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言の葉に恋する証明



ふらふらと当て所なく歩く。もう辺りは真っ暗だ。仕方がないじゃないか、気持ちの整理をつけるのにそれだけの時間が必要だったんだ。だって、なんせ、あんな子どもみたいなブチ切れ方をしてしまったんだから。思い出すと死にたくなる。けど、溝口の見た最後の自分が、突然キスしてきたかと思えば平然を取り繕うのにも失敗して真っ赤になってブチ切れ突然自宅を飛び出した愚かな男となると、死ねない。どうしたって無理。そんな思い出恥ずかしすぎる。でも、とてもじゃないけど合わせる顔がない。しかし仕事があるから一回帰りたい。仕方がないから、今晩はネカフェに泊まろう。明日のことは明日考えよう、明日の自分が頑張れ。うるさい、と頭を叩いてしまったことを謝って、あと、そうだな、金銭のやり取りではなく好意を持っている相手との性行為が望ましいことと、俺が取り乱していたのはオーバードーズでも何でもしていいから脳味噌から徹底的に消去してもらわなければ困ることを、明日以降のいつかで伝えよう。そう投げやりな気持ちでポケットに手を突っ込んで、その場に座り込んだ。
「……財布ないし……」
ああ、もう、このまま海に飛び込もう。そうだそうしよう。代替え案としては、溝口を強く殴って記憶を失ってもらうことがあるけれど、殴ったら泣かれそうだから嫌だ。いたいよー!と目をばってんにするのが思い浮かんで、振り払うように頭を振った。
現実逃避している場合じゃない。そもそもここはどこだ。当て所なく歩きすぎた。携帯を持っているのが唯一の救いだ、と思い起こして、そういえば勢い任せに家を飛び出しすぎて鍵も閉めてない、と気付いて絶望した。溝口がうちの鍵を閉めて自宅に戻るとは考えづらい。そのまま呆然とステイしているか、なんかよく分かんなかったから帰ろっと!とうちの鍵を閉めず帰るかの二択だ。前者は避けたい。俺が家に帰れない。しかし、連絡を取るのも嫌だ。知ってる路線の駅を見つけて、何時間歩いたらここまで辿り着くんだ、と若干自分に引いた。そういえば足が疲れた気がする。こんなことなら携帯をかざすだけで決済できるやつを設定しておくんだった。ああ、家に帰らないと。仮にも国家の犬と呼ばれる立場の末端である。警察官だと名乗ることは出来ないにせよ、社会倫理を守る仕事をしている人間がこんなふらふらしていていいはずもない。現実逃避じゃない。仕事のことを考えているんだから、現実を見ている。財布がないからここから歩いて帰るしかないという事実から目を逸らしたりなんかしていない。今すぐ車道に飛び出したい。
流石に、疲れた。休憩、と座ったのは、使ったことのない駅前のベンチ。喉も渇いた。腹も減った。どれだけ我を見失えばこんなところまで歩いてくる羽目になるんだ。残りの帰路にうんざりしながら、駅の掲示をぼんやりと見る。指名手配犯のポスター、駅構内の工事案内、近くの公園で今週の土曜にやるらしいイベントのお知らせ、公開予定の映画とタイアップしたスタンプラリー。見知った顔に、つい目が行った。
新城出流が俳優になったと知った時には、本当に驚いた。あれだけ顔が好きだなんだと騒がれておいて、卒業以降あっちから連絡が寄越されたことはないし、こっちからも用はなかった。俺はあの男が苦手だった。いつもへらへら笑っていて、俺の友達のことを好きだと宣いながら平気で泣かせて、溝口を抱いた。憎らしい、とまではいかなくとも、好きか嫌いかで言ったら嫌い寄りではあった。俺の中で数少ない、好きと嫌いのカテゴリーに分けられる人間。新城にしつこくされていた中原のことは、割と好きだった。困っているなら助けたいと思う程度に。じゃあ、溝口のことは、好きなのだろうか。それとも、嫌いなのだろうか。わからない。好きとか嫌いとか、そういうところにはいない気がする。好きだから独り占めしたい、といえばお綺麗な恋愛ドラマだが、嫌いな相手でも目を引いてしまうのが事実だ。新城が大きく写っている映画の宣伝ポスターの前に、今俺が立っていることが、事実。こいつは、好きと嫌いをはっきりさせていた。俺のことは顔が好きだと言った。溝口の身体が好きだとも言っていた。中原は、中原のどこが好きだったのかは分からないけれどとにかく好きで大好きでたまらなくて、だから泣かせたいんだと恍惚としていた。俺はそれを見て、こういう人間を変態と呼ぶのだ、と定義づけた。この男なら、俺が抱えた行くあての無い気持ちに、名前をつけられるのだろうか。好きとか嫌いとか、愛とか恋とか憎悪とか嫌悪とか、そういう感情として、受け止めさせてやくれないだろうか。
脳が焼き切れたみたいだった。考えながら、もう身体は動いていて、ぽちぽちと携帯を操作する。電話をかけてから、流石に番号が変わってるんじゃないか、この時間で出るわけがない、と思い至って、携帯を耳から外しかける。鳴り響くコール音に、通話を切ろうとして。
『小金井くんっ!?』
「……ああ」
耳に突き刺さった嫌いな男の声に、吐き気がした。

『久しぶりっ!元気だった?あ、元気だったら俺に電話なんかしてこないよね!小金井くんが俺に電話かけてくる時って相当切羽詰まってイかれてる時だもんね、覚えてるよ!あー、うんいや、覚えてない方がいい?覚えてなくてもいいんだけど、でもとにかくどうしたの?俺に、え?そう。小金井くんから電話。あはは、ねえ聞いて小金井くん、中原くんがびっくりしすぎてソファーから落ちた。なにしてんのもー、そうだよ、ほんもの、え?オレオレ詐欺?ほんとに?でも小金井くんの電話番号で掛かってきたんだよ?小金井くんの番号、俺勝手に溝口くんの携帯から抜いたから。ん?ねえ、あのー、小金井くん?全然喋んないけど元気?ああ違う、元気なわけないんだった。今なにしてるの?俺は俳優やってる!中原くんに代わろっか?あ、それとも俺に話があったから俺にかけてきた?そうだよね、中原くんに用事があったら中原くんにかけるよね、中原くんと小金井くんは仲良しだもんね?そういえば中原くんと小金井くんは卒業してから連絡とってたの?中原くん。なに顔逸らしてんの?中原くん?おい。町田くんその人床に押さえつけて、尋問するから腕折っていいよ。尋問は尋問だよ、今日は寝かさないぞー。町田くんなんで泣いてんの?あ、ねえ小金井くん電話切っていい?』
「駄目だ」
『わああ喋った!』
マシンガン。とてもうるさい。頭が痛くなってきた。本当に中原がそこにいるのかどうかは置いておいて、他人の声ががやがやと遠目に聞こえていたのは確かだったのが、じゃあ小金井くんを優先しよう、小金井くんの顔に免じて、と尊大に言い切った新城が、その場を離れたらしく電話口が静かになる。中原くんと小金井くんが連絡とってないことなんて知ってるからさっきの話は全部嘘、と前置きをした新城は、一呼吸置いて話し出した。
『んで?どうしたの?自殺未遂でもした?』
「……そこまで切羽詰まってない」
『あ、じゃあ今から死ぬとこ?』
「そんなわけないだろ」
『でもやばい顔してるじゃん?』
「……どこから見てるんだ」
『いつだって見てるよお、貴方の後ろに新城出流』
怖すぎる。強ち嘘を言っている口調でもないところが更に怖い。にたあ、と笑う顔がいとも簡単に思い浮かんで、なんであいつみたいなのが人気俳優なんだ、と心底思う。道行く人に聞きまくりたい。新城出流のどこがいいんですか、と。
『なにかあったんじゃないの?今の君に無関係な俺じゃないと話せない話があったから、大っ嫌いな俺に電話してきたんじゃないの?』
「そう思ってるならまずその口を閉じたらどうだ?」
『ほらー、また怖い顔!』
咄嗟に後ろを振り向いてしまった。当たり前だけど、誰もいない。ほぼ無人の駅。道を行くのは、くたびれたサラリーマンや、酔っ払ってはしゃぎ合う若い女子。新城はいない。大学在学時代より、不気味さが増してやいないか。ストーカー度が上がっている。恐ろしい。どう話を繋げていいものか分からずに、共通の友人、さっきも何度も名前が出て来た中原の話をすることにした。
「……お前、まだ中原といるのか」
『らぶらぶだよー』
「中原は嫌がってるんじゃないのか」
『あの四年間見てそう思ってるなら、小金井くんの目が節穴っていうより、小金井くんはただの勘違い野郎なんじゃない?』
「……まあそうか……」
『あは。だから、代わる?って言ったじゃん。今はお友だちが来てるから、んー、あれだけども。今度機を改めて中原くんに連絡とってあげたら?小金井くんから電話っつったら、ソファーから滑って落ちた人間とは思えないぐらい目ぇ輝かせてたよ」
「そうか……それは、じゃあ、今度」
『そうしてあげてー』
のんびりと言われて、少し申し訳ない気持ちになった。こちらからも悪いようには思っていなくて、無愛想な俺とも仲良くしてくれて、あっちからも俺のことを嫌ってはいなかった、と思う程度には一緒に過ごした、友人。卒業以降連絡を取らなかったのは偏に仕事のせいなのだけれど、中原から連絡を取ってくれれば良かったのではないかとは言えない。彼は、そんなことが出来るほど、器用でもなければ人付き合いが上手くもない。むしろ真逆、不器用で付き合い下手。今度、ちゃんと心の用意をして、連絡を取ろう。連絡先は変わっていないのか、と聞けば、全部変わった、そうで。じゃあなんで連絡を取れとか言ったんだ。辻褄が合わない。
『俺に連絡とってくれれば繋ぐよ』
「なんでお前を通さなきゃいけないんだ」
『そう言うと思ったー。でも、んー、いろいろあったからさあ。ちょっと過敏なぐらい許してくれない?』
「……いろいろ」
『そ、いろいろ。中原くんに、いろいろあったから、それが心配な俺はお節介しちゃいたくなるわけ』
そうか、と、言うしかなかった。いろいろ、あるのは、誰も彼も一緒だ。次の言葉に詰まった俺に、そういえば、と新城が声をかけた。
『溝口くん、元気?』
「……、」
『何があったかは、ニュースで見たぐらいのことしか知らないけど。俺、ほら、何にも知らなかったし?それに、マネージャーとか、周りの人に止められちゃって。今関わってる場合じゃないって、そりゃそうだよね。俺がお仕事たくさんすればするほど、嬉しい人もいるわけだしさ』
「……元気だよ」
『あ、そ?良かったー。小金井くんなら溝口くんとまだ仲良くできてるんじゃないかなー、って思ってたから』
あっさりと、あっけらかんと、そう言い切られて、そう思う理由はなんだ、とぼんやり思う。犯罪者、と、みんな溝口を避けるのに。俺であれば仲良く出来ると、どうしてお前はそう思った。好きと嫌いをはっきりさせられる人間。俺が、溝口に対してできないこと。からからと笑った新城が、溝口くんにも会いたいなあ、今度みんなで同窓会しようよ!と明るく言った。
「……そうだな」
『溝口くんに会ってる?』
「ああ。……時々」
『ふうん』
「どうして会ってると思ったんだ」
咄嗟に嘘をついたのが居た堪れなくて、続けざまに問いかければ、え?と不思議そうに言われた。
『だって小金井くん、溝口くんのこと大好きじゃん。人殺してようが頭おかしかろうが、好きなもんは好きでしょ?』
「……それは、おかしい。倫理的に間違っている相手を、好きになるわけがない」
『は?小金井くんってば人間の恋愛感情舐めてんの?俺は中原くんがゲロ吐いてようが漏らしてようがラリってようが痙攣してようが可愛いと思うし大好きだしいろんなところが元気になるよ?それに比べたら人殺しがなんなの?しかもちょっとうっかりやっちゃっただけじゃん。その程度で好きでいるのやめないでよね。溝口くんがかわいそう』
「なんで」
『溝口くん、小金井くんは優しいって、ずっと言ってたのに』
好きだから、鉄面皮で氷の女王で他人を人とも思わない君は、溝口くんのことだけを大切にできたんじゃなかったの?
そう、問いかけられて、ああそうか、とすんなり思った。それが一番、しっくりきた。執着の理由。きっかけ。中学生のあの日に、親父に殴られる俺を庇って、頰に酷い痣を作りながら、「よかった」と感情の籠らない声で漏らした彼を、俺はきっと、好きになったのだ。好意を抱いたことがなかったから歪んでいったけれど、一番最初はきっと、ただ好きなだけだった。好きだから、大切にしたかった。大切にする過程で、俺がいないと困る彼にどうしょうもない欲を抱いて、いつのまにかベクトルが変わった。こがねいくん、と、笑いかけてもらえることだけは、ずっとずっと嬉しかったのに。それだけは、変わらなかったのに。
『おーい?小金井くん?』
「……新城」
『はいはいな』
「また連絡する。今度」
『お!飯ですか?』
「飯だな」
『俺の奢り?』
「なんでお前に奢らせるんだ」
『だって小金井くん、奢らないと一緒にご飯食べてくれなかったじゃない』
「……そうだった」


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