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おはなし



「染めたらいいじゃないすか」
「……………」
確かに。普通の顔でそう言われて、反論はひとつも思い浮かばなかった。

新城は、仕事柄定期的に髪型が変わる。役によってはヒゲが生えたりもするし、色はあんまり変わらないけど、短くなったり長くなったりはする。短いと「寒いなー」、長いと「邪魔っけだなー」ぐらいの感想しかないみたいなので、自分がどっちがいいとかは無さそうだけど。まあ他のものでも、むしろ何に対しても、新城が自分から系統的な好き嫌いを提示したことはあまりないので、基本的にそういうのを考えないタイプなんだと思う。「何色が好き」とかもないもんな、あいつ。どんな食べ物が好き?的なよくある質問に対しては、矛盾しないようにあらかじめ答えを決めて用意してるって言ってたの聞いたことある。ということは、新城本人が好きな食べ物は特に無いのだ。俺が好きで食べたがるものをよく作る、からそれが得意料理になった、ぐらいの差しかない。あれはそういうやつなので。
町田も同じく、髪型はよく変わる。ヒゲは見たことない。町田は基本染めてるので、黒く戻ったり茶色くなってたり、っていうのは今までに見たことある例だ。新城と違って、町田には見た目に対するこだわりも意識もあるらしく、例えば新城が役で長めの前髪になってた時、俺は嫌ですね!ってはっきり言ってた。長いのは嫌いらしい。
そこで自分に立ち返って考えてみる、と。特に全く何にも頓着したことがない。服はまあ、好きなブランドとかあったこともあったけど、働き始めてからそんな余裕もなくなって、なあなあのまま興味が薄れた。仕事を辞めてからはもう「普通に着れれば何でもいい」以外の感情がない。「普通に」が一番大事な部分だ。それが抜けると新城が買ってくる変な服を着させられる。髪の毛も、長過ぎなければ別にいい。染めたことは今までにない。きっかけっていうか、そうする理由もなかったので。恐らくは体質的なもので、ヒゲとかあんま生えないし。そのせいなのかなんなのか、中原くんは昔からずっと変わらないね♡と新城がでれでれ言ってくるのだけは腹が立つ。こっちだってお前と同じように年取ってんだぞ、と思わなくもない。まあ、昔から見た目に大差ないのは、自分でもよく分かっているのだけれど。
「こんにちはー」
「うん」
「ぶちちゃんよしよしよし!あ、お土産です」
「なに?」
「ドーナツです」
「ありがと」
新城が仕事の間に町田が遊びに来て、玄関が開いた途端にぶちがダッシュで足元にスライディングした。新城相手だと絶対にこういうことはしないので、猫なりに相手を分かってやっているのだと思う。ぶちが飛び込んできたので靴も脱げないまま撫で回している町田が、ドーナツの箱を持って引っ込む俺に向かって、チョコのやつ食べますから!と言ってきたので、お皿の用意をする。そういえば。
「……またお前頭変わった?」
「あ、はい。一週間ぐらい前からすけど」
「ふうん……」
「よく気づきましたね。いつものと大差ないのに」
「なんとなくだけど」
「色はほぼ同じなんすけどここ刈り上げて、ねえ見てます?」
「ん?ごめん見てない」
「チョコ俺の」
「分かったよ……」
大人しくなったぶちを抱っこして入ってきた町田が椅子に座ると、もう用済みだと思ったらしくぶちは自分の定位置へと戻っていった。手を洗ってきた町田が、いっただっきまーす!と元気に挨拶してドーナツを頬張った。お腹空いてるのか?
「コーヒー?」
「なんでもいいれふ」
「あっそう。あ、新城がなんか……これ。これ渡しといてって」
「ふぁい。かりまふね」
「これなに?」
「えー。りんごとか?」
「なんで知らな、あ!ぶちダメ!」
定位置からダッシュしてきたぶちがイスを経由してテーブルの上に着地してドーナツに顔を突っ込もうとしたので、首根っこを掴んで下ろした。町田が超笑ってる。絶対わざと一回油断させといて飛び込んできましたよね!って。俺もそう思う。
それで髪の話に戻って。俺が短くしたとき笑いましたよね…ってしつこく根に持っている町田から目を逸らしながら、そろそろ髪切ろうかと思ってるんだ、なんて話に切り替えたら、二個目のドーナツに手をつけようとしていた町田が口を開いた。やっぱり腹減ってるんじゃないのか?
「中原さんって髪型変わりませんよね」
「特にこだわりない」
「どこで切ってるんです?」
「……前髪だけ自分で切ってた」
「た?」
「失敗して二度とやるかって思ってからやってない」
「あるあるじゃないすか。……え?じゃあ誰が切ってるんですか?」
「時々新城が切る。あと一回水棹さん……新城のマネージャーさんにも切られた」
「徹底して外出ませんよね……ああ、中原さんが出ないんじゃなくて、新城さんが出さないのか……」
「千円カットで切ってきたら新城が頭抱えたから」
「あー。あれ当たり外れありますよね」
「そうなの?」
「って、淀が言ってました。俺は気にしなかったんで、金ない時は通ってましたけど」
「ふうん……」
「染めたりしないんすか?」
「したことない」
「短くしたりとか」
「……それもしたことないな」
「卒アルの写真と変わらないタイプなんすね」
「んー……」
「……イメチェンします?」
「はっ?」
「イメチェン。しません?」
要約すれば、昔と変わらない、という言葉に、自分でも分かっちゃいるけどやっぱそうだよなあ、と諦めに似たもやもやを感じていると、それを察したらしい町田ににっこりされた。でもイメチェンって言っても、と言い淀む俺に、町田が吐いたのが冒頭の言葉だ。
「どうせ外出ないんでしょ?」
「出ないけど……」
「切るのとかは無理すけど。染めるのなら手伝えますよ」
「へっ」
「俺自分でやってたし。今は流石に、プロの人にお願いしますけど……」
こんなのありますよお、とスマホを向けられて覗き込む。一日だけ染めれるとか。スプレータイプ、ワックスタイプ、クリームタイプ、と並ぶ画像と言葉に目を滑らせながら、パーティーにもおすすめ!と書いてあるのを読んで、縁のない世界だとぼんやり思う。お試しにはちょうどよくないですか?なんて首を傾げられて、つられるように頷いた。
「じゃあ俺買ってきますね!」
「う、えっ?今?」
「はい」
「……突然?」
「一日だけなんだし、思いついた時にやらないと多分この先一生やることないすよ」
「そ……」
そりゃそうなんだけど。もう、ぐうの音も出ない。大真面目に言われて言葉に詰まると、じゃあ適当に買ってきますんで!と車の鍵とスマホと財布だけ持って行ってしまった。鞄置きっぱなしなんだけど。がちゃばたん!と元気に閉まった扉の音に、丸まっていたぶちが顔を出して小さく鳴いた。あいつどっか行ったの?って感じで。

「ただいまです」
「おかえり」
「見て。大きいポテトチップス。二人でパーティー開けしましょ」
「いいよ」
「何の映画見ながら食べます?グロスプラッタ系?ラブコメ?」
「こないだ途中まで見てお前が寝たやつの続き」
「あ!違いますよ!そんな話じゃなくて、買ってきました!ほら!」
バツが悪くなったからなのか思い出したのか、話を打ち切った町田が逆さまにした派手な袋から、どさどさと箱やら容器やらが転がり出してくる。俺の頭はひとつしかないのにどうしてこんなに買ってきたんだ、と思ったが、中原さんがどんなのやってみたいのかわかんなかった、使わないのは全部淀にあげるからいいです、と言われたので頷いた。
「これは?赤っぽいですよ」
「えー……」
「新城さんとおそろみたいになれますよ」
「別に赤好きじゃない」
「これは?俺とお揃い」
「……じゃあそれで」
「かわいいとこあるじゃないすか……」
照れたように頬を掻いた町田が、じゃあやってみましょー、と俺を連れて洗面所へ行く。汚れてもいい服を着るか袋でも被るかしないと、なんてわやわや話して、新城が俺の髪を切る時に被せてくるてるてるぼうずみたいなやつがあったから、それを使うことにした。慣れているというのは本当らしく、説明を特によく見るわけでもなくさくさくと準備していく町田が、でもお、と口を開いた。
「中原さん地毛が真っ黒じゃないから、染めようとか思わなかったのかもですよね」
「……考えたことなかっただけなんだけど」
「なんで黒くないんですか?あ、新城さんもですけど」
「知らん。家系」
「へー。遡ったら外国の血的な?」
「別にそういうのはないけど……」
「ふーん?」
一緒に買ってきたらしい手袋をつけた町田がふと、あーやべ、全部行ける量あるかな、と独り言ちた。思ったより俺の髪が長かったらしい。自分基準で考えて買ってきてしまった、と。確かに最近切ってないから伸びてる。手入れとかも自分ではしてないから、跳ねっ返りがそのまんま伸び放題だ。特に誰が見るわけでもないから足りる分だけやれば?と町田に聞けば、嫌そうな顔で固まられた。いいだろ俺の髪なんだから。
「嫌です。全部できないなら出来ないなりになんかアレします」
「アレってなんだよ。変な風にするな」
「中原さんが自分でやるより百倍マシ」
「んだと」
「あー、留めるもんもっと買ってくれば良かった……ピンないですか?クリップでもいい」
「あるならそこの棚」
「ここ?」
「違う。鏡開けて。その辺ない?」
「ピンクのゴムならありました」
「なんで。髪結んでるやつこの家いないんだけど」
「ううん。髪の毛に使えないタイプのゴム」
「捨てろ。今すぐに」
「見なかったことにしよ。ないから中原さんここ持っててください」
「これずっとやってたら俺腕攣る」
「貧弱……あのなんかゲーム続かなかったんですか?鍛えるやつ」
「やってる。毎日やってる」
「まあ中原さんに筋肉とかついたら引くんでいいですけど。離していいですよ、今度ここ押さえてください」
「くそ……お前らが引くほどムキムキになってやる……」
「絶対に無理」
「始めた時よりはレベル上がった!」
「スタート地点が小学生レベルなんでしょ?」
「……………」
「言い返せなくなると俺がいじめてるみたいになるじゃないですか……嘘ですよう……中原さん、筋肉つかない体質だからしょうがないですよ」
「うるさい。鍛えれば鍛えるだけ見た目に出る奴の言うことは聞かない」
「あー。拗ねた」
「バカ。嫌い」
「今度俺も一緒にやりますから。あれ筋トレしないとボス倒せないんでしたっけ?手伝ってあげるから」
「お前が俺の代わりにやったら、その後に俺が一人でやる時お前レベルの負荷が設定されて詰むだろ」
「じゃあ俺がめっちゃ難しいモードでやってるとこ笑ってていいから」
「そんなの楽しくない」
「じゃあ新城さんのこと二人で笑いましょ。こっそり難易度上げて」
「いいよ」
「いつがいいかなー、あ。帰ってきました?」
「うん」
だらだら喋りながら町田が俺の髪を弄っているのを鏡越しに見ていたら、玄関の鍵が鳴った。ぶちがダッシュで攻撃しに行って、ただいまを言い終わらないうちに悲鳴に変わる。おかえりー、おかえりなさいー、と二人で声を揃えて、しかし二人とも動けないのでそのまま続行していると、新城に体当たりし終わったぶちが走って定位置に戻って行って、それを追うように新城の足音と声がする。
「あれ?なにしてん、」
「見てくださいー。イメチェン」
「イメチェン」
「……………」
「……あれ?新城さん、カメラ構えたり倒れたり鼻血吹いたりしないんですか?」
「ウザイし気持ち悪い」
「……………」
「……?」
「新城さん?」
「……え?あっ、うん……ちょっと待って……ちょっと……」
「うん?」
「はい……」
予想の全てと違う反応に、町田と二人で鏡越しに目を合わせて首を傾げる。こっちを見て硬直後、ぼそぼそ言いながら洗面所を通り過ぎていった新城が、ばたん、と扉を閉めた音がした。どこ行ったんだ。寝室とか?奇声とか聞こえたら嫌だな。金っぽい房がちょっとずつ増えてきたなあと思いながら、「でもここはもうちょっと……あーそしたらこっちも……」「バランスむずいな」「どうして全部同じ色にしないんですか?めんどくさい」とぼやく町田にされるがままになっていると、しばらくしてまた扉が開く音がした。
「ねー。イメチェンってなにしてんの?」
「髪染めてます。なんでどっか行ったんですか?」
「ちょっと……自分を抑えきれなくて……」
「気持ち悪い」
「中原さんこっち向いて」
「いてえ!首無理やり曲げんな」
「うーん。でもこんなもんかなあ」
「中原くんがやりたいって言ったの?」
「別にやりたいとは……」
「よーし、完成。ってことでどうですか?」
「色が違う」
「当然の感想じゃないですか。新城さん、戻します?」
「戻す」
「即答……やっぱ勝手に髪染めたの気に入んなかったんでしょ……」
「ううん。別に色がどうとかそういうのはいいんだけど……」
「だけど?」
「……んー。来て?」
口をもごもごさせた新城が、別に言うつもりなかったんだけどさー、こういうこと突然するとか思わなかったからさー、と言い訳のように口に出しながら、二人いるせいでただでさえ狭い洗面所を若干無理やり抜けて、風呂場の扉を開けた。そのまま入っていくのを目で追いかけると、腕組みして考えていた新城が、ラックに入っているボトルを手に取った。
「じゃん。なんでしょう」
「シャンプー」
「誰のでしょう」
「新城の」
「新城さんの」
「ブー。中原くんのです」
「ええ!?嘘!超いいやつですよそれ!」
「は?俺そんなの使ってない」
「そうだね。君が一人でお風呂入る時はこっち使ってるよね」
「うん」
「俺も基本これ使ってる。共用にしよって話したもんね?だから中原くんの認識は合ってるんだよ。でもこれも中原くんのなの」
「使ってないのに……」
「使ってるの!中原くんの意識がない時に!中原くん、昔から他人に頭洗われるとすぐ寝るでしょ!」
「ああ。それはそう」
「無防備にも程がありません?人として」
「うるさいな」
「だから、これは中原くんのなの。ちなみに言うとこれとこれ、あとこっちも時々使ってる」
「うわうわうわ全部めちゃくちゃ金掛かっ……え!?こんな金掛かってる頭に俺カラーしたんですか!?」
「そうなるね」
「ギャー!胃が捻じ切れそう!」
「俺は使ってない」
「だから中原くんが寝てる間に俺が中原くんに使ってるの!」
「なんで?」
「中原くんの髪の毛すーぐ傷むんだもん!しかも自分じゃぜんっぜん手入れとかしないし!お試しでもらったいいトリートメントちょっと使ってみたら見違えるようになったからそこから拍車掛かって今となってはめちゃくちゃ手間かけてるんですけど、それに今の今まで全く気が付かなかった中原新くん、なにか言うことありますか!?」
「い、いえ」
「わーん新城さんごめんなさいー!」
「町田くんは百歩譲ってギリ許す」
「よかったー!」
「俺は?」
「中原くんは何も知らなかったわけだし、髪の毛を染めるというちょっと悪いことに憧れていた気持ちがとても可愛いので絶対に許さない」
「ゆる……は?許せよ」
「俺の努力が一瞬で水の泡になった……これは一人で泣いても許されるやつ……」
「さっきもしかして泣いてたんですか?」
「ちょっと泣きかけたよね」
「新城さんかわいそう」
お前がやったんだろうが。自分は許されたからって俺に非難の目を向けてくる町田を蹴っ飛ばした。ていうかそんなの知らないし。確かにまあ、全くもって気づかなかったのは、うん、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、俺も鈍かったかもしれないけど。髪の毛なんて自分にくっついてるものなんだから。でも一回でそんな変わることないと思うから、少しずつ手入れされていたなら、気づかなくても当たり前だと思うのだ。そう。毎日鏡は見るけれど、ほんの少しずつ変わっていてもきっと気が付かない。なんかそういうの呼び方あったと思うけど、そんな感じ。
「えーん。でもそれはそれとして髪の色が変わった2Pカラーの中原くんに色々着せて遊ぶことにします」
「じゃあセットさせてください」
「俺の意思は?」

着せ替え人形にされた。俺にそんなことして何が楽しいんだろう。もっとこう、ぶちに新しい首輪とか、そういうのならわかる。髪の毛をたくさん弄られたし、いろいろ着替えさせられたので、妙に疲れた。写真撮るからって笑えたりしないのに。
町田が帰ってから。お風呂に入ろうって時間になって、あれやこれやと俺に説明しながら俺の髪に色々塗ったり時間を置いたり流したりまたなんか付けたり乾かしたりした新城が、満足げにソファーに沈んで、こっちに人差し指を向けた。
「明日から中原くんにもちゃんとしてもらうからね。トリートメントとか」
「えー……」
「まあまともにしっかり毎回忘れず出来るとは最初から思ってないから基本俺がやるけど。俺がいない時には最低限のことができるようにメモ置いてくからね」
「……自分のことぐらい自分でできる」
「いーや絶対忘れる。それか、こんなん1日ぐらいやらなくても別になんてことないだろう、ってすぐサボる」
「そんなことない」
「いいえ。必要最低限以上の身だしなみに関しては中原くんのことは一切信用しませんので。だってやらないもん」
「やってるだろ!」
「だから必要最低限以上って言ってるでしょ。身綺麗にするのは当たり前なの。でも俺はそれよりもっと状態を良くしたいの。なぜかというと、触り心地がいい中原くんの方が俺が触る時に気分がいいからです」
「………………」
「ほら今、そんなことのために俺が何を頑張る必要が?って顔した」
「……その通りだろ……」
「髪は傷みやすいけど肌は綺麗だからなー、中原くん。ほっぺとかぷにぷにだし。子どもみたい」
「うるさい」
「でももうちょっと歳取ったらスキンケアとかもしなきゃいけなくなるんだろうなー。あーあ!楽しみ!」
「俺はやらない」
「俺がやるの。中原くんに」
「いい」
「よくない。黙ってお世話焼かれてて。永遠に」
そんなの今だってそう変わらないだろ。と思ったが、新城の目が血走っていてやばかったので、黙った。


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