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ゆうとかおる



幼い頃の話だ。私の祖母は、キリスト教の敬虔な信者だった。食事の前にはお祈りをしていたし、定期的に教会に訪れミサに参加していた。私は特にそこまで神様を信じてはいなかったけれど、そんな祖母の姿はすごく素敵だなあと思っていた。両親が忙しかったので祖母の家で預かってもらうことも多かった私は、憧れの祖母の真似をするようになった。讃美歌を覚えて、お祈りを覚えて、見様見真似で十字を切って。祈りなんて含まれちゃいないただの真似事だったけれど、真っ直ぐで一途な祖母にどこか近づいたように思えて、少し背が伸びた気持ちだった。
『薫。おばあちゃんに教えてもらったの?』
『うん!』
『すごいな。長いお祈りなのに、覚えたのか』
『かんたんだよ、こんなの』
父も母も嬉しそうだったし、祖母も喜んでくれた。神様を信じていない私でも、祖母はミサに連れて行ってくれた。はじめて行った教会は、きらきらしていて綺麗だった。だから、素敵だなあと思ったから、お友だちの家に遊びに行った時に、お祈りをしてみたのだ。
『え、かおるちゃん、なにしてるの?』
『おいのりだよ。おばあちゃんにおしえてもらって、』
『へんなの。ね』
『ねー。そんなのだれもやらないよね』
彼女たちに、悪気はなかったと思う。なんなんだろうね、といったトーンだったから。初めて見たものだから仕方ない。今になって考えれば分かる。けれど、その時の自分には、衝撃だった。お祈りがいけないとか、おばあちゃんがどうとか、そういう話じゃない。他人と違うことをするのは「へん」なのだ。それまでの私は、そんなことも知らなかった。
それからというもの、学生になってからも「へん」を避けて歩いた。みんなが話題にしている部活に入って、得意でもない運動でへとへとになった。勉強は出来た方が周りからよく見られるから、がんばった。友だちに合わせて流行り廃りに乗っては、流れの速いそれについて行くので精一杯だった。音楽とか、キャラクターとか、メイクとか、お笑いとか。その中に自分の好きなものがあった試しはない。だってもしまたそれがみんなの言う「へん」だったら、私は立ち直れなくなってしまうと思うから。他人と違うことが怖かったし、それをそうだと指摘されてしまうのはもっと怖かった。
そんなこんなで、早二十数年。特に得意なこともなければ苦手なこともなく、勉強と地続きの真面目さで、周りのためになるならばと力を入れてきた仕事ではある程度の地位に立ち、あと二年で三十路の大台。一つ年上の彼氏には先月振られました。新しく私より四つ下の彼女を作っていた彼曰く、「お前はつまらない」と。自覚、ないわけじゃないけど。
「あっ、榎本さん。課長が呼んでました」
「はい。今行きます」
「あと先日の会議の件なんですけど、資料をまとめたものって」
「後でデスクにお願いします。確認しておくので」
「ありがとうございます!」
かつりかつりと鳴るヒールの音にも、皺を寄せられないスーツにも、目を突き刺すブルーライトにも、慣れた。たまの楽しみといえば、休みの日にお気に入りの紅茶を飲みながらゆっくり映画を見ることくらい。仕事が生き甲斐、とまでは行かないけれど、仕事がなくなったら私になんてなんの取り柄もないと思う。嫌いではないけど、好きでもない。毎日毎日飽きもせず、またどうせ気がついたら次の誕生日が来ているんだろう。灰色の日々、とは正にこのことか。学生時代の自分に見せてやりたい。そしたら、何かが変わるだろうか。何も変わらないのかもしれないけれど。

高校時代の友人がまた一人結婚したらしい。二次会のお誘いに、仕事の予定を確認しながら、なんとなく溜息をついた。行くのが憂鬱なわけではない。いやはや、めでたい。久しぶりに会える友達もいるだろうし、純粋に楽しみだ。けど、こう、そういう華やかさとは掛け離れた日常を送ってしまっている自分に対しての溜息というか。こめかみに手をやって、ふと時計を見上げる。ああ、こんなことをしてる間にお昼休憩が終わっちゃう。なかなか区切りがつかなくて終わりにできなかったけれど、中途半端でも切り上げないと、お昼抜きになってしまう。仲良くしてもらっている同僚は最近カレーにハマっていて、ランチに誘われたけど断ってしまった。辛いのは好きなんだけど、辛いのが好きだってみんなに知られるのがちょっと怖かった。別にそのせいでなにかが起こるとは到底思えない。低い段差を登るのに爪先を引っ掛けて転ぶのが嫌、みたいな理由だ。我ながらとても小さい。
会社から一番近いコンビニまでは歩いて三分。午前中いっぱい座り仕事でパソコンに付きっきりだったから、外に出た一瞬、目がくらりとした。ダイエットしてるわけじゃないけど、なんとなく目が行くのはカロリーオフのものだ。昔は生クリームたっぷりのパフェとか、友達と一緒に食べれたのになあ。今は多分、胃がもたれて無理だ。食べ放題とかしばらく行ってない。そもそもケーキとかも食べてない。デザートにコンビニスイーツ、と思わなくもなかったけれど、時間もそんなにないし、おにぎり二つとチョコを買った。おにぎりはお昼ご飯。チョコはデザートに一つと、頭が痛い時に一つずつ消費していく用だ。割といつもこの取り合わせだったりする。甘いものを取ると頭の回転が良くなるとかなんとか、聞いたことあるし。十二個も入ってるけれど、仕事終わりまでには食べ切ってしまうだろう。ラムネがいいんだっけ、ブドウ糖が効率良く摂取できるとか。最近はストレスに効くチョコとかもあるみたいだし、でもあれ割高で嫌なんだよなあ。
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませえ」
レジに店員さんが二人。と思ったら、メガネをかけた子の方は研修生って名札につけてた。年上の方の人がバーコードを読み取って、研修生の若い子が私が買ったものを袋に詰めていく。428円、と言われて財布を開く。飲み物も買えばよかったな、ホットなら給湯室からもらって来れるけど冷たいのは自販に行かなきゃならないし。帰り際に寄らないと。
「あたためますか?」
「……えっ?」
「あたためないだろ!おにぎりとチョコは!」
「あいた」
「申し訳ありません、新人で」
「あ、いえ……」
若い子はおにぎりを温めて食べるんだろうか。でも私の買ったのツナマヨだから、あっためたら美味しくなさそうなんだけど。まあいいか。先輩のレジの人に軽く叩かれた研修生くんが、すいません、と頭を下げる。別に全然、と手を振って店を出る。不思議な子だ。

「いらっしゃいませー」
研修生くんの名札から研修生バッジが外れたのに気づいたのは、季節が変わった頃だった。よく使うコンビニだけど、恐らく私が気付くより早く彼は独り立ちしているんだろう。おにぎりとチョコ、今日はそれに加えてあんまんを買ってしまったので、カロリーという名の敵に塩を送る羽目になった。だって午前中の会議が長くて疲れたから。そんなの言い訳でしかないけれど。いらっしゃいませー、とのんびりした声。いいなあ、若くて。明日は友達の結婚式の二次会に参加することになってるから、残業したくないんだけど。
「584円です」
「はい」
「500円以上お買い上げなので、こちらのくじをどうぞ」
差し出された箱に手を入れる。よく買うもの、例えばおにぎりとかの割引券が当たってくれると嬉しいんだけど、と思いながら引いて。残念、からあげの割引券だった。からあげは基本買わない。あのほら、カロリーってやつがね。
「お。すごい、おめでとうございまーす」
「……はあ」
ふんにゃりと相好を崩した店員さんに、つられて笑う。若い子はやっぱり揚げ物とか好きだよね。使う気のなかった、いつもだったら鞄に適当に入れて思い出した頃に捨てるだけの割引券が、急に特別なものに思えた。すごい、って言ってもらえたからかな。
そして夜。残業チャレンジは失敗に終わった。家に到着した現時刻、11時過ぎ。メイクを落とすのも面倒で、ああ疲れた、もう寝たい。でも明日の準備しないと。仕事用の鞄から明日使う鞄に財布とかを入れ替えて、その途中にさっきの割引券が出てきた。若くて元気なコンビニのバイトくん。そういえばよく考えたら、高校生か大学生くらいに見えるけど、昼間にバイトしている姿を見る方が多い。きっと大学生なんだろう、けど、大学って一年生の頃からあんな昼間っから授業ないものだったっけ。自分が通っていたところを基準にするならそうでも無かったと思うけど、世の中にはいろんな学種があるわけだし、若いうちからちゃんと働いて良い子じゃないか。ああいうしっかりした子には、きっと可愛い彼女がいて、友達に囲まれて、人生満喫しているんだろうな。制服姿しか知らないバイトくんの日常を妄想して、被りを振った。いやいや。そんなことまで考えるの、おかしいって。
明日着て行く服を準備しながら、お風呂を沸かす。結婚式か。思い返せば、学生時代ああいう感じの、バイトしてる子とはあまり接点がなかった。男友達はそもそもいなかったし、彼氏が出来なかったわけでもないけど、どちらかというと「二番手」みたいな人が相手であることが多かった。みんなが好きなサッカー部をみんなと一緒に見に行って、目立つタイプでもなければ嫌われ者でもないような相手に告白されたから、特に好きでもないけど付き合って、お試し期間が過ぎたらおしまい。そんなんだから未だにふわふわしてるんだろうなあ。同い年の友達がどんどん旦那さんを見つけていくのを、いつまで見送ればいいんだろう。結婚なんかしないと割り切れたらいいのかもしれないけれど、そうはいかないわけで、一応ちゃんとその願望は一人前にある、ので。例えばバイトくんみたいな子はきっと、高校生の時に付き合ってた彼女とかとずっと仲良くし続けて、結婚して、幸せな家庭を築くんだろうなあ。
「……いやいや」
声に出た。声に出た方がよかった。だから私、バイトくんで程のいい妄想を繰り広げるんじゃない。早くお風呂入って寝よう。
そして、あっという間に次の日。寝る時間ってそれなりに長いはずなのに、なんで一瞬で過ぎ去るんだろう。もっとゆっくり寝たい。寝た感がしっかり得られる枕とかもあるらしい。二次会なので美容室は予約していないけれど、昨日の帰りが遅くなったことを思うと、正解だったかもしれない。ざっくりにはなってしまうけれど、自分で髪を纏めて、バレッタを留める。しばらくぶりにドレスを着るわけだけれど、きつくなってたら嫌なので、朝ごはんは抜いた。そのおかげか、しっかり背中のファスナーが上がった。よし。
「久しぶりー」
「あー、祐美。久しぶり!」
「里菜。どうよ最近」
「どうって、あ!薫!久しぶりー!」
「ひさしぶりー」
「薫は?どうです?最近」
「だからなにそれ?」
「うっさいなー、答えてくんなかったのに!ねえ、彼氏は?年上の彼とは?」
「別れたよー」
「えー、なーんだ。もったいない」
「そういえば、あたしもうすぐ結婚するかもなんだ」
「え!詳しく!」
「えへへ」
蓋を開けてみれば、招かれている友達は、久しぶりに会う友達、でもなかった。友達の中ではちょこちょこ会う方である祐美と里菜となんとなく近況報告をし、いつもより豪華なお酒と食事を楽しみ、ウエディングドレスを着た新婦を祝い。そりゃ楽しい。楽しいのだが。
「結婚するって彼、いくつなの?」
「2歳下ー」
「年下……」
「ど、どうなの、年下」
「かわいいよ」
「かわいいんだ……」
「めっちゃ。めちゃかわ」
「めちゃかわ……」
「薫は年下無理そうだよね」
「え、や、考えたことない……」
今まで付き合ったことがある人は、年上か、同い年だった。同じテーブルを囲んでいる里菜は、年下の彼と結婚するらしい。結婚式はやれるか分かんないけどさー、と恥ずかしそうに頬へ持っていかれた左手には、指輪があって。いや、なんというか、素直に羨ましい。彼女ならいい奥さんになるだろう。しかし、年下の彼かあ。自分が年下と付き合うことになるとは、さっきも口から出た通り、全く持って考えたことがなかった。年齢で全てを決めてはいけないと思うけれど、やっぱり頼りないよりは頼れる方がいい。甘えたい、というと図々しいかもしれないけれど、受け止めてほしい、といったら可愛らしいだろうか。それに、年下なんていいだけ職場で指導してるわけだし、なんかちょっと。二つ年下の彼がいかに可愛いかを語る彼女に相槌を打ちながら、内心で大きなため息をついた。やっぱり、つまらないと言われようがなんだろうが、別れたくないと泣いてでも縋るべきだったんだろうか。別に、彼のことが嫌いになったわけではないのだし。

「せんぱい。早く帰りましょ」
「ぇあ、うん、待った?」
「ううん。へーきへーき」
高校の昇降口。西日が差し込んでいて、背の高い彼の影が長く長く伸びていた。靴を履き替える私を待っている彼は、背にかけた鞄をゆすって、さむいねえ、とひとりごちる。冬に差し掛かる夕方だ、寒いのも頷ける。そういえば、私、朝、マフラーしてきたんだった。けど今は使ってなくて、鞄に入ってる。彼は上着も着ていなくて、確かに寒そうだった。白地に薄いピンクと茶色のチェックが入ったマフラーを手渡す。
「これ、使って。ねっ」
「えー……」
「……あ、ごめん、やだったかな、やだよね、女の子っぽいし……」
「えっ?やー、ちがくて。せんぱいのだから、ほら。照れちゃうっていうか。ね」
ねー。と、笑顔を向けられて、マフラーを巻かれる。それは、その、どうなのだろう、こっちが照れるというか。かっと熱くなった頬をマフラーに埋める。その代わりに、なんて口を開いた彼が、私の手を取った。
「ぁ、わ」
「手ぇつなご。あったかいし」
「っう、うん、」

「ば、バイトくん……」
恐らく未成年であろうバイトくんが自分の後輩として出演し、なおかつ勝手にお付き合いしている設定の夢から目が覚めた時の私の心境を述べよ。十文字で。いや無理。ちょっとショックが大きい。自分が高校生まで若返ってたのもきついが、見知らぬバイトくんの性格を勝手に詐称して作り上げていたのも精神を疑う。しばらくベッドから起き上がれなかった。ちょっともう、愕然としてしまって。
「……はあ……」
「榎本さん。おはようございます!」
「ああ、おはよう……」
「元気ないですね。風邪ですか?」
「うーん……そんな感じ」
「お大事になさってくださいね」
「そうね。ありがとう」
職場についたものの、夢のショックでいまいち何も手につかなかった。お昼ご飯を買いにコンビニにも行けなかった。バイトくんの顔を見るのが、どうしようもなく恥ずかしくて。なので同僚に誘われるがまま、久しぶりにカフェでご飯を食べた。最近デスクにこもりきりでご飯もそこで食べちゃってることが多かったから、外でご飯を食べるのも楽しかった。おいしいし。けど、お金を払う時に、財布の中に入ったからあげの割引券を見て、また少しいたたまれない気持ちになる。ごめんね、バイトくん。謝ったところで、なにが?という話なのだけれど。
結局、バイトくんと顔を合わせることが恥ずかしさのあまりに躊躇われてコンビニに行かないうちに、からあげの割引券は有効期限が切れてしまった。夢のおかげである。すごいって、おめでとうって、言ってもらえたんだけどなあ。
「すみません、榎本先輩……」
「大丈夫。もう少しで終わるから」
「はい、っすみません、すみません……」
「こっち終わりました。あとありますか?」
「ここのファイル、印刷お願いします。ほら、大丈夫だから、ね?」
「うう……」
新入社員の子がちょっとしたミスをしてしまって、色々あった末、不幸の連続で、結果的に、率直に事実だけを言うなら、明日の会議に資料が間に合わなくなってしまった。なので、それを取り返すために、みんなで残業である。彼がミスを取り返そうと頑張っていたのも知っているし、それに周りが手を貸していたことも見ていた。そこまでしていながら泣きながら謝られて、手伝わないわけにはいかない。幸いなことにどうしようもないわけじゃないし、みんなで頑張ればなんとかなるのだ。よりにもよって、明日の会議は大手の取引先との契約にかかわったものだったので、その書類作りの一端を担ってしまった新入社員くんの運が悪かったとしか言いようがない。明日の会議でさえなければ、こうはならなかったと思うんだけどね。
ちょうど私が手伝っていたところは片付いてしまい、全体的に終わりも見えて一区切りついたので、手伝ってくれたみんなへの労いを兼ねてコンビニで飲み物でもまとめて買ってこようかと思う。久しぶりにあのコンビニに行くことになるけれど、今は夜なので、バイトくんもいないだろう。鞄を手に取れば、同じくちょうどおしまいになったらしい後輩の三月くんが、俺も行きます、と言ってくれた。当の新人くんはまだ半泣きのまま書類をホチキス留めしていて、泣くな泣くなと周りから小突かれている。あれなら彼も大丈夫だろう。だって、言ってしまえば誰も怒っちゃいないから。運が悪い、に尽きる。
「なんであいつはああなんですかね」
「良い子なのにねえ……」
「ね。田幡が悪いわけじゃないのに、田幡のミスになること多くないすか?」
「田幡くんが頑張ってることは、みんな分かってるから」
「でもですよ、でも。そういう星回りなんですかね」
俺が新人の時もミスしたけど、あそこまでのことにはならなかったですよ。そう言われて、まあ確かに、と思う。新人の田幡くんが今回したミスも、誰だってやるようなものだ。コーヒー紅茶類なら給湯室からもらえるから、とジュースや炭酸飲料のペットボトルをいくつか見繕ってカゴに入れる。持ちますよ、なんて言ってくれた三月くんが、私の手からぱっとカゴをとった。
「ありがとう」
「いえいえ。なんか腹減りましたね」
「……つまめるものもいるかしら」
「いくつか買います?終わったら早く帰りたい人もいるだろうし」
「そうね」
カゴをレジに置いた後輩が財布を出そうとするので、それは流石にさせるわけにはいかない、と半ば無理やり前に割り込んで、財布を出す。私を退かすことまではしなかった三月くんが、ありがとうございます、と軽く頭を下げて一歩引いて。
「袋、二つに分けますか?」
「っばっ、」
「……榎本先輩?」
飛び上がってしまった。怪訝そうな声を上げる後輩には申し訳ないけれど、ちょっとほんとに宙に浮いた。質問に対しての答えにならない変な声を上げた私にきょとんとした目を向ける、バイトくん。何故この時間にいるんだ。いやいや、そんなのバイトくんの自由じゃないか。昼勤務だったのが夜に変わろうが、そんなのは私には関係ない。しばらくここのコンビニに来なかったから全く気がつかなかった。せめて昼間彼がいないことさえ知ってれば、もしかしたら夜になったらいるのかもしれないと、勘ぐることができたのに!
「……分けてください」
「はあい」
「あ、先輩。ペットボトルの方、俺持つんで」
「……………」
「先輩?ねえ、ちょっと」
先輩先輩と、呼ばないでほしい、今だけは。夢の中の「せんぱい」がフラッシュバックする。夢の中で押し付けた年下の彼氏役と、目の前の被害者のバイトくんが、否が応でも被る。恥ずかしさで死にそうだ。叩きつけるようにお会計をして、早足でコンビニを出て、ちょっと?と不思議そうな声で後ろから追ってくる三月くんにコンビニの袋を押し付けた。
「あの、電話。ちょっと先に戻ってて、電話しなきゃいけないの思い出したから」
「え?あ、はい。わかりました」
「すぐ戻るから!」
「はあ」
こんな顔で戻れるわけがない。首から上が全部暑い。真っ赤になってる。絶対そうに決まっている。鏡なんか見なくても分かる。照明の消えている方の廊下へと曲がって、一人壁に背中をつけた。深くため息をついて、しゃがみ込むのは我慢して。
横峯さんっていうんだ。名前まで知ってしまった。見ようと思って見たわけじゃなくて、ちょうど名札が見えてしまった。なんだってこんなことに。こんなはずじゃなかったのに。
とりあえず、もうあのコンビニには行けない。


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