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おはなし



さくたろ、起きてえ。
こう、幼馴染の女子に起こされるというのは、やっぱり男としては夢のようなシチュエーションではないだろうか。パーソナルスペースに入られたくない、とあの黒くてもじゃもじゃの眼鏡の方の幼馴染は言うだろうし、家族でもない相手に起こされるのがそもそも間違いじゃないか?と金色でゴリラの方の幼馴染は言うだろうけど、そういう問題じゃない。確かに、いくら幼馴染と言えども、付き合ってもいない異性が自室にいることは超ドキドキするしおかしな話だし、起こされるのは若干ダサい。自分のダメなところをひけらかしている感すらある。しかし、ここで声を大にして言いたい。それすらも許せる夢が、女子の幼馴染のおはようにはあるのではないかと。
「もう!遅刻するよ!」
「は」
「おはよう!」
跳ね起きると、床に座ったまま、ベッドに手をかけて、ぷくりと頰を膨らませた伏見くんがいた。えっ!?伏見くん!?どうしたの!?君ってば俺のこと大っ嫌いなんじゃないの!?しかもどうしてスカート履いてるの!?めっちゃかわいい!女子!伏見彰人の女装、イズ、女子!
「早く着替えてー」
「えっ……おっ……おっ……?」
「早く!」
外で待ってるからね!と言い置いて、べえ、と舌を出してあっかんべーをした伏見くんが、部屋を出て行く。なんだこれ。VR伏見彰人?買った覚えないです。
呆然と見回したのは、自分の部屋だ。いつもとなんら変わりない。高校の制服(女子)を、伏見くんが着ていて、ナチュラルに俺を起こして部屋を出ていったこと以外、なんら変わりない。伏見くんって俺に触れたの?あの手の感じからして、多分ゆさゆさされてたよね?伏見くん、俺のこと蛇蝎の如く嫌ってるじゃない?触れた瞬間手ぇ洗いたがるじゃない?言ってて悲しくなってきた。着替えよ。
クローゼットにかかっていたのは制服だったので、いや俺社会人、と思いながら制服を着る。さちえ、間違えてかけちゃったんだろうか。スーツないし。汚したっけ。階段を降りてリビングに向かうと、ゆりねがいた。
「お兄ちゃん、おはよう」
「おはよ」
「あきちゃん待っててくれてるよ。お母さん、おにぎり作ってくれたから、持って行って」
「……ゆり?」
「うん?」
「あきちゃん?」
「……あきちゃん……」
「あきちゃん!?」
「ひっ」
「あっごめん!お兄ちゃん今めっちゃでかい声出たよね!?ごめん!でも友梨音!?あきちゃんっていうのはどうかな!?」
「ぁ、あきちゃんは、あきちゃんだよ、お兄ちゃん……」
何を言うとるのや、この妹は。ぷるぷるしている友梨音を問いただしても何も得られない上に心にダメージが蓄積されるので、そうだね、そうだよね、驚かせてごめんね、と宥めて、台所から出てきた母に飛びつく。
「さちえ!」
「おはよう朔太郎、あきちゃんが」
「あきちゃん!」
さちえにも目を丸くされた。そうよ、あきちゃんが、待ってくれてるから、行きなさい。そうおにぎりを渡されて、何を言っているの、と問い直したものの、どうしたの朔太郎、と不安そうな目を向けられては、何も言えなかった。どうしちゃったの俺の世界。俺の部屋に俺を起こしに来る人間って言ったら、さちえが優しく声をかけてくれるとか、泊まった時は航介に勢いよく布団を剥がれてベッドから叩き起こされた挙句に「いつまで寝てんだ眼鏡!」って大声を上げられたりとか、そんなもんのはずだ。当也はない。寝起きが悪いから絶対ない。友梨音も朝あんまり強くないから、滅多にない。とにもかくにも、伏見くんが介入する要素はどこにもないのだ。だってあの人生まれも育ちも東京じゃない。わかったぞ!みんなして俺のこと騙してるんだな!
「おそーい」
「え、えぅ、ご、ごめんなさい……」
「早くしないとっ、ほら自転車漕いで!」
「えっ俺前、わひゃあぁあ!?」
「?」
「あぁあ!?やわっ、ふしっ、誰だお前!」
「なに今日、さくたろおかしい」
ぶす、と拗ねた目を至近距離で向けられて、いやいやいや!と金切り声を上げる。自転車の後ろにスタンバイしていた伏見くんが、俺が前に跨ると同時にぎゅっと抱きついてきて、柔らかかったんですよ、そりゃ柔らかいのはいいんです、いいことなんですけど、お胸があるように思うんですけど、いや嘘待って、伏見くんって男の子だよねえ!?俺一緒に温泉行ったもん!男の子だったもん!おっぱいなかったもん!
「さくたろ?」
「こわいこわいこわい!なに!怖い!」
「頭イかれた?」
「かわいい!いやそうじゃなくて!あっ顔が可愛い!目が焼かれる!」
ぎゃいぎゃいと叫びながら、伏見くん、伏見くんなのか?を振り払って、その場を逃げ出す。なんで!と驚いた声がして、いやいや伏見くんの可愛い顔の皮を被った知らん女じゃねえか!と後ろを振り向かずに自転者を漕いだ。取り敢えず行くあてもなく、頼れそうなゴリラ系幼馴染の所に自然と向かい、悲鳴をあげた。
「更地ー!」
めっちゃ更地ー!二軒とも影も形もなーい!こわい!
取り敢えずおにぎりを食べた。おいしい。さちえのおにぎりは絶品である。しかしまあ、どうしよう。学校に向かうか?制服だし、訝しまれはしないだろう。けれど、あの伏見くんもどきと会うのも怖い。しかし学校なら知った顔がいるかもしれない。それか、家に帰るか。友梨音たちがいてくれたのはかなり精神的に大きい。自室に帰って落ち着いて、現状整理をした方がいいかもしれない。そうしよう。幼馴染二人の家があったはずの場所を見てるのも、胸がぎゅっとなるし。
「はああ……」
からからと自転者を漕いで家に帰る。突然帰ってきた俺に驚いているさちえには、おなかいたい、と適当な嘘をついてしまった。ごめんなさい。深い深い溜息をつきながら自分の部屋のドアを開ける。
「なんで置いてったの!」
ばっちん、と良い音を響かせて、ほっぺたが熱くなった。脳が揺れる。俺をひっぱたいた伏見くんもどきが、俺の制服の胸ぐらを掴んで引き寄せて、俺が足を滑らせたので彼女を押し倒す形になって、なんだってこう、やわらかいかなー!

「だはあ!」
「ひっ」
「……ゆ、ゆりね……」
「……お兄ちゃん、大丈夫……?」
宙を揉んでいた俺に、珍しくドン引きを隠さない顔で、それでも心配してくれた友梨音に、あきちゃんは!?と問いかける。ちょうどなにかをお盆に乗せて持ってきてくれたところだったらしい。サイドテーブルにそれを置いた友梨音が、ことりと不思議そうに首を傾げた。
「だあれ?」
「こ、こう、顔が可愛くて、お胸が大きくて、かわいくて、あと俺のことを起こしにきてくれた、ふしっ、ええと、あきちゃん……」
「……お兄ちゃん、うなされてたよ。変な夢、見たのかも」
すごい汗だよ、と濡れて冷えたタオルを渡されて、汗を拭う。なんでこんなの、と友梨音を見れば、不安そうな目。続けて渡された体温計。え?体温計?って二度見してしまった。
「……お兄ちゃん熱ある?」
「わかんない……帰ってきた時ふらふらしてて、顔が赤くて。ご飯食べないで部屋に行っちゃったから、様子見に来たの」
「えっ!?」
「覚えてないの?」
お熱が高いのかもしれない、病院に行かなくちゃ、とぷるぷるし始めた友梨音に、ちょっと待って計るから、と脇に体温計を挟む。どうやらさっき持って来てくれたのは、濡れタオルと飲み物だったらしく、さちえが気を遣ってくれたのか、水差しとコップと氷がきちんと分けられていて、ストローもあった。友梨音が、心配だから、と持っていく役を買って出てくれたんだろうな。ご飯を食べていないと聞くと、お腹が空いてくる。さっきまでのあれは、熱のせいで見た悪夢だった、ということでいいんだろうか。いいということにしてくれ。もう許して。
「あ」
「……………」
「……熱あるね!」
「ちょっとで良かったあ……」
「お兄ちゃん、熱、あるね!」
「微熱だね」
よかった、と微笑まれては、何も言えない。37.4℃って、熱あるうちに入るかな。ギリじゃん。そんな程度の熱で悪夢見たくないよ。あれが悪夢だったのかどうかと言われると、伏見くんは可愛かったし、伏見くんのお胸は眼福だったし、言うほど悪いものでは無かったような気もするんだけど。
「お腹空いた。さちえ、もう寝ちゃった?」
「お兄ちゃん、今何時だと思ってるの……」
時計を見たら、まだ夜8時だった。

「うける」
「うけねーよ」
「その程度で仕事を休むな」
「今朝計ったら39℃あったの!俺だってびっくりしたんだから!」
次の日の夕方。一応保険で熱さまシートを額にはっつけている俺のことが、見えているのかいないのか、航介が俺の部屋で普通にアイスを食べている。航介は、俺が病人だということは来るまで知らなかったらしく、若干の心配を孕んだ声で、朔太郎生きてるか?と開いた扉に、咄嗟に死んだふりをしたら、元気だと判断されてしまった。いや、元気だけども。白目剥いてベロ出したりしなければよかった。
朝の熱は昼には引いた。病院にも行ったけど、風邪ですね、熱が下がればもう大丈夫です、って感じだったし。棒のアイスを食べきった航介が、俺がまだ途中なのを見て、ゴミ箱を引き寄せてくれた。そういうとこ気がきくよね!気遣いゴリラ!と褒めたら頭が割れた。こちとら病人だぞ!
「友梨音が心配してた。魘されてたんだろ?」
「伏見くんが俺の幼馴染で美少女でおっぱいが大きい夢を見た」
「……狂ってんのか?」
「俺もそう思う」
「風邪のウイルスが脳に回ったんだな」
「やべーじゃん。航介に移さないと」
「俺風邪引かないから」
「馬鹿だもんね」
「健康だからだ」
俺がアイスを食べ終わったのを見て、元気そうでなにより、と立ち上がった航介に、帰っちゃうのお、と不甲斐ない声が出た。つまんないじゃないか。これでまた明日の朝になって熱が上がったら、明日もつまんない。ちゃんと寝て早く治せや、とドスの利いた声で唸られて、ド正論に頷くしか無かったのだけれど。
「……明日には治るだろ」
「分かんないよー。今度は胃に来るかも」
「じゃあ来ないわ」
「来て来て!たとえ骨が折れてても明日には治してみせるから!」
「それはそれで異常者じゃねえか」
軽口が叩けるなら平気だろう、と航介は出て行ってしまった。ぺたぺたと後を追いかけると、心配そうな声の友梨音に、ふざける元気があったから大丈夫だよ、と安心させる航介の声がした。うん。なんか、友梨音には変なところばかり見せてしまった。ごめんね、お兄ちゃん早めに治すわ。

「完全復活!」
「鼻水だらだらじゃねえか」
うん。熱が下がったら何故か鼻水が止まらなくなった。鼻声で喋りづらいけれど、暇なので航介と一緒に都築のところへ行くことにした。ほら、アルコールで消毒したら良くなるかもしんないし。嘘です。
都築家の扉を潜ると、都築姉がいた。おう、と片手を上げられて、航介が頭を下げる。ここは取引相手だからなあ。
「たーちゃんの友達ワンツーじゃん」
「どうも」
「どもー。都築弟なら今日はお休みだよ」
「なぜ!」
「風邪引いてるから」
「熱?」
「熱。微熱」
「俺と一緒じゃん」
「眼鏡お前、すげー鼻声だな」
「多分都築弟も熱下がったらこうなるよ」
「ハナミズウイルスだな。おら」
「まだなんも注文してないのにジョッキ出てきた」
「どうせ飲むっしょ?」
「いただきまーす」
目当ての客がいないらしく、小梅さんの割には喋りかけてくれる。そおいえばさ、と間延びした声でグラスを傾けながら零された彼女の言葉に、航介と変な顔で見つめあってしまったけれど。
「たーちゃん、すんごい魘されてたんだよね。叩き起こしたら、おっぱいがー、ってテンパってたけど」
「……都築今寝てる?」
「起きてるよ。微熱だし」
「ちょっと顔見て来ていい?」
「いいけど。奥にいるからここから入んなよ」
カウンターの中に入れてくれた小梅さんにお礼を言って、都築家の本体に侵入する。ヒイ!って声がしたので、多分初奈ちゃんだと思う。謝っといた。店の方は行き慣れてるけど、実際の家の方には、実のところ数回しか入ったことがない。この家は改築と増築のリフォームを積み重ねているらしく、妙に入り組んでいるのだ。どこが都築の部屋だ、とうろうろしていると、台所から店に出す食事を運ぶ途中だったらしい都築母に、あんたたち何してんの、と呆れられた。おかげで都築の部屋に辿り着けたけど。
「ちっす!ちちちっす!さくちゃんだよ!」
「生きてるか」
「生きてるー、おー、おみまい?」
「ううん、ハナミズウイルスがおっぱいウイルスになるかどうかの瀬戸際を守りに来た」
「は?」
航介に、朔太郎やべーじゃん、なんでこんなの連れて来たの、こちとら病人やぞ、と都築が真顔で問いただしている。やばくない。航介も航介で、そういうこと何回も言うな、じゃない。そういうことってどういうことだ。ちゃんと言ってくれなきゃ分からないぞ。
「割るぞ」
「あいたー!もう割ってる!」
「マジでなにしにきたの?」
都築に詳しく話を聞いたら、「伏見くんの顔をした超絶可愛い女の子が俺の幼馴染になってる夢を見た」「三日間ぐらい楽しんだのに起きたら30分しか経ってなかったからあそこは竜宮城だと思う」「ふっくらふわふわのナイスなボディーだった」とのことだった。絶対同じウイルスだ!
後日、航介が全然関係ない用事で伏見くんと連絡を取っていて、あ、と声をあげた。
「伏見風邪引いてたらしいぞ」
「……だから俺たちの夢の中に超可愛いナイスバディな女の子として……!?」
「それはお前らのただの欲望だろ……」
そうでした。



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