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ゆうとかおる




コンビニでばったり会った時に話す、が、この時間に行けば横峯さんがいると分かっていて行く、あちらも私が来ることを分かっていてお喋りできるように待っている、に変わってきていることに気が付いたのは、1ヶ月くらい前のことだった。ふとそれが分かってしまった時の、嬉しさと、申し訳なさ。横峯さん本人に直接そうだと言われたことはないけれど、なんとなくそれが伝わってきて、日常の中に馴染めた喜びと、彼の時間を邪魔してしまっているようなほんの少しの罪悪感が、綯交ぜになっていた。
「暑いですねえ」
「アイス買ってきましたよ」
「わー」
さて、季節は夏である。夜とはいっても、暑いものは暑い。行ったらちょうど横峯さんがレジでお客さんの対応をしていたので、差し入れ代わりにと隣のレジでアイスを二つ買ったのだ。いつのまにか顔馴染みになった店長さんに、うちのバイトにありがとうございます、と冗談まじりのお礼を言われてしまった。でも私もアイス食べたかったし。
「ありがとうございます」
「いえいえ。おつかれさまです」
「うまー」
そういえば、最近気になったのだけれど。横峯さんは、私の名前を覚えているのだろうか。自己紹介した時の「エノモトカオルさん」以降、名前を呼ばれた記憶がないのだ。意外と案外、名前を呼ばれなくてもなんとかなってしまうもので、一切支障があったことはない。けれど、気付いてしまうと気になる。しかしまあ、直接は聞きにくい。聞きにくいなーと思いながら、今日で二週間が経っているのだ。そろそろ勇気を出して聞いてみたい。場を和ませるためのアイスもあるわけだし。
「横峯さん」
「ふぁい?」
「あの……名前、その、知ってます?」
「……アイスです?」
「そ、そうじゃなくて」
「……グリコのジャイアントコーン!」
パッケージを見て言い直してくれたが、違う。ぱあっと顔を輝かせてくれたので一瞬かわいいと思ってしまったが、違うのだ。
私の言い方が悪かった。もごもごしてないで、すぱっと聞けばいいのだ。私の名前覚えてますか?って。覚えてなかったらちょっと傷つくけど、まあ名前呼ばれたことほぼないし、覚えてなくても全然いいし。
「横峯さん、私の名前って覚えてます?」
「はい。薫さん」
「………………」
「あれ?違いましたっけ」
「……あってます……」
「よかったー」
必要以上に恥ずかしかった。名前といっても、苗字で良かったのだ。普通に下の名前の方を呼ばれると思わなかった。ちょっと横峯さんの顔を見れる自信がない。暑い。絶対顔が赤くなってる。そっと横を向けば、忘れてませんよお!と念を押された。わかった、もうわかりましたから。
「忘れてると思ったんでしょー」
「もういいです!恥ずかしくなってきましたから!」
「恥ずかしいってなんですか。忘れてると思われてた俺の方が恥ずかしいですよ」
「だっ、だって、今まで呼ばれたことなかったから、横峯さん、私の名前なんて忘れちゃったのかなあって」
「人の名前は忘れませんよ。さすがに」
その後「それなら薫さんは俺の下の名前ちゃんと覚えてるんですか?」と拗ねた横峯さんにゆるゆると問い詰められて、大変な目にあった。それこそ、忘れるわけないじゃないか。面と向かって呼べることはないだろうけど。

退勤する時までは、普通の一日だった。今日は水曜日なので恐らく横峯さんはいないものと考えて、一応帰り際にコンビニを覗いたけれど、やっぱり見覚えはあるものの違う店員さんしかいなかった。駅に向かう道で、なんかおかしいな、と、思って。
「……………」
ちょっと立ちくらみがしたので、少しだけ休憩するつもりで駅前のバスロータリーのベンチに座ったら、立てなくなってしまった。頭がぐらぐらする。気持ち悪い。吐き気があるというよりは、平衡感覚が狂っていて気持ちが悪い、に近い。どうしよう。頭を掻き回されながら、これじゃ電車に乗って帰るのは無理だ、とぼんやり思う。タクシー乗り場は、見える範囲にあるけれど、あそこまで行けるかどうか。行ったとして、口を開いて住所を言えるか。そんなことを考えている間に、ざっと体温が落ちた音がした気がした。冷や汗が止まらない。こんなところで、どうしよう、
「薫さん?」
「、」
声も出なかった。きい、と鳴った音は、自転車のブレーキだったんだろうか。ベンチの座面に手をついて体を支えていたので、ほぼ顔なんて見えなかったと思うのだけれど。見上げることもできずに、そのままの姿勢をなんとか保っていると、影が落ちた。
「薫さん。大丈夫ですか」
「……、ね、さん」
「具合悪いんですね。喋んなくていいですから」
「……………」
「だいじょぶだいじょぶ」
大丈夫、と、背中をさすられて。ぐらぐらする頭の中を鎮めるように、横峯さんの声が降ってくる。寒くてたまらなかったのに、彼の手が触れているところだけが暖かい。どれだけの時間が経っただろう。少しずつ、少しずつ普段通りの世界が戻ってきて、ゆっくり呼吸ができるようになって。ようやく顔を上げると、安心したような目と視線が合った。
「顔色、ちょっと良くなりましたね」
「……ぁ、りがとう、ございます」
「俺、ちょーど通りかかって。見つけられてよかったです」
「……ちょうど……」
「うん。偶然ですね」
にっこりと笑いかけられて、笑い返すことこそ出来なかったけれど。自分でも驚くぐらいに細い声が出た。帰る途中ですよね、と問いかけられて、頷く。立てますか、と聞かれて、足に力を込めてみたけど、無理だった。うまくいかないことは見て分かったらしく、じゃあこうしましょう、と腕をとられた。
「ごめんなさい、嫌だろうけど我慢してくださいね。よいしょっと」
「、ぁわ」
「タクシーのとこまでなんで」
時間にして、1分もなかったと思う。肩を貸すと背負うの中間ぐらいで、私はほとんど歩くことなく、タクシー乗り場まで辿り着いた。もとい、連れて行ってもらった。扉が空いたタクシーの座席に私を座らせた横峯さんが、財布出せます?と問いかけてくる。家の住所が分かるもの見せてください、と。そうか、口を開かなくても、言葉で伝えなくても、一応はそれで相手には分かってもらえるのか。未だふわふわした頭のまま、言われた通りに運転免許証を渡す。それを受け取った横峯さんがタクシーの運転手さんに何やら伝えてから体を引いて、それじゃあ、と扉を閉められて。
気付いたら、家に辿り着いていた。運転手さんには、お金は先程のお連れさんから預かっていたんですけどお釣りがあるので渡しておいてください、と言われて、お金を預かった。なんとか着替えだけして、倒れ込むように眠って、次の日の朝になってから熱を測ったら、38度あった。これの前触れで、急に駄目になっちゃったのか。熱が出てしまうと、一周回って冷静になる。頭は痛むけれど、昨日の夜のような思考の纏まらなさは無かった。今日はとりあえずお休みをするとして、一日様子を見て、治らないようなら病院に行こう。会社に連絡すれば、珍しい、と驚かれたものの、快諾された。同僚たちが優しくて良かった。食欲が全くないけれど、何か食べないと駄目なことは分かる。冷凍のうどんがあったかな。
次の日には熱も下がり、上司が午前休をくれたので一応念押しで病院に行った。疲れが溜まっていたところに体調が崩れたのでしょう、とお医者さんにも言われて、職場に向かう。麻陽ちゃんにはとても心配されたし、三月くんも「早く帰った方がいいですよ」と言ってくれた。自分では分かっていなかっただけで、根を詰めてしまっていたのかな、と、少し反省する。帰り際にコンビニに寄ったら、店長さんがいた。今日は横峯さんがいるかも、と思って来たのだけれど。というのが言わずして伝わったのか、今日はいないんだ、と店長さんが教えてくれた。なるほど。お礼がしたかったのだけれど。
次に顔を合わせられたのは、土日を挟んで次の月曜日だった。レジの向こうにいた横峯さんにぱっと笑顔を向けられて、私が次の言葉を発するより早く、彼にしては珍しい矢継ぎ早で話しかけてくる。
「あっ、横峯さん」
「あ!薫さん、あの後大丈夫でした?連絡すれば良かったんですけど、ほんとに具合悪かったら迷惑かなーって」
「だ、大丈夫、大丈夫です。熱が出て、でも下がって、もう治ったので」
「よかったー。あー、よかったです」
「あの、ありがとうございました、本当に……私一人じゃどうしようもなくて、横峯さんが通りかかってくれて助かりました」
「やー、俺もよかったです、ちょうど通りかかれて」
「そうだ、お金……お釣りから計算したんですけど、お返しするので」
「えー。いいのに」
「良くないです!返しますから、ちょっと、手出してくださいよ!」
「もう元気そうですね」
「手を出してください!」
「おーい。一応、店の外でお金のやり取りはやってくださいねー」
「はっ」
隣のレジにいた店長さんに声をかけられて、そういえばまだレジを挟んで向かい合っていることに気がついた。ご迷惑にならないように、言われた通りに店を出て、改めてお礼を言う。だから全然いいんですってばー、なんて間延びした声で返されてしまったけれど。なんでぶっ倒れてたんですか、と逆に質問されて答えると、若干呆れを含んだ声で、はあ、と。
「ていうか、疲れって。がんばりすぎなんじゃないですか」
「う……そんなに忙しくないつもりではいたんですけど……」
「だめですよー、ちゃんと休憩しないと。ほんとなら今だってまっすぐ家に帰った方が、」「あっ、や、それは嫌、というか、私が話したくて来てるので、あの、この時間は、休憩というか……」
「いいんじゃ、……そうですか?」
「そうです……」
「そうですか。無理はしちゃだめですよ」
それは、もう骨身に染みてわかった。また助けてもらっちゃったわけだし。ね、と重ねられたやわらかい笑顔に、頷きを返した。
ちょうど通りすがった、すごい偶然、って横峯さんは言ってくれた。けれど私からしたら、出会った時からずっと、やっぱり運命みたいだと思ってしまうのだ。こんな運命、彼からしたらお断りかもしれないけれど。

横峯さんとコンビニの横で井戸端会議じみたおしゃべりをするようになって、そろそろ一年が経つ。夜はまだ冷えるが日中は暖かくなってきた頃だ。そういえば一年前、年齢を聞いた頃、「このまえ二十歳になった」とか言ってなかったっけ。誕生日が近いんだろうか。そう思って聞いてみれば、少し驚いたように目を丸くされた。
「覚えてたんですか。すごいすね」
「あ、いえ、偶然……私、4月生まれなので」
「そっか。俺3月なんです。3月29日」
「もうすぐじゃないですか」
「21です。イエーイ」
なにかお祝いをしようか、なんて話になって、横峯さんになにをあげたら喜んでもらえるかが残念なことにさっぱり分からなかったので、ご飯を奢ることになった。夜ご飯なので、特に休日とかでもなく、私の残業さえなければ行ける時間。以前のお出かけのように服装で悩まずに済みそうだ。
そして当日。残業チャレンジ、成功。待ち合わせは6時半で、横峯さんは今日はスタジオのバイトらしい。ちょっとメイクを直す余裕くらいはありそうだ。彼の食べたいものを遠慮せずに食べてもらえるように言ってあるので、お店は横峯さんにお任せだ。男の子だし、若いし、お肉とかかな。女子トイレでぼんやりメイクを直していると、タイミング良く麻陽ちゃんが入ってきた。
「あ。おつかれさま」
「おつかれー。デート?」
「違うって……ただのご飯」
「誰とー?」
「お友だち」
「そういえば薫ちゃん、コンビニのバイトくんと仲良いらしいじゃん?」
「ん″っ」
「どうし……なにその顔」
「……なにも」
悲鳴を上げそうなのを抑えた結果の顔である。そりゃ横峯さんはこの職場に近いコンビニのバイトで、しょっちゅう二人で喋っていれば、退社後とはいえ誰かしらに見られていてもなんらおかしくない。昼休みにそんな時間はないので会う時間は大概夜なのだけれど、今まで一年近くあったのに誰もなにも言わなかったから、誰にも見られていないか、みんな私に興味がないか、のどっちかだと思ったのに。
「……誰かから聞いたの?」
「薫ちゃんとこの若い子、えーと、田幡くん?だっけ」
「……田幡くん……そう……」
「やー、何つながり?と思ってさあ。実は親戚とか?」
「違う……ただちょっと……お喋りするようになっただけ……」
「……なんかこれ、聞かない方がいいことだった?」
「あ、や、大丈夫……」
きょとんとしている麻陽ちゃんが、まあ別にいいんだけど、と話を切り上げてくれた。やっぱりおかしいよなあ。なんてったって、10歳も離れてるわけだし。横峯さんが普通にしてくれてるから普通だと思ってしまうけど、そうじゃない。ほんとならそれこそ、年の近い田幡くんとか、楽器屋さんで会ったあの女の子とか、そういう人が横峯さんの周りにいるのが当たり前なんだと思う。私みたいなのじゃなくて。だって私なんか、横峯さんの好きなものの話をされてもきっと一つも分からないし、そもそも自分の好きなものの話だってできないし。若い子が好きそうな脂っこいもの食べたらしばらくお腹もたれるし、実年齢以上に見えないように気使いながら服とかメイクとか選んでるし、もう今更きゃっきゃできないし、分不相応な恋愛だって分かっちゃってるし。
私だって、好きなものは好きなんだと割り切れるなら、そうしたい。仲良くしてられるだけで良かったはずなのに、仲良くなるたびに浅ましい欲が顔を出す。もっともっと、って求めてしまう。横峯さんの隣にいるべきは私じゃないのに。もし彼に彼女とかがいて、横峯さんは本当にただの友達のつもりで私と関わってたとしても、でもその彼女にとってはきっと、私の存在はどうしようもなく邪魔だ。聞いたことなかったけど、彼女とかいたらどうしよう。すごく迷惑なことをしている気がしてきた。聞いてみようかな。もしも明日から会えなくなったとしても、横峯さんの迷惑にだけはなりたくない。
「かおるさーん」
「……こんばんは」
「あ。待ちました?すいません」
「いえ、今来たところですよ」
横峯さんがきたのは、待ち合わせの時間ちょうど。自転車はもう駐輪場に置いてきたんだろうか。それとも今日は電車だったのかも。横峯さんがどこから来たのか分からないぐらい、ぼおっとしていた。
「行きましょ」
「お店決めてるんですか?」
「おいしいとこがあるんですよー」
心なしか歩き方が弾んでいる気がする。お腹空かせてきましたからね、とにんまり笑顔を向けられて、笑い返す。ちゃんと笑えているだろうか。胸の奥がじくじくと傷んだ。こんな思いをするくらいなら、もしものことなんて考えなければ良かった。今まで通り、見て見ぬ振りをし続けていれば良かったんだ。そんな後悔、今更だけど。
夜ご飯の時間で、大通りはそれなりに混み合っている。楽しそうな人の声。ちかちかと光る看板。全部が全部、眩しすぎるみたいに思えた。こっちから抜けましょう、って裏路地に入った横峯さんが、くるりと振り返って言った。
「……体調悪いです?」
「え、っ」
「元気ないから。俺、今日じゃなくても平気ですよ」
「……あ、いえ……」
ああ、無駄な心配までかけて。つい足を止めてしまった私に、横峯さんも立ち止まる。一本裏に入っただけで、がやがやした人の声は少し遠ざかって、静かになった。お店が立ち並ぶビルの裏側なので、そもそもにして歩いている人も少ない。大丈夫です、と吐きかけて、やめた。聞くなら聞いてしまえ。もしも、が本当になって、今日で最後になったとしても。邪魔になりたくない。迷惑をかけたくない。いいお友だちでいたい。不思議そうな顔の横峯さんに、渇いた喉を振り絞った。
「あ、の。横峯さん、彼女とか、いないんですか……」
「……彼女ですか?」
「……………」
黙って頷いてしまった。彼にしては珍しく面食らったらしく、なぜに、と小声で疑問が漏れたのが聞こえた。そりゃ、そんなの聞くの今更だよ。もっと聡明なら、彼女がいる可能性に早く気づいてたと思うし、それらしくなんとなく聞いて、上手く付き合ってたと思う。でも私はそうはなれなかった。気づくのが遅かったし、気づいてしまったらもやもやが止められなくなった。タイミングが間違ってることなんて分かってる。そんな卑屈なこと言えなくて、もしお付き合いしてる人がいたら迷惑だと思って、とぼそぼそ告げた。思ったより打ちひしがれた声が出た自分に、頼むからもうちょっとしゃんとしてくれ、と悲しくなる。いいお友だちでいたいなら、せめても頼れる年上くらいの立ち位置は取っておきたい。
「ああ、そういう……なんだ、びっくりしましたよー」
「びっ、な、っなんでですか」
「いませんよ」
「……い……いるでしょう。若い男の子なんだから」
「なんで信じないんですか、もー。いませんってば、まだ」
「う、ちゃんとほんとのこと言ってくださいよっ、私、ご迷惑にはなりたく」
「しつこーい」
「なぃ、っ!?」
デコピンされた。痛い。普通に痛い。つらつらと吐いていた言葉は、尻切れとんぼに裏返って終わった。思わずおでこを押さえて見上げると、やっとこっち見た、と呆れた声。
「もー。いないったらいません。なんならライン見ます?」
「み、見ません」
「そこまで信用ないです?俺」
「なくないです……」
「いないいないって自分で言うのもかわいそくありません?」
「か……かわいそくはないです……」
「あ。また口答えする」
「ひい」
「あはは、もうしませんよ」
デコピンの指を構えられて、おでこを庇ったまま下がった私に、横峯さんが笑った。いつも通りのやわらかい笑顔。踵を返して、また歩き出して、それじゃあ、なんて話を続ける。今のことが大した引っ掛かりにならないように、さらさらと流してしまう。そういうところが、すごいと思う。だから私は、彼を独り占めしてはいけないと思う。
「彼女ができたら薫さんに言いますね」
「……そうしてください」
「薫さんも彼氏ができたら俺に言ってくださいね」
「で、できません」
「えー。信用できねー」
「なんでですかっ」
「さっき信じてくんなかったじゃないすか」
「う」
「実は彼氏いたりして」
「いません!」
「それは助かりました。あ、ここですここ」
「こ……」
「お腹空いたー」
ラーメン屋さんだった。お肉かな、とか予想はつけていたけれど、確かに若い男の子の行くお店として正しい気がする。食べられるかな。あんま食べないけど。外に出ている看板には期間限定のメニューが書いてあって、へえー、って横峯さんがそれを覗いて。
「元気出ました?」
「へ、っ」
「元気出たならご飯食べましょ。美味しいし安いんですよ、ここ」
「あ、う、待ってくださいっ」
自動ドアを開けて入って行ってしまった。置いてかれるとこだった。店内には結構人がいて、けど運良く二人分ぐらいの席は空いているみたいだった。通り沿いのお店だったら外で並んだかもしれない。横峯さんが穴場を知っていて助かった。どうやらこのお店は食券制らしく、メニューの前で横峯さんがうんうん悩んでいる。いつまでも引きずっていても仕方ないし、さっきまでのことはとりあえずどこかに置いとくことにしよう。元々は横峯さんのお誕生日のお祝いに奢ってあげるって話だったんだし。
「遠慮せずにいっぱい食べていいですよ」
「んー、じゃあこれを、チャーハンのセットにしてー、あとギョーザも」
「どうぞどうぞ」
「……焼豚もおいしいんですよ?」
「食べたいだけどうぞ、お祝いですから」
「ひとつあげますね」
「じゃあ私も同じのにしようかな」
「え?そんなに食べるんですか?」
「単品です……」
そんなに食べれるわけないだろうが。内心でそう突っ込んだ。これとこれと、と指差されるがまま食券を買ったけれど、夜ご飯でこれだけ食べて二人分で3000円程度って、確かに安いと思う。私は横峯さんが注文したのと同じ味噌ラーメンにしちゃったけど、恐らく一番スタンダードな普通のラーメンは底値で600円切ってたし。
ラーメンなんて久しぶりに食べる。そこはかとなく、食べ切れるだろうか、という不安がしないでもないけれど、まあなんとかなるだろう。一番最後のラーメンの記憶は、上司に連れて行ってもらったオススメのお店で、スープが濃くて結構きつかった苦い思い出だ。それが何年か前だから、それより更にお腹が弱っているとして、ううむ。
「いっただっきまーす」
「いただきます」
「あ。薫さんの分こっちに分けときますからねっ」
「一口ずつでいいですよ」
「まあまあ」
「ほんとに一口ずつでいいですからね!」
しかしまあ、おいしそうに食べること。お腹を空かせてきたというのは嘘ではないらしく、メインが二つあるにも関わらずひょいひょい平らげていく。それとも、若い男の子ってそもそもたくさん食べるものなんだろうか。そういえば三月くんもお昼におにぎりとカップラーメンとかが常だったような気もする。横峯さんの場合は、ちゃんとおいしそうなのに量も多いし早いので、見てて飽きない。見てるとラーメン伸びちゃうから、食べるけど。
そして、さっきまでの懸念はすっかり露と消えた。いや、なんというか、普通に美味しかったのだ。思い出の中のラーメンが上司と食べたもので、今は横峯さんと食べてるから、とかそういう問題ではないと思う。多分。スープまでちゃんと綺麗に食べてごちそうさまできたの、下手したら初めてかもしれない。
「ごちそうさまでしたっ」
「ごちそうさまでした」
「はー。食べた食べたー」
「美味しかったですね」
「でしょ!よく来るんですよー」
「次は別のが食べたいですねえ」
「実は期間限定のやつも気になってたんですよねー」
店を出て、来た道を戻る。駅までの道。来た時と同じく、あまり人通りはなかった。ほんの1時間も経たないけれど、不甲斐ない疑り深さで横峯さんに突っかかってしまった自分を思い出す。元気が出たからご飯を食べたのか、ご飯を食べたから元気が出たのか、どっちだろう。ただ確かなのは、また助けられたなあ、ってことだけだった。
「薫さんのお誕生日もお祝いしましょうよ」
「え。いいですよ、祝わなくて……」
「なんで。ケーキ買ってあげますよ、コンビニので良ければ」
「……あんまり祝いたくないんですよ……」
「なんでです?めでたいじゃないすか」
「めでたくないです、年取るのなんて」
「あー、そーですか。お祝いさせてくんないんですね」
「ゔ……」
「ふは」
背中を丸めてちょっと笑った横峯さんが、嫌ならいいですけど、とこぼした。嫌、というか。無駄に年ばかりを重ねること自体はあんまりお祝いしたくないけれど、横峯さんとなら楽しそうだし、他でもない彼になら祝ってほしい、わけだし。
「……ケーキじゃなくてプリンがいいです」
「プリン好きなんです?」
「まあ……」
「じゃー、プリンでお祝いしましょっか」


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