなくて……」
横峯さんの目線が、上に行ったり下に行ったり右に行ったり左に行ったりして、うろうろの挙句に私とは決してかち合わないまま、テーブルの隅っこに落ちる。自分の恥ずかしさよりも、横峯さんがおろおろして恥ずかしがっていることの方が、上回ってしまった。どうやら嫉妬がバレたことが恥ずかしかったのか、ちがいますけどお、と低く漏らした横峯さんが、ぷいとそっぽを向いた。えっ。えー。かわいいんですけど。つられ恥ずかしくなるぐらいかわいいんですけど。
「薫さん?」
「は、あっ、いえ、なんでも」
「そういうんじゃないんですよ。ずるいんですよ」
「はい」
「わかります?」
「はい」
「……聞いてます?」
あんまり聞いてない。ごめんなさい。
時間を引き伸ばすための餃子も食べてしまったので、もうそろそろ本当に店を出ないといけない。敬語なし、か。それは別に構わないし、距離が縮まると思えば嬉しいかもしれないけど、そんなすぐに変えられるものだろうか。絶対無理、と一人内心で頷きながら思う。そんなことを考えているのはお見通しらしく、お店を出たら敬語なしですからね、と念押しのように横峯さんには言われた。そう言われても。
「じゃー、こっから敬語なし。よーいどん」
「う……」
「罰ゲームもつけるからね、薫さん」
「えっ、ば、罰ゲーム」
「ここから駅まで黙ったまんまとか、そーいうのはだめー」
「だっ……」
「んー?」
ああ、おもしろがられている……絶対そうだ、この顔は。もう流石に分かってきた。馬鹿にされているわけではないというのは伝わってくるので、横峯さんになら構わないけれど。にんまりしながら顔を覗き込まれて、なんとなく目を逸らした。くそう、といった心持ちである。横峯さんの方が背が高いので、置いていけるはずもないのだけれど、ちょっと早歩きになる。どうしようか考えないと。
「あっ、薫さん。こら、ちょっと」
「……………」
「ねえってば。追いつけますからね」
「……………」
「ねー。拗ねちゃったんです?」
「……あっ」
「あ?」
「横峯さん、敬語……」
「……あ。やべ」
本人も気付いていなかったらしい。ぱかりと口を開けてこっちを見るので、つい笑ってしまった。すると、二つのこといっぺんにしろって方が無理、とぷんすかしていた。一つは私のことを追いかけることで、一つは敬語をなくすことだろうか。できるできるって言ったのは横峯さんなのに、ちょっと可笑しい。
「もー。じゃあ罰ゲームだ」
「ふふ、なにします?」
「薫さんも敬語使ってっし……」
「ああ、じゃあ、なににするの?」
「……うぐ……」
「横峯さん?」
「……なんでもなーい……」
顔がぎゅってなってる。なんか痛かったんだろうか。どっかでつまづいたとか。一応聞いてみたら、特にそんなことはないらしかったけど。
罰ゲーム、というからにはこっちに決めさせてくれるのかと思ったら、どうもそういうわけではないらしい。しょうがないなー、と独り言ちた横峯さんが、私に向かって手を出した。
「はい」
「……はい?」
「手をつないで帰ります」
「……は、だ、誰と、誰が」
「薫さんと俺です。罰ゲームだもんなー、しかたがないなー」
「え、あっ、まっ、あのっ」
「しょうがないもんなー」
しょうがなく、ない。横峯さんにしては珍しいくらいに、いっそ乱暴に取られた手は、結構強めの力で握られて、引っ張られて歩く。罰ゲームだからしょうがないですもんねー、としつこいぐらい繰り返されて、でも全くこっちを見てくれない彼の耳は真っ赤で、多分普通に切り出したんじゃ私がわたわたするからこうしようって考えてくれたんだろうなあとか、ちょっと遠回しな気遣いがちゃんと分かっちゃって、それにも関わらずしっかり照れてるところとか、もうなんていうか、心臓が止まりそうだった。ぎゅうっと握られた手がだんだん痺れてきたけれど、横峯さんの大股についていくのは結構早足にならないと大変なのだけれど、そういうのはもうどうでもよくて。普通にしてたら恥ずかしさで足が止まってしまいそうだけれど、今なら無理やり勢いでなんとかなる。突き飛ばされるように、言葉が転がり出た。
「そうですよっ、横峯さんが敬語使っちゃったんですからね、っば、罰ゲームなんですからね、っ」
「そうですよ、罰ゲームで、罰ゲームの、……んー……」
「よ、横峯さん?」
「……罰ゲームじゃなきゃ、手ぇつないじゃダメとか、言わないすよね……?」
我に帰ったように歩調が緩まって、まるで子犬みたいにちっちゃい声で、そんなこと言うもんだから。
今度こそ、心臓は止まったと思う。



後日。「敬語じゃなくなったのは嬉しいけど、苗字にさん付けがやだ」と横峯さんに不貞腐られて、また大変な目に遭うのだけれど。

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