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I pray, as this is the last fight



一時間後。そんじゃアンちゃん行ってくるわ!と片手を上げた彼女は、国外旅行とは思えないド軽装で出て行った。パスポートあるからオッケー☆と赤と紺と緑のパスポートを何故か三冊所有しているアンちゃんがそれをびらびらと広げて、ロシアはどれだっけー、といろんなお札をポケットに詰め込んでいた。ロシアはルーブルだよ。そして、イドラはついて行った。ナビをしてくれるらしい。ナビ兼、イドラの装備武器の中でアンちゃんが使えるものがあればどうぞ、とのことで、要は歩く武器庫みたいなもんだ。さっき上げたのはほんの一部みたいだし。
「帝士さん、ついて行きたいって言いませんでしたね」
「……今回に限ってはガチ邪魔になる気しかしなくて……」
「でしょうねえ」
早く帰ってきてね、とは言ったけど。あとは素直に、アンちゃんに任せられたことがあった。
パソコンを開いて、パスコードを打ち込む。三重ロックのセキュリティ。わざとセキュリティを強くしてるのは、ただの釣りです。アンちゃんが身支度をしている間、イドラにバレないように二人でこっそり壁の裏の隠し部屋で仕込んだやつ。要するに、アンちゃんは、イドラを疑っているってこと。そしてアンちゃんのそういう勘は、大概の場合当たる。野生的な嗅覚が優れているから。
アンちゃんは胸の隙間に何かを隠すのが大好きなので、今回も大事な秘密は胸に隠してある。アンちゃんの心臓がもしも止まったらこっちに伝わる機械がくっついてるのと、心拍と一緒に現在地の確認を取れるシステムと、アンちゃんの視覚情報を共有して覗くことができるカメラと、今現在では最高峰の盗聴器。後者もアンちゃんの聴覚を共有してるので、どちらにせよアンちゃんが倒れない限りは壊れない。まあ彼女が倒れる事はないので、恒久と呼んで差し支えないだろう。そのデバイスを作ったのは他でもないイデアだ。タイムロス無しの傍受、現在地探査システムは少し弱いけど、そんじょそこらの妨害電波の影響は受けない。イドラが本当にイデアの端末ならば、イデア発案のその諸々を知らないわけがないのだ。
「そんじゃ、てーちゃんも行ってくるとするかね」
「行ってらっしゃーい」
おおかみちゃんを置いていくのは忍びないが、おおかみちゃんについてきてもらうのも巻き込みそうで嫌だ。パソコンを持って、車に乗り込む。行き先はイデアのところだ。調子悪いにせよ、会話ぐらいはできるだろう。ていうか、あのイデアが調子悪いって、なにがあったらそうなるんだ。よく考えたらおかしいところだらけなのだけれど、アンちゃんなら大丈夫だから行かせたってのもある。なにかあっても、イドラをぶち壊して帰ってくるだろうなあと。
そして到着。ここ認証厳しいんだよなー。イデアが昔くれたなんかよく分かんないカードのおかげで入れるけど。職員さんも俺が持ってるカードにとやかく言えないので、どうもどうも、と道を開けてくれる。対話用の部屋、として割り振られてる真っ白な円形の部屋。真ん中に薄い板があって、その中でイデアがぴらぴらと手を振っていた。
「イデアー?やっほー」
『やっほー。いくら払ってくれますか?』
「めっちゃ元気そうじゃん」
『なにがですか?イデアは情報提供一回につき五十万円請求することに決めました。過去の分はお友達料金で半額にしてあげます』
「なに!?いきなり設定変えないでよ!」
『下位セキュリティをハッキングされて無駄に弄られて最高に気分が悪いんです。中指も立ちます』
はい、イドラは黒。イデアさん、付いてきてください。
イデア曰く。「貴方の端末、どれもこれも侵入できなくなっててちょっと嬉しかったんです」「だからそれに免じて勝手に侵入るの見送ってあげてたんですけど、自分でやったんじゃなかったんですか?」「成る程。ガバガバセキュリティに勝手に入られた挙句に強化されるというのも面白い話ですね」「ちょっと端末貸してください」「私の足の先っちょを齧ったウイルスの発信源と同じですね」「怒りました。ぶちかまします」。怒りました、のところでイデアの背後でドラゴンが火を噴いた。ふざけてんのか、お前は。
『そのガバガバスマホもパソコンも、私が入るには狭いので、ちょっと待っててください』
「え?待って、本体ついてくんの?初じゃん」
『見られたもの、知られたもの、完成された理想の姿としてのイデアを利用した事は許されません。イデアは、人間社会のより良い発展のために使われます。それを利用しようだなんて、烏滸がましい。肉体を持たない電子の存在である同士、イデアが鉄槌を下します』
あ、これは本当に本気のやつ。イデアは、自分がどうこうとかいうよりも、人間のために作られた存在である自分が利用されることを許せないのだ。それは、イデアを構築するシステムとしての判断。だって、いくら感情を勉強中とはいえ、イデアは作られたモノだからね。
イデアにイドラの経緯を説明していると、研究員の人が、壊さないでくださいね、と戦々恐々した態度で、黒いタブレットを渡してきた。イデアは思い当たる節がないわけでもないのか、宙を見つめながらふむふむと聞いていて、くるりと宙返りして消えた。と思ったら、俺が持ってるタブレットに現れた。
『さて、私がいれば百人力です。幻影ちゃんに目にモノ見せてやりましょう』
「なんか殺気立ってない?壊れてんの?」
『いくら足の先っちょとは言え、囓られれば腹も立ちます。帝士さんだって、耳元で蚊が飛んでいたら不快でしょう』
「蚊て」
壊さないでくださいね、と研究員さんに再度念を押された。そんなに壊しそうに見えるの?ドジっ子扱い照れるわー、とか言ってたら落とした。ら、背後から悲鳴が聞こえた。まさかとは思うけど、ぽっと出の俺に預けたこれ、そんなに高級なもんなの。やめてよ。責任とか一番嫌いな言葉です。
高次人工知能であるところのイデアを便利な検索システムとしてしか使ってこなかった俺だけれど、イデアには電子的なことなら不可能はないに等しいのだとか。本人談なので、盛ってる可能性もなきにしもあらず。新幹線の中でも車の中でも、イデアは今現在の状況を詳細に求めて、まるで計算式を解くかのように事実を詳らかにしていった。事実を元に最早予測とは言えない正確さで導き出される答えと、個人情報ファイルから引っ張り出してきた証拠。敵に回したくない。アンちゃんが不死の敵として人類を相手取る立場なのだとするなら、イデアは何が起ころうとも人類の発展の為に使われる礎だ。しかも今回は、本体として使える機能の殆どがこのタブレットに移し替えられている。いつものような、スマホのコピーファイルじゃない。これが本職本業の本気だ、と見せつけられているようだった。
『イドラを名乗るそれは、高性能なアンドロイドということで間違いはありませんね。確かにイデアプロジェクトの一環として、私を外界で行動させるための手段を確立しようとしたこともありました。大概、人間で言うところの脳味噌がオーバーヒートしてしまって使い物にならなかったので破棄されたプロジェクトですが』
「割とほんとっぽいこと言うから流されちゃったよ。しかも、イドラがいる間はイデアのところに確認になんて来られないじゃない。信用してませんってあからさまにするのもちょっと、ねえ?」
『そのための布石でしょう。追ってこられない海外にアンデッドエネミーさんを呼び出したのも同じ理由です。時間稼ぎ、と言えばそれまでですが、時間を稼げばなんとかなる手段を持っているのかもしれません』
「例えば?」
『私がアンデッドエネミーさんに高い興味を抱くのは、彼女が限りなく人間に近い生命体であるにも関わらず、人間としては有り得ない事象を有していることに尽きます。行動停止をインストールする、アンデッドエネミーにとっての削除キーがあったとしても、不思議ではないでしょう?』
「それ、イドラが吹いた法螺じゃなかったってこと?」
『可能性としては。彼女については、イデアでも知らないことが多くあります。肉体的に彼女を行動不能にするのは不可能に近いでしょうから、そうでない方法があるのかもしれません』
「ふーむ、聞いたことないけど」
『停止コードを本人に教える馬鹿はいません。そんなことしたら対応策を取るに決まっているじゃないですか』
「イデアにもあるの?そういうの」
『ありますよ。ストップコマンドくらい。帝士さんには秘密です』
「えー、教えてよー」
『私だって知りませんよ、そんな国家重要機密』
「イデアが知らない重要機密なんてないでしょ」
『ありませんね』
アンちゃんの位置情報と心拍を常時チェックしているイデアが、おっと、と目を丸くした。位置情報がロストしましたね、だって。まあ、それは真っ先にやられると思ってたけど。映像と音が生きてるならいいや。
『イドラの正体ですが』
「え?それも分かったの?イデアやば」
『私に知らないことはありません。正直、そのレベルのアンドロイドを製作できる場所は、案外いくらでもあったりします。重要視すべきはインストールされている人格ファイルですね』
「イデアのことも、アンちゃんの事情も知ってたよ。それで絞り込めるんじゃない?」
『絞り込めるどころかドンピシャビンゴがいます。まあ、もう死んでいるんですけど』
「じゃあ違う人だ」
『馬鹿ですか。素直ですか。まさか良い人ですか?違いましたね。人格ファイルと言ったでしょう。帝士さん、人間の思考の全てを司る場所はどこですか?』
「下ネタ言っていい?」
『正解は脳です。下半身にぶら下がるそれではありません』
冷徹に切り捨てられると傷つくからやめてほしい。しかも、無駄にでかい音でブブー!とか鳴らしやがって。
人間の脳をデータ化して移植する技術がある。実際に実用化には至らずとも、それに向けて研究が進められている。人体を用いての実験は未到達。とされている。過去イデアプロジェクトに関わり、先にも話にあった、外界での行動可能な実機を製作する部門にいた一人の男。人間と見紛うアンドロイド。「代替わり」の権威。
『常盤博士といいます。彼はイデアプロジェクトを降りた、というか、降ろされた後、アンデッドエネミー所縁の団体に所属しました』
「降ろされた?」
「ええ。イデアを増やそうとしたんです。行動可能な実機全てに、同じシステムを搭載しようとした。世界はイデアだらけです』
「うげえ」
『うげえ、でしょう。彼はそれが世界の為になると本気で思ったのです。ですが私でも分かります。イデアのような作られたモノは、一つあればそれで充分。そも、複製できるように私は作られていませんし、確かに見聞を深めるという意味では手足が多いに越したことはありませんけれど、全てに私が搭載されていなくともそれは可能です』
「そんで、捨てられて悔しくてアンちゃんのこと作ってた人たちの仲間になっちゃったんだ」
『捨てられて悔しかったかどうかは別として、結論としてはそうです。そして彼は命を落としました。他ならぬアンデッドエネミーの手によって』
「恨み深いねえ、アンちゃん大人気じゃん」
『彼は恐らく、自分のバックアップとして、脳味噌を取っておいたのでしょう。時期が来たら起動出来るように。彼の目的として考えられるのは、妥当なところだと、アンデッドエネミーの行動停止、後にその身体に自分が入ること、辺りですかね』
「アンちゃんの中身がおじさんに!?やだ!」
『停止コマンドが本当に存在するなら、です。そもそも、アンデッドエネミーがそう簡単にやられるとは思えませんし』
「イデアなんとかしてよー」
『お任せください。イドラは幻影。夢現風情が現実には勝てないと、身を以て教えて差し上げます』
ご帰宅。夜遅くなっちゃった。おおかみちゃん寝てるかな、静かに入ろう。イデアも気を使って画面を暗くしてくれている。薄明かりの付いている事務所には、ソファーに横になるおおかみちゃんがいた。台所には、三人分のご飯。食べないで待っててくれたんだ。良い子。イデアが眠りが深くなる音楽を流してくれて、そおっと横抱きにして彼の自室へ運ぶ。イデアの気遣いのお陰で起きることもなく、むにゃむにゃと寝言を言った彼は、夢の中のまま。明日になったらアンちゃんも戻ってきて、また三人でいつも通りだよ。
「さてと。イデアさん、どうぞ」
『はい。周囲のディスプレイを全てお借りします』
テレビもパソコンも俺のスマホも、イデアにジャックされて、一瞬訳の分からない文字列が浮かぶ。タブレットの中で、アンちゃんの視覚情報画面を引っ張って拡大したイデアが、音も聞きます?とヘッドホンにつないでくれた。ヘッドホンのコード繋がってないんだけど。どうなってんの、毎度毎度。
アンちゃんの視界だから、見えているのはイドラの後頭部と、廃墟。どこまで歩くのお、とアンちゃんの文句たらたらな声がする。本人の声だから、いつもと違う音だ。
『イドラの停止コードをアンデッドエネミー伝いに流します』
「そんなことできんの?」
『構造が分かれば。もしくは、上書きで私があの中に入ってジャックします。そっちのが早いですね、そうします?』
「まかす」
『任されました。上書きして自爆コマンドを打ち込んでやりましょう』
「やっぱめっちゃ個人的に怒ってるよね?」
『いいえ。イデアは人類の未来のために』
それさっきも聞いたし。イデアがごちゃごちゃやってる間に、俺はアンちゃんの視界を見せてもらうとしよう。ぶーぶー文句垂れまくりのアンちゃんに、イドラが立ち止まる。盗聴や盗撮には気づいているだろうが、アンちゃんの生体反応から取ってるこれまではどうしたって妨害できないので、イデアがせせら笑っていた。ぷぷぷ、一般妨害電波をいくら出したところで私が作ったアンデッドエネミー専用のシステムには何の障害にもなりません、ぷぷぷー、だそうだ。
「つきました」
「なんもないじゃーん」
「……貴女は、自分が手にかけた人間の名前と顔を覚えていますか」
「覚えてるよ?」
「……嘘はやめてください」
「覚えてるよ。博士、一回だけ直接お話ししたことがあるよね」
ここが一緒だよ、分かるよお、とイドラの頭を撫でたアンちゃんは、きっと笑っているのだと思う。考え方が、という意味なのか、脳波が、という意味なのかは分からない。感情のない目でアンちゃんを見上げたイドラは、ゆっくりと口を開いた。
「イドラは未完成です。貴女のように、強くない。貴女のように、壊せない。イデアのように、全てを知らない。イデアのように、人類の為に働けない」
「完璧なものなんか作れないんだよ?」
「いいえ。完璧でなければなりません。壊れない貴女に、イデアのシステムをインストールする。それが成し得ることが、イドラの本懐です」
『成る程。この博士は頭が悪いですね』
「イデアめっちゃ失礼……」
『そうでしょう。アンデッドエネミーの存在を人類史から削るなど有り得ない。彼女はいなくてはならない存在です。ガワが残れば良いという問題ではない。彼女がヒトに近づいて、感情を手に入れていくことこそが、進化の過程なのです』
「ていうかそもそも、イデアってアンちゃんに入れるの?」
『入れません。多分、恐らく、無理な感じがします』
「フワッフワ!」
『やったことがありません。試行したこともありません』
しかしアンデッドエネミーがイドラに触れてくれたことは僥倖です、とイデアががちゃがちゃとタブレットの中で工具を散らかしながら工作を始めた。工事中、という看板まで出ている。芸が細かい。
頭に乗った手をそっと外したイドラが、完璧でなければ、と小さく繰り返した。昔のアンちゃんだったら、自分に敵意があるかもしれないと分かった時点で攻撃していただろうけれど、いろんな人と関わって、いろんなものを見て、大切なことがたくさんできたアンちゃんは、イドラの小さな手をそっと握って、博士、としゃがんだ。感情のないイドラの目が、アンちゃんの視線と交差する。
「あのね、博士。アンちゃんも、イデアちゃんも、完璧なんかじゃないよ。だからって、二人揃ったら完璧になれるのかって言われたら、きっとそういうことでもないよ」
「……いいえ」
「嘘ついてごめんなさいって、二人でてーちゃんたちに謝ろう?イデアちゃんだって許してくれるよ。理由はきっと、言わなくても大丈夫だよ。二人でお出掛けがしたかったんだって言えば、みんな分かってくれるから」
「いいえ」
「アンちゃんのこと、嫌い?アンちゃんが、博士のこと、殺しちゃったから?」
「いいえ。貴女の手にかかることは喜ばしきことでした」
「博士、」
「イドラは、嘘なんて吐いていません」
ちゅん、と鋭い音がして、アンちゃんが片手で何かを止めた。握りしめた手の中のものを、だめだよ、危ないよ、とイドラと自分の真ん中に持ってきて見せたアンちゃんが、床に落とす。それは銃弾だった。イドラが一度まばたきをして、アンちゃんの手を強く握る。
「貴女の行動停止構文は、死なない程度に痛めつけられ続けることです。あまりに浅い怪我だと、全て治ってしまう。深い怪我、死に至る怪我をすると、貴女には代替わりが起こる。治癒が追いつかないうちに、傷つけ続けることが、貴女の動きを止める唯一の手段です」
「……代替わりって、なあに?」
「貴女はイドラと同じです。同じデータを持った、複数の実機。壊れても代わりがいます。だったら壊さなければいい。壊さない程度に、壊し続ければいい。今から、イドラは全機体を用いて貴女に攻撃します」
「……博士、」
「一時間後に、イドラの援軍が来ます。痛めつけながら、動きを止めながら貴女を拘束し、要項が整い次第、イデアを貴女にインストールします」
アンちゃんの視界に、複数の光が映る。その光は、たくさんのイドラたちの瞳だった。うわーお、とアンちゃんの引いた声がする。時を同じくして、うわーお、とイデアからも平坦な声がした。
『侵入コードが生成できましたが、数が多いですね。アンデッドエネミーさん越しに止めようと思ったのですが、数が多すぎて、一体に私が入ったところで他の機体に潰されて終わりです』
「どうすんのさ!」
『困りました。アンデッドエネミーさんの停止キーが思ったよりも野蛮な手段であったことにもほとほと呆れているところです』
出来上がったとかいうコード、俺の目には段ボールに入ってるように見えるんだけど。それを片手で抱えたイデアが、ふう、と肩を竦める。なんでこの状況で余裕なんだよ。アンちゃんの視界の中では、たくさんのイドラたちが、じわじわと距離を詰めて攻撃態勢に移ろうとしている。そういえばアンちゃん素手だし。死なない程度に傷つけ続ける、と言い切ったのはなまじ冗談でもないようで、圧倒的な数と遠距離近距離を組み合わせることでそれを可能にしているらしい。確かに、アンちゃんを殺すのは無理でも、傷つけるくらいなら出来る。しかも、イドラは全機体が意思を統一している。一体でアンちゃんに手傷を一つ負わせた躯体が、あの数量で襲ってきて、アンちゃんは無事でいられるのだろうか。
「ていうか、代替わりって」
『それは予測可能な事象でしょう。不死の敵、簡単に死んでいる暇はありません。治癒能力がいくら高かったとしても、全身をばらばらにされたら普通は生きていられないでしょう。アンデッドエネミーは、八つ裂きに割かれても内臓がぐちゃぐちゃに潰れても爪先から食べられたとしても、再生が可能です。その理由は単純、彼女が死に至るとバックアップがその場に即時急行し、今までの彼女と一切の差を感じさせずに成り代わるからです』
「でもアンちゃんは人間の体だよ、血も出るし髪の毛も伸びるし」
『人間の体に人間の脳味噌が入ることの、なにがおかしいんですか?機械の体に人間の脳味噌のデータが入ることの方が、余程おかしいでしょう』
「で、でも」
『予測可能な事実より、現実を見てください。あの数全てに私をインストールするのは骨が折れます。一体ずつ触ってもらうわけにも、あ!思いつきました!』
「なに!大きい声出さないで!」
『アンデッドエネミーさんはモールス信号をご存知ですか?』
「知っ……てるんじゃないかなあ」
『では、今からアンデッドエネミーさんの心臓を止めます』
「アンちゃんが死んじゃう!」
『死なない程度に止めます!というか彼女死なないでしょう!』
心拍をカウントしている機械で電気信号を送ってアンちゃんの心臓を止め、モールス信号を送る。無茶苦茶なことを言いだしたイデアに、ついに壊れたか、と思ったが、口には出さなかった。勝算のない予測を、イデアが立てるわけがない。しかし、なんというか、アンちゃん絶賛戦闘中なんだけど、その状況下で心臓止めるって、とんだサディストだ。爆発音とか苦悶の声とか、この機械女には聞こえていないのだろうか。
「なんで送るの?」
『侵入コードを音声ファイル化しました。それを大声で叫ぶようにと。私は同時に10体に侵入が可能ですが、数ですぐに押し切られるでしょう。イデア自体に戦闘能力はありません。ですが、私が侵入した機体は全体停止コードを最短予測時間1分で導きます。その1分、残りの9体とアンデッドエネミーさんで、私を守り抜いてもらいます』
「それ上手くいく?」
『上手く伝われば』
「アンちゃんに無駄な怪我させないでよ!」
『もうとっくにぼろぼろです。心拍見ます?』
「見たくない!」
アンちゃんの視界だから、アンちゃんの怪我の具合が分からない。イドラを千切っては投げ千切っては投げしてるのは分かるけど、苦しそうな呼吸と唸り声と、真っ赤な手足に、辛いのは分かる。今までならきっと、アンちゃんにその意識があったのかどうかはさておき、一回死んで綺麗な体に戻ってやり直し、が出来ていたのだろう。今回はそうは行かない。イドラは、アンちゃんを痛めつけて、その場から動かさないことを目的としている。彼女を弱らせて弱らせて、人類の為に存在するイデアの恒久的な入れ子とするために。行きます、と人差し指を立てたイデアが、ハートのアイコンをタッチした。
「が、っぁ、!?」
「アンちゃん!」
『読み取ってください、アンデッドエネミー。貴女が捕らえられるわけにはいかない。貴女の居場所はここでしょう』
「ぐ、く、ぅ、っ」
重い音がして、アンちゃんが倒れ臥す。イドラの足と、視界に映ったアンちゃんの手に突き刺さる刃。かわいい?と数日前に見せられたピンク色の爪は、ぼろぼろに剥げて、跡形もなかった。やばい時に鳴る、ぴーって音がして、耳を塞ぐ。いっそこのまま殺してあげたら新しいアンちゃんに成り代われるんじゃないかとすら思うのに、そっちの方が今の苦しみからは逃れられるんじゃないかと思うのに、待っているのは同じ甚振りだから、俺はそれを許せない。アンちゃんの死戦期呼吸でざらざらと霞む音に、イドラの声が混じった。
「死なないでください。手間がかかります」
「、」
「劣化しましたね、アンデッドエネミー。昔の方が、貴女は強くて美しかった。あの人間に出会ったせいでしょうか」
「……か、せ」
およそ彼女らしくない、弱い声。見下ろすイドラが、呼吸の確認のためか、顔を寄せた。声にならない声を何度か漏らしたアンちゃんが、息を吸い込む。
「……、……」
「……聞こえませんでした。もう一度」
「……、ぃ、……だいすきだよ、」
「、っ!」
「はかせ、」
大好きだよ。
もう一度、はっきりと繰り返したアンちゃんに、顔を寄せていたイドラが動きを止める。ちかり、と目の奥が瞬いて、一瞬悲しげに顔が歪んだ。それはきっと、博士に残った最後の感情だったのだろう。1秒も持たない刹那の後、にい、と笑ったイドラが、よくできました、と今までと全く同じ声で楽しそうに言った。
「アンデッドエネミー。イデアを守ってください」
「うぇ……?無茶ゆう……っ!」
タブレットから、イデアがいなくなった。飛び起きたアンちゃんの足元に丸くなったイドラ、もとい現在はイデア、を庇うように、にまにまと笑うイドラたちが立ちふさがる。いやでもしかし、よっわいな!イドラ本体たちにぼっこぼこにされてる!うわー、うわーあ、と平坦な声と共にバラバラにされていくイドラインイデアたち。本当に戦闘能力ないんだな、あいつ!アンちゃんがほぼ一人でイデアを守ってるじゃないか!大怪我人なのに!
「あ″ぁ!もう!イデアちゃん貸して!」
「なにを?あがっ」
「ごめん痛いかも!」
「わがががが」
丸まってコードを作ってたイデアを引きずり起こしたアンちゃんが、イデアの後頭部をぶん殴ってリボルバーを起動し、思いっきりぶっ放した。かと思ったら、足首を千切って手榴弾を投げ、髪の毛を掴んでぶん回し、兎角近づかせない戦法に出ている。そんなんしたらイデア壊れちゃわない!?大丈夫!?俺一応、壊さないでくださいって言われてるよ!?はらはらしながらアンちゃんの視界を見ていると、タブレットに文字が浮かんだ。イデアからだった。
『口が塞がらないので喋れず、コードもイドラたちに拡散できません』
「……あのポンコツ人工知能……!」
アンちゃんも限界だから、イデアを守る余裕もない。どうすんだよ、どうしたら、今この状況で俺になにができる?なにもできない、手は届かない、このままじゃ二人とも目の前で失うことになる。最早下半身はもげているに等しいイデアを担いだアンちゃんが、逃げようとして足を撃ち抜かれて、膝をついた。イドラたちの全体数は確実に減っているはずだけれど、アンちゃんも削られているから、どうにもならない。迫るイドラに、あははぁ、とアンちゃんの笑う声がした。
「やべー、イデアちゃんごめん、ごめんねえ」
「あが、もがが」
「なに言ってっか全然分かんないけど辞世の句代わりにチューしとく!」
ちゅ、とイデアの額にキスを落として、見開いたその目を閉じさせたアンちゃんが、震える足で立ち上がった。だって帰らないと、と零したアンちゃんの声に、そうですね、とイデアの声が被った。
『ええ。そう思います。なのでこれは仕方のないことです。博士、見てますか?アンデッドエネミーの中にイデアはいますよ』
「ぎゃあ!?アンちゃんの耳の中でイデアちゃんの声がする!」
『緊急脱出しました。停止コードは生成済みです。アンデッドエネミーさん、貴女の身体で私のコードを打ち出してください』
「イデアちゃんどこにいるの!?」
『具体的に言うと貴女の脳髄です。肉体的損傷が激しすぎて吐き気がしますが、イデアはまだやれます』
「頭ぐわんぐわんするー!」
『援軍が来るまで残り20分です。10分で片付けてここを出ましょう。レッツトライ』
「だれかたすけてー!」
先ほどの会話をリプレイしてみよう。「ていうかそもそも、イデアってアンちゃんに入れるの?」という俺の質問に対してイデアは、『入れません。多分、恐らく、無理な感じがします』『やったことがありません。試行したこともありません』と答えた。あの大法螺吹き!出来るじゃねえか!しかし、まあ、長持ちはしないのは本当なのだろう。アンちゃんの身体の方にも重大なガタが来ているらしく、ごぼぇ、と酷い音と共に思いっきりアンちゃんが血を吐いた。一人の体に二人の頭を入れてるんだから、キャパシティオーバーするのは当たり前だ。しかし、オーバーヒートが今回は都合よく働いているらしく、アンちゃんの肉体が活性化して心拍が上がっている。イドラにはイデアの声は聞こえていないらしい。ついにおかしくなりましたか、と訝しまれている。
『血液。いいですね、使いましょう。アンデッドエネミーの血液に、イドラの停止コードを付与。さあ、血を撒き散らかしてください』
「もうどうにでもなれー!」
いち、に、さん、で踏み切ったアンちゃんが高く跳んで、防御を丸投げして大の字になった。当然、攻撃が集中する。思いっきり切り裂けた首筋に、アンちゃんが大笑いして、空中でくるくると回る。雨のように降り注ぐ、イドラの停止コード。表情一つ変えずに、イドラたちが動きを止めていく。いつしか、銃弾は止んで、音は消えて、アンちゃんが落ちてきた。
「あぎゃー!いたい!」
『全滅しましたか。思ったよりも早いですね、10分と言ったのに』
「あひぃ、つかれたあ、イデアちゃん、アンちゃんの体、うごかせるぅ……?」
『無理です。この中で無事そうな躯体に私はすぐに移行します。貴女を連れて帰ります』
「……そっかあ。帰んなきゃだー」
てーちゃん、おーちゃん、アンちゃんは今から帰るよお。ぼろぼろの手が、へろへろと上がって、アンちゃんの瞼が閉じた。視界画面が真っ暗になる。しばらくして重い足音と共に、イドラ、の中にいるイデアの声がした。
『……おつかれさまでした、アンデッドエネミー。私は貴女に、敬愛を表します』


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