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みじかいの



「う、えっあっ、はいもひっ、もしもし!」
『ねえ教科書学校に忘れちゃったんだけど!』
「はい!」
『数Ⅱある?』
「あ、ある……」
『取りに行く。今からでいいよね』
「えうっ、あの俺も数学宿題、」
虚しくも通話が切れた。あるんだけど、と止まりきらなかった言葉を小さく吐いて、ため息を吐く。母親が、珠子ちゃんなんだって?と扉から顔を出したので、子機を返した。
「教科書を……借りに来るって……」
「あらー。おやつは?いる?」
「もう夜8時なんだけど!いらないよ!」
「あら。うふふ。お母さんは下にいますからね」
「ゔ」
「ごゆっくりぃ」
「うるさい!」
枕を扉に投げて閉める。めっちゃ笑う声が聞こえて来て、地団駄を踏んだ。くそお、家族だからって面白がりやがって。五回ぐらいだんだんしたところで、こんなことをしている場合ではないと慌てて部屋の中をぐるぐる回りながら掃除をする。その辺に散らかってたマンガやゲーム、タコ足配線を更に延長しているコード、積んである服、ゴミ箱に向かって投げたのに入らなかったからめんどくさくてそのままにしてあったゴミ。ぐるぐる歩き回って、ようやくなんとか片付いたかな、と思った頃、扉の外から爆音で呼ばれた。やめてよ!恥ずかしい!
「たまちゃん来たけどー!」
「わかっ、わかった!わかったから!今行っ、行きます!リビングに」
「ねえ教科書は?」
「はああーっ!」
「うるさ」
たまちゃんが部屋まで来てしまった。来るかもしれないから、万が一来ても平気なように部屋を片付けていたので、いいんだけど。悲鳴を上げた俺に、片手を振って「うるさい」を表現したたまちゃんが、どこ?と部屋の中に入ってくる。汗臭かったりしないかな、やばい、たまちゃん髪型いつもと違う、完全に家モードだったのかパンダのTシャツにゆるいジャージだ。かわいい。
「どこお?」
「あっかばん、鞄にまだ、あの」
「あ!これ読みたかったんだけど!貸して」
「……うい……」
がさがさと俺の机を探したたまちゃんが、埋まっていたマンガを発掘して、にこにこしながら椅子に座った。えっ?なんで?
「たまっ、たまちゃん?」
「ん?」
「よ、貸すから、あっ教科書も、これ……」
「ありがとー」
「……か、えらないの?」
「うん。かなめ数学宿題あるでしょ?」
「うん……」
「早く終わらして。そんでから持って帰る」
「……うん……」
呆然としながら、たまちゃんが勉強机と椅子を使っているので、床に座って教科書とノートを開いた。ええと。俺がこれを終わらせないと、たまちゃんは家に帰れないわけだ。だから暇潰しのためにマンガを読んでいる、と。意味はわかる。ちょっと現実が理解できないだけで。なんかいい匂いする。ぼおっとたまちゃんを見上げてたら、気づかれたらしく、目があった。なあにー?と首を傾げられる。
「や、えっ、ごめん!すぐ終わらせます!」
「わかんないとこあんの?」
「えう」
「あたしもあんま得意じゃないけど……」
「ええぅ……」
うーん?と困った顔をしたたまちゃんが、マンガを机に置いて俺の隣に座った。すごいいい匂いする。いい匂いする!近い!
宿題どこなの?とこっちを向かれて、目が合う前に無理やり首を捻って教科書を向いた。別に難しくもない、十分もあれば終わりそうな問題だけれど、欲が勝った。
「……こ……ここ……?」
「えー。基礎じゃん」
「……………」
「寝てたの?」
「……うん……」
「珍しくない?ふふ」
かわいい。笑われてしまった。寝てなかった授業を寝てたことにしてしまったので、数学の授業の間、一時間分の記憶を俺は失うことに決めた。だめだよー、と軽く嗜めたたまちゃんが、仕方ないからって感じで教える体制に入った。たまちゃんに勉強教えてもらったことなんか、ほっとんどない。昔は俺の方が勉強できたし、今だって理数は俺の方が得意だ。もう理解しているところの説明を、うん、うーん、と分かってない風の声を上げながら聞いて、これは本当に分かってない時に聞いても絶対に理解できないな、と思った。緊張とか、あとどきどきしてるのとか、それにずっと変に暑くて、全く集中できない。分かってるとこで良かった。だって近いし、たまちゃんかわいいし、俺に向かって喋ってくれてるし、二人っきりだし。ひいひいしながら目を泳がせて、必死でたまちゃんの指先を追って、ようやく。
「わかったあ?」
「うん。ありっ、ありがとう」
「んー」
あっさり、マンガを読むのに戻ってしまった。我ながらしょんぼりした顔でそれを見つめてしまって、いやいや、もう充分手間取らせて迷惑かけただろう、とっとと終わらせて教科書を渡さなければ、と思い直す。
シャーペンを走らせて十数分。案の定、手をつけ始めたら即座に終わってしまった宿題に、これは怪しまれないだろうか…やっぱ分かってたんじゃないの?なんで聞いたの?って不審がられないだろうか…と不安になって教科書を見るふりをしながらたまちゃんをちらちら窺っていたら、目が合った。
「終わった?」
「あっ、うん、ごっ、ごめん」
「ありがと。これも借りていい?まだ途中」
「いいよっ、いい、あの、続きも持っていく?あっ重いよね、俺持つよ、持ってたまちゃんの家まで送る……から、貸すから、何回も来るの面倒でしょ……?」
「え、別に。近いじゃん」
「えぅ……」
「3巻だけ借りてくね。さむさむ」
「あっ、え、と、玄関まで行く!」
片手に持てるぐらいの量しか借りてくれなかったたまちゃんが、すたすたと廊下に出て、勝手知ったるといった様子で玄関まで辿り着いてしまった。あらーもう帰るの?とうちの母が声をかけているが、もう遅いから帰るに決まってるでしょうが、と唸った自分に首を絞められた。そうだよ、帰るに決まってるでしょうが。
「明日返すね」
「あっ家、家まで送る!」
「いーよお、これ借りてくね」
「うん!あっ、えっ?」
ばたん、と扉が閉まったので、俺の疑問形は宙に浮いた。たまちゃん今、俺のカーディガン着てなかった?
「要、あんたもうちょっと男らしくできないの」
「うう、うるさいっ、分かってるよ!」

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