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ゆうとかおる



「聞いてください」
「……はい?」
「大事な話です」
嫌に神妙な顔をした横峯さんが、ずいずい近づいてきた。あんまり近いと話が頭に入らないので、距離を保ってほしいのだけれど。コンビニの制服も半袖に衣替えするのだなあ、5月も半ばを過ぎるとだいぶ暑いからなあ、とか全然関係ないことを考えてしまう。大事な話ねえ。相手から聞いてショックで寝込みたくないので、自分から聞いて勝手に傷つくことにしよう。
「彼女ができましたか」
「全然違います」
「……そうですか……」
「ちょっと。真面目に聞いてください、どこ見てるんですか」
ちょっと泣きそうだからそっぽを向くくらい許してください。自爆してやれと勢いで聞いてしまったけど、思ったより心臓に負荷がかかっていた。よかった。ものすごい安心した。一人だったら泣いてた。
横峯さんが、もー!聞いてくださいってばー!と爆発したので、真面目に聞くことにする。バイトを辞めるとかじゃないといいんだけど。
「バンドをね、組むことになりました」
「……前もやってませんでしたっけ」
「お手伝いはちょこちょこしてましたけど、今度はちゃんとメンバーです」
「おお……」
「つきましては、ライブをします」
「おお!」
「なので、」
「いつですか?あっ、どこですか?夜なら、いや、休み取れば普通にいつでも行けるんですけど」
「来て、くれたら、と思ったんですけど……はは、即決」
ぷつんと糸が切れたように、ふにゃふにゃ横峯さんに戻った。私が行かないって言うかもしれないと思って、柄にもなく緊張していたんだろうか。よかったー、と漏らされて、また聞かせてほしいって言ったはずなのにな、とぼんやり思う。社交辞令だと思われていたのだろうか。
チケットは、用意しますよ?と言ってくれたのだが、自分で買わせてもらった。まあいつもの通り、若い子代表の横峯さんに教えてもらいながらなのだけれど。日時が分かったところで有給申請を出したところ、上司には珍しいと目を剥かれた。うーむ、確かに、有給を使いなさいと命じられた日以外にお休みすることは今までなかなかなかったかもしれない。我ながら反省である。私が休まないと後輩が休みにくいことは知ってたわけだし。三月くんとかがんがん休むけど。
「なので、お休み取れました」
「えっ、お休みしちゃったんですかー……」
「不意の残業で時間までに行けなかったら嫌なので……なんで残念そうなんですか」
「薫さん、またスーツで来てくれると思ったのに……」
「行きませんって前にも言いましたよね!恥ずかしいんですよ!」
「ちぇー」
そして当日。何を着て行くかは迷ったものの、細めのデニムパンツにネイビーのシャツを合わせてみた。決してスーツで行くかどうかを悩んだわけではない。確か前に行った時は会場が暗かったので、黒っぽい服を着て景色に馴染もう作戦である。今回は一人だし、浮くのだけは勘弁なので。
心配性が奏して大概の場合は早めに到着してしまう。横峯さんに教えてもらったライブハウスの入り口だけ先に確認して、近くのカフェで待つことにした。がんばってください的な、気の利いたことが連絡できたらいいのかもしれないけれど、逆に迷惑になったらとか考えてしまって何も思いつかない。差し入れとかがあったらいいのかとも思ったけれど、どこにどう何を差し入れたらいいのか全く不明だ。試しに調べてみたけれど、下手を踏んで邪魔になっても困るので、やめておこうと思う。ビビりチキンめ。せめて事前に思いついていたら、横峯さんに聞いておくことができたかもしれないのに。次回があったらその時にしよう。今回分も含めて少し豪華にしたら、自己中ながら気が晴れるかもしれない。そんなことをぐだぐだと悩んでいるうちに時間になり、会場に入って。
「……………」
一人、やっぱりちょっと寂しいかも。周りが楽しそうだからっていうのも大きいけど、うまく溶け込めないがために居場所がないっていうのもある。なんていうか、どうしたらいいのかよく分かんないし。とりあえず前回と同じように壁側でそっと邪魔にならないように立っていることにしてみる。スーツよりは目立たないと思うし。前の方で見れたらそりゃいいけど、あの輪の中に飛び込む勇気はない。
「、」
あ。って言うのを、我慢した。横峯さんだ。本人も言っていたけれど、緊張とかそういう単語とは無縁なようで、普段通りに見える。四人組なんだ。それともバンドってみんな四人組なんだろうか。そんなことないか。横峯さんに教えてもらったおかげで、彼が持ってるのがギターで、もう一人背の高い男の人が持ってるのはベースだって分かるようになった。真ん中の人がボーカル。後ろの人がドラム。横峯さん気づいてくれるかなあ、こんな後ろの方じゃ分からないかな。そんなこと思っていると、前の方で女の子の歓声が聞こえて、私なんか見えるわけないな、とちょっと沈んだ気持ちになった。けどすぐに、演奏が始まって。
かっこいいなあ。楽しそうだなあ。そう感じるのは初めて彼の演奏を見た時と同じなのに、あれから何度もお喋りして、一緒に出かけて、ご飯を食べて、笑ったり巫山戯たりからかったり拗ねたりしたから、こんな私でも少し勇気が出た。棒立ちじゃなくてちょっと揺れてみるぐらいだけど、楽しい。すごいなあ、かっこいいなあ、好きだなあ。素直にそう思えて、なんとなく笑っていた。ステージの近くには行けないけれど、後ろの暗がりから見ているだけで構わないから。耳を劈く音に、前までは驚いていたけれど、今はそうじゃない。自分でもよく分かんないけど、わーってなるのだ。両手を上げて、ぱたぱたしたくなる。持ち時間がそんなに長くないって聞いてはいたけれど、ほんとにあっという間に彼らはステージからはけて行った。それとほぼ同時にぱっと後を追った女の子が数人いて、そういうのありなんだ、と目から鱗の気分だった。そういえば麻陽ちゃんも裏に侵入してたっけ。ということは横峯さんにも会えるのでは、と思ったけれど、ちょっと迷って、やめた。横峯さんが今会いたいのは私じゃないんじゃないかって、思っちゃったから。その代わりにせめても、すごかったですって、かっこよかったですって、今の高揚した気持ちのままにちゃんと感想を伝えておこう。すいすい、とは行かない速度でスマホを操作して、伝えたい言葉を探す。口で言うよりうまく伝わったらいい。また言った時にも感想は言いたいけど、私の口は横峯さんに向かって開かれるとどうにも空回りしまうことが多いから。
「こんばんはー」
「おつかれさまです」
「こないだ来てくれて、ありがとうございました」
「いえっ、私もすごい楽しかったですし、あの」
「あ。もーいいです、充分です」
「……え?」
直接会えたのは4日後だった。会えない間も、なんて言おう、ってずっと考えてたから、言葉を遮られて固まる。あ、私からの感想はもういいですってこと、かな。他の人からいっぱい聞いたから、もう大丈夫ですー、って感じの。そりゃそっか、何にも知らない素人だし、分かる分かる。思わず目を落とすと、横峯さんが自分のスマホをこっちに向けてきた。私が送った感想。こんな長かったっけ。ぼんやりとそれを見て、時間が今と違うことに気がついた。答え合わせのように、横峯さんが嬉しそうな声で口を開く。
「これ、スクショ撮っちゃいました。すぐ何回も見れるようにって。いいでしょー」
「……すくしょ……」
「薫さんの長ーい感想。すげー嬉しくて」
「……………」
「ほんとはメンバーにも見せようかと思ったんですけど、やめました。俺だけ見れればいいなって思って。独り占めしちゃおーって」
「……………」
「いたい。なんで叩くんですか」
「……ありがとうございます……」
「こっち見てくださいよ」
「いやです」
「なんでですか。これ読んでくださいよ」
「嫌です!」
「けち!本人が読んでくれたらもっと嬉しいじゃないですか!」
「う、嬉しく、えっ嬉しいんですか?や、嘘ですよね、そんなわけない」
「恥ずかしいんですか?耳真っ赤ですよ」
「横峯さんの意地悪!」
「ざんねーん、届きませーん」
「わあ!」
「いったい、蹴るのはなしでしょ」

「おつかれさまでした」
「あ、榎本さん、今日コンビニ行きます?」
「行きますよ」
横峯さんと話すようになってから、一年半ほど経つ。同僚たちに私のコンビニ通いがバレていると分かった時には、バラした本人である田幡くんをどうとっちめてやろうかと思いもしたけれど、特に心配することもなく、ああそうなんですか、仲良しなんですね、ぐらいの感じで済んでいる。三月くんには一度「彼氏とかじゃないですよね」と疑り深い目で見られたが、ちょうどその場に同席した麻陽ちゃんに「そんなわけないじゃん、弟的な感じでかわいがってんでしょー」とあっけらかんと流されたので、事なきを得た。安心したのだが、弟的な感じ、の一言に内心ぐっさりやられたのも事実だ。そりゃそうですよねえ。まさかこっちからは割と本気で好きになっちゃってるなんて、誰も思いもしませんよねえ。
それと、最近になって分かったことがある。横峯さんにはお姉さんがいるらしい。6つ上と言っていたので、四捨五入で考えると私に近いことになる。お母さんの話も聞いたことがある。聞いた感じからして、家族仲はいいみたいだった。他にも、他のバイト先のお友だちのこともよく耳にする。「ミコトさん」と「ヨシズミくん」は楽器屋さんにいた二人だろう、会ったことがあるので顔が浮かぶ。「関さん」の話が出た時に気になって聞いてみたら、横峯さんのバイトしてるスタジオのオーナーさんが関さんなんだそうだ。麻陽ちゃんは、惚気話は散々するくせしてそういうことは教えてくれないので、なるほどと思った。あと最近になって、新しく組んだバンドのメンバーについてもちょこちょこ話に出てくる。「ボーカルくん」と、「ベースくん」と、「りっちゃん」。本名が話に上がったことはないけれど、横峯さんが楽しそうに話すので、仲良しなんだろうと思う。
秋ではあるが、かといって残暑が厳しいので、涼しくはならない。またアイスでも買ってあげようかなあ、と思いながらコンビニに入った。
「あ。薫さん」
「こんばんは」
「ちょっと待ってくださいねー」
横峯さんが、ちょうどなにかを片付けに裏に引っ込んだところだった。いつもは横峯さんが抜けることを考えてなのか店長さんがいることが多いのだけれど、今日はこの時間には初めて見る人だった。お昼には何度か見たことがある。ちらりとこっちを見たその人と目があって、一応会釈する。
「お待たせしましたー」
「あ、いえ……」
「じゃ、ハルコさんお願いしますね」
「おう」
「……はっ……」
「薫さん?」
ハルコさん。一番最初の頃に聞いた名前だ。怖い先輩に怒られちゃうから、って言ってた。そそくさと店の外に出てから、横峯さんにこそこそと聞く。
「い、いいんですかっ、怒られちゃわないんですかっ」
「え?なんでです?」
「ハルコさんって、怖い先輩って言ってませんでしたっけ」
「あー、俺言いました?すごいですね、覚えててくれたんだ」
「言ってましたよっ」
「大丈夫すよ。ハルコさん彼女できたんで」
「……女の人かと思ってました」
「ハルコさん?最初から男ですよ」
「途中から男の人はなかなかいないでしょう」
横峯さん曰く。3ヶ月前に彼女ができるまでは口煩くて、無駄口叩くなんてもってのほかだったらしい。特に女の人となんて地雷だったようで、まあ正直な話ひがみっけもかなり入っていたわけだ。けれど、どうもお付き合いを始めてから心が安らいだらしく、優しくなった、と。彼女さんの力なのか、もともとは穏やかな人なのに彼女の有無がそうさせるのか、までは分からないけれど。それで先日、店長さんと横峯さんがシフトの話をしていた時にハルコさんがちょうど来て、「じゃあ俺その時間一人でも平気ですよ」という話になった、そうだ。
「良かったですね」
「まあそうですけど。でもやっぱ、薫さんが来る時ハルコさんにいてほしくなかったんですけどね」
「なんでですか?」
「嫌なんですよ。綺麗なお姉さん好きだから」
「……そういうこと誰でも彼でも言わない方がいいですよ」
「ほんとですよ」
「女の人が好きなんですね」
「綺麗なお姉さんが好きなんですよ、本人も言ってました」
「だから!」
「事実です」
「お世辞はやめてくださいっ」
「はいはい」
周りの人の関係が分かるようになってきて、また少し距離が縮まった気がする。ちょっとお喋りして、昨日から新発売のスイーツが美味しいんですよ、と横峯さんに教えてもらったので、それを買って帰ろうと店内に戻った。ついてこようとした横峯さんが、レジ前でハルコさんに捕まっている。
「おうっ」
「お前はここだろうが」
「急に首の後ろ引っ張らないでくださいよ」
まあ、教えてもらったし、どれがそれなのかは分かるから大丈夫。カップ入りの小さいパフェがそうだ。栗とお芋が入っていて、確かに美味しそう。家で紅茶でも淹れて一緒に食べようかな。下の段にあったシュークリームも美味しそうだったけれど、それは次の機会にしよう。
「……………」
「いらっしゃいませ」
「……?」
何故か横峯さんがすみっこの方に追いやられている。しかもふてくされている。どうしたんだろう。ちょっと目を離した隙になにが。レジで待っているのは件のハルコさんで、チェンジができるわけでもないので、そのままお会計をお願いした。ありがとうございました、と穏やかに見送られて、一応横峯さんに会釈をすれば、バレないようになのか下の方でぴらぴらと手を振ってくれた。二人が揃っているところを見て思い出したけれど、確か横峯さんが研修生だった、一番最初にレジで会った時に隣にいたのが確かハルコさんだ。名札には「晴子」と書いてあった。今まで「ハルコさん」が女の人の下の名前だとばかり思っていたので、気づかなかったのも道理ではあるけれど。
その日の夜、横峯さんから連絡が来た。たった一行、「もう薫さんと会う時には二度とハルコさんがかぶらないようにします」。あのふてくされた顔と総じて察するに、どうやらなにかあったらしい。ふと思い出して、つい笑ってしまった。

「薫さんのお誕生日のお祝いも、どっか行きましょうよ」
「……え、い、いいですよ、そんなの」
「行きましょうよー。差があるの嫌ですもん」
三月、末。横峯さんのお誕生日祝いに、焼肉を食べに来た。去年はラーメンだった、例の奢りの約束だ。私の誕生日なんてどうだっていいからと、去年はバイト先のコンビニでプリンを買ってもらったのを、お喋りしながら二人で食べた。それだって十分楽しかったから、今年もそんな感じで良いのだけれど。お肉をつつきながらそう告げれば、ご飯片手の横峯さんが眉を潜めた。不満げなのにご飯茶碗をしっかり持っているから、あんまり様にならなくてかわいい。
「あ、じゃあ、お花見しましょ。そろそろ桜も咲いてくるし」
「いいですよっ、私の誕生日なんか、そんな」
「じゃあ誕生日とか関係なくお花見しましょうよ。それならいいですか?」
「う……」
「ね。いいでしょ」
にへら、と笑われては、文句も言えない。横峯さんからのお出かけの誘いを、私が断れるわけないじゃないか。
それから、大体二週間後ぐらい。横峯さんは定休日があるわけじゃないので、私がお休みの日の夕方に会うことになった。日も伸びてきたし大丈夫だろう、ということで。その日は楽器屋さんでバイトの日らしく、近くに公園があるらしいので、そこにしようという話になった。わざわざ駅まで戻ってきてもらうのは手間だと思ったので、バイトが終わる時間に私が楽器屋さんに行って合流するつもりだ。せっかくお花見ということなので、サイドボタンがついてるタックスカートに、アイボリーのカットソーと、グレーのロングコートにしてみた。せっかくだし、髪型もハーフアップにして。はしゃぎすぎだろうか。でも、一応お誕生日をお祝いしてくれるわけだし、いいんじゃなかろうか。いつもより若作りですね…って言われちゃったらどうしよう。大丈夫だよね。多分。
「あ!」
「……あっ」
「かきたんのお姉さん!かきたーん!おねーさん来たよー!」
「あっ……」
店の前まで着いたところで、ミコトさんに見つかった。どうもあっちも外を見計らっていたらしく、目があってすぐに店の中に飛び込んでいった。なんで顔を知られていたんだろう。覚えていてくれたんだろうか。あと、横峯さんのお姉さんではないのだけれど。どう声をかけたものか、と思っているうちに、横峯さんが出てきた。
「お待たせしました」
「今来たところですよ……」
「超でかい声で教えてくれたんで、すぐ分かりました」
「だってかきたんが教えてって言ったんじゃんかさ!」
「鹿波。やかましい。戻れ」
「かきたんの巨人!」
「欠勤扱いにされたいのか」
「戻ります!」
恐らくは店内にいるのであろう女の人の声がして、ミコトさんが引っ込んだ。チーフです、と横峯さんが見えない彼女を紹介してくれる。物忘れが激しいと噂の。
じゃあ行きましょ、と歩き出して、5分も経たないうちに公園に到着した。思っていたより大きめの公園だ。何も無しでお花見するのも、と横峯さんがたい焼き屋さんに連れて行ってくれた。このぐらいは出しますから!誕生日プレゼントですからね!と意気込んでいたので、ここは素直に受け取っておこう。横峯さんがクリームで、私があんこ。
「いただきまーす」
「いただきます」
「おいしー」
「桜もまだ咲いてますね」
「ですねえ。よかったー」
特にライトアップがあるわけでもない、普通の公園の桜。時間が時間だからか、小さい子どもたちはあまりいなくて、公園内は少し閑散としていた。適当なベンチに腰を下ろして、たい焼きを頬張る。久しぶりに外で食べたけど、まだあったかくておいしい。風が吹くたびにふわふわと、桜の花弁が舞っては落ちてくる。片手で持ったたい焼きを咥えながらスマホを出した横峯さんが、頭上の桜にカメラを向けた。今年はじめてのお花見です、ともごもご言われて、私もそうだと頷いた。機会を逃すと、どうもなかなか。
これだけじゃお腹空きますね、よければなんか食べて帰りますか、なんて話をしているうちに気がついた。横峯さん、頭の上に花びら乗ってる。突然手を伸ばして取るのは憚られたので、乗っかってますよ、と教えれば、頭を振って落とそうとしていた。
「とれました?」
「とれてません」
「えー。もういいや」
「いいんですか……」
「じゃあ薫さんが取ってください」
「えっ、え、いいんですか」
「いいもなにも、頭に乗っけたまま帰らなきゃいけなくなっちゃうじゃないですか」
「そうですけど……」
「たぬきじゃないんだから、やですよー」
頭を振ったのが悪かったのか、髪の毛の中に埋まってしまっていた。とれましたよ、と花弁を見せれば、にっこりお礼を言われた。どうにも恥ずかしくて、どういたしまして、に混じらせてたい焼きにかぶりつくと、横峯さんがこっちに向かって手を伸ばしてきた。驚いて固まっていると、左の口元を軽く触られて、その手が離れていく。私の頬を触った指をそのまま自分の口に持っていった横峯さんが、平然と。
「ついてましたよ」
「……は、ぁ」
「あんこもおいしいですねえ」
「……………」
言葉と行動から察するに。横峯さんは、私が恥ずかしさ隠しに勢いよく頬張ったせいで口の横についたあんこを、指でとって自分で食べてしまったのだろう。私が彼の頭から花弁を取ってあげたのと同じである。いやいや!同じなわけあるか!
頭が爆発しそうなので、取り敢えず現実逃避に明日の仕事のことを考えることにしよう。午前中は会議。それが終わったら決算書の整理、広報部の人との打ち合わせ、来季からはじまるプロジェクトの準備。無心で仕事の計画を組み立てていると、たい焼きを食べ終わったらしい横峯さんが立ち上がって、伸びをした。取り敢えず落ち着こう。落ち着いて、持ってるたい焼きを全部食べちゃおう。話はそれからだ。横峯さんだって、他意があってあんなことしたわけじゃないわけだし、多分ほら、拭くものとか持ってなかったから食べちゃっただけだし。
「お腹空きましたね」
「も、っもうあげませんよ!?」
「……もう?」
「あっいや、違、あの、さっき、えと、なんでもないです、もうこれ食べちゃいますね!」
「薫さん、喉詰まりますよ」
「へーきです!」
全く落ち着けなかったわけだが、それはまあ、そうであろう。自分だからわかる。落ち着けって方が無理だ。責めるつもりはないが、横峯さんが悪い。そういうことにしよう。
のろのろしてるうちに夜ご飯どきになってしまったので、さっきの話通り、ご飯食べてから解散にしましょう、ということになった。しかし横峯さんが、薫さんがお店を選んでください、と言い出したのだ。いつもは横峯さんが店を選ぶわけで、なんでかっていうと横峯さんに合わせた方が彼の空腹を満たすことができるから、という単純な理由なのだけれど、要は私に合わせたら恐らく物足りなくなってしまう。だから横峯さんがお店を決めていいですよって言ってるのに、何故か今日に限って、ダメです、の一点張りで。この辺を知ってるのも、私よりは断然彼の方だと思うのだけれど。道を歩きながらしばらく押し問答をしたものの、横峯さんにしては珍しく全く折れてくれなかったので、今回は私が決めることにした。とはいっても、土地勘もないし、どうしたものか。迷いながら店を探していると、小さな洋食屋さんがあった。黒板のような看板に、メニューが書いてある。
「あ、オムライスですよ。どうですか、横峯さん」
「薫さん食べたいんですか?」
「食べたいですよっ」
「ほんとですか?」
「なんで信じてくれないんですか」
「薫さんがオムライス食べてるとこなんて想像できないから……」
そうだろうか。食べるけど、オムライス。
せっかくなのでそこに入ることにした。レトロな感じのお店だ。ふんわりと美味しそうな匂いがしてきて、斜め後ろぐらいにいた横峯さんのお腹が鳴る音が聞こえた。予想通りでちょっとおもしろい。
私はビーフシチューオムライスにして、横峯さんはハンバーグのセットにした。サラダとスープが先に来て、横峯さんが空腹からかそわそわしていく。クリームソーダが届いたあたりで、横峯さんが口を開いた。
「……お腹空きました」
「食べていいですよ」
「えっ、でもまだ来てないのに」
「そんな悲しそうな顔でサラダ見つめられてる方が居心地悪いですよ。ねっ」
「悲しそうでした?いただきまーす」
「子犬みたいでした」
それから程なくして、注文した料理が揃って。久しぶりに食べるオムライスはおいしかった。横峯さんがハンバーグをちょっとくれたので、代わりにオムライスをちょっとあげたりして。
「はー。おいしかった」
「お腹いっぱいになりました?」
「なりましたよ」
「足りなかったんじゃないですか」
「今のところは足りてます!」
ということは、すぐお腹が空くということだろうか。横峯さんが食べてたセット、私でも食べきれそうな量だったから、多分足りないだろうな。駅前のコンビニで、肉まんが食べたいですね、と口に出せば、案の定食いついてきた。実際私はそんなにお腹が空いていないので、一口分ぐらいだけもらって残りは食べてもらった。
家に着いてからスマホを見ると、横峯さんから画像が送られてきていた。さっき撮ってた、桜の写真。こんなことなら、私も写真撮っておけばよかったかな。桜を撮るふりして、横峯さんのこと撮れたかもしれないかな、なんて。


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