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I remember your love





新城は頭の螺子が飛んでいるので、どこでも盛ってくる。やめろと言ったところでやめてくれた試しはないし、いくら必死に抵抗したところで止まってくれたこともない。最低だ。俺より力が強くて体がでかいのをいいことに、好き勝手している。最悪の男だ。そして、新城は最悪なので、嵐のような行為が終わった後も特に謝りもしない。でも気持ちよかったっしょ?とか平然と言う。頭割れちまえ。こっちは疲労困憊だ。しかも、なにがきっかけで始まるんだか俺には分からないので、防御のしようがない。大学の旧館のトイレに突然引きずりこまれる側の気持ちにもなれ。軽いホラーだ。
「機嫌直してよー」
「……………」
「ねー」
身支度を整えて、というか整えられて、トイレからは脱出した。けれど、俺は未だ歩けるような状態にないので、新城に半ば引きずられるようにして空き教室に連れ込まれ、今に至る。硬い椅子と机に身体を預けて突っ伏している俺の正面に、椅子を逆さまにして腰掛けた新城がいる。旧館なので、滅多なことで人は来ない。資料置き場にされている図書室も、この教室からは離れている。取り壊しの決まっている、肝試しスポットみたいなものだ。人なんか来るはずもない。そんなことは分かっているけれど、臆面なく人の頰をつまんでくる新城を許す気にはなれず、ぷいとそっぽを向く。身体が痛い。今日は帰りに本屋に寄るつもりだったのに。今日発売の雑誌の付録でついてくるリュックが欲しかったのに。明日になって売り切れてたら、まごうことなく新城のせいだ。絶対に俺のせいではない。
「ねー、チャリで来たんだからー、中原くんがそんなんじゃ帰れないぞー」
「……うるさい」
「家まで根性出して頑張ってよー」
間延びした声。根性出せも頑張れもなにも、お前のせいでこっちはこんなんになってるんだ。ふざけんな。そう言ってやりたいのは山々だったけれど、もう口を開く余力もない。自分の腕に顔を埋めているので、新城の顔は見えない。ねーねー、としつこい新城のことを無視し続けていると、左手を取られた。指の腹をむにむにと押されて、それが嫌で手をグーにしたら、無理やり開かれた。力が強い。
「……やめろ」
「つれないなー」
「離せ……」
「さっきまでは甘えんぼだったのになー」
うるさい。もう無視することにしよう。体力が回復したらすぐ帰ろう。新城が自転車漕ぐのは決定事項だとしても、後ろに座ってられるぐらいには元気になりたい。今のままだと、途中で滑って落ちかねない。二人乗りしてる時にあんまり引っ付くと、前の新城が無駄に喜んで気持ち悪いし。黙り込んだまま腕に顔を埋めていると、左手の指を一本ずつむにむにされて、眠たくなってきた。どんどん帰るに適さないコンディションになっていく。全部新城のせいだ。しばらく一人で喋ってた新城も、いつのまにか静かになった。マッサージのように指を揉まれるのは止まらない。眠い。せめて喋っててくれたら、眠くはならないのに。空気読めよ。
「、ぅぐ」
「……ふ、いたそ」
「……うう……」
うとうとしていると、頭が腕から落ちて、机におでこをぶつけた。ごちん、と鈍い音がして、唸る。新城の薄く笑う声がして、腹が立ったので、顔はあげなかった。ここに来てからどのくらい経ったんだろう、時計すら見ていないから分からない。むかついたまま横を向けば、窓が見えた。外はすっかり真っ暗で、早く帰らないと、とぼんやり思う。大分回復してきたし、指を離してくれないだろうか。外が暗いせいで、窓に自分と新城が映って見える。俺が横を向いたことに、新城は気づいていないらしい。それどころか、目を覚ましたとすら思われていないようで、無言のままだった。ぎゅ、と中指を握られて、窓越しに新城を眺める。こっちを見ていない、目が合わないのは、レアだ。伏せ目がちに、黙ったまま、俺の指をのんびり弄っている。口角が少し上がっていて、目尻は下がっていて、どこか穏やかで、嬉しそうで。そんな顔もするんだなあ、と他人事に思った。
しばらくされるがままになっていたのだけれど、意趣返しがしたくなった。びっくりさせてやろうと思って、中指から薬指、小指へと移っていく新城の手を突然掴めば、声こそ上げなかったものの、びくりと身体が跳ねていて、声を殺して笑う。窓に映って見えてる。本人は見えてることに気づいてないみたいだけど。
「おはよ」
「……はよ」
「帰る?」
「ん」
平然と、おはよ、なんて言っちゃいるが、俺が指を掴んだ時にぎょっと肩が跳ねたのを、俺は見逃さなかった。絶対忘れてやらないからな。かっこつけやがって。
のろのろと旧校舎から出て、自転車置き場へ。ゼミだのサークルだのがいろいろあるから、まだ大学の中はちらほらと明るい。携帯を見たら7時になろうとしているところだった。腹が減った。自転車の鍵を開けて跨った新城にリュックを手渡すと、スーパー寄ろう、と肩越しに言われて、頷く。
「今日の晩飯なに」
「決めてないけど。なにがいい?」
「……肉」
「てゆか食べて帰らない?作ってると遅くなっちゃうんだけど」
「お前のせいで身体中が痛いから一刻も早く帰りたいんだけど」
「あちゃー」
すい、と危なげなく走り出す自転車。何処かからいい匂いがして、豚の生姜焼きが食べたい、と新城に告げれば、なに!?と馬鹿でかい声で聞き返された。後でいいや。大通りの信号で止まった拍子に、さっきなんか言った?と再び聞かれて、面倒になって黙った。

「そういえばお前」
「んー?」
「高校生の時、料理できないって言ってた」
「寮だったし、機会ないし、しなかったし」
「……ふーん」
家について、手早く仕上げられた夕食をつつきながら、何の気無しの話。じゃあ、どうして二人で暮らし始めるとなってすぐ、割と料理できたんだろう。俺は、実家を出るとなった段階で母に一応基礎は教えられ、しかも匙を投げられた。あんた向いてないわ、だそうで。じゃあ新城は、向いてる側の人間だったんだろうか。恵まれた話だ。なに食っても普通に美味いし。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでしたー」

ということがあったのを覚えているか、と問いかけたら、目を泳がせて、曖昧な笑顔を浮かべられた。笑って誤魔化しやがって。
「何年前の話、それ……忘れちゃったよ」
「大学、二年とか」
「よく覚えてるねえ」
絶対に忘れてないと思う。新城は俺よりも記憶力がいいし、今だってあの時と同じように、人の指を取ってむにむにとマッサージしている。今度は右手だけれど。絶対、忘れたふりをして誤魔化したいだけだ。大学二年なら、と指折り遡った新城が、片手の指を全部折って、それじゃ足りないことに気づいて、嫌そうな顔で手を下ろした。
「俺、年取った……」
「当たり前だろ」
「……中原くんはあんまし見た目変わんないのに……」
どういう意味だ。ソファーに埋もれたまま胡乱な目で見上げると、にこ、と笑いかけられた。だから笑って誤魔化すなっての。
中指から、薬指、小指。親指に戻って、飽きずに指の腹を丁寧に揉みしだかれて、あれからちょこちょこやられているので特に抵抗する気もない。そろそろ、全ての指が二周終わるだろうか。長い。飽きた。
「で?」
「ん?なにが」
「料理。できなかったんだろ」
「できなかったよ?しなかったから」
「……ほんとにできなくてあれなのか」
「うん。そお」
「練習したんじゃなくて?」
「やってみたらできた、料理人の才能があったから」
鼻高々と言われても、納得はできない。天才だから、と重ねられて鼻で笑えば、頰をつままれた。伸びるからやめろ。あの時は分からなかったが、今となれば、付き合いが長くなってきたから分かる。どうせ練習したんだろう。この男は無駄にかっこつけたがるから、恐らくは失敗作を俺に見せることすら自分に許していないのだ。凝った料理を作る前に、じいっとレシピとにらめっこしてるのは何度も見たことがある。流石に、一度作ってみて成功したものだけを俺に出しているわけではないだろうが、二人暮らしを始めた最初の頃はきっと、俺にばれないようにこそこそ練習してたに違いない。あの頃は気付かなかった。今だって、同じことをされたら気付ける自信はない。けれど、そうなんだろうなあ、と思うことはできる、ようになった、はず。
特に言うことも見当たらずぼんやりと見上げれば、あの時窓越しに見えた柔らかな視線と目が合って、むず痒くなって顔を逸らした。真っ赤っか、かわい、と降ってきた唇に左手をかざして逃げた。かわいくない、真っ赤じゃない。仮にそうだとしても、あんな目で見られたら誰だってこうなる。ついに両手を捕まえられて、万事休すだと目をぎゅうっと瞑れば、なにも起こらなかった。そろそろと瞼を開けると、にんまり楽しそうな笑み。
「……な、なんだよ……」
「んーん。変わんないなあと思って」

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