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みじかいの



「どう思う?」
「ど、どうって……」
「さっきの二人。やっていけそ?」
我妻さんに、誘われて。いつの間にかバンドを組むことになってて、でも俺はベースだし、我妻さんはボーカルだし、この二人じゃどう頑張っても無理では?って思ってたら、我妻さんが誰か知らない人を連れてきた。しかもギターとドラムの二人。そしてドラムの人は本人も初対面だっつってた。そんなことあるだろうか。信じられない。それで初めての顔合わせがさっきあって、初対面の二人、横峯さんと秋さんは、そもそも知り合いらしく二人で帰って行った。残された俺と我妻さんで、夜ご飯を食べているんだけど。
「やって……あの、本当に……」
「ん?」
「……本気ですか……?」
「うん。上手だったねー、二人とも」
はい、と掠れた声が漏れた。それはそう、なんだけど。
遡って、顔合わせ。知らない人間しか周りにいないので、お腹が痛い。来なければ良かった、と心の底から思った。最初だから自己紹介かなあ、と話していた黒い頭の二人はニコニコしているが、どんな精神ならほとんど会話したことがない人間相手にそんな和気藹々と出来るのだろう。俺がおかしいんだろうか。みんなができることができないんだとしたら俺がおかしい。そういうことの方が多いので今回もそうなんだろう。もう早く帰りたい。いつの間にか下を向いていることに気づいたのは、名前が聞こえたのに顔が見えなかった時だった。自分の靴しか見えなくて、はっと顔を上げる。
『我妻諒太です!よろしくね』
『横峯悠です』
『……秋唯仁です』
『み、宮本風磨です……』
よろしくお願いしますと言った方がいいのか、と喉を詰まらせて、一番背の高い人と目が合ってしまった。秋さん、って、今言ったっけ。ドラムの人だっけ、ギターの人だっけ。目が合ってしまったことにテンパって頭が真っ白になった。咄嗟に目線を逸らすのも失礼な気がして一瞬迷ったら、にこ、と笑われて、もう逸らせなくなった。全身にぶわって汗をかいたのが自分でも分かる。怖い。蛇みたいだ。愛想というものが削ぎ落とされた笑顔、というか。親しみも篭っていない、かといって何が読み取れるわけでもない、無感情な笑顔。目を細めて口角を上げているだけで、笑っているように見える。そう見えるだけで一切笑っていないのがしっかり伝わってきて、謝ろうにも声が出なかった。そもそもなにを謝ればいいんだ。生きていることだろうか。やっぱ来なければ良かった。ねえ、と肩を叩かれて跳ね上がると、目を丸くした我妻さんが俺に向かって何か喋っていた。
『は、えっ、す、すみません、ごめんなさい……』
『なんかやってみよーよって。いい?』
『ぇう、あ、はい、っいえ、あの』
帰らせてくれ、とはもう言えなかった。途中からは笑顔も捨てて、品定めをする目をじっと向けられていることは充分分かっていて、それがとにかく怖くて、あとみんな上手だから俺みたいなのがここにいるのがどうしようもなく邪魔にしか思えなくて、息をするのも辛かった。連絡先を交換するとなった時に、逃げ出すならここが最後のチャンスなんだろうな、と思ったけれど、無理だった。そもそもそんな勇気があるなら最初からここに来ていない。とにかく絶対に視線だけは合わせないようにするしかなかった。一周回って、横峯さんは怖くない。知らない人という時点で怖いんだけど、値踏みされているわけではないから、まだマシというだけだ。
そして、それじゃあまた、って別れて、今に至る。ここで俺が嫌だと言ったら、我妻さんはどうするんだろう。俺に見切りをつけて別のベースを探すんだろうか。だってあの二人を手放すのと俺がいなくなるんじゃ、どっちが損でどっちが得かなんて、分かりきってるもんな。上手だったって言ってたし。俺もそう思うし。じゃあそうしてもらうか。そうしてもらって、本当にいいんだろうか。後から自分は後悔するかもしれないけれど、俺の後悔なんて犬も食わないわけで、俺がいたところでプラスになることなんてこの世には無いんだから、早く他の人に変わってもらった方がみんなのためでもあるのかもしれなくて。うようよと考えながら黙り込んでいると、でもねえ、と我妻さんがもぐもぐしながら喋り出した。
「なんだっけ。えーと、なんだっけ?名前」
「……?」
「べーやんでいいや。べーやんはさ」
「……お、えっ?俺のこと……俺?それ……俺ですか?」
「うん。なんて呼んだらいいか忘れちゃった」
「……宮本です……」
「覚えらんないからべーやんて呼ぶ」
「は……」
「べーやんもねえ、上手と思うよ。丁寧ってゆうか、俺は好きだなー」
「……………」
そう言われたのは、初めてだった。人に聞かせられるようなものでもないと思っていたから。嬉しいより先にびっくりして、でも褒められたならありがとうを言わなくちゃとは思って、衝撃でぼんやりした頭のままもごもごとお礼を言った。が、それは聞こえてなかったようで、もっと自信持ったらいいのに、と焼き鳥をつまみながら言われた。
「あとさあ、ぎたちゃんは」
「……ぎ、たちゃん?」
「そお。あーね、俺名前覚えんのほんっと苦手なんだよねえ。マジで職場の上司の名前とかも覚えらんないから名札付いてない時はあのとかそのとかで呼んでる」
「そ……そうですか……」
「あだ名が結局一番覚えやすくない?だからべーやんはべーやんね。ぎたちゃんはぎたちゃん。どらちゃんはどらちゃん」
「ん″、っ」
「んー?」
怖い秋さんに青い未来のロボットを彷彿とさせるあだ名が付いてしまったので、思わず笑いかけたのを殺した。俺は三人とやりたいよー、みんなで仲良くしよ、と言いながら焼き鳥を食べている我妻さんは気づいていないらしい。だめだ。本人が直接そう呼ばれているところを見たら本当に笑ってしまうかもしれない。そしたら確実に怒られる。嫌われる。バンドどころじゃなくなる。絶対にそうならないようにしなければ。そう誓いながら強く目を閉じていると、我妻さんが言った。
「でもどらちゃんから次の話したね」
「……そ、でしたっけ」
「うん。俺もめちゃくちゃ様子見られてんなーって思ったから、断られっかなってちょっと思ったの。だからすげえアピールしたんだけど。俺どうですか?って」
「アピール……」
「ぎたちゃん上手いしさー。しかもあれ多分手ぇ抜いてるよ、ライブん時の方がちゃんとやってたと思う」
「へ、え」
「だからダメかもなーて思ってたの。切られっかなって。でも別れ際に次の予定の話出したのどらちゃんだよね」
そういえばそうかもしれない。よく覚えてないが。プレッシャーがすごすぎて記憶がない。次の予定というか、合わせられるならいつ頃か、みたいな話にはなった。細かい日取りとかはまた連絡しますって感じだったけど。あれってオッケーだってことだよね?と嬉しそうに言われて、とりあえず頷いておいた。
「あの、我妻さん」
「俺もなんかあだ名欲しい」
「……えっ?」
「仲良くなりたい」
「……えっ……」
その時は首を横に振ったのだけれど、次に集まった時に、「名前なんだっけ?」と横峯さんに聞かれた我妻さんが、俺に向けたのと同じようにあだ名を強請って、ちなみにみんなのことはこう呼んでいる、なぜなら自分は名前を覚えるのが苦手だからである!と宣言し、ひいひい言うまで笑った横峯さんに「じゃあボーカルくんだね」と命名された。秋さんは怒ってないだろうか、変なあだ名をつけられて、と思ってちらちらと窺っていたのだけれど、怒っているどころか気にもしていない様子だった。から、ちょっと肩の荷が降りた。
それで、ボーカルくんのあだ名がいつの間にか全員に浸透して、それぞれに名前で呼ばなくなって、ギターくんは名前を忘れたらしいし、ボーカルくんはハナから覚えてないし、俺はもしも万が一間違えたら怖いので今更名前で呼べるわけもなく、結果的に全員のフルネームを完璧に漢字で書けるのがドラムくんだけになったのである。


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