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よどたま




「ピアス開けたら?」
「……は?」
「ピアス。開けてみてよ」
そんな興味本位で言わないでほしい。目を輝かせて言った環生に、いやあ、と小さく漏らしたけれど、全く聞き入れてもらえなかった。
高校も無事卒業できるわけだし、一人暮らしする予定の家も決まった。高校在学中ずっとほぼ一人暮らしをしている環生にいろいろ聞こうと思ったのだが、「ほぼ」一人暮らし、でしかない環生は使い物にならなかった。俺は知らなかったが、実は毎週金曜に親が掃除に来ていたそうだ。どうりで、なにもやらない環生の割にはいつも部屋が片付いていると思った。食費その他もろもろも全部親持ちだし、まあ環生の場合は母親に追い出されているような状態らしいから仕方ないといえばそうなのだけれど、それにしても全く参考にならない。父親の話や、他の親戚の話は時々出るので、特に母親から遠巻きに扱われているっぽいなというのは察していたけれど。一応、その世話も高校を卒業したら終わるそうなので、ここからが環生の一人暮らしになるわけだ。俺と同じじゃないか、スタートラインが。
それで、高校卒業するしバイトの時間も伸ばせるし、なんて話をしていたら、環生が突然ピアスがどうたらと言い出した。別に構わないが、痛いのはあまり好きではない。あれ、要するに人体に針を通してるんだろ。痛いじゃんか、絶対。そう渋れば、でもねえ、とがさごそやった環生が何かを取り出した。
「こんなちっちゃいんだから大丈夫だよ」
「いや……えっ?なんでもうあるの」
「前に買った」
「たまが開けるようになんじゃないの」
「ううん。俺は清純派で売りたいから」
「じゃあなんで買ったの……?」
「忘れちゃったけど。俺のじゃないから使っていいよ」
「ええ……」
「右?左?」
「い、今?えっ、いや、突然」
「耳?」
「それ以外ない、っ怖い!俺の後ろに座らないで!」
「右?左?」
「ひ……」
「後ろからだと見えなくて怖い?じゃあ前からでもいいよ」
ホラー映画で追い詰められる主人公の気分だ。にこにこしながら距離を詰められて、狭い部屋の中を後ずさって逃げる。窓際に追い詰められて、両耳をとりあえず手で隠せば、環生がはっと気づいたように口を開けて、冷やさないと痛いって言うよね!と冷蔵庫へ向かった。助かった。助かってはないか。別にピアスを開けるのが嫌だとかいうわけじゃないんだけど、心の準備とかそういう期間が、普通は多少用意されるんじゃないかと思うのだ。今のところ俺、「ピアス開けてみてよ」から2分ぐらいで追い詰められてるんだぞ。可哀想だと思わないのか。保冷剤を放られて、受け取った。
「はい。冷やしてね」
「……本当にやんの?」
「うん。楽しそう」
「じゃあせめて自分でやる……」
「えーやだ、淀見えなくて変なとこに穴なっちゃって病院行くことになるよ」
「ならない」
「なる。俺がやる」
「やりたいだけだよね?」
「そんなわけないじゃん、俺は淀のためを思って言ってるんだよ、なんで分かんないかなあ、友達を思う気持ちが淀にはないのかな」
「わか、っわかったから、それを一旦置いて」
「置いたら開けれない」
「持ったまま距離を詰めるな!」
「怖いの?」
「怖いよ!」
「はは」
なに笑ってんだ、にやにやしやがって。絶対に面白がられている。絶対よく冷やしてやるという気持ちを込めて保冷剤を右耳に押し当てて、しばらく経った頃。もうすっかり感覚も無くなってしまった。後ろからはやっぱり怖かったので正面から、正座した俺の体を環生の足が挟むような形で閉じ込められて座られた。正座は環生の指示だ。変に動かれたら困るから、と。
「や、やる時やるっつって」
「そんなガチガチじゃやりにくい」
「じゃあどうしろと……」
「リラックスしてよ。あ、こないだ上げてたオリジナルの曲、再生数伸びてるね」
「え?あ、うん……」
「待ってたみたいなコメントあったじゃん。固定の人ついてきた?」
「うーん……伸びてるって言っても、いつものより少しだけ、再生されてるかなってくらいだから……」
「なんかイメージあったの?あれ」
「……イメージ……」
「曲の意味、みたいな。淀が作るの、いつもそういうのあるでしょ?分かりにくいけど」
「ん……んー……おめでとうって、何も知らない他人は言うけど、当人にとってはおめでたくもなんともないみたいな、そういう……自分と他人の捉え方の違いって、よくああ″ぃったぁあ!?」
「開けた」
「だああ!」
「いったあっ、は、あはははは!」
「大っ嫌い!」
「あはっ、ははははっ、も、もっかい」
「環生のこともう二度と信じないから!」
「ひい、ひーっ、お腹いた、ははっ、反対もやろ」
「自分でやる!」
人が一生懸命喋ってるのに、前触れもなくがちんと耳元で鳴ったかと思うと、一瞬遅れて痛みが走った。突き飛ばして引き剥がした環生からピアッサーを奪い取ると、ひいひい笑いながら床に転がっていた。最悪。開けた方だからなのか右目からじわじわ涙が出てきて、ぐしぐし擦ってたら、泣いちゃったの!と嬉しそうな環生の声がしたので、踏んづけた。
「ぐえっ」
「うるっさい!バカたま!」
「あー、あはっ、ごめんごめん、笑いすぎ、っんん″、ふ、笑いすぎました」
「……………」
「ごめんね。今度はちゃんとやるから」
「……………」
「ね。返して」
「……………」
「いいこだねえ」
催促するように出された右手を、黙ったまま睨みつけたけれど、引っ込まなくて。しばらく無言のまま耐えたが、結局根負けしてピアッサーを返せば、よしよし、と頭を撫でられた。確かに環生の言う通り、自分で自分のやって変な風になっても嫌だし。あと、開ける勇気が出なさそうだし。本当にちゃんとやってね、開ける時言ってね、と何度も何度も確認しながら左耳を冷やして、わかったわかった、とさっきと同じように足で体を挟まれた。
「いーい?」
「ま、待って」
「ん」
「……ふう……うー……ぃ、あ、待って、あとちょっとだけ」
「うん。どの辺?ここ?」
「うわやめて!やめっ、近づけないで!」
「んふふ……」
「……う。うん、よし、い、いい、いいよ」
「いいんだね」
「い、いいっ、た、たま」
「ん?」
「ここ、ここ持たして。ここ」
「いいよ」
「うん……」
「いくよー」
「あっ待って!待っ、やっぱちょっと待って!」
「ふっ、あははははっ、はぁあっ、あは、っ淀ほんと、ほんとさあ」
「なに!」
「あ、っははは、また泣いてる!あははは!」
「泣いてない!もう早くして!」
「分かった行くよ」
「へ、っ待っ、い″ああ!」
「んんふっ、はははっ、いああ!ってははは痛い痛いわかったごめんって!」
「ううう」

数年後。
「淀ピアス」
「もう開けるとこない」
「あるある。俺こないだかわいいの見つけて買っちゃったんだよね、付けたいからここに穴開けるよ」
「今ある穴に通してくんない……?」
「いきまーす」
「嘘でしょ?うわマジで持ってる!やめろ!」
「ちぇっ」
「信じらんない……」
「淀だって、ピアスいっぱい開けて髪染めてカラコン入れて派手な格好したら、人に話しかけられにくくなったって言ってたじゃん。協力してあげようと思って」
「もうこれ以上はいい」
「冷やしてあげようね」
「もういいってば!も、そこ首!冷たっ、あっち行って!」
「暴れないの」
「やめ、膝に乗るな!邪魔っ、この、どいてよ!」
「非力……心配になる……」
「デブ!」
「はあー!?どこがですかー!?俺は淀と違ってちゃんと鍛えて筋肉付けて計画的に絞ってるんですけどぉ!?」
「ぅぶ、ぃ、いひゃい、いひゃいっ」
「泣いたら許してやる」
「だえがなくかっ」
人の膝の上に無理やり跨って動きを阻み、人のほっぺたを両手でつねって引っ張って伸ばしている環生に、ばしばし背中とか叩いて抵抗したけれど、全然歯が立たなかった。なんでだ。ちょっと昔まではやりあえてたのに。悔しい。疲れてぐったりしてたら、また勝手に穴増やされたし。何個目だよ。
「痛い……」
「泣いちゃった?」
「……………」
「見して。見して顔、淀」
「……絶対嫌だ……」


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