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通常運転




「はあい」
「待って!どらちゃんがチャック開いてる!」
「開いてない」
「嘘!ベルトここに落ちてるもん」
「チッ」
「もうTシャツで隠れてるからチャックぐらいいいよ」
「……それ露出狂の考え方なんじゃ……」
「ベースくんは俺のこと露出狂だと思ってるんだ?」
「ヒッ」
「違うならちゃんと服着てよ」
「暑い」
「開けていい?」
「いいよ」
「いいよー」
「どうぞお」
扉を開けたら、ヨシカタくんがいた。おつかれさまですこんばんは!とはきはき言われて、こんばんはあ、と体を引けば、おじゃまします!って元気に入ってきた。げえ、なんてりっちゃんの声がしたけど、無視無視。りっちゃんはヨシカタくんに冷たいから。俺は仲良しだもん。あのこれ、と差し出されたおっきめの紙袋。これボーカルくんが好きなやつじゃん、なんかお高いアイス。果物がごろごろ乗っかってて、滅多に食べれないって言ってたやつ。
「差し入れです!」
「ありがとおー。ボーカルくん、はい」
「えーありがとー!冷たい!なんで!?」
「お願いして冷やしといてもらったんです」
「すげー!嬉しい、食べよ食べよ」
「あのっ、えへっ、かっこよかったです!」
「ありがとー!」
「ぅ、ありがとうございます……」
「……かっこよかったです!」
「うわこっち来た」
「三曲目のアレンジあれ新しいやつですよね聞いたことなかったです!」
「来んな」
「秋さんが作ったんですよね?ピアノ癖あるから分かりました俺も弾けるようになりたいなって思ったんですけどあれ難しいんですか楽譜とから誰に言ったら貰えるんですか」
「ベースくんパス」
「えっ、え、あの、吉片さん」
「はい!」
「えっと……ええと、キーボードの人に、声をかけておいたら……いいですか……?」
「俺言っとこっか?」
「貰えたら明楽に弾いてもらいます!」
「ウケる、自分じゃないんだ」
「はい!俺は楽器ダメなんで!」
スピード感がすげえ。最初の感想で返事しないから追われることになるんだと思う。ずかずか早歩きで逃げた挙句ベースくんを盾にしたりっちゃんと、小走りでしっかり追いかけてるヨシカタくんを見ながら、そう思った。アイスの箱を開けて、どれにする?と決めてたら、逃げながら俺の後ろを通ったりっちゃんがぱっとなんか一個取ってったので、ずるくない!?みんなで話し合って決めない!?ってボーカルくんがでかい声で言った。言ってる間にりっちゃん勝手に食べてるし。歩き食べは行儀悪いんだぞ。
「ごちそうさまでした」
「クソ早」
「何食べたの!?まさか期間限定のやつじゃないよね!?」
「梨入ってた」
「はあー!それ俺食べたかったのに!どらちゃんのバカ!もう全裸でいてもほっとくから!捕まれ!」
「いいよ」
「ボーカルくん一番に選びなよ」
「……みんなは何食べたいの……?」
「なんでもいい」
「お、俺もなんでも……」
「……いちごとブルーベリーのやつ……」
「ベースくんなにがいい?」
「え、俺、どれでも、ギターくんは……?」
「俺もどれでもいい。ヨシカタくんは?」
「へっ、えっ、俺いいですよ」
「今こいつスマホ構えてなかった?」
「マンゴー苦手って言ってなかったっけ。チョコにする?」
「俺マンゴー食べれます」
「じゃあベースくんから決めよ。年齢順ね」
「すげー美味い……泣きそう……」
「今こいつスマホこっち向けてなかった?」
「え、ええと、じゃあ、オレンジのやつ……」「俺いちごとバナナのやつにしよー」
「えー、ほんとにもらっていいんですか?」
「いいよお」
「うまいよ。食べなよ」
「チョコのいただきます!」
「俺って透明人間になっちゃったの?誰も聞いてくれない」
「見えてますよっ」
「お前に話しかけてない」
「本当においしい……泣いちゃう……」
とりあえず一人一個ずつ選んで食べながら、あと一個ずつぐらい残ってるけどどうする?今食べる?でも今食べないと溶けない?とか話してたら、ちょうどマネージャーさんが来た。どうもこんばんは、来てくださってありがとうございます、とヨシカタくんに軽く挨拶して、りっちゃんとなにやら話している。りっちゃんに用事がある時は俺にはなーんにも分からない用事であることがほとんどなので、ほっとこう。話を終えたマネージャーさんが、ベースくんともちょっと話して、それじゃあまた後で、と出ていった。その途中アイスを見つけて、冷やしときましょうか?って。ありがとうございます。
「おいしかったです。ごちそうさまでした」
「ほんと。ありがとー」
「めっちゃ美味いけど自分で買うには高いんだよなー」
「また買ってきますね!」
「やったあ」
「あっ新曲生で聞けて本当に感動しました……普通に気づいたら涙出てて自分でもびっくりしちゃった感じで……」
「なんかあったの?」
「なんにもないんですけど」
「精神科に行け」
「どらちゃんの野次は無視していいからね」
「マジで……先行配信で聞いた時も車の中でめっちゃ泣きかけたんですけど……三滴ぐらいで我慢したんですけど……」
「我慢できてないじゃん……」
「……めーっちゃ好きです……話してるだけでフラッシュバックで泣きそう……」
「ヨシカタくん疲れてるの?」
「大丈夫?」
「大丈夫です……」
「精神科で情緒が安定する薬を貰ってこい」
「ぁ、あの、ドラムく、俺の後ろからぼそぼそ言わないで……」
「あ!歌詞の意味いろいろ考えてまとめてきたんで読んでもらってもいいですか?お手紙にしたんです!一番と二番で言い方が違ってるのでもしかして視点が変わったのかなと思って何度も聞いたんですけど」
「うわこっち来た。最悪」
「わあっ」
「あぶない!」
「あー!どらちゃんがべーやん突き飛ばしたー!」
「ベースくんが余計なこと言わなかったらその異常者がこっちに来ることもなかった」
「危なかったですね宮本さん受け止められて良かったです!それじゃ秋さん受け取ってください!」
「帰る」
「まだ車来てないよ」
「歩いて帰る」
「えー、めっちゃ目立つ。ネットニュースになっちゃう」
「やめてよりっちゃん」
「じゃあこのストーカーをどうにかしてくれ」
「頑張って書きました!あのっ、あ!大丈夫です何にも、変なものとか入れてないです!」
「ただの紙に変なものもクソもなくない?」
「なにか同封してあるんじゃない?」
「何がだよ。絶対受け取りたくない」
「入れてないですってば!」
「触ったら菌が移りそう」
またりっちゃんとヨシカタくんが部屋の中をぐるぐる回り出したので、それを目で追ってたら目が回りそうになった。おええ。
最終的に全く埒があかなかったので、ボーカルくんが「じゃあ俺が貰うから!」ってヨシカタくんから受け取って事なきを得た。それを見届けたりっちゃんがそのまま出て行こうとするのを、ベースくんがなんとかかんとか止めてくれた。出てってどうするのさ、なーんも考えてないでしょ。とりあえずヨシカタくんにも座ってもらって、りっちゃんがそれからできるだけ離れたところに椅子を持ってって座って、俺がヨシカタくんの隣に座った。反対側の隣にボーカルくんがいるので、これでちょっとはどたばたしないかなって。
「そいえば昨日やってた番組も見ました」
「昨日なにやってたっけ」
「えーぎたちゃん見てないの。俺も寝ちゃったから見てない」
「見てないんじゃんか」
「だって11時半なんて眠くなるし……」
「セットめちゃくちゃかっこよかったですね。美術さんすげーって思ったんですけど、その後演出もみんなで決めたって話してるの見て、うわやべーってなりました」
「みんなで決めたっけ?」
「分かんない。俺は赤より青のがかっこいいとかそういう話しかしてない」
「難しい会議の時、俺とボーカルくん机の端っこにいるから」
「あ!じゃああれ宮本さんの案ですか?なんかぽいなーって思って」
「う、ぇっ、あ、や、そういうわけじゃ……」
「どらちゃんやった?」
「やってない」
「やってないって」
「じゃあベースくんだよ。そういうわけじゃなくないみたい」
「やっぱ!すげーかっこよかったです、ライティングめっちゃ映えてましたね!」
「ぉ、おれ、俺だけでやったわけじゃ、みんながたくさん意見出してくれて、俺もその中にいたってだけで……」
「サビ前で一瞬全部暗くなんの鳥肌立っちゃって、俺もライブでやりたいなーって!ペンラも綺麗に光りそうだし」
「ぅ、う、はぃ、どっ、どうぞ」
「ベースくん顔青いよ」
「菌が移ったんだ。もうベースくんはダメだ」
「りっちゃんうるさあい」
「秋さんのスーツもかっこよかったですよ!」
「だからなんで前触れなくこっちに振るの?意味分かんない」
「こらこら、行かない行かない、遠くから話したら聞いてもらえるからね」
「はいっ、あの調べたんですけどあれめっちゃいい仕立てのやつですよねっ、私物ですか?俺も同じブランドの作っちゃおっかなーと思ってちょうどスーツ欲しかったとこだし!」
「ロシアンルーレットかなんかなの?こいつ」
「ヨシカタくんはどらちゃんのことが好きなだけだよ」
「迷惑」
「あ無理もう座ってられない無理なんで立ちますね!」
「ほらすぐこっち来る!手綱離すなや!」
「ヨシカタくんはお友達だから、俺の言うことを聞かすのは違うと思う」
「俺はちゃんとアドバイスした。遠くから話した方が聞いてもらえるって」
「採寸してもいいですか!?同じサイズが欲しい!」
「いらねーだろ変質者!死ね!」
「家に飾りたい!匂いを嗅ぎたい」
またぐるぐるしてる。もうほっとこう。しばらく回ったら疲れたらしく、りっちゃんがぜはぜはしてる目の前にヨシカタくんが立って身振り手振りも大きく楽しそうにきゃっきゃ話している。疲れてるのはりっちゃんだけか。煙草やめたらいんじゃない。もうすぐマネージャーさんも来るかなあ、とのんびりしてたら、扉がノックされた。
「はあい」
「失礼します」
「あ!ゆうやけくん!見に来てくれたの?」
「うん。あ、差し入れさっきマネージャーさんに会ったから渡したわ」
「ありがとー!」
「お疲れ様でした。生で見んの初めてだったけど、楽しかったわ」
「えー嬉しい、こやけくんは?」
「来るわけねーだろこういうとこ」
「そっかあ。でもこやけくん配信は全部追ってくれてるよ」
「なんなの?あいつ」
「今度またオセロ勝負しよっつっといて」
「どうせまた我妻くんボロクソに負けるよ」
「今度は勝つかもしれないだろ!」
「こないだなんか4枚しか残ってなかった。俺あんな負け方初めて見た」
「うっさい!こやけくんがめっちゃくちゃに強いだけだから!」
「そりゃ確かに石田は強いけど我妻くんが弱いんだよ……」
ボーカルくんが仲良しのお笑い芸人さんだ。俺も何回かなら喋ったことある。目があって頭を下げられたので、同じく頭を下げ返した。そんで、と部屋の奥に目をやった彼が、数秒間を置いてから言った。
「……あれなに?」
「告白タイム中」
「……育くん?なにしてんの?」
「えっ!?あ!みちぴ!今ねえ秋さんが俺の話を聞いてくれてるの!」
「聞いて……?」
「あまり深く突っ込まないであげて」
「聞いてないよね?話聞いてる人はあんな斜め下向いて死んだ顔しないよね?」
「やめてあげて」
「育くん?帰る?」
「それで俺っメンバーに紹介したんですけどやっぱ作詞曲のことはちゃんと語りたくて時間なかったから別日にもっかいやらせてもらう約束しててでも俺が紹介することと秋さんが思ってることが違ってたら大変だしそれってすごく嫌だなと思ったから出来たら目を通してほしいかなと思ったんですけど見てもらうのめっちゃ恥ずかしいんでここで読んでいいですか!?あっ読むって言っても冊子はさすがにないので、でも全部暗記して空で言えるようになってるので大丈夫です!好きなことの好きなとこしか書いてないんでまず例としてデビューシングルの話なんですけど」
「ぜーんぜん聞いてない。俺帰るわ」
「また遊ぼうね」
「うん。暇な時誘って」
「お邪魔しました。あ、お疲れ様でした。すげー良かったです」
「ありがとうございまー」
「ぁ、ありがとう、ございます……」
ボーカルくんのお友達が帰って、やっぱあれ見られるとぎょっとされるから他の人たち割と早くに挨拶来てくれて助かったよね、なんて話をボーカルくんとした。すげーハアハアしてどこからどう見ても正しく興奮しながら捲し立てるファン(本業アイドル)に対面する、死んだ顔に「早くこの時間終わらないかな」とくっきり書いてあるりっちゃん。そりゃぎょっとするよね。俺たちはもう慣れちゃったけどさ。
一人でドタバタしてるヨシカタくんの前でぐったりしてたりっちゃんが、急にヨシカタくんの襟首を引っ掴んだ。限界が来て殴りかかるのかと思ってめっちゃ焦ったけど、そういうわけではなかったようで、ぶら下げられて爪先立ちになってるヨシカタくんは楽しそうだ。ちっちゃい子が遊んでもらってるみたい。りっちゃんはヨシカタくんの襟首を引っ掴んだまま、なにやってるんだ?あれ。匂い嗅いでる?しばらく肩か首かなんかに顔を寄せていたりっちゃんが、ぺっとヨシカタくんを捨てた。手を離すと言うより突き飛ばす勢いだったので、ヨシカタくんは床に転んでいる。変わらず楽しそうだけど。
「えへへへ」
「……お前……」
「秋さん鼻いいですね!すごい!俺気づかれないと思ってました!」
「訴えたら勝てる自信がある」
「どしたの?」
「……………」
「秋さんが使ってる香水、何回聞いても教えてくれないから、自分で頑張って探したんです。自分では近いものが見つかったと思うんですけど」
「どれ?」
「今動いたからちょっといい匂いします」
「……うーん?ボーカルくん分かる?」
「任せろ」
手を広げて立っているヨシカタくんの周りをボーカルくんがぐるぐる回りながら匂いを嗅いでいる。俺そんな別に鼻よくないからよく分かんなかったけど。そもそもりっちゃんの香水がそもそもあんま、これ!ってイメージがない。女の子といたな〜って匂いがする時があんのは分かるけど。しばらくふんふんやってたボーカルくんが、確認!とりっちゃんに寄ってって、すごい嫌そうな顔のりっちゃんがされるがまま嗅がれて、目を閉じたボーカルくんが帰ってきた。
「近い!でも違うと思います」
「ですよねえ。俺もすごく近いなと思ったんですけど、これより近いのは見つからなかったので妥協したんです」
「でもどらちゃん煙草吸ってるし今汗かいてるだろうから、そのせいかもしれん」
「俺も汗かいてますよ!」
「えー、でもヨシカタくんの汗はいい匂いしそうじゃん」
「は?俺の汗もいい匂いなんですけど」
「今をときめく売れっ子アイドルに汗の匂いで張り合わないで」
「もう商品名で答え合わせした方が早いんじゃない?」
「だから教えて欲しいんですけどお……」
「絶対に嫌だ」
「前一回教えてくれたから信じて通販で買ったら中高生女子向けのやつでした」
「なにその嫌がらせ……」
「歪んでいる」
「俺はべーやんの匂いも好きなの」
「ひっ、い、今汗臭いから」
「でもなんもつけてないって言ってたよねー」
「こ、来ないで」
次の標的にされたベースくんが、頑張って逃げたけどすぐ回り込まれてボーカルくんに捕まった。かわいそう。俺も今別に体の匂い嗅がれたいとは思わない。ドタバタするのはやめたらしいヨシカタくんが、ぱっとこっちを見た。
「そういえば、なんで最後の曲あれにしたんですか?」
「俺は知らない。りっちゃんに聞いて」
「なんでですか?」
「帰らないの?この人」
「セトリ予想するじゃないですか。全然違ったって人結構多くて、ラストはもっと有名なっていうか、人気のある曲にするんじゃないのかなって思ってたんですよね。今までもずっとそうだったし……テンション上がる曲?みたいな。最後上げ切ったまま終わるじゃないですか、いつも。だから今回なんでなのかなってすげー思って」
「しつこい」
「でも気になるじゃないですか!これじゃなくてもいいっていうか、別に文句があるわけじゃないんですけど、他の曲じゃない理由があるのかなって思ったら気になっちゃって」
「しつこい……本当に……」
「誰が決めたんですか?今回のセトリ。絶対みんな気になってますよ」
「でもみんなで決めてるよね。いっつも」
「だから俺に聞いても理由は分からないので早く帰ってください」
「あ!あと入りのアレンジめちゃかっこよくなかったですか?別の曲かと思っちゃいました」
「俺のこと好きならもっと俺の言うこと聞いて欲しい」
「全部聞いてますよっ」
「気持ち悪い……」
自分で言ったくせに。サシじゃなければ多少抑えられるらしいヨシカタくんがああだこうだと喋るもののりっちゃんがそれを基本無視するので俺が会話を受け取るけど結局俺も分からないので最終的にはりっちゃんが口を開くしかなくなる、みたいな時間を過ごしていると、また扉がノックされた。
「はあい」
「失礼します。そろそろ出れますか?」
「あ、うん」
「マネージャーさん、さっきのアイス食べてからがいい」
「後でにしてください」
「ええー」
「何人か、挨拶しようと思って来たけど盛り上がってるみたいだったから水を差すわけにも、と仰るので僕の方で対応した方がいました。差し入れも預かってます」
「わー。ありがとー」
「というか、外まで声が筒抜けだから入るのを躊躇わせてしまったわけですよね?」
ことり、と首を傾げたマネージャーさんが、まっすぐヨシカタくんを見ている。やっべ、って顔を隠しもしないヨシカタくんが、じわじわ俺の背後に隠れたけれど、まあそんなん今更なわけで。
「単刀直入に言って申し訳ありません。仲が良いのは結構ですが、今はお帰りいただいても構いませんか?」

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