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「12月31日、夜6時半からなんだけど」
「おー」
ボーカルくんが、よく行く服屋さんの展示会に遊びに行ったら、そこに最近メジャーデビューしたバンドのベースの人がいて、同じ系統の服が好みってことで話が合って、自分もバンドをやってるって話をしたら、大晦日に年内最後のライブをやるんだけど来ないかって誘ってもらった、そうだ。以上、ボーカルくんの言葉ほぼそのまま。カウントダウンライブじゃないから10時ぐらいには終わるみたいだよ、なんて続けられて、俺たちを見回す。
「仕事ある人!」
「ない。ベースくんもない」
「ぇあ、な、ないけど」
「俺も30日からお休み」
「帰省する人!」
「しない」
「ぅ、俺もしない」
「あ。今年は母親と会うんだった」
「えー、じゃあ出れん」
「平気だよお、あの人夜型だし」
平気平気。大事な話があるから!と言われたことには言われたけれど、時間も場所も決まっていないのだ。実家に帰ればいいのか、俺が一人暮らししている家に来たいのか、いまいち分からない。そういう予定が入ったと言えば、ならその後にこうしよう、となるだろう。俺の快諾に、ボーカルくんがぱっと顔を輝かせ、ベースくんが心配そうな顔になった。平気なんだってば、ほんとに。その日が駄目だったらもっと先に言うし。
「今年は、ってことは滅多に会わねんだ」
「んー。母は忙しい。姉はよく会うけど」
「ぎたちゃんお姉ちゃんいるんだー」
「うん。13歳年上」
「は!?」
「はっ!?」
「だからもう母みたいなもんだよお」
「ドラムくんは妹がいるんだっけ」
「え?妹?ああ、いるいる。五人いる」
「俺も妹いるんだー、あと兄ちゃん。べーやんは?」
「俺は、兄さんが」
「へー、みんな意外と兄弟いんのな」
「少子化社会の中でなあ」
「じゃあ、みんな平気ってことで返事しちゃっていい?」
「おー」
「なにやる?」
「どんぐらい時間もらえんのかな」

遅ればせながら、横峯悠と申します。以後お見知り置きを。
母親のことを、面と向かって母と呼んだ記憶があまりない。母親であるという認識も薄い。なんて呼んでいたかって、ミヤコちゃんと呼んでいた。本名ではないのは知っているので、恐らく源氏名なのだと思う。ちなみに、ミヤコちゃんの発音は、「きなこちゃん」と同じ感じだった。本物の「都」ではなかったと思う。姉のことも、お姉ちゃんと呼んだことはない。サヤと呼んでいた。サヤは本名だと思う。サヤがミヤコちゃんのことをミヤコちゃんって呼んでたから、俺も真似した感じ。サヤが姉だという認識もいまいちない。けれど、俺の面倒を見てくれていたのは、どちらかというとサヤだ。父親は最初からいなかった。おじいちゃんとかおばあちゃんとか言われる存在も、いなかった。俺の家族は、ミヤコちゃんとサヤだけだった。
なんとなく覚えているのは、古いアパート。一階が俺たちの家で、ミヤコちゃんは滅多に帰ってこなかった。というか、俺やサヤが学校に行っている時間に帰ってきて、帰ってくる時間に働きに出ていたのだろう。サヤは、コンビニかお弁当屋さんで俺と自分の夜ご飯を買ってきてくれた。宿題も見てくれたし、一緒にお風呂にも入ってくれた。あと、家にはよくサヤの彼氏が来た。取っ替え引っ替え、しょっちゅう違う男だったけれど、別に危害を加えられたことはない。ほとんどの場合サヤよりも年上だったのは、覚えている。
ある休みの日だった。寒かったから、多分冬。サヤはもこもこのはんてんを着てて、俺は鼻を垂らしていた。風邪薬とかそういうのは、昔から飲んだことがない。いつも割と閉まりっぱなしの襖がのろのろと開いて、奥から髪の毛をふわふわさせた女の人が出てきた。それがミヤコちゃんだった。俺の前に姿を見せる時は、眠たそうな部屋着か、ばっちりメイクできらきらしてるかの、二極端。
『さむー』
『ねー、ミヤコちゃん、エアコン買ってよー』
『こないだ壊れちゃったんだもん。もうすぐ修理するからさー』
『ユウも寒いよね、ねー』
『うん』
『ユウはあったかいでしょー、ねー』
『ゔ』
『ユウは子ども体温なだけでしょお』
ミヤコちゃんにぎゅっとされると、花の匂いみたいなのがふんわり香った。目尻が細まると、少しだけ皺が寄った。大きな欠伸をしたミヤコちゃんは、小さい俺の頭を撫でてから、伸びをした。
『ユウ。なにが食べたい?』
『あたしハンバーグ』
『それは夜ご飯でいいでしょー。ファミレス連れてってあげるから』
『プリンのパフェも食べたいー』
『あーもう、サヤじゃなくってユウに聞いてるの!ユウ、なにが食べたい?』
『んん……んんと』
『んー?』
『……ホットケーキ』
『ホットケーキ。いいねえ、ミヤコちゃんが作ってあげよう』
『え、ミヤコちゃん作れんの』
『作れるわよお、なんだと思ってんの』
『家燃やさないでよ!』
『サヤの分は無ーし』
『やー!ごめんってえ!』
長い髪を一つにくくったミヤコちゃんが、台所に立った。後にも先にも、ミヤコちゃんが台所にいるところを見るのは、この一度だけだ。たまご、牛乳、と数えながら冷蔵庫を開けたミヤコちゃんが、作り始めてから思い出したようにエプロンをつけた。
『はねたらヤケドするよー』
『へーきへーき。サヤはユウとあっち行っててー』
『もー……』
ミヤコちゃんが焼いたホットケーキは、なんだかガタガタしていた。けれど、市販のホットケーキミックスで失敗するわけもなく、普通に美味しかった。なにより、にこにこしながら見ているミヤコちゃんのことを、かわいいなー、と思ったのはよく覚えている。結局手首のところをヤケドしていたのも含めて。

「ユウー」
「お。ミヤコちゃん」
「ごめんごめん。お客さんと話し込んじゃってねえ」
「ううん。俺も今来た」
12月31日。もうすぐ1月1日。寒い寒いとマフラーに顔を埋めたミヤコちゃんが、かつりとヒールを鳴らした。きらきらしている方のミヤコちゃんだ。パンケーキの時の部屋着ではない。待ち合わせは、実家の最寄駅でもうちの最寄駅でもなく、サヤの家の最寄駅だった。どうもサヤの家で集まるらしい。
「なんだっけ、旦那さん」
「マブチさん?」
「タブチさん?」
「ノマグチさん?」
「タグチさん?」
「タノブチさん?」
「サヤはサヤだからなあ」
「サヤがなんて呼んでるかに合わせればいいじゃない」
「あ。お土産ないや」
「あるある。お店から一本貰ってきたのよ」
「俺持つよ」
「やーん、男らしーい」
ミヤコちゃんからお酒の瓶が入った袋を受け取って、歩く。サヤは若くして結婚したけど、俺が高校生になるぐらいまではうちで俺の面倒を見続けた。今の旦那さんも、しょっちゅう遊びにきた、けど、どうにも名前が思い出せない。俺が自立するまでは、心配してくれていたのだろう。今はもう、サヤと旦那さんで、でかい家に住んでいる。
サヤの何人前の彼氏だか忘れたけど、誰だったか、誰かが、俺にギターをくれた人だ。家で弾いてたのを見てたら、やりたい?って貸してくれて、手取り足取り教えてくれて、「ヘタクソだね」ってバッサリ切られた。それがムカついたから、必死に練習した。サヤの今の旦那さんが彼氏になった頃には、ギターできるの、子どもなのにうまいね、と目を丸くされるくらいにはなった。確か旦那さんは音楽のなんかの仕事をしている人で、それに褒められたから多少は嬉しかったのだ。
「大事な話ってなに?サヤもいるとこじゃなきゃ話せない話?」
「んーん。サヤはもう知ってるんだけど」
「そうなの」
「そう。ユウには会ってないなーと思って」
「新しい子どもでもできた?」
「やだー!」
「いったっ」
「そんなわけないでしょー!」
「痛い……」
「子どもはねえ、流石にねえ」
叩かれた。ダウンから空気が抜けて、ばすん、って音がした。薄ピンクで宝石みたいなのがついた爪で自分の頬をなぞったミヤコちゃんに、答え合わせのつもりで問いかける。
「えー、じゃあ、俺には実はまだ兄姉がいる」
「えっ!?」
「えっ」
「……サヤに聞いたの?」
「えっ!?」
「えっ?」
「待って」
「えー?」
どうもいるらしい。やめてほしい、ここに来てそういうの。ミヤコちゃんが、急に焦りながら弁解する。いや別に、びっくりはするけど、怒ったりとかしないけどさ。
「違うの、黙ってたとかじゃなくてね、隠してたわけでもなくてね、あっ、もっと言ったら別にユウとは血も繋がってないっていうか」
「じゃあミヤコちゃんの子どもじゃないじゃんか」
「そうだけどサヤとは血は繋がってるのよ」
「は?え?意味わかんない」
「でも私ももう何年も会ってないし」
「女?男?」
「き、気になる?」
「別に。どっちでもいいけど、強いて言うなら姉がいい」
「お兄ちゃんよ」
「あー。残念」
「お姉ちゃんもう一人欲しい?作ろうか?」
「妹弟ならまだしも、お姉ちゃんどうやって作るの……」
兄なら別にマジでどうでもいい。この年まで会ったこともない、しかもミヤコちゃん曰く血縁関係もない兄など、存在しないに等しい。えへへ、と照れたように笑うミヤコちゃんに、細くため息をついた。あ、白い。
「はー。言いたかったのってそれかあ」
「ううん、違うけど」
「違うの?なんなの、もー」
「あのねえ、言いたかったのって言うのはね、んー、でも、ほら。ユウ怒るかなーとか、びっくりするかなーとか、ねえ?」
「もうさっきの以上にびっくりすることなんて今年いっぱいはないよ」
「ほんとう?」
「ほんとほんと。なに?」
「……結婚しよっかなー、とか……」
「えー。いいじゃん。ヒュー」
「ヒュー?ほんと?ヒューしてくれる?」
「ヒューヒュー。ドレス着るの?」
「やー、でも、もう年だしぃ……」
「ミヤコちゃんドレス似合うよ。今でも着てるじゃん」
「それはお仕事だから……」
「旦那さんになる人は?やだって?」
「んーん、まだ30前だから、式あげたいとか言うの」
「……ミヤコちゃんより俺に近いじゃん」
「そうなのー。ユウと仲良くなれるかなって」
「うん……」
「……怒った?やだ?ユウが嫌ならやめよっかなあ」
「やじゃないよ。ミヤコちゃんの白無垢もいいかなって思っただけ」
「やー!」
「いったっ」
「ユウったらー!」
「痛いよ」
「あ!ユウ、お祝いのギター弾いてよ、ねっ」
「やだー……」
「おねがあい」

入れ替わりの激しい我が家の家族編成は、ここに来て新しい父親という転換期を迎えるようだった。俺の歳に近いということは、サヤより年下ということだし、ドラマとかなら波乱の展開になってもおかしくない。だけど、サヤはサヤだし、ミヤコちゃんはミヤコちゃんだし、俺は俺だから、特に関係はなくなってしまうのだ。新しいお父さんとやらも、なんとなーく馴染んで、なんとなーく普通に溶け込んでいくんだろう。いつも通りに。

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