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38.7度





「体調管理も、仕事の一環ですよ」
本当はね。誰か別の人が言った方が良いと思うんですけど、誰も言わなさそうですしね。仕方ないから僕が言いますけど、僕に言われたって言うこと聞きたくないと思うんですけどね。そう長々とマネージャーさんが続けたのが聞こえて、扉にかけた手を下ろしたのを覚えている。
その時は確か、ドラムくんが事務所で顔を青くして、座り込んだきり立ち上がれなくなったんだっけ。ソファーに横にして、ギターくんがマネージャーさんを呼んできてくれて、ボーカルくんがタクシー呼んだからって事務所の前に出て行って、俺は水を取りに行って戻ってきたところで。怒ってるわけでもない、呆れてるわけでもない、訥々と当然のことを話す声色のマネージャーさんの声に、隣に座ってるギターくんは何にも言わないで頬杖ついてた。しばらく無言が続いて、ようやくドラムくんが、諦めたように口を開いた。
「……はい」
「よろしい。睡眠と食事は大切にしてくださいね。大方碌なもの食べずに寝もしないでいたんでしょう。自分では気づかないかもしれないですけど、クマすごいですからね。このまま病院には行ってもらいますけど、明日からは通常運転できるようにしてもらわないと困ります。わかりますよね?」
「はい……」
「じゃあ今日はもう帰りましょう。横峯さん、代わりにグッズの打ち合わせ出れますか?」
「いいよお」
「元々我妻さんにディレクターさんとの会議はしてもらう予定でしたから……そっちに僕がついていくので、横峯さんは宮本さんと。はい秋さん、しっちゃかめっちゃかになるって顔をしたいなら体調管理をまともにしてからにしてください」
「……………」
「返事」
「……はい……」
そこまで聞いてようやく、恐る恐る扉を開けることができた。体調管理も仕事の一環。それはそうだ。それは例えば、いくら好きなものでも大量に食べ過ぎたらお腹が痛くなるからセーブしておくとか。朝から頭痛がしているなら、早めに休むとか。風邪が流行る季節なら、予防を出来る限りでするとか。そういった、自分の心持ちの問題だと思う。仕事を飛ばすわけにはいかないんだから、そのくらい頑張らなくちゃ。そんなこと分かってる。マネージャーさんの言う通りだと思った。
だから。
「……ぁ、」
やべ、と素直に思った。緊張が祟って、食べたものを全部吐いたことなら何度でもある。胃が引き攣るように痛んで身を捩ったこともある。指先が震えて使い物にならなかったことも、目が眩んで立っているのがやっとのことも、腰から下の力がすとんと全部抜けて足の骨が無くなったみたいになったことも。でも、どう考えても明確にそれらとは原因の違う体調不良は、この仕事をしはじめてから、初めてだった。
「あ。べーやん起きた?おはよー」
「……、ぉ、おはよ……」
声は出る。掠れ切ったどうしようも無い声だったけれど、一応。枕元をどたどたと通り過ぎたボーカルくんの足に、口元を布団で隠した。
着いたのは昨日の夜。「四人一部屋じゃなくて二人一部屋取れたことを誇ってください」とマネージャーさんに鍵を渡されて、じゃんけんで部屋割りした。明日の朝起きなかったらマジで置いてくからな、とドラムくんがギターくんに喧々口煩く言いながら隣の部屋に入って、どうなると思う?ほんとにドラムくん一人で来ると思う?いやあなんだかんだ言って結局ちゃんと叩き起こして半分寝てるぎたちゃん背負ってくるって、なんて話をボーカルくんとしたのは覚えてる。そこまでは普通だった。明日はリハでちょっと自由時間もあって、でも明後日が本番だからちゃんと休まないと、と思って、なんか喉の奥が痛む気がしたから、ちゃんと寝ようと思って布団に入ったのだ。
「べーやん?」
「ぅひ、っげほごほっ」
「あ、ごめん」
声をかけられたことで反射的に息を呑んでしまって、思いっきり咽せ込んだ。申し訳ない、って顔をしたボーカルくんがぱっと離れて、いや今のでなにかしらかのウイルスが移ってたらどうしよう。
頭がめちゃくちゃに痛い。あとなんか寒い。どう考えても熱が出ている。客観的にそう思えるぐらい冷静ではあるのだけれど、多分体の不調が一周回っておかしくなってるだけだ。病に伏せれる状況ではないと頭が理解しているから、なんとかなっているだけ。手放しで休めるとなった途端に動けなくなるだろう。それは分かってる。他でも無い自分の体だし。
だったら、動けるうちにできることをしないといけない。一番やっちゃダメなのが、ライブを飛ばすこと。体調悪いんで出来ませんでした、おしまい。それで一体何人の人に迷惑がかかるだろう。考えただけで吐きそう。同じぐらいダメなのが、みんなに症状をうつすこと。俺だけ元気になってボーカルくんやギターくんやドラムくんが倒れてたら意味がない。メンバーはもちろん、スタッフのみなさんだってそうだ。原因がなんだか知らないが、自分だけで完結させなければいけない。普通に考えたら病院に行くのが一番手っ取り早いけれど、ネックなのが今現在自分がツアー巡業中で地方滞在、というところであって、当然だが土地勘もなければ医者も知らない。調べて貰えばどうとでもなるけれど、リハーサルの時間をずらしてもらうとか、病院→仕事の順番はどう考えても逆にしちゃいけないわけだし、
「べーやん?」
「あ″はい!っなに!」
「眠いの?」
首をぶんぶん横に振った。いつもなら寝起きすぐなんて全然意識はっきりしないし起きてるというより寝てるに近いことがほとんどだけど、今日は頭が痛すぎるのでしっかりばっちり覚醒している。今首を横振ったので、二回ぐらい頭割れたんじゃないかと思った。不思議そうな顔でこっちを見ているボーカルくんに、布団を目の下まで被ったまま言った。
「……ま。マネージャーさん、……に、声かけて、できたら、呼んできてもらっても、いいですか……」
「どしたの?吐いちゃった?」
「ううん……」
「ふうん?」
きょとりとしたまま、深くは聞かないでくれたボーカルくんが部屋を出て行った。内線とかで呼ぶかと思ったけど、親切にも呼びに行ってくれたらしい。部屋に一人になったことで、起き上がる気力が一気に失せて、どっと身体が重くなったのを感じる。しばらく茫然としていると話し声と共に扉が開いて、ボーカルくんがマネージャーさんを連れて戻ってきた。
「だから二日酔いじゃないってば!べーやん昨日は飲んでない!」
「責任感ってものがない人がもう既にメンバー内に一人いることが発覚してるのに言い訳しないでください」
「ほら見てよ!べーやん、マネージャーさん呼んできたよ!」
「おはようございます」
「ぉ、おはよ、ございま、す」
「体調不良ですか?」
説明なしで話が進むと助かる。こくこくと頷くと、全く、と言った感じで息を吐いたマネージャーさんが、ボーカルくんを回れ右させて部屋から追い出した。
「横峯さんといなさい。待機。以上」
「えっ?なん」
「必要なものは?」
「ぁえ、えと、っげほ」
なんで、と言いかけたボーカルくんの言葉を思いっきり遮ってきっちり鍵まで閉めたマネージャーさんが、ずかずかと寄ってくる。うつります、と焦って告げれば、感染したところで自分には代わりがいるので全く問題ありません、とあっさり返された。そりゃそうかもしれないけど。
「熱高そうですね。実際測ってみないとなんとも言えませんが……医者に診てもらった方が早いでしょう。明日に関わりますから」
「ゔ、はい、あの、すいませ……」
「明日までに治っていればなんの問題もありませんし、責めるつもりもありません。僕には代わりがいますけど、宮本さんにはいない。そうですよね?」
にっこりされて、はい、と小さく答えた。怖い。

車を出してもらって、一番近くの大きめの病院に連れて行ってもらった。さくさく診察は進んで、解熱鎮痛剤を出しておきます、とお医者さんに言われ、喉が腫れていたり赤かったりするわけではないこと、咳が出るのは熱が出て喉が渇いているからであること、恐らくはただの風邪、熱が引けば問題はないこと、なんかを告げられながら、朦朧とする頭でなんとか頷いた。まるで保護者のようにマネージャーさんが後ろで話を聞いていてくれたので、なんかもう自分で聞くのが面倒になっちゃった節はある。こちとら熱あるんだぞ、という開き直りというか。そして車に戻って、ずっと気になっていたことを聞けば、あっけらかんと返された。
「リハですか?午後にしてもらいました。都合がついたので……言ってませんでしたか」
「すっ、すいませ……」
「宮本さんのせいじゃないですよ。昨晩いろいろありまして」
「……はあ……」
「僕はお説教係じゃないんですけどね」
なにかあったらしい。深く聞かないでおこう。半笑いが怖いので。
病院に併設の薬局は混んでいたので、処方箋だけ貰って、会場方面に戻る道中の薬局に寄ることにした。ちなみにお薬手帳とか持ち歩いてたりします?と聞かれて首を横に振ると、まあそりゃそう、と薄く笑った声で返された。病院に行くと分かっている時しかあんなもの持ってませんよねえ、と。
「はじめてでいらっしゃいますか?」
「は、ん″んっ、はい」
「それではこちらにご記入お願いします。処方箋お預かりしますね」
裏返りかけた声を咳払いで誤魔化して、細々とした必要事項を書いていく。マネージャーさんは「薬待ってる間に飲み物買ってきます」と自動販売機へ行ってしまった。ぼうっとする頭をなんとか動かして、書き終わったファイルをカウンターの向こう側へ返す。じいっと目線を感じたような気がしたけれど、マスクもしてるし、パジャマのままとかいうわけでもないし、髪の毛はくしゃくしゃだけど、そんな見られるようなことはないはずだ。それとも体調不良の人間がふらふらいつまでも出歩いてんじゃねえ早よ帰れ、って目線だろうか。それはほんとすいません。
しばらく、店内になんとなくふわふわと流れる音楽ぐらいしか音のない時間が過ぎ、マネージャーさんが店の外からこっちを覗いて、どこかに行った。直後連絡が来て、まだみたいなので車にいます、と。午後からリハやると言っても自分は参加していいんだろうか、それとも倒れてでも参加しろということだろうか、とぼんやり考えていると、薬剤師さんの声がした。
「お待たせしました。すみません」
「ぁ、はい」
「こちらですね。食後のお薬と、熱が辛い時に飲む頓服薬がこちらです」
細かな説明を受けて、はい、はい、と相槌を打つ。ほとんど内容が入ってこない。いよいよ頭が茹ってきたらしい。まあなんか取扱説明書みたいな紙もらうし最悪それ見れば良いや、健康に害のあるものは出されているはずがないわけだし、と自分に言い訳をしている間に説明は終わって、何かわからないこととかありますか?の提携文に対して首を横に振った。財布からお金を出している間に、あのう、と小さな声がしたので、顔を上げる。気まずそうな表情。私事なので無視してくれても全く構わないんですけど、と前振りにしては随分多く予防線を張る言葉に、あ、多分似たタイプ、と内心で思った。
「あの……テレビで、見たことがある、と思うんですけど……ま、っ間違いだったらすみません、ええと、よ、違う、宮本さん……」
「ぁ、え、はい、ありがとうございます……」
「っで、ですよね!あ、あの、妻が明日ライブに行きます!」
「へっ?あ、はい……」
「養生なさってください、えと、でもご無理なさらずに……あ!写真撮ってもいいですか?あゃ、だめかな、そういうのは……」
「……えと……」
「ぼ、僕入らないんで、妻に見せてあげたいだけなんで、あ!ダメだったらいいです!すいません!突然こんなこと言って迷惑ですよね、しかも体調も良くないのに、ひ、引き止めてすいません」
「あ、や、へいきです」
「ほんとですよねごめんなさいえっ!?」
勢い負けした。いつもならこういうの、俺なんか撮っても仕方ないんじゃ…って逃げるか、そもそも聞かれもせずに盗撮されている(そのパターンが一番多い)かのどちらかなのだけれど、自分の言葉に自分で追い詰められてテンパっていくのが目に見えて分かったので、あれ?この人は俺か?と素で思えるぐらい自分と被ってしまった。じゃあ一枚だけ、と震える手でスマホを向けられて、一応笑っておいた。棒立ちも申し訳ないのでピースでもした方がいいのかとぼんやりしてるうちにシャッター音がしたので、曖昧な手が空中に浮かんでいると思う。
「ご、ごめんなさい本当に……たっ、妻が喜びます、明日もすごく楽しみにしてて……チケット当たったのが分かった時、食器棚にぶつかって皿を何枚も叩き割ったので……」
「皿を……」
「あ!本当に引き止めてすみません、えっとあの、頓服薬なんですけど、この書いてある37.5度以上っていうのはただの目安なので、自分が辛かったら飲んでもらって構いません。我慢しても早く治るわけではないので……」
「ぇあ、はい」
「もっと辛くなるかもと思って薬を飲むのを先延ばしにしてると、気づいた時には起き上がれないぐらい悪化してたりとかするんで……や、それは俺だけかな……俺だけかもしれないです……」
「……………」
自分もそうなる光景が容易に想像できたので、何も言えなかったし、部屋に戻ったらすぐに頓服薬を飲もうと心に決めた。やっぱりこの人は俺かもしれない。生き別れの双子なのかも。

「はい。お大事に」
「は、え、あの、リハ」
「夜また見にきますね。寝てなかったら入院して点滴を打ってもらいます。確か注射苦手ですよね?」
「ひっ……」
「おやすみなさい」
ニコ、とあからさまな作り笑顔を貼り付けられたまま、目の前で扉を閉められた。ちょっとドラムくんに似ている。そして、確かに注射は苦手だ。そんな話、マネージャーさんにしたことあったっけ。多分いつかしたんだろうな。
大人しく薬を飲んで、ペットボトルの水をサイドテーブルにおいて、電気を消した。といっても、カーテンを閉めた大きな窓からは光が差し込んできている。こんな時間なのに横になってると、罪悪感がすごい。ただでさえ明日は本番で、みんなは忙しく動いてるはずなのに。治さなければもっと迷惑がかかるなんて分かっているし、動けと言われても動けないのが事実なのだけれど、それでもどうにもそわそわして、落ち着きなく寝返りを打った。明日までに治らなかったらどうしよう。エナジードリンクとかでドーピングしてなんとかならないだろうか。それとも、最悪俺なんかいなくても、なんとか回せないこともないかもしれないし、だってどうせステージの上でうまく話せるわけでもない、演奏だってちゃんと練習すれば他の人間でもできるようなことしかしてない、……

「は!あっ、はい!」
飛び起きた。部屋の中は真っ暗だった。鳴り響くチャイムの音に、聞こえないのは分かっていても咄嗟に大声で返事をして、急に声を張ったせいでめちゃくちゃ咳き込んで、死ぬかと思った。久しぶりにゆっくり寝た気がする。夢も見なかった。一度も目が覚めなかった。恐らくは寝汗で湿って身体に張り付く服を引っ張りながら、がちゃがちゃと扉を開けると、マネージャーさんが立っていた。
「おはようございます。よく寝たみたいですね」
「はっ、あ、ごめんなさい、あの」
「平気です。熱下がりました?」
「ぇゔ、えと、は、測ってないです」
「その様子なら大丈夫そうですね。夜ご飯食べます?ルームサービス頼みましょうか」
「や、えっと、はい、いや……」
「頼みますね。シャワーとか浴びます?部屋の前に置いといてもらえるか聞いてみます」
「あの、や、え、あ、おねが、お願いします」
「はい。全部終わったら連絡ください」
「は、はい……」
サイドテーブルに置いといたはずのスマホを見れば、1時間ぐらい前から定期的に着信が入っていた。全部マネージャーさんからだ。一度も出れてない。それだけ爆睡していたということなんだろう。言われた通りに熱を測れば、37.6度。微熱がある、と言ってしまえばそこまでだが、頭が割れる程の頭痛も、首を下げたら二度と上がらないんじゃないかと思えるほどの体の重さも、なくなっていた。いや、ちょっとまだ頭痛い。でも頭は基本的にずっと痛いので、普段通りといえば普段通りだ。熱を測り終えてペットボトルの中を空にしたら、ベタベタした身体が気になってきて、マネージャーさんはすごいな、と思った。シャワーを浴びながら、ああもしかして普通に汗臭かったのかな…と気づいて死にたくなった。それを察せなかったことが恥ずかしい。いい大人なのに。落ち込みながらご飯も食べ終わって、ぼんやりしながらだったから、普通に完食した自分に驚いた。マネージャーさんが頼んでくれたの、何を思ってか焼きおにぎりと鍋焼きうどんだったんだけど。なんで?おいしかったけど。暑い。ああ、余計に汗をかかせて熱を下げようということ?もっかいシャワー浴びたいぐらいの気分だけど、面倒だし、終わったら連絡してほしいと言われていたので、あまり待たせるわけにもいかない。お腹いっぱいになったらまた眠くなってきたし。
マネージャーさんに連絡して、10分後くらい。またチャイムが鳴ったので、叱られるんだろうか、と恐る恐る開けたら、ギターくんがいた。
「あ。ベースくん、だいじょぶ?」
「ぇあ、ギターくん……」
「あのねえ、動画撮ってきた。ほんとはボーカルくんが見せにこようとしてたんだけど、もう俺はりっちゃんと同じ部屋が嫌だから逃げてきた」
「そ、そう……?」
「説明すんね」
部屋の中に入ってきたギターくんがとろとろと説明してくれて、実際その場にいた方がそりゃ分かりやすかっただろうけど全く見たこともなしに明日を迎えるよりはイメージしやすいから大分マシ、くらいまで持っていくことができた。有難いし、助かる。ギターくんは毎回全部確認するわけじゃなく自分が覚えているように話すから、逆に「ここってさっきなんて言ってた?」とかって聞きやすいし。あ〜ごめん言い損なった?こうだよ〜、とあっさり流してくれるので。
「あ、ありがとう」
「ううん。熱ないの」
「ちょっとだけ……でも大丈夫」
「よかったね。ボーカルくんめちゃ心配してたよ、何回も電話かけようとするからスマホ取り上げられてた」
「はは……」
乾いた声で笑いながら思う。そりゃ同室で過ごした人間が高熱出してぶっ倒れたら、自分にも移ってないかと心配になるよな。申し訳ない。今日だって、たくさんの人に迷惑をかけたはずだ。明日どんな顔をして謝ればいいのか、なにをどうしたら取り返しがつくのか、全くわからない。ギターくんだって、きっと来たくなんかなかったよな。余計な仕事を増やして、どうしようもない。俺じゃなくても回るなら、最初からいない方がよかったんじゃないか。初めての全国ツアーで、体調管理も仕事のうちだと分かったふうな態度をとって、結果こんなことになっている。徹底が足りない。自分に甘い。だから他人に迷惑がかかる。許されるなら今すぐここからいなくなりたいけれど、そんなことをしたらそれこそいよいよもっと色んな人に迷惑がかかるし、明日を楽しみにしてくれている人にも失望させてしまう。それはダメだ。絶対、ダメ。あるんだかないんだか分からない笑いが収まった頃、ギターくんが手を出した。
「はい」
「……え?ぁ、えっ?」
「今日ねえ、解散際に円陣組んでた。スタッフの人たち」
「へ、へえ……」
「だから、はい。ベースくんも手ぇ出して」
「えっ、い、いいよ、も、申し訳ないよ……」
「手ぇ出して」
「はい」
がんばるぞー。えいえいおー。平坦な声で告げられた掛け声に合わせて、二人だけで手を挙げる。よーし、と立ち上がったギターくんが、ふにゃりと笑った。
「楽しみだねえ」

次の日の朝には熱が下がった。マネージャーさんは珍しく、あからさまに安心した様子でその場にしゃがみこんで、30秒ぐらいでぱっと立ち上がって俺を会場へと急かした。切り替えが早い。羨ましいと思う。
もう、充分すぎるほど充分に迷惑をかけ切ったなら。あと自分ができることと言ったら、せめてステージの上で出来る限り最高のパフォーマンスをすることだろうか。もしも余裕があるなら、ほんの少しでも楽しむことができたなら、そりゃいいだろうなと思った。



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