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言の葉に恋する証明



疲れた。ものすごく歩いた。けれど、今すぐに家に帰りたかった、もとい、今すぐに溝口に言わなければならないと思った。あいつがどうして再び身体を売ってまで金を稼いでいたのかとか、そういうことはひとまず置いておいて。俺がお前にごちゃごちゃと口煩く構って世話を焼こうとしていたのは、お前のことがどうやらずっと好きだったかららしくて、ああしろこうしろとと囲いたくなる独占欲は他人には到底抱けないもので、そんな自分が隣にいることは気持ちが悪いだろうから、早く遠くに行った方がいい、と。あれだけ縛り付けておいて酷い話だとも思ったけれど、俺がいたら、溝口のためにならない。それだけははっきりした。俺は男で、なんなら溝口の保護観察責任者で、世間から見る彼への目をいくらでも歪められる存在で、生死与奪権を握っていると思われても過言ではなくて。そんな人間に好かれて、偏執的な思いを向けられて、そんなのはいくら溝口でも、嫌だろうから。少しだけ、悔しいとか悲しいとか、そんなような思いもあるけれど、溝口が誰か他の人と、或いは一人でも、幸せに暮らしてくれるのなら、俺はそこにいるべきではない。幸せになれと願ったはずじゃないか。邪魔するものは、排除してきたじゃないか。今度は自分の存在が邪魔になった、それだけ。きっと俺からは遠ざかれない。俺から、俺の意思で彼から離れられるようなら、とっくの昔にそうしている。だから、億劫かもしれないけど、面倒で嫌かもしれないけど、どこかへ行ってくれたらいい。資金ならあげるから。溝口がどこに居ても、昔ならともかく、今の俺は死に物狂いで探し回って見つけてしまうんだろうけれど、視界に入らないように努力するから。
「……………」
案の定、俺の家の玄関扉は開いていた。薄暗い中に、溝口は帰ったのか、と下を見れば、見慣れたぼろい靴があった。ここから裸足で自宅に帰ったわけではないだろうから、俺が飛び出して行ってから、どうしたらいいか分からなくてここにいた、が正解だろう。本当に、申し訳ないことをした。俺なんか、ずっと昔から、いない方が良かったのかもしれない。
「……ただいま」
小さく、声を漏らせば、溝口はリビングの隅でぺたりと丸くなって寝ていた。付けっ放しの電気、食べっぱなしのケーキ、散らかった部屋の中。伸びっぱなしの髪の隙間から、床に押し付けられていたのか少し赤くなった鼻と頰が見えた。好きだ、と自覚したからといって、特別可愛らしく、愛らしく、愛おしく慈しみたいと思えるものではないのだな、とぼんやり思う。新城は嘘つきだ。
しばらく、目の前にしゃがんでぼおっとしていると、不意に溝口がびくりと震えて、目が開いた。なにかの発作かと思った。ぼんやりと蕩けた目が、俺を見て、瞬きをする。おはよお、こがねいくん、と、何もなかったかのようにのんびり言われて、おはようを返す。覚えてないのか?と疑問を感じた直後、身体を起こしたままの体勢で3秒ほど笑顔で固まっていた溝口が、目を丸くして突き飛ばしてきたので、普通に尻餅をついた。
「こがっ、こっ、い、いつ帰ってきたの!俺ずっと、っあ、ここで勝手に待っててごめん、でも小金井くんいつ帰ってくるか、あ!お薬飲んでない!」
「分かった、分かったから落ち着け」
今にもパニックを起こしそうな溝口を落ち着かせて、脂汗まみれでぜえぜえなってるのをなんとか、瞳孔は開いてるけど話が聞けるくらいの状況まで戻して。この状態の溝口に俺の感情の帰結を伝えるのも、うまく伝わるか判断できないけれど、取り敢えず言ってみることにした。新城云々の件は特に触れずに、好きだと言うことに気がついたこと、だけどそんな俺といると溝口にとっていいことは一つもないこと、今すぐに逃げて欲しいこと、お金をあげること、を訥々と述べれば、こくりこくりと頷きながら聞いていた溝口が、左手を振り上げた。
「……………」
「……………」
「……………」
「……痛い……」
「いたくした」
ばっちん。なかなかにスナップの効いた、手の平全体を叩きつけるような、ビンタだった。外よりも、口の中が痛い。珍しくも眉を吊り上げて、どんどん呼吸が上がっていく溝口に、どうしたんだ、なにか難しいことがあったか、と問いかければ、深夜と早朝の狭間に相応しくない、隣の住人が飛び起きるレベルの大声で、叫ばれた。
「小金井くんなんかっ、だいっきらい!」

気づいたら三日経ってた。この三日間の記憶が殆ど無い。まさか嫌われることはないだろう、と俺はどこかでたかをくくっていたのか。だから、衝撃が大きすぎて、こんな腑抜けたことになっているのか。成る程。
全然成る程じゃない。俺の頰をぶっ叩き、だいっきらい、と叫んで飛び出していった溝口と、俺はあれから顔を合わせていない。あっちから避けられている、のだと思う。同じアパートの上下に住んでいて、今までさんざ行き来しておいて、突然ぱったり、影も形も見せないと言うことは、溝口側に避けられているということだろう。もしかしたら、この三日俺が放心状態で家から出ていない可能性もなくはないけれど、誕生日のお祝いをしたはずの机の上は片付いているし、スーツには見知らぬチラシ付きのポケットティッシュが入っていたし、冷蔵庫の中身が減っていた。生活は営めていたらしい。ルーチンをこなしただけ、と言われればそれまでだけれど。
生活音だけでも聞こえないだろうか、と思って耳を澄ましたけれど、なにも聞こえなかった。溝口の家には、エアコンもないし、テレビもない。風呂に入ったり、換気扇を回して料理をしたりすれば、何となく分かるけれど、ただ部屋の中にいるだけでは流石に分からない。なにもない部屋だから、俺の家にしょっちゅう来ていたのに、一人でなにをしているんだろう。もしかしたら、一人じゃないのかも。本当の名前も知らない誰かに、お金をもらって、身体を明け渡しているのかも。そう思うと、憂鬱だった。こんなことなら、言わなきゃよかった?そんなことはない。だって、俺が、気づいてしまった自分の気持ちを黙っていたら、いつかきっと溝口の幸せの邪魔をする。実際、一回やってるじゃないか。試すとか偉そうに、彼が彼なりに作り上げた生活を、ぶち壊した。二度目はない。見守りたいなら、こっそりやればいい。溝口が怒りを忘れた頃に、またそっと影から監視すればいい。あいつが常用してるのは、感情の起伏を落ち着ける薬と、睡眠を深くする薬だ。前者は、家で常飲させられていた薬の副作用として残った幻覚症状に引き摺られた躁鬱を落ち着けるため。後者は、眠りが浅く、睡眠が足りないと恐怖感に苛まれやすくなる彼の心を助けるため。こんなにいろいろ知ってるのに、いろいろ知ってるから、俺は溝口の近くにいちゃいけない。喉元過ぎれば、あんなこともあったと思えるはずだ。笑えはしなくても、そう思うことはできる。だから、大丈夫。

「……?」
カレンダーが、飛んでる。携帯の画面に写る日付と、自分の頭の中で思う日付が、二日ほどずれている。この前も三日飛んでいたけれど、それはショックのせいなんだろうと片付けてしまった。そんなことは、ない、のか?怪我、例えば強く頭を打ったとか、そういうことにも思い当たらない。あいも変わらず、日常生活は営めているようで、洗濯物やゴミ箱の中身からもそれは伺えた。なんだ、ついに頭がおかしくなったのか。溝口の「大嫌い」で、撓んでた螺子がへし折れたのか。それならそれで、もうどうだっていい。相変わらず、溝口に会った記憶はない。あれから、もう五日は経っている計算になるわけで、一か月置きに報告書の提出をしなくちゃならないから、少しまずいな、と思った。前回の提出が、三週間前だ。そろそろ作らないといけない。しかし、ここ数日の記憶がない。溝口がなにかしたとも思えないから、特に異常無し、うまく社会に溶け込んでいます、と書けばいいのだろうけれど。

「……?」
まずい。また飛んでる。二日、記憶がない。頭打ったか、それとも何か病気か、といい加減疑いたくなる。俺の誕生日祝いを溝口がしてくれた日から一週間経ってるのに、飛び飛びの千切れ千切れでしか思い出がないというのは、いっそ恐怖だ。覚えているのは大概、夜家に帰り着いてから寝るまでの間だけ。携帯のメールその他の履歴や財布の中のレシート、程度しか日常生活の手がかりがないのは、流石に嫌だ。鞄の中を見て、報告書は出せたらしい、と一安心した。それに、二日前にゴミ捨てはしたようだ、とゴミ箱の中を覗いて、見慣れない銀色に、指を伸ばした。
1錠ずつの小包装の、薬のパッケージ。医師処方の、睡眠導入剤。俺はこの薬を知ってる。しかし、この薬の持ち主は、この家に一週間訪れていないはずなのである。二日前にゴミ捨てをしているはずのゴミ箱に、これが入っているわけがない。記憶がない間に、なにがあった。例えば、溝口がここに来て寝ていた、とか。けれど、飛び飛びにしか覚えていない俺にも、寝るまでの間に溝口が訪れていないことは分かる。覚えているのは、寝るまでの間。じゃあ、寝なければいいんじゃないのか。一日起きていたところで、なんら問題はない。家の中にいると寝てしまいそうだから、外に出ていよう。外で寝られるほど俺の神経は図太くないから、と思いながら、最低必需品だけ持って家の鍵を開け、階段を降りる。
「、」
がちゃん、と閉じた扉の音に、振り向いた。閉じ切る瞬間が見えたから、どの扉が動いていたのか分かる。溝口の家の玄関扉だ。家に居たのか、出ようとしたタイミングで俺が歩いていたから引っ込んだのか、と思い至って、引っかかる。俺の家のゴミ箱に薬の袋があった理由。俺の記憶が飛び飛びの数日間。寝なければ覚えていられるとして、普段と同じ状況で比べてみないといけないのではないか。家に居て、同じルーチンをこなして、それでいて寝ない。そうでないと、薬の袋の理由が説明できなくなる。一人で秘密を持ったことがない、他人から隠すように強要されたことしかない、重ねて俺に対して隠し事をしたこともない溝口にとって、こそこそするのは苦手分野の一つだ。今だって、玄関の隣にある台所の小窓ががらがら開いて、俺が立ち止まって見ていることなんか思いもつかなかったらしい溝口が、顔を出して、ぴゃっと引っ込んだ。やべ!って声まで聞こえる。脳みそ溶けてんのか。
踵を返して、玄関にとんぼ返りする。普段通りに、飯を作って食べて、洗い物をして、風呂を貯めて、洗濯物を畳んで、シャワーを浴びて湯船に浸かって、ちょっとトレーニングして、歯磨きして布団を敷く。電気を消して、携帯を充電機につなぐ。完璧な普段通りだ。完璧すぎて寝てしまうかもしれない。そこは頑張るしかない。

寝てない。羊を数えていたら眠れなかった。かたん、と鍵が回った音に、目を閉じて寝たふりをする。やっぱりだ。
このアパートは、ぼろぼろで、他の部屋の生活音がかなり鮮明に聞こえる。俺が溝口にしていたことは、溝口から俺にも、勿論できる。俺が溝口の家の鍵を持っているように、溝口も俺の家の鍵を持っている。溝口に鍵を渡してから、俺は家のチェーンをかけるのをやめている。記憶のない数日間と、落ちていた薬の袋。睡眠導入剤。眠りにつきにくい人間用に処方されているものだから、割と効き目は強い。そして、俺は残念なことに、一回寝たら朝まで起きない程度には、きちんと眠れる。そんな人間に、睡眠導入剤を飲ませたらどうなるだろうか。端的に言うならば、過剰摂取だ。眠りにつけるということは、体内のホルモンバランスや栄養素、脳の波長の関係がうまく噛み合っているということで、そこにプラスして「よく眠れるお薬」をぶち込んだら、よく眠れすぎてしまう。記憶が飛び飛びだったのは、脳味噌が正常に働いていなかったからだ。1足す1は、と聞かれて、んーと、わかんない、と答えるような状態。不安でオーバードーズしてラリってた溝口みたいなもん。日々のルーチンをこなすだけだからぎりぎりできていただけで、最悪もしかしたら、確認はしていないけれど、職場でなにかやらかしているかもしれない。生活を営めていたことが、奇跡に近い。薬を飲ませた本人は、そこまで考えていなかっただろうけれど。そもそも、俺に目覚めない眠りを与えようとした原因も、いまいち分からないし。
「……………」
足音を殺して入ってきた溝口は、勝手知ったると言った様子で遠くから俺を伺い、動かないことを確認して、寄ってきた。案外夜目が利くらしい、暗いはずなのにすいすい近づいて来る。薄く目を開けて見ていると、かなり近くまで来て、しゃがみ込まれた。ぱきり、と薬を開ける音。慣れた様子で顎を開けられて、お前そんなことどこで覚えた、と思う。多分、かみさまとやらのために色々してた時に、捧げ物に薬を飲ませていたんだろう。あそこでは、一般摂取が禁じられている薬物が横行していた。口の中に放り込まれた錠剤と、ゼリー状のなにか。危ない、こんなもんで飲まされてたのか、そりゃつるっと喉に入る。ぎりぎりで喉を閉じて、かつ飲み込んだふりをすると、口を開けて確認したいのか、ぐ、と顎をまた持たれた、飲んでないからそれは困る。
「……うーん……」
「!」
寝返りを打つふりをして、口の中で薬とゼリーを分ける。薬だけ舌の裏に隠してゼリーを飲み込んでいる間、かつてないくらい俊敏な動きで遠ざかった溝口が、じりじりと近づいて来ていた。近づくタイミングまで測れているということは、一週間、完全な常習犯だし、何度か俺が起きるか起きないかのぎりぎりもあったってわけだ。なにがしたいんだ、こいつ。
「……………」
口の中を念入りに見て、見える範囲に薬がないことを確認した溝口が、呼吸までチェックしたので、こんなことに慣れっこになるな、と掴みかかって驚かせてやろうかと思った。窒息の心配をするぐらいならやるな。薄目で見える溝口は真剣そのものという顔で、いつものへらへらと緩く弛んでいる笑顔は、無かった。あの溝口に、大嫌い、と叫ばせるぐらい怒らせたんだから、笑っているわけがないか。もしかしたら、この薬を飲ませた理由も、眠りを深くしてそのまま死んでくれたらいいのに、と思っているのかもしれない。だとしたら、もう取り繕いようもなく本当に、嫌われているんだろうな。仕方がない。突き放したのは俺だ。独り善がりのエゴで、好きだからどこかに行って欲しい、と頼んだ。そんな奴、大嫌いになられて当然、
なにしてるんだ、こいつ。
「……こがねいくん?」
びくりと動いてしまった体に、溝口が、囁くように名前を呼ぶ。下半身側にいつのまにか移動していた彼が、ず、と微かな衣擦れの音を立てて、じっと顔を覗き込んで来る。呼吸が聞こえそうな近さに、ぐうぐうと寝息を立てるふりをすれば、かなり長い間観察されて、静かに離れて行った。いや、下寒いんだけど。
あろうことか、下半身の布団を剥がれて、服も脱がされかけている。びくってなった俺が悪いのか。見えない状態がこんなに怖いものだとは思わなかった。何かの間違いだろうと寝たふりを決め込むと、ずりずりとズボンを半端に下げられたので、流石にもう一度寝返りを打った。ぺたりと俺の腰に手を置いたまま動かなくなった溝口が、こがねいくん、ともう一度小さな声で呼んで、ぐす、と鼻をすすった。泣いて、るのか。
「ごめんねえ」
下着を下げて、するりと這った生温い手に、飛び起きて肩を掴む。パンツから溝口の手を引っこ抜くように引き剥がせば、声も出ないほど驚いたのか、固まって動かなくなってしまった。真っ暗な中じゃ話もできない。凍りついた溝口から、指を引き剥がして、乱された服を直しながら電気をつける。じー、と音がして、古い電球に明かりが灯った。真っ青な顔。ぺ、と薬を吐き出せば、それを目で追った溝口が、俺を見上げて、俺の後ろを見て、駆け出した。
「馬鹿。逃がすか」
「わああ、あ、ごめんなさ、っごめんて、謝るから!いけないことしてるって分かってていけないことしたから!ごめんなさい!」
「ごめんで済んだら警察はいらない」
「やだやだ!なんで起きてるの!怒んないで!ごめんなさい!」
「静かにしろ」
細い身体を俵抱きにして、落ち着け、と宙ぶらりんにすれば、暴れ疲れたのか、ゆるして、ごめんなさい、とすんすん鼻をすする音しかしなくなった。これなら会話が可能だろう。溝口を布団の上に下ろして自分は床に座れば、膝を抱えて丸くなってしまった。
「どうしてこんなことしたんだ。俺のこと、大嫌いなんだろう」
「う……それは、ちょっと言っちゃっただけ、で……嫌いじゃない……」
「……そうか」
安心してしまった自分がいた。それを、醜いなあ、とぼんやり感じながら、これ以上パニックにならないように、出来るだけゆったり話しかける。怒ったりしないから。いけないことだと分かっていたなら、責めるつもりもないから。そう何度も重ねて、重ねながら、「俺のことを許さないで」と溝口に吐かれた言葉が頭の中を回った。お願いだから、許させてくれ。俺にはそのくらいしかできない。せめて、お前のしてしまったことを全て受け入れるくらいのことがしたい。大丈夫だと、最後まで、嘘でもいいから言っていたい。それが、俺がお前を好きだという証明なのだと思って。
薬を飲ませて、ごめんなさい。溝口がぽつりとそう零して、何日やったんだ、と確認する。予想通り、一週間、だそうで。過剰摂取で脳が緩んで記憶が無かったのなら、ぼんやりと歪んだ一週間にも説明がつく。けど、覚えていないことを溝口に知らせても、普段自分が使っている薬だからと俺に服用させたであろう溝口は、人によってはそんな副作用があるかもしれないことまで考えついていないだろうから、今はまだ黙っておこう。
「どうして、こんなことしたんだ」
「……それは……」
「俺に起きて欲しく無かった?」
「……うん」
「……死んで欲しかったのか……」
「ちっ、違うよ!?なに言ってるの!ちがう、ちがくて、ええと、俺、小金井くんに言われたことたくさん考えて」
「ああ」
「スキな人とセックスするんだって、じゃあ俺今までそんなのしたことなかったなって、だって最近なんかお金貰えるからしてただけで、だから、えっと」
「ゆっくりでいい」
「だから、小金井くんとならお金貰わなくてもできるんじゃあないかなって思って、それで、そう!フェラしてたの!」
「……ふ……」
「一週間!」
「……いっ……?」
「小金井くん、起きてたらきっと、また、そういうのはスキな人としなさいって言うから、小金井くんは俺とちゅーできるけど、俺は小金井くんにちゅーできるかなって思って、最初はちゅーしたの。できた」
「勝手になにしてくれてるんだ!?」
「おいしかった」
「なに!?」
おっきい声。にへら、と笑いながらそう呟いた溝口に、貞操観念の緩さを甘く見ていた。今まで散々、お金をもらえれば、ありがとうと感謝されれば、なにをされてもいいと思っていた人間だぞ。それとも、俺がおかしいのか?あんなことを溝口に言ってしまったから?キスの次がセックスだと、そういうことは好きな相手とやるんだと、言ってしまったから?いや、普通のことだろ。俺は間違ってない。そんでねえ、と続けかけた溝口に、ストップをかける。
「……一週間前の夜、俺が寝てからお前はここに来て、俺に薬を飲ませて、それで、……」
「ちゅーした」
「……そ、そう、か。キスして……」
「それで、全然できるし、小金井くんから何かもらいたいわけでもないし、むしろ小金井くんとならもっとしたいなーって思ったから」
「……た、から?」
「パンツ脱がして」
「あああ!いい!鮮明に思い出さなくていい!馬鹿!」
「小金井くん真っ赤っかー」
「誰のせいだ!?」
だってちゃんとしたら、ちゃんとっていうか、セックスしたら流石に起きちゃうと思って、最初は俺もすごい慎重にやりすぎて朝になっちゃいそうだったけど、小金井くんのはいくら口に入れててもいやじゃなかったし、これがスキってことかな?って思って、次の日もやることにして、でも何回やっても小金井くんは起きないし、ちゃんときもちくなってくれたのは嬉しかったけど、そういえばお薬ちゃんと飲ましてたのになんで今日だけ起きてたの?もしかしてずうっと起きてたの?
そう問いかけられて、そういえば、の一言であっさりとずれた論点に、茫然と痺れた脳髄で、「起きてなかった」とだけ答える。よかったあ、と安心されて、良くねえ。いやいや。全然良くねえ。お前、なに、人の身体を勝手に使って、なにしてくれちゃっているんだ。固まっている俺に、だからねえ、と溝口が口を開く。
「小金井くんは、俺にちゅーしてくれた。こういうことする人とセックスしなさいって言ってくれた。俺は、小金井くんとなら、もし小金井くんが嫌でも、そういうことしたいし、できるし、こういうことする相手になれたらいいのになーって思う」
「……それは、恋人になる、と、いうことなのか……?」
「え?こいびと?違うよー、小金井くん、俺のことスキなんでしょ?」
「そ、そう、いや、そうなんだけど……」
「俺さ、スキとか分かんないから。でも、小金井くんからそう思われてるのは嬉しいし、小金井くんのことが特別なのはほんと。だから、小金井くんとはセックスできる!ちゅーも!」
「……最後がいらない……」
「ん?」
「……もういいです……」
訳が分からない。常識がぶっ飛んだこの犯罪者を、好きになってしまった自分を疑う。しかしまあ、好きだから、大切だから、仕方がないなあ、と思ってしまうのも事実で。取引抜きでそういうことができるってことは好きってことだよ、と刷り込んでしまいたくてしょうがなかったけれど、無理やり言葉を飲み込んだ。特別、という単語がこの男から出ただけでも、涙が出るほど嬉しい。黙った俺に、ねえ、と溝口が顔を覗き込む。
「……また俺間違ってる?」
「……合ってる。けど、俺はお前とそういうことはしたくない」
「ちゅーしたのに?」
「誰ともしたくない」
「俺それ知ってる。不能」
「……………」
「いひゃい、ほっぺのびる、ゔぅ」



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