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おはなし



「あーあ、弁当さんがお兄ちゃんなら良かったのに」
「……そう?」
「そうです。お兄ちゃんより全然いい」
はーあ、と溜息をついたかなたちゃんが、気を取り直したように、ありがとうございました!と頭を下げた。俺のバイト先は学習塾で、彼女はまだ高校生で、普通の兄妹なら頼みの綱であろう兄は勉強ができなくて、かなたちゃんも有馬家の人間なので勉強<部活の方程式がきっちり出来ていて、しかし兄のようにだけはなりたくないと勉強でつまづいてしまったところを俺に頼ってきた次第で。有馬伝いに連絡を取ったのが数日前。暇を合わせて、かなたちゃんの通う高校の近くのファーストフード店で勉強をちょっとだけ見てあげたのだ。ちなみに数学メイン。お腹空いちゃって、とハンバーガーを頬張っているかなたちゃんが、兄に似た目を丸くしてこっちを見た。ほんと似てるな、正面から見ると。
「ん、あの、お礼したいです。なにがいいですか?」
「別にいいよ、俺も暇だったから」
「あ!この前レシピ教えてもらったカップケーキ、おいしくできました!」
「ほんとう?それはよかった」
「友達にも喜ばれて。ふふ」
思い出して嬉しそうに頰を綻ばせたかなたちゃんが、今度また作ったらお兄ちゃんに持たせるんで試食してくださいね、と笑った。果たして俺の口に入るまで有馬が我慢できるかどうかは不明だけど、楽しみにしておこう。妹のことになると箍が外れるらしい兄なので、変な勘繰りとかをして、全部平らげかねない。
ちなみに件の兄は、俺に引っ付いてこの店までは来たのだけれど、あまりにぶつくさうるさかった上に勉強の邪魔ばかりするので、かなたちゃんに追い出された。兄妹喧嘩の声があまりにもやかましいので、挟まれる俺が若干ひやひやした。ここお店だから、落ち着いて、ねっ、と二人を宥めるのがどれだけ心苦しかったか。ただでさえ学生が多くて騒がしい店内で、多少やいのやいの言い合っても、なにも支障はないようだったけれど。ていうか、お兄ちゃんがうるさいからって有馬の家でやるのをやめたのに、結局うだうだ言いながらついてきた上に結局邪魔するんじゃ、そりゃそうなるとは思う。
それじゃあ、とお店を出てかなたちゃんと別れてすぐ、近くで時間を潰していたらしい有馬が仏頂面で戻ってきた。機嫌悪。
「……俺だって、高校生の勉強ぐらい教えれるし……」
「……………」
無理でしょ、と言いたいのは飲み込んだ。だってそもそも、かなたちゃんの方がレベルが高い高校に通っているし、改めて口に出すのも申し訳ないけれど、有馬は馬鹿だ。お勉強ができない。けど、珍しく手に何か持っているので聞けば、本屋さんで参考書を買ってきた、とぶすくれながら言われた。妹思いの良い兄なんだけどなあ。完全に空回っている。ぎゃいぎゃい騒ぎながら隣を歩く有馬に生返事して聞き流しながら、こういうところが妹として無しなんじゃなかろうか、とぼんやり思う。そんなことしてたから、携帯の画面を突然突き出されて、反応できずに鼻先をぶつけた。
「いた」
「見ろよこのライン!お前が終わったっつったのと同じぐらいに!かなたから!お兄ちゃんなんかより弁当さんのがいいとか!お兄ちゃんと弁当さん取り替えっこして欲しいとか!お前がお兄ちゃんだったら良かったとか!俺が!かなたのお兄ちゃんなの!」
「痛い……」
「俺がさあ!」
「わかった、わかったから……」
鼻をさすりながら、ぶんぶん目の前で振られる携帯を受け取れば、確かにそんなような言葉が送られてきていた。ていうか、本人の口からも聞いたし。俺、今まで兄であったことなんて生まれてこのかた無いんだけど。一人っ子だし。
そう告げれば、騒ぐだけ騒いでちょっとは溜飲が下がったのか、それとも多少は疲れたのか、ペットボトルを傾けていた有馬がけろっとした声で返事をした。怒りから平常に戻るのが早すぎる。
「それもそうじゃん。なんでお前そんなお兄ちゃんできんの?」
「知らないけど……ていうか、お兄ちゃんできるって何」
「お兄ちゃんらしいことすんじゃん、かなたの面倒見たりとか」
「お兄ちゃんらしいこと」
「5月生まれだから?」
関係ないと思う。

『えー、俺もお兄ちゃんだけどお兄ちゃんらしいことなんて分かんないよー』
「……じゃあもう打つ手無い」
『ゆりのお兄ちゃんみたいなもんだけどね、当也も航介も』
「みたいなもん?」
『慣れ?』
「なにに」
『妹への慣れ。一人っ子の割には他に比べてあるんじゃん?』
その日の夜。ゲームしよ、って朔太郎から連絡が来て、オンラインでゲームしながら、片手間に通話を繋ぐ。そっち撃っといて、と指示を出されたので言われた通りに道を開ければ、まだ爆炎が収まりきってないのに朔太郎のキャラクターが突っ込んでって燃え死んだ。なんでだ。味方のキャラクターからもチャットで「!?」みたいなのが大量に飛んできてる。
『ラグった』
「嘘」
『いやそりゃ嘘だけど……行けるかと思ったんだもん』
「燃え転がってたよ」
『知ってますう。ていうか誰も消火してくんなかった』
「しないでしょ……ていうか火の中で燃え死にかけてる人なんか消火しに行けないし」
『はいすいませんでしたー。今生き返ったからそっち行くし』
「早くして」
『お兄ちゃんぽいっていうかさあ、面倒見がいいんだよ、多分。ん?面倒見?いいかな?当也が?』
「自分で言い出したんでしょ……」
『面倒見がいいかはさておきだけど』
「じゃあなに」
『無害だから年下受けするよね、昔から。人畜無害、って顔に書いてあるもん。しかも油性。もう消えません』
「馬鹿にしてんの?」
『有害より良くない?』
「まあ……」
『友梨音に聞いてみよっかなー。理想のお兄ちゃんはどれ?って』
自分であることを疑いもしない楽しそうな声色のところ申し訳ないが、友梨音ちゃんはそういうのは笑って誤魔化すと思う。もしくは無難に実の兄を選ぶ。だって、朔太郎以外を選んだらその後の処置がめんどくさいし、そういうところ、恐らくあの子はちゃんと分かってる。
『あ。航介来るって』
「このマッチ終わってからにしてって言って」
『そ、あ!待って!助けに来て!俺狙撃されてる!』
「行けない。遠い」
『いやいやいや薄情者!俺ばっかりなんで!』
「ばっかりもなにも一つ目のライフは自爆なんだけど」
『待って助けて!お兄ちゃん!当也お兄ちゃん今すぐ来て!早く!救急キット使って!』
「声でか……」
『死んじゃう!このままじゃお兄ちゃんのかわいいさくちゃんが死んじゃう!あー!』
「頭おかしくなったと思われるからその断末魔やめた方がいいんじゃない」
『当也以外聞いてないからいい!あっ死んだ!ばか!助けに来てよ!』
ちなみにちゃんと全部友梨音ちゃんに聞こえていたらしく、次の日死にそうな声で「ゆりがよそよそしい」って朔太郎から電話が来た。知りません。

「お、に、い、ちゃんっ」
「……………」
語尾にハートがついていそうな勢いで腕を取られて、たたらを踏んだ。嫌な予感がする。目線を下げれば、100点をつけてもらえるのであろう笑顔の伏見がいて、嫌な予感は確定した。なにをやらされるんだ。
「……お兄ちゃんではない……」
「えー、でもほら、俺11月生まれだし。弁当は5月だし。お兄ちゃんだよね」
「伏見のお兄ちゃんになった覚え、ないんだけど」
「は?そもそもにして誰のお兄ちゃんでもないじゃん。なに言ってんの」
そりゃそうだけど。この悪魔に口で勝とうとしたのが間違いだった。どうも有馬からお兄ちゃん云々の話を聞いたらしい。にっこにこの伏見がこうもべたべたしてくるってことは、何かしら面倒ごとを頼みたいのだろうなってのは分かる。あれ食べたいから作って、とテレビででも見たレシピを見せられるか。それとも、服が欲しいから付き合って、と一日引きずり回されるか。どれだろう、と半ば諦めながら予想してたら、どれも違った。
「俺も勉強見て欲しいなー」
「できるでしょ、自分で……」
「あ、冷た。お兄ちゃん、そういう人なんだ。女の子じゃないとお世話してくれないんだ」
「……すごい人聞きが悪い……」
「実験記録まとめたいから手ぇ貸して」
ずりずりと引きずられるようにして、ゼミ棟へ連行される。俺関係ないのに。その授業取ってないのに。何故か伏見の取ってる授業の教授と顔見知りになってしまったのは、こいつがなにかあるとすぐ俺のことを引っ張り出してきて手伝わせるからだ。手伝ったら美味しいもの奢ってもらえるから、毎回許してしまうけど。
後日、お礼にと連れて行ってもらったレストランの、包み焼きピザはおいしかった。カルツォーネというらしい。
「弁当それ取って」
「……はい」
「あ、お兄ちゃん」
即座に忘れて飽きてんじゃねーか。という言葉を飲み込んだまま、タバスコを手渡した。

「かなたがくれた」
「あ、りがとう……」
「なんだよ?」
「……いや……」
思っていたより、普通だ。かなたが作ってくれたのになんで弁当にだけ〜とか、俺も欲しかったのにくれなかった〜とか、そういう文句が絶対に来ると思ってた。それか、くれたけど全部俺が食べちゃったんだからなー!って言われるかと。予想外のにんまり顔で小さな紙袋を渡されて、受け取る。中身は、綺麗に包装されたカップケーキが三つだった。
「……有馬も食べたの?」
「めっちゃ食った。もう当分カップケーキはいらね」
「ああ……」
「試作だからーとか、練習だからーとか言ってさあ、最近ずっと休みの度に作ってて。しかもそれぜーんぶ俺に食わすの、しかも普通にうまいし」
「はあ」
「あ、これな、これチョコレート、こっちはドライフルーツ?だっけ。あと一個は忘れた。食べれる?」
食べられる。し、甘いものは嫌いではない。かなたちゃんのことだ、レシピを教えた俺に渡すのに満足いくものが作れるまで、何度か試行錯誤したのだろう。その間、自分での味見と、食べきれない分はお兄ちゃんに渡したのではないだろうか。有馬は有馬でそれを喜び、俺へのお礼を渡すための足にされても全く問題なくなった、と。誰も悪くない上にみんなが得をしている。早く食え、うまかったぞ、早く、と感想を有馬にせがまれまくるのは困ったけれど。
「家で食べるから……」
「えー、かなたに弁当も喜んでたって言いたいから今ここで一つ食え」
「あとで連絡しとく」
「弁当かなたの連絡先知ってんの?」
「し、らない」
知らないことになってるんだった。実は先日のファーストフード店で聞いている。お兄ちゃんがうるさいから黙っておきましょう、とかなたちゃんに言われていたんだった。危ない。じゃあ食ったら教えて、と口を尖らせた有馬に曖昧に笑いながら、なんだってこんなに気を使わなくちゃいけないんだ、といっそ腹立たしくなってきた。別に俺個人としては、かなたちゃんには何の感情もないのに。いや、そりゃ、素直で良い子だとは思うし、慕ってくれて嬉しいけれど。有馬はかなたちゃんに近づく異性全てを敵視する傾向にあるので、良くない。かなたちゃん、好きな子いるって言ってたし。絶対有馬には言わないだろうけど。
「なあ、三つあるから一つちょうだい」
「なんで。やだ」
「えー!腹減った!」
「コンビニ行ってきて」


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