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透明




「……えっ?」
「はい?」
「あ、いえ……」
なんでも、と小さく零して、再びスマホの画面に目を落とす。ライブで出させてもらうグッズの打ち合わせで、次回いつにしましょうかと聞かれたからカレンダーアプリを開くつもりが、隣のニュースを開いてしまって、ついうっかり声が出た。ブラウザを閉じてカレンダーを開き直して予定を確かめながら、頭の中は一瞬見えたニュースでいっぱいだった。デマ、とか。誤報とか。そう思いたくなるくらい、自分が知っている相手からは想像できない言葉が並んでいたように見えたから。
ありがとうございました、と部屋を出て、先輩とヒノキさんに連絡する前に、改めて先程の記事を確認する。読み間違いかもしれないから、なんて誤魔化そうとした自分は、すぐに霧散した。なんなら記事の出本もきちんとした新聞社だ。デマでもないし、誤報でもない。先輩たちに記事のリンクを直接連絡しようとして、送る直前でやめた。その代わりに「打ち合わせ終わりました」「戻りますね」といつも通りに送れば、数分経ってすぐに先輩から、鳥が敬礼しているスタンプが返ってきた。これは了解を意味する。機嫌が悪かったり忙しかったりすると既読無視も多々あるので、もしかしたらこれはまだニュース自体を知らない可能性がある、とぼんやり思った。送らなくてよかった。どうせ知るなら、直接見せた方がいいだろう。
どうして、という気持ちもある。あまりに想像ができなかったから。けれど、俺が知っている相手の姿なんて、その人を構成するたった一つの面でしかないのだ。全部わかってるわけじゃない。たったそれだけしか知らないのに「絶対にそんなことするわけがない」と言い切れるほど、傲慢ではなくありたいと思う。もしかしたらそういう人だったのかもしれないな、と考える柔軟性が欲しい。そう願っている時点で、考えられていないけど。
とりあえず、急いで戻ろうと思う。



「もうお前嫌い」
「負けは負けだろ」
「負けましたけど!?別にそれがなにか!?」
「雑魚は静かにしろ」
「決めた。角で殴る。悲しいことだけどやっぱどうしても暴力が大事になる場面もあるから」
「ゲームで負けて悔しいならゲームで発散すればいい。現実世界に持ち込むな」
「俺の身に宿れゴリラの握力。ヒノキの頭蓋を砕ける力よ」
「おかえり」
「いつ帰ってきたんだよ!声かけろや!」
「う、はいっ、ただいまです……」
グッズの打ち合わせに行ってたナナセが戻ってきた。俺とヒノキは事務所で別の仕事してて、時間を合わせてスタジオで合流しよって言ってて、さっき連絡あったからこっちに向かったんだけど、思ったよりナナセが遅かったからヒノキとゲームで対戦してたら三連続ぐらい負けたヒノキが大変大人気ない害悪パで無理やり勝ちを奪い取ったので俺はこいつのことが嫌いになったのである。いい歳してゲームにムキになっちゃって恥ずかしくないんですかね。そう聞いたところでヒノキは「お前が三回勝ったから俺が三回勝つまではどんなやり方でもいいだろうが」とか言う。絶対。だからお前友達いないんだよ。友達いないって言うと最近は「読谷がいる」って言うけど、ヨミくんは最早友達とかそういうのと違うから。世話を焼かれ続け心配されてまくっている存在を対等な友達とは言わない。
「あ?ナナセなに」
「えっ、や、いえ、なんですか?」
「座んないの?」
「す、わります」
「打ち合わせうまく行かなかった?」
「や!それはだいじょぶです、むしろ想像より良かったっていうか、現物楽しみにしてもらって……」
「へー。そうする」
「はい……」
ナナセがなんか変だ。めちゃくちゃなんか言いたげな顔でこっちを見ながら、ぎくしゃくした動きでそわそわしている。隠し事とか苦手なんだから、最初からしなければいいのに。とりあえず打ち合わせがどうこうという話ではなさそうなので、準備しながら聞く。
「言いたいことあんなら言えば」
「……後でに……や……うう、後にします」
「後にするな。今言え」
「で、でも」
「は?でももだってもないんですけどクソ生意気に口答えですかいつのまにそんなに偉くなったんですかァ?」
「痛い痛い取れちゃう!」
「なんだこの可愛いヘアゴム!ぶってんじゃねーぞ」
「ヒノキさんがくれたんですう」
「いつ!」
「朝結んでやった」
打ち合わせだから邪魔にならないようにとヒノキが結んだらしい。過保護かよ。一つにまとめてくるんってしてある髪の毛を引っ張りながら言うと、ぴーぴー泣き言を返された。白いきらきらした飴みたいなまんまるがついてるヘアゴムをぐりぐりやる。しばらくやって気が済んだので手を離せば、ヒノキの背中にナナセが隠れた。ていうかヒノキのやつ、ほんと器用だな。これだけ弄ってもそうそう崩れないように、編んであるのか捻ってあるのかわかんないけど、綺麗に纏めてある。同じように俺にもやれとは言わないが、甘やかしすぎではないだろうか。でかい男だぞ。こいつ。ひんひん言ってたナナセが、ヒノキの背中から、ぼそぼそと口を開いた。
「……さっき、俺もついさっき見たとこなんですけど」
「あ?聞こえない」
「だっ、だから、これに書いてある以上のとこは、俺も知らないんですけど!」
「なにが」
「なに、て、だからあの、これ……」
「ん?」
「何だ」
「我妻さんが、亡くなったって……」
「……は?」
差し出されたスマホの画面に、頭の中が凍りついた音がした気がした。

「嘘かもしれないし」
「……訃報に嘘も何もないだろう」
自分の後ろからスマホを差し出していたナナセに溜息をついたヒノキが、受け取って記事を確認する。それを背中にくっついたまま覗き込んでいるナナセが眉を下げたままこっちを見て、目を彷徨わせた。
「ど……どう、したらっていうか、どうにもできないんですけど、ええと……」
「……………」
「……ヒノキさん?」
「ああ。返す」
「う。はい」
「次の収録で合わせる曲からやりたい」
「ぃ、えっ!?いや嘘、えっ、あでも、いいのか別に、そりゃそうですよね……」
「?」
「……なんでもないです……」
不思議そうな顔をしたヒノキが、もごもごと口を閉じたナナセを見て、俺を見て、数秒考え込んだ。人の心とかないこいつには知り合いの死程度、たとえそれが自死だったとしても事故だったとしても病気だったとしても、「成る程。そういうこともあるんだな」くらいの納得しか与えられないのだろう。今日やろうとしていたことに話を戻すのは正しい。人間として正しいかどうかはさておき。またちらりとこっちを見たナナセがすぐに目を落として、ヒノキが口を開いた。
「これで終わりなのは勿体無いとは思う。折角照準が合ってきたところだろうから」
「……もったいない?」
「一丸としての方向性と、プロデュース方針。ファンの層、求められている楽曲の色、どこからどこまで応えられるのかのリミットと、努力目標。その辺りか。あとは、彼らにとっての定番とその裏の区切りも周りが理解した頃合いだろうし」
「ぇ、えと……」
「……有り体な言い方をすれば。まだまだこれからだろうに、この先が無いのは嘆かれるって話だ」
指折り数えたヒノキが、はてなマークを浮かべたナナセに、ぱっと手を開いて見せた。ヒノキの言っていることは正しいと思う。「もったいない」の中身を理路整然と並べたら、その通りになるだろうから。それは周りの人から見てですか?ヒノキさんから見てですか?と問いかけたナナセに、少し目を丸くしたヒノキが、開いた手を組んだ。
「損失だとは思う。あのボーカル以外であそこまで嵌るのは有り得ないだろうから。この先が無いって言ったのはそういうことだ」
「で、でもヒノキさん、頑張ればできるようになるから頑張れって言うじゃないですか。だったら、別の人が頑張ったら、その別の人をボーカルにして……」
「頑張ればできるようになることしかななせには言ってない。世の中には誰かが真似しようのない、その人間にしか与えられていない才能みたいな、頑張っても出来ないことがある。いづるの方が詳しいだろうけど」
顎で俺を指したヒノキにナナセがこっちを向いたけれど、また変な顔をして目を逸らされた。あれはそういう類の物だとヒノキが言い切ったせいで、ナナセが黙り込んで、部屋の中が静かになった。理解できなかったせいかと勘違いしたらしいヒノキが、少し眉根を寄せた。
「……あのバンドの曲をただ歌うだけなら、誰にでもできる。そう難しい作りではないのは分かるだろ」
「……それは、まあ、はい」
「それでも、あの歌い方と希求力は他の人間には出せない。ボーカルの声質に合わせて曲自体を作ってあるから当たり前かもしれないけど」
「……………」
「バレーボールで野球はできないだろ。投げるものなんてそう簡単に変えられない」
「……なる、ほど?」
「準備」
「う、はいっ」
これで話は終わりだとばかりに手を叩いて鳴らしたヒノキに、ナナセが飛び上がった。立ったナナセと目があって、今度は逸らされずに。
「……先輩大丈夫ですか?」
「……?」
「や……すごい顔してるから……」
「……は?」
「平気ならいいん、」
「平気」
「ですけ、あっ、はい……」
「なんで平気じゃないと思われなきゃなんないわけ?どっからどう見ても全然大丈夫なんですけど。今朝だって唐揚げ食べたし」
「……えっ、いや全然大丈夫じゃないですよね……?」
「大丈夫なやつは突然黙らない」
「おめーが珍しくべらべらべらべら喋ってっから空気読んで黙っててやったんだろバカメガネヒノキバカ!」
「いづるが珍しく死んだ顔で黙るから喋ってやったんだろ」
「うるせえ正論ロボ上唇と下唇くっつけたままコンクリで埋めろ!ごちゃごちゃ喧しいんだよクソなーにが損失だ金塊三億円分落としてから言え!」
「……お前ほんとに大丈夫か?」
「なに心配とかしてくれちゃってんですか人心プログラムインストールしたから使いたくてしょうがないんですか〜!?クソ腹立つ!なんなんだよ大体、自殺!?はァ!?そんなことしてる暇あったら歌詞書け歌詞!馬鹿みてーにへらへら笑いやがっていちいち全部薄っぺらいんだよ!作詞欄見なくても聞けば一発でどっちが書いたか分かるわ!」
「ひ、ヒノキさん。ヒノキさんダメです」
「落ち着け。水飲め」
「超落ち着いてるんですけど?つーかなんなの?かっこいいと思ってんの?何人並みに行き詰まった感出してんの?なんかあるじゃん命の相談室みたいな電話するとこああいうとこに電話かけるとか思いつかなかったの?一人で抱え込んであの世に持ってくのがかっこいいとでも思ってるんですか?周囲への報連相ができないとか逆にマジクソカッコ悪いですけどそこんとこについてはどう思ってるんですか〜?」
「ダメだこれ。ほっとこう」
「な、投げ出さないでください」
「何がダメ?ああ全戦全敗の俺のこと?つーかそもそもこっちが勝手になにくそ負けてたまるかとか思ってただけであっちからしたらおやおやなんでちゅかねバブバブ〜って思われてたのなんかそりゃ分かってんだけどこういう終わらされ方すると流石に勝ち逃げに腹立たないわけないって言うか、三回勝ったなら三回挑み直す自由がこっちに与えられて然るべきだし?どんな方法で勝つかは負けた側の自由にしても?一応これさっきのヒノキに倣って言ってんだけど分かった?つーかだからそもそも勝ってるつもりもなかったんだろうけどじゃあ俺って今まで誰に対して何言ってきたわけ?え?俺ってもしかして空気にいちゃもんつけるタイプのヤバいおじさん?」
「誰も聞いてないのに宙空に話しかけてる。しばらくほっとこう」
「せっ、先輩!先輩、しっかりしてください!」
「もう無理ムカつくほんとに無理!何勝手に死んで伝説感増しちゃってんの!?誰も許してないんですけど!?つーか自分勝手だとか思わねーの!?まさかとは思うけどてめーが基盤になって全部作られてるとか一ミリも理解してなかった感じですかァ!?お前がいなくなったらこの先どうしていったらいいんですかねおめでとうございます元気にお幸せな頭でございますねえ!」
「ひ、ヒノキさん、先輩が壊れちゃう」
「いづる」
「ごめん帰るわ今日なんか何もできる気しねえから!」
「えっ!?」
「……真っ直ぐ帰れよ」
「コンビニ寄ってアイス買って帰るわバーカ!」



どかん、とすごい音を立てて閉じた扉に、沈黙が部屋を覆った。いやヤバいでしょ。どこからどう見ても大丈夫じゃない人だった。だって先輩が謝った。「ごめん」って。深いため息をついたヒノキさんに、助けを求めるように縋った。
「だっ、どっ、あれっ、どうしたらいいんですか!」
「知らん。本人が大丈夫って言うんだから大丈夫なんだろ」
「ダメでしょ!先輩があんなんなるの、」
「?」
「……なるの……」
あんなんなるのヒノキさんと一番でかい喧嘩した時ぐらいしか見たことない、と続けようとして、喧嘩の張本人に言うのも躊躇われて口を噤めば、尻切れ蜻蛉に言葉をなくした俺を見たヒノキさんが自分で「俺と揉めた時ぐらいか」と普通に続けた。そうなんだけど。平然としているヒノキさんが、所在なさげに頬を掻きながら眉根を寄せた。
「アンチはよく訓練されたファンって言うだろ。そこらのにわかより、いづるの方が余程詳しいし、しつこいし細かいし粘着質だし、聞き込んでる」
「……先輩、ちゃんと聞いてから文句言いますもんね……」
「ななせ、追いかけたら?」
「えっ、俺、あれ追いかけて平気なんですかね……」
「見てないところで何かされるより良いだろ。頭が冷えるまでは危なくないか?」
「それは確かに」
「近しい人間が自殺した直後は周囲の人間の自殺率が上がるらしい。自分が好きな有名人がそうなったとしても、同じような結果が出てる」
「へ?」
「俺はマネージャーに話がある。ななせはいづるを追いかけてくれ」
やることができた、と。ヒノキさんはこっちも見ずに零した。



「……あっ」
「……青もじゃマン……」
「先輩帰ってきたあ」
よかったあ、と体操座りをして丸くなっていたところからもそもそと立ち上がったナナセを見ながら、なんで頭も青いのに青っぽいもこもこした上着を着るのだろうか、尚更そういうゆるキャラじみてしまうじゃないのか、自分のデカさが人間より着ぐるみキャラクターサイズ寄りだということが分かっていないんだろうか?と思ったが、口に出すのが面倒になってやめた。あと寒いし。
「なに?俺帰るっつったじゃん」
「いやぜんっぜん帰ってこなかったじゃないですか……めちゃ探したんですよ……?」
「コンビニ行って帰るっつったじゃん」
「コンビニ寄るだけでそんな時間かかります?」
「ここから最寄りのコンビニまで5時間半かかるから」
「嘘」
「うるせバカ」
「っぶしっ」
「きったね!アイス食う?」
「さぶいからいらないです……」
ナナセが鼻をぐずぐずさせながらスマホを取り出して、あっ先輩いました、家に帰ってきましたよお、と一人で喋っている。電話か。相手は恐らくヒノキだろう。返事をする声が聞こえないので。
外は風が強くて寒かった。ちゃんと家に帰ると言ってから出て行ったはずなのになんでそんなに探されていたのかは不可解だが、まあいい。スマホを充電器に差し込むと、しばらく鞄に放り込んでほったらかしだったせいで、主にナナセからの連絡が溜まりまくってるのが見えて嫌な気分になった。連続でかけたって、出ないもんは出ない。
「どこ行ってたんですか?」
「コンビニ」
「……何してたんですか?」
「束縛癖強めな彼女?お前だけが好きだよ」
「ありがとうございます……」
「礼すんな気持ち悪っ、嘘に決まってるだろ」
「ねえ何処で何してたんですか」
「うるさいうるさーい。一発芸して」
「……………」
「そんな目で見られても俺は傷つかない。心が強いから」
「……怪我とかしてないですよね?」
「変態。人の服を勝手にめくっちゃいけませんって親か教師に習わなかったのか?斎藤家の情操教育どうなってんだよ」
「元気ならいいです先輩のバカ!」
適当に誤魔化し続けたらナナセがキレて怒りながら台所の方へ消えた。寒いけどせっかくだから解ける前にと思って買ってきたアイスを食べてたら、ぷんすかしながらあったかい紅茶を持ってきた。
「いらない」
「手とかめちゃくちゃ冷たいんですからアイスなんか食べてないであったかいもの飲んであったまってください!」
「猫舌だから飲めない」
「これ以上言うとアイスにかけますよ」
「飲みます」
「……先輩?」
「ん」
「あの……うーん……何度も聞かれるの、嫌かもしれませんけど。気分転換みたいな、そういうなんかあれ、できました?」
「……なんで?」
「だって。そりゃ……その。さっき、めちゃくちゃショック受けてたから……」
「我妻諒太が自殺したから?」
「……そうでしょ?」
「んー。ショックっていうか、ほんとに腹立っただけだから、もう別に」
「……ええ……?」
「なんだよ」
「いやあ……」
心底疑わしげな目で見られたけれど、本当のことだ。何度も聞くなうるせえバカ、と一蹴してしまうことは簡単だけれど、おいしいアイス食べて気分いいし、あったかい紅茶で冷え切った指先も血の巡りを取り戻してきたし、なにより玄関の前で震えながら丸まってたナナセがちょっと面白かったし、待たせてたのが自分だということも重々承知の上だし。何度も鳴ってるスマホを無視してふらふらしてた間に一人で頭の中を整理したことくらいは、話してもいいと思う。
「勝ち逃げだと思うのは本当だよ。そもそもにして勝負になってなかったのも、分かってるけど。今のままじゃどう足掻いたって絶対に勝てないのも知ってる。なにを基準にして勝ち負け決めてんだかは分かんないけど、全体的に負けてるだろ、俺らの方が」
「世間的な人気とかそういうのです?」
「それも。あと技術的にも。だから相手にされてなかったんだろうな。だから、勝手に死んだ奴も俺のこと友達だと思ってた」
「……寂しくないんですか?」
「全然。むしろムカつく。ずっと苛々してる」
「……そ、そうですか……」
「ああ〜岸伊弦くんの作った曲を俺も歌いたかったな〜羨ましいな〜大きい会場回しててかっこいいな〜あの時死ななかったらあの場所に俺もいられたのかな〜いいな〜すごいな〜!って思わしてやりたい」
「先輩ってそういうとこ歪んでますよね」
「あ?」
「みんなそう言うと思います」
「みんなって誰?ナナセの頭の中のナナセ?」
「そしたら俺多重人格じゃないですか」
「そんなようなもんだろ」
「……もう新曲聞けないのも、我妻さんに会えないのも、俺はちょっとなって思います。これが寂しいなのか悲しいなのかは分かりませんけど」
「どっちもだろ。人一人死んでんだから」
「先輩も?」
「俺はムカつく」
「そこは揺らがないんですね……」
「あいつらどうすんだろ。あのボーカル以外有り得ないだろ」
「うーん……」
「お前が言ったみたいな、代役を立てて続けるってのは無し。絶対ない。それだけはマジでない。あのなんかでかくて頭赤い人がやらないと思う」
「なんでですか?」
「意味がないからだよ」
有名になりたいだけなら、別にあのボーカルじゃなくても良かった。万人受けを進み続けるのは、新しいファンの獲得よりも「昔の方が良かった」「もう聞き飽きた」なんて無責任な意見に晒されることの方が多いと思う。それでも奇を衒わず道を外れずに、と思ったけど変なことはしてたか…女装してMV撮ったり変なドッキリやったり楽屋隠し撮りされたりしてたな…まあ大まかに見て大体、楽曲の八割、パフォーマンスで言えば九割は真面目にやってたようには見えたから。曲調や歌詞はもちろん、メロディーラインと後ろの演奏のバランスとか、そういうところでも全部があのボーカルを引っ張り上げていた。どっちだろう。あのボーカル「が」周りを引っ張っていたから、最終的にああいう形に落ち着いたのかもしれないが。どちらにせよあのバンドの今の立ち位置は偶然でもなんでもなく、そうであれと作られているプロデュースの賜物だということだ。誰がどう仕組んだと言うよりは、うまく軌道に乗った、の方が近いだろう。だから、それを全て一瞬で台無しにする「ボーカルの自殺」には、流石に腹も立つ。他人の努力を全くもって理解していなかったわけだから。馬鹿だとは思っていたけれど、そこまでとは思わなかった。一度潰れた後に、力量が釣り合うという共通点しかない全く違う誰かを同じ場所に据えて、一緒の曲をやってみろ。それこそ「昔の方が良かった」の嵐だろう。それを踏まえて要するに、意味がないのだ。そんなようなことを、うまく言語化できたかは分からないがナナセにつらつらと喋っていると、頷いてはいるものの目の中がはてなマークでいっぱいだった。分かんないなら分かんないって言え、お前も大概頭悪いな。
「ナナセ、要約して」
「……先輩は自分が思ってたよりあの四人のことが大好き!」
「違う。死んでやり直せ」
「ええ……だって今のほぼ告白だったじゃないですか……」
「萎えた。寝る。出て行け。おやすみ」
「でもヒノキさん来るって」
「は?なんで?」
「連絡きました。ほら」
「今日は閉店だって言って」
「きょう、は、へい、えん」
「それじゃ動物園になっちゃうだろうちはモンキーワールドか腐った池みてえな青しやがって!」
「うえええん」
言い間違っただけじゃないですかあ!とナナセが泣いている間に、玄関を開けようとしたものの鍵がかかっていて引っかかった音がした。なんで鍵開いてると思ったわけ?こちらにも防犯意識というものがあるので、鍵は基本閉まっている。人間何年目だ。いい加減鍵の存在を覚えて欲しい。開けてやれば、珍しく息を切らしているヒノキが目の前にいた。
「うわなに」
「疲れた」
「げんきげんきヒノキのわくわくがんばれマラソン回?」
「殴る」
「ぶええやめろ!なんでお前はすぐグーを人の頬にめり込ませるんだよ!凹んだらどうすんだ話聞いてんのか」
俺の必死の説得をガン無視したヒノキがずかずかと入って行って、勝手にパソコンとかいろいろつけて弄り始めたので、まだめそめそしているナナセの髪の毛で遊んだ。自分じゃうまくできないので、練習も兼ねている。きっちり結ばれていたせいで変な風にくるくるの癖がついていたので、いっぱい三つ編みを作ってたら、ヒノキが急にこっちに向かって話し出した。せめてこっち向けよ。でかい独り言なのか俺に向かって話しかけてるのかの区別がつきにくいんだよ。つーか今俺ナナセの頭をいっぱいの三つ編みにしてから解いてぼさぼさになったところを笑ってやろうと思ってるから忙しいんだけど。
「三ヶ月ぐらい前に没にしたあの妙に明るい曲のデータはどこだ。躁鬱の躁状態の時に作ったとしか思えないやつ。明るすぎるから気持ち悪くて没にした」
「イラつかせたいなら言って。今すぐにここで暴れてあげるから」
「歌詞も考えてたろ、出せ」
「そこになければないですね」
「明日の昼までに録って投稿する」
「は?なに?」
「マネージャーにも許可を取った」
「なにて?」
「だから真面目に探さないと苦しむのは自分だぞ」
「だからなにが?」
今のこの混乱の中ではヒノキの要点しか買い摘まない喋り方は全く意味が伝わらないので、俺が出て行ってから何があったのかを一から説明させる必要があった。なんて面倒なんだ。早く人間になってくれ。
まず。俺が出て行ってすぐ、ナナセが俺を追いかけに行き、ヒノキはその足でマネージャーのところへ行ったらしい。これこれこういう事情で今岸が出ていきまして、と説明した上で「新規で一曲、ショートで良いので近いうちに作ってSNSに投稿していいですか」と聞いた、と。その「近いうち」が「明日の昼までに」なわけだ。バカか?時間感覚ほんとどうなってんの?今までも頭おかしいとは思ってきたけど、今回ばかりは本当に引く。もしかしてお前だけ1日が80時間ぐらいあるの?俺にもその魔法かけて欲しい。それはそれとしてまあ、許可はされたらしい。ただ、事務所も違う、公式の声明もこちらとしては出していない、という状況下なので、これは例の自殺を受けてやってていることだとか余計なことは言わず、ただ「出来たから見てください」くらいにしかできないがそれでもよければ、ということらしい。幼稚園児がお絵描き上手にできた時のやつじゃん。いや別に良いけど。悼むつもりもない。ただヒノキには勝算もあったそうで、それに当たるのがさっき言ってた、三ヶ月ぐらい前に作ってた変に明るい曲、になる。
「あれなら歌詞もある。細かい譜起こしはしてないけど、まあなんとかなるだろう。いづるが作ったのだし。時間がないから出来る範囲で出来る限りのことをする方向でいこう。ここまでのことをやると目標を決めると達成できなかった時が痛いから」
「……………」
「……………」
「どうした。ちゃんと聞いてたか?」
「……はい、ヒノキさん」
「ななせ」
「明日の昼っていうのは、明日の昼ですか?」
「そうだ。昼といっても時間帯が広いので、分かりやすいように12時をリミットにした」
「……………」
「……はい。ヒノキ」
「いづる」
「別にそれは仕事じゃないんですよね?強制ではない?」
「いや。マネージャーに話を通してしまった以上、趣味の範疇じゃない。仮にも事務所が運営してる公式のアカウントを使うわけだし」
「……………」
「……………」
「で?どこに音源はあるんだ?」
「……………」
「……………」
「惚けてる暇はないぞ。時間ないんだから」
「誰のせいで過去最高に時間ないと思ってんだバカどんな約束取り付けてくれちゃってんだクソメガネ!外付けハードディスクに全部突っ込んであるけどどのフォルダにあるかなんて忘れたどれだよちょっともうそこどけバカ俺が探した方が早い!」
「探してくれ」
「あ、明日の昼?明日の……明日?あと何時間……えっ?今まで一回もやったことないのに?俺そのデモ聞いたことあります?」
「分からん」
「聞いたことないかもしれん」
「もしダメだったら土下座するので今のうちに許す準備しといてくださいね」
「ああもうどれだよ!誰!?こんな整理もしないで作ったの片っぱしから突っ込んでんの!タイトルぐらいつけろよ!イントロドンか!?」
「ピアノ入ってたと思うけど削って三人だけで出来るようにするから。あとは打ち込みの音源と合わせて何とかする」
「どれ、あっこれか!?これ!?」
「違う」
「俺頭変なんで家から出たくないです」
「うるせえ青もじゃ黙れ!覚えてるわきゃねーだろ没にした曲だぞ!俺が消してたらどうすんだよ!」
「お前らしくないのに妙に気に入ってたから絶対消してないと思う」
「謎の信頼!どれだ三ヶ月前にテンションめっちゃ高かった時の……これ!?」
「そう。パートで分けてこっちに送ってくれ。事務所の防音室、1時間後から明日の10時半まで借りてある。11時から1時間レコーディングの方でとってある」
「用意周到!ナナセ出る準備しろぼーっとしてんな!」
「今すぐ意識失いたい」
「そのまま死ね!送った!なんでこれ!?」
「ここ最近の没の中でお前が一番執着してたから自信があるんだと思った。あとは状況的にいつもと同じ毛色の曲よりも、思い切り寄せた方が聞く層が広がると思った。どう話題になろうと知ったこっちゃないから、取り敢えず物は試しかと」
「乗っかる気満々じゃねえかハイエナ!ジャッカル!ハゲワシ!」
「かっこいい」
「満足げにしてんじゃねーぞ横取り大好きスカヴェンジャーっつってんだ嫌味言ってんの分かります!?つーかなんでそんなこと突然すんだよ!流行りに乗ろうと思ったのか!?話題が欲しけりゃ何でもやるのか!?絶対そうやって言われんぞ!」
「何でも、ではないけど」
心底不思議そうにきょとりとまばたきしたヒノキが、俺を見て言った。当たり前だろうって声で。
「いづるが、そういうの一番好きだろうと思って」

次の日の昼。ほぼ寝ずに詰めたせいで全員顔面蒼白で顔色は最悪、ギリシャワー浴びれたかどうかレベルなので髪はぼさぼさ服もよれよれ、これが終わったら全員その場で溶けて寝ると決めているので一発で決めようと必死になって鬼気迫っている、というコンボを決めながら無理矢理録画して投稿してからその後の記憶が一切ない。なんとか自宅までは帰ったらしく、目覚めるとマネージャーから連絡が入っていて、体感で言うとついさっき上げたはずの投稿への通知でスマホがバグっていた。一番事務所から近い我が家に辿り着いたところまでしか全員の体力が持たなかったのだろう、ヒノキの足とナナセの頭らしきものがその辺に転がっているのが見えたので、とりあえずスマホの電源を切ってもう一度横になった。もう知らん。こんなに頑張ったのにぶっ叩かれてるの今すぐ見たらしばらく立ち直れないからあと二週間ぐらい寝かせてくれ。



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