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宮本の家は、由緒正しい酒蔵だった。俺が小さい頃は、じいちゃんがまだ生きていて、父さんと二人で切り盛りしているのを見ていた覚えがある。六つ上に兄がいて、俺は女の子の予定で生まれてきた。だから、最初から自分は、いらない子だったのだ。

12月、某日。ボーカルくんとギターくんがコンビニに行っている間、ドラムくんと二人で待っていたら、携帯を弄っていた彼が口を開いた。こっちを向きもしない。
「ベースくん、いつから休みなの」
「え、と。29日が仕事終わり」
「へー、いいなあ。俺30日が締め」
「そうなんだ」
「でもどうせベースくんのことだから休日出勤すんでしょ?」
「……しない、今回は」
「へえ?帰省?」
「……も、しないけど……」
「なんで。彼女?」
「……は、いないけど……」
「はあ。働き方改革?」
そんなような感じだ。普通に、先日上司に直接言われた。お前一人で働きすぎ、休みの日は休め、といったようなことだった。でも、代わってくれと頼まれると断れないし、これが終わっていないと困るんじゃないかと気づいているのに無視して休めるかと言われたら、それも無理だ。そのようなことを言葉下手ながらに説明したら、呆れた顔で「とりあえず年末年始は会社に来るな」と言われてしまった。じゃあ何かすることがあるのかって、なにもない。猫と家に篭るしかない。そのようなことをぼそぼそと、言い訳のように溢せば、くつくつと喉奥で笑われた。言わなきゃ良かった、そんなこと。卑屈だなんて分かってる。
「帰省しねーの。なんだっけ、名古屋?」
「しない……」
「ふーん。親不孝」
さらりとそう言ってのけたドラムくんは、それでもう興味を失ったらしく、口を閉じた。実家が名古屋だということは、いつだか話した。確か、ボーカルくんの実家が千葉の方だとか、そんな話の続きで。

兄は、家を継ぐために父と祖父の背中を追っていた。兄はずっと家の仕事を手伝いながら勉強していて、父もそんな兄に自分の技術を教えていて、俺はなにも教えてもらったことがなかった。兄がいるから、俺はいらない。さみしいとか、かなしいとか、そういうんじゃなくて、ただただ普通のことだった。俺の席はもう埋まっていたってだけの話だ。そして祖父が亡くなってからは、父が酒蔵を経営するようになり、俺が10歳、兄が16歳の頃には、兄は家での時間の殆どを父の手伝いに充てていた。近所の人からも従業員からも取引相手からも、後継として認められていて、俺のことは誰も目に止めなかった。勉強もそこまで出来ないし、運動が飛び抜けているわけでもない。問題を起こすわけでもなければ、誰かにいじめられているわけでもない。至って何事もなく、普通の子ども。だから、尚更どうでもよかったのだろう。ほっといても、それなりに普通に育っていくから。
兄が22歳の時、突然いなくなった。どうも父と大喧嘩したらしいのだけれど、俺はいてもいなくても大差ない空気だったので、それすら知らなかった。母の話によれば、どうやら兄は高校生の時から付き合っている彼女がいて、結婚前に子どもができたらしい。だから責任をとって籍を入れ、うちの家族として迎え入れたい、と兄は父に言ったそうだが、父はそれを認めなかった。そして喧嘩になり、兄は出て行った。残されたのは、今まで空気だったはずの次男。なにも教えてもらったこともない、跡取りとしての自覚もない、高校一年生だった。
散々叱られた。どうしてこんなことも出来ないんだと、何故覚えられないんだと、分からないなんてどうかしていると。子どもの頃から家を手伝っていた兄と、全くなにもせずに今の今まで育ってきた俺。そもそもスタートから大差がついていることなんて、自分も周りもよくわかってた。けれど、父はそれを認めてくれなかった。叩き込まれる、という表現が全く正しい勢いで、毎日家の仕事を手伝わされた。もう嫌だった。どうにかしてここからいなくなりたかった。けれど、そんなことを口に出すわけにもいかず、自由な時間なんてなく、追い詰められるがままに、ただただ月日が過ぎて。進路相談票を書くのが怖かった。家業を継ぐと書かなければならないのが怖くて、手が震えて、うまく文字が書けなかった。結局、望まれるがままのことを書いて提出するしかなかった。誰かに助けて欲しかったけれど、兄がいない今、誰も俺のことを見て見ぬ振りはしなくなったし、後継の椅子に座らされてしまった以上、誰もそこから俺を退かそうとしなかった。相談できる友達なんていない。先生も、俺が家を継ぐ前提で話をする。それ以外の道なんて、一つだってなかった。
高校生活の残り時間が減っていくにつれて、ここからいなくなれるなら死んでしまってもいいとすら何度も思った。何度か、映画とドラマで見たことがあるから、手首に刃物を当ててみたこともあった。手が震えて、どうにもならなかった。いなくなる勇気もなければ、終わりにする勇気もない。ネットで調べたら、一緒に死んでくれる人を探しているサイトがあった。誰かと一緒なら怖くないかと思ったけれど、顔も知らない相手が信じられなくて、やめた。変な熱が出た日もあった。お医者さんにはストレスだと言われたけれど、家族にそんなことを言えるわけもなく、風邪だったと嘘をついた。早く治せと叱責されるだけで、誰も心配してくれなかった。全部やめたかった。みんな投げ出して、いなくなりたかった。夜は眠れないから、暗い部屋の中で必死に逃げる方法を探していた。死んじゃえば一瞬で楽になれるって、何度も思って。
『……ぇ』
『親戚の人がね。お部屋を貸してくれるって』
1月の、寒い日のことだった。夜遅くに母が俺の部屋に来て、一枚の紙をくれた。東京の、知らない土地。不動産屋さんで見たことがあるような、間取り図とか、駅まで何分とか、そういうのが書いてある紙。お父さんには勉強しに大学を受けているって随分前から説明している、とか。だから夜は勉強に費やしていて眠れていないんだ、とか。母はずっと、父に嘘をついていた。父は、高校を卒業してすぐ家で働き出したから外のことを知らないのだと、母は少し笑っていた。私に騙されて、仕方がない人、なんて言葉と共に。
『大学には受かってるって言ったの。それで、この家のことも話してあるから』
『……ど、え、どういう、こと』
『嘘が通じるのは、4年間だけだから。22歳になったら、どうしたいのか決めて、お父さんに自分で話しなさい』
『……母さん、』
『風磨、高校に入った時に軽音楽部に入ったじゃない。あの時に買ってあげた、なんだっけ、ベース?どこやっちゃったの、部屋もこんなに散らかして。ずっと掃除にも入れさせてくれなかったんだから』
『母さん』
『あら、あった。埃だらけ。せっかく買ったのに、勿体ない』
好きなことを探していい、と、はっきり言葉にされたわけじゃなかったけれど。夜遅く、車の音もしないような時間に、久しぶりに母親の目の前で声を上げるほど泣いた。俺の部屋を勝手に片付けて、母親は出て行った。もっと早く、助けを求めていれば良かった。きっと誰も咎めやしなかったんだ。自分で、自分が、それを認められなかっただけで。いけないことだと、一人で追い詰められていただけで。
俺は、ぎりぎりで受かるレベルの大学を無理やり受けて、3月末に実家を出た。それからずっと、なんの連絡も取らずに、22歳の時に実家に電話をかけたら、父が出た。あっさりと「お前は帰ってこなくていい」と言われた。理由とかも言われなかったけれど、自分で調べたら、宮本の家の酒蔵は昔から働いている人が継ぐようで、副社長のところに名前があった。こんなにあっさり終わるものなんだ、と思った。母と話をしていないのが少し心残りだったけれど、父のあの様子じゃあもう二度と実家と連絡を取れることもないのだろうな、と他人事のように感じて、就職が決まって、今に至る。

「12月31日、夜6時半からなんだけど」
「おー」
「よく行く服屋の展示会に遊び行ったらさー、Surroundの原田コウジがいて!そんで、ここの服俺も好きなんすよーなんつったら仲良くなって、バンドやってるって話になったらライブ誘われて、大晦日!」
矢継ぎ早に言ったボーカルくんが、がたがたと椅子を揺らしながら興奮気味に挙手する。大晦日、か。
「カウントダウンライブじゃないから10時ぐらいには終わるみたいだよ!はい、仕事ある人!」
「ない。ベースくんもない」
「ぇあ、な、ないけど」
ドラムくんに言われてしまった。それから、ちょっとごたごたしたものの、出れることになって、練習が始まった。ギターくんが母親と用があるらしい。けれど、大丈夫だと。やっぱり、年末年始は帰省ぐらいみんなするか。そりゃそうだ、うちみたいなのはレアだと思う。久しぶりに母の顔を思い出した。家に電話したらきっと父が出る。それが少し憂鬱で、母に直接連絡をとっていらない心配をかけるのも心苦しかった。なんだかまた逃げているような気がして、少し胃が痛くなった。
あっという間に本番が来て、袖に立つ。人の多さと、熱気と、騒がしさが、伝わってくる。俺たちを見に来てくれている人なんて、この中に5人もいないことなんて分かってる。それでもここに立って、誰かに見てもらうことで、何かに引っかかってもらえれば、それで。
「ベースくん、知り合い?」
「え?」
「あそこに、ベースくんに顔超似てる人いるけど。あれ」
「どれ?」
「えー、りっちゃん目ぇ良すぎてバケモンだかんなー」
「あそこ。柱の横の奥のとこの」
「見えない」
「べーやん見える?」
「……全然……」
「はー?使えねー目だな、マイクで呼び出してやろうか」
「えっ、ぃ、いい、困る」
「そ?」
なんで見えねんだよ、とぶつくさ文句を言ったドラムくんが、その後その人のことをなにも言わなかったから、ライブの興奮もあって、忘れてしまった。そんなこともあったと思い出したのは、年が明けてからのことだった。猫に腹の上で寝こけられながら、自分も転がってテレビを見ながらぼけっとして、そういえば年賀状、と気づいてポストを見に行ったのだ。出していない相手から来ていたら、返事をしないと後が面倒になる。殆どが会社関係で、出している相手とのやり取りしかないから安心だ、と確認しながらめくっていって、手が止まる。血の気がひいたのが分かった。
風磨。母さんから住所を聞きました。友達が出ていると聞いて見に行ったライブに風磨が出ていたので、驚きました。とりあえず年賀状を出してみたけれど、今度また連絡するよ。嫁と息子の顔も見せたいし、話もしたいし。今年もよろしく。
そう綴られた、兄からの年賀状だった。


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