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I remember your love




悪い夢を見た日のことだった。過去のフラッシュバック。どうせなら良いことばかりを思い出させてくれればいいのに、夢で見るのはいつだって、最悪だった時のことばかりだ。
喉がいやに渇いて、全身から汗が噴き出しているのが分かった。部屋の中は真っ暗で、ざあざあと雨が降る音が響く。見開いた目は、まばたきをすることすら怖くて、浅い呼吸のまましばらく固まっていた。暑いんだか、寒いんだか、分からない。体の芯は確かに熱を持って感じるのに、皮膚はどうしようもなく冷たくて、震え出したくなる。夢だから、落ち着かなくちゃ、大丈夫だから、と頭の中では唱えているのに、身体は全く言うことを聞かずに凍り付いて、呼吸が苦しい。誰か助けてくれ、と叫ぶことすらできなかった。脳味噌の中に埋め尽くされていくのは、フラッシュバックした過去の思い出。怖い。嫌だ。苦しい。辛い。逃げ出したい。ついに呼吸が詰まって、身体が勝手に防衛反応をとって、咳き込んだ。そのまま背を丸めて、頭を抱える。自分の身を守るように丸くなっていると、自分の呼吸の音が大きく聞こえた。ひゅうひゅうと鳴る喉。寒くて、怖くて、涙が止まらなくて、何に対して怯えているのかも分からないのに、ただただ不安で仕方なくて。
「、」
暗闇に目が慣れてきたのか、自分以外の足先が見えた。辿って目線を上げて、隣で寝ていた男の存在を漸く思い出す。新城は、寝ている。手を伸ばせば捕まえられる距離だ。助けてくれと縋ろうとすれば、いとも簡単にできるだろう。一も二もなく手を伸ばしかけて、止める。寝ている、のに、こんなことで起こして、迷惑なんじゃないか。ましてや新城は忙しくて、最近撮影が立て込んでいて、家に帰ってくるのも遅くて、さっきも疲れた様子なのにそれを覆い隠して笑っていた。睡眠は大切だ。起こすべきじゃない。だから、触れるのなんて以ての外。夢は夢だ。自分でこのくらい、なんとかできる。耐え切れる。怖くなんかない。朝になるまで、一人だって待てる。
丸くなっていたおかげで外の音を遮断できていたのに、手を伸ばしてしまったせいで雨のことがまた聞こえるようになった。ただの水の音のはずなのに、それに混じって、責め立てる声が聞こえる気がする。全部自分のせいだ、人任せにして逃げるな、甘えるな、と。大丈夫。朝まで我慢できるから。両手で耳を塞いで、強く目を閉じる。這いずり回る手はもうない。ないんだから、気持ち悪くなんかない。喉の奥で嫌な味がして、無理やり飲み下して無かったことにする。大丈夫。一人でも、大丈夫だから。歯を食いしばって、呼吸だけは止めないように、楽しかったことを思い出そうと努めた。楽しかったことなんて、今まで一つもなかったように思えた。そんなはずない。そんなはずないのに、お前なんかが幸せになれるわけがないと嘲笑された気がして、声を殺して、涙で湿ったシーツに頰を擦り付けた。嫌だ。一人は嫌だ。寂しくて、怖い。でも、甘えちゃいけない。せめて邪魔にならないように、面倒だと思われないように、一人でもなんとかできるように。
「、ひ」
突然、頭の上に降ってきた手のひらに、びくりと全身が跳ねた。顔を上げることもできずに固まっていると、くしゃくしゃと髪を撫でたその手は、耳元まで降りてきて。
「……おいで。もう、いつから泣いてたの」
少し笑いを含んだ、眠たげな甘い、静かな声。ぐず、と鼻をすすって、首を横に振れば、今度こそ小さく笑う声がした。暖かい手が背中に回って、ずりずりと引き寄せられる。咄嗟に抵抗するように手を出してしまったのに、わかったわかった、と引き寄せる力の方が到底強くて、結局腕の中に収まった。とんとん、背中をさすられて、もう呼吸は苦しくない。暑くもなければ寒くもなくて、気持ち悪くもなければ、震えも止まっていた。しばらく背中をさすっていた手が止まって、首の後ろを擽られる。身を捩れば、可笑しそうな吐息。
「どしたの」
「……ね、ぼけてた、だけ」
「死にそうだったけど。ぜーぜーしちゃって」
「……………」
「服、びしょびしょだけど?」
それはきっと汗だ。冷えたら風邪ひくよ、と付け足されたけれど、何も言い返せなくて黙り込む。助けてくれてありがとうとか、悪い夢を見て怖かったとか、素直に言えたらいいのに。同じく汗で濡れているであろう髪の毛を指で梳いた新城が、まあいっか、と俺を抱え直した。
「よーしよし」
「……やめろ……」
「寝かしつけてあげましょうねー」
「ゃ、やめろ、ってばっ」
するする服の中に入ってきた手は、冗談だよ、とすぐに抜けていった。焦って声を上げたのが馬鹿みたいだ。後頭部をそっと押されて、新城の胸に頭をつける。規則的な、心臓の音。目線だけで見上げたけれど、新城がどこを向いているのかは暗がりでわからなくて、急に怖くなった。身動いだ俺に、不思議そうな声。
「ん、どした」
「……ぁ、や、かお……」
「顔?あるけど」
あることは知ってる。そのはずなのに、手を取られて、頰まで誘導されて、少し安心した。頰から辿って、唇も、鼻も、耳も、目も。ちゃんとある。ここにいる。暗くてぼんやりとしか見えない分ぺたぺたと手を這わせる俺に、くすぐったいよ、と笑った新城は、同じように自分の手を俺の頰に当てた。やらかい、と小さく漏れた声と、反対側の手でまた引き寄せられて、再び距離がゼロになる。暖かかった。それに付随して、眠たくなってきた。さっきまでは、あんなに怖かったのに。朝まで、我慢するつもりだったのに。この暖かさの中で眠ってしまえば、きっと朝なんてあっという間で、怖いことなんて何一つない。また一つ涙が溢れて、くっついているせいで多分新城の服に染みて、きっと気づかれただろうけど、何も言われなかった。
「次からは、泣いちゃう前にちゃんと俺のこと起こすんだよ」
「……………」
「そうじゃないと、中原くんが泣いてるとこ、俺が見れないでしょ」
その理由は、嘘っぱちだ。とくとくと脈打つ音を聞きながら、見え透いた嘘に対してなにかしてやりたくて、握り拳で胸板を叩けば、くつくつと笑われた。俺の髪の毛に鼻を埋めて、いいにおいー、とかふざけはじめたのは放って、目を閉じる。
ごめんなさいもありがとうも、言えなかった。


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