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おはなし




「俺は、なんの仕事をしたらいいんですか?」
「え?」
「いや、だって、思い返して見ると、ここに来てお掃除とかしかしてないから……」
「仕事だって、てーちゃん」
「俺たちが欲しいぐらいだよね、仕事」
「生きていてくれればいいよ、おーちゃん」
「重い……」

突然、おおかみちゃんが仕事を求めだした。おおかみちゃんを拾って、うちに住まわせることを決めて、数ヶ月が経った頃である。今までは大人しく、というかむしろ自主的に、俺もアンちゃんも相当貯まらないとやらないお洗濯をしてくれたり、俺もアンちゃんも滅多なことではやらないお掃除をしてくれたり、アンちゃんが時々やってくれるけど俺はやらないお料理をしてくれたり、していたけど、そうじゃない仕事が欲しいらしい。例えば?と聞けば、例えば、うーん、と考え込み始めた。深いことは考えていなかったらしい。おーちゃんはかわいいのがお仕事だよお、とアンちゃんがおおかみちゃんの髪の毛を梳かしているけれど、納得がいかないようで。
「なにか、こう、家事じゃない仕事がしたいです」
「家事が出来るだけですごいことだと思うんだけどなあ」
「おーちゃんはアンちゃんの弟なんだから、なんにもしないで元気に生きるのがお仕事だってばあ」
「弟なんですか?俺」
弟ではない。
しかし、おこりますよ!と眉を吊り上げているおおかみちゃんを放って置けないのも事実だ。扱いとしてはバイトだし、お給料払わないとだし、だったらお仕事してもらわなきゃだし。しかしアンちゃんのやってるような荒事に彼を巻き込むわけにも行かず、受付係を任せたいのは山々だけれど受け付けようにも客が来ないと暇なわけで、家事は仕事ではないと言われてしまったし、さて困った。そこで帝士さん、良い案を思いついたのです。ナイス。イケメン。
「おおかみちゃんには、書類整理を任せます」
「はい」
「ここに随分昔からの捜査資料と記録が、あららら」
「わああ」
どざー、と段ボールから溢れ出た紙。適当な巾着袋に入ったUSBメモリ、CD‐ROM、なんならフロッピーもある。遡りましては何年前からあるのかな。おおかみちゃんには、これらを整理してもらえたらと思いまして。量の多さに嫌がるかも、と恐る恐る伺った俺におおかみちゃんは、「こんなに溜め込むから、整理整頓がめんどくさくなるんですよ!」とぷんすかした。ごもっともです。
次の日。俺が起きた時には、おおかみちゃんが稼働させたコーヒーメーカーからいい匂いがしていて、窓もカーテンも空いてて、彼本人は鼻歌交じりにクイックルワイパーをかけていた。今日からお仕事があるのでご機嫌らしい。ちなみに、俺より早く起きてお掃除してるのはよくあるし、カーテンも窓も開いてるのもよくあるし、俺が朝起きて飲めるようにコーヒーを淹れといてくれるのもよくあるので、上機嫌ポイントは鼻歌の部分である。
「おはようございます、帝士さん」
「おはよー。早起きだね」
「そうですか?パン焼きますか」
「うん。おねがーい」
「アンさんはまだ寝てますよね」
「そうねえ」
今日はお仕事があるので、ちゃんとしないと。おおかみちゃんにはお留守番がてら昨日お願いした仕事をやってもらうことにしよう。俺ががたがたと準備をしている間、共用のパソコンの前に座って、溜まった紙束と画面を見比べてキーボードを叩いているおおかみちゃんをちらちら窺っていると、真面目にお仕事してきてください、と片手を振られてしまった。はい、すいません。
「いってきまあす」
「アンさんはお留守番ですか?」
「ううん。起きたらすぐ来てって言っといて」
今日のお仕事は、悪い人が悪いことをしている証拠を抑えることです。アンちゃんに手伝ってもらった方が楽なんだけど、アンちゃんが今日はお寝坊モードなので、みんなの所長・頼れるかっこいい帝士さんががんばっちゃう。張り込みってやつなのだ。
下調べしておいたお家の前を張っていたら、にゅんとアンちゃんが生えてきた。転移的な移動の方法をとるのはびっくりするのでやめていただきたい。大概「ふつうに走ってきただけだよお」とか言われるけど。ぱちぱちまつげにぷるぷる唇なので、お化粧する余裕あんじゃん、とアンちゃんに軽くパンチすれば、めっちゃ当たり前のようにかわされた。やめてよ、かわさないでよ、転んじゃったじゃん。
「おーちゃんががんばってたよお」
「早く行ってあげてくださいって言われた?」
「ううん、寝起きですぐ走ってきちゃったからおはようしか言ってなあい」
「……?」
「?」
「……寝起きで?」
「もー、てーちゃん。てーちゃんがアンちゃんのことをいつでも最高に可愛いプリティーな女子だと思ってるから、そういう風に見えちゃうんでしょー」
「自分で言う?」
「あ、出てきた」
「追っかけないと」
「えー、アンちゃんお腹すいたー」
「もう!」

「たーだいまー」
「おかえりなさい」
「あーん、アンちゃんつかれたー」
「おつかれさまでした」
夜。一日尾行に費やして、いっぱい写真を撮ったけれど、悪いことを揚げ足取りは出来なかった。明日も行かなきゃ。早く悪いことしてくんないかなー。暴力沙汰にならないとアンちゃんがだれちゃうんだよ。ふと思い出したように、おおかみちゃんが「アンさんパジャマのまま走って行きましたけど、良かったんですか?」と聞いていたが、俺と会った時点でアンちゃんはパジャマではなかったので、彼女は野外で着替えたか、着替えをせずに服を替える何らかの手段を持っているということになる。不思議。
ソファーにぐてぐてしている俺とアンちゃんを見て、お疲れでしょうから、とおおかみちゃんがいそいそ夜ご飯を作ってくれた。豚の生姜焼きとサラダ、お豆腐のお味噌汁。おいしい。アンちゃんもほっぺをもちもちさせて幸せそうに食べている。
「あ、おおかみちゃん、書類整理どう?」
「少しずつ進めてます」
「分からないところとかない?っつっても日付順に並べてくれるぐらいでいいんだけど」
「今日のところは大丈夫でしたよ」
「おーちゃん、お仕事いくつもやるの大変だから、お料理とかお掃除はしなくてもいいよお」
「いいえ!それは俺がやらないと誰もやらないので!」
「ぐう……」
「てーちゃん、ぐうの音出てるー」

「ごちそうさまでした」
「おいしかったー!」
「おそまつさまです」
明日は何が食べたいですか?と優しく微笑まれて、ママ…と思わず呟いてしまった。明日はお買い物に行くから、何でもいいですよ!だそうだ。最高。アンちゃんと顔を見合わせて、無言でじゃんけんして、俺が勝った。中華が食べたいです。青椒肉絲が好きです。
「作り方、調べてみますね」
「ママ大好き」
「ママー!」
「や、やめてください」
「おーちゃんママー!」
「わああ」
アンちゃんがおおかみちゃんをぎゅうっと抱きしめて、動物のように擦り寄っている。ハグはいいけどキスはやめなさい。
ご飯が終わった後、お皿洗いぐらいは、と俺がやった。おおかみちゃんが、そういえば、とデスクから写真を持って、アンちゃんに見せる。きゃらきゃらと笑うアンちゃんの声、おおかみちゃんの楽しそうな声。えっなに、俺も入れてよ、仲間はずれ良くない!
「どうしたの!」
「あ、帝士さん。お皿洗いありがとうございます」
「どういたしまして!なにそれ!」
「アンちゃんのハッピーウエディングー」
「……なにそれ?」
「あっ、てーちゃん覚えてない!ひどーい!」
ほらあ、と見せられた写真には、清廉な花嫁、というコピーがとてもよく似合いそうな、目を伏せて柔らかく笑うウエディングドレス姿の美女が写っていた。アンちゃんか、これ。何度でも驚くけど、ほんと別人になるな。薄いベールを被って、白を基調とした花束を持って、誰とも知らない男の腕を組んで立っている。
「どこだっけ、ここ」
「イタリア」
「ああー、んー、思い出した気がする……」
「アンさんの旦那さんですか?」
「ううん。この人は死んじゃった、アンちゃんもこの人のこと何にも知らないし」
アンちゃんの御礼参り、というか。国外は大体そうなのだけれど、アンちゃんがやったいろいろに恨みを持っていたりとか、はたまたアンちゃん自体に生きていて欲しくない人とか、そういう人と切った張ったをすることが多々ありまして。この時のこれもそうだ。なにがどうしてどうやったらこうなるのかは忘れたけれど、確かアンちゃんがこの格好をしてこの人といることには意味があったはず。俺もこの時参列してた。確かチャペルの前列に爆弾が仕掛けてあって結構な人数が死んだ。
「帝士さんは平気だったんですか」
「俺は、一番前にいたはずのアンちゃんが突然俺の隣にワープしてきて俺のことを引きずり倒して庇ってくれたから平気だった」
「アンちゃんワープしちゃったー」
てへ♡と小首を傾げたアンちゃんが、でも花嫁さんは楽しかったー、とうっとりした。アンちゃんが楽しいのが何よりだと思う。だって顔も名前も知らない何人かが死んじゃったことは、俺にも彼女にも、もちろんおおかみちゃんにだって、関係はないわけだからね。
おおかみちゃんは、書類を整理する中で、気になった写真を分けておいたらしい。とってあるものはアンさんの写真ばかりですね、と言われて頷く。だって、写真でも撮って残しておかないと、なにかに為っているアンちゃんを、俺は認識できなくなってしまう。有象無象にいくらでも紛れられる彼女を見失うことはとても簡単で、恐ろしい。手を繋いでいないと、声をかけていないと、アンちゃんがアンちゃんであると自分自身に証明し続けないと、きっとあっさりと取りこぼしてしまう。だからね、なんて、彼に説明するのは野暮なので、アンちゃんが最高にマブい女だから写真を撮りたくなってしまうのだと伝えれば、苦笑された。そのぐらいでちょうどいい。
「これもアンさんですよね」
「そうだねえ、あー、これは覚えてる。アンちゃんげきおこ事件の時だよね」
「どーれ?これー?そお、アンちゃんげきおこだったの」
「どうしたんですか」
「きーてよ!ひどいんだよー!」
露出の激しい蠱惑的なチャイナドレス姿で挑発じみた目を向けているアンちゃんの写真。アンちゃんが撮ったらしい、目線が別を向いてる俺とのツーショットもあった。確かこれは、身寄りのない、いなくなっても誰も探してくれないような人間ばかりを集めて、彼や彼女たちにひどいことをして、それを見て楽しむ悪趣味なショーにアンちゃんがブチ切れて、大暴れしちゃった時だ。別の事件の捜査で辿り着いてしまったその舞台にアンちゃんは「アンちゃんそーゆうのがいっちばんきらい!」と髪を逆立てて怒り、依頼を秒で片付けた後、その日の夜中にショーをぶち壊しにかかった。次の日の朝には終わってた。俺は、アンちゃんがこの服を着て、いってきます♡とセクシーポーズを決めて颯爽と出ていったところと、服に乱れ一つ無く帰ってきて、おみやげだよお、とパンダのぬいぐるみを抱えて帰ってきたことしか知らない。なぜパンダ、と思ったが、チャイナドレスになぞらえたのかもしれない。よくわからん。
やいのやいのと憤りを露わに文句を言うアンちゃんの話に、こくこくと頷きながら聞くおおかみちゃん。そんなひどいことをする人がいるんですか、と彼は眉を下げていたが、いや、なんつーか、君だって俺たちがうっかり間違えて攫ってきちゃっただけで、薬塗れのぼこぼこで酷い有様だったじゃないのよ。自分のことは割と蔑ろなおおかみちゃんなので、今は元気なので俺はいいんです、と素で思っていそうだ。
「これは?」
「これはねー、アンちゃんが地下アイドルになった時のやつ」
「地下アイドル」
「イかれたストーカーに悩んでたアイドルちゃんにアンちゃんが成り代わって代わりに退治してあげたんだよね」
「そー、でもストーカーさん、アイドルちゃんになってるアンちゃんに蹴られて気持ちよくなってたからやばかったねー」
「結局俺が殴ったしね」
「ねー」

おおかみちゃんが寝た後。興が乗ったらしく、アンちゃんが嬉しそうにおおかみちゃんがまとめてくれた分の昔話を見返していた。
「覚えてんの?すごいね」
「んー、アンちゃん、忘れるとかあんまできないからさー」
「昔はやんちゃしてましたなあ」
「ねー。今の方がおとなしーよ、アンちゃん。前の方が、アンちゃんのことやっつけてやるーって人も多かったし」
「誰もやっつけられなかったけどね」
「ふふー、てーちゃんの応援あってのものです」
俺は何もしてないけどな。マジでなにもしてない。謙遜ではない。
懐かしそうに写真を見ていたアンちゃんが、おーちゃんも一緒に記録に残さないとね、と呟いた。アンちゃんと一緒で、おおかみちゃんも、きっと落としてしまったら二度と見つけられないから。もしも、例えば万が一、おーちゃんがここからいなくなって、おーちゃんの設定が誰かに上書きされて、アンちゃんとてーちゃんに悪いことする人としておーちゃんが現れたら、アンちゃんとてーちゃんにはかわいくて大好きなおーちゃんを目の前の人間と同一視して思い出すことはできなくて、全然知らない悪いやつとしてぶち殺すしかなくなっちゃうんだよ。そう仮定するアンちゃんに、全然笑えなかった。ぞっとした。その通りだったから。
「アンちゃん、おーちゃんのこと大事にしたいなあ」
「俺もだよ」
「なんでもできちゃうもんね、おーちゃん」
「青椒肉絲楽しみだな……」
「ねー!明日もお仕事がんばろーねっ」
「アンちゃん寝坊しないでね」
「む。今日だけだもん、だって昨日の夜全然寝れなくてー、そんで、爪かわいくしはじめちゃったから」
「そんなことしてたの!?」
「うん。見て、お花咲いてるの。アンちゃんが描いた」
「……器用……」
「明日はきっと、悪い人がちゃんと悪いことして、依頼人さんに事実報告ができるよっ!お昼過ぎぐらい!」
「なんでわかるの?」
「アンちゃんの勘!あとてーちゃんは明日アンちゃんにアイスを買う!」
「それも勘?」
「そう、勘!」
大当たりでした。



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