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I remember your love




体育の授業が時間割の変更で今日になったことを、俺は知っていたはずだった。明日だったはずが、今日。ちゃんとホームルームで聞いた。なのになんだって体操着を忘れたかな。言い訳じゃない、ほんとに聞いてた。
しかも運が悪いことに、クラス合同授業の日だった。よって、隣のクラスに体操着を借りることもできない。体調不良その他、のっぴきならない理由以外での見学は、後でレポートを出さなきゃいけない。そのレポートが面倒なわけで。
「……………」
「あーあ。中原レポート決定ー」
「……うう」
茶化されたものの、レポートが面倒なことなんてみんな知ってるわけで、最終的には気を遣ってくれたのか、部活の後輩に聞いてきてやろうか?と親切な友人が言ってくれたけれど、そこまで迷惑をかけることでもない。忘れ物をしたのは自分だ。別の友人にも、貸してやりたいが部活用のジャージしかない、と言われ、首を振った。半袖体操着、もしくは指定の長袖ジャージ以外での参加は不許可だ。部活のウインドブレーカーがいくら動きやすかろうと、それで体育の授業に参加はできない。
「いいよ。見てる」
「今日選択なのになー」
「残念」
「んー……」
運動が得意でもないので、特に残念でもない。みんなが楽しみにしている選択競技の日だからって、特に俺は心踊らない。…とは、そこまで仲良くもない友人たちには言えなくて。見学って先生に言いに行ってくる、と教室を出て、更衣室へ向かう友達と別れた。確かに記憶にあっただけに、完全にミスでしかない忘れ物は多少凹むが、仕方ない。ないもんはない。
「んお。中原くん、なにしてるの?授業遅れるよ」
「……げえ……」
「あ!もしかして愛しのいずるんレーダー?ヒュー!」
全然ヒューじゃない。職員室まで後一歩というところで、新城に捕まった。なんでこんなところにいるんだ。タイミングが悪い。新城も例外ではなく着替えたところらしく、ジャージ姿だった。今日はまだ肌寒いので、体操服の上に長袖を羽織るぐらいでちょうどいいはずだ。多分みんなそうする。俺だって体操服があったらそうした。今はないけど。
「着替えないの?」
「……忘れたから見学」
「えー。早く言いなよ。はい」
もそもそジャージを脱いだ新城が、あっけらかんと手渡してきた。それじゃ、お前、半袖になっちゃうだろ。まだ寒いのに、風邪引くぞ。そう言いたかったけれど、喉がつかえて声が出ない。ようやっと振り絞った言葉は。
「……下もないから出られない」
「あー、そっか。俺ロッカーにハーフパンツ置いてある。着替えてくるから、長いの着な?」
「ぇ、や、そ、こまでしなくて、別に見学で」
「レポートだるいじゃん。どこまで真面目なら気がすむのさ」
ぐ、と手を引かれて、遅れちゃうからと小走りに連れられて、新城のクラスに逆戻りした。誰もいない教室で、自分のロッカーからハーフパンツを取り出した新城は、ちょっと待って、と臆面なく下を脱ぎ出したので、おろおろと扉を閉めに向かう。
「別にパンツ履いてるから見られても困んないよ」
「め、迷惑だろ、見ちゃった人に!」
「失礼くない?」
からからと笑って放られたジャージ。長袖と長ズボン。季節に似合わず、新城は半袖ハーパンである。まだ生ぬるいジャージを握って、借りれない、悪いから、と口ではいうものの、早く着替えてこなくちゃと再び手を引かれて更衣室まで連れてこられて、時間がないのも確かで。
「いい、返す、俺、ほんと見学でいい」
「えー。中原くんがウォーミングアップでへばるとこ見るの楽しみだったから体育休まないでほしい。はい、早く着替えて」
「でも」
「俺まで遅刻しちゃうでしょ!」

「あれ。中原、ジャージ」
「……新城の」
「え?あ。ほんとだ、半袖」
元気なー、と笑う友人に合わせて笑った。けれど、授業が始まる直前ぎりぎり、滑り込みで間に合った時、さむ、と身を震わす声が聞こえてしまったので、出来ることなら早く返したい。新城はバスケの方にいて、俺はバドミントンの方にいる。ウォーミングアップでへばる、と新城には言われたが、流石にそこまでではない。ちょっとぜえぜえするぐらいだ。運動部みたいには動けない、けど、がんばれる。見られているのでは、と引っかかって目線で新城をつい探してしまって、にんまり笑った顔とばっちり目があった。くそ。だぼつく袖を捲りながら、時計を何度も何度も見て、ようやっと授業が終わって、昼休みになって。
「はー。さぶかった」
「……ご、めん、なさい」
「んー?言葉より身体で返してもらおうかー」
お昼ご飯を一緒に食べよう、と、いつもなら新城が俺を引きずって教室を出て行く。今日は、それよりも早く俺の方から新城のクラスを訪れたから、目を丸くされた。いつも通り人がいない裏庭。つつくお弁当箱の中身はいまいち減らなくて、たどたどしく謝った声は、わざと軽くされて空気に溶けた。サンドイッチを大口で頬張った新城が、からからと笑う。
「いいじゃん。レポート書かずに済んだし、俺もバスケやってて途中から暑かったし」
「……………」
「中原くんが着たジャージをそのまま返してくれるのが報酬で全然いいからさー。洗いに持って帰るとか無しだかんね」
「……風邪」
「引かない!」
しつこい!と額を弾かれて、俯いていた顔が強制的に上がった。なんの下心もなく本心から貸してくれたことも、俺の気が引けないようにわざとふざけていることも、なんとなくわかっていて、わかっているから素直に受け取れなかった。ぐ、と熱くなった鼻頭に、にんまりと新城が笑う。
「泣いちゃうほど痛かった?大サービスだねえ」
「……お前が、次忘れ物したら、俺が貸す」
「えー。中原くんの体操服なんか入んないよ。遠慮します」
「わ、忘れ物じゃなくても、困ってる時」
「そんな先の話じゃなくてもっと即物的にお礼してくんない?」

それからしばらくして。授業変更、再び。今回はちゃんと覚えていて、体操着も忘れずに持ってきた。ただし、友人が忘れた。
「あー……やっちゃったー……」
「今日なんだっけ」
「長距離走」
「レポート一番だるいやつじゃん」
見学は嫌だから誰かに借りてくるかー、と友人が教室を出て行く。着替えのついでに連れられて、隣のクラスへ。こっちは俺たちの次に体育の授業が入っているので、体操着自体は必ず持ってきているはずだ。長距離走の後で汗だくになることが予想されていて、それでも貸してくれるかどうかはさておき。
「みんなケチだな!」
「うーん……」
結果、予想通りの連戦連敗。次の時間に体育の授業があるからちょっと、と声をかけた全員に口を揃えられては断られる友人を見て、少し気の毒になったのは確かだった。そろそろ更衣室に行かないと、遅刻になってしまう。そんなこと友人も分かっていて、誰でもいいから誰か!と頼み込んでいる。誰も貸してくれなさそうだけど、と内心で思って、
「うあ」
「なっかはっらくんっ」
「……し……」
びっくりしすぎて声も出なかった。し?と指を4本立てて小首を傾げられて、無理やり振り払う。後ろから急に飛びついてくるな。俺よりでかいくせして。転んじゃうところだったじゃないか。
「なにしてんの?会いにきてくれたの?」
「誰に」
「俺に」
「馬鹿」
「じゃあ何しにきたのさ。友達いないくせに」
「……体操着を借りに」
「えー、また忘れちゃったの?もー、ドジっ子ちゃん」
「俺じゃない……」
「あ!新城!半袖で平気な人ならジャージ貸してくれるだろ!」
「ええ?」
へらりへらりと話を聞いている新城に、これで友人も見学とレポートの憂き目に遭うことは無さそうだし、自分も遅刻せずに済む、と胸をなで下ろす。新城が言葉を続けるまでの数秒だったが。
「え、やだ。俺も次体育あるし」
「こないだ中原には貸してたろ!」
「こないだはこないだ、今日は今日でしょ。今日はやだ」
「そこをなんとか!」
「無理」
当然のように笑顔でお断りした新城は、思い出したように、長距離走の後はちょっとねえ?と付け加えた。取ってつけた理由だ、とぼんやり思う。もしこれで、借りに来たのが俺だったなら、一も二もなく貸してくれたんだろうなあ、とも。
以上。別に、嬉しかったわけじゃない。惚気話でもなんでもない。ただ、こういうことがありましたよ、という話だ。


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