このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

おはなし





町田くんがご飯を食べに来た。そのこと自体は珍しくも何ともない。うまかったっす!ごちそうさんでした!と手を合わせた彼は、お皿をしっかり下げてくれて、しかし我が物顔でソファーに座ってテレビを見ているので、不躾なんだから寛いでいるんだか微妙なラインである。同じくソファーに座って、いやソファーには座ってないな、床に座ってぶちちゃんを撫でながらソファーを背もたれにしてクッションを抱いている中原くんが、首を反らせて町田くんを見上げた。
「町田」
「なんすか?」
「お前友達いなくなったの」
「はい?」
「俺たち以外に友達いなくなったの?」
「……はい?」
きょと、と不思議そうな顔の町田くんが中原くんを見ている。中原くんはかわいそうなものを見る目をしている。なにがあったらこうなるんだ。
中原くんの話をよくよく聞いてみれば、町田は友達が多い方だと思っていたが自分たちが呼ぶと仕事でない限りすぐに来る、友達と遊んでるからとかこれから遊びに行く予定があるからとかで断られた試しがない、よってお前実は友達少ないんじゃないのか、むしろいないんじゃないのか、と不安になったそうで。町田くんの顔にくっきり「あんたにだけは言われたくねえ」と書いてある。
「いるすよ、友達。失礼ですね」
「本当か……?安心させるための嘘ならやめた方がいいぞ……」
「んー、こないだも飲みに行きました。星川、あー、高校が一緒で、星川淀。ほら」
「……おお」
「俺にも見して」
「はい、どうぞ」
星川くん、俺も共演したことあんまりない。俳優業はただの二足目の草鞋で、本業は歌手だ。だるそうな態度と派手な色の組み合わせで入ってるメッシュ。若い子からの人気は絶大だと聞いたけど、町田くんと同世代か。ほんとだあ、この人知ってる。と間延びした声をあげた中原くんが、スマホをスワイプして写真を送っていく。二人の自撮りとか、なぜか真剣な顔で割り箸が入ってた袋を折っている星川くんの写真とか。仲良しじゃん。
「あだ名とかで呼ぶの?」
「ほっしーって呼ぶとキレます」
「うわ……このローテンションな子キレさせたい……」
「今度新城さんも来ます?月一ぐらいで飲むんすよ」
「えー、お邪魔だよ、若い子二人に俺って」
「まあ邪魔すけど」
「君最近俺に対する遠慮を忘れてるよな?」
「これも友達?」
なんの遠慮もなくすいすいと進んでいった中原くんが、俺に見えるように画面を傾けた。高尾めいりちゃんだっけ。ぱちぱちの目に明るい茶髪のカール。学生!って感じの、ギャル系なのに女子からも男子からも人気が高くて受けがいい子。共演経験は?と聞かれて、ドラマで一回だけ、と答えた。彼女は高校生役だった。俺は棋士。詳細は省く。町田くんと二人でカメラにピースサインを向けている自撮りに、なんでもないことのように町田くんが言った。
「めーちゃん、同い年なんすよ」
「嘘」
「嘘!」
「同い年すよ!」
「この子もっと若いでしょ!」
「童顔なんすよめーちゃんは!俺とタメ!」
「絶対嘘だ」
「まだ成人してないと思ってたのに!」
「それか町田がサバ読んでる」
「それだ。中原くん天才」
「うるせえジジイども」
「ジジイじゃありませんー、失礼ですー」
その言い方がおっさんだと言われて仕舞えば、正真正銘若い子の町田くんに俺から言い返せる言葉はない。テレビで流れているチョコレートのCMを指差して、もうすぐバレンタインデーっすよ、と町田くんが目を輝かせた。切り替え早くない?
「新城さんお仕事すか?」
「ううん、オフ。あ!環生くんにお願いがあるんだった!」
「……新城さんが環生呼びする時ってロクなことないんすよ……」
「3Pさせられたりな」
「掘り返せとは言ってねえんすけど」
「バレンタインデーさあ、せっかくオフだから中原くんにとびっきりのチョコ作りたいの。ちょっと中原くん連れてどっかお散歩してきて」
「俺の不満聞いてました?」
「町田は仕事あるんじゃねえの」
「……13まで大分にいますけど14はオフっすね……」
「試しに断ってみろよ」
「後が怖いんで嫌です」
そのひそひそ話、全部聞こえてるんですけど。

次の日。
「ほ……!」
ほっしー!と叫びそうになって、自分の口を自分で塞ぐ。あからさまに不審な動きをした俺を見て、武蔵ちゃんが胡乱げな目を向けてきた。すいません。いやでも、つい昨日噂に聞いたばかりのほっしー、もとい、星川淀くんではないですか。現在地はテレビ局廊下で、控え室が並ぶそこは、スタッフも演者もマネージャーさんも行き交う道なので、流石にここで素を露出するわけにはいかない。新城出流は落ち着いた大人の役者なのである。
「……はよざいます」
「おはようございます」
「……よろしくお願いします」
ぼそぼそ、と目を逸らし気味に挨拶してきた星川くんは、俺の返事も待たずにそそくさと通り過ぎていった。今日は、彼が特集される音楽番組で、俺は番宣でそこに出させてもらう。今やってるドラマの主題歌だからね。いやあ、あれで町田くんと仲良いんだよね。振り回されてるんじゃない?星川くん、陰か陽かって言われたら確実に陰側でしょ。町田くんは完全に陽だ。高校の同級生ねえ、と思いながら、なんとなく振り向く。目が合うとは思っていなかったので、ちょっとびっくりした。
「……………」
軽く会釈をして、今度こそ行ってしまったけれど。じっと見られていたんだろうか。視線の類には敏感な方のはずなのに、気づかなかった。町田くん、何か言ったのかな。それで俺、見られてた?よく分かんないけど。分かんないから武蔵ちゃんに聞いてみよう。
「星川くんってどんな人?」
「男です」
見りゃ分かるわ、この男嫌いが。

2月14日。バレンタインデーである。久しぶりのオフ。ねむねむの目を擦って起きてきた中原くんが、うとうとしながら朝ごはんを食べるのを見る最高の時間を過ごすうちに、町田くんから連絡が来た。いつ行けばいいすか、だって。いますぐでもいいよ、と返事をしたら、本当にすぐ来た。冗談のつもりだったのに。
「今朝早起きしちゃって」
「せっかくのオフなのに?」
「走り込みしたかったんで。今度アクションやるんすよ」
「真面目ー」
「役のために体改造すんのあんたの受け売りですけどね」
中原くんが身支度を終えて、町田くんと一緒に家を出て行く。どこに行くとかなにをするとか一切話してないらしく、でも中原くんは疑いもせずついていくので、町田くんに対する信頼が如実に表れていて、じゃれ合いを見ているようで癒されるというか、俺でない相手に腹を見せることに対する嫉妬を感じるというか。
さて。実を言うと、お菓子づくりは滅多にしない。あまり得意ではないからだ。なんか、料理よりも繊細な気がして、後から味が足りないからこれ足しちゃえとかできないじゃない?だからあまりやらない。けど、大学生の時に市販のキットで作ったフォンダンショコラを中原くんがやたら美味い美味いと絶賛してくれたので、バレンタインデーは極力手作りにするようにしている。そりゃ売ってるお高いチョコの方が美味しいなんて知ってるけど、売ってるお高いチョコはバレンタイン以外の時に買ってきてあげるから。
去年はケーキだったから、今年は生チョコ。簡単だろうと挑戦して思いっきり失敗した記憶があるので、レシピはよく覚えてる。苦い思い出だ。市販品には負けることくらい分かってるから、せめて用意した材料は高級なものを揃えてみた。失敗したらまた買えばいいし。
まず生クリームを温めて、製菓用のチョコを溶かしていく。温度計で測りながら慎重に。この温度計をくれたのは、仕事で知り合ったパティシエールさんだった。完全に気を持たれているのは知っていたけど、その好意につけこんで、技術と知識と道具だけ奪って、適当になあなあに付き合いを終わらせたっけ。浮気未満、中原くんはその人の存在も知らない。そうやって、俺の中原くんへの思いの踏み台になった人は、この世界に相当数いる。40度以上になったら、バターを細かく切って加える。ヘラで混ぜて溶かして、ブランデーを少し。甘ったるい匂いが立ち込めて、中原くんの喜ぶ顔が眼に浮かぶ。楽しみだなあ。型に溶かしたチョコを流し入れて冷やす。切れるくらいに固まるまでは、触らないで待つ。甘い匂いに酔いそうで、窓を開けた。寒い。そういえば、先週雪が降ったっけ。中原くんが、積もらなかった、ゆきだるまが作りたかった、ってぼやいてた。都会っ子なので、雪への憧れはお互いそれなりにある。そういえば町田くんは雪が嫌いらしい、理由は知らないけど。
町田くんと中原くん、なにしてんのかな。自分で送り出したくせに、ちょっと寂しくなるのでした。



「どこ行くんだよ」
「俺の友達の店っす」
「なんの?」
「服屋」
「へえ……」
人通りが多い。あまり外に出ない生活を送っているので、というか、一人で外出したくないので、他人がたくさんいる様を見ること自体が今の俺には珍しくて、助手席からぼおっと窓の外を見る。あ、電車。運転席の町田は、こっちを見ないままぺらぺらと愚にもつかない話をしていた。俺が行くところって言ったら、マンションの下のコンビニぐらいだし。町田の声に、へえ、ほお、はあ、と相槌を打ちながら聞き流して、いる途中。
「んで、そこのロールアイスがうまくて、今日食べに行くんすけど」
「あ?」
「え?」
「……全然聞いてなかった」
「だから!どっか海外から日本に出店したばっかのロールアイス屋さんがあって!そこに行くんすよ!」
「服屋は?」
「行きますよ」
「……お前、仮にも有名人だろ。うろうろしちゃまずいんじゃないのか」
「有名人でもなんでも休みの日ぐらい友達と街を散策して楽しんだっていいじゃないすか」
そりゃあご尤もなのだけれど。新城もそうなのだけれど、町田も、あんまり人に見られることを躊躇しないらしい。身近に存在するようになるまでは、有名人ってもっとこそこそしてるもんだと思ってた。電車は流石にあんま乗らないけどねー、と二人が口を揃えていたのは覚えているけど、買い物とか普通に行くし、かと思えば花火大会は足が引けていたりして、しかし特に個室対応とかではない普通のレストランには行く。あまりにも人がたくさん集まりすぎていなければ大丈夫なのだろうか。そんなことを考えている間に、車が止まった。
「つきましたー」
「おう」
「店に駐車場ないんで。5分ぐらい歩きます」
「道案内しろよ」
「はあい」
サングラスと帽子を被った町田が、車の鍵をかけて歩き出す。一応は変装ということなのだろうが、サングラスは薄いブラウンだから顔丸出しだし、キャップも浅めに被ってるから顔は丸出しだ。こいつ変装する気あるのか?新城の方がもうちょっとまともに顔を隠そうとしてる。ほら、案の定、曲がり角の先から対向側を歩いてきた女の子二人組が、どう見ても町田を見てこそこそしている。あ、手ぇ振りやがった。きゃっきゃされている。
「だいじょぶすよー、声かけてくる女の子って少ないし。男の方が声かけてきますね」
「でもあの子達ずっと見てるぞ……」
「安心してください、俺がかっこいいからですよ」
「自分で言うか、普通」
しかもなにが「安心してください」だ。どうせ俺はちんちくりんだよ。
駐車場から一本道を入って、車一台分の裏路地を抜けて、ちょっとひらけた道。雑居ビルの階段を降りた町田が、金色のドアノブを捻って真っ黒な扉を開けた。一階はカレー屋さんだったみたいだけど、ここには看板とか出てない。からからと軽い音を立てる呼び鈴と、扉が開いた途端中から流れてきた音楽。町田が扉を押さえててくれて、店の中に入ると、たしかに服屋だった。しかも、思ったより広い。店の一番奥のレジにいた女の人が、町田を見て、ぱっと頰を綻ばせる。知り合いっぽい。
「ちーす!めーくんいます?」
「こんにちはー。オーナー呼んできますね」
「おーなー?」
「友達なんすよ、このブランド立ち上げたデザイナーで、あ、めーくん」
「やかまし」
ひょろ長い男が出てきた。町田よりでかい。多分新城よりもでかい。中野さんぐらいか、でも彼は細くないので、今目の前にいる町田の友達の方がひょろひょろと長く見える。となると俺からは見上げる以外の方法はないわけで、町田の後ろに隠れるように立っていると、当然見下ろされた。威圧感がすごい。
「誰?淀縮んだ?」
「んなわけねーでしょ、俺の連れです」
「彼女?」
「女に見えます?」
「見えねえけど、もしかしたら女かもしれねーのかなー、そしたら安易な扱いはこのご時世よくねえなー、と思って聞いた」
「中原さん、この人、高尾めいし。俺の友達です」
「は、はじめまして……」
「はじめましてー。以後よろしゅう」
にこー、と笑われたけど、あんまり歓迎されてない感がすごい。人見知り!威圧しない!と町田が怒っている。いやこれ、俺が嫌われてるだけなんじゃ。立ち話もなんだから、と奥に案内されて、試着室らしき扉の隣にあるイスに座る。アンティークっぽいテーブルとイスだ。レジにいた女の子が、あったかい紅茶を持ってきてくれた。そうだ、と手を打った町田が、高尾さんを指して言った。
「こないだ話した、めいりちゃんのお兄さんです」
「……めいり……?」
「中原さん、記憶なくなりました?」
「おー、いいじゃん、めいりのこと知らねー客久しぶり。俺あんたのこと好き」
が、と肩を組まれて、危うくカップをとり落すところだった。めいり、めいり、ああ、思い出した、こないだ写真を見た女優。町田と同い年だとかいう。新城が出てたやつに出てた覚えはあるけど、顔は覚えてたものの名前は覚えてなかった。その女優の兄、らしい、高尾めいし。よく考えたら名前がほぼ同じだが、顔はあまり似ていない、と不躾にじろじろ見ていると、さっきより格段に愛想が良くなったにっこり顔を向けられた。
「似てねーべ?めいり、すっぴんは俺と同じ顔」
「……嘘だ……」
「あいつ化けるタイプなの。学生の時とか化粧なんかしねーじゃん?俺とあいつ、顔マジ似てっから色々大変だったんだぜ。見る?あんた名前なんだっけ」
「町田……」
「めーくん、中原さんが怯えてます」
「なんで?」
近いからだ。とは言えない。今時の若い人間の距離感が全然分からない。町田も割とすぐ寄ってくるけれど、まさかそれがデフォルトなんだろうか。人見知りから心を許すまでが早すぎないか。怖い。
町田が俺をここに連れてきたのは、なにも「ほんとに友達いないわけないじゃないすか!見せてやりますよ!」が目的であったわけではないらしい。服を買いに来たんです!と高尾さん、本人曰く「めーくんでいいよー」だそうだけどそんな勇気は俺にはないので高尾さん、に町田が言っていた。服が欲しかったのか、とぼんやり椅子に座ったまま、二人が話しながら店の中をうろうろするのを見る。そう言えばあのTシャツ、町田着てたな。よく買いに来るのかもしれない。
「はい!中原さん、着て来てください!」
「……え?や、俺はいい」
「でも中原さんの服買いに来たんだし」
「は?」
「なー、俺でかいからあんたみたいなサイズの人が自分の作った服着たらどうなんのか見んの楽しいのよ。着るだけ着るだけ」
「あ、いや」
「着てみてちょうど良かったらタグ切ってやるから」
「俺が払うから」
「ちょっと」

着させられた。今まで俺が着てた服は、ずうっと昔に買った、白のニットと黒のサルエル。ぴったりする服が好きじゃないと話したのを覚えていたのか、町田が持ってきた服も全体的に緩めで、着心地は良かった。黒のシャツに、茶色のスウェット、チェック柄の入ったグレーのワイドパンツ。若作り、と思いながら、羞恥を耐えつつ服を着て出たら、なんか足りねえとぼやいた高尾さんに、靴下と靴まで用意された。靴なんか、さっきまで履いてたはずの、数年来の付き合いでぼろぼろになったスニーカーが恥ずかしくなるような、ぴかぴかの革靴だった。言われるがままにそれを履くと、まだ足りない、色味がない、と店の中をうろうろした二人が、黄緑色の派手な時計とごつい銀の指輪を持ってきて、つけられた。最後にロゴが入ったショルダーバッグを持たされて、持ってきた鞄の中身を入れ替えられて。
「かんせーい!」
「おー……いいじゃん……俺、我ながら、いい服作るわ……」
「中原さんっ、似合いますよ!」
「恥ずかしい……」
「あ?俺の服が気に入らねえの?」
「そっ、そうじゃなく、そうじゃないんですがっ、あの」
「なに?」
「めーくん、中原さんいじめっと後が怖いんだぞー」
「何が気にいんねえんだよ?」
なあ兄ちゃん、と肩に手を置かれて、なんでもないです、と答えるのが精一杯だった。気に入らないことはない。服はすごくいいものだと分かるし、コーディネートに変なところもない。けど、自分がこれを着ている事実がどうしようもなく恥ずかしいのだ。町田よりいくつも年上なのに、若作りしてはしゃいでるように見える。そうぽつぽつと、できるだけ角が立たないように伝え、だから自分が悪いんです、と締めくくれば、高尾さんはきょとんとしていた。
「あんた年上だったのか。それは悪い、勘違いだった。でも似合うからいいんじゃね」
「お世辞はいいです……」
「めーくん、お世辞は言いませんよ。モデル相手でも似合わねえだのブスだの言っちゃって干されたんすから」
「うるせえな」
「それに中原さん、俺、別にその服中原さんにプレゼントしたいわけじゃないんで」
「……お前が着たいのか?じゃあ最初から」
「いえ。それ、ごと、新城さんへのバレンタインの友チョコです」
それ、と俺の周りを丸で囲むように指をさした町田が、中原さんにはサプライズプレゼントをあげますからね、とにんまりした。ちょっと意味が分からない。固まっている俺に、なるほどな、と頷いた高尾さんが、バックヤードからリボンを持ってきて町田に渡した。
「新城さんって新城出流?仲良いってマジだったんだな。はいラッピング、渡す前につけろ」
「マジモンのマジすよ。あざまーす」
「……ぁ、あの、俺の鞄、と靴と、服」
「あんなダセーもん廃棄だ廃棄。スニーカーもリュックもニットもサルエルもうちのやつを送ってやるからそれ使え」
「廃棄……」
「めーくん、中原さんのこと大好きになっちゃったじゃないすか」
「めいりを知らない客が俺は大好きなんだよ」
「あ!コート!上着的なものがないと今日は流石に寒いすよ!」
「春先まで使える新作があってな、これ羽織ってみろ。そしたらこっちも、あー、旧作だけどこれも」

いろいろ着せ替えさせられて、何が足りないんだ、と首を捻る高尾さんに、レジにいた女の人が親指を立て、なんのセットもしていない、むしろまともに切ってもいないので跳ねっ返りで伸びっぱなしの俺の髪の毛は、なんかいい感じにセットされた。彼女はあの店の専属スタイリストらしい。店を出る寸前、これもかけろ!かけない時はスウェットの首にひっかけろ!と丸い伊達眼鏡を投げ渡されて、大人しくかけた。なんかもう、別人みたいだ。町田が車の鍵をあける間、ぴかぴかの車体に映る自分は、およそ自分ではなかった。いやそりゃ、どう見ても中原新であることに変わりはないのだけれど、今まで如何に自分の格好に頓着してこなかったかが浮き彫りにされている感じだ。俺みたいなのでも、まともな格好をすれば、良いように見えるんだなあ、と。遡れば、大学生の頃は服を見るのが好きだった。仕事を始めて忙しくなってからは、そんな暇無くなった。仕事を辞めてからは、そもそも外に出るのが嫌になったから、自分の格好はどうでも良くなった。新城は俺に服を買い与えてくれるけれど、やっぱり本職、本業として人の服を作る人間に見立ててもらうのとはレベルが違うということなんだろう。ちまちまとコートのボタンを弄っている俺に、ねええ、と町田が抜けた声を上げた。
「中原さん、ほんと似合ってますよ?俺も、ここまで化けるとは思ってなかったし」
「そこを、疑ってるわけじゃ……」
「じゃあなんなんすか?かっこいーでしょ」
「……新城に笑われる……」
「いやどう考えてもそのまま撮影大会でしょ、あの人」
「……………」
「ね?」
言い返さなかった。たしかに。
町田は、さっき言ってたロールアイス?屋さんに行くのだと車を走らせて、鼻歌交じりに音楽をかけた。CMで聞いたことある、とぼんやり思っていると、CDケースが俺の膝の上に放られた。星川淀。これもまた最近名前を聞いたっけ。新城もこないだ、番組で一緒になったって言ってた。新しくやるドラマの主題歌なんだとか。
「淀は、新城さんの大ファンなんすよ」
「へえ」
「隠れオタクっすよ、もうほんと。こないだ共演したってのも大興奮で電話きて、電話すよ?しかも深夜2時」
「好かれてること、新城は知ってるのか?」
「知ってたら淀ちん死んじゃいますよ」
「そういうレベルのファンなんだ……」
「新城さんのどこがそんなに良いんすかね?」
「ほんとだな」
ちなみに、星川淀にそれを聞くと、二時間は語り倒されるらしい。それだけ熱量のあるファンがいて、新城も隅に置けないじゃないか。そしてその好かれている張本人がそれを一切知らずに、俺も仲良くなれるかなあ、と共演後そわそわしていたのを知っているので、じわじわおもしろい。
「つきましたー。またちょっと歩きますけど」
「ああ」
「ゔー、アイスには寒いすかね?」
「……まさか外で食べるつもりだったのか?」
「はい」
車に持って帰って来て食べるつもりだった。そう町田に告げれば、目から鱗!という顔をされて、このクソ寒い2月にわざわざ外でアイスを食べるのは絶対に嫌だと断っておいた。



「……………」
聞いてはいけないことを盗み聞いてしまった。聞かなかったことにしよう。
チョコを固めている間、一人ぼっちであまりにも暇だったので、片手間に中原くんの持ち物に仕込んである盗聴器をオンにしていたのだけれど、知っていてはいけない情報を知ってしまった。忘れよう。星川淀くんは俺のことなんか好きじゃないって。オッケー!
会話しか聞こえてこないから想像に任せるところが大きい上に、盗聴器はキーリングについているから仕方ないにせよ、布が擦れる音や何かにぶつかる音なんかのノイズが激しくて、町田くんのお友達?のお店でのことはいまいちわからなかった。なんか買ってもらったのかな?ってぐらい。楽しみにしてよっと。
固まったチョコを、四角く切ったり、型抜きしたりして、成形していく。ハートはもちろん、まんまるもあるし、星もあるし、猫ちゃん型も用意した。何事も形から入るタイプなもんで。残ったチョコは丸めて、一旦全部冷蔵庫へ。二人は車から出てしまったらしく、さっきまでの方が聞こえが良かった。がやがやしている。そろそろちゃんと集中しなくちゃだから切ろうかな。これ、仮にも盗聴だし。
コーティング用のチョコを溶かす。ここからは見映えがかなり関わってくるので、余計なことは考えていられない。失敗しても平気なように大目に数は見てあるけど、あまりに失敗しすぎたら最初からやり直して生チョコを作らないといけなくなる。それは困る。イガイガしたり、変な形にならないように、そおっと、冷蔵庫から出したチョコに溶かした方のチョコをかけていく。コーティングが終わったら、ココアやカラーシュガーをかける分と、なにかトッピングを乗せる分と、ホワイトチョコで飾る分とに分ける。だいたい等分になるように。ココアとシュガーは、目の細かいストレーナーを使って。トッピングは、いろいろ用意した。ナッツ系とドライフルーツ系、どれが一番中原くんの口に合うか分かんなかったから。裏に溶かしたチョコをつけて固定していく。一個力が入りすぎて形が歪んでしまったので、味見がわりとして食べた。うん、おいしい。ホワイトチョコは、細い絞りを作って、なんかお店で売ってるやつっぽく線を描いてみたり、ねこ型のやつには顔を描いたり。我ながら、ちょっとぶちに似てる。本人、人じゃないから本猫?は、寒さに耐えかねてリビングの端っこにふかふかのクッションと毛布を集めた特別コーナーで埋もれて寝てるけど。時々起きて、水飲んでまた寝る。中原くんがいないと甘える先がいないという判断らしい。俺も飼い主さんなんだけどな!
「……ふう……」
結構集中した。いくつかは失敗したのもあるけど、割と上手くできたんじゃなかろうか。ちゃんと箱に入れたら、それなりのものには見えると思う。これなら、中原くんも喜んで食べてくれるな。満足。
甘いものを作っていたら、しょっぱいものが食べたくなってしまった。そういえばお腹も空いたし、にんにく多めで味濃いめのチャーハンとか作っちゃおっかな。



「うまい」
「でしょー!」
ロールアイス、がなんたるかは分かっていなかったけれど、クレープの生地みたいにぺったんこにしたアイスを丸めたもの、だった。要するにまあアイスでしかないのだけれど、食感が違くておもしろい。あとトッピングがいっぱいあっておいしい。ベースフレーバーを選んでください!ミックスインはなににしますか?トッピングは?ソースは?と選ぶものが多すぎて目を回したのも事実だけれど。基本外に出ない人間に、あれはきつい。
一つ不満があるとするなら、こいつは目立ちすぎだ。店の中、すげえ女の子だらけだったのに、それでも構わずずかずか店内に入って、きゃあきゃあ言われてるのも意に介さず嬉しそうに注文して、自分もわあわあ騒いで俺に話を振りまくるもんだから、若干の頭痛はした。絶対隠し撮りされてる。こいつのマネージャーさんはとてもプラス思考なのでいくら隠し撮りされようが騒がれようが「名前が売れましたね!」と受け取りがちだから成り立っているだけで普通だったら大炎上している、って新城が言ってたの聞いたことあるし。件の新城は一応身バレに気は使っている。少なくともこいつよりは!
「うまー」
「……………」
「ん?食べます?」
まあ。新城は芸能界を断ち切っていた期間があるにせよ、幼少期からテレビに出続けていたこいつにはそんな期間なかったんだよなあと思うと、ちょっと騒がれる程度なら町田にとっての「普通」でしかないのだろうなあと、思わなくもない。アイスを一口もらいながらそう思う。うまい。
「どっか行きたいとこあります?」
「ない」
「じゃー、プラネタリウムで」
「なんで?」
「行きたかったんすよ」
「お前が?」
「はい」
「……そういうの寝るタイプかと思ってた」
「まあ確実に寝ますね」
じゃあネカフェで仮眠するのと変わんねえじゃん。内心でそう思ったが口には出さなかった。しかもプラネタリウムって、また人が多いところを。もしかしたらと思って、個室のプラネタリウムとかがあるのか、と問いかけたら、きょとんとされた。やめろやめろ、大きい駅の方向へ車を向けるな。
「えー」
「もう騒がれるのはさっきのアイス屋でうんざりだ」
「中原さんのことなんか誰も見てませんて」
「視線が気持ち悪いんだよ」
「そっすかあ」
じゃあ仕方ないなあ、と町田が口を尖らせた。少し申し訳ないような気もする。だけど、人が多い場所も、人の目も、苦手なのは事実だ。昔はそうでもなかったけれど。
カラオケならいいですか?と聞かれて、あんまり行ったことがないけどそれで良ければ、と答えた。少し駅から離れて、町田がよく友達と来るというカラオケに到着した。カードを出して店員と短く話した町田が、一つ上の階の部屋番号が無い部屋に通された。VIPルームってやつなのでは、とぼんやり思う。ソファーがふっかふかで、飲み物と食べ物が勝手に出て来た。切ったオレンジがグラスに刺さってるおしゃれなやつと、一口サイズの前菜みたいなやつ。剣崎さんと本当に稀に時々会う時、すごい高級なレストランみたいなとこに連れてかれるけど、そういうとこで見るようなやつ。あと、カラオケってもっと暗いものかと思ってたけど、普通に明るい。無料でゲームを借りられると書いてあって、黙々とそれを見ていたら、別に歌いたくて来たわけじゃないからどうぞ、と町田からもオッケーが出た。歌いたいわけじゃなくてカラオケに来たのか。何故。
「んー、二人になりたかったから?」
「……お前、そういうこと言うの本当控えた方がいいぞ……」
「え!?」
なににしようかと迷った挙句、うちにもあるゲームを借りて、二人でやった。格闘ゲーム。町田はゲームの中の自分が負けそうになると、現実の俺に寄っかかったり突ついてきたりするので、何回か喧嘩になった。そういう子どもみたいなことやめろっつってんだろ。



「ただいまー」
「おじゃましまー!」
「おかえりー。寒かったねえ」
「うん」
かたりと鍵が鳴る音と、挨拶はしっかり大きい声でできる中原くんの声と、いつでもでかい町田くんの声。リビングのソファーから立ち上がってお出迎えしよう、と。
「……………」
「……………」
「わぶぁ!なんで止まるんすか!ぶつかっちゃったじゃねーすか!」
リビングに入って来たところで固まった中原くん。同じく中途半端な体勢で固まった俺。多分変な顔で固まるのは俺の方が早くて、中原くんがそれを察して凍りついた、が順番的には正しい。そして、固まった中原くんに後ろから激突した町田くん。突き飛ばされる形でたたらを踏んで、俺の方へ飛び出して来てしまった中原くん。思わず両手を広げて彼を抱きしめようとした俺。
「ひっ」
「チッ!」
「なにしてんすか?」
失敗。すんでのところで硬直が溶けた中原くんが、俺の手を掻い潜って、床にべしゃりと転んだ。そんなんなるなら抱き締めさせてくれたっていいじゃん!ケチ!愛しのご主人の帰宅にマッハで飛んできたぶちちゃんが中原くんになごなごと擦り寄りかけて、いつもと違う匂いに違和感を覚えたのか、急ブレーキをかける。家を出た時と服が違うからしょうがないよね。
そう。服が違う。なんなら髪型も違う。普通にリビングに入って来たところを鑑みるに、多分それをまるっと忘れていたのだろう。固まった俺を見て思い出した、といったところか。出て行った時の服装は、中原くんその格好好きだよねー、何年前から着てるトレードマーク?って感じのやつだったはずなのに、すごい若い子みたいな格好になってる。しかも童顔だし小さいから全然浮いてない。なんなら町田くんの方がお兄さんに見える。胸元に下げてる伊達眼鏡とか、ゴツめの指輪と時計とか、そういうの君持ってたことないでしょ!?って感じ。似合うんだなあ、案外こういうの。髪の毛も、わざとくしゃくしゃにして流してある。外ハネっけが強い中原くんだから、髪の毛いじってるとこなんてほとんど見たことなかった。ゆるめの服装を好んで着るのは、昔から変わらないけれど。
「あー、そうだった、忘れてた。中原さん立って」
「い、いやだ……こんな格好だって、わ、忘れてた……」
「立って!めーくんに怒られますよ!」
「ひい」
ぎゅっと目を瞑った中原くんが、のろのろと立ち上がった。誰だ、めーくんとは。後で聞こうっと。鞄から何やら取り出した町田くんが、ぺしぺしと中原くんの背中を叩いて、俺の方へ再度押した。よろろ、とこっちに来た中原くんを受け止める。
「新城さん、俺からのバレンタインです!」
「お、おお……ありがと……?」
「そんじゃ!」
「えっ、待っ、ご飯とか食べてかない?」
「食べてかないです。あとはお二人で」
じゃーねー、とぶちちゃんと握手した町田くんは、嵐のように行ってしまった。町田くんが叩いていた中原くんの背中には、リボンとメッセージカードが貼り付けられていて。中原さんへのサプライズプレゼントはショルダーバッグの中です、と。
「ていうか中原くん、着てった服はどこ行っちゃったの」
「う……高尾さんが捨てた」
「それ誰?あ!」
「……いつのまに……」
小さい鞄の中には、中原くんの携帯と、鍵と、その他こまごました私物の他に、知らない封筒が入っていた。白地に金枠の豪華そうなやつ。封を切って中を開ければ、そこにあったのは、ディナーチケットだった。しかも、リッツ・カールトンの鉄板焼きコース、二人分。たまにはお外で美味しいものでも食べてください、と手書きで言葉が添えられていた。立川環生より、とも。
「素直な感想言っていい?」
「なに」
「……稼いでんなあ、あいつ……」
「先輩としては不満か」
「ううん。かっこいい。最高」
俺へのプレゼント、中原くんへのプレゼント、と分けてはいるけれど、結局二人分のプレゼントを名義を変えて二回しているようなものだ。割といつも、あっけらかんと笑っている彼だから、あまり気にしたことはなかったけれど、案外あれでいて恩を感じてくれちゃってたりするのかもしれない。現在も過去も、町田くんは、何かあった事実を笑顔で無理やり塗り潰して隠す天才だ。人はそれを、いつでも笑顔の愛嬌がある善性の高い人間、と受け取るのだろうけれど、きっとそれだけではない。ぐちゃぐちゃもどろどろも、まとめて呑み下せる覚悟がなければ、ああはなれない。いろいろあったことは、曲がりなりにも知っているし。
「この後に俺のチョコって、ハードルものすごい高くない?」
「期待してる」
「この服どこで買ったの?」
「高尾さんのとこ」
「だからそれ誰?」
「高尾めいり?の兄?の、デザイナー?の、服屋」
「え?疑問形多すぎない?」
「町田に聞けよ」
チョコは、とってもとっても喜んでくれた。終始ぶーたれていたけれど、中原くんの場合、文句は御礼の裏返しなので。

「そういえば、中原くんは俺にチョコくれないの?」
「……なんで俺がお前にチョコやらなきゃいけないの?」
「心底不思議そうな顔されんの流石に傷つくわー」
「わけわかんない」
「じゃあお返しに期待かー」
「なんで?」
「……お返しも望み無しパターンかー……」


42/47ページ