このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

だめだめ同士の平行線




明日はデート(仮)。俺の部屋に置いておくと忘れちゃうから、と晩飯の後にうちを訪れた溝口が鞄を置いていった。ぺらい鞄。自分の持ち物がほとんどなかった彼が可哀想になって、引っ越し祝いに買ってやったやつだ。中には、タオルハンカチとティッシュと、携帯の簡易充電器と、「カギ、くすり、けいたい」と書かれたメモ。なんでこれを入れたままうちに置いて行くかな。馬鹿。中は見ないでおいておいてやったほうがよかったかもしれない。
「おっはよー!」
「……………」
「小金井くん寝ぼけてる!俺もう朝ごはんも食べちゃったのに!」
「……何時だ」
「え、今?9時」
「……すまん。悪い、待たせた」
「いいよー。映画はお昼過ぎだし、俺もう寝れなくって!」
次の日の朝。がちゃがちゃとけたたましい音で目が覚めたが、時すでに遅し。溝口は準備ばっちりで、メモを片手に、くすり、けいたい、カギしめた、と鞄の整理をしている。朝飯はいいからとりあえず外に出られるように格好をなんとか、とどたばたしている俺に、布団に勝手に潜り込んだ溝口は、あたたまって満足したのかお湯を沸かしてカップスープを作ってくれた。どうせならパンを焼くとかしてくれ!
「お腹空いちゃうよ」
「……熱い……」
「一気!」
「無理だ」
結局、熱湯で作られたスープが飲めるまでの間に、食パンをかじるぐらいの時間はあった。俺の食事風景なんて面白くもないと思うのだけれど、溝口はにこにこと眺めている。何が楽しいんだ。
「いきてるーって感じ」
「……そうか」
目的地までは車で行こうと鍵を手に取ったのだが、溝口たっての希望で電車で向かうこととなった。なんでかは特に聞かなかった。溝口は、たのしい、なつかしい、とずっとうきうきしていたので、聞けなかった。そういえば、数年前に一連のごたごたがあってこいつの生活がぶち壊れてから、こうやって出掛けたことなんて、片手で数えるぐらいしか無かったっけ。友達なんて、いないしな。お互い。
土曜日。混んでいるだろうとは思っていたけれど、案の定混んでいる。大きめのショッピングモールには、映画館もレストランも、もちろんゲームセンターも入っていて、溝口が見たがったイルミネーションがやってる遊園地まではシャトルバスが出ている。至れり尽くせりだ。まずは映画の席を取ろうと映画館の発券機の前に立ち、溝口を見た。溝口がぽかんと俺を見上げてきた。うーん。
「なんの映画が見たいんだ」
「決めてない」
「……気になる作品は」
「ない」
「洋画と邦画は?」
「小金井くんが好きなやつでいいよ」
忘れていた。こいつには自我というものが無いんだった。結局、時間がちょうどよくてそんなに混んでない映画、と選んで、アクションものの洋画になった。公開してからしばらく経っているからか、座席表には空席の方が大分多い。後ろの端の方を二席選んで、チケットを溝口に渡した。
「おおー」
「……映画ぐらい見たことあるだろ」
「あるよ!新城くんと見に来たよ」
「へえ」
「新城くん、有名人になったんだねえ。俺知らなくて、びっくりしちゃったよ」
「そうだな」
「あ、小金井くん、新城くん嫌いなんだったっけ。ごめん」
「別にいい」
「この映画、新城くん出てる?」
「出ていない」
「そっかー。ざんねん」
あまり残念ではなさそうだ。少し前に連絡を取ったこと、会いたいと言っていたことを、そういえばと思い出したので告げれば、どうも溝口は中原とは直接の面識がほぼ無いに等しいらしかった。話に聞いたことは何百回もあるそうだが、流出元は一つしか思い浮かばない。まあ、溝口も乗り気なので、適当に連絡はとってみよう。新城は心底どうでもいいが、中原には会いたい。あいつこそ、なにしてんだろう。根が真面目な割にストレス耐性がないので、体を壊していないかは心配である。
さて。無事に映画の席が取れたことだし、とショッピングモールの中を当て所なくうろうろと歩く。服屋やらを見て回るかとなんとなく思っていたものの、ゲームセンター!と溝口が騒がしかったので、もう早々と連れていくことにした。使って良いお金はこれだけ、とちゃりちゃり小銭を手に握り締めた彼が、満面の笑みでクレーンキャッチャーの間を歩いていく。欲しいものがある、というより、遊びたいだけだ。
「見て、小金井くん。でっかいお菓子」
「ああ」
「ぜいたくだー」
「……そうか?」
「あ!くま!おっきいくま!」
「欲しいのか」
「いらない」
いらないのか。結局、ぐるぐると二周した溝口は、これをやる、と冬限定のチョコの大きい箱を落とそうとして、全額スった。これじゃ貯金箱だ。難しい!と笑っている本人が楽しそうなので、まあいいけれど。
「なにか欲しいのか」
「んー、そうだなー、思い出が欲しい」
「はあ」
「今日こんなに楽しかったぞって、後々の俺がちゃんと思い出せるように」
あっけらかんと言われて、何も言えなかった。こいつは、情緒が不安定だから。ひょんなきっかけで、溝口の精神は簡単に揺らぐのだ。例えば、なにかに怯えて家の中をぐちゃぐちゃに散らかしたっきり、そのことを忘れてへらへら笑っていたり。部屋の隅っこでずっと丸まっていたり。スイッチ式みたいに暴力的になって、いきなり噛み付いてきたり。だいぶ無くなりはしたけれど、薬が抜けきるまでは頭がおかしかった。正しく、頭がおかしかった、から。本人はそのことをみんな覚えているらしく、自分の記憶能力が緩くなっていることも分かっていて、それに心のどこかで怯えている。いつか今の自分は得体の知れない何かに食い潰されて無くなってしまうのだと、いけないことをいけないことだと知らなかった昔の自分がずっと今の自分を責め立てて恨んでいるのだと、叫び喚きながら暴れているのを見たことがある。それはまだ溝口が柵の中にいた時の話だけれど、発作的な感情の発露は、回数が減っただけで、きっと根幹は何も変わっちゃいない。
そういうことを知っていて、甘やかしてしまうのが、恋愛感情なのだろうか。それとも、これは、ただ彼を見下し果てた末の同情なんだろうか。
「わー、小金井くん上手!」
「……そうか」
「ありがとー!大事にする!」
女子学生が持ってそうな、猫のぬいぐるみのキーホルダー。嬉しそうにそれを鞄につけた溝口に、なんだか枷みたいだ、と他人事に思った。

「ぜんぜん分かんなかった」
「続き物らしい」
「小金井くん分かった?」
「なんとなく」
「えー」
映画が終わって、溝口は困った笑顔で首を傾げていた。アクションは派手で豪快で痛快で、面白いものだったけれど、ストーリーの内容は続き物のそれらしく、前作を見ていないと細かいところは分からなくて、理解に時間のかかる溝口は尚更置いてきぼりを食らったようだった。そっかー、と口を尖らせた溝口が、俺を見上げる。
「手ぇつないでもいい?」
「なんで」
「つなぎたい」
「嫌だ」
「ちゃんと拭くから」
「どうしてこんなところで手を繋がなくちゃならないんだ」
「……ちぇっ」
あ、拗ねた。何を思って手を繋ぎたがったんだか、映画のストーリーよりも俺にはそっちの方がさっぱり分からない。
拗ねた溝口は、アイスが食べたいとぶつくさ言い始めたので、買ってやったら秒速で機嫌が戻った。子どもか。なんの変哲も無いバニラのソフトクリームだが、幸せそうに食べているので良しとする。一応、飯は何が食べたいか聞いたものの、自我が薄い溝口なので、「小金井くんが食べたいやつがいい」だった。俺もそこまで欲がある方では無いので、選ぶのに苦労してしまうのが目に見えているのが辛い。
ソフトクリームを食べ終わって、飯には少し早いし、かといってイルミネーションを見に移動してしまうのと、寒い中外に居続けることになるわけだからちょっと、ということで、当て所なくふらふらすることにした。どこか喫茶店的なところに入っても良かったのだけれど、どこも混んでいて並ばないと座れなかったのだ。服屋に立ち入ってみるものの、溝口はぽけっとしていて特に服を見ている風でもなし、俺もさして興味があるわけでもないので、気まずくなって出た。溝口が一番長くいたがったのは、ペットショップだった。
「ふふー、かわい」
「……獣臭い」
「そお?かわいいよ、あの子なんかこっち見てるよ」
「気のせいだ」
「小金井くん動物嫌い?」
「好きでも嫌いでもないな」
「そっかあ。おっきい犬とちっちゃい犬ならどっちがいい?」
「犬は吠える」
「じゃあ猫?」
「猫は言うことを聞かない」
「じゃあ、ハム!」
ハムスターをそうやって略すと別のものになってしまうからやめてほしい。犬飼いたいとか言ってたしな、と思いながらペットショップを出て、あと、ゲームセンターにももう一度行きたがられたから行った。なにもしなかったけど。
「おなかすいた」
「……何か食べて移動するか」
「うん!なに食べる?」
「肉がいいんじゃなかったのか」
「ん?うーん、別になんでもいい」
「腹減ってるんじゃないのか?」
「びみょう」
空腹の感覚にすら自我がないらしい。肉がいいとは言われていたので、ハンバーグ専門店に入った。落ち着いた雰囲気の店内で、ハンバーグにも色々な種類があるので、溝口でも食べたいものがあるだろう。二組くらい並んでいて人通りも多くて、ちらちらと溝口に向けられた目に、彼が何も考えずにぽやんと通行人を見上げるので、顔を下げさせた。変なところで変な風に人目をひくこともないだろう。仮にも一応は、世間様を賑わせたことのある前科者なんだから。
メニューを見た溝口は顔を綻ばせて、値段を見て眉を下げた。高い、と思っているのだろう。ディナータイムのコースなら妥当な値段のはずだが、いかんせん溝口はエアコンを買うことすら躊躇する生活水準なわけで、満足するまでゲームセンターでUFOキャッチャーを貯金箱にすることすらできないくらいの金しか持っていない。同情でもなく、恋愛感情でもなく、憐れみでもなく、友人として一緒にテーブルを囲みたいという理由での御馳走は、許されるものだろうか。きっと溝口にとっては、理由なんてどうでもいいのだろうけれど。どうせこれだけ考えたところで俺の口から出る言葉は「奢るから」だけだし。ソフトクリームもぬいぐるみのキーホルダーも夜ご飯も、大差無いだろう。
「……んー……」
「苦手なものでもあったか」
「……ううん。小金井くんに、全部してもらってる気がして、ご飯も奢ってもらうの、なんかなあって」
「別に構わない」
「……デートだから?」
「それでお前が納得するなら」
「……小金井くん、本当に俺のこと好き?」
「ああ」
「それは俺をここにいさせるための、ただの方便で、嘘っぱちで、君は、悪いことをした俺を管理するためだけに囲っておきたいから、そうやって言っておけば、馬鹿な俺は騙されて、絆されるから?」
「……み」
「ごめん、待ってて」
立ち上がった溝口は、荷物も全部置いたまま、店の出口へと向かった。すれ違った店員に向けた曖昧な笑顔。お手洗いに、と零した彼に、店員が手で方向を示して、そっちへ歩いていく。ああ。こうやって人は失敗を繰り返すのだ。制御できているつもりになって、手に入れたつもりになって、あっさり取り落す。大学を卒業した時もそうだった。またね、と手を振った溝口は、数週間後には一切の連絡が取れなくなっていた。俺には、人の気持ちが分からないから。ようやく手に入れた、好きだという感情も、それに振り回されるのが嫌で、自分ではなく相手側のベクトルを変えようとした。間違ってからしか、間違えたことに気づけないのは、いつも同じだ。現実に、取り返しはつかない。
ぼんやりと座っている俺に、店員が注文を聞きに来た。おすすめ、と書いてあるコースを二人分頼んで、季節限定と勧められたデザートも、言われるがまま注文した。溝口は、帰ってくるのだろうか。さっきゲームセンターに行った時に、財布はポケットに入れていた気がする。あのままここに戻ってこないのも、ありえない話ではないということだ。イルミネーションを見たいと言っていたのに。俺といるのは楽しくなかった?それは当たり前か。俺が楽しくなさそうだったから嫌気がさしたのかもしれない。だって、昔から溝口の周りには、俺みたいなタイプはいなかった。周りに流されて、上手く溶け込める彼だから、周りにいる人間も明るくて、楽しそうだった。そうなりたいと思ったことはないけれど、俺といる時の溝口の顔と、みんなといる時の溝口の顔が違うことは、知ってた。じゃあ自分が変わればよかった?好きだと毎日告げたらよかった?彼が求めてくる体の関係も、受け入れたらよかった?それを受け入れたとして、溝口のことを金で買っていた連中と、居もしない神様を信じて彼を甚振り嬲っていた連中と、俺は何が違うんだ?愛があるから違う?目にも見えない不確かなもので、俺とあの連中に差異が生まれるわけがない。別に、そうなりたいわけじゃない。例えば、一緒に映画を見て、ゲームセンターに行って、服屋を回って、飯を食って、遊園地に遊びに行って、名前を呼んでもらえたらそれで、もう充分だったのに。
「こがねいくん?」
「!」
「冷めちゃうよ?俺の分も頼んでくれたんだ、ありがとー」
都合のいい夢かと思った。いつの間にか戻ってきたらしい溝口が、いただきます、と手を合わせて、フォークとナイフをどっちの手で持ったらいいのか迷って、俺を見た。人に合わせることしかしてこなかったから、そういうことも知らない。そういうことすら知らない彼に、俺は何も言わずに放っておこうとする。一体どこへ行っていたんだ、とか、勝手に注文して悪い、とか、帰ってこないかと思った、とか、色々言いたいことはあった。はずなのに、全部、喉の奥に詰まった。
「……溝口」
「ん?」
「……俺は、今、楽しい」
「うん。俺も」
きょと、と不思議そうな顔で俺を見た溝口が、珍しいね!と頬を綻ばせた。怒っていたんじゃなかったのか。だから出ていったんじゃ。
「ううん。お金下ろしてきた」
「……そういうことは……もっと、こう……言ってから立ち去れ……」
「小金井くんだって急にいなくなったり急に黙ったりするじゃない」
お互い様、か。成る程、その通りだった。

イルミネーションを見にいくためのシャトルバスは、意外にも空いていた。そのためだけに行く人間は少ないのだろう。遊園地だし。帰り側には人が並んでいるのが、少し離れたバス乗り場に見えた。
大人二枚、アフターパス。夕方からの入場では割り引かれるらしいそれを買って、手渡された紙製のバンドを手首に巻く。片手で億劫そうだったので巻いてやったら、お返しにと溝口が俺の分は付けてくれた。少しよれたそれが、なんだか嬉しい。入場口をくぐると、外からは見えなかった光の洪水が、きらきらと押し寄せてくる。
「わー!きれい!」
「ああ」
「写真撮りたい!」
「どうぞ」
はしゃぎながら携帯で写真を撮っている溝口を少し離れたところで待つ。綺麗だとは思う。はしゃぐのも分かる。自分がそうはなれないだけで。
店内は存外に広く、エリアが分かれているようだった。夏場はプールとして使われているエリアでは、水と光を使った展示があるらしい。30分に1度、と書いてあるそれを見るために、寒い中だったがしばらく待った。光のトンネルもくぐった。イルミネーションの塊みたいな、大きなオブジェも見た。花畑のように広がる電飾の芝生も見た。溝口は全部に喜んで、俺は全部に平坦だった。寒さにかじかんできた手を温めようと売店でコーヒーを買った頃、残り30分で閉園だとアナウンスが流れた。そんなに時間が経っただろうか。
「小金井くん、今日はありがとう」
「いや。たまには外に出るのもいいなと」
「手ぇつないでもいい?」
「ああ」
手を、取られるよりも先に、取った。冷え切った指を握り締めれば、数秒置いて、握り返された。暗いから?俺がしつこいから?寒いから?と散々理由を詮索されて、全部に違うと答えれば、不貞腐れられた。理由がそんなに重要だろうか。
「だってさっきは拒否られた」
「気が変わったんだ」
「なんで?」
「好きだからだよ」
同情じゃなくて。憐れみじゃなくて。依存じゃなくて。自分がやっと手に入れたまともを捨てたくないからじゃなくて。溝口優吾のことが、好きだからだ。幸せになってほしいと思っているから。例え隣に自分がいなくとも、お前が笑っていられるならそれで良いと思えるから。だから、手を握りたくなった。その理由に、理論的な意味付けはない。隣を見れなくて目を伏せた俺に、くつくつと溝口が笑う声がした。
「……小金井くんの、駆け引き下手」

後日。
溝口は「俺のこと好き?」と確認してくることをやめた。自信がついたのか、飽きたのか、満足したのかは不明だ。肉体関係を強請ってくるのもやめた。それに関しては、諦めた、ように思う。ただ、その代わり。
「今度のお休みはここがいい」
「……一泊しないと行けない距離はやめてくれないか」
「えー、行ってみたい」
「無理だ。連休の予定が立ってからにしろ」
二人被った休日の度に、溝口曰く「デート」をするようになった。二人でどこかに出かけて、外食をして、必ずどこかで一回手を繋いで、帰ってくる。なにも特別なことは起こらない。夏になったら海に行きたい、冬のうちにスキーに行きたい、春はお花見がしたい、秋は紅葉を見たい、と溝口の挙げる候補地には枚挙がない。全てを実行し尽くすのには、相当な時間がかかるだろう。自我の薄い溝口のことだ、やりたいやりたいと騒ぐ割に、実際選択肢を与えたところで「どっちでもいいよ」と言うんだろうし。
けれど、それが楽しければいいと思う。溝口が幸せになるために楽しい思い出を作ることが、俺にできることなら。
「あ。お泊りになったら、そういうことするってこと?」
「……………」
前言撤回。いつもと同じ雰囲気を保たず少しでもそういうシチュエーションになったら一線を飛び越えてくる気は満々らしい。身体の付き合いしかしてこなかった溝口らしいといえばらしい。人間の本質はそうそう変わらないようだ。俺が上手く笑えないのと同じく。なんだか呆れて、どうしようもなく可笑しかった。


2/2ページ