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おはなし




「つかれた」
「お、おつかれ……」
明日は大学は休み。伏見は今日一日バイト漬けだったらしく、夜10時頃になってうちに来た。来るとは言われていたので夜ご飯は用意してあって、でも父は短期出張で昨日からいなくて、母は俺と伏見の分のご飯を作ったら自分はお友だちと温泉に入って美味しい鍋を食べに行くのだとうきうきで出て行って、兄は知らないけど多分彼女のところだ。俺以外全員いない家に伏見が来た、というわけで。まあ別に珍しい話でもないんだけれど。
思ったよりも寒かった、疲れた、なんて文句をご飯をあっためてる間ぶーぶーに垂れてた伏見は、それでも食べ始めたら静かになった。もそもそ白米を頬張っている伏見がハムスターに見えてきて、正面で見ながらにこにこしてたら、眉をひそめられた。ごちそうさまでした、に続けて、お風呂、と付け足されて、言われた通りにお風呂を沸かしに行く。俺はさっきシャワーで済ませてしまった。伏見が言う通り、確かに今日は少し肌寒くて、濡れそぼったまま脱衣所でくしゃみをしたのが記憶に新しい。湯船に浸かっておけばよかった、と今更思ったり。
リビングに戻ってみれば、伏見はどこからか見つけ出したらしい棒のアイスを食べてた。兄ちゃんのだったら怒られるぞ、と思ったけど、伏見は怒られないか。俺だったら怒られるのになあ。えこひいきだ。アイスを食べ終わって、お風呂が沸きました、の電子音の後すぐ、俺の部屋に引っ込んだ伏見はスウェットを持って行った。あれもしかして俺のじゃない?ベッドの上に放り出しておいた今朝まで着てたやつ。洗濯に出すのをすっかり忘れていた。一応、伏見の部屋着が俺の部屋にないわけでもない。のにも関わらず、洗ってある綺麗な方のを出さない辺り、ほんとに疲れてるっぽい。これでいいや、って思ったんだろう。
「お風呂で寝ないでねー」
「んー」
一応声をかけたけれど、返事に覇気はない。うるせえ馬鹿ぐらい言われるかと思ったけど。もうこんな時間だし、リビングに戻ってくることはないだろうと、俺も自分の部屋に引っ込む。ベッドの上でごろごろしながら漫画を読んでたら、伏見がお風呂から上がってきて、なにやらうろうろしてる音。多分台所、お茶でも飲んでるのかな。ぺたぺたと足音がして、扉が開く。
「あ。髪の毛濡れたまま」
「……………」
あからさまに嫌そうな顔。うるせー、って書いてある。言われないだけマシか。ベッドの方に直進してきたから、眠たいのかと思って体を起こすと、舌打ちされた。動くなってこと?
「……あの……」
「寒い」
「はい……」
足を伸ばして座っている俺の上に、伏見が乗ってきた。俺の胸板に背中をつける形で、椅子代わり、って感じ。寒い日によくあるやつ、湯たんぽがわりになれという意味のやつ、伏見は自分で体温調整すんの下手だから。そんなことは分かっちゃいるけど、お風呂上がりでいい匂いがして、家には誰もいなくって、髪の毛がまだちょっと湿ってて、落ちないようになのか体重を預けて凭れかかられてて、明日はお休みで、時間もいい時間で、ってなると、話が変わってくる。だって本気で眠たいなら多分、向かい合わせになるようにしてくるか、俺を横たえて自分と一緒に布団を被るか、俺をベッドから蹴落とすはず。一番最後のが一番あり得る。これはただの経験論だ。だからこう、これは、もしや、オッケーですよってこと、では?疲れてて口に出したくないだけで、どうぞめしあがれってことなのでは?だって、うちに誰もいないことなんか伏見も知ってるわけだし、誰もいなくてお泊りなんだから、そりゃあそういうことになるんじゃないかと思うんだけども、俺は!
俺に寄っかかってる伏見の身体にそろそろと手を這わす。ぶかぶかの服。緩い隙間から手を入れたくなったけれど、我慢して布越しに手のひらを滑らせる。太腿に手を当てても、何も言われなかった。じわじわと弄りながら、上半身に手を持っていく。肩を抱きすくめて、ぎゅっとしてみる。何も言われなかった。嫌だったり駄目だったりしたら、殴られるはず。無言で寄っ掛かりっぱなしなので、もう全然抵抗の意思はないと取っていいだろう。やったぜ。やらかいお腹周りに片手をさわさわしてみる。伏見はまだ何も言わない。いいんだろうか。自分の心臓の音がどきどきして、ごくりと生唾飲み込んでから言葉を漏らす。
「ふ、ふしみ……あの、さ、あの……」
「……………」
「……伏見?」
こてん。そんな擬音が聞こえてきそうだった。首筋に寄り添っていた伏見の頭が、肩口にずり落ちる。すう、と寝息が聞こえて、伏見の瞼は降りていた。寝たふりかな、と伏見の手にそおっと手を重ねて握ってみたけれど、むにゃともふにゃとも言わなかった。えっ、ガチ寝?
「ふしみ……」
「……………」
「えっ、ちなこと、しちゃうぞ……」
「……………」
しどろもどろな自分の声だけが虚しく響いた。寝たふりならまだしも、本気で寝るなんて珍しい。それだけ疲れていたということなのか、もう目を覚ますつもりのない寝たふりで乗り切ろうとしているのか、までは分からないけど。後者の場合は寝たふりだけれど、絶対に目を開けないんだからもうそれは就寝と何の変わりもないと思う。試しにぺたぺたと、さっきよりもだいぶ大胆に身体を触ったけれど、嫌そうな声も上げなかった。熟睡だとしたらレアだ。
というか、伏見が俺よりも早く眠りにつくという状況がそもそもあまりないし、ましてや腕の中や膝の上なんて、少し前だったら絶対に有り得なかった。少し肌寒い日に暖房代わりとして使われるようになったのも、一年くらい前からの話で、それより前はそれこそ、そういうことをしない限りは、お前は床で寝ろ、と無慈悲に切り捨てられることの方が多かったりもして。くうくうと毒のない寝息を立てている伏見の顔を覗き込んで、なんだかちょっと気恥ずかしかった。なんていうか、今まで手を引っ掻いていたペットがはじめてその傷を舐めてくれた気分というか。夢みたいだ。伏見ともこんな風になれるんだなあ、とか。眠りが浅いことなんてお互い重々承知で、それでも俺の近くですやすや眠ってくれるんだなあ、とか。
横にしたら起きてしまうかもしれない。手を伸ばして電気のリモコンを手繰り寄せ、少しだけ暗くする。そっと自分の背を壁につけて、握った伏見の手をなんとなく撫でた。俺よりも小さい手。お腹とか二の腕とか太腿とかはやわらかいのに、手はあんまりやわらかくないのだ。頑張り屋さんの手なので、なにが原因かはもう分からないけれど、いくつか固くなったところがある。指先なんかは、時々ささくれていたりもする。冬場はハンドクリームを塗るぐらいまめなのに、どうしてこうなんだ、と本人もぼやいていた。左手のひらにあるいくつかの皮の固まりは、きっと弓道のせいだと思う。皮が擦り剥けて血が滲むまで努力して、それでもまだ足りないと貪欲に求めてきたから。筋張っているわけでもなく、男らしい手とは言い難いかもしれない、伏見の手。俺は好きだ。見た目よりも、触った方が好き。伏見ががんばってきた今までを、全部物語ってくれるようで。
それからしばらく。やばいぞ、足が痺れてきたぞ、とぼんやり思いはじめた頃。引っ張り寄せた布団を中途半端にかけたまま、俺も暖かさにうとうとして、伏見が身動いだので起きた。ううん、と低く唸る声に、横になるなら今だろうなあ、と抱き寄せた身体ごと寝そべれば、座りが悪かったのか手の甲を抓られた。普通にすごく痛い。そのまま体勢を調節した伏見が、俺の手をシートベルトのように自分の身体に回させて、満足したのかまた無言になった。この間、一度も目を開けていない。相当疲れている。布団だけかけ直してあげよう。
「……伏見?」
「……………」
返事無し。目も開けない辺りで、なんとなくわかってはいたけれど。俺に背中を預けていた伏見をそのまま抱き込んで横になったので、俺の鼻先にちょうど伏見の後頭部が来ていて、鼻がむずむずする。今くしゃみしたら後で絶対怒られるよな。我慢しよう。

ふと目が覚めたら、外は薄明るくなっていて、目覚ましの表示は朝5時。二人分の体温で布団の中はぽっかぽかにぬくまってて、寝てたせいもあるけど、外には出たくなかった。もうすぐ夏が来るから暑くなるはずだけれど、季節の変わり目の中途半端な気候じゃ、まだ少し涼しい日も多くて。朝方なんて、尚更。
「……んお」
伏見がまだ腕の中にいた。俺が寝ている間に体制をまた変えたのか、向かい合わせで丸くなっている。すうすうと寝息が聞こえて、背中が薄く揺れる。長くてくるんとしてる睫毛と、傷みの無い真っ黒な髪。少し開いた唇。まるい頰。じっと見ていても起きないのは珍しい。伏見は眠りが浅い上に敏感だから、少し動いただけとか、見つめられてる気配とかで、目を覚ますことが多いので。まあ、俺が先に起きるのも珍しいんだけど。
下敷きになっている方の腕は、残念ながらもう全く感覚がない。痺れに痺れている。俺ももう眠たくもなくなってしまった。変に早い時間に意識が覚醒してしまうと、時々こうなる。二度寝する気もない、というか。くうくうと寝ている伏見をぼんやりと見下ろしながら、外の音に耳を澄ませる。なんだろう、車の音じゃないなあ、とぼんやり思って、しばらく考えて、雨に行き着いた。というか、なんで思いつかなかったんだ。どう考えてもしとしと鳴ってる。今日は一日雨なのか、それとも今だけなのか、どんな天気予報だったかな。よく覚えていない、というか、そもそも天気予報なんか見ちゃいなかった。伏見は傘を持っているのだろうか。痺れていない方の手を持ち上げて、なんとはなしに頰をなぞる。少し眉が寄って、嫌そうな荒い息を吐かれた。ごめんて。申し訳なくなって頰から手を離せば、数回寝息を立てて、寄った眉がゆるんだ。良かった。
「……………」
いやしかし、本当に顔がかわいいな。黙ってれば無害、と色んな人に言われるだけのことはあるし、外面をかぶって人当たり良いふりをしていれば100%騙される。それはもう仕方ない、この顔だもの、にこにこしてればそりゃあ騙されるわ。ほっぺとかやらかいし。髪の毛とかふわふわだし。改めて言うことでもないけれど、顔がかわいい。なんなんだろうな。初対面から男だと知っていたから、最初っから俺には伏見のことは男にしか見えないけれど、写真で見て女の子だと思われていたことも多々あると本人が言っていたっけ。この面で静止画じゃ、文句は言えない気もする。しかも写真じゃ、伏見は大概の場合かわいい決め顔でピースだし。本人もそれを分かってて利用している節はあるし。
ぼおっと伏見の寝顔を見つめていると、ほんの少し身じろいだ伏見から、へぷちっ、と変な音がした。次いで、しぱしぱと目が開く。今のもしかしてくしゃみ?超可愛いんだけど。意識がある時のくしゃみより何倍も可愛かったんだけど。猫のくしゃみみたいで。
「……………」
「……おはよ」
「……………」
起きようとして起きたわけでもなく、寝ぼけているらしい。ので、当然返事もない。うと、と閉じかけた目が、なんとか開いて、また閉じかけて。人の腕の中でこれだけ眠っているのも、こんなに寝ぼけてるのも珍しい。余程疲れていたんだろうか。ぐりぐり頭を押し付けられて、一度閉じた目が、ゆっくり開いた。
「……伏見?」
「……………」
「お、おはよう……」
「……………」
「……あの……」
「……………」
とろんとした目のまま、のろのろと状況確認をしていた伏見が、ようやくこっちを見た。ばちりと視線が合って、真っ黒な瞳に俺が映る。ゆっくりしたまばたきが二回。小さく口が開かれて。
「……なにした?」
「は、え、っ」
「なにした?」
「……なに、て……」
「覚えてないんだけど。なにした?」
「……な、なんにも……」
「は?」
「ほ、ほんとです、ほんとに、なんにもしてない、です……」
「嘘こけ」
とは、言ったものの、普通に熟睡していただけなので、なにかされた形跡が残っているわけもなく。もそもそと自分の体や辺りを確認していた伏見が、呆れた顔で再び目を上げた。溜め息と共に。
「ヘタレ」
「なっ、んで、そんなこと言われなきゃなんないんだよ!」
「据え膳。クソ犬」
「だって、伏見ほんとに疲れてたみたいだったから、そんなのだめだって、それに寝ちゃってたしっ」
「ほんとに疲れてたから誘いもしなかったのに、マジでそのまま寝るとか。はー、甲斐性無し。おやすみ」
「ねえ!」
「うるさい」
背中を向けられてしまったので、もうなにも言い返せない。じゃあなにか、ほんとにあそこで我慢しないで襲ってたら良かったのか、そんなことしたら後で怒るくせに、でも今回に限ってはそれでも許されてたってことなんだろうか。分かるわけないだろ、そんなの!言い返せない代わりに後ろから無理やり抱き寄せたら、舌打ちが返ってきた。続けざまに、今更遅い、と低く吐き捨てられて、泣きそう。
「……いい時はいいって言ってよお……」
「眠い」



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