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おはなし





「だらクソおめーだよこの野郎!」
「痛い」
すぱん、とドラムくんの後頭部から音がして、至極当たり前の感想、と言った感じで痛みを訴えたドラムくんが嫌そうな顔で振り返った。俺はドラムくんの真正面に座っていたから、斜め後ろの引き戸が開いていたのも、そこから廊下を歩いている人が見えることも、勿論あっちからも見えていることも、廊下を歩いていた人がこっちを見て顔を思いっきり顰めた後にずんずん入ってきて一直線に手を振り上げたのも、全部見えていたけど、見えていたなら止められるかと言われると話が違う。ドラムくんの隣に座っていたギターくんがのんびり見上げて、あー、と声を上げる。
「岸くんだー」
「うるせバカどけボサボサ頭!」
「うん。ベースくんの方行く」
「えっ、あっ、うん」
「なんで行くんだ。行くな、おい馬鹿聞いてんのか」
「お前ぇ……この……ちょお、もうちょっと詰めて、詰めてってば」
「何?これ」
「あ。グラスとって」
「なに?」
詰めて!とドラムくんを体で押しながら座った岸くんに、押されるがままになっているドラムくんが、ギターくんにグラスを手渡しながら困惑の目を向けている。そんなに詰めなくても座れると思うけど。ギターくんの隣はそれぞれ壁とドラムくんで、背中側が仕切りの扉だった訳だから。ていうか言われた通りにギターくんの移動を手伝っている辺り、ドラムくんも頭が回っていない。
打ち上げで。いろんなバンドが出てた大きいライブだから、ほぼ店を貸し切りみたいな感じにされてて。マネージャーさんが色々動いてくれてたりとか、いろんな人が挨拶に来てくれたりとか、俺たちも他のところに行ったりとか、それがひと段落しての今だ。ちなみにマネージャーさんは、「今日は朝から早かったですよね。もう今の時点で僕は24時間以上働いてるから帰ります。事務所に許可はとってありますし、でもどうしても何かあれば連絡してください。まああとは解散して家に帰るだけなんで平気ですよね?あと一応教えておくと僕は明日休みです」って言って帰った。俺たちも休みだし、マネージャーさんが俺たちより早くからいろいろやってくれてたのは知ってるし、いつも骨身を砕いて頑張ってくれてるのも分かってるから、全員一致で了承を返した。大丈夫です、って。それで、ちょっと落ち着いたからご飯とかお酒とか、ってようやくなって、そしたらこれだ。ドラムくんのあの顔も分からなくもない。岸くんはどうやら相当酔っ払っているようだし。ドラムくんの腕に自分の腕をがっつり絡めている岸くんが、肩に頬を置きながら声を荒げた。
「お前!最近ピアノ大好きだな!」
「近……なに……馴れ馴れしっ……」
「こいつが歌うようになって曲調変わったから嬉しくなっちゃって鍵盤叩き放題ってかァ!?ピアノコンクール小学生の部優勝〜!」
「腕を離してください」
「かんっぱーい!」
「かんぱーい。んはは」
「腕」
「うるさい黙れ目ぇやべーんだよお前なんか法に触れる薬使ってます?え?なにこれ?ヒモむすばっちゃってる」
「わざと」
「ふーん……んー……」
「なんなんだよ、やめろ」
「タグ見して」
「嫌だ」
放置されてた空のグラスで乾杯した岸くんが、ドラムくんの服の裾をいじくっている。首の後ろを覗こうとしては、本当に嫌そうな顔のドラムくんに体を引かれて止められているので、実行できないようだ。乾杯に乗ってあげたギターくんがずっと押し殺して笑ってる。いや、そりゃ面白いけど。笑ったら殺される。とろんとした目でドラムくんにくっついていた岸くんが、はっと気づいたように「くっついてくんな!気持ち悪い!」とドラムくんの胸元を押して無理やり離れたので、疲れもあってかされるがままに諦めていたドラムくんは眉を歪めて、岸くんの頭に向けて手の甲をすっ飛ばした。流石にイラっときたらしい。当たり前に、ごつん、と痛そうな音がして。
「いったあ……」
「さようなら」
「人の頭を殴っちゃいけないって習わなかったんですかァ!?あっもしかして人間の義務教育をお受けになられてない!だから人を人とも思わないひゃいいひゃい!」
ドラムくんに裏拳で殴られた岸くんが、胸倉を掴んで、というかどちらかというと首に腕を絡めて、大声で文句を言っていたけれど、ドラムくんに片手で頬を掴まれて黙らされた。あれ痛いんだよねー、りっちゃん加減とかできないから、と他人事なギターくんの経験談が隣から聞こえて来る。そもそも人間の顔面は手で鷲掴みにするものではない。
「このまま廊下に投げるぞ」
「ゔー!」
「あっ先輩いた!あっ、えっ、か、返してください!」
「早く持って帰れ」
「ギャー!ほっぺつぶれた!林檎砕き男の握力に俺の可愛いほっぺが耐え切れるわけがない」
「帰りますよ!もう!突然いなくならないでくださいね!」
「お前らがいなくなったんだ」
「先輩が勝手にどっか行ったんでしょ!」
「あるけらい」
「おぶさってください!ほら!」
「ななせくさい」
「く、くさくない!」
「……一言くらいは謝罪があっても良いんじゃないかと思うのは俺だけか?」
「えー。おもしろかったよ」
「あっそう……」
斎藤くんがどうやら探していたらしい。わあわあ騒ぐ声が遠くなって、ドラムくんがどっと息を吐いた。確かにごめんなさいとか迷惑かけてすいませんとか、そういう言葉はなかったけれど、そういうこと言ってらんない勢いで連れ帰ってくれたのも事実だ。そういえば岸くんがここに入ってくる直前に斎藤くんや日野くんが通り過ぎた気もするから、三人で歩いてたのに一人だけここに吸い込まれてしまったのだろう。日野くんがドラムくんに絡みに行かないのは珍しいな、と思ったけれど、そういえば日中なんか二人で喋ってたのは見た。それで話は終わったのかもしれない。
それからしばらくだらだらご飯食べて、店員さんが食べ終わった皿とか飲み終わったグラスとかを下げてくれて、ドラムくんが一回煙草吸いに行った。その間に挨拶に来たスタッフさんがいたから、俺がなんとか対応したけど、俺で良かっただろうか。ドラムくんと話した方が絶対良かった。ちょっと待ってくださいって言えば良かった。その人が帰ってすぐドラムくん戻ってきたし。
「解散いつだろね」
「明日どうせオフだろ」
「それはそうなんだけどさー。ねむくなってきた」
「寝ろ」
「そこまでじゃ、お」
「俺忘れ物した?」
「……してない。帰って」
「なあ今日なんでドラムあんなはしゃいでたの?」
「帰れよ……」
引き戸の隙間から猫みたいに岸くんが滑り込んできた。忘れ物したの?とギターくんに聞かれて、したかもしんないけど分かんなくてえ、と間延びした口調で答えながら再びドラムくんの隣にめちゃくちゃ詰めて座っている。また腕絡めてるし。斎藤くんたちにまた探されるんじゃなかろうか。連絡してあげた方がいいかもしれないけど、連絡先なんて知らない。うんざり顔のドラムくんにべたべたしている岸くんを見ながら焼き鳥を齧っていたギターくんが、なんだっけ、と口を開いた。
「ヨシカタくんとかもそーだよね。なす……るーぺ……みたいなの」
「パーソナルスペース」
「あー。それ。近いやつ」
「なあなんでドラムあんなはしゃぎまくってたの?楽しくなっちゃったの?」
「……………」
「楽しかったの?原曲の方がギターもちゃんと際立ってたと思うんだけどなんでなの?聞きながら不思議な気持ちでいっぱいになっちゃった俺」
「この距離で会話をするって恋人か家族の距離感なんだけど」
「なにそれ?心理テスト?俺はお前みたいなのは死んでもお断りタイプ」
「ありがとう。こちらこそ」
「お前性格悪いよな!」
「ん″、っふ……」
「今更?」
岸くんの明け透けなド直球の言葉にうっかり笑ってしまったら、ドラムくんがこっちを見ていたので無理やり殺した。喉が痛い。若干呆れ混じりのギターくんもギターくんだけど。
「性格の悪さがなあ!歌詞に滲み出てんだよ!ラスサビ前とかで特に」
「お前の曲は頭の悪さが滲み出てるけどな」
「死ねー!」
「お前が死ね」
「机こっちに寄せよっか」
「あっ、え、あ、はい……」
腕を絡めていたのはどこへ消えたのか、飛びかかって馬乗りになっている岸くんと下から首を締め上げているドラムくんの取っ組み合いの被害を逃れるために、ギターくんと二人で机を手前に寄せてあっち側にスペースを作った。がっちゃんがっちゃんグラスや皿がぶつかる音がして、危なかったので。こちらからだとドラムくんは手くらいしか見えないが、その手が岸くんの髪の毛を掴んで引っ張っているので、平気そうだ。引っ張られてる岸くんも元気そうだが。
「降りろ」
「新曲嫌に卑屈だったけどどうしたの?明るい歌ばっか作るのお前絶対向いてないなって俺は思ってたけどやっと自分でも理解した感じ?自我の確立めちゃ遅かよ」
「あれはそういうオーダー、注文に、答えるのは、当たり前だろ、仕事なんだから」
「いってバカ抜ける!ハゲたらどうすんだよカツラでも作ってくれんのか!?」
「白髪もハゲも変わらん」
「は?は〜そういう……はぁ……あー……はぁあ……理解が浅……はぁ……」
「息がかかる」
「そういえばなんですけど応援団は飽きちゃったんですかァ〜?それともあれじゃ誰も勇気づけられてくれないからとっとと切り捨てたってことですか人心理解度ゼロ野郎」
「……………」
「こらー。そっちの喧嘩でベースくんを傷つけなーい」
「はいはい勝手に傷付いてろメンタル弱者!つーかおめーの書くラブソング虫唾が走るんだよ!聞いてて顔がよぎると!」
「作者の人間性と作品を分けて考えられない能無し」
「俺だけじゃないです〜みんな言ってます〜!クソアホバカが恋心手玉に取った気になって知ったかぶった憶測で適当ほざいてやがる冷徹野郎って言ってます〜!」
「言ってません」
「言ってますう!ちょっと女に言い寄られるからって調子に乗ってるバカ見てるとめっちゃ笑えるって」
「はは」
「分かってねえなみたいな顔して鼻で笑ってますけどめちゃくちゃかっこ悪いですよ気づいてます?お前みたいなのは真実の愛とかそういうのを知らないまま画面端でひっそりと死んでいくザコ」
「人望の計り方って義務教育じゃ教えてくれないんだな」
「人望もクソも女がお前に求めてるのなんか金とセッ」
「あ!先輩いたあ!ねえもうなんでここにまたいるんですかあ!」
「うるせー!俺今喧嘩してんの!邪魔しないで!」
すぱん、と音を立てて引き戸が開いて、斎藤くんが飛び込んできた。もー!と岸くんを引っ張ろうとしているが、ドラムくんにしがみついていて離れないらしい。なんだっけ?こんなん昔話にあったよね?とギターくんが首を傾げていたので、大きなカブかなにかだろうか、と思った。
「人の上に乗っかって騒ぐことを喧嘩とは言いません!ほらゲロ吐いちゃうんだから早くこっち来て」
「吐かねーわこんなに意識はっきりしてて吐いたらそんなもんはもう急性胃腸炎かなにかだろバカナナセ明日からお前のこと永遠に無視するからな」
「はいはい行きますよ」
「行かない!」
「もおー……」
呆れたような声を上げた斎藤くんが、仕方ないと言った感じで座った。ドラムくんが岸くんを引き剥がして体勢を立て直して、岸くんもぶつくさ言いながら座ったので、三人で詰めているあっちがとても狭そうだ。なんで斎藤くんまで座ったんだろう。ぎゅうぎゅうになっていることに気づいたドラムくんが、?って顔で斎藤くんの方を向いたけれど、間に挟まっている岸くんに「こっち見んな赤毛が移る」と騒がれて前に向き直った。ので、目があった。横を指さして変な顔をしているので、ぜひ自分で訴えてほしいと思いつつそっと目を逸らしておいた。そしたらまた岸くんがドラムくんの腕に手を絡めて、それを見た斎藤くんが自分の方に岸くんを引っ張って、岸くんがそれに抵抗してドラムくんにしがみついて、しばらく無言の攻防を繰り広げた挙句、ずっと腕を取られているドラムくんがいい加減にしろとでも言いたげに岸くんの肩を掴んで引き寄せたので、2対1で斎藤くんが負けた。がーん、って感じで固まっていた斎藤くんが、なんとか言葉で引っ張ろうと喋り出す。ドラムくんが岸くんの肩に自分で手を回しているせいで、カップル感が増しているんだけど、そこについては良いんだろうか。ギターくんが小声で「写真撮ったら怒るかな?」とわくわくしながら聞いてくる。怒ると思います。
「……戻りましょうよ」
「嫌だ」
「ヒノキさんも待ってますから」
「絶対嘘じゃん。それは無いじゃん。それだけは無いから1億%嘘だってそんなの赤ちゃんでも分かる」
「ここ空気澱んでますよ。なんか煙草臭いし。ねっ」
「ナチュラルボーン無礼か?お前もうちょっと考えて喋れよ」
「……先輩にだけは言われたくない……」
「あ?」
「あ!先輩に話があるって人が来てましたよ。だから帰りましょ」
「ここに連れてきて」
「……女の人でしたよ!」
「俺の連絡先教えといていいから後日ゆっくり会って話そうって伝えといて」
「そんな人はいません。嘘です」
「もーナナセ邪魔ぁ」
「先輩が好きななんか手羽先のやつも残ってますよ!」
「もういらない。ナナセ食べていいよ」
「えっ?いいんですか?後で文句言わないでくださいよ!」
「いいよ」
「いつもだったらいくら言ってもくれないのに!」
やったー!といった感じで勢いよく出て行ってしまった斎藤くんを見送って数秒、いやこれ持ち帰れよ!とドラムくんが岸くんの首根っこを掴んで廊下に引き摺り出したけれど、またどたばたやった挙句に帰ってきた。無理やり振り払って戻ってきた岸くんは勿論、ドラムくんもぜえぜえしている。かわいそうだ。というか斎藤くん、途中からめんどくさそうな顔になってたし、連れ帰るのを体良く放棄できる理由を探してただけだよなあ。結果食べ物で買われたみたいになってるけど。いやまあそりゃ実際それもあるかもしれないけど、そんなに単純ではないだろうから。
「帰……帰れよ……本当に……」
「は?人に物を頼むときには言い方って物があギャー!腕が折れる!」
「帰ってください」
「暴力男!結婚しても暴力で相手のことを洗脳して自分以外いないと思わせる人類悪」
「なんなの?こいつ」
痛かった!とぷんすかしている岸くんが、ドラムくんにもたれ掛かっている。くっつきたいのか離れたいのか仲良くしたいのか喧嘩したいのか全く分からない。ぱっと見、ものすごく仲のいい友達同士で片方が酔い潰れてるから面倒見てる、みたいだけど。ふにゃふにゃとドラムくんに体重を預けている岸くんがぼそぼそ言っているのは「無理やり語尾で語呂合わせようとしてる歌詞が気持ち悪い」とか「サビの裏よりもっと他にギター使う場所あるだろ」とか「周り固めないでもっと好き勝手歌わせてみればいいのにどうしてやらない」とかいう、基本文句なので、仲は良くない。ドラムくんはガン無視だったが、ほぼゼロ距離に密着されてぐちぐち言われるのも精神的に一応は堪えるのか、しばらくすると答えを返すようになった。
「なんで最近エモ狙いなんですか?ウケる自信なくなってきたんですか?だっせー!そうやってコロコロ方向性を変えるのってどうなんですかクソ孔雀さん」
「新曲のギター随分切り口かっこいい感じですけど自己陶酔するためのオカズですか?」
「っがああああ」
「重い。秒で押し負けるなら口で挑んでくるなよ。脳に異常があるんじゃないか」
「うるせえ精神疾患黙れ!自己陶酔はてめーだろ」
「自覚ないのか?じゃあ今教えてやるから覚えた方がいい。お前は自己愛が強くて自分の容姿や力量や行動に陶酔する傾向にあるナルシストだ。分かったな」
「は?教えてもらわなくても俺は俺のこと大好きだが?なぜならお前より上だから。存在が」
「その肯定力ベースくんに分けてやれよ……」
「新曲のベースラインなんであんな気持ち悪いの?駄目とか嫌とかじゃなくて純粋に気持ち悪い。合わないわけじゃないからギリセーフなだけですごく気持ち悪い。お前もしかして曲作り下手?はじめて?」
「それ日野にも言われた」
「やっぱ流石のヒノキも気持ち悪くて吐いちゃったって?あのロボにゲロさせたらそれはもうすごいことだよ、ウイルスと同等」
「気持ち悪いとは言われなかったけど、どうしてああしたのかとは今日聞かれた」
「は?今日?」
「……ていうかなんでお前が知らないんだよ。相談とかされてないんだな」
「単独行動許さないほどうち束縛してないんでえ」
「?いや、束縛と放任と相談されるかどうかの信頼度は全部関係ないんじゃ」
「ミ″ー!!!」
「蝉?」
「あっつい!喉乾いた!」
「人の勝手に飲むな」
「ないじゃん!すいませえん!」
「店員を呼ぶな」
しかしまあ、やりたい放題されている。見ているこっちは面白いが。岸くんの反応とずっとドラムくんにべったりくっついている態度を見るに、ここまで酔っていると、いつものように揶揄われても思考が追いつかないから反射で返して怒りに変換されないのだろうか、とぼんやり思う。ドラムくん側も「どうせ酔っ払いの言うことだし」も流しているようだから。ギターくんは眠いと言っていたので、二人が言い合っているのを見ながらスマホをいじってのんびりしている。家でテレビ見てるみたい。
「お前さあ」
「お前って言うな。目上に対する態度も分からないのか白髪頭」
「うるせえおっさん、相応の態度を取って欲しいならそれなりの威厳と尊敬に足る姿を見せやがれ」
「俺がおっさんならベースくんはどうなるんだよ」
「おじいさんだあんなもん。なに?なんて呼んでほしいの?リクエストあるなら応えてあげても良いよ」
「ないよ……」
「りっちゃんって呼んだげなよ」
「りっちゃあん」
「やめろ」
岸くんが楽しそうにきゃっきゃと絡み付いている。うんざりした顔のドラムくんが、動画にでも残しといて後で見せて悔やませよう、とこっちに自分のスマホを投げ渡した。もう自分の恥とかはどうでもいいらしい。さっきこれなら撮ったよ、とギターくんが隠し撮りを見せているのも、ふむふむ、と頷いているし。ていうか結局撮ってる。シャッター音したっけ。
「これも後で見せる。憤死しそうだから」
「えー。もっといい思い出として使ってよ」
「動画も撮っとけ。ほら」
「笑って笑ってー」
「うん」
「えー?なに?写真?」
「動画だよー。あはは」
「もっとこっち来て笑えよ」
「イエーイ!」
ここだけ切り取るとめちゃくちゃ仲良い友達にしか見えないな。ドラムくんが岸くんの肩を掴んで寄せて、岸くんがドラムくんにほぼ抱きつく形でピースしている。二人とも笑顔なのがとても怖い。でもギターくんは超笑ってるし、怖くてたまらないのは俺だけだろうか。なにが面白いのかげらげら笑っている岸くんが、こっちを指さした。
「おいお前!お前だよお前、宮本」
「えっ、はっ、はい」
「お前の真似してやる」
「は……」
「よく聞けよ。お前意外と癖あるからな。少しくらいは改善しろ」
「偉そうによく言う……」
「岸くん歌うの?」
「歌う。お前手ぇ貸せ」
「なんで」
「マイクだマイク。気分作りだ、手ぇグーにしろ」
「はあ」
大人しくげんこつにしたドラムくんの手を持った岸くんが、どれがいっかな〜、と鼻歌混じりに目を閉じた。一応ここ店なんだけど。迷惑にならないようにカラオケとか行った方がいいんじゃないかと思う。嬉しいけど。自分が歌っている曲を他人に、それも岸くんに歌ってもらえるのは、どう考えても嬉しい。吉片くんもカバーしてくれたことあるけど、俺の前では歌ってくれないから。じゃあこれにきーめた!と突然岸くんが立ち上がったせいで、手を引っ張られたドラムくんが肩を吊られて顔を顰めたけれど、引っ張った本人には関係がないらしい。無視しているので。ここで歌ったら流石に人来ない?とギターくんが今更のように言ったけれど、もう遅い。
「誰歌ってんの?宮本の声じゃない」
「岸だって」
「宮本さん酔っ払うと歌うって聞いてたから隣の部屋で待ってたのに……」
「やっぱあいつ上手いな」
「そか?ピッチだいぶ早いぞ」
「アカペラだからだろ」
「飲んでてあれだけ出るならいい方だよ」
「岸ー、次俺らのも歌って」
「でももう帰るって」
はっと気づいた時にはやっぱりギャラリーが引き戸の前にわらわら集まっていたし、感想は?とマイク、もといドラムくんの手を向けられていた。感想と言われても、かっこよかったとかしっかり聞き入ってしまったとか、そういうことを聞きたいわけじゃないだろう。でもこう、岸くんのことを評価できるほど俺は偉くもうまくもないし、俺の真似したって言ってたけど全然違ってかっこよく聞こえたし、ドラムくんとギターくんのおかげで俺も引っ張ってもらってるけど岸くんは今一人で歌ってたわけだし、それでも人をあれだけ惹きつけられるって本当にすごいことだと思うし、とかそういうことをうまい言葉で言える気がしない。ピッチは確かに早かったが、一人で歌っても映える曲を選んだ上で、冗長にならないようにテンポを上げてサビ終わりまで走り切った感じがするので、トータルで見ると完成度は高い。というか俺なんかにそんなこと言われたところで嬉しくもなんともないんじゃないだろうか。は?んなこと知ってますけど?と嫌そうな顔を向けられるのがオチだ。だったら一番シンプルに「上手でした」が正解かもしれない。けどそれってやっぱり上から評価してるということになるか、岸くんはきっとそういう言われ方が一番嫌いだろうから。そうぐるぐる考えているうちに、マイク役のドラムくんが口を開いた。
「ベースくんからは特にないって」
「あっ、え、ちがっ、なっ、いわけじゃ、ないけど……」
「おめーはな、ちょっと余裕が出てくると変なこと考えて歌いながらオドオドし始めんだよ。これで合ってますかね…みたいな雰囲気が垣間見えんの。それがマジで気色悪いしそんなこと考える無駄な余裕あるんだったら別のところに頭を回すべき」
「ああ。それは俺もそう思ってた」
「ひ……す、っすいません……」
「余計なこと頭に入れないで必死に歌ってりゃいいのに。三人体制になって一番最初のライブの時とか、……」
「お前いたの?」
「いない」
「裏で通してないから、自分で席取ったんだよな?」
「いなかった」
「へーえ」
「知り合いが!いて!必死に歌ってる方がまだマシだったって!」
「ふーん」
「俺じゃなくって!」
岸くんがまた座り込んでドラムくんの上に乗っかるようにしてぽかぽか叩き始めた。ギャラリーは散り散りになっていったし、そろそろ解散みたいなこともなんとなく聞こえてきた。まあもういい加減終わりでもいい時間だし、と思いながら、自分から矛先が逸れたことにとりあえず安心して。
「ゔ、」
「ん?」
「っぶぇ、」
「……、は?」
「あっ!?」
「あ″!?ぎゃあああ!?」
「あはっ、あははははは!」
びしゃびしゃ、と音がして、岸くんがドラムくんの上で思いっきり吐き戻した。し、ドラムくんが叫んだ。ギターくんが大笑いしている。よく笑えるな。ドラムくんが咄嗟に岸くんを引っぺがして横に投げ捨てたけれど、もうほとんどドラムくんの上でぶちまけた後だったので、あまり意味はなかったようだ。咄嗟にその辺にあったおしぼりとか渡したけど、これが何の意味を成すだろうか、と不安になるぐらいの手助けでしかない。笑っているギターくんが、タオルもらったのあるよ、とひいひいしながら自分のリュックを漁って、青い顔のドラムくんが俺に吠えた。
「こいつ引き取らせろ!」
「ひいっ、はいっ」
あのぐったりした岸くんを引きずっていくよりも、斎藤くんか日野くんを呼んできて連れてってもらうしかない。もう解散なんだし、引き取ってくれるだろう。廊下を走りながらざっくり部屋を見て回って、ようやく青い頭を見つけた。
「さっ、斎藤くんっ」
「寝ちゃったのー?かわいー」
「疲れてんだよ、ほっといたげようよ」
「えー」
「わああ……」
「あ!宮本さんだ!」
「一緒に飲みます〜?」
見つけたが、女の子二人に囲まれて寝ていた。なんでこんな時に、と思ったが、もう解散という時間で、自分から飲んだか飲まされたかは分からないがそれ相応の量を摂取して、となれば確かに寝ていても不思議ではない。つい絶望的な声をあげてしまったので女の子たちに見つかって個室に引っ張り入れられそうになったが、なんとか謝って離してもらって、隣の部屋で帰り支度をしている日野くんを発見した。かくかくしかじかで、と説明すれば、いつもと同じ無表情で小さく頷きながら聞いてくれた、が。
「放っておいていいですよ。あれで帰巣本能はしっかりしてる方なので、家には帰れます」
「ち、ちが、ドラムくんが困ってるんです、けど」
「……はあ」
「あの、い、っ一緒に、来てくれませんか……」
「俺が行ったところで何にもならないと思いますけど」
「い、いいです、あの、お願いします」
「はい」
何故?という顔をされたが、なんとかついてきてもらうことには成功した。個室に戻れば、岸くんはぐったりしたまま床に転がされていて、ドラムくんがまだ青い顔のままべしょべしょの服をなんとかしようとしていて、それをもう笑ってないギターくんが手伝っているところだった。一歩入って、部屋の中を確認した日野くんが、ドラムくんに向かって口を開く。
「おつかれさまです」
「……吐かれた」
「はい。聞きました。いづるは酔うと他人の上で吐いてすっきりしてから寝るので、いつもと同じです」
「ああそう……」
「りっちゃんもうこれ以上は綺麗になんないよお」
「……気持ち悪い」
「そお?お、だいじょぶ?」
「……………」
ふらふらと立ち上がったドラムくんが、壁に寄っ掛かりながら出て行ったので、ギターくんがついて行って、ちょっとしたら戻ってきた。曰く「いやもうめちゃ吐いてる」だそうで。可哀想すぎる。岸くんの身支度を整えていた日野くんが、こっちを見て言った。
「帰れそうですか」
「え、と、ドラムくん……?わ、分かんないけど……」
「汚してしまったのは代わりに謝ります。こいつはもう明日の昼くらいまで起きないので」
「は、はい」
「これでよければどうぞ。雑巾にしても良いですし、もし入るなら着替えてもいいです」
「えっいや、それ岸くんのなんじゃ」
「後で言っておきます。返さなくていいです。申し訳なかったと伝えてください」
とても事務的に淡々と言われて、恐らくは岸くんのものであろう上着を渡された。俺でも分かるくらいちゃんといいやつなんだけど。待っていても何もできないのでこれを引き取ります、とぐったりしたままの岸くんを無理やり背負った日野くんが、ずりずりと岸くんの足を引きずったまま行ってしまった。預かった上着を広げてみれば確かにオーバーサイズ気味ではあったので、ドラムくんでも入るかもしれない。あの汚れた服を脱いだら、その上に直接上着を着るしかなくなるけれど、ドラムくんはそれで良しとするだろうか。ふらふらと帰ってきたドラムくんに、一応今あったことを説明する。
「……ああ……ああそう……」
「ど、どうする?」
「……とりあえずもうこの部屋に居たくない……」
「そっ、そうだよね、ごめん……」
「店員さんにはさっき言っといた。まあどっかしらで誰かしらがやらかすと思ってたからーって感じだったよ」
りっちゃんが全部被ったから部屋自体はそんなに汚れてないしねえ。ギターくんがそう言って、そのまま帰れる?とドラムくんに確認した。とりあえず荷物を持って部屋からは出て、廊下にいるんだけど、ばたばたやってるうちにほとんどの人が出たのか、人通りはない。もう少し早かったら誰か助けてくれたかもしれないのに。ぼんやりした後に静かに首を横に振ったドラムくんに、じゃあどうしようかと多少話し合って、話し合ってる間に耐えきれなくなったドラムくんがその場で脱ぎ出したけれど、もうそれは誰も止められなかった。またここでもう一回貰われて二次被害が出ても困る。
「んじゃあ、りっちゃんが俺のパーカーを着るでしょ」
「ギターくんは、それじゃ寒いから、岸くんから借りたのを着て帰って……」
「俺ダウンあるよ。平気だよ」
「や、中Tシャツだし、それじゃ風邪ひいちゃうから……えと……」
「……ネックウォーマーならある」
「えー。まあ確かに首は寒い」
「岸のやつが一番あったかいから、俺がこれ着る。ギターくんはダウンの上に俺が着てきたやつ着て帰れ」
「もこもこだ」
「ベースくんはそのままでいい」
「う、うん」
「早く家につきたい。解散」
「りっちゃんその辺でゲロしちゃだめだよ」
「我慢する」
ギターくんがドラムくんに着ていたパーカーを貸して、ドラムくんはそれと岸くんの上着を着て帰ることにして、ギターくんはパーカーを貸した代わりにドラムくんから上着を借りて自分のをインナーダウンにして、とごちゃごちゃ動きはあったが、汚れた服をとりあえず取り替えたので、ドラムくんはギリギリ帰れるようになったらしい。とは言ってもズボンも汚れているので、このパーカー家着いたらそのまま捨てていいか、とギターくんに聞いていた。いいよー、だそうだ。多分あのままだと岸くんの上着も捨てられるな。顔青いままだし。
「岸くん次会った時なんて言うかなー」
「……絶対に謝らせる」
「えー、あそこまでなったら覚えてないパターンじゃない?」
「土下座させる」
「しないでしょー」



「はあ。なんかそうらしいけど。すんませんした」
「……………」
「え?俺今謝ったじゃん。あいつの腹の上で胃の中のもの全部出したしたことに関しては。他になんか言ってほしいことあんの?念書でも書けばいい?もう二度とお前らの近くで酒は飲みませんって?」
「……………」
「しょうがないじゃん出ちゃったもんは。俺だって出したくて出したわけじゃないしそもそもお前のところにいたのも別に自分から行ったわけじゃないと思うぶぶ」
「握り潰す」
「ゔー!いひゃい!」
これはドラムくんにやめてとも言えないし岸くんのことも庇えない。斎藤くんが辛そうに眉根を寄せて顔を逸らしているので、同じ意見なんだと思う。撮っていた動画や写真は、思い出して嫌な気持ちになるので消したとドラムくんが言っていた。まあ、そりゃそうだろうな、としか。


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