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おはなし



「どらちゃんてどこに住んでんの?」
「……………」
「……あれ?ねえ、どらちゃんてどこ住んでんの?」
「……………」
「どらちゃあん!」
「耳が死んだ」
ボーカルくんには無視したところで「あんまり都合良くない話だったのかな…」と察する能力とかないので、普通に聞こえてないだけだと思われて耳のめちゃくちゃ近くですげーでかい声出される。そんなこと重々分かっているのだけれど、とりあえず無視したくなるので仕方がない。同じタイプに、仕事が被ると自分のメンバーをわざわざ撒いてから色々聞きに来る眼鏡の人がいるけれど、そっちはそっちででかい声とか出さない代わりに同じトーンで同じことを何十回でも言いながら背後をずっとついてくるので、悪霊みたいで嫌だ。人の話を聞かない人間ってなんでみんなそうなんだろう。話聞けよ。
「ねーどこ住んでんの?」
「出会い厨じゃん」
「彼氏いんの?LINEやってる?」
「いません。やってません」
「かわいいね〜!ねえちょっと付き合ってくんない?別に何にもしないって!」
「え〜〜〜」
「ちょっとそこまで!ちょっとだけだから!」
「どおしよっかな〜〜〜」
「ねえ気持ち悪いからやめてよ」
「うん……」
スマホ見てたはずのギターくんがこっち向かずに投げた一言でボーカルくんがものすごく傷ついて項垂れている。珍しく機嫌が悪いな。腹でも下したんだろうか。こいつが腹下すようなもんだったら食べてる時点で周りの人間が死ぬと思うけど。素直に不思議だったので「今日お前機嫌悪いな」って聞いたら、アンケートまともに答えろって言ったのは誰だよ!と蹴られた。そうだっけ。いつも頓珍漢なことか適当なことしか言わないからそうしたのかもしれない。自分ならそうする気がするが、はっきり覚えてない。自覚がないので無罪だろう。ギターくんはボーカルくんより少しだけ知力があるので、それなりに考えようとしているらしい。ボーカルくんには絶対無理だ。絶対無理なことが分かっているので、ギターくんだけにアンケート用紙が渡っているのではないかとすら思う。スマホ見てたのも別に遊んでたわけじゃなくて、俺が忘れている過去の俺が指示した通りに頑張って考えているだけだったようだ。えらい。ぶつぶつ「終わったらステーキ……」「終わったら寿司……」「ラーメンに天津飯と餃子のセットと油淋鶏をつける……」と唱えているのが聞こえたが、気のせいだろう。過去の俺はもしかしたらまともなアンケート回答を生み出すことと引き換えにこのバケモノ胃袋になんらかの飯を食わせる約束をしてしまったのかもしれないが、忘れているのでノーカンで。だってマジで覚えてないもん。酒の席の話とかだったんじゃないの。そんなもんまともに取り合うなよ。まあまともな回答はしてほしいので、今のところは放置しておくが。
なにもすることがないらしいボーカルくんがしつこく構ってくるが、俺も今は暇なので相手をする。ギターくんかわいそうに。
「家」
「ない」
「それが嘘だってことぐらいバカの俺でも分かる」
「自覚あるバカって生きてて楽しい?」
「超楽しいわ!今が今までで一番楽しい」
「それ毎秒思ってんだろ」
「そう。なんで分かったの?」
「記憶能力が持たないんだろうなって……」
「だってさあ、俺の家みんな知ってるのにみんなの家俺知らないのずるいじゃん」
「……それもそうか」
「でしょお?」
適当な住所を教えておいたら、律儀にマップで調べたのか数分後に「ここ公園なんだけど!」と絡みつかれたので振り払って床に転がしておいた。暑苦しい。
「家じゃないじゃん!嘘つき!」
「家だよ」
「公園だよ!」
「自然を毎日満喫したくて住み始めたんだ」
「虫ダメなくせになにが自然だよ!」
「平気になった。虫大好き」
「……くそー!」
叫んだボーカルくんが部屋から飛び出して行ったので、放って資料を読んでたら、ドタドタ帰ってきた。ここは事務所で、ベースくんは別室で取材中のはずなんだけど、あのドタドタは迷惑じゃないだろうか。ベースくんがいる部屋だけ防音であれ。あの足音で声かき消されてそうだし。
「どらちゃんほら!ほらお友達だよ!」
「なに?うわっ」
「ギャー!あっ飛んでっちゃった」
「なんなんだよ!」
「虫大好きになったんでしょお!?」
「目の前に突然突き出されたらいくら大好きでも払い除けるだろ!」
「そんなことしませんー!俺は目の前にからあげが突然出てきたら食べますー!」
それはただの頭が悪い人だ。そんな怪しいもの食うな。言い返すのも面倒になって、ボーカルくんが外から握りしめてきたなんらかの虫を見上げる。蛍光灯に向かってめちゃくちゃ体当たりしてんだけど。羽音もうるさい。あれを突然目の前に出されてまじまじと観察できるほど冷静な人間じゃないので、とりあえずボーカルくんの手を叩いてどっかにやったのだが、虫なので飛んでいってしまった。失敗。俺が黙って上を見ているので、ボーカルくんも黙って上を見るようになってしまった。見てないでなんとかしろ。
「……………」
「……………」
「……ボーカルくん。責任とって」
「えっ……俺どうしたらいい……?」
「捕まえて殺せ」
「歴戦のヒットマン?」
「叩きのめして。素手でもいいから」
「素手は俺もやだ」
「じゃあ何使うんだよ。使うものなんかないだろ。自らの手以外」
「どらちゃんのが背高いんだからどらちゃんが捕まえて外に逃してあげてよ」
「は?ボーカルくんが捕まえてきたんだから最後まで責任持って看取れ」
「なんでずっと殺す前提なの……あ!どらちゃん虫平気になったんでしょ、俺別に虫とか得意なわけじゃないし大好きでもないからそしたらもうどらちゃんが捕まえるしかないね」
「は?虫とか生まれてからずっと嫌いなんだけど。全種類滅べばいいと思ってる」
「あああ!もう!わああああ!」
「わー!がんばって書いてるんだからー!」
「ごめん」
「りっちゃんも静かにして!」
「ごめん」
ボーカルくんが言い返す言葉に困った挙句頭狂って机を叩いたのでギターくんに怒られた。なんで俺まで。
虫がうるさいが俺にはもうどうしようもないので、とりあえず窓を開けておいた。勝手に出て行ってくれ。依然として暇らしいボーカルくんが、うだうだと絡んでくる。一人で黙って暇を潰すことはできないんだろうか。俺は出来る。だからほっといてほしい。そう言ったところで無駄な労力を使うだけなのでしない。
「家……」
「しつこいな」
「べーやんは教えてくれた。今度ねこちゃん見に行っていい?って約束もした」
「俺の家犬五匹と妹が十二人とばあちゃんが八人いるからボーカルくんが上がれるスペースないよ」
「どんな家庭環境?」
「詳しく聞かないで」
「うん……どらちゃんも大変なんだね……」
「そう思うならあの虫どうにかして」
「こないだ久しぶりに自炊しようと思って」
「なあ。虫」
「窓開けて野菜炒め作ってたらハチが飛び込んできてキャベツに絡まって死んだ」
「じゃあもうここで野菜炒めろよ。あいつも飛び込んで絡まり死ぬかもしれないだろ」
「火がないから……」
「ライターで良ければ」
「炒まるかなあ」
「油撒けば?ここら辺一帯」
「俺それ知ってる。放火魔」
「あ。出てった」
「燃えるのは勘弁っすね!っつってたよ」
「虫語分かるようになる前に日本語マスターしてよ」
「しとるわ!日本人だぞ!」
「敬語には尊敬語と謙譲語がありますが、「わかる」を目上の相手に対して使う尊敬語に変換するとどちらが正しいでしょう。一番、お分かりになる、ご理解いただく。二番、かしこまる、承知する」
「お……おかわり……まる……?」
「日本語力ゼロ」
「突然クイズ出されても分かるわけないだろ!おかしこまりになり申して候!」
「タイムスリップ失敗武士」
ギャグ漫画でも出てこないタイプのやつ。虫が出て行ったので窓を閉めて、何の気無しにギターくんがちまちま書いてる紙を覗き込んで、固まった。クリーチャーが見えた気がするんだけど。
「……なにそれ?」
「えー、ねずみだよ」
「……齧歯類が好きなんだな」
「ゲッシルイ」
「なんでもない」
「ぎたちゃんまた絵かいてんの?うわ」
「うわって言った?」
「言ってない言ってない……」
「アンケート用紙に落書きすんな」
「落書きじゃないですー。マネージャーさんか
ら好きな動物みっつ書いてって頼まれたんですう」
「ねずみと?」
「これはへび」
「なんで蛇が球体になるんだ?」
「まるまってるから」
「これは?」
「チーター」
「えっ!?ライオンじゃないの!?」
「違うよお」
「たてがみあるじゃん!」
「たてがみじゃないよ!毛!」
「気持ち悪」
「りっちゃんとボーカルくんが騒ぐから集中できなかったの!」
「お前の絵の下手さを俺たちのせいにするな」

ギターくんのクリーチャーに上書きされて忘れていたが、ボーカルくんに家はどこだとしつこく聞かれていたんだった。思い出したのは帰りの電車の中で、それとほぼ同時に、そういえばさっき解散する前妙に「今日ってこのまま家に帰るんだよね!?」ってうるさかったな…とボーカルくんの顔が頭をよぎった。どんだけ家が大好きなんだ、と呆れていたし自分も早く帰りたかったから特に重視しなかったけれど、恐らくあれは最終確認だったのだ。直接家になんて帰りませんけど?って言っとけばよかった。
だってボーカルくんいるもん。隣の車両の一番こっち側にいる。動きがわさわさしてて無駄にでかいからすぐ分かる。頭が金色なのでベースくんもいる。ギターくんは特徴ないから分からん。二人いればギターくんもいるだろうけど、あんまりまじまじ見てると、こっちが気づいたことにあっちも気付きかねない。それはそれで面倒なので、気づかなかったふりをして適当なところで撒くしかない。乗り換え駅までまだもう少しあるけれど、次の駅がちょうど良く他の路線との接続がある大きめの駅だから降りよう。買い物したかったからちょうどいい。駅ビルで事足りると思う。もし買い物中に撒けなかったら家に帰るのと別の路線に乗って適当に散らそう。家までついてこられるのだけはごめんだ。
降りる直前でわざと一つ奥のドアに移動して撹乱を図ったのだけれど、エスカレーターでちらっと後ろを確認したら全員いたので、失敗だった。せめて一人くらいはノロノロしてて降り損なえば良かったのに。なんなら全員いなかったら普通に次の電車に乗れたのに。まあいい。買いたいものは生活必需品が少々程度なので、適当に探そうと思う。重いものは出来れば家の近くで買いたい。
「え!?こんなんまで100円なの!?」
「……………」
百均に入ったらボーカルくんのクソでかい声が棚を貫通して聞こえてきたので、あの人たち全く隠れるつもりないよな…と思った。もう少し隠密に動いてほしい。仮にも俺に秘密で尾行してるつもりなんだろうし。別にいいけどさ。ボーカルくんはもしかしたら未開の地出身で、100円ショップなるものに来たことがないのかもしれないし。
それからしばらく駅ビルをうろうろして、ふと気づいたらいなくなってた。どこで見失われたんだかすら分からん。とりあえず撒けたなら良しとするか。時間潰しをする手間が省けたとちょっと足が軽くなりながら電車に乗って、次が自宅最寄り駅というところで。
「……………」
「あっやべ!今目合った」
「へーきだよ、あの辺見てるから」
「今絶対目合ったよ!どらちゃんの髪の毛逆立ってたもん」
「えー。俺とは目合わないもん」
「それはぎたちゃんが目開いてないから」
「し、静かにして……!」
なんで声が聞こえる至近距離でバレてないと思うんだろう。いやここまで気づかなかったのは俺だけど。だって絶対同じ駅から乗ってきてるわけだし、ていうか自分が気づかなかったのもすごいな。なんでだ。電車乗る前にホームのカフェで買ったコーヒーが思ったより美味しかったから、これ美味しいなー当たりだったなーと思ってぼーっとしてたけど、まさかそのせいだろうか。耄碌している。自覚よりも数倍疲れてるのかもしれない。ベースくんが青い顔で二人を止めてるのがいっそ笑える。それならもっと離れるとか隠れるとかしろよ。
まあこれで自宅の最寄り駅で下車するルートは無くなったわけだ。ギリギリだが、気づけて良かった。なんで家に帰るのにこんな目に遭わなきゃならないのかはボーカルくんを問い詰めて締め上げれば分かるかもしれないが、特に理由なんてない可能性も高いので、無駄な力は使いたくない。なんだかどっと疲れて、下手に買い物とかして撒こうとした自分が馬鹿らしくなって、最初からこうすりゃ良かったとスマホを取り出した。
「……………」
「……?」
「……………」
「……!」
一番意味が通じそうなギターくんに『腹が減ったから次の駅で降りる』とだけ送信し、ちょうどよく目があったので手でポケットを指してスマホを振れば、理解できたのか自分のを引っ張り出して確認し、頬に「空腹」と買いてある笑顔でこっちを見た。買収は成功したようだ。ボーカルくんとベースくんは気づいていないらしい。それで駅に着いたので、普通に降りて改札へ向かうと、ぺたぺた走ってくる音がした。
「ラーメンラーメン」
「嫌だ」
「ぎたちゃんなにしてんの!バレちゃうでしょ!」
「じゃあ焼き鳥」
「えー……」
「ねえ!バレちゃうってば!」
「も、もう絶対バレてる、ごめ、ごめんなさいっ、あの、別にその、やましい気持ちじゃ」
「魚の気分なんだけど」
「肉」
「魚」
「肉」
「さか」
「おにく」
「いって!首の後ろを突然叩くな」
「聞いてる?どらちゃん」
「肉。絶対に肉」
「分かったよ……」
「イエーイ調べよ」
「どらちゃん怒ってないの?」
「怒るも何もハナからバレバレだし」
「え!?嘘!」
「逆になんでバレてないと思ったんだよ」
「えっ、だってどらちゃんと目とか合わなかったし……こっち見なかったじゃん、どらちゃんも……」
「ボーカルくんがこっち見てない時に確認してるに決まってるだろ」
「そんな時ない!」
「あったんだよ。下手だったから」
「ここがいい。大きい肉」
「要予約って書いてある。よく見ろ」
「して!予約!なんでかっていうとりっちゃんは俺が頑張ってアンケート書いたのをねぎらわなければいけないからです」
「今日の今日じゃ無理だって……」
「俺のどこが尾行下手だったの?」
「……まず三人でいるところ?」
「尾行って数少なくなきゃいけないの!?」
「バレるだろ……あとどこからどう見てもボーカルくんなとことか……」
「変装。なるほどね」

と、言っていたからそれなりに学習したのだろうなとは思ったけれど、全くそのままその通りに実行するとは流石に思わなかった。馬鹿は期待を裏切る。あとやっぱ隠れんの下手だし。丸見えなんだって、ずっと。
「……………」
でも本人としては隠れているつもりなんだろうな。なにしてんの?って聞いたらあまりに可哀想かな、とすら思った。
ボーカルくんが背後の席に隠れている。窓の反射で丸見え。夜ご飯も差し入れで出て、その後で解散してるから、今日は飯行こうともならなかった。だからここに座って一息吐くまで気づかなかったんだけど。だってまさかまた尾け回されてるなんて思わないだろ。三人だと見つかりやすいというのは覚えていたらしく、ここから確認できる限りだとボーカルくんしかいない。あと、なんか変なサングラスかけてる。100均で買ったんだろうか。そしてあれは恐らく変装なんだろうな……俺がアドバイスしたばっかりにボーカルくんがあんなことに……と思いながら見ていたらついに臨界を迎えたのか咄嗟に笑いそうになって危なかった。見るのやめよう。気づかれていることに気づかずに真面目な感じで隠れてるのが面白すぎる。
もう面倒くさいからボーカルくんについては特に触れずに放っておくが、俺はここで人と待ち合わせをしているのである。だから関わってられないというわけで。窓から目を逸らして時計を見れば、待ち合わせの時間を過ぎていた。相手はいつも遅刻するのであまり気にしない。予定を詰め込んでいる時には会わないようにすればいいだけなので。期間限定と書いて飾られている紙をぼんやり見ながら、チョコのパフェは好き寄りなのにどうしても常にバナナと隣り合わせなのが頂けないなと思うなどしていたら、ぱたぱたと駆け寄ってくる足音がした。バナナ食べたい時とチョコ食べたい時は別物だろ。それとも世の人間はチョコ食べたい時とバナナ食べたい時が絶対的にイコールで結ばれているんだろうか。
「早!またあたしのが後じゃん」
「……時間過ぎてんだけど」
「え?嘘」
「嘘じゃない」
「なにこれクリームソーダ超いろんな色ある可愛い!何色にした?」
「コーヒーにした」
「あたしピンクにするから青にして」
「ええ……」
というか話が終わったら店を出たい。背後から見られているので。頼んでいい?とボタンに指をかけて首を傾げられたので、今じゃなくていいと手を横に振れば、「まあそれもそう」なんて言いながらあっさり引かれた。もっと友達と一緒に来た時とかにしてくれ。通りかかった店員にアイスティーを頼んだ相手が、鞄を開いてさくさくと話を進める。最初からそうしてほしい。
仕事に近い話題は大変あっさり終わったので、ここにいる意味が全くなくなった。「ラフできた。はい」「分かった」以上、だったので。クリームソーダのことは忘れたらしく、すぐに届いたグラスにガムシロップをどばどば入れながら口を開く。飲みたいのアイスティーじゃなくてガムシロップだろ、それ。
「なんでいつもスーツなの?」
「仕事帰りだから」
「いや仕事じゃない時も基本スーツじゃん……それ以外服持ってないの?」
「仕事じゃない時は着ないけど」
「全裸ってこと?」
「違う服を持ってるってこと」
「あたし見たことない」
「見せたことない」
「なんで?恥ずかしいの?もしかして趣味悪い?選んだげよっか」
「解散」
「嘘です見たことありますう……」
しょぼしょぼしている様は面白かったので、グラスの中身が空になったのを確認して、席を立った。早いな、と思ったしそう口に出してしまったけれど、「は!?急いで来てやったんだから喉渇いてたのしょうがないでしょ!」と騒がれたので、聞こえないふりをした。急がないように予定を調整して欲しい。
「車?」
「車」
「家?」
「えー片付けてないー」
「じゃあいい」
「でも基本片付けてないから片付けてから人呼ぶとかきちんとしたことやった記憶今まで一回もない」
「……はあ……」
「え?なんで溜め息?ごちそうさまでえす」
にっこりしながら手を合わせられて、財布を開く。店を出るなり腕を絡められたので、振り払う気力もなくされるがままに歩いた。車っつってたし。駐車場までは案内してもらわないと。
そういえばボーカルくんはどうしただろうと思って振り向いたら、電柱の影に体を隠して顔だけ覗いてるのがばっちり見えてしまったので、一応ピースしておいた。ムカつくかと思って。
「なに?」
「なんでも」
「なんにもない場所に向かってピースすんの気持ち悪いからやめた方がいいよ」
「分かった」
「うわ顔良っ……突然笑うのやめてよね……」

次の次の日。ボーカルくんに会うなり、言葉にならない叫びと共にしっかり腰が入ったタックルを決められたので、2日前のことをすっかり忘れていた身としては本当に意味が分からなくて、尻餅ついたまま普通に固まってしまった。ベースくんがめっちゃ震えながら笑いを堪えてたのが一番腹立った。いっそギターくんみたいにゲラゲラ笑って欲しい。
「くそー!今日こそまともに家に帰れよ!どらちゃんなんか大っ嫌い!」
「……ああ……忘れてた」
「しかもまたバレてたし!なんで!?」
「いやだって、ボーカルくん隠れるの下手だから。分かんないの?」
「それは俺も思ってた」
「ぎたちゃん!?」
「そう。ベースくん」
「ヒッ」
「ベースくん」
「な、何もしてないです俺は、何も」
「もう二歩こっち来て」
「い、嫌」
「べーやん嫌がってるだろ!俺が行く」
「邪魔」
「ギャー!足引っ掛けるの無しってこの前約束したっていうかえっ嘘なんでその距離から足届くんだよ!」
「足が長いから」
「くそー!折れろ!」
「前ヒビ入ってたよ」

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