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透明





「先輩早くう」
「うるせえフンコロガシ。いつも待たせてる癖して偉そうな口きくな」
「だってー……」
「いづる。ななせ」
「ぐあああああ」
「見ろ」
「見えない見えないなんも見えない!痛い!カラコン変なとこ入った!」
「とれ」
「痛い!目が開けられない!誰か助けてくれ何でもします」
ヒノキが突然後ろから肩に手を置いたので、びっくりして目に自分の指とコンタクトを突っ込んでしまった。涙が止まらない。眼科行かないとダメなやつじゃない?これ。恥ずかしすぎるんだけど。どうしました?ってお医者さんに聞かれたらなんて言えばいいの?道を歩いてたら突然暴れ牛が出てきて驚いた拍子に自分の手を目に突っ込んでしまいましたとか言えばいい?本当のことを言うのとどっちが間抜けじゃないだろうか。
「えー!ほんとですか?」
「そう。驚いた」
「そっかー……えー、嬉し……嬉しい……?嬉しいかと言われると……そうでもないかもしれませんけど……」
「嬉しい」
「まあヒノキさんはそうでしょうね」
「何俺置いて話してんの?」
「泣いてたら読めないだろ」
「誰のせいで泣いてると思ってんの!?」
ヒノキとナナセが二人で盛り上がっててムカついたので目がしょぼしょぼしたまま覗きに行ったら、痺れを切らしたらしいヒノキに、いいから早くどうにかしろと適当に服の袖かなんかで目を拭われた。バイキンが入る。涙は止まったけど。
「なに」
「ほら。ライブやるんだって」
「……は?」
「追悼ライブってことですかねえ」
「それにしちゃ日が経ってないか?」
「そうですけど……気持ちの整理とか、そういうの必要じゃないですか?」
「そういうものか」
「そういうものだと思いますよ」
ね、先輩。そう投げかけられて、話を聞いてなかったのでとりあえず頷いたら、二人に揃って変な顔をされた。言葉が見つからないので、何を言っていいか分からない。ので、黙っていたら、ヒノキが眉間に皺を寄せて言った。
「……今見せるべきじゃなかった」
「先輩帰ります?」
「帰れるわけないだろ、今からツアーの打ち合わせだぞ。だからお前鏡の前から離れなかったんだろうが、しっかりしろ」
「でもまた魂抜けてますよ」
「叩けば治る」
三発ぐらい平手打ちされたので五発ぐらい蹴り返したら普通に取っ組み合いの喧嘩になった。
そして、まあ一応打ち合わせは滞りなく終わって、しばらく経った後。例のライブの日にちとか会場とかが公開されたらしく、チケットの抽選が始まる、とヒノキに首根っこを掴まれた。俺が話を聞かずに逃げるのを防止しているんだろうけど、逃げないから離して欲しい。ヒノキに捕まる人間は恐らくみんな同じことを言うと思うが、解放してもらえている人を俺はほとんど見たことがない。だから離してくれと言っても無駄なのだ。大人しくしていよう。
「詳細が出た。行きたい」
「行けば」
「チケットが取れるかどうか分からない」
「関係者席とかで入れてもらえば?」
「マネージャーに無理だと言われた」
「もう聞いたんですね……」
「絶対協力しないからな」
「別にしてもらうつもりはない。けど俺よりいづるが直接見た方がいいと思うから、お前には抽選申し込んどいて欲しい」
「は?なんで?そっちのが死んでも嫌なんですけど。その場でゲロ吐いて倒れちゃう」
「別にゲロ吐いて倒れてても聞こえるだろ」
「周りの人の迷惑ですよ」
「ななせも申し込む?」
「うーん……じゃあ俺は二席分でエントリーしときますよ。それで、当たったらどっちかと行くってことで」
「俺は申し込まないからな!」
「大丈夫。勝手にこっちでやっておいた」
「じゃあ何で俺の意思を聞いたんだよ。馬鹿みたいじゃん俺。でかい声出しちゃったよ」
「そうだ、ななせ。ツアーグッズのサンプル、画像もらったなら見せて欲しい」
「はあい」
「勝手に話終わんないでくれる?俺を置いていくな。お前についてるでかめのマスコットじゃねえんだぞ」
それで。まあ。それからしばらく経って。ご用意されましたとかいう、普段だったら嬉しいけど今回に限っては地獄の釜が開く文面が届いたわけで。ヒノキが「お前の引きの強さならそうなると思ってた」なんて平然としていたのが一番ムカついた。なに確信してんの?しかも自分はちゃんと外れてるし。ナナセは、別に行きたいわけじゃなかったけどご用意されないとされないで悲しいですー、って言ってた。知らん。
「でも先輩、そのままは行けませんよね」
「は?」
「変装しないとじゃないですか?さすがに」
「ああ。いづる目立つから」
「いやそんなに……外歩いてても意外と声とかかけらんないから平気だろ」
「いやいや」
「いやいやいや」
「とりあえず頭どうにかした方がいいですよ」
「服も地味なの着ていけ。俺の服貸してやろうか」
「絶対嫌。ヒノキの服なんて全裸との二択になっても着たくない。頭は帽子でも被ればいいだろ」
「その真っ白が帽子でどうにかなるとほんとに思ってるんですか?」
「思ってる」
「ななせ。いづるは目が節穴なんだ。九九も言えないし」
「ああ……」
「九九は言えるって何回言えば分かるんだ、つーか別にバレたっていいし。ちやほやされんの好きだし」
「ちやほやされないだろ」
「ファンだったんだな〜と思われると思いますよ」
「え?無理。死んじゃう。その場で手首切っちゃう。それ用にカッター持っていこうかな」
「変装しましょうね……」



先輩は、髪の毛を黒く戻して、伊達眼鏡をして髪型をいつもと違う風にセットして、服も俺が選んで先輩ぽくないやつを着せて、それでライブに行った。最初はヒノキさんが髪の毛やってくれようとしたんだけど、ちゃんとまとまってるとかっこいいので、目を引いてしまうからやめましょうって俺が言った。だって先輩、ただ立ってるだけでも人から見られるから。本人は気づいてないけど。だから先輩が自分で髪の毛をどうにかして、でも途中で面倒になったらしく「なんで俺があいつらのために必死に変装しなきゃいけないの?」「もういいこれでいい終わり」ってクシ投げてたけど。近くまで車で送って、俺とヒノキさんでご飯食べてから、ライブ終わりに先輩をまた迎えに行くことになってる。先輩はご飯食べないのか聞いたら、食べたら食べたもん全部出る、って。多分口からってことだろうから、食べなくていいと思う。
「終わったか」
「あー、人通り増えてきましたね」
「連絡きた?」
「来てません」
「道端でのたうち回ってなければいいけどな」
「知らない人の前でそれはしないんじゃないですかね……」
「感情が臨界を超えるとあいつ何するか分からんだろ。こないだもしめきりまであとちょっとなのに曲が全然できなかった時、死んじゃおロース!っつってベランダから上半身乗り出してたぞ」
「嘘……」
怖。時々しか見られないが、目がやばい時の先輩は何するか分からないので本当に怖い。そのまま落ちたらどうするつもりだったんだろう。そうしたかったわけじゃないと思うけど。
とかヒノキさんと喋ってる間に、先輩から電話が来た。終わった、外に出た、と端的に言われ、駅方面に向かうと人が多いから裏側に迎えに行きますね、と告げれば、八割型声になってない「うん」が帰ってきて電話が切れた。うーん。ダメな気がする。
「出しますね」
「なんだって?」
「終わったって。ヒノキさんなんで自分が見に行かないで先輩に行かせたんですか?」
「席取ったのはいづるだから」
「そうじゃなくて……えっと。自分より先輩が見た方がいいって言ってたじゃないですか。あれはなんでだったんですか?」
「後から絶対ぐちぐち言うだろ。自分が直接見た方が、後腐れなく文句も言えると思った。俺はどうとでもなる」
「……え、それだけ?」
「それだけだけど。あれだけ執着してるんだから、それを表に出せばいいのにな。そもそもどうして隠すんだ?分かりにくい」
ヒノキさんにそんなこと言われてるって先輩が知ったら怒り狂いそう。言われた場所に車を止めれば、ふらふらと寄ってきた人影。周りが暗いし着てる服も黒いし今は頭も黒いので、ああ先輩か、と気付くまでに少し時間を要した。ポケットに手を突っ込んだまま姿勢悪く立っているので、車の扉を開けた。
「おかえりなさい」
「どうだった?」
「……え?」
「どうだった?」
「あ、あー……どう……」
「……とりあえず乗ってくださいよ。ね?」
「うん……」
「いづる、どう」
「ヒノキさんお願いだから一回ほっといてあげて」
先輩がぼーっとしている。イライラしてるより悪いかもしれない。入ってくる情報と感情が処理能力を超えると先輩はキャパオーバーで固まって、その後大爆発する。そんなことはよく分かっていて、滅多にないから嫌だ。だって、本当に数えるぐらいしかないのだ。思い出す限りでも、ヒノキさんと大喧嘩した時とか、我妻さんが自殺した時とか、メジャーデビューする直前に親と揉めた時とか。だから、こういう時の対処法が分からない。試行回数が少なすぎる。静かだった先輩が、もうすぐ家ってタイミングで、口を開いた。
「コンビニ。あ、スーパーでもいい」
「……買い物ですか?俺行きますよ、先輩疲れてるだろうし……」
「自分で行く」
「じゃあどっか入りますね」
「どこでもいい。ヒノキ荷物持ち」
「なんで」
「いいから来い」
「俺」
「ヒノキに言った」
まだ「行きましょうか?」って言ってないのに断られた。なんでだろう。不思議に思いながら先輩とヒノキさんを見送って、帰ってきた時にはその理由がしっかり分かった。
「ただいま」
「こら!」
「俺は今日は飲酒をすると決めた。明日は使い物にならない予定」
「誰がそんなに飲むんですか!」
「俺は飲まない」
「そう。ヒノキもナナセも飲まなくていい。俺一人」
「何が楽しいんですかそれ!」
「うるせえ飲まずにやってられっか!人間には酒に溺れると言う人生を滅ぼす救済措置が備わっています!」
重そうな袋を二つ三つ下げて帰ってきたので、流石に声を上げた。先輩は袋を抱きしめて離さないし、俺じゃなくてヒノキさんを指名したのは止められないためだ。俺だったら絶対止めるから。だって先輩お酒そんな強くないし、次の日になってからもう嫌だ〜って呻いてるの見たことあるし、そりゃ止める。でもヒノキさんは、明日使い物にならないという点さえクリアできれば特に止めない。なんだろう、多分「酒飲んだら今日見たこと全部話せるけど飲まなかったら明日には忘れる」とか言ったんだろうな。じゃないとこの量にはならない。もう、買ってきたものは仕方ないし、飲まずにやってられるかと言われてしまえば強く出られないのも確かなんだけど。
家について、先輩がシャワー浴びたり一人なのに口上を述べてから乾杯したりしてる間に、俺はヒノキさんが買ってきたお菓子をもらった。もう既に変なテンションになっちゃってるじゃんか。ヒノキさんも今日は付き合うと決めたらしく、ちゃんと拍手してたし。俺は呆然と見るしかできなかった。
そして数時間後。
「先輩?」
「なんだ!」
「声でっか……」
「おいモジャンボ……じゃないナナセ……」
「まさかポケモンに俺の名前付けてませんよね?ねえ?先輩?撫でたら絆されると思ってません!?」
「俺はチルタリスにななせって付けてる」
「なんで俺の名前をポケモンに付けるんですか?先輩撫でないで」
先輩が俺の頭をずっと撫でている。手がめっちゃ熱いのでもう限界だと思う。ゲーム内で人間扱いされていないという嫌な事実を知ったところで、ヒノキさんが先輩にようやく聞いた。
「いづる、今日どうだった?」
「……………」
「ん?」
「……っ……った……」
「いた、あいたた」
「なに?」
「……かっ……こよかったあ……!」
「……………」
「……………」
絶句。髪の毛を握りしめられて痛いというのもあるけれど。ヒノキさんも、二の句が継げなかったようで、変な顔で固まっている。いやだって、まさかそう来るとは思わないじゃないか。暴れられてもいいように机とか片付けといたのに。ただ、本人も不本意ではないらしく、ものすごく不味いものを食べている時みたいな、顔がくちゃくちゃになっている。俺の頭から手を離してそのまま膝に顔を埋めて丸まってしまった先輩に、一応躊躇っていたらしいヒノキさんがようやく声をかけたのと、先輩が叫び出すのがほぼ同時だった。
「……いづ、」
「だっ、てさあ!だって、全曲新曲だった!あの、ベースの奴が歌って、そもそも曲の系統が全部昔と違ったし今までだったら絶対使わなかったギターのラインだったし歌詞も、ていうかMCとかほっとんどなくてライブ中ほぼ音楽でタコ殴りにされてるだけの時間だったし、普通再始動なら過去曲とかやるだろ何でただの一度もやらないんだよ、でも絶対求められたそれをやらなくても周りを黙らせられるようになるんだろうからっていうのも分かって、ていうかなんなんだよあの別人みたいな曲他人が作ったのかと思ったけどでもピアノの癖だけ残ってたから絶対あの赤いやつが書いてる、つかベースの人歌えるとか知らないし普通にラスト救われそうになった自分にすっげー腹立つし気持ち悪い、あのギターめちゃくちゃ良かった俺もやりたあい!」
「……先輩……」
「……くそムカつく最悪……かっこよかったんだよお……」
「……………」
「ほら。行かせてよかっただろ」
「……そうですかあ……?」
先輩は丸くなったまましばらく動かなくて、俺ができるだけ音を立てずに片付けしてたら突然ドターン!って横に倒れたから死ぬほどびっくりした。寝てたらしい。倒れても起きなかったし。しかも次の日の朝起きたら、ライブのことは覚えてたけどお酒を飲み始めてからのことは忘れていた。そうなることを望んでの「飲酒をします」宣言だったんだろうけど。
それから、二度と「かっこいい」とかそういう類の言葉を先輩から聞いたことはないし、大っ嫌いなままなので現場が一緒になると中指立ててる。けど、一回はそう言ったってことは、少なからずそう思ってるんだろうなって。


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