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おはなし


「おはようございまあす」
「……?」
「お気づきになられました?」
「……お、はよう、ございます……?」
ニコニコと頷かれて、体を起こす。俺の目がおかしいんじゃなければ、高校生の時に付き合ってた先輩が目の前にいるように見える。なに先輩だっけ。アユミとかアケミとかだった気がする。もうそれすら覚えてないぐらい、あれから一切連絡とか取ってないまま何年も経ってるんだけど、なんで突然。ていうかここどこ。病院っぽい感じの仕切り付きのベッドの上に俺は転がってて、目の前には先輩(仮)が立っている。周りは静かだ。どこからなにを聞けばいいのかに迷って呆然としていると、先輩(仮)が笑顔のまま口を開いた。
「我妻諒太さんでお間違いないですよね?」
「え、あ、はい」
「はいー。我妻さん、つい先ほどお亡くなりになられましたので、こちらでご説明させていただきますね」
「……は?」
「そうですねー、ここはいわゆるあの世という感じのところなんですけど」
「え、いやちょっ、は!?待っ、なんて!?」
「お亡くなりになられました」
「なんで!?」
「窒息死ですねー。苦しかったですか?」
「いやっ、えっ、なに!?タイム!」
「はい?」
「……ドッキリ?」
「心臓の音はもうしないはずですけど……」
「心臓……えっ、いや、死ぬとか困る……もっかいやり直し的な……」
「ちょっと難しいですねー」
「夢?」
「ふふ、皆様そのような反応されますよー」
ふわふわと笑顔のままそう言われて、空いた口が塞がらなかった。いや俺、生きてるじゃん。今この場にいるじゃん。しばらく硬直した頭で弾き出したのは、タチの悪い冗談?という疑いだった。それを踏み潰すように、ではこちらご覧くださいねー、と先輩(仮)がなにやら風呂敷を広げた。
「こちらですね、水鏡になっております。現世の様子が見られるんですけどー、あっ今ちょうど、そうですね。我妻さんが映っているところです。死にたてほやほやですよ」
「……えっ……と……」
「お間違いありませんか?一応本人確認必要になってくるので……」
「……………」
「……あっ!?ごめんなさい!嫌でしたよね、今の言い方……すいません、いまいちあの、あんまり人間の、ついさっきまで生きてた人の感覚が分からないもので」
「……………」
「ご気分悪くされましたよね。すみません、片付けますね」
どこからどう見ても俺だったし、俺が俺の部屋で首を括っているようにしか見えなかった。なんなら心当たりもある。俺の意識が途切れる直前のシチュエーションがまさにあれだ。だから黙るしかなかった。先輩(仮)はしょぼしょぼと鏡を片付けているが、引っ叩かれたような衝撃と共に、自分がなにをしていてどうなったのかを思い出せたのも事実だったから。
首を絞めるのが好きだった。いつからとかは覚えてないぐらい、ずっと。別に死にたかった訳じゃない。一気に絞めあげるんじゃなくて、緩やかに苦しくなって、ふわふわしていろんなものが遠のくのが気持ちよかった。楽しいことがあると余計にやりたくなって、危ないからダメだって、やらない方がいいって、分かってたけどどうしてもやめられなかった。なんなら、ついさっきもそうだった。何度でも言うが、死にたかった訳じゃないのだ。自分の力で自分の首を絞めて死ぬのは不可能だとか、そういうのを聞いたことあったのもある。可能説と不可能説があるらしい。死んでる俺を見るに、何らかの方法では可能だったのだろう。筋肉の反射は生きているとか。席外しますね…としょんぼり去ろうとする先輩を呼び止めようとして、上手く声が出なかった。変に引っ掛かった、動揺が丸分かりの声。
「っあ、の、おれ」
「いえいいんです!こちらの落ち度です、自分の死体なんて見せられて良い気分するわけないですよね、本当にごめんなさい」
「あ、や、わかったんで、なに、ていうか、どうしたかって、俺が」
「……えっと……あの、本当、落ち着いたらお呼びしてくれればいいので……」
「あっいやもうすでに訳わかんないんでいいです。今がいいです、むしろ」
「……そうですか……?」
「はい」
困った顔で、一度背中を向けかけた先輩が戻ってきた。こちらでお見せしたように、我妻さんはつい先ほどお亡くなりになられたんですが。そう風呂敷に包まれたままの鏡を掲げながら説明されて、下がったままの眉に、とりあえずこくこくと頷いた。それは分かった。分かんないけど、分かった。
「そしたら、ええと、どうするんだっけ……不慣れでごめんなさい……私のことなにに見えてます?」
「高校生の時に付き合ってた先輩」
「あっ、そうですか?良かったー、視認錯誤は掛かってるんですね。私は地獄の鬼です」
「えっ!?地獄!?」
「はいー。といっても、我妻さんに刑罰を与える存在ではないので。案内役として威圧感を与えないように、記憶の中から我妻さんが話を聞きやすい存在をピックアップして外側だけお借りしている状態ですね」
「俺地獄行きなんですか!?」
「あっ、いえいえ!そういうことではないんですよ。裁判……の話をするのもまだいいんだっけ……なかなかいないんですよ、我妻さんみたいな立場でこちらに来る方。ちょっと待ってくださいね」
よっこいしょ、と分厚い本を取り出した先輩(仮)が、ぺらぺらとページをめくり始めた。あったあった、ここですね、なんて指をさされて覗き込んだが、漢字が難しいのと字が細かいので、全く読める気がしない。
要約。生きているものには、寿命が決まっているらしい。まあそれはなんとなくのもので、生きてるうちに変動するし、だいたいこの辺、と言う感じでしかないらしいのだが、一応生きとし生けるものみんなに定まっているものなんだとか。それで、九割以上の生き物が寿命をまっとうしてからあの世に来て、裁判的なものを受けて、天国やら地獄やら新しく生まれ変わるやらいろいろ振り分けられる。の、だけれど。俺はどうやら、死ぬつもりじゃないところで死んでしまったらしい。すっごくたまーにいるんですよ、と先輩(仮)もめちゃレアだってことをアピールしてくれた。そういう人は裁判が受けられない。なぜなら寿命が来ていないからだ。かと言って、生き返らせるわけにもいかない。死んだ命は戻らないから。そこで、苦肉の策としての制度がある、と。
「ですので、現世換算で寿命を迎えるまで、我妻さんにはこちらでお仕事していただくことになります」
「はあ」
「私たち鬼は現場に出ていることが多いので、その逆です。お亡くなりになられた方々と関わることはありません。お願いしているのは事務仕事というか、要は書類整理みたいなことですね。お得意ですか?」
「苦手です」
「あー、うーん、まあこればっかりは慣れていただくしかないですかね……細かな仕事内容などは、現地で既に働かれている方々に教えていただいた方が、分かりやすいかと思います。私よりも詳しいので」
「はあい」
「……大丈夫ですか?わかりました?」
「分かんないですけど」
「ですよね……すみません、説明下手で……」
「あの、生き返るとかはできないんですか?」
「できないですね。そればっかりはどうにも……肉体の方がもう生命活動を止めてしまっているので」
「そっすか……」
「あっ、でも、現世の様子を見に行くことは出来ますよ!お給金が出るわけではないので、その代わりとしてはなんですが、時間をお支払いしているんです」
「じかん」
「はい。彼岸と此岸で時間の流れが少し違うので、見たい時に上手く見られるかは保証できないのですが……あの、本当にご自分がお亡くなりになられたって分かってます?」
「はい。ん?ううん。あ、はい」
「あっ、はい……」
「なんでですか?」
「いやにはきはきしていらっしゃるので……」
今日はお疲れでしょうから、これから先お貸しする部屋にご案内します。そう先輩(仮)に言われて、鍵を渡された。この印がついている鍵穴のある扉なら、どこからでもこの鍵で部屋に一直線らしい。便利だ。古き良きと言った感じの畳張りの部屋に通されて、またお声かけしますね、と扉が閉まった。
「……俺死んじゃったのか……」
声に出すと、すとんと腑に落ちた。心臓ももう動かない。言われた通り、手首を押さえても、首筋を触っても、どこもかしこも脈らしきものはなかった。呼吸をしている感覚もない。生きているのに生きてないみたいだ。死体が動いている。しばらく部屋の中でぼおっとして、扉を開けた。外は知らない廊下に繋がっていて、どうしようかと一瞬迷うと、ぱたぱたと向こうから先輩(仮)が駆け寄ってきた。
「……あっ」
「あ!どうしました?お加減宜しくなかったですか」
「かがみ、さっきの鏡、もう一回見せてください」
「あっ、あー、うーん……だめなんですよ、さっきのは確認のために承認降りてたからお見せできただけで……」
「だめ、ですか……」
「……うーん……」
「……………」
「……ちょっとお部屋失礼しますね」
「?」
入ってきて、ぱたりと扉を閉めた先輩(仮)が、溜息をついた。数秒目を閉じて、ぱちぱちと開く。
「……私は鏡を落としただけです。拾うまでうっかり、風呂敷が外れるかもしれません」
「あっ、はいっ、ありがとうございます」
「……お仕事、頑張ってくださいね」
「はい!」
「あー。落としちゃった」
めちゃくちゃな棒読みと共に、重い音で鏡が床に置かれた。風呂敷がとれて、一瞬自分の顔が映る。すぐにそれはぼやけて、俺の部屋になった。ぴくりともしない、死んでいる自分。書きかけだった歌詞。音のない部屋で、スマホが誰かからのなにかを受信して光った。いつ見つけてもらえるんだろう。なんで死んじゃったんだろう。こんなことならもっと早く、あんなことやめとけばよかった。鏡に触れた指は、いつのまにか爪を立てていた。戻りたい。死にたくない。まだやりたいことだってたくさんあったのに。水面に雫が落ちたみたいに波紋で揺らめいた鏡に、そっと風呂敷がかけられた。
「……これは確定説ではないのですが。稀に存在する、寿命を迎えずに此方に来てしまう方々は、どの方も何か特別な才を持っているとされています。天命をお持ちの選ばれた人間が、誰にも動かしようのない天秤によって、此方へ引っ張られてしまうのだと言われていることも多く、……こんな言葉は、気休めでしょうけれど」
「……あのすいません、なにいってるか難しくてよく分かんなかったです」
「は?」
「いや顔怖」
「まあ……鬼なので……」

「こちらが我妻さんがこれから働く職場になります」
「人めっちゃいる!」
「いやあ、少ない方ですよ……」
どこもかしこも人手不足で、と困ったように笑われたが、賑わっているようにしか見えない。それとも、この人数でも回らないくらいの仕事があるのだろうか。それはそれで怖い。受付らしきカウンターの中は役所っぽい作りになっている。人と物を避けながら進んだ先、書類が山積みになったデスクに小さい女の子が座っていた。険しい顔で筆を走らせている。誰かの子どもかな、と周りを見渡したが、先輩(仮)が先に声をかけた。
「明日葉さん。昨日お話しした新しい方です」
「……あァ。はい」
「詳しくはこちらの方に聞いてくださいね。またなにかあれば呼んでいただければ」
「はあ」
にこにこしながら、女の子に俺を渡して行ってしまった先輩(仮)。迷子とかじゃないのかな。眉根を寄せたままこっちを見上げている女の子と目線が合うように、デスクに手をついて屈んだ。詳しくは、と言っていたので、ご挨拶しようと口を開いた、のだが。
「よろしくねっ」
「ッチ」
「……………」
「名前」
「……はい?」
「名前。死んだ拍子に全部トんだかァ?履歴書抱えて死にゃア良かったんじゃねえのか」
「……………」
えっ、と。はん、と笑われて、既に舌打ちされた時点で思考が止まっていたので、何も言えなかった。しばらく無言が通り過ぎて、痺れを切らしたらしい女の子がその辺にあった書類の束で俺の頭をすっ叩いた。
「あいたあ!」
「名前ァ!」
「あっ、我妻諒太です!」
「ああそうかよ精々働けキリキリ働け、来世で虫螻にならねェようにな何突っ立ってんだ脳腐ってんのかこっち来い新人」
「はい!」
「明日葉千代だ。ご主人様と呼べ」
「チヨちゃん」
「次そのふざけた名前で呼んだらお前の目玉を刳り貫いて不喜処の犬コロ共に食わす」
「すみません……」
「どうせもう死んでんだから痛くも痒くもねえだろ」
鼻を鳴らしたチヨちゃんは、付いてこいと唸って俺の前を歩いていく。道行く大人たちは、頭を下げて彼女の前を開ける。多分偉い人なんだろう。ギャップがある、というよりは、この世界は見た目で判断するのが間違いなのかなと思った。目的地にはすぐ到着して、重そうな扉を開けたチヨちゃんが顎で指す。
「てめえの職場だ。印の確認、名簿との表記違いがないかの確認、その他諸々のチェック。以上」
「はい……」
「後でまた来てやる。まともに働けねェ奴はいらん、二度と起き上がれないように手ずから慈悲を加えてやるから泣いて喜べ」
「俺頭あんま良くないけど」
「じゃあ明日にはその大層な頭から脳が零れ落ちてる。おめでとう」
ぱちぱち、と軽く拍手した彼女は荒々しく扉を閉めた。呆然と見ていると、書類棚の影から呼びかけられる。新しい人かな?という声に頷くと、紙束をいくつも重ねた人が顔を出した。
「ちょ、っと待ってね、我妻くんだっけ!」
「はい!」
「ごめんこっち来て!崩れる!わあああ」
「わーっ!」
一応、間に合わなかった。叫んだ時点で、手に持っていた紙束がもう崩れ落ちていたし、それが他の棚に重なって滑り落ち、棚に入っていたファイル類もぐしゃぐしゃになった。座り込んでいる、恐らくは俺の先輩に当たるであろう人に、なんと声をかけたものかとおろおろしていたら、ぱっと顔が上がった。
「……やー。ごめんね、こんなとこ見して……この部屋汚いよね、基本僕しかいないから」
「あっいえ、あの、片付け手伝います」
「うん、ごめん……はああ……」
肩を落としながら、このファイルはここの棚に戻しておいて、色ごとに分かれてるからね、と笑顔で指をさしながら教えられて、言われた通りに片付ける。後ろから、ばさばさと紙を積む音がした。
「俺、我妻諒太です」
「うん。僕は白子両介。名前が似てるね」
「?」
「……りょうたと、りょうすけで……」
「あっ!ああ!はい!」
「うん……ごめんねえ……」
シワシワの顔を無理やり笑顔にさせてしまった。申し訳ない。シラコさん、と呼べば、なんだい、と返事がきた。呼び方は間違っていないらしい。覚えなきゃな。
「俺何したらいいんですか」
「うんとね、ここにある書類はみんな、亡くなった方の戸籍みたいなものなんだ。それで、裁判の間本人と一緒にいろんなところを回って、全部終わって行き先が決まった人のものがここに来る。それを分類して片付けておくのが僕たちの仕事だよ」
「はあ」
「あ!全部やれってことじゃないんだ!この部署はチェック、判子が抜けてないかとか、振り仮名とか漢字が間違ってないかとか、数字が足りなくないかとか、そういうところを見て隣の部屋に運ぶんだ」
「……はい!」
「やりながら覚えようね」

仕事は覚えた。シラコさんに大分迷惑はかけたけれど、「僕も迷惑かけてるからお互い様ってことにしてほしいな…」と汗をかきかき毎回言われる。優しい。でも確かに、ドジっ子?っていうか、すぐ書類をぶちまけてたり、頭の上に眼鏡を乗せたまま仕事をして、退勤近くになって「眼鏡が朝から見当たらなくて、よく見えなくて…」って言ったりする。だからしょっちゅうチヨちゃんに怒鳴り散らされてる。が、仕事ができないわけではないのだ。それは周りにも評価されていて、ただ鈍臭くて抜けてるのであんまり友だちらしき人がいない。
ここには食堂がある。一人で休憩時間にうろうろしてた時に見つけた。なんというか、死んでるから当たり前なのか、特にお腹は空かないのだ。でもおいしそうなほかほかのご飯を見たら食べたいなと思うし、食べようとすれば食べれる。食堂にいる人は同じ仕事をしている人たちなんだろうと思ってたけど、食堂のおばちゃんの口ぶりからするに鬼の人たちらしい。「お兄ちゃん、獄卒様じゃなくて書き番さんでしょ。まさかお金なんて取れないわ」ってにこにこ言われたし。それから数回食べに来て、シラコさんは来たことがなかったらしいので、連れてきた。
「おいしい……」
「でしょ!日替わりででっかいエビ乗った天丼あったりするんすよ」
「……何年ぶりにご飯なんか食べただろ」
「お腹空かないよね。あ、空きませんよね」
「うん。敬語使わなくてもいいよ」
「それチヨちゃんにも言われた。敬語使おうとしてそっちに頭使うなら普通に口きけって」
「ははは、明日葉さんらしい」
「お金なくても食べていんだって。そんなもんなんすか?」
「うん。一応、立て替えたりはあるけど。本庁に行くのにタクシーみたいなの乗ったりするから」
「へー」
「事務仕事の働き手が本当にいないらしくて、案外重宝されてるんだ」
僕なんか何にもできないのにね…と笑っているシラコさんの後ろを通り過ぎた人が、足を止めて頭を下げた。一人じゃない、何人かが順繰りに頭を下げていくのをぼんやり見ていたから、反応が遅れた。けどまあ、文句を言われなかったということは許容範囲内なのだろう。ぐ、とシラコさんの頭にかかった小さい手に、おつかれさまでーす、とすっかり染み付いた挨拶が溢れた。
「いい御身分だな白子ァ……」
「ひっ、あしっ、ご、ごめんなさい!」
「なに食ってんだ?あ?」
「ごはん、ご飯です」
「ほーお。お前飯食えるようになったのか。ふーん」
「た、食べてみたら、食べれました……」
「まァお前も、ん、死んでから暫く経ってるしな。うん。む、んまい」
「……僕の……」
「あ?」
「チヨちゃんいじわるー」
「こいつ飯食った時の毒で死んだんだ、優しさだろ」
「えっ!?そうなの!?言ってよ!」
「ううん、あの、僕もご飯食べてみたかったから……」
シラコさんの後ろから、背中におぶさるようにして手を伸ばしたチヨちゃんが、がつがつ食べている。およそつまみ食いの勢いじゃない。ていうか俺、何にも考えずに酷いことしちゃったんじゃないかな。少食だなーとは思ったけど。
「ごめんシラコさん!」
「いいよ、いいんだ、別に食べることがトラウマとか、そういうわけではないし」
「うめえコレ!何定食だ白子」
「二番です……」
「明日食お。我妻、おら」
「ん。なに?」
「試用期間が終わった。現世に降りれるぞ」
「俺試用期間中だったの?」
「何処の誰とも知れん馬の骨を突然正社員で雇う企業があるか?」
「そりゃそう……」
そう、なんだけど。ぽい、と適当に渡された封筒には、書類的なものが入っていた。名前とか生年月日とか、申請理由とか書く感じのやつ。隣の席に座ったチヨちゃんに、目をぱちくりしたシラコさんが聞いた。
「言ってなかったんですか?」
「分からん。てめェに任せただろうが全部」
「全部って……全部だったんですか……?」
「手続きがある。白子教えてやれ」
「えっ、えっと、僕、現世降りたことないです……」
「……………」
「……すいません……あっ、窓口の場所は知ってます……」
「……我妻、食い終わったら来い」
「はあい」
メインのおかずと炊き込みご飯、というおいしいところだけつまみ食いしたチヨちゃんが、最後にシラコさんの服でがしがし手を拭いて行ってしまった。さすがにひどくない?と指をさして言えば、でも明日葉さんがいなかったら俺用済みで埋められてたから…としおしおの笑顔を向けられて、何も言い返せなかった。女の子の見た目のくせに、めちゃくちゃ当たりキツいし横暴だしすぐ手も出るけど、仕事出来るし上の人たちからも信頼されてるし誰も逆らわないんだよなあ、チヨちゃん。あとなんだかんだ言って仲良くなれたし。
ご飯を食べ終わって、シラコさんとは別れた。チヨちゃんに呼ばれてるから、一番でかい部屋の一番奥の机に向かう。相変わらず紙束がどっさり積まれた中に埋もれて、確認しては印を押して分け、それを持っていく人に「五番」「八番の奥の棚」と端的な指示を出しているチヨちゃんが、ぱっと顔を上げた。
「おまたせー」
「おう。ちょっと出る」
「行ってらっしゃいませ」
「鬼様が来たら緑帯は終わってるから持っていっていいって伝えとけ。何か文句を言われたらこれでド頭カチ割ってやれ。許す」
「はい」
「あれなに?」
「バール」
「なんでバール常備してあんの?」
「殴るために」
「怖……」
当たり前のように机の引き出しから出てきた黒ずんだ長い凶器を、これまた当たり前のように隣にいた人に渡して席をぴょんと立ったチヨちゃんに怯えていると、さっさと歩けこのクソバカが、と脛を蹴られた。痛い。
「現世に降りれるっつっても、会える人間は限られてる。親族身内は禁止されてる」
「そうなんだ」
「あァ。近すぎると彼岸側に引っ張って来ちまうからだそうだ」
「どゆこと?」
「相手も死ぬってことだよ」
「……マジで?」
「つーかそもそもにしてあんま現世に降りる奴が居ねえんだよな……給料としての株は低いと思うんだが。お前も一回やったらもう行きたくなくなるかもしれんぞ」
「なんで?」
「降り方があまり倫理的ではないから。着いたぞ」
「扉でっか!」
「ここは管轄が違う。鬼でも亡者でもない。現世と繋いでるのは神様の御使とかいう奴等だ」
チヨちゃんには重そうな扉なので一緒に押したけれど、それでも大分厳しかった。ぜえぜえしながら扉を開けると、中には誰もいなくて机と椅子だけがぽつんと置いてある。
「この書類をこの場で、この筆で書いて、認証されたら降りる儀式がそのまま始まる。本当ならここに来る前に総務課に現世休暇届を出すんだが、まあそれはいいだろう。そっちのやり方は分かるか」
「うん。総務の人とはよく喋る」
「ならいい。本当ならやって見せてやらないとてめェみてーなバカは覚えらんないんだろうがやって見せると明日から仕事にならんからやらない。自分で思い知れ」
「なにやらされるの……」
まあ、実際にやってみる時もそう遠くないわけで。
次の日には現世休暇を出したので、数日したらその許可が降りた。明日の休みは初めて現世に降りることになるわけだが、特に誰にも言ってない。みんなの反応が怖いからである。チヨちゃんなんか明日休みだってこと知ってんのに無視されたし。使用期間が終わった云々の話に一緒にいたシラコさんは気付きそうなものだけれど、絶望的に鈍いので「ゆっくり休んでねえ」と退勤間際にふにゃふにゃ手を振られた。よかった。
数日前に二人で開けた扉を一人で開ける。あるのは変わらず、文机と筆と一枚の紙。俺以外には誰もいない。書いたやつはそのままここに置いといていいんだろうか、誰かに見せるとかではないのか、と思いながら名前とか生年月日とかを書き込んでいく。我ながら、字が上手で良かったなあ。今回はいつもより上手く書けた気がする。苗字の漢字、小さい頃はずっと苦手だったっけ。「我」のバランスが取れなくて、習字の先生に何度も教えてもらった。
「……うん」
書けた、けど。どうしたらいいんだろうなあ、と思いながら、筆を戻した。一呼吸つくと、ふっと紙が消えた。目に見えない何かに取られたみたいだった。誰かいるのかと思って、机の向こう側にぱたぱたと手を伸ばしてみたけれど、何にも触らなかった。なんか触ったら逆に怖いな。紙がかき消えた後しばらく特に何も起こらないので、ぼんやりして、なんならでかい欠伸とかしてたら、急に机の上にどさりと縄が降ってきた。声も出なかったが、びっくりした。普通にものすごくびっくりした。なんで急に、と思って、怖いから触らないままそれを眺めていたのだけれど、ものすごく見覚えがある気がして手を伸ばした。しっかりした縄じゃなくて、どちらかというと紐。至って普通の、何処でも手に入りそうな、なんの変哲もない、なんとなく一度使い始めたらそれで定着してしまった、ただの縄。
「……あー……」
死因を書く欄があったっけ。これは確かに、自分は好き好んでやっていたことだからそんなに抵抗ないけど、基本みんなそうじゃないだろうから、キツいんだろうな。チヨちゃんとか、なんだっけ、動物になんか、食べられたとか襲われたとかって言ってたっけ。彼女が現世に降りるとなると、その動物が机の上に現れたんだろうか。それは怖いだろうな。だって、見た目は小さな女の子だもん。俺はいいけど。流石にちょっと、もう気持ち良くもなんともないけどさ。



「あっ」
目を開いて、つい声を出してしまって、口を塞いだ。けど、聞こえてないはずだから、そっと手を離す。俺のことは、こっちの誰にも見えない。俺からは、何かに触ったりできない。ポルターガイスト的なこともない。時間が来たらすぐ帰される。ほんとに、ただの覗き見みたいなこと。そう説明されてた。けどまあ、そわそわする。聞こえちゃってないかなあって。
規約説明の時点で、家族以外なら誰でもいいと言われていたので、特に迷うこともなく三人分名前を書いた。相変わらず本名は覚えていなかったので、生前の自分に関係のある人のリストを見せてもらって、そこから調べた。え?お前名前知らん奴にわざわざ会いたいの?怖…ってチヨちゃんには引かれた。
「……ぎたちゃん?」
本当に聞こえていないのかの確認も兼ねて、何度か、おーい、と呼びかける。ただ、部屋の隅で丸くなって目を閉じているので、寝てるから聞こえてないのか、俺がオバケだから聞こえてないのかの判断がつかない。まあいいか。すうすうと呼吸が聞こえるので、生きていることだけは確実だ。俺と違って。わはは。
ぎたちゃんの家には来たことある。ちょうど夕暮れ時で、何故か電気がついていないので、窓から差し込む夕日しか明かりがなくて、若干薄暗い。眠かったから消したのかな。その割には変なとこで寝てるけど。布団出っぱなしになってるから、そこに横になればいいのに。そう思いながら部屋の中をうろうろして気づいたが、足がなかった。歩いてる感覚でふやふや浮いて移動できていたので、気づかなかった。マジモンの幽霊扱いにちょっとテンション上がった。コツ掴んだらもっと浮けたし。
「あ。ぎたちゃん、電話。鳴ってるよー、おーい」
丸まっているぎたちゃんを逆さまに覗き込む。床に転がっているスマホが鳴ってて、「薫さん」と表示されている。誰だろ。ていうかそもそも、電話の音ぐらいで起きるだろうか。俺が声かけても何の意味もないけど、ねえってば、と周りをふわふわし続けていたら、ぎたちゃんの頭が傾いで壁にぶつかった。
「……あい……」
『あっ、ごめんね、寝てた……?』
「うん……ううん……ねるつもりは……」
『大丈夫?』
「んー……」
女の人の声だ。電話している側にぴったりくっついて耳をつける。ふにゃふにゃと寝ぼけたぎたちゃんの声に、心配そうな返事をした女の人が、がさがさと何か持ち替えながら話し出した。
『もうすぐ着くから、何か食べたいものあるかなと思って電話しちゃって……寝てたのに、ごめんね』
「んーん。眠たいわけじゃないから」
『うん……でもきっと、まだ疲れてるんだよ。お肉がいい?お魚?』
「肉。あ、こないだの鍋みたいのがいい、おいしかった」
『水炊きかな?うん……分かった。買い物したらすぐ向かうから、休んでて』
「ありがとー」
『あの、寝ててもいいよ、起こさないようにするし……』
「起きてる起きてる。おかえりって言いたい」
『……無理、』
「してないー。ほんとにね、眠くないのに寝ちゃうんだよ。やることないからかなあ、練習しよって思っても手が動かなくて、寝ちゃうんだよね。だから、寝ようと思っても寝れない方が多くて」
『……、そう?じゃあ、急いで行くから待っててね』
「うん。待ってる」
じゃあね、と電話は切れた。通話が終わった音をしばらく聞いていたぎたちゃんが、暗くなった画面をぼんやり見つめた。前に回り込んでみたけど、目が合うわけじゃない。ぎたちゃんが眠たいのはいつものことだけど、女の人の「大丈夫?」の聞き方とか、ぎたちゃんが言い訳みたいに零した普段の様子とか、いつものことじゃない気がした。ぎたちゃん具合悪いのかな。しばらく固まっていたぎたちゃんが、スマホをポケットに突っ込んで立ち上がった。
「どこいくのー、お、わ、危ないよ」
「……あぶね」
急に立ったからなのか、ふらついたぎたちゃんが、片足をけんけんした。痺れてたのかな。変な格好で寝てるから、と思ったけど、眠くないのに寝ちゃうなら仕方ないのかもしれない。そういう病気あるんだよ、前テレビで見たよ、と聞こえないなりに言っておいたけれど、聞こえてないのでしょうがない。台所まで行ってコップに水を入れたぎたちゃんが、それを片手に持ったまま、また固まった。
「どしたの?」
聞こえてないから返事もない。会話がないと何も分からない。ぼんやりと宙を見たまま固まっていたぎたちゃんが、かりかりと爪先でコップの側面を掻いた。また眠くなっちゃったのかな、と思った矢先、ぐるりと視界が回った。
「うわ!……うわ!?どこ!?」
目を開けたら突然知らん部屋で天地が逆になってたので、めちゃくちゃでかい声を出してしまった。誰にも聞こえてないからいっか。
今度は電気がついている。なんならテレビも。体を起こしてテレビを覗いたら、ヨシカタくんがいた。カレーのCMやってる。カレー食べたくなっちゃったな。元気そうでなにより。そういえばぎたちゃんの部屋で今現在の日時が分からなかったなあ、と思って辺りを見回したら、足元に何か寄ってきた。
「うわあああねこちゃん!あっ、くそ、触れねえ」
動物的な勘だろうか、目は合わないし見えてないはずなのに俺の足があるであろう場所をうろうろした白と黒の猫に、ここべーやんの家か、とようやく思い至った。結局日時は分かんないままだけど、場所だけは分かった。俺が死んでから現世の時間がどれぐらい経ってるのか、いまいち分かんないんだよな。自分が死んだ日と時間は、本人確認の度にもううんざりするほど書かされたから、それは覚えてる。こっちとあっちで時間の流れがだいぶ違うらしいから、どれだけ経過したのか知りたいんだけど。カレンダーとか、ないよなあ。俺も部屋にカレンダーはなかった。あったとしても一月分、そこから今日が何日かまでは分かんないわけだし。ていうか、ここの家主はテレビつけっぱなしでどこ行っちゃったんだろう。CMが終わって始まったのはワイドショーだった。今が17時49分であることは分かったが、日にちが相変わらず分からん。あと10分待って18時になったら、何月何日のニュースですってはじまるかなと思ったけど、さすがに時間がもったいないか。
「べーやんどこ行っちゃったの?」
俺が話しかけたのを受けてなのか、猫ちゃんがふいと外の方を見た。よく見たらカーテンの向こう側、窓が開いてる。いやいやいや、と思って焦って突っ込んだら、ベランダにいた。びびったわ。嘘でしょと思っちゃった。
「べーやんなにしてんのお」
「ひ、っくしっ」
「お。ごめん」
いつものように後ろからべったりとくっついたら、くしゃみされてしまった。偶然かな。でも敏感なタイプなのかも。両手を肩まで上げて離れると、ぐずぐずと鼻を啜ったきり特に気にしてはいないみたいだった。ベランダの柵に肘をついているので、何をしているのか後ろから覗くんじゃなければ上とか前から見るしかない。いやあ、そんな無理難題も出来ちゃうのが辛いところですよね。オバケなんでね。
「歌詞カード?」
べーやんが見ていたのは、歌詞カードだった。CDに入ってるやつ。しかも俺たちのじゃん。なんでわざわざ見てんだろ、新曲ってわけでもないのに。指先で歌詞カードの端を摘んでいるので、風が吹く度にぱたぱたと靡く。飛んでっちゃいそうだ。ていうか、読みたいなら両手でちゃんと持てばいいのに。なんなら部屋の中で見れば、と思って、
「あっ」
「あっ!ぶね!ねえ俺今なんも持てないんだからね!気をつけてよお!」
全身冷や汗かいたわ。一際強い風に煽られた紙切れは、飛ばされかけて手の中に戻ってきた。ぎゃんぎゃん文句は言ったけれど、何も聞こえていないのだからしょうがない。さすがに外は風が強いと思ったのか、部屋に入ってテレビを消したべーやんに、猫ちゃんが飛びかかった。ごろごろとじゃれている。いいなあ。俺も猫じゃらしたい。ワンチャン触れないかなと思って手を伸ばしたら、ふいっと逃げられた。触れないなら見るだけでも、と追いかけた先で視界が真っ暗になった。
「ギャー!どこここ!」
突然切り替わるのやめてほしい。次からは絶対三人分書かない。時間分けて休みも三日取る。俺の猫ちゃん!と地面を叩いたが、そもそも俺の猫ちゃんではなかった。
ていうか暗。なんなの?突然夜になった?消去法で行くならどらちゃんのとこに来たんだろうけど、時間までそんな飛ぶもんだろうか。そもそもここはどこだ。立ち上がってうろうろしてたら目が慣れてきて、どうもカーテンを閉め切っているだけらしいということがわかった。遮光なのかな。じゃあ寝室ってこと?えっ。厳しい。いやんあはんな感じの想像が駆け巡ってしまって、いやそれは流石に厳しい、マジで見ちゃうのまでは許容できない、話で聞くだけでお腹いっぱいです、ととりあえず顔を覆った。のは、いいけど、音がしないな。そおっと指の隙間から覗いて、人が動いたのがわかった。
「きゃああああ服着て!服っ、服着てんのかよ!えっ!?服着てんの!?」
じゃっ、と音を立てて開けられたカーテンに、まず指の隙間から覗いて、突っ込みながら地団駄踏んで、二度見してしまった。誰にも聞こえてないのが逆に恥ずかしいよ。一人だったから服着てるのは何もおかしいことじゃないんだろうけど、どらちゃんが服着て寝てるのって相当酔っ払った時(ほぼ気絶している)とかしかないって聞いたから。情報源はぎたちゃんなので、間違ってないと思う。それとも寝てなかったとか。じゃあなんでわざわざ真っ暗にしてたんだろ。なにしてたのお?と聞いたが、聞こえているわけがないので当たり前に無視された。突然返事されても怖い。
「どらちゃん寝てたの?ねえ、髪の毛ボサボサだよ。てゆかここどらちゃんの家?うわなんもねえ……」
今の俺は歩けない代わりにふわふわ浮くことができるが、どうやら壁を貫通したりはできないらしい。どらちゃんがドア開けてくれるまで部屋から出れなかったし。後ろをついていったらリビングらしきところに出たのだけれど、なんというか、物が少ない。電気をつけたどらちゃんが、台所に消えて、水のボトルを持って戻ってきた。どさりと椅子に座ったどらちゃんの周りをぐるぐるしながら話しかける。
「ねえねえねえここ家賃いくら?ていうか外見たいんだけど!何階?カーテン開けてよ!」
「……………」
「くそお……心霊現象的なこと起こしてえ……」
どらちゃんに手を翳して、なんか、なんらかのパワーを込めてみたのだけれど、なんの反応も得られなかったし、周りもうんともすんとも言わなかった。まあ、そういうことはできないって最初から言われてたし。ボトルを持ってきたきり開けないで、手の中で転がしているどらちゃんに、飲まないの?と顔を覗き込む。
「ぬるくなっちゃうよ。ねえ……」
ぎたちゃんの時にも、思ったけど。話しかけてもなんの反応も得られないのは少し、というかかなり、寂しいなと思う。これが死んじゃったってことなのかなあ。でもめちゃくちゃ近くで人の顔見れるのは面白くていい。これは生きてたら出来ないことだもんな。生きてても相手の許可があればできるか。でもこんなこと絶対どらちゃん許しそうにないし。
「……目ぇ合ってない?これ……」
でもどらちゃんのでっかい目の中には俺は映ってないのである。何考えてんだか全然分かんないけど。ぴくりともしなくなっちゃったし。
みんな結構一人だとぼーっとするんだな。俺も人のこと言えないんだろうけど、自分がぼーっとしているところを自分で見ることはないので分からない。そういえばこの身体は何にも触らないけれど温度とかは分かるんだろうか?と思って、水のボトルを触ってみた。いや全然分からん。冷たいかどうかも分かんないし、硬いか柔らかいかも分からん。
「ねえどらちゃん今日何月何日なの?」



「おはようございまーす。チヨちゃんおはよ」
「今日の分」
「はあい」
「現世はどうだったよ?」
「おもしろかった」
「……………」
「ほんとだよ?今度また行くんだー」
「……狂ってンのか……?」
「ひどい……」
「今の現世時間って……ほら。お前が死んでからそう経ってねェだろ。近いやつほどまだ立ち直ってないはずじゃねえのかよ。そんなん見て何が楽しいんだ」
「たちなおる」
「は?お前嫌われてたの?」
「そんなことないと思うんだけど」
「じゃあ多少は落ち込むとか……悼まれてるだろ?」
「えっ!?」
「え……?」
「じゃあみんな落ち込んでたってこと!?」
「知らんけど……」
引いた顔のチヨちゃんに、声がでけえな…と呆れられた。だって、そういうことなの!?言ってくれないと分かんないよ!いや言えるわけないんだけど!俺が行ってることなんか知らないし!そりゃなんかみんな元気ないなとかあんまり調子良くなさそうだなとかぼんやりしてるなとか思ったし、仕事ないのかなとも心配にはなったけどさ!なんで落ち込んでんの!?俺が死んだから!?そんなみんなショックだったの!?それはなんていうか、
「めっちゃごめんって気持ちで今いっぱい……」
「……お前今まで現世に遺してきた人たちのことなんだと思ってたんだよ……」



「どらちゃん料理とかすんの?知らんかったんだけど」
返事はないが、話しかけ続けている。癖みたいなもんだ。
初めて現世に降りてから、三ヶ月分ぐらい時間を貯めて申請を出した。一ヶ月分で三人回るのは無理そうだったから。そのはずなんだけど、前回から現世時間は二週間ぐらいしか経ってないらしい。でも三ヶ月が二週間に換算されているのは今回だけで、一年が1日になることもあるし、あっちとこっちが同じ時間の流れになることもある、と。逆転することはないらしい。総務の人が言ってた。
「あっ安い方買えって!安い方!あっもう、当たり前のように高いの買う……」
今回はどらちゃんから飛ばされたんだけど、目ぇ開けたら外だったからめちゃくちゃびっくりした。ぼーっとしてたら不思議な力で引きずられて、あわあわしてる内に俺を引きずってる元はどらちゃんだってことが分かった。どうも、会いに行く対象になっている人間から一定以上は離れられないらしい。こないだは全員家にいたから分かんなかった。ずりずりされてるのを手繰ってどらちゃん本体に辿り着いて、どこいくのなにすんのってちょろちょろ聞いてる間に到着したのは、スーパーだった。似合わなすぎて大笑いしちゃった。聞こえてないからセーフ。
「何作んの?あっカレー?それヨシカタくんがCMしてたやつじゃん。買う?やめんの?買えばいいじゃん、そうそう!カゴに、やめんのかい……」
材料的にどこからどう見てもカレーだから言ったんだけど、ヨシカタくんがCMやってたカレールーを一度手に取ったくせに、ちゃんと戻して隣の別の種類をカゴに入れた。辛さ変わんないじゃん。仲良くしなよ。
帰り道も、後ろをついて行く。ここどこなんだろ。駅かなんかの近く通んないかな、と思ったけど通らなかった。どらちゃんの家らしきでけえマンションに着いてから、電柱に住所書いてあんだからそれ見れば良かったわ、ということに気づいた。ミスった。
「えー手とか切んないでよ、えっでかくない?にんじんそれ……絶対後で食べる時ごりごりってなるよ?もう半分にした方がいくない?てかどらちゃん料理したことないでしょ。ねえ!ないでしょ!包丁怖い!」
結果。まあカレーなので見た目的には何もおかしくないのだが、野菜と肉の大きさがばらばらすぎて食べた時どう思うか微妙な感じのカレーができた。肉に火が通ってるかどうかだけがすごく心配だ。カレールーの裏を見ながら作っていたどらちゃんが、ご飯と一緒に盛り付けて、一口食べて、微妙な顔をした。うん。そうだと思うよ。
「どらちゃんクマなくなったね。寝れてんの、やっぱ今までは仕事忙しすぎたから?あっ、コラなにどこ行くの!ちゃんと食べなさい!捨てたら怒るからね!あの、呪う!呪うからね!」
とかやってるうちに時間が来た。くそお。

次の日。ぎたちゃんのとこに来た。家の中に出てきたのに家の中にいないパターン、びっくりするからやめてほしい。前回のべーやんの例があったから窓見に行ったけど。案の定いたし、洗濯干してた。
「ぎたちゃんさあ、こないだの電話さあ、あの女の人って彼女?」
うん。聞こえてない。だから返事があるはずがないのだ。いやしかし。ぎたちゃんは俺の「彼女欲し〜」を一番聞き続けていたわけで、「俺もいないよ〜」とちょっと前までは言っていたわけで、最近、といっても俺が死ぬまでの間だけど、忙しくなってからはそういう話を聞きもしなかったけれど、いつの間にか彼女が出来ていてしかもそれを秘密にしていたのならばそれはそれで祝いたい気持ちと妬ましい気持ちが入り混じってしまうのである。いやね、あの、どらちゃんの女関係はほら、爛れてるからいいじゃん。べーやんもちらほら聞くし。でもぎたちゃんてそういう話ほんとに全然なくない?だからほんと、彼女ができて幸せですってなら俺も祝福するわけよ。それはそれとして胸ぐら掴んで揺さぶりたいけど。
「ねえ。彼女?それならそうで、言ってくんない?俺一人ですごい可哀想じゃん?ねえ!俺も彼女欲しいんだけど!なんで教えてくんないのお!?」
「よしっ」
「あ、できた?ねえぎたちゃん頭の後ろになんかついてるよ。ほらっ、このっ、お、俺には葉っぱ一つ取れない……!」
その後ぎたちゃんが出かける準備を始めてしまったので、めっちゃ頑張って取ろうとしたんだけど全然取れなかったし、ぎたちゃんの「出かける準備」は「スマホをポケットに突っ込む」ぐらいしかなかったので、頭の後ろにちっちゃい葉っぱがぴろんってくっついたまま外に出てしまった。頼むから風とかで取れてくれ。たぬきじゃないんだから。
「どこ行くの?あっ、ご飯?違った……ねえここのラーメンおいしそうだね?ねえ食べあいたたっ、引っ張らないで痛い痛い!」
普通に生活必需品を買いに来ただけだったっぽい。トイレットペーパーとか。ぎたちゃんは安いの買ってくれるから安心する。寄り道することなくまっすぐ買い物して帰ってきたぎたちゃんに、肝心なことを聞く前に時間切れになってしまった。

「だからもう最初に聞こうと思うんだけど、俺が死んじゃってもしかしてみんな思ったより落ち込んでる?」
「……………」
「返事してよお……」
きついよお。ごめんねって気持ちはあるし、前回来た時よりもみんなぼーっとしてないから、そうでもないならそうでもないかもしんないけど、時間経過って否が応でも生傷を瘡蓋ぐらいにはしてくれるよね、とも思うわけで。前回と変わらず、今度はベッドの上でぼけっとしてるべーやんに、聞いてみたのだけれど。隣で丸くなっている猫をゆるく撫でる手は止まらない。
「もしそうならさあ、俺来んのもうやめるから……見えなくても聞こえなくても、いるだけで周りの人は思い出しちゃうもんなんだって、教えてもらってさあ」
「……………」
「俺が悪いじゃん、全部。俺が……俺があんなことしてなかったら、今頃まだみんなでさあ、楽しかったかもしんないのに、死んじゃったから」
「……………」
「……死んじゃってごめん……」
死んじゃったから、涙も出ないのだ。言葉も伝わらないし、触れることもできない。それでもいいから話しかけ続けているけれど、迷惑をかけているならもうやめる。みんなが現世に降りない理由は、自分の死因を毎回追体験しなきゃいけないからとかもあるけど、こうやって、自分がいなくなった後、みんなが悲しんでる様子を見るだけで何もできないっていうのもあるんだろうな、とぼんやり思った。じゃあね、とべーやんの顔を覗き込んだけれど、やっぱり目は合わなかった。
「……あっ、」
「あっ電話?誰?彼女だったら呪う」
「もしもし……」
『もしもしー』
「ぎたちゃんだ!ぎたちゃんぎたちゃん!どしたの!」
「ど、あっ、お墓参り……?」
『そお。りっちゃんがいつでもいいって言うから』
「うん」
「えっ誰のお墓参り……俺……?もしかして俺の!?なんか恥ずかしい!」
「俺もいつでも大丈夫」
「やだー!ねえさっき来ないっつったけどもっかいだけ来てもいい?いつの何時集合?あっでもその日に合わせて来れるかなあ……分かんないけど……」



「明日葉さん。終わりました」
「次こっち」
「はい。これ、印抜けです」
「預かる。なんで我妻はついてきてんだ」
「チヨちゃん、この日お休みくーださい」
「お前めちゃくちゃ現世行くな……」
「楽しい」
「……僕も行ってみようかなあ……」
「やめとけやめとけ。こいつが頭おかしいだけだぞ」
「我妻さあん。お久しぶりです、今お時間大丈夫ですか?」
「あっ先輩みたいな鬼の人だ。いい?チヨちゃん」
「勝手にしろ」
「えっとですねえ、勤労態度と時間が評価されて、ボーナスが出ました。あと、お給与の時間がちょっと伸びます」
「よっしゃ!」
「みんなそれそんな喜ばねんだよな……」
「そうなんですよねえ……通貨のお支払いも制度を作ってるところなんですけど……」
「ボーナスってなんですか!あっ、生き返れるとか!?」
「それは無理ですね」
「そうですか……」
「任意の方をこちらにお呼びすることができるんですけど」
「えっ!?」
「声デカ」
「我妻くん、先に戻ってるね」
「はい!」
という感じで、ちょこちょこ覗きに降りながら、なんとかやっている。俺が生まれ変わるよりも先に、みんなの寿命が来て死んじゃうかもな。そういう感じの時間の差はあるけど、それはまあ、それとして。
「次降りる時、ライブにタイミング合わせたいんだけど、うまくどうにかなんないかな」
「らいぶ?」
「チヨちゃんライブ知らないの?」
「死んだの何百年前だぞ。ずっとここに缶詰で知るわけねえだろ」
「……何百年前……!?」
「お前もそうなる」
「嘘……」


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