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湯治



いつもの四人なのである。航介は疲れていたのか、しばらく飲んだら自主的に座敷に転がってしまったので、今カウンターにいるのは三人だが。ふい、と指先をこっちに向けた瀧川が、俺と朔太郎を交互に指差して口を開いた。
「いいの?それは」
「ん?」
「なにが?」
「それ……」
「どれ?」
「別に都築がパンツ履いてなくても瀧川には関係ないでしょ」
「履いてるよ!?」
「履いてないの?」
「履いてるっつってんじゃん!」
「そうだよ」
「まあ俺には確かに関係ないけどさ。都築のパンツのことは」
「ねえ!俺の声聞こえてる!?もしもし!?」
「だから、朔太郎がカウンターの中にいるのはいいのかって聞いてんの」
「ああ、なんだ。いいんじゃん?食べ物には触らせてないし」
「触ってない!なんでかって言うと食べ物で遊ぶと都築がブチ切れるから!」
「航介も怒るよ!俺だけが怒ってるみたいに言わないで」
「いやだから、別に食べ物がどうこうとかじゃなくて。食品衛生法?とかあるじゃん。そういうの的にいいの?って」
「……法か……」
「法を出されちゃちょっと……」
ということで、朔太郎が「そっちに立ってみたい」と勝手にカウンターに入り、俺が朔太郎の席に座っていたのは、交代した。ぎゃあぎゃあしたからなのか、航介がむくりと起き上がって欠伸をしながら戻ってきた。
「水くれ」
「はい」
「……眠い……」
「帰る?」
「んん……」
「じゃあもうちょっと寝てから帰ったら?お布団持ってきたげよっか」
「……寝ない。帰れなくなる……」
「疲れてんね。忙しいの?」
「今は別に、そうでもないんだけど」
目を擦った航介は寝たくなさそうだったので、話し相手をする。口が動いてれば寝ないだろ。飲み干してしまったグラスに水を注ぎながら、ふうん?と聞き返した。今は忙しくないという割に随分疲れてるじゃんか。
「……毎年、年末年始が忙しいんだよ。それ引きずってる」
「ええ?もう一月の半ばだよ」
「うーん……去年まではこんなんじゃなかったんだけどな……」
「寄る年並みには勝てないっすか」
「そうだな。それ」
「つーか航介、休みとかないじゃん。いっつも働いてない?だから疲れんだよ」
「お前もだろ」
「俺は店が休みの時は休んでるもん」
「店が休みの時っていつだよ。ほぼ毎日開いてんぞ、この店」
「……それはまあ時々だよ……」
「ほら。人のこと言えないだろ」
「でもさあ!航介は休みあるじゃん、水曜か土曜と日曜は休みのはずでしょ」
「そうだよ。だから休んでるだろ」
「嘘つけ、事務仕事してるだろ」
「……最近はしてない」
「最近っていつ?昨日が土曜日だったけど昨日のこと?それ体がマジで疲れてたから寝落ちたとかそういう理由でしょ」
「……………」
「ほーらね。休みの日は大人しく休めばいいんだよ。ゆっくりするの、今後はそうしてね」
「……………」
お前にだけは言われたくない、と言いたげな顔で睨んでくるけれど、航介は絶対に人のことを言えないので、全く怖くないのだ。その辺にあった誰かのたまごやきを突ついていた瀧川が、話を聞いていたのかふとこっちを向いた。ていうか、食べるなら食べて欲しい。食べないならやめて欲しい。お前たまご好きじゃないだろ。
「湯治。おすすめ」
「とーじ」
「そう。ゆっくり温泉浸かってー、何も考えないでのんびりしてー、帰ってくる」
「湯治って長くいることじゃないの?」
「そうなの?」
「調べてみよう」
「……ほんとだ。じゃあ俺が今までしてたのは何?」
「知らん」
「日帰り温泉」
「いいんだよ!湯で治してたら湯治だろ!以上!」
「解散」
「ていうか瀧川いつも何も考えてなくない?」
「より何も考えない時間も必要だから」
「死ってこと?」
「ほぼそう」
「怖」
「でも疲れは取れる。俺行くよ、温泉」
「へー。航介行きなよ」
「めんどくさい……」
「じゃあ俺と行こ」
「……それならまあ」
「っしゃー!!!!!」
「うわ」
「声デカ」
「ごめん!」
すごいでかい声で心からのガッツポーズしちゃった。だってあの、貞操観念の塊みたいな人間と一緒に温泉に行けるのだ。温泉って要するに合法的に全裸が見れるってことでしょ。一人じゃめんどくさいのに俺となら行ってくれるところもポイント高いよね。航介俺のこと大好きなんだから〜!と上がったテンションのままに抱きついたら、うざったかったのか顔を押されて引き剥がされたので、こちらのボルテージが下がった。顔面押すことないじゃん。生きてきて顔を鷲掴みにされて引き剥がされたことってあんまりないよ。しょぼくれている間に、航介が瀧川に聞き込みを続けている。ので、参加しておいた。
「おすすめとかあんの」
「人いない方がいい?いる方がいい?」
「俺と航介以外無人のところがいい」
「……俺もしかして都築に殺される?」
「人がいないならあっちの方じゃん?山奥だけど」
「あー……」
スマホの地図を見せながらあっちこっちと提案している瀧川が、道分かる?と聞いたが、航介は腕を組んで唸っていた。曰く、別に分からないわけじゃないし行こうとすれば行けるけど特に多く通る道ではないし今の時期は雪がやばいだろうから100%大丈夫かと言われると頷きかねる、ということで。
「じゃあ俺乗せてったげるよ」
「おお。ありがと」
「……………」
「待って。都築がすごい顔で俺のことを睨んでくる」
「……瀧川は……車係ってこと……でいいんだよね……?」
「は?行くなら入るわ。なんのために車出すんだよ」
「帰りは俺運転する」
「えー。いいよ別に」
「や、人の運転苦手なんだよ。行きは対策してくけど、帰りは運転席にいたい」
「あっそ?じゃあ頼むわ」
「……瀧川がいちゃったら、航介と二人じゃないじゃん……」
「……都築と二人になりたくないから瀧川も来てくれ」
「おっけ」
「ぐああああ……」
「なんなんだよ……」
親切な瀧川の挙手によって、俺の苦しみは無視して三人で行くことになった。くそお。まあいい。瀧川も貧弱じゃないからな。脱げと言えば脱ぎそうなので、あまりレア度は高くないが、いいとしよう。完全に友人の肉体を狙う思考しか浮かんでこないが、手を出すわけではないので安心して欲しい。見るだけ。羨ましいなーかっこいいなーって思うだけだから。
じゃあここにしよう、いつがいいか、むしろいつなら空いてるんだ?とスケジュールを擦り合わせていると、朔太郎がずりずりとカラオケセットを引っ張り出してきた。瀧川と航介は、背中側に朔太郎がいるので気づいていない。勝手に電源を入れてぽちぽち操作しているが、壊しでもしない限りほっといていいだろう。
「航介は日曜だろ?俺も日曜は空いてんだよ」
「都築が無理だろ、日曜は」
「やー、前々から言っとけば別に。それでも人手なかったら臨時休業するだけだし」
「そっか?」
「じゃあこの辺聞いといてくれ」
「いいよー。多分平気だと思うけど」
「ねえ!!!!!」
「うるっせ」
「音量下げて!」
「さくちゃんをお忘れでない!?男ばっかでむさ苦しい!キュート代表のさくちゃんも連れてって、花を添えた方がよいのではあ!?」
「本当にうるさい!」
「リモコンリモコン」
「キュートの和訳は異常じゃないぞ」
「ええ!?なあに!?」
「ハウってる!」
キーン!って言ってる。わざわざこのためにカラオケセットを引っ張り出したらしい。音量を下げてマイクの大きさが適切になったら、ごろごろ押して片付けてたし。構ってあげなかったからって暴挙に出ないで欲しい。耳が痛い。片付け終わって戻ってきた朔太郎が、いそいそと隣に座り直した。
「なに?」
「俺も行きたい」
「普通にそう言えよ……」
「日曜なら俺も行ける。お休み」
「じゃあみんなで予定合わせようか」
「お菓子いっぱい持ってこー」
遠足と勘違いしているらしい朔太郎がウキウキしている。まあ、俺は連れてってもらう側だから、なんでもいいや。



「ここからどんぐらいかかるの?」
「58時間」
「ねえ瀧川、トイレ行きたい」
「家で済ませてこいや!今からどうトイレに立ち寄れって!?」
「嘘嘘。さくちゃんジョーク」
「航介平気?」
「薬飲んできた。辛くなったら寝る」
「おっけー。ウノとトランプ持ってきたけどやる?」
「……やらない」
「じゃあまた今度にしよ」
瀧川が運転席、助手席は荷物置き、俺と朔太郎が二列目で航介が三列目だ。隣に誰か座れよ!なんで全員後ろ!?って瀧川は言ってたけど、別に助手席に座りたい人いなかったし、そう言うぐらいなら魅力のない自分を恨んで欲しい。俺もう帰りの助手席予約したもんね。航介の隣。
「お菓子食べちゃお!」
「こぼすなよ絶対。絶対だぞ朔太郎。おい聞いてんのか返事しろ」
「粉がこぼれた」
「後でお前が掃除しろよ!」
「瀧川そんなに潔癖じゃないでしょ。いいじゃん」
「綺麗にしてた方がモテるって聞いて」
「大丈夫だよ。瀧川がピカピカに綺麗でもゴミまみれでも、女の子からの見る目は変わらないよ」
「そう?なんか安心した」
「いつも通りでいなよ。素の瀧川を好きになってくれる子もこの広い世界のどこかにはきっといるからね」
「航介もいる?朔太郎が持ってきたお菓子」
「いらない。寝る」
「嘘!?限界早くない!?」
「普通に眠いだけだから……」
「人の車乗ったら寝る癖ついてるよねー、航介。俺運転すると秒で寝るもんね」
「朔太郎の運転で寝るのは正気じゃなくない?」
「なんだと。人を怪我させる事故は起こしたことないんだぞ」
「全然誇れないから」
「瀧川は俺のことを轢いたことがあるので他損事故経験者です!その車に乗るのは正気なんですか!」
「無傷だったろ人聞き悪ぃな!あれはお前が変な角度で俺の車線に入ってきたから」
「ぐう」
「航介マジ寝じゃん……」
「ここアザになったもん」
「危ねえな!突然運転席に飛び出してくんな!死にたいの!?」
瀧川は運転席に一人でもちゃんと会話に参加してるから、全然寂しくないと思う。他人の車に乗ることがそもそもにしてあまりないので、楽しい。仕事のこと考えなくていいのもいいな。今朝うめさんがそっと家出しようとしてたの、はっちゃんが首根っこ捕まえてたし。四人いるからどうとでも回るだろう。なので、普通に楽しい。航介が寝てしまったのが残念だが、そもそも疲れ果てている航介の体を癒すための温泉なので、仕方ない。朔太郎がニコニコしながらペンを取り出して航介の方を向いたので、襟首を引っ掴んだ。
「おうっ、苦しい」
「こら。そういうタイプの悪戯は家の中かうちの店だけにして」
「別に顔に書いたりしないよ」
「そう……?それなら……まあ……」
「左手に右、右手に左、って書くんだー」
それはそれで、どういう角度の嫌がらせだよ。自分の座ってたところの座席を倒して後ろに行った朔太郎が、手に文字を書かれても全く起きない航介にいそいそと悪戯をしている。都築もなんか書く?と聞かれて、手首のところに「足首」と書いておいた。これなら朔太郎のと混じって俺が書いたとは気づかれないだろう。描き終わって飽きたらしい朔太郎が、寝ている航介に寄りかかるように溶けた姿勢でこっちに向けて口を開いた。
「都築って温泉とか行ったことあるの?」
「あるよ」
「誰と?」
「家族と。えっ、うちってそんな家族仲悪く見える?」
「んーん。あのお店に休業日があるイメージないから」
「……それは確かに……」
「都築とかお姉さんが手伝う前は、お父さんとお母さんでやってたんでしょ?あんま家族で出かけた思い出ないーって前言ってたじゃん」
「それは確かにあんまりないけど。別に皆無ってわけじゃないよ、旅行行ったりとかしたし」
「そっかあ」
「朔太郎は、あー、妹ちゃんいると、温泉とかは行かないか」
「うん。そだね」
でもみんなで出かけたりはしたことあるー、と航介の服のファスナーを弾きながら言う朔太郎に、ギリギリ思い出して「朔太郎は家族旅行とかあるの?」と聞くのをやめて無理やり方向転換した自分が、間に合ったのか間に合ってないのか分からなくなった。なんか確か、中学生の時にいろいろあったっぽいんだよね。詳しい話は聞いたことないけど。妹ちゃん、ゆりねちゃん?のことを超好きなのは見てて分かるし、高校時代朔太郎のお弁当は毎日めちゃくちゃ美味そうで店の残り物が雑多に詰まっているお弁当の俺からしたらすげえ羨ましかったぐらいだから、家族仲が滞っているようにも見えないのだけれど、余計なことを聞いて変な空気になっても嫌だなあと思ったのだ。咄嗟だったから、変なところで勘のいい朔太郎は、俺が気を回したことに気づきそうだなとも冷や冷やしたが、他人の服のファスナーを上げ下げして、流石に煩わしかったらしい航介に手を叩かれてやり返していたので、まあ平気なのかな。
「瀧川まだあ?」
「まだ全然まだ」
「飽きちゃった」
「トランプあるよ。ウノもある」
「じゃあ無限地獄ウノやる?」
「なにその怖い名前……」
「ウノって言ったら追加で7枚引かなきゃいけないんだよ。でも上がれた方の勝ち」
「それもう破綻してない?」
「ウノの言い忘れで2枚引くルールを駆使して、あとは運がべらぼうに良ければ上がれる」
「なにそれ」
「一枚になったところでウノ言ってないって指摘されるでしょ?そしたら2枚引くでしょ?その2枚引いたやつが元々持ってる一枚と同じ数字だったら重ねて上がれるわけよ」
「何枚も重ねて上がる時もウノ言うじゃん」
「ウノ忘れで引かされてるカードだからその時だけは言う義務が無くなってる」
「……それ以外に上がる方法は?」
「ないね!」
「誰が考えたのそれ」
「当也」
「何か精神に闇を抱えてたの?」
「ううん。航介ばっかり勝つからムカついた当也が半ギレで考えた暴虐ルール」
「……いくら当也の発案でも飲み込みかねるかな……」
「そ?じゃあ普通にやる?」
「二人だとすぐ終わっちゃうんだよなー」
「罰ゲームは?」
「えー、なにがいっかな」
「じゃあー、負ける度にモノマネ」
「なんでもいいの?」
「いいよ。炊飯器のマネとか」
「炊飯器」
「見る?」
負けてないのにやってくれたしウケた。
それからしばらく。朔太郎が何故か無機物縛りでモノマネをするので、もっと見たくなっちゃって勝ちを急ぎまくったりしてたら、航介がもぞもぞと起きた。ちなみに瀧川は静かだ。ウノとかそういう、手元でやってるのを見ないと話に参加できない系のやつは流石に口を挟めないらしい。それとも雪がマジでやばすぎて集中して運転してんのかも。わからん。
「ごめん、うるさかった?」
「……や。平気」
「航介もウノやる?」
「やらない。鞄取って」
「はい」
航介が自分で持ってきたらしいペットボトルを見て、あー俺も欲しい俺も、と朔太郎が騒ぎ立てて、黙らされた。俺も持ってきたけどただの水なので、航介みたいにお茶持ってくれば良かったなと思う。味がついてるものがよかった。朔太郎が、俺にはこれしかないのに…としょんぼりしながら、カバンから小袋を取り出している。なにそれ。
「誰かの飲み物にこっそり入れてびっくりさせようと思ったの」
「あー、子どもの時に飲んだことある」
「これならあるから、これ半分あげるから、航介のお茶半分ちょうだい」
「嫌だ」
「なんで!おいしいよ、メロンソーダ味だよ」
「嫌だ」
「お茶に入れろとは言わないから!」
「もらっても入れねえよ……」
朔太郎が持っていたのは、駄菓子屋さんとかに売ってる、水に溶くとジュースになるあの魔法の粉みたいなやつだった。それと交換で水分を得ようとしていたらしい。無理でしょ。素直にペットボトル買いなよ。そもそも悪戯目的で持ってきてるのは本当っぽいけど。
しかしまあ、車は止まらない。瀧川もずっと静かだし、外は真っ白だし、まだまだ着かないんだろうな。ふんふんと鼻唄を歌いながらカバンを漁っていた朔太郎が、ごそごそと何か取り出した。基本無駄なものしか入ってないじゃん、朔太郎のカバン。じゃーん!と取り出したのは、案の定実用的ではないものだった。
「王様ゲームしよ!」
「三人で?」
「なにが楽しいのそれ」
「せっかく持ってきたのにー」
「王様が分かった時点で一番も二番も分かってるだろ」
「でもどっちが一番でどっちが二番かは分かんないんだよ?」
「王様だーれだ!!!」
「あ。都築二番」
「言うなよ!賭けたのに!」
「一人だけ引くからじゃん」
「もっかい混ぜ直せ」
もう一回。王様だーれだ、と引き直した割り箸には、赤い印が付いていた。これは俺が王様ということでいいのでは?完全にそうでは?二人の方を伺ったが、普通の顔をしていて全く読めない。まあ数字の割り箸引いてたら表情変わるわけないか。ここからが賭けなのである。朔太郎に指示出しするのと、航介に指示出しするのと、違いはでかい。逆になっちゃうと完全に望みと違うものを見るハメになる。結構真剣に悩んでいると、飽きたらしい朔太郎が航介を誘って指スマを始めた。なにやってんだ。
「いっせのせさん」
「いっせーのせに」
「ねえ!俺の王位継承権は!?」
「だってニヤニヤしながら固まってるから」
「早く決めてくれ」
「じゃ……じゃあ……えっ待って、なんでもいい!?なんでも!?」
「えー。最終的に金銭のやり取りが発生するのは無し」
「血が出る怪我に繋がるのは無し」
「基本的人権を守る」
「非人道的なことはしない。必要以上に人間を貶めない」
「当然じゃない!?」
「ちゃんと決めとかないとすぐルールの抜け穴を掻い潜るやつがいるからな」
「あれ?自己紹介ですか?」
「てめーのな」
「は?航介のことなんですけど」
「ば、バチバチしないでよ……ほんと負けず嫌いだな……」
「で?なに?」
「怖いからやめる……」
「なーんだ。トランプもあるよ。やる?」
「やろやろ!なにする?」
「朔太郎が用意したトランプはやらない」
「ちえっ」
「なんで!?」
「イカサマし放題だろ。絶対なんかしら細工してる」
「してまっせーん」
「信じられない」
「俺さっき朔太郎が持ってきたウノやったけど……」
「だって都築はズルしないじゃん。勝ちにもそんなこだわんないし」
「俺だってズルはしてない」
「手先が器用なのはズルですって中学生の時から言ってます〜」
「お前らが先にやり出したんだろ!」
「やった時点で同じ穴の狢だよ。認めな」
「お前ら?」
「当也だよ」
「と、当也はそんなことしない……」
「出たよ贔屓」
「夢を見るな」
「うるさいうるさい!」
「いや、ねえ。中学生の時とか、マジでずーっと延々三人でいたからさあ。わざわざ家から出ない時期とかあんじゃん?親にもテレビゲームやりすぎだってリビングから追い出されたりすると、もうボードゲームとかカードゲームとかしか残ってないわけ」
「人生ゲームはズルできないだろ、狙ったところでルーレット止められないし。野球盤は全員上達しすぎてつまんなくなったし」
「で、まあ、結果としてイカサマが横行したんだよね。超ずるいよ、航介と当也。普通に服の袖から強いカードがんがん出てくんだよ」
「お前もやるだろ」
「……イカサマってそんなできるようになるもんなの?」
「なるなる」
「練習すればなる」
「教えたげよっか?」
「いいの!?」
途中で「あれ?俺の友達ってマジシャン?」と思った。ここに隠しておいたカードをこう、と見せられても、どうなっているのかの意味が分かったところで真似できないのだ。ぎこちなくなるので絶対バレる。しかもこれを平然とした顔でやるのだから、肝が据わっている。お互いやってるのを理解した上で、だからなんだろうけど。「2枚重ねてズレないように手札出すんだよ」とか言われても、普通ズレるしバレる。そう訴えれば「バレないように相手の意識を手元から逸らすんだ」「動揺を誘うとバレにくくなる」と変な心理テクニックを追加された。ああ言えばこう言う。俺にはできない。もっとこう、カードの端っこに自分にしか分かんない目印つけとくとかそういうレベルの話かと思ったのに。
「それもやるよね」
「三人が三人とも目印つけるし、相手のを利用してミスリード狙うから、トランプぐっちゃぐちゃになったな」
「新しいのに買い直してもらったねえ」
「どうしてそんなに負けず嫌いなの……?」
「……どうしてと言われても……」
「マジでとにかく負けたくない」
「絶対に勝ちたい」
「理由とかある?」
「ない。負けたからって何があるわけでもないし、勝ったからって何にも変わらない」
「あ、都築に負けても別に平気なんだけどね!誰にでもじゃないから!」
「素直な感想言っていい?怖い」
「そうかなあ」
「俺にはそこまでの執念はない……」
「当也とか勝つためならなんでもやるよ」
「ビンタとかな」
「えっ!?嘘!やめて!」
「あー。戦況が悪くなると手ぇ出るよね」
「ド冬でも、蚊が!っつって引っ叩いてくる」
「ねえ!やめて!俺の中の当也を壊さないで!」
「手札とか盤面とか崩さない代わりに相手を暴力で黙らせにくるんだよ。実は航介よりも当也の方が先に手ぇ出してたりするんだよ」
「やめてえ!囁かないで!」
「負けるとめちゃくちゃ不機嫌になるし」
「人のベットでおまんじゅうみたいになっちゃうんだよ」
「やめてってば!そんなの信じないからな!」
「なんでこいつ当也のことそんな良い子だと思ってんの?」
「分からん」
耳を塞いで丸くなったのに、朔太郎が「好きなおやつのおかわりがないと俺とか航介の分を勝手に食べちゃうんだよ、いっしっし」とわざわざ手を剥がして囁いてきたので、すごく嫌な気持ちになった。俺だったら別に、当也からちょうだいとかねだられなくてもあげるし……これ好きだったなって気づいた時点で、自分は食べないからって譲るし……とぼそぼそ言ってたら、それは受け取ってくれないと思う、都築のものは取らないと思う、と二人から首を横に振られた。なんでだよ。
「ていうか気持ち悪いよ。もっと仲良くしなよ、そして悪いところも見な」
「……悪いところなんかない……」
「悪いとこだらけだぞあのもじゃもじゃ眼鏡」
「それは航介だからでしょ!俺には優しい」
「だからもっと仲良くしろっつってんの、優しくされてるうちは他人だよ」
「なんでそうゆうこと言うの!?うえええ」
「泣いちゃった……」
そしてしばらく。トランプもしまって、お菓子も減ってきて、瀧川に「まだ?」って聞くと「あと5000キロ」「到着予定時間まであと2800時間」とかだったのが「もうちょっとで着くよ」に変わってきた頃。朔太郎が口を開いた。
「怖い話しよ」
「真冬なのに?」
「怖い話に季節は関係ないんじゃない」
「俺からね」
むかしむかしあるところに…の語り出しで来たせいか、若干日本昔ばなし臭がする。まあいいか。
あるところに、Tという男がいたそうな。男は友人から、とあるゲームを教えてもらったらしい。オープンワールドのそれは自由度も高く、暇な時間を持て余していた男は誘われるがままにゲームをダウンロードしてみた。初期アバターでゲームの世界に降り立った男は、しばらく探索した後に、一度ゲームをアンインストールした。キャラメイクのやり直しだ。適当に決めた顔面では、周囲のキャラクターに埋もれてしまう。2時間をかけて作り上げた、彼の考えうる限りで一番超絶かっこいい顔は、しばらくゲームを楽しみ強くなるうちに、だんだんと持て囃されるようになった。それは元々Tにゲームセンスがあったという話ではあるのだろうけれど、そこは置いといて。後輩ユーザーも出来、現実と違って「アレクサンダーさん(ユーザー名)!難しいクエストがあって、手伝ってくれませんか?」「アレクサンダーさんがログインしてるから今日の討伐一安心ですよ〜!」とちやほやされるのが当たり前になった頃。
ドチャクソに可愛い女の子が、Tのいるギルドに参加してきた。マジでめちゃくちゃかわいかった。あと強かった。単騎クエばっかりやってきたから、こうやって仲間に入れてもらったことなくって…と照れ笑いのモーションと共に言われれば、大剣でモンスターと一緒くたに胴体を真っ二つにされたギルドメンバーもニコニコしながら許すしかないぐらいには可愛かった。礼儀正しかったし、ちょっと抜けてるところもあって、なによりギルドの中でほぼマスター級の地位を獲得しているTのことを、ものすごく尊敬してくれていた。一目惚れ待った無しだった。幸いなことにこのゲームの中には婚姻制度があり、男キャラと女キャラの間でお互いに同意を結べば、夫妻となり二人でクエストに出るとプラスバフが掛かる仕様になっている。それをダシに、Tは彼女に擬似婚姻、つまりはお付き合いを申し込んだ。二人の息が合っているなら、婚姻を結んでも不利益はないはず。そういうこと言われたの初めてで…と言っていた彼女も、周りからの「アレクサンダーさんと結婚とか羨ましすぎ!」「ラスボス二人で倒せちゃうんじゃない?」という声もあり、お付き合いを受け入れてくれた。そこからは、二人きりの時間が増える日々。グロいモンスターを二人で倒し、酒場では二人きりのクローズチャットで話し、ギルドに戻ればお似合いだと持て囃され、勿論クエスト時の呼吸はぴったり。Tの背中は彼女が守り、彼女が必殺技のモーションに入りガードが出来なくなればその穴はTが埋める。チャットでの合図も無く、勿論ボイチャを繋いでいるわけでもない。どうしたらこんなにぴったりにモーションが合うんだ?と不思議がる人がいるほどの阿吽の呼吸だった。そして、満月の綺麗な夜。幸せを呼ぶ精霊が集まる泉で、二人は結婚を誓い合った。現実世界でガッツポーズを掲げていたTの元に、クローズチャットの誘いが届く。それは、彼女からだった。入ってみれば、ボイスチャットの部屋へ繋がるURL。これは結婚を機に可愛い彼女の声を聞けるのではないかと、Tは喜び勇んでその部屋にログインした。
「そしてそこにいたのは」
「お前だろクソ!それ俺の話!俺俺俺!俺ですアレクサンダー!俺!」
「朔太郎ネカマしてたの?」
「だって覗きに行ったら瀧川があんまりチヤホヤされててむかついたから」
「俺のアカウントだしな」
「えっ!?」
「それは初耳なんだけど!?」
瀧川が運転席でギャースカ言い出したので、航介が補填の説明をしてくれた。朔太郎が覗きに行ったのは、自分のアカウント。元々朔太郎も航介もやってたゲームだし、関わらないように見てたら、あれよあれよと言う間に瀧川がギルドの中心人物になり、普通にストレートでむかついた朔太郎が航介のサブアカウントを借りたらしい。
「なんで航介女の子でやってたの?」
「一つ目のメインアカウントで男取ったから」
「女の子と男の子で防具の性能差があるやつあってさあ。ボスキャラによっては女の子の方が有利だったりするんだよね」
「そうなんだ……」
「なんでお前やってたのに知らないんだよ」
「そこまでやりこんでなかったからでしょ?」
「ちやほやされる方が楽しくなっちゃったからでしょ?」
「そうだよ!なんか文句あんのかよ!」
「それで俺は航介のサブアカ借りたわけ。そんでめっちゃ整形したり髪型変えたりして瀧川のド好みになった状態でギルドに参加した」
「わざわざ……俺の……なんでそんなこと……本当に今考えても死んで欲しい……」
「ボイチャ繋いだ時の瀧川最高だったよ」
「えー、聞きたかったなー」
「あるよ」
「なんであるんだよ!やめろ!やめてください!このまま事故ってもいいんだぞ俺は」
『あっあの、アオさんですか?俺アレクサンダーです、あの、今回はありがとうございます、受けていただいて……』
「録音しておいたものをスマホに移したから」
「このまま死んでやるー!みんな道連れじゃー!」

着いた。人っこ一人いないが、それはそれでまあいい。航介が、朔太郎と俺の悪戯に今更気づいたらしく、自分の手を見て「?」となっていた。いや遅。
「貸し切りだー!」
「朔太郎今服着てた?」
「着てないから風呂場に走ってったんでしょ」
「いつ服脱いだの?」
「知らん」
「綺麗に畳んだ服ここに入ってるよ」
「眼鏡もある」
「じゃあいっか……」
朔太郎の挙動が不可思議なのはいつものことなので、放っておく。どのカゴにしようかなー、なんて言いながらお風呂場へ向かう準備をしていると、そういえばさあ、と瀧川が口を開いた。
「ここお姉さんがいてさ」
「出たよ幻覚」
「おじさんのことお姉さんって呼んでんの?」
「ちげーよマジでお姉さんがいんの!綺麗な!若い!」
「もうダメだよ」
「かわいそう」
「ボソボソ言うな!あのおじさんの娘さんなの!いつもはいないけど時々手伝いに帰ってきてくれてんの!今日はいなかったから残念だけど!」
「っていう設定の妄想?」
「もうかわいそうだから聞いてやるなよ」
「そうだね。ごめん瀧川、お姉さんがいるんだよね」
「やめろその顔!温かい目で見るな!」
本当にいるんだよお姉さんが!と瀧川が半泣きで言うので、信じてあげることにした。流石の航介も哀れみの目で見ている。いやだってそれは嘘でしょ。それか夢でしょ。涙を拭きながら気を取り直した瀧川が、それで俺割とお姉さんと仲良くなったからそろそろお出かけに誘ってみようかなと思っているのだけれど…と照れ照れ言うので、無視した。俺だけ無視するかなと思ったら航介もちゃんと無視していたので、そんなお姉さんはいないということで。
そんな話をしながら服を脱いでいたら、瀧川が急に黙ってこっちを見ていた。え?なに?怖。俺ちゃんとエグい場所にキスマークとか残ってないようにスケジュール調整したけど?そういうボロの出し方は絶対したくないので。それとも俺の肉体美に見惚れてしまっている?まったく罪な男である。しかし気持ちが悪いので上を脱ごうとした手を止めると、不可解そうな顔をしたまま目があった。
「……なに?」
「細い。思ったよりも」
「は?」
「朔太郎の方が肉がついてる」
「嘘ぉ!?俺標準だよ!?」
「都築そんな食べないからだろ。朔太郎は食べる時は胃がはち切れて死ぬギリギリ致死量まで食べる」
「牛丼12杯食った時の話?」
「そういう問題!?俺普通だから!別に細くないから!」
「航介と並んでるからかな……ひょろいとは言わないけどさ……」
「ちゃんと筋肉ついてるもん!ほら!ほらあ!」
「分かった分かった」
「でも朔太郎は航介のことかつげるって言ってた」
「うそ!」
「嘘なの?かつがれたことある?航介」
「ある」
「……俺、自分が気づいてなかっただけで、非力でひょろかったのかな……」
「元気出せよ。顔がいいから平気だよ」
「そっかな……明日から筋トレする……」
「かつげるってだけで、俺を持ったまま移動はそんなに安定しない」
「都築も航介持ってみたら?」
「……持つだけならできるかな……何キロ?三桁だったら無理と思う」
「そんなわけないだろ」
ていうか持つって言い方、と頭を小突かれた。確かに。装備品みたいな扱いしちゃった。
温泉は、思ってたよりも広かったし綺麗だった。露天があるよー!とどこからか朔太郎の声が響いてくる。どこにいるんだ。まさか外から貫通してるわけではないと思うけど。だらだら喋りながら体を洗ってたら、背後から急に声をかけられた。
「ねえ」
「うわあ!な、なに」
「そんなびっくりする?」
「頭洗ってる時は人間一番無防備でしょ……」
「イタズラしたいから見てて」
「犯罪予告?」
「よーし。目指すは完全犯罪」
朔太郎が俺のところにあったシャンプーのボトルを持って、航介のところに行った。まあ、頭洗ってるよね。多分全員静かになったタイミングってそういうことだよね。どうするのかなーと思って見てたら、朔太郎が抜き足差し足忍び足で航介に近づいて、背後からシャンプーを足そうとして、察した航介に無言でシャワーをぶっかけられて逃げていた。俺たち以外いないからいいけど、もし朔太郎じゃなくて別の人だったら危なかった。朔太郎しかそんなことやらないので航介の対応は正解である。遠ざかった朔太郎がぶるぶるしているので、冷水だったかもしれん。風邪ひかないでね。ずっとお互い無言なのでシュールだ。なんか言えよ、と思う。しょんぼりした朔太郎が戻ってきた。
「だめだった」
「見てたよ。冷たかった?」
「めっちゃ冷たかった。瀧川にもやってこようかな」
「それも俺見てた方がいいの?」
「見てたなら止めろよ」
「ごめんね」
「マジでゾッとした。見えちゃいけないものかと思った」
それでいくと航介は見えちゃいけない系のものにもとりあえず冷水をぶちまけて追い払うということになるのだけれどいいのだろうか。いいか。
瀧川はもう頭を洗い終わっているけれど、どうするんだろうか。幸いなことに、顔をごしごししているので見えてはいないようだ。素早く近づいた朔太郎が、泡立てたシャンプーを頭の上に乗せている。朔太郎が急いで鏡に映らない範囲まで逃げたところで、瀧川が顔を上げた。「?」ってなってる。まあそりゃそうだよな。流したはずの頭に泡が乗ってたら。シャワーで流し始めた瀧川に、また後ろから朔太郎がシャンプーを追加しては逃げ、顔を上げた瀧川がまだベタベタしている自分の頭を触ってマジで不思議そうな顔をしている。側から見てる分には面白いな。実際当事者には絶対なりたくないけど。隣にいる航介ももう笑っちゃってるし。流してるのにその切れ目でシャンプーを足されるせいで頭が永遠にぬるぬるしている瀧川の表情に、だんだん恐怖が混じり始めた。朔太郎に気づけや。もう斜め後ろぐらいで、一応声殺しときますか!くらいの感じでヒーヒー笑っちゃってるじゃん。
「えっ……えっ!?」
「瀧川ってバカなのかな」
「そりゃそう」
「いった!目に入った!助けて!誰か!」
「あははは」
「あ。帰ってきた」
「謝ってこい」
「やだ。シャンプー足してる時ずっと怨霊の声出してたから瀧川怖がってたね」
「そんなことまでしてたの?」
「してた」
「助けて!シャンプーに呪われた!帰ろう!」
「帰んねえよ」
「呪いの原因ここにいるよ」
「うふふ」
「は?違うよ!朔太郎とかじゃなくてマジでオバケがいるんだって!俺の首に冷たい液を垂らして頭を泡立てたんだって!」
「後半親切だね」
「疲れて風呂入りたくない時にだけ呪って欲しい」
「オ″オ″オ″」
「ほら!またオバケの声がする!」
「朔太郎の声だよ」


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