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危機管理能力


「今までで一番危ない目に遭ったこと」
「……小学3年生の時に、親と観劇に行った。俺はまだ子どもだったから、親が気を遣って安い三階のバルコニー席を取ってくれて、ただそこってすごい傾斜がきついんだよな。それで、足を滑らせて、転がって落ちた」
「ひい……」
「危うくバルコニーから射出されるところだった」
「怖っ」
「明楽そういうタイプじゃないから余計怖い」
「今だから笑い話にできるけど、親は気が気じゃなかったそうだ」
「そりゃそうでしょ……」
「ちゃんと怪我したって前言ってたね」
「気絶したからそのまま救急車で運ばれて舞台は見れなかった。残念だ」
「当たり前でしょ」
呆れた声の御幸が、僕はそういう怪我はしたことない、大人しい子どもだったからね、と誇らしげに言って、えらいえらいと清志郎に頭を撫でられている。俺ちっちゃい頃なんて怪我してばっかだよ。明楽みたいな大怪我はないけど。あ、骨折ったことはあるか。
ライブ円盤の特典収録だ。オーディオコメンタリー的な。この時の裏話的なことをしてくださいとは言われているのだけれど、収録時間もそれなりにあるし、ネタ無くなったらこのボックスから話題引いてくださいって言われてて、それで引いたら「今までで一番危ない目に遭ったこと」という話題が出たのだ。清志郎が、俺も怪我はそんなにしたことないなあ、と考えている。御幸がニヤニヤしながらこっちを見て、言いつける口調で言った。
「育は右左見ないで道路渡るからチャリとか車にすぐ当たりそうになるよね」
「さ、最近はよく見てる!」
「結成直前だっけ?明楽が育にブチ切れたの。道を渡る時には左右を確認して手を上げる!っつって」
「俺だっていい年した相手にそんな怒り方すると思わなかった」
「でもその時まだ俺未成年だよ。子どもだよ」
「お前俺より二つしか下じゃないだろ……」
「まあでも、怪我は多少するよね。ダンスレッスン中にも足捻ったりとか、ないわけじゃないでしょ?」
「そうだねえ」
「あ!俺今まで生きてきて一番怖い思いした時の話思い出したよ!」
「なに?」
「鳶にサンドイッチ持ってかれて手が切れた時の話?」
「違う!ていうか御幸その時全然心配してくれなかったよね!俺痛かったのに!」
「超ウケたから」
そうじゃなくて。一番怖いのは人間、みたいな話だ。
中学生の時だったか。確か入所してすぐとかだったと思う。レッスンがあって、場所が少し遠いからいつもは親が送り迎えしてくれるんだけど、何回目かで行き帰りも慣れてきたし、ちょうど親の仕事が忙しくて抜けられないから今回だけは自分で帰ってきてくれ、と言われたんだったと思う。少し遠いレッスンルームから家まで一人で帰るのはなんだか大人になったみたいで嬉しかったから、しょうがないなーって了承した。電車賃を持たされて、レッスンルームを出たのが夕方。そこから駅まではそんなに離れていないはずなのだけれど、普通に迷った。完全に迷子になった。人に聞くのも一丁前のプライドが邪魔してできないし、駅がどっちの方面なんだかももう分からないし、日は暮れて暗くなってくるし。いつもは親と一緒に歩いて駅まで行くか、車で迎えに来てもらうから、自分が道を覚えていないことには気づかなかった。しばらくうろうろして、途方に暮れ始めた時。
『そこのお兄ちゃん。ねえ、ちょっと来てくんない?』
『?』
『迷子になっちゃってさ。駅まで行きたいんだけど、道教えてくれる?』
細い道なのに、大きい車だった。八人乗りとかのやつ。轢かれないように壁にぴったりくっつきながら、首を横に振る。だって俺も迷子だったから。正直にそう告げれば、えーそう?一緒じゃん、と若い男は可笑しそうに笑った。人が良さそうだったから、それだけで安心した。つられて笑えば、笑顔の男が名案とばかりに手を打った。
『あ、じゃあ、連れてったげようか?』
『えっ、道、わかんないって……』
『カーナビあるからさー。乗る?』
『……ううん……』
さすがに人の車に突然乗るのは、不躾だと思ったし、不信感も覚えた。首を横に振ったけれど、へらへらと笑っていた男は、車の扉を開けて近寄ってきた。車の中には他にも人が乗っていた。ざっと数えただけでも、三人。みんなニコニコしているのが、いやに怖かった。
『ぃ、いっ、いいです、あの俺、親に連絡します』
『平気平気』
『いあ!あの!大丈夫です!』
腕を掴まれたので、出来るだけでっかい声を出して振り払って走った。車が追いかけてくる音がしたので、必死だった。半べそかきながら路地から出て、どこをどう走ってるかも分からないぐらい駆けずり回って、息が切れて足をつんのめらせてようやく、車がもういないことに気づいた。ぜえぜえしながら蹲っていたら、頭の上から声が降ってきた。
『……あの……』
『わあっ』
『あ、ごめ……吉片くんだよね……?どうしたの?』
『だっ、誰』
『篠山清志郎です。ごめんね、まだ覚えてないよね、同じ事務所の人なんて』
『お、おなじ?』
『うん。初心者レッスンもう終わってるよね?具合悪い?』
『……………』
『あ、事務所の人に誰か来てもらう?』
歳の近い見た目、既に自分を知っている、同じレッスン着の袋を持っている、優しそうな顔で心配してくれている親切な人、というフルコンボで、めちゃくちゃ泣いてしまった。本当にマジで怖かったのだ。大人の力で腕を掴まれることがあんなに怖いとは思わなかった。ボロクソに泣いている俺を見て面食らった清志郎は、焦りながらレッスンルームに電話をかけてくれたし、すぐ事務所の人が来てくれてそのまま応接室で親が来るまで保護された。親には謝られたが、そもそも迷子になった自分がいけなかったとも思う。べそべそになった顔で、ぼこぼこのメンタルでもそれは分かったので、事務所の人にもらったあったかいココアを飲みながら、でもやっぱり怖かったからこれからは迎えにきてくれと親に頼んだ。
盗み聞こえた話では、うちの事務所が使ってるレッスンルームでは、部外者対策もあってロゴが入った袋を渡してこれに着替えを入れてきてくれと決めているのだけれど、少し前からそれを目印に声をかけてきたり写真を撮られたりということが目立つようになったらしい。だから対策を考えないと、としていたところに俺の事件があったらしい。すぐに袋は撤廃されたし、これ持ってると自慢できるしかっこいいからと見せびらかして持っているのが流行りだったが速攻禁止された。それ以降そういうことは聞いていない。
「それが一番危ない目に遭ったこと」
「ああ。あれ育だったのか。知らなかった」
「通達はあったけど、誰かなんて言われなかったからね」
「僕は知ってた。育が言ってたから」
「言った。御幸の方が俺よりちょっと入所遅かったでしょ?初めましての時に言った。だって御幸の顔がマジで超可愛かったから」
「僕は自分の顔がマジで超可愛いことなんて知ってるから子どもの頃は一人で外出歩かないって自分で決めてた。問題ないでしょ」
「それはそうだけどお前な……」
「だってそうでしょ?」
「清志郎覚えてる?」
「覚えてるよお。結成する前にも何度か組んだりする機会あったじゃない?その時に、あっあの時の!って何回も思ったもん。嫌なこと思い出すかなと思って言わなかったけど」
「言われないから清志郎忘れてんのかと思ってた」
「忘れるわけないよ……」
ほんとにびっくりしたんだから、だそうだ。まあそれはそうだろう。俺はテンパってていまいち清志郎に助けられたことすら覚えていなかったけれど。まったく、と腕組みをした御幸が、やれやれ顔で言った。
「僕はそういう危険は踏まないし、怪我もしない。ちゃんとリスク回避ができるから」
「じゃあ御幸の一番危ない目に遭ったことってなんなの?」
「……なんだろう……」
「清志郎は?」
「うーん。コンサートのリハーサルで、ジャンプの時に飛び出し台から落ちかけた時は本当に危ないなと思った」
「一人で飛び出して一人で戻ってきたやつか……」
「そんなことがあったなんて僕達知らないからね」
「ねえ。だから御幸は?」
「ないかな」
「嘘」
「こないだ仙台公演の時に俺が朝走るのについてくるって言うから任せたら死にかけてた」
「あれは明楽がめちゃくちゃいっぱい走るからじゃん!あんなに走るなんて聞いてなかった!」
「御幸の一番危ない目に遭った話はそれでいいな」
「ただの体力無し運動音痴ってこと?」
「ちがーう!」


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