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おばけのはなし




「お。いいとこに」
「……なにしてんすか」
駅に車を停めたら、清楽さんがいた。ちまちまと寄ってこられて、右手を出す。また寒そうな格好だ。日本列島の中で北側に属する県にずっと住まっている割に、防寒という言葉を知らないのかもしれない。どこでもそこでも寝るし。俺に手のひらを向けられた彼女はちゃんと目の前で止まって、ことりと首を傾げた。
「用事を済ませたら送ってあげますから」
「ほう。言葉無くとも通じ合える関係、いいもんだね」
「……ここにいなさい」
「いてくださいではなくー?おーい、ちよー」
ちよちよー、と重ねて呼びかけてくる清楽さんに背中を向けて、用事を済ませに行く。十分もあれば終わる。それぐらいは大人しく待っていてくれるだろう。どうせこの辺に来たってことは、帰りに呼び出される確率が高いんだから。
車の横に待たせておいたはずの清楽さんは、戻った時にはいなくなっていた。想定内だ。あの女が俺の言うことを聞くはずがない。どこまで行った、と見回せば、意外と近くに居た。自動販売機の前。
「待ってて言ったじゃないですか」
「待ってたもーん。ちよちよコーヒーは何派?微糖?無糖?」
「こだわりはないですけど」
「清楽さんはコーヒー飲まない派。なのでジュースです」
「……なんでこの寒いのに冷たいのを買うんですか」
「え?寒いと冷たいの買っちゃだめなの?」
「いや……」
とにかくとりあえず、と渡された冷たいオレンジの炭酸を受け取る。まあ、暖かい室内で飲むにはちょうどいいのか。車に戻る最中、ていうか「ちよちよ」ってなんですか、気持ち悪い、と告げれば、きょとんとされた。ああ、もう、分かった分かった。
「名前を忘れたんですね」
「だいせいかーい!」
「ちよは覚えてたんですか」
「えっ……なにこわ……名探偵では……?」
「分かります」
「こわわ」
自分で自分の体を抱きながらついてくる清楽さんを車に押し込めてエンジンをかければ、ちゃんとシートベルトをしていた。ちゃっかりしている。
「へい、ではちよちよの家までレッツゴー」
「……………」
ほんと、ちゃっかりしている。

家に着いた。車中が暖かったので、炭酸飲料は空っぽになった。中身のないペットボトルを家の前の自販機のゴミ箱に捨てて家に入れば、清楽さんは自分の手に残っているペットボトルを見下ろしていた。
「なんですか」
「いやあ、ちよっぴーはやっぱり男の子なんだなあと思いましてね」
「思い出したんですか」
「なにがー?」
「なんでもないです」
俺の呼び方を忘れたことすら忘れたらしい。お腹が空きましたー、とクッションに顔を埋めて転がっている清楽さんに、つい嘆息した。この女。
適当にチャーハンを作ってやって、清楽さんは全く帰る気がないので、仕方ないから寝巻きを貸した。タオルが無かったよー、と全裸で風呂場から出てこられたので、呆れた。毎度のことながら、もう少し自分の身を鑑みて欲しい。一応は女の子なんだし、一応。
「ちよっぴー、夜も更けてきたので」
「寝ます」
「怖い話しよ」
「……怖い話」
「そう。怖い話。怖いの無理?」
「いや……」
怖い話しよう、なんて切り口で来るとは思わなかっただけだ。清楽さんは、俺が全くその気がないのは知っているくせに、泊めてもらってるんだし、ととりあえず脱ごうとする。脱ごうとする、と言うと露出狂のようだが、そういう意味じゃない。もうちょっと、なんというか、肉欲的な意味である。そう来なかったからびっくりしただけだ。怖いのは無理ではない。幽霊話の類は信じていないので。
「じゃあ聞いたら五人に話さないと呪われて死ぬ系の話するね」
「清楽さん誰から聞いたんですか」
「え?忘れた」
「誰かに話したんですか?」
「ううん。本邦初公開」
「じゃあ死んでるじゃないですか……」
「生きてるよお」
それならもうその話は嘘っぱちである。あるところにねえ、女の人がねえ、周りからいじめられててねえ。とろとろと話し始めた清楽さんの口調は、どこか眠気を誘う。相槌を打ちながら聞いてはいたものの、ほとんど内容が入ってこなかった。これじゃ五人に話せるとは思えないので、俺も死んだ。残念。
「おしまい」
「……え?あ、はあ……」
「ちよっぴー寝てた」
「……朝早いんすよ……」
「次はちよっぴーの番だよ」
「……清楽さん、怖い話怖くないんすか」
「えー?怖いわけないじゃーん。清楽さんには怖いものはないぜ」
「あっそ……」
じゃあ話し甲斐がない。し、俺には怪談話の引き出しもない。眠いのでもう寝かせていただきたい。そう言えたか言えなかったかは最早眠気のせいで定かではないけれど、普段あれだけ眠そうなくせに今に限って元気らしい清楽さんの声が暗い部屋に響く。
「あ?いや?怖いものあるわ。一番上の兄貴」
「へえ。清楽さんでも、お兄さんは怖いんですか」
「んー、兄貴が怖いっていうより、兄貴が怒ることによって清楽さんが我を失ってブチ切れてしまうのが怖い」
「強大な力を制御できない主人公みたいなこと言わないでください……」
「もっと簡単にゆってー」
「……………」
「ちよっぴー?」
「……なんですか」
「怖い話してあげるから聞いて。寝ないで」
「……………」
「昔々あるところにね」
「……それ日本昔話……」
「怪談話も日本昔話も大して変わんないよ」
結局、外がほんのり明るくなるまで清楽さんは黙らなかった。


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