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湯治



「俺今気づいたんだけど、手足がちゃんと伸ばせる風呂って気持ち良くない?」
「……都築家の風呂そんな狭いの?」
「足伸ばしたい時は直角に座る」
「うちもうちょいゆとりあるけど……」
「えー?リフォームしようかな。クソ広い風呂に」
「そしたら毎日入りに行くわ」
「一回五十円ね」
「安。はは」
「でも十回入ったら五百円だよ」
「……………」
微妙な顔で航介が黙った。そう考えると安くはないな、と思ったんだろう。朔太郎があっちでばっしゃばっしゃ泳いでるのが聞こえる。瀧川はここにいないってことは朔太郎の方にいるんだろう。見てないから知らないけど。いや、航介と二人でゆっくり喋んの楽しすぎるな。週一ぐらいでこの時間欲しい。
「ねえ、うちのメニューで何が一番好き?」
「……なんで?」
「なんでって……リサーチ?あと本当に美味いのか不安になる。特にうめさんが独自に作った料理とか」
「一番……一番かあ……」
「一つじゃなくてもいいけど。これうまいってのがあったら知りたい」
「うーん……」
「あ、ちなみにだけど別に航介一人に聞いてるわけじゃないからね!もうほんと色んな人に聞いてるから!なんなら不安になる度にとりあえず目の前にいる客に聞いてる」
「それは迷惑じゃないか?」
「……よく考えたらそうだね」
「おにぎりは好きだけど」
「それ航介が米が好きだからでしょ」
「いや。思い出してみたら都築家でおにぎりを頼まなかった日はないかもしれん」
「ええ……?」
「お前んとこのおにぎり、なにおにぎりか書いてないから毎回つい頼んじゃうんだよな」
「え?書いてなかった?」
「書いてねえよ。おにぎりとしか」
「そうだっけ。あっ、だから時々、今日のおにぎりはなんですか?って聞かれんのか!」
「日替わり定食と同じ扱い」
「気づかなかった!」
「じゃこにねぎ入ってる日は当たり。焼きおにぎり頼んでないのに焼きおにぎり出てきた日もレアだから当たり」
「ハズレは?」
「ふりかけの時」
「……はっちゃんだ……」
「お前が目の前で作ってるとなんのおにぎりがいいか聞いてくれるから助かるんだけどな」
「ほんと?なにが一番好きなの?」
「だから一番……んー……枝豆と昆布のやつは美味しかった」
「ほう!」
「味噌焼きはメニューにあるのにおにぎり頼むと時々出てくるよな。美味いからいいけど、値段違うだろ」
「それは多分キッチン担当がおにぎりだからいっかと思ってるんだと思う」
「あとおにぎり頼んでるのに酒が出てくる時もある」
それは姉の耳がイかれているからである。あの人は俺の友達になら何をしてもいいと思っているので。素直に謝っておいた。
二人でのんびり喋ったのなんていつぶりだろうか。いやね、航介一人で昼飯食いにきてくれたりすることもあるんだけど、そういう時って大概仕事の合間だから、航介もぱっぱとすぐ食べていなくなっちゃうし、俺もわざわざ引き留めて喋ったりしないわけ。それ以外の時間はあんまない。例えば夜来る時は朔太郎とか瀧川が一緒だし、高校生の時は二人でいることあったけど、そういう時間そういえばなくなったなーって、今話してて改めて思ったのだ。嬉しい。そもそもこの人、話しやすいのだ。そりゃ、お前は瞬間湯沸かし沸騰機か?と思うぐらいすぐ怒るし手は出るしぶっきらぼうだけど、元来根は優しいし穏やか寄りだし、ほっとくと一人で黙々と本読んでたりするタイプの人間なのである。見た目によらないかもしれないけど。ちょっとほぐれてきた、と伸びをして肩を回している航介に、本当ならこう、いろいろ聞きたい。例を一つ挙げると「高校生の時、委員長のこと実際どう思ってたの?」とか。超聞きたい。しかしそれを聞き出すには酒が必要な気もする。あと朔太郎とか瀧川がいるところでは絶対に教えてくれないとも思う。だから今が大チャンスなんだけど絶対このままのノリじゃ教えてくんないよなー!もったいないなー!
「……航介って……航介の……タイプって……どんな人なの……?」
「……は?」
「いや別に!俺が気になるとかじゃなくて!俺の知り合いが!気になると!」
「それ自分が気になる時の言い訳じゃねえか」
「あ、年上とかそういうのはいい。知ってるから。そうじゃなくて性格とかそういう話をしてる」
「なんなんだよ……」
「別に俺が航介のこと好きなわけじゃないからね。勘違いしないでよね!」
「……?」
めちゃくちゃ訝しまれている。委員長のことは聞けないだろうから、せめて回りくどく好みのタイプを知っておきたいなと思っただけなのだけれど、変なフリをしたせいでものすごく疑われている。俺が航介を狙ってるわけじゃないのは本当なのに。冤罪です。すす…って下がったのも嫌すぎる。さっきまで楽しくおしゃべりしてたじゃんか!
「航介のタイプはねえ、ある程度思慮深くて、でも喋ってて面白くて、自分の甘えを受け止めてくれる広い心を持ってる人だよ」
「うわ。突然出てくるなよ」
「がぼごぼがぼ」
「えっ?つまり……俺……?」
「瀧川のどこが思慮深くて、どのあたりが喋ってて面白くて、どう心が広いの?」
「傷ついた」
俺と航介の間に突然湧いてきた朔太郎を航介が沈めている間に、瀧川がドキドキした顔で寄ってきた。もう!あっち行ってよ!邪魔!浮き上がってきた朔太郎が、俺と航介と瀧川を囲むようにうろうろしながら、ねえ、ねええ、と鳴き出した。ヤギみたい。
「露天行こうよお」
「勝手に行けばいいだろ」
「もうさっき行った。でも一人で行ってふざけて凍死したら誰にも見つからないまま春になるの嫌だなと思って」
「ふざけるのを我慢してみたらいんじゃない」
「できない!」
「小学生男児か?」
「行こうよお、行こう行こう行こう」
「うるさいうるさいうざい邪魔乗るな」
「ギャー!」
朔太郎が航介によじ登りだしたので、放り投げられている。ちゃんと水柱立つ勢いで落とされてるけど大丈夫かな。大丈夫か。ていうかよく考えなくても全裸なのによくべたべたするな。幼馴染の距離感ってそんなもんなんだろうか。
「絶対寒い」
「もう目に見えて寒い」
「今俺たち服着てないからな……」
「行こ行こ!雪だるま作ろ!」
「全裸なのに?」
「そういうことは防寒しっかりしてる時じゃないとしちゃダメなんだよ」
「一人で死にたくないからみんなで行こ!」
「死が見えてんじゃん」
「心臓マジで強く持てよ」
「もー!先行くからね!」
「胸のとこグーで叩きながら外出よう」
「湯船まで2秒で到着するシミュレーションしてる今」
「まず地面が絶対に冷たいから足をつけたくない」
「浮いていくしかないよ」
「名案!お前らで俺を担げば俺は地面に足をつけずに風呂場まで行けるじゃん!今すぐにそうしろ」
「俺たちの結束でいつでも瀧川のことを雪山に叩き込めることも忘れないで。ねっ航介」
「そうだな」
「もう二度と言わないので許してくれますか?」
「……あれ朔太郎は?」
「さっき先行くって」
「早く来てよ!」
「ギャア!」
「つめてっ」
「てめえ!よくも!」
ワヤワヤ言ってる間に勝手に外に出ていた朔太郎が、ガタガタ震えながら俺たちに雪玉を投げつけて走り去っていった。ので当然走って追いかけたら、ほとんど飛び込む速度で湯船にダイビングしていた。ねえほんとにケガしない?大丈夫?
「あったかい」
「血出てない?」
「出てないよ」
「寒いとこ走ってきたせいでせっかくあったまった体がカチコチになっちゃったじゃねえか」
「瀧川元からカチコチじゃん」
「なんだと!やわやわだわ!」
「なにその何の意味もなさない会話……」
そしてしばらくして、野外を歩いたせいか秒で冷え切ってしまった体があったまってきた頃。
「カップラーメンの中でシーフードが一番美味しいと思う」
「は?」
「カップラーメンの中で」
「聞こえてはいた」
朔太郎のことは瀧川に任せた。というか、朔太郎が出たり入ったりウロウロしたり沈んでたり浮いてたりするので、俺と航介が完全に放っておいたら、朔太郎が自分から構ってくれそうな瀧川に絡みに行って、瀧川が一人で巻き込まれた。さようなら。尊い犠牲のことは忘れない。
頭にタオルを乗っけてこっちに手のひらを向けた航介が、うーん、と腕組みをした。
「どれもおいしい」
「どれか!」
「……えー……」
「まあ俺も時々しか食べないんだけどね」
「じゃあいいじゃねえか、どれでも……」
「さっきから食べ物の話ばっかりしてんね」
「腹減ってきた」
「お風呂ってエネルギー使うよねえ」
「この後飯どうする?」
「お肉食べたい。お酒も飲みたい」
「車だから飲めないだろ」
「瀧川に車戻してきてもらおうよ。俺たち先に店入ってればいいじゃん」
「まあそうか」
「焼肉行きたい!」
「焼肉……」
「白いご飯にお肉バウンドさせて食べたくない?」
「……………」
じゅるり。って顔に書いてある。都築家ではない?と聞かれたが、なんでわざわざ仕事から遠ざかって伸び伸び自由を満喫してる時に、最後の最後で現実を見なくちゃならないんだ。すごく嫌だ。仕事しなくていいから、自由にしてていいから、って条件だったとしても、実家に戻ったが最後絶対に働かされてしまうし、粗が目について自分も我慢できないと思う。よって、ぎりぎりまで家には帰りたくない。航介としては気が緩むいつもの場所がいいんだろうけど、そこはまあごめんなさいね。お肉に免じて許してよ。
「航介って、あーあれ食べたい!みたいなことあるの?」
「あるよ」
「あるんだ……例えば?」
「この前どうしてもドーナツが食べたくて困った」
「んはははは見えねえははははは」
「なんで笑うんだよ」
「いやかわいくて、ふははは」
「でも夜だったからマジで困ったんだよ。もう完全にドーナツの口なのに風呂入った後だし外出たくないしなんなら店も空いてないし」
「んっふ、なんっ、ふふっ、なんで大真面目に話せるの?」
「だから次の日朝イチでドーナツ屋さんに行った」
「あはははは」
「10個買った」
「あはっ、この見た目でドーナツ10個っはははは」
「全部自分で食ったけどな」
「ひい、苦しい、デブの量……」
「流石に食ってから後悔した。ドーナツの口になってたからって10個は食べすぎたなと」
「そ、そりゃそう」
腹筋がブチ割れるかと思った。なんで突然そんな面白話ぶっ込んでくるの。笑いすぎて泣いちゃった。本人は「なぜ笑われているのか分からない」って感じの顔出し。いやだって、かわいすぎるでしょ。もっとこう、ステーキ!とか、ラーメン!とか言うかと思ってたんだよ。ドーナツて。ドーナツ屋さんでウキウキしながら選んでる航介を想像したらまた笑えた。嘲笑とかではないことだけはわかってほしい。
「都築もあるだろ、食べたいものぐらい」
「んん……話振っといてあれだけど、俺あんまそういうことないわ」
「さっき焼肉って言ってた」
「どっか行こってなったら、どこの店に行きたいとか、何が食べたいとか出せるけど。完全に自分だけってなったら常に適当かも」
「それなにが楽しいんだ?」
「ゔっ……やめてよ……気にしてることを……」
「お前趣味とかないの?」
「趣味」
「うん。休みの日、っていうか、暇な時にやること。とか、そのために時間作ることとか?」
「……………」
真実を言うわけにもいかないが、そうでなければマジで何もないなあ。と思ってしまった。航介からしたら、ゲームとか読書とかってことだよね。ない。全然思いつかない。しばらく宙を見つめていろいろ考えてはみたものの、ものすごく強いて言うなら、というのしか浮かばなかった。
「……料理?」
「仕事だろ」
「違う違う。よく考えたら、食べたいものがないのも、自分で作っちゃうからなんじゃん?と思って」
「……無理やりくないか?」
「そうね。俺もそう思う」
温泉巡り趣味にしよっかなあ、と湯に耳近くまで浸かりながら言えば、瀧川とお揃いだな、と返された。嫌。前言撤回。
「都築のぼせた?」
「んえ?なんで?」
「顔真っ赤だから」
「うそお!?」

帰るのである。朔太郎が服だけ残して失踪したり、マッサージチェアが気持ち良すぎて航介が永遠にそこにいようとしたり、瀧川がまだお姉さんの幻覚を見ていたり、したけれど。
帰りの車内は静かだった。というのも、航介が運転で俺が助手席、朔太郎と瀧川が後ろだったのだが、存分にあったまったからなのか純粋にはしゃぎつかれたのか、車に乗るなり即寝てしまったのだ。なんなら俺もうとうとした。航介には申し訳ない。
焼肉屋の前で俺と朔太郎と航介は降りて、四人席をとっておく。瀧川は「先に始めるなよ!いいな!葉っぱしか食うなよ!肉を焼くなよ!わかったな!」と言いながら家に車を置きに行ったが、ちょっとよく聞こえなかったので肉をガンガンに焼いてるしお酒も飲んでる。だっていつ戻ってくるか分かんないしさ。
「都築焼くの上手い」
「そう?」
「おいしい」
「ありがとー」
「結局網の世話してる。嫌だったら言えよ」
「んーん。こんぐらいは全然」
今日は仕事のこと考えたくない云々の話を聞いていた航介は、俺が焼き役をやってるのを気にしてるみたいだったけど、むしろ目の前で生焼けとか丸焦げとか食われた方が悲しくなる。食べ物は粗末にしない主義なので。食べなさい食べなさい、と皿に肉を乗せたら美味しそうに食べてたし。
「こないだ犬とすれ違ってねえ」
「また散歩?」
「徘徊老人」
「散歩好きなんだからいいでしょ!そんで、飼い主さんが俺と逆側に犬を引っ張ったんだけどね、犬は俺にどうしても近づきたかったのよ」
「腹減ってたのかな」
「ドッグフード臭がしたのかも」
「しませんー!さくちゃんはいつだってフローラルのいい匂いですー!」
「池に落ちる奴がフローラルの香りなわけないだろ」
「でも朔太郎いつも割といい匂いするよね……」
「ふふん」
「さちえが面倒見てるんだろ、どうせ。朔太郎一人の力でフローラルを獲得できるわけない」
「なんだと!航介なんかくさいくせに!」
「はいはいはい犬は?犬がなんなの?」
「忘れちゃった」
「海馬どこに落としてきたの?」
犬の話ちょっと気になったのに。珍しくふにゃふにゃしてる朔太郎が、新しいジョッキに手をかけながら口を開いた。
「また行こうねえ、お風呂」
「楽しかったね」
「次は別のとこにしよ、あ!牛乳飲むの忘れちゃった!」
「お前がどっかふらふらしてる間に俺たちは飲んだ」
「なんで呼んでくんないんだよー!ケチ!意地悪!ハゲ!」
「ハゲてない」
「いずれハゲ!」
「うるさい」
「まあまあ。お肉でも食べて」
「おいしい」
「うまい」
「でしょお?」
ちなみに遅れて到着した瀧川は号泣した。



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