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よどたま





「無視したのに殴られたんだけど。環生が言ってたのと話違うんだけど」
「あはっ、あはははは!」
「聞いてる?」
ず、と鼻血混じりの鼻水を啜って玄関先で立ち尽くしている淀を見て、申し訳ないけど大爆笑してしまった。本当、なんでこいつこんなに絡まれるんだ。悪霊とかに取り憑かれてるんじゃない?
淀はミュージシャンになりたくて、俺は俳優になりたくて。俺がほぼ一人暮らしで淀が施設暮らしだったり、一人でやるよりは二人でやった方が色々面倒が少ないし知恵も出せあえたり、お互いにお互いのやりたいことが分かっている方が放っておいて欲しい時と一緒に頑張って欲しい時が察せたり、とか。そういう理由が重なって、淀はしょっちゅう俺の家に来る。その代わり適当な飯を用意してくれたり掃除手伝ってくれたりするから、差し引きはゼロだ。いや別に、淀に何か求めてるわけじゃないんだけど。どっちかっていうと、俺が面倒見てあげてる側だよね。だって淀、なんかいっつもぼけっとしてるし。すぐ一人でどっかふらふら行きたがるし、そのくせ一人にすると割と高確率で他人に絡まれるし。
そう、一番最後のが厄介なのだ。「道を聞かれる」「迷子になつかれる」ぐらいの、危害が無いやつなら別に構わない。本人も、知らない人によく話しかけられる自覚はあるみたいだし。けど、こいつ、普通に悪そうな人に絡まれてぶん殴られたりすっ転ばされたりもするのだ。それがほんと、心配でならない。本人曰く、「なにもしてないのに話しかけてくる」そうだが、絶対淀が余計なこと言ってるんだと思う。そうじゃなかったら急に殴る蹴るの暴行は加えられないでしょ。
一番最初にそれを知ったのは、淀がほっぺに痣を作って学校に来た時だった。チビと喧嘩でもしたの?と笑いながら聞けば、知らん人に殴られた、と平然の顔で言うから目を剥いたのだ。詳しく話を聞けば、その辺の路上でギター弾いてたら通りすがりのお客さんに話しかけられたから普通に話してたはずなのに急に殴られた、ということらしいが、そんなわけあるか。そもそも「その辺の路上」と淀が言った場所が、夜だったら女の子は通らない感じの道に近い。まあ明るい駅前とかで突然人を殴りつける馬鹿はいないと思うから、シチュエーションとしては正しいのだけれど、そこを選ぶ淀に危機管理能力が足りない。金銭を取られたことはないと言っていたのが唯一の救いかもしれない。でも怪我はしてるしなあ。どうだろう。
話しているうちに、俺が「いやそんなこと普段からないよ……」「よくあるよくある!みたいな感じでは絶対にない」とドン引いているのを見た淀は、あっこれってほんとにみんなは無いことなんだ…よくあると思ってたの自分だけだったんだ…と自覚したらしく、どんどん顔色が悪くなり口数も少なくなって、どんよりしてしまったので、次に同じような話を聞いた俺は出来るだけ笑って流すことにしたのだ。まさか本当に次があると思ってなかったけどさ。後日、頬に馬鹿でかい擦り傷を作った淀が、「突き飛ばされて足引っ掛けられた」と肩を落として言いたくなさそうに事実を言うのでめちゃくちゃ笑ってやったら、ちょっと浮かばれた顔してたし。ちなみに、施設の先生には本当のことは言えないので、ふにゃふにゃ誤魔化しているらしい。男の子だし喧嘩もするでしょう、と思われているとか。それで、俺が確認する限り三回目からは、淀が怪我したらうちに来るようになった。先生に心配かけたくない、らしい。初っ端で笑えるから別にいい。笑ってるうちに、ぶすくれた顔で怪我してる淀のことが、俺もマジで面白くなってきちゃったし。
「鼻折れてない?」
「医者じゃないから分かんないけど鼻血止まってるから平気なんじゃん?」
「痛っ、いった」
「だってここ血ぃついてるよ」
「押さないで」
「鼻、折れてる、症状、って検索しよ」
「……なんて?」
「鼻血が出ますって」
「出た。折れてる」
「あー、鼻の形が変わってたら折れてるって。見して」
「んん」
「淀の元々の鼻の形がわかんない。多分平気じゃん?」
「雑……」
がくりと力を抜いて天を仰いだ淀が、まあ鼻血止まってるからいっか…と呟いた。変なこと言わないで黙って逃げれば殴られたり蹴られたりしないよ、とアドバイスしたのは確かに俺だけれど、ガン無視して結局殴られてるのは申し訳ないけど面白すぎる。
「でも鼻の横青いぐらいであんま怪我っぽくない。良かったね」
「……痛かった」
「淀どんくさいからだよ。走って逃げな」
「逃げてるよ……」
「体鍛えるとか」
「なんで変なやつに殴られること前提で俺が鍛えなきゃなんないの?」
「それはそう」
「でしょ」
「次から俺が隣で見ててあげようか。淀が絡まれたら、やめてください!貧弱なんです!って庇ってあげる」
「体を鍛えることにする」
「なにして?」
「……腹筋とか?」
淀はそれから三日ぐらい、ちまちま腹筋したりスクワットしたり柔軟したりしてたけど、「もういい無理疲れたやめる」と死んだ顔で横たわってたので、指差して笑っといた。


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