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I pray, as this is the last fight




ようこそ、いらっしゃい。僕らの名前は丹原探偵事務所。これは、人類の敵たる存在として作られた、どこにでもいるしどこにもいないアンデッドエネミー、顔の無い彼女。アンちゃんの話。



「てーちゃん、リモコンとってえ」
「自分で取りなさいよ……」
「やー、アンちゃん今足の爪かわゆくしちゃったから立ちたくないのー」
応接用のソファーに沈み込んでぱたぱたと手を振っているアンちゃんに、おおかみちゃんが苦笑してテレビのリモコンを手渡した。しかもそのリモコンさっきこっちに持ってきてほっといたのアンちゃんだしね!人使いが荒いのって良くないと思います!
「ありがとー!おーちゃん大好き!」
「いえいえ」
「夜ご飯なーにー?」
「今日はお魚です。昨日いただいた鮭があるので」
「あ!リゾット!アンちゃんリゾット食べたいよ!」
「じゃあそうしましょう」
「きゃほー!」
ぴよぴよと嬉しそうに揺れる金髪が見える。俺もきゃほーって喜びたい。只今絶賛書類作成中なので出来ないけれど。先日請け負った依頼でちょっと知り合いの医者に頼ることがあったのだけれど、あの金食い医者野郎、利害関係をはっきりさせるためだの、どこからどの金額までをどこに請求するか整頓してほしいだの、うるさいことこの上なく、わざわざ形式張った書類を作らされる羽目になっている。だからあの人に頼るのは嫌だったのだけれど、腕はいいから頼らざるを得ないわけで。闇医者のくせに。闇医者だから金にうるさいのか。おおかみちゃんの時は全部一括で俺が支払うことで有無を言わされなかったし文句もなかったが、あれが例外だっただけだ。くそお。
「……おおかみちゃん」
「はい?」
「……コーヒー……」
「はい」
帝士さんは確定申告系のお役所書類が大の苦手なのである。頭がぐわんぐわんしてきた。この計算絶対間違えてるけどもういいか。がんばってくださいね、とおおかみちゃんが出してくれたコーヒーには、隣のお皿にマシュマロが二つ添えてあった。嬉しい。糖分大事。もふもふとそれを頬張っていると、呼び鈴が鳴った。お客さんかな。おおかみちゃんがぱたぱたと玄関口に寄って行く。
「はあい」
「たっきゅーびんかなー」
「……お客さんでしょ……」
「えー、ここにお客さんなんかめった来ないのにー?」
「ぐう」
「帝士さん、お客さまです」
「ほら!アンちゃん片付けて!応接セットのとこ!」
「あわわわわ」
朝からアンちゃんが散らかしたメイク道具やら、同じく俺が散らかしっぱなしの組み立てかけのプラモデルとかを、がちゃがちゃと見えない隅に追いやって、ソファーとテーブルの上を何とか見られるようにする。おおかみちゃんがお掃除はしてくれてるので綺麗は綺麗。ただソファーの下は見ないでほしいというだけ。
こちらです、と案内してくれたおおかみちゃんの後ろに付いてきたのは、随分と色素の薄い小柄な人だった。見ようによっちゃあ子どもだ。男女の判別が難しい感じ。小さいふたつお団子にされている薄い桜色の髪の毛はふわふわと舞って、白や薄水色の房がいくつも紛れている。髪の量が多いのか、半分くらいしかお団子にできないようで、肩の下辺りまで降ろされていて、前髪も長め。小さくて細いので、頭が重たそうに見える。耳当てかなにかなのか、蝶々の羽みたいなのが耳の辺りについていて、この寒いのにキャミソールのワンピースにマフラーしかしていなかった。表情の読めない機械のような目が、こっちを見る。片方は緑色で、片方は橙色だった。どちらもいやにくすんでいて、まるで人間じゃないみたいだなあ、とぼんやり思って。
「アンデッドエネミー、捕捉」
「おーちゃん下向いて!」
「迎撃」
ごきん、と重い音とともに、左腕の肘から下を抜いた「それ」は、一歩で数メートルを詰めてアンちゃんに飛びかかった。金属と金属のぶつかり合う音がして、次に目を開けた時には、アンちゃんはおおかみちゃんの後ろの壁にそれを押し付けていて、一人と一つが取っ組みあっているところだった。言われた通りに下を向いたらしいおおかみちゃんの、後頭部の髪の毛が断崖絶壁に切り取られていて、ぞっとする。下を向いていなかったら、恐らくはあれが持っていた刀は、おおかみちゃんの頭をばっさり袈裟懸けにやっていたのだろう。ごりごりごり、と何かが削れる音がして、アンちゃんが手に構えていたヘアアイロンでそれの目を思いっきり突いた。同じタイミングで、解放されたそれの持っていた隠し刀がアンちゃんの二の腕を切ったけれど、彼女にそんなものは通用しない。だってすぐに治るから。流れ出した血液を皮膚がぞろりと吸収して、まっさらな皮があっという間に出来上がる。橙色の方の目を潰されたそれが首を痙攣させると共に、アンちゃんが吠えた。
「てーちゃんソファーの後ろ!」
「おおかみちゃんこっち!」
「損傷軽微、継続します」
ぽかんとしている彼の手を引っ張ってソファーの後ろに飛び込む。どががが、となにやら凄い音がして転がってきたのは薬莢だった。アンちゃんが持ってるんだか、いきなり襲ってきたあれが持ってたんだか知らないけど、どこに銃なんか隠してたんだ。おおかみちゃんに怪我がないことを確認して、彼を庇うように丸くなる。アンちゃんがいて俺たちがどうにかなることはないと分かっているけれど、この事務所が俺たちより先にどうにかなっちゃう!銃痕で穴だらけの事務所じゃ、依頼人ゼロ間違いなしです!そんなふざけたことを考えているうちに、音が止んだ。んわあー、ってアンちゃんの不満そうな声。
「ヘアアイロン、ダメんなっちったー」
「出てっていーい?」
「いいよお。壊しちゃったからお話聞けないやあ、どうしよー」
「……こりゃまた派手に……」
「アンさんっ、だ、大丈夫ですか!?」
「うん!アンちゃんはもーまんたい!」
転がった目玉、もぎられて配線が飛び出した手足、何か大事な回路を破壊されているのであろう頭と胸、裂けた下顎、ぼろぼろに焼け焦げた髪の毛。あの短時間でどうやったらこれをこうできるんだ。しかも素手で。やっぱりアンちゃんは不思議だ。人間なら舌があるであろう場所にはガトリングらしきものがあって、さっきの銃撃音はここからか、と思い至る。ていうかガトリングって戦車とか戦闘機とかについてるやつだよね。恐ろしっ。アンちゃんに傷一つないのも恐ろしい。どうやってあの銃撃をかわしたんだろう、と辺りを見回したら、俺の執務机が穴だらけになって転がってた。俺の執務机ー!
死んじゃってる!とおおかみちゃんがあわあわし始めたので、死んじゃってる以前に明らかに人間じゃないしどう考えても敵意100%で向かってきたわけで、と説明する。アンちゃんが、なんだったのー、と人間に限りなく近いそれをごきばき解体し始めたので、周りの片付けをすることにした。幸いにも、ガトリングをぶっ放されたにしては、壁の穴とかはあんまりないように見える。床もまあ平気。傷は結構ついたなあ。あと、一番戦闘が激しかった部分の壁が真っ黒になったし抉れた。お亡くなりになられたのは俺の机とさっきまで作ってた書類。
「やーん!なんか出てきたあ!」
「なに?」
「血ぃ!」
「嘘ぉ。なにこれ」
「なんでしょうね。オイルとかの類だとは思うんですけど」
おおかみちゃん、人じゃないとわかった途端に冷静。どろどろと溢れてきた黒っぽい液体に、なんでしょうね、と興味津々である。無闇矢鱈に触っちゃだめだよ!危ないものだったらどうすんの!
「擬似血液です。触っても無害です」
「わあ!」
「おばけ!」
「突然の御無礼、お詫び申し上げます。人違いの無いように、アンデッドエネミーがそうである所以を尖兵により確かめさせて頂きたかった次第でございます」
薄い桜色の髪、橙と緑の目。俺たちががやがやしていたから、玄関が開いた音にも気がつかなかった。打ち壊されたそれと全く同じ見た目をしたものは、ワンピースの裾を摘まんで、やわらかくお辞儀をした。
「イドラと申します。イデアの末端、行動分隊を任されております。アンデッドエネミー、貴女の行動終了期間について重要な予測が打ち立てられましたので、ここに報告に参りました」

「紅茶とコーヒー、どっちがいいですか?」
「どちらも飲みません。申し訳ありません」
「そうですか……あっ、マシュマロがありますよ!」
「戴けません。食べ物や飲み物の類は、この肉体には不要です」
「そうなんですか?」
おおかみちゃんの適応能力がすごすぎる件について。残念、と俺たちの方にだけコーヒーを置いた彼が、どこに座るか迷った挙句、イドラと名乗るそれの隣に座ろうとするので、アンちゃんと二人で全力で止めた。確かに二人がけのソファーを向かい合わせにしか置いてないけれども!こっち来なさい、詰めてあげるから!まだ警戒態勢を解かないアンちゃんが、髪の毛をいがいがさせたままイドラを睨んでいる。こりゃまともに話ができそうにはないな。大人な所長さんの俺が請け負おう。
「イドラ。イデアの末端って本当?」
「はい。あの高次人工知能は、持ち歩きには適していません。貴方のように、手持ちの媒介にインストールされて協力状態にあるという事例もありますが、全ての機能を優先的に使用できるわけではありません」
「そうだねえ。俺イデアのこと、体のいいグーグルとして使ってるから」
「通信の最適化により戸外使用可能となった端末が、イドラの他に数台存在します。イドラの役割は、行動分隊。認識や知識を拡大し、思考能力の飛躍を求めるための足です。もう一つの仕事としては、必要な相手に必要な事項を届けるための伝書鳩です。今回は後者でここに」
「むずかしくてぜんぜんわかんない」
「……了承しました。イドラは、イデアがよりよく世界のために動けるため、働いています。そのイデアが、この人にこの情報を今すぐに届けて欲しい、と判断すると、イドラは出動します」
「わっかりやすーい!」
きゃっきゃ!とアンちゃんが手を叩いた。要するに、イドラは機械でできた人間もどきで、イデアは自分じゃ動けないから手足として使っているということでいいんだろう。あのハイパー人工知能、口は達者だけど、電源落としちゃえばそれまでだからな。莫大な個人情報から必要なものを漁ることにしか俺は使っていないけれど、あれだけ高性能なら他の使い方もいくらでもあるんだろうとは思ってた。案の定あったらしい。イドラの、あからさまに作り物っぽい見た目にも頷ける。イデアの3Dモデルも白基調の近未来っぽいデザインだし。
「あれ?じゃあ、イデアは?」
「現在、機能を縮小して活動中です。そのためイドラが参りました」
「そっか、イデア調子悪いんだ。そうじゃなかったら俺のスマホとかタブレットに勝手に入ってるもん、あれ」
「かぜー?」
「機械は風邪を引きません」
すぱんと切り捨てられてしまった。イドラは固いなあ。イデアも最初はこんなんだったけど、学習能力が高いのがあれの売りなので、すぐ俺たちに感化されて喋り方がゆるゆるになった。まあここに来るのは大概の場合コピーだから、本体の、すげー高性能なやばい人工知能としてのイデアは、そうでもないんだろうけど。
「で、なにを伝えに来たって?」
「アンデッドエネミーの行動終了期間についての予測です。作られた存在である貴女。人間の形を取っている以上、終わりはどの躯体にも訪れます」
「えー、アンちゃんまだ調子悪いとこないよ」
「あと数十年単位では恐らく大丈夫でしょう。貴女の肉体には代替わりもあることですし」
「代替わり?」
「貴女が、というより、貴女を作った側の問題です。既に解体された、名も無い組織だったものが、貴女の行動停止構文を所有していることが判明しました」
「なにそれ?」
「もっとわかりやすく言って」
「アンさんの動きを止めるパスワードみたいなものってことですか?」
「そうです。構文、とは申しましたが、それがどのような形をしているのかまでは判明しておりません。薬剤、もしくは視覚効果のある図形や文字列、電気信号、等の類であることは推測されます」
「それを教えに来てくれたの?イドラ優しいじゃん」
「イデアは、貴女に多大なる興味と高い評価を持っています。貴女が人間に与える影響は、人間同士では生まれない。アンデッドエネミーにしか為されないことが、イデアにとってはひとつの情報の糧なのです」
「ちょっとまたよくわかんないんだけど」
「アンさんは、イデアさんにとってちょうどいい研究材料で、だからいなくなられたら困るってことですか?」
「そうです」
「おーちゃんあったまいー!」
「えへへ」
今のは「俺とアンちゃんが匙を投げ言外におおかみちゃんに解説役を頼んだのでおおかみちゃんのキャラクターがそれに合わせて補正された」のである。なんか難しいことがあった時によく使う。話がスムーズになるんだよね。あとおおかみちゃんの照れてる顔が可愛い。
じゃあアンちゃんはどうしたらいいのかって、その行動停止させられちゃう鍵みたいなものをなんとかして突き止めておいたほうがいい、できるなら壊した方がもっといい、って感じ。イデアが探してはくれているらしく、イドラはそれがなんなのか突き止める前にとりあえず先んじてやるべきことを伝えに来てくれた、と。親切。それだけアンちゃんがイデアのデータベース構築に噛んでるってことなんだろうけど。以上です、何かご質問は、と問いかけられて、じゃあ待ってたらいいってこと?と俺が間抜けな声で確認すれば、それで今のところは問題ありません、と頷きが返ってきた。
「イドラはどうするの?」
「イデアからの通信を待ちます。判明次第、再びお伝えに参ります」
「イデアがアンちゃんのストップコードを探してることは、アンちゃんを作った人たちは知らないの?」
「知っているかもしれません。もしくは、探る段階で分かってしまうことは予測されます」
「じゃあイドラ危ないじゃん」
「何故ですか?イドラは端末です。イデアからの情報をアンデッドエネミーに伝えることさえできれば問題はありません」
「いや、だって、伝える前に壊されちゃうかもしれないよ?」
「そーだよ!アンちゃんにこてんぱんにされちゃったんだから!イドラちゃん、ちょちょいのちょいでやっつけられちゃうよ!」
「問題ありません。端末は予備が存在します」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「アンちゃんがイドラちゃん守ったげるー」
「いえ、イドラは」
「もー、遠慮しないの!あそこの元イドラちゃんのお片づけ手伝ってー」

イドラが来てから3日経った。彼女、彼?着ている服装からして、多分彼女寄りなのだろうけれど、あまりに身体が子どもじみている上に、幼いだけの男の子だと言われればわからなくもない。イドラはイドラでいいか。私とも僕とも言わないし。
イドラはご飯を食べないし、お風呂にも入らない。壊れてしまいます、だそうだ。本当にそんなことで壊れていたら人間社会に適応できないというか、せっかく人間の見た目をしている意味がなくなるので、外聞を取り繕う程度には人間らしい行動ができるはずだとは思う。恐らく不必要だからやらないだけだ。寒さも感じないし、だるいとか疲れたとかめんどくさいとかも言わない。機械なんだからそんなことは当たり前だけど、見た目が人間だから、不思議な気持ちになる。ちなみに、アンちゃんがぶっ壊した一体目のイドラの片付けも、きちんとしてくれた。時々、充電なのかなんなのか、事務所のベランダでまばたきもせず突っ立っていることがある。太陽光発電なのだろうか。
「イドラの身体ってどうなってるの?」
「どう、とは」
「関節とか。ほら、襲ってきたイドラは腕取って攻撃してきたじゃない」
「内蔵品についての説明をご所望ということでしょうか」
「いや、こんな感じーってぐらいでいいんだけど」
関節は球体らしい。人工皮膚で覆ってあるので素体を見せることはできないけれど、と言われて、いやこないだ見たし、ばらばらのイドラ、と思わなくもなかった。行動分隊、という名に恥じぬよう、戦闘的な機能もそれなりにはついているとか。仕込み刀と、咥内のガトリング。足首は手榴弾になるらしい。頭と胴体は割と重要な回路が詰まっているから、装甲が重めにできていて、髪の毛は高強度のワイヤー。ただ、スペアが無限にあるわけではないので、例えばガトリングを稼働すると口が閉じられなくなるし、刀を抜けば腕は一本使えなくなるし、当然壊れれば使えないし、動きに支障が出る、と。
「じゃあイドラ重たいんだ」
「はい。小型化、軽量化を望まれましたが、行動分隊としての意義を失う程軽くする必要性を感じられませんでした」
「持ち上げてみてもいい?」
「不可能です」
「ゔ、お″も″ぉっ……」
「なにしてるのー?」
「アンちゃん、イドラが重たい」
「あー!女の子のことそおやって!てーちゃんの女心分からず屋!」
「イドラは女の子ではありません」
「イドラさん、トイレの電球替えるの手伝ってください」
「はい」
感情らしい感情は、イドラにはない。イデアは3Dモデルながらに、にやにやしたり、アンインストールをちらつかせると媚びてへこへこしてきたり、人間の真似事ができる。そこが正規品と端末の違い、ということなのかもしれない。イデアの人間の真似事だって、人工知能として得た感情知識を使ってみたいだけのような気もするけれど。俺やアンちゃんから得た感情だから、元である俺たちの前で素振りをしているというか。だから、俺の手元から離れて本体に戻ったあと、その感情がどんな風に昇華されてイデアの中に残っているのかは、分からないんだよなあ。ここに来るのはショートカット版のコピーだから。本体なんか、たかがスマホで抑えきれる情報量じゃない。
4日目。イドラがなにやらじいっと自分の掌を見つめていた。なにしてるのかを聞いても返事はなく、顔を覗き込んでも反応もなく。壊れちゃったのかなあ、なんて話してたら、アンちゃんが謎を解明してくれた。
「目になんかちかちかーって文字が映ってるから、通信中なんじゃない?」
「あー、イデアからなんか送られてきてるのかな」
「不便ですね、その間動けないのは」
「だからやっぱり保護して正解だよー」
しばらくして、イドラは口を開いた。案の定、イデアからの通信が入っていたらしい。アンちゃんの動きを止めてしまう鍵の在り処が分かった、と。ただ、予想通りとは言え、分かってしまったこともあちら側にバレたので、事は急を要するわけで。
「どこなの?」
「ロシアです」
「……え?」
ロシアです。硬質な声で繰り返されて、開いた口が塞がらなかった。国外ですか。



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