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おはなし



「岸伊弦」
「……は?」
「……え?」
「……………」
「……?」
「岸伊弦」
突然背後から声をかけられたので振り返ると、疑問符に疑問符で返されたので、自分ではないのかと思って後ろに向けた首を元に戻して自販機に向き直ると、もう一度確認のように名前を呼ばれた。ていうか普通初対面の人に対して呼びかける時って「○○さん?」って形にならない?呼び捨てで断定して、もしそうでなかった時どうするわけ?いや俺は岸伊弦なんだけど。
「……はあ」
「これ知ってる?」
「……いや誰あんた」
「日野桔平」
「ヒノキッペー。はじめまして」
「はじめまして」
なんだこいつ。軽く頭を下げて挨拶されたが、順序はぐちゃぐちゃだし、これ、と差し出されたCDケースは引っ込められないままだった。なんか、名前だけは聞いたことあるバンドの、知らないCD。知ったかぶりするのは嫌いなので知らないと正直に答えたいが、こういう場合そう答えると九割の確率で、じゃあ貸すから聞いてよ〜!みたいな展開になる。興味もないものを借りたところで聴く気にならない。どう答えたらヒノキッペーを追い払えるだろうか、と考えながらぼんやりしていると、ぱっと手を取られた。
「えっ。や、なんすか」
「遅い。聞いてもらうから視聴覚室まで付き合ってほしい」
「は?いや知らんし興味ないし俺友達クラスに待たせてんだけど、ていうかあんた何?」
「お前、伊藤たちのバンドに誘われたのに、一回合わせてすぐ蹴った奴だろ」
「そうだけど。自分より下手な奴の演奏で歌うとか100%途中で笑っちゃって無理だし」
「俺がやってるのに入れ。お前にこれを歌ってもらう」
「あんた軽音部の人なの?何年?」
「2年」
「俺先輩風吹かせてる奴の言うこと聞くのとかゲロ吐いちゃうから無理なんだけど。アレルギーだから」
「袋やるから吐いてろ」
「マジで言ってんの。頭キマってんね、かっこいい」
「別に先輩だと思わなくていい。移動してくれないならここで聴かせるからそのまま通しで歌ってみてくれ」
「いやバカ?ここ昇降口なんだけど」
「じゃあこれ持って帰って聞いて、また今度取りに行く。3組だっけ」
「何で知ってんの?怖」
「伊藤に聞いた。それじゃ」
「この場で俺がこれゴミ箱に叩き込むかもとか思わないわけ?」
「そしたら弁償してもらう」
「……マジでえ……?」
言いたいことだけ言って、さっさとどっかに行ってしまった。嘘ついてたり媚び売ろうとしてたりしなさそうな、本心だけ端的に言い捨ててばかりの、ボール投げっぱなしで拾わないみたいな話し方をする奴だなと思った。ヒノキッペーに持たされたCDだが、弁償は普通に嫌なので、鞄に突っ込んで持って帰った。聞くかどうかは別に問題ではないので。
後日、言った通りにCDを取りに来たヒノキッペーに「聞いてない」と事実を告げて返したら、今度は無理やり視聴覚室に引っ張られてって、抵抗して逃げようとしたら普通の顔して蹴っ飛ばされ、聞かされた。良い曲だと思うし割と好きだったけど、思いっきり蹴られた太腿が痛い。俺が悪いんだろうか。相手にも絶対非があると思う。
「……俺にこれを聞かせてあんたになんの利があるわけ……」
「歌ってもらう。担当はボーカルだけでいい。二週間後に文化祭のステージに出れるバンドの選抜があるから、それまでにはまともに歌えるようにしておいてもらわないと困るけど」
「……文化祭?」
「そう」
「1日目?2日目?」
「2日目」
「これ返さなくていい?」
「いい」
はいどうぞ。あっさり渡されたCDを、やっぱやめたと引っ込められないうちに引ったくる。文化祭の2日目。1日目は校内のみなので、見に来るっつっても冷やかしだったり知り合いだったりがほとんどだけど、2日目なら話は違う。校外解放日である2日目なら、体育館のステージは男女年齢問わず割と色んな奴が見にくるのだと聞いた。そもそも外はまだ時期柄暑いのだ。椅子が大量に並べてあって飲食も多少ならできて、という立地は休憩所に最適なわけで、入れ替わり立ち替わりいろんな人間が来る場所のステージに立てるかもしれないとか、それはまあ普通にめちゃくちゃやりたい。ヒノキッペーが、じゃあ近いうちにメンバーと顔合わせてもらいたいんだけどいつがいいか、とたらたら問いかけてくるので、今日の放課後じゃダメなのかと返せば、少し目を丸くされた。
「……流石に今日は無理。練習すんの明日だから、それでいいか」
「なんで今日無理なの?いいじゃん、軽音楽部なんてみんな暇だろ」
「ベースの奴は卓球部だし、ギターの奴はテニス部だから」
「……は?」
「空いてるやつで納得できる人員が見つからなかったから、部活外で楽器ができる奴を探して即席のバンドを組んだ。俺も普段は外でやってるし」
「……それ何が楽しいの?」
「楽しい?」
「いや……なんか……なんでもない……」
俺が知ってる「高校生のバンド」って、なんか別にそこまで音楽に本気になってるとかじゃなくて、友達作りの一環っていうか、集まって練習してるメンバーで遊びに行ったりなんだかんだ、青春の思い出とかいう寒いやつを作るグループって感じだったんだけど。ヒノキッペーが知ってた、伊藤とかいうやつもそうだったし。さしてまともに練習もしてない、そんなに上手でもない、なのに楽しそーにへらへらしてるのが気持ち悪くてしょうがなかった。だからこいつもどうせ声が欲しいだけで、オトモダチと仲良しこよしやる穴埋めに頭数が足りなかったんだろうと勝手に思ってたんだけど。予想が違った。心底不思議そうな顔で首をかしげられて、忘れてくれと片手を振った。
「やるやる。明日の放課後?」
「ああ。部屋は取れなかったから、外で練習するけど構わないか」
「いーよ。あー、あれ?駅前のカラオケ?」
「そう。よく知ってるな」
「俺一人でよく使うー。楽器持って入れる防音のとこなんてそんなないし」
「まあそうか」

「おつかれさま」
「ん?うん」
「いろいろありがとう」
「え今更?怖」
文化祭、後夜祭。割といつもつるんでいるクラスメイトがいなくなった隙に、どこからともなくヒノキッペーが現れた。こいつ友達とかいないんだろうか。いつも一人だけど。
ペットボトルを渡されて、突然言われたらしくもないお礼に怯えていると、こっちも見ずにぼおっとしていたヒノキッペーが思い出したかのような口振りで話し出した。
「お前バイトとかしてる?」
「してない」
「ああそう。してなさそう」
「どういう意味だよ。おい」
「理由は特にない。してなさそうだと思ったから言った」
「してなさそうだと思うまでに絶対理由あんだろがよ」
「じゃあ毎日暇だな」
「全然暇じゃないですけど。毎日忙しいんですけど」
「そうか」
「……え?ねえもしかして俺誘われてる?」
「なにが?」
「解散するんだろ?即席バンド」
「二人とも自分の部活があるからな」
「じゃあなんでそうゆーこと言うわけ?」
「は?」
「えっ?」
「……………」
「……?」
「……ヒノキッペーって長いからヒノキでいい?」
「はあ。いいけど」
「じゃあそうしよー」
本当に無意識で出た言葉だったらしい。ヒノキは嘘をつかないし、お世辞も言わないし、なんなら気も使わないからダメな時には容赦なく否定してくるし、多分そのせいでバンド組んでくれる奴なんかいなかったから文化祭までの契約でヨミくんとアライが力を貸してくれたわけなんだろうけど。アライの方なんか練習終わりに「今日の分は?」っつってたから、ヒノキが何かしら払っていた可能性すらある。ヨミくんはヒノキのことを心配してるぽかったけど。中学校が一緒だって言ってたし。けど、そういう奴だということはこの短い期間で重々わかっていて、嘘をつかないこいつがお礼を言った意味を察さないほど鈍感ではないつもりでいる。お待たせー、と遠くから呼ぶクラスメイトの声に振り向くと、それじゃあ、とヒノキが立ち上がった。
「ヒノキ」
「ん」
「俺さあ、やりたいのあんだけど」
「……ベースがいない」
「誰か捕まえてきて」
「読谷は大会があるから部活が忙しくなるって」
「誰でもいーよ。あ、外でバンドやってるっつってたじゃん。その人でいい、貸して」
「……聞いてみる」
「つーかお前さあ、」
「岸!あ、えっ?あれ、打ち上げ行かないの?」
「俺いいや。ダメ?」
「いいけど……鈴屋に言っとこうか?」
「うん。ばいばーい」
「じゃなー」
「……どこか行くんじゃないのか」
「やめたやめた。だからお前さあ、なんでわざわざこれ買ったの?俺ぶどう嫌い」
「そんなこと知るか」
「俺がいつも飲んでるの何か知らないの?プレゼントするなら下調べしとけや」
「知らん」
さっき渡されたぶどうの炭酸のペットボトルを投げ返せば、凄く嫌そうな顔で受け取られた。笑ったり怒ったりはしないくせにそういう面はできるんだなあと思うと、ちょっと可笑しかった。

それからというもの。俺もヒノキも特に誰にもバンド入れって誘われないし、フリーだからって助っ人も頼まれないし、自由な時間が長かったので。俺はヒノキと違って友達がいるので、普通に遊びに行ったりとかもしてたけど、あっちは知らない。でもヒノキがやってる外のバンドの人たちに紹介してもらったりとか、練習混ぜてもらったりとか、生意気だと小突かれながらも学外の年上たちの中で色々やってるうちに、2年生になった。
「ヒノキぃ、ベースの人また誰か連れてきてよ」
「無理」
「なんで?ヨミくんは?お願いしてきて」
「読谷は受験が忙しいから無理」
「ヒノキはこんなに暇そうなのに?」
「俺は受験とかしないから」
「へー。推薦?」
「考えてない」
「無策かよ。勉強出来る人はやっぱ考えてるこことが違いますよねー」
俺はこの時点でヒノキの「受験とかしない」を勝手に「受験勉強は必要ない」だと思っていたわけで、ここから半年後ぐらいに「そもそも進学しない」と当然のように宣った朴念仁に目を剥くことになるのだけれど、まあそれは追い追い。
新入生歓迎会の部活動紹介は、当然ながらもうすでにメンバーが揃っているバンドが出るので、俺たちは暇だった。揃ってないし。部活内の人間に「誰か手伝ってくんない?」と聞けば良い話なのだが、俺は去年、先輩(笑)のバンドを下手くそ呼ばわりしてボーカルの椅子を蹴っているし、ヒノキはそもそも群れない人間として地位を確立しているので、誰も手は貸してくれないし誰からも声もかからなかった。当然の帰結だと思う。
練習するなら、学校外で。それも、学外でヒノキが組んでいたバンドが三ヶ月前に解散して、練習場所にも相手にも困りかけている頃だった。解散の理由は「就活」。誰も異論を唱えなかったあたり、受験と就活には誰も逆らえないらしい。
授業中ならまだしも休み時間は誰も来ない、特別教室が集まる棟の階段横が、俺とヒノキの溜まり場になっていた。というか、ヒノキがそもそもここにいることが多いので、用があるとここに来ざるを得ないとも言う。教室にいろよ。しょっちゅうふらふら消えやがって。今日も今日とて同じ場所で、ヒノキがいつもの無表情で携帯を突き出してきた。遠くから部活動の喧騒がぼんやりと聞こえてくる。
「いづる、これやれ」
「無理だっつの」
「なんで?」
「いや逆になんで俺にプロの技術を突然求めてるわけ?どう考えてもいきなりこれできたら天才だろ」
「天才なのかなと思って」
「それただの悪口だから。帰りお前の下駄箱の中にゴミ入れて帰るから」
「鍵かけとく」
「どうせ暗証番号なんて551、」
「あ、っあの、えと」
「4……は?」
「なに?」
「けい、あの、軽音楽部の、部室って……」
「ここ東棟。西棟の3階」
「ひ、ひがし?にし……」
ヒノキの端的すぎる説明により、恐らくは新入生であろう男が目を泳がせながらオロオロ後退していく。いくらなんでも不親切すぎるだろ。少し背の高い男を片手で呼ぶと、後ろに下がるのはやめたものの、近づいては来なかった。怖がられてんじゃねえか。
「ここは東棟、特別教室とかのある方。二階の渡り廊下渡ってきちゃったんだろ?一階まで降りて下通って西棟に入ったら左側、一番奥の突き当たりの階段。床が緑のとこ、それを三階まで登ったら右に曲がって三つ目の扉」
「え、えと、一階まで……」
「降りる階段はすぐそこ。あれ降りたら目の前の引き戸で外出れる、自販機の並んでるとこ通り過ぎて西棟に入って、もう一回言う?」
「あっはい、はいっ、お願いします……」
つらつらと案内してやれば、困った顔で頷きながら聞いていた男が、不安そうながらも一応は納得できたのか「だいじょぶです」と零した。教室がある中央校舎に入ると逆にややこしいから昇降口は素通りしろ、と付け足せば、こくこくと首を縦に振られた。深くお辞儀をされて、教えた階段の方に行った男を目で見送ると、ヒノキが口を開いた。
「珍しい。人助けなんて」
「人助けぇ?お前の言葉が足りないせいだろ、もうちょっと考えて話せや」
「あんなに親切にするなら案内してやればよかったのに。軽音部に用があるみたいだったし」
「やだね。俺は用もないのに部室なんか行きたくない」
「面倒だからな」
「ほんとそれ」

なにが面倒なのかと言うと。
「じゃあ今いない人にも伝えといて」
「なんで俺が」
「どうせここにそのままいるんでしょ?来る人に言ってけばいいだけじゃん、後よろしくー」
「えー……」
そんな会話が扉の隙間から漏れ聞こえてきた時に、ああ、あとほんの少し早く着いてたら普通に連絡事項を聞けてたのか、忘れ物なんて後回しにすればよかった、と手の中にあったルーズリーフを思わず見下ろした。小走りに出て行った女子は俺に背中を向けていて、恐らく気付かれていない。相変わらず立て付けが悪くて、結構がっつり押し込まないと閉まらない扉は、案の定少し開いたままだった。
「つーか来てない奴なんかいいじゃん、どうせいつもいない面子なんだから」
「幽霊部員な」
「どうせ三枝も誰がいないかなんて分かってないって」
「それ。あいつが軽音の部員全員覚えてる訳ない」
「ほんとほんと」
はは、と笑いながら顧問を軽快に馬鹿にしている部員が誰だかまでは、顔が見えないので分からないが。こういうのが大嫌いなので、俺は部室に近づきたくないのだ。誰かを貶して笑うことで消費される娯楽。正面切って言えもしないくせにな、とこちらも彼らを内心で馬鹿にしながら扉に手をかけて、
「つか、いないのって誰?」
「1年は分かんねー。みんないた?」
「あっ、はい、多分」
「2年は……兼部以外だと、吉野とか」
「あいつバイト」
「あ、岸!」
「あー、いないいない。いつもいない」
「目立ちたがりの幽霊な」
やめた。とりあえずやめてみた。ここで扉を開けて「あ〜……っと、連絡事項は〜……」と微妙な空気にするのはものすごく簡単だし、そうした方がこの後面倒でないが、相手に正面から物も言えないこいつらが、俺のことをどう捉えていて、どんな言葉で笑うのか、純粋に興味があった。乾いた笑いが通り抜けて、恐らくは一年生なのだろう誰かに、ああ知らないか、と嘲笑混じりに投げかけた声が、言葉を続ける。
「いやさ、去年の文化祭。一番最初に先輩に楯突いてそれっきり来なかった奴が、突然知り合いかき集めてバンド組んで戻ってきたから、ええ…?みたいなね」
「しかも全員学年上だったよな。日野先輩とか?」
「まあ誰も止めなかったし、普通にステージ上がってたけど。なにやってたっけ?」
「あー……なんだっけ……動画あったかも」
「なに?ファン?ウケる」
「ちげーって。あ、うん。これ。見る?」
「はい」
ヒノキに「はいダメ。やり直し」と死ぬほど練習させられた曲が流れ出して、これこれ、こんな感じだった、つーかマジでなんでお前動画とか持ってんの?と笑う声。去年のことを知らない一年生が、あのこれ、と口を開いた。
「見たことあります、俺。あの、この高校受けようとした時に、色々調べて。そん時見て」
「えー、マジで?誰か投稿したんかなー」
「誰かまでは、ちょっと……でも、」
「ほんとはしゃぎすぎだって!ちょっと客いるからって、調子乗っちゃったよな」
「上手いと思ってやってんだろ?まともに部活来たこともないくせにな」
「そもそも伊藤先輩こき下ろした時点で自分に自信ありすぎだっつの。いやいや逆にお前それできんのか?っつー話」
「ははは、俺あいつが弾いてるとこ全然見たことない。あれじゃん?知った気になって出来ないタイプじゃん?」
「あははっ、それは絶対そう!今度助っ人頼んでみる?」
「えー、やだなー、怖いもん。理論的には〜とか言われちゃったら泣いちゃう」
「だはははは」
けたたましく響いた笑い声。よく分かった。今までの諸々が全て、実際俺を目の前にしていたら絶対に口の端にも上らせることがないだろうってことも含めて。げらげら笑っていた声が扉に近づいて、つかさあ、と話を続けながらドアノブが捻られたので、特になんの反応もせず目の前に突っ立っておいてやった。
「茂木も俺らに任せっきりとか、お」
「……………」
「……え、なに?」
「え?続きどうぞ」
「……は?」
「目立ちたがりの幽霊がわざわざ来てやってんだから、続き話したら?滅多にないんじゃん?こんなチャンス。どうぞ」
「……………」
「……盗み聞きかよ」
「はあ?盗んでねえし。ドアの前にずっといたし。気付かずにクソでかい声で笑ってたのそっちなんじゃないの?」
「……………」
「頭と一緒で耳の聞こえも察しも悪いから俺がいたことに気づけなかったんだろ?それって俺のせいじゃなくてそっちの落ち度なんじゃないのかと思うんですけど、そういう場合ももしかしてやっぱり幽霊が悪いんですかね?俺って存在感そんなない?すいませんした」
「あ!?」
「はあ?」
とりあえず挨拶代わりに煽ったら見事に釣られてくれたので、馬鹿は扱いやすくて助かるな、と思ったし、そのまま口に出したら胸ぐらを掴まれた。ここで殴られても全然構わないし殴ったところで何が起こる訳でもないので、自慰的な意味で殴りたいならどうぞ。そう目を閉じてあげたら手が離されたので、やべーうっかり口に出てたな、と思った。流石にそれは言わなかったけど。
「言いたいことあんなら言えば?聞いてやるって」
「ねえよ!」
「意地張るなよー、あるだろ?恥ずかしがっちゃって」
「うっざ……」
「いやいや、さっきめっちゃ言ってたじゃん。目立ちたがりでー、はしゃいでてー、調子乗ってて?あとなんだっけ、忘れちゃったからもっかい言って」
「一生忘れてろ!」
「つーかなんの用?マジで聞き耳だけ立てに来たなら趣味悪すぎなんだけど」
「えっ?部員みんな顧問に呼ばれてるの知らない?部室にいても分かんないのになんで普段ここにいない俺が知ってるんだろうなー、おかしいな」
「馬鹿にしてんのか!?」
「馬鹿にしてるに決まってんだろそんなことも分かんないとかマジモンのバカか?脳に虫でも湧いてんの?生意気言ってすいませんでしたって床と頭で仲良しこよし出来たら許してやるよ」
「んだと、」
「もうイライラしてきたそれ寄越せ」
言われた悪口を指折り数えてやったのに続きを教えてくれないのでムカついて部室の中にずかずか入った。遠慮もクソもない、だって俺部員だし。置いてあったギターを手に取れば、唖然と俺を目で追っていた男がはっとしたように椅子を掻き分けて寄ってきた。
「あ?なにこれ、馬鹿が使ってる?もしかしてこちらの楽器をどう使うかご存知ない?しょうがないかー、部活動はお喋りして猿みたいに笑うための時間ですもんね、音が多少狂ってても気にならないんですよねえ」
「てめ、触んな!」
「手垢だらけのオモチャ取り上げられてえんえんですかあ?こっち来んな馬鹿が移る、なに弾いて欲しい〜?校歌〜?」
「は?いやちょ、」
「リクエストねえなら今練習してるやつ歌うわ、口閉じて聞いてろ」
まともに練習もしてない証拠に電源すら入ってなかったマイクとアンプをつけて、適当に音量を上げて、口を開く。この距離だから音入ってなくても聞こえると思うけどもしかしたらこれでも聞こえてないかもしれない、耳悪いみたいだから。おすすめの耳鼻科紹介してあげよ。
二人の面食らった顔がウケたので写真でも撮ってやろうかと思ったけど、両手が塞がっていたので無理だった。ヒノキだったらここまで歌うまでに5回は「聞くに耐えん」っつって辞めさせられてるだろうなってとこら辺まで歌って、飽きたので途中で終わりにして。
「で?なんか言いたいことある?」
「……………」
「……………」
「え……つっまんな……本人に直接悪口言うこともできない人たちって、適当な感想も言えねえんだ……脳が萎縮している……上手かったすね(笑)とかでいいのに……」
「いづるお前、何やってるんだ」
「え?調教」
「外に丸聞こえなんだけど。扉開いてるし」
「ほら、幽霊仲間増えたんだから、今のうちに言いたいこと言お!ファイト!」
「由井さんが30分早くスタジオ予約前倒ししてくれるって」
「行く行く行くこれ返すちゃんとチューニングぐらいしろよ弾いてて吐きそうだったわバイバイ」
黙ってしまった男にギターを突っ返してヒノキの後ろを小走りで追いかける。そういえば一人だけ一年生が混ざってたな、と後から思い出したけれど、思い出したのが後だったので、さぞかし居づらかっただろうなあ、と他人事に考えるしかなかった。
「あ!」
「あ?」
「ルーズリーフ部室に置いてきた」
「取ってこい」
「無理、いじめられてるから。ヒノキとってきて」
「無理。みんなに無視されてるから」
「……かわいそう……」
「口じゃなくて手動かせ」
「俺がみんなに言ってあげよっか?ヒノキのこと無視しないで!って」
「ここ変えたい。一回弾いて」
「聞けや」

確か、蒸し暑い日が続くようになってきた頃だったと思う。
「あ、あの」
「お」
「……ここ東棟。西棟の3階」
「あっ、いえ、えと、迷ってる訳じゃない、です……」
恐る恐る、といった様子で顔を出したのは、見覚えのある一年生だった。前回ここにきた時には軽音部の部室を探してて、そういえばよくよく思い返してみれば俺がルーズリーフを部室に忘れた時にもこいつがいたような気がする。多分。そんなじっと見てないから別人かもしんないけど。そういえばあのルーズリーフは存在ごとすっかり忘れて部室に置きっぱなしになっているけれど、誰か親切な人が届けてくれないだろうか。ほら、目の前で歌ってやったし。お礼として。
前回と全く同じ言葉の足りない道案内をしたヒノキに、首を横に振った一年生が、周りをきょろきょろ見回しながらこっちに来た。なににそんなに警戒してるんだ。罠?
「あの俺、斎藤凪々瀬っていいます」
「はあ」
「一年四組です」
「そうすか」
「このバンドに入らせて欲しくて、あの、でも楽器とかやったことなくて、でも頑張るので、練習とか、めちゃ厳しくても俺がんばりたいので、お願いします」
「……………」
「……………」
「……ぇあ、あれ?あの、やっぱダメですか、やったことない人って……」
「……………」
「……ウケる。ヒノキマジで固まってんじゃん」
そうは言ったものの、流石にこっちも三言目でそう来るとは思わなかったので、思考停止したけれど。完全に意識外だったらしく、珍しく硬直して脳味噌をフル回転させているらしいヒノキを何度か叩いたものの、なんの反応もしなかったので、代わりに。
「別にいいけど。でもなんで?俺らまだバンド組めてないよ、ベースいないもん」
「あ、じゃあ、俺はベース?を練習したらいいんですかね」
「あっそうなるんだ……すげえなお前……」
「えっ、あ、うーん、斎藤凪々瀬っていいます」
「それは聞いてた」
「あ!斎藤って意外と多いので、凪々瀬でいいです!名前で呼んでくださいっ」
「ナナセ」
「はい!」
「……ヒノキ?目ぇ覚めた?」
「未経験でも優しく教える自信とかないからやってほしいことが出来ないならすぐ辞めてもらうけどそれでよければぜひ」
「はい!がんばります!」
つらつらと言い放ったヒノキに、いい返事をした後輩、ナナセ。大丈夫だろうか。こいつの「優しくしない」はマジで優しくないけど。俺多分ヒノキに五億回ぐらい頭スッ叩かれてるし七億回ぐらい思いっきり蹴られてるけど。あとこいつの言葉のナイフ、普通に振り回してるとかいう危険度じゃなくて、よくよく狙って目印までつけたところにゆっくり丁寧に深く刺した上で「ちゃんと刺さってるかな?」って何回も刺し直して確認してくる感じだから、下手したら明日でいなくなってるかもしれない。それは流石にちょっと。そう思いながら、頬を赤くしながら照れているんだか喜んでいるんだかしているナナセをぼんやり見ていたら、ヒノキがこっちを向いた。
「いづる」
「なに?いった!痛っ、何すん痛!なんなんだよ突然!」
「殴られたのが腹立った」
「死ね……」
「日野桔平。よろしく」
「よろしくお願いします!ヒノキさん!」
「これはいづる。二年三組。勉強ができない」
「ポケモンみたいな紹介の仕方すんなあと余計なこと言うな。岸伊弦」
「はい、先輩っ」
「……名前は?」
「?ええと、岸伊弦」
「そう」
「覚えました!先輩」
「……これは?」
「ヒノキさん」
「俺は?」
「先輩」
「伊弦さん」
「先輩」
「蹴るぞ」
「優しくしろ。逃げられたらどうするんだ」
「あ!馬鹿ヒノキ!お前が引っ張ったからパンが潰れちゃっただろ!」
「お前のパンなんかどうだっていい」
「俺のお弁当食べますか?鮭ですよ」
「いらない」
「そうですかあ?」

ということで、どういうわけか3人になった。なったところで、まずそもそもナナセがド初心者だったので、どうということもないのだけれど。しかしながらナナセが言った「がんばります」は嘘でもハッタリでも無かったようで、人の心とかないヒノキが指示した通りに練習してきては出来るようになるし、「明後日までにできるようになって」とかアホみたいな無茶を振られても「はい!」ってニコニコしながら了承するので、ナナセには時間の感覚がないのか?大丈夫か?明後日って48時間後のことだけど分かってるのか?と何度か疑った。しかも、まだちょっと不安ですけど…とか言いながらちゃんとまともに練習してきてできるようになるので、こいつ頭大丈夫か?とも思った。ヒノキは大体「もっと練習して」って言う。お前こそ明後日のこと48時間後だって分かってねえんじゃねえのかな。
夏がそろそろ終わる頃。3人で放課後楽器屋に行って、その後。ファーストフード店で教科書を広げて頭を抱えている俺。目の前で腕組みしてこっちを見ているヒノキ。ハンバーガーの包み紙を開いているナナセ。
「そこの公式が違う。まず教科書を見ろ」
「見てる見てる見てる……もう無理……」
「追試になったら殺すぞ」
「殺される……」
「んむ、先輩がんばってください」
「うるさい!チーズバーガー食ってろ!」
「おいしいです」
「そうかよ!」
「見ろ」
「これ以上数字見たら目が溶ける」
「先輩数学苦手なんですか?」
「苦手じゃない」
「認めろ。苦手だろ」
テスト前なのである。俺は数学があまりできないので、「あまりできない」とか言うと毎回何とかして追試から俺を逃れさせようと勉強を教えてくれてるヒノキがバチクソキレると思うので俺の名誉は無視して「全然できない」ということにしておくけど、まあそういうことなわけだ。ちなみにヒノキが俺を追試にさせないよう教えてくれてるのは、俺が可哀想だからとかそういう人道的な理由ではなく、追試になると合格ラインに達するまで部活動参加禁止だからである。ヒノキは基本狂ってるくせしてそういうルールだけはきっちり守るので、そうなると困る、とテスト前になると俺に勉強を叩き込みに来る。そういうルールが守れるのに何で校則を無視してタトゥー入れたんだかは知らない。やっぱ善悪の判断が狂ってるだろ。ていうか自分がちょっと頭いいからって生意気だと思う。本人に言ったらなにかしらの鋭利なものを刺されるので言わない。
お腹すきましたあ、とぼやいていたので自分のために買ったけどくれてやったチーズバーガーを齧りながら、じゃあ俺も勉強しよっと、とノートを広げたナナセを見ていたら、余所見するんじゃない、と目ギリギリに定規の角を向けられた。刺さってたらどうしてくれるんだよ。
「もうほんと無理。今日はやる気しない」
「じゃあ二度と俺とななせに近づくな。新しいボーカルを探す」
「えー、先輩がいいです」
「だってさ」
「死ぬか勉強するか選べ」
「ヒノキもうちょっと優しい言葉使ってほしい。死ねの代わりに愛してるって言って」
「愛してる」
「あ無理。死んじゃった」
「そうしたら追試受けなくて済むのにな」
「……ナナセは?ヒノキになんか聞いといたら?こいつ何でも分かるよ、友達いないから」
「俺今回は自信あります!得意なとこなんですよ」
「へー……」
「友達がいないのと勉強ができるのは関係ないだろ」
「友達がいないから休み時間勉強しかすることないし、友達がいないから聞く相手がいなくて自分で全部できるようになるんやろがい」
「そうか」
「納得すんなよ……」
「じゃあななせも友達いないんだな」
「う」
なるほどな、と言った感じで零されたヒノキの心無い一言のせいで、ナナセが手を止めて固まった。数秒おいて、いやいますよ…って。間がすげえな。絶対いないじゃん。
「えっ?ナナセ友達いないの?ウケる」
「い、いますよ、いますってば」
「教科書忘れた時とかどうすんの?先生に言うの?貸してくださあいって」
「隣のクラスの友達に借りますよ!友達いないことにしないでください!」
「ヒノキは借りる友達いないもんな」
「そもそも教科書は忘れない」
「そのレベルの問題じゃねんだわ」
「いづるじゃないから、教科書は忘れない」
「うるせえなー」
「こいつ毎日どれか一教科しか教科書持ってこないらしいぞ。ななせ、こんな風になったら終わりだからな」
「なんで一教科しか持ってこないんですか?」
「友達と回して使ってるから。重いじゃん教科書……俺は現文、友達が数学の奴と英語の奴がいて、つーか問題集とかノートとかはちゃんと持ってきてるし。教科書だけだし」
「はえー……」
そんなやり方があるのか…みたいな顔をされた。なんかあったらしくて置き勉禁止にされたから、毎日持ってくんのダルいんだよな。
結局数学はあんまり進まないまま、時間も時間だから解散になった。追試になると練習できなくなるし、落とすのは割と勘弁ではあるので、ヒノキがキレないうちに真面目にやっとこ。コツコツ問題集解いてたナナセ見てヒノキが「ななせには教えること何一つない」って言ってたし。
次の日、ナナセの筆箱が丸ごと俺の鞄に入っていたので、朝届けてやろうと思ってクラスに行った。見回したけどナナセはまだいなくて、ちょうど通りかかった男に声をかけた。
「なあ。ナナセ来てる?」
「え、あ?な、ななせ?」
「うん。ナナセ……名字なんだっけ」
「えっと……誰だろ、すんません、分かんないです」
「あっそ?ありがと」
頭を下げられて、今の「分からない」は「来てるかどうか」じゃなくて「ナナセが誰だか」にかかっているんだろうな、と思った。いやマジで友達いないじゃん。かわいそう。

文化祭には3人で出た。一部からめちゃめちゃ邪魔がられてるのはよーく伝わってきたが、ヒノキは全く気にしてないし、俺も別に何とも思わないし、ナナセが一番風当たり強い位置にいるんじゃないかと思ったけど本人がそれどころではないらしくリハの段階でもう「失敗したら死ぬ」と真っ青な顔でぶつくさ言ってたかと思ったら前見ないで歩いて柱に激突して鼻血を垂らしていたので、周囲の目は気にならなかったようだった。まあなんとなく上手く行った感じはしたし。盛り上がってたし。
それからしばらくして、ヒノキが卒業した。進学しないってのは聞いてたし、一人暮らしするっていうのも聞いてたから、家決まって引っ越したって分かってからナナセと一緒にすぐ遊びに行ったんだけど、マジで何も無かった。冷蔵庫の中に作り置きらしいタッパーが入ってたのが唯一の生活感って感じだった。多分ヒノキのお母さんが作ってくれたやつだと思う。勝手に開けて食べたけど美味かったし。
「あの家ケツ痛くなる。クッション的なもの次持ってこ」
「また行くんですか?」
「ナナセ行かないの?」
「行っていいなら行きますけど……」
「いいだろ。嫌な時はヒノキだって鍵開けないだろうし」
「そっか。そうですねっ」
「俺は一人暮らししたら色んな友達呼ぶ。家だと騒ぐと親がうるせえから」
「先輩も一人暮らしするんですか」
「高校卒業したらしたい、あ!ゲーセンあんじゃん、クッション」
「先輩んち行きたいなー」
クレーンキャッチャーでちょうどいい大きさのがあったからとりあえず取れるまでやろうと思ってがんがん両替しながらやってたら、「信じらんない…」ってナナセに引かれた。なんでだよ。
結局クッションも無事取れたし、次ヒノキんち行く時持って来いってナナセに持たせた。自分で持って帰るのがめんどかったから、試しにナナセに持って帰れって我ながら理不尽な要求をしたところ、あっさり了承されたもんだから。ただその代わりというかなんというか、俺の家の鍵がなかった。幸いなことに家に人はいたから入れたけど、ないままだと少し困る。ヒノキんちに忘れてきたか、ナナセの鞄かなんかに入ってるか。一応ヒノキには連絡したけど返事がないので、じゃあナナセに聞くかと思って次の日の朝クラスを訪れた。
「あ。ナナセいる?」
「あっ!あ、ななせ、斎藤のことですよね?」
「うん?うん。多分」
「斎藤来てた?」
「さっき見た。すぐどっか行ったけど」
「だそうです!あの俺、文化祭見ました!」
「ありがとー。ばいばい」
「はい!」
ナナセを知ってるやつに初めて出会った。ていうか今の奴どっかで見たな、軽音部員かな。当のナナセはすぐどっか行ったそうなので、昼にでもいつもんとこに呼び出せばいいかと思ってクラスに戻ると。
「あ。岸ー、後輩くん」
「ふぇんふぁい、おふぁよおございまふ」
「……何食ってんの?」
「シュークリームあげたの。急にシュークリーム食べたくなることってない?波が来たから買ったけど秒で潰れて萎えたよね」
「ナナセお前、シュークリーム食べんの下手だな」
「んぐ、そうですかね……」
「ほんとだ。気づかなかったけどべたべたじゃん。ウェットティッシュあげよっか」
「シュークリームは裏返して食べるとクリーム飛び出ないんだよ。次からそうしろ」
「え!そうなんですか!」
「岸なんでそんなこと知ってんの?おばあちゃんの知恵袋?」
「そうそうマジでそれ」
「うわ雑ー。もう岸には何もあげないからー」
ナナセに餌付けしていた女がさっさと自分の席に戻って、友達と話している。指についたクリームをいそいそ拭っていたナナセに、口にもついてる、と教えながら、椅子に座った。
「お前俺の家の鍵持ってるだろ」
「はい、持ってます」
「返せよ。何で持ってんだよ」
「先輩が昨日クッション取るときにお財布出そうとして持ってろって言ったんじゃないですかあ」
「返せや!そのすぐ後に!」
「家行きたいって言って鍵くれたから……」
「馬鹿なの?ほんとそういうとこ腹立つ」
ほんとは忘れてただけですよお、と鍵が帰ってきた。自分のクラスに戻っていくナナセを見送って、背後でこそこそしているクラスメイトに振り向く。「後輩をいじめている」「かわいそうに」「あれじゃ誰にも慕われない」「だって軽音部でめっちゃ嫌われてるらしいよ?三年生なのに。威厳とかなさすぎ」じゃねんだよ全部聞こえてんだよ。わざと牙を剥いたらキャーキャーしながら逃げられた。

「いづる。これやる」
「え?なに?」
「……作曲入門?」
「昔買ったけどあんまり使わなかった。売るよりはお前にあげた方がいいかと思って」
ヒノキんちに来た。寒くなってきたのにも関わらずカーペットとかそういうものがないので、この家は底冷えする。ヒノキ本人はそういう機微を感じ取れないので、「暖房入ってるんだからいいだろ」とか言うし。犬のクッションを抱えたナナセが、俺とヒノキの顔をきょろきょろ見比べている。別にもらうのは構わないけど、特に意欲的に読むつもりもないし、なんならなんで「お前にあげたほうがいい」のか全然分かんないんだけど。そう思って受け取った本を床に置けば、それを見たヒノキが数回まばたきをして言った。
「ギターボーカル兼作詞曲以上に目立てることなんてあるか?」
「ない」
「頑張ってキャーキャー騒がれろ。以上」
「別にそのためにやってるわけじゃないんすけどお……」
「……先輩って現金ですよね」
「だから別に目立ちたいからやってるわけじゃないっつーかこれほんとに入門?意味分かんないんだけど。機材いる?」
ぺらぺらと本を捲りながらそう言えば、ここにも多少ならある、とヒノキが収納からよく分からんやつを細々と引っ張り出してきた。ヒノキ曰く、「やってみようとして色々買い揃えたし本も買ったし周りの人に聞いたりしながら手をつけてみたけれど、自分でやると全く納得いかないものしか出来ないし納得いくように弄っていると永遠に終わらないので諦めた」そうだ。まあ想像できるし、それらしいといえばそれらしい。ヒノキに聞きながらコードを繋いでみたりボタン押してみたりいろいろしてたら、理解を放棄したナナセが床に転がって寝てた。気づかなかったけど、結構長いこと経っていたらしい。腹も減ってきたし、外ももうとっくに暗いし。ぴすぴす寝てるナナセを適当に揺さぶって起こせば、唸りながらのろのろ体を起こした。
「おい。帰るぞ」
「んん……あいた……いたた、起きれないです……」
「床で寝るからだろ。自業自得」
「ななせ。明日休みだから、泊まってもいいけど」
「えっ!ほんとですか!やったー!」
「なんでナナセだけ!俺泊まってもいいとか言われたことない!」
「お前には今これ教えるのに時間使って構ってやったろ。ななせには今日細かいとこ伝えきれてない」
「俺も帰りたくない!泊まる!」
「寝る場所がないから帰ってくれ」
「ナナセが床で寝る!」
「嫌ですよお……今ちょっと寝ただけでこんなに体痛いのに……」
「じゃあ家から寝袋持って来る!」
「いづるは帰れ。ななせ、晩飯食い行こう。ラーメンでいっか」
「やったー、ラーメン!」
「ヒノキ!」
「邪魔」
しがみついたのに普通に振り解かれたし蹴られた。帰んねーからな!と物のない部屋の中央で大の字になってたら、嬉しそうにキャッキャしてるナナセを連れたヒノキが当然のように電気消して出てったので、流石に信じらんなくて一人で「えっ……?」って言った。それはないだろ。
一応、最終的には泊まれたし、ヒノキとしても一度そうなるとその後は構わないのか、なし崩しに雑魚寝で一晩乗り越える日がちらほら増えた。

卒業してすぐ一人暮らしを始めた。ヒノキの家に置いてた色んな機材は「俺は使わないから」とまとめてうちに持ってこられて、必然的に今までヒノキの家で集まってたのがうちで集まるようになった。まあわざわざ行かずに済むようになったのは助かる。
ヒノキは呼べば来るし、ナナセも学校終わったら大体来る。テスト中とかは来ないけど。相変わらず友達はいないらしい。本人はいないとは言わないけど、毎日のようにうち来てたら友達とか絶対いないだろ。ヒノキはいいんだよ。ヨミくんとは連絡取ってるって言ってたし。もう友達っていうより母親とかの域じゃん、それ。
「この音がいらない」
「でもないとぺらくなるじゃん」
「じゃあ別のにして。とにかくこれはいらない」
「そおですか〜」
「人の話は真面目に聞け」
「聞いてるだろがよ了承してんだよこっちは」
いつもだったらヒノキが来る前にナナセが来るんだけど、今日は珍しく逆だった。ナナセから遅くなるとかも聞いてないから、どっかで事故ったりしてなきゃいいんだけど。いくつかの全没を乗り越えてやっと「まあ基本はこれでいいか…」とヒノキに言われた曲を弄っているのだけれど、あれこれくっつけるたびに「これは違う」「これならさっきのやつの方がマシ」「これはどう聞いても気持ち悪い」とかめっちゃ言ってくるし。そりゃこっちも返事がだらっとするってもんだ。ちょっとは「これいいね!でももう少しこうした方がいいかな?」みたいなプラスな意見出してみろや。俺笑い死ぬかもしんないけど。インターホンの音で、想像上ですら形にならない偽ヒノキが爆発して消し飛んだ。
「あ。ナナセ来た」
「早く」
「うるせーな!じゃあ自分で出迎えろや!もうやだヒノキのバカ!長袖メガネバカ!」
「わかった」
「言い返せやクソバカアホ!嫌い!」
「ななせ。遅かったな」
じたばたしている俺のことは案の定全く気にならないらしいヒノキが、俺を跨いで玄関に向かった。どう聞いてもいつもよりめちゃくちゃ低いトーンでナナセが「はい……」って答えてるのが聞こえてきて、体を起こした。腹でも壊したんだろうか。
「いづるが今騒いでる。いくつか案出してみたから、ななせも聞いて」
「いやいやいやおかしいだろ!察せよバカヒノキ!飼ってる犬でも死んだぐらいのテンションだろ!」
「……犬は飼ってません」
「飼ってないって」
「ヒノキあっち行ってろ!飯!」
「嫌だ。腹は減ってない」
「じゃあ黙ってろ!メガネに油つけるぞ!」
「はあ」
不思議そうな顔のヒノキが、死にそうな顔のナナセから離れて、元いた場所に戻った。座れと声をかけても座らなかったので、無理やり膝カックンして座らせた。座るというより崩れ落ちるって感じになっちゃったけど。
「どした?犬死んだ?」
「……犬飼ってませんって」
「じゃあ人?」
「人も死んでません……」
「えじゃあなに?遅かったのと関係ある?」
「……………」
「言えや。別に言わなくてもいいけど、言わないなら言わないでそのしょぼくれた態度やめてほしいんだけど。見ててなんか嫌」
「……喧嘩……あの、親と、喧嘩しました」
「うん。なんで」
「……なんか……俺、高三になったし。受験とか、進学とか、まともに考えてないって言われて、現実見ろって。それができないのは高校入ってから始めたバンドのせいだろって話になって、違うって俺言ったんですけど、だって違うし、ちゃんと考えてるし……」
「んー」
「先輩たちだって、大学とか行ってないじゃないですか。俺も、もっと練習時間欲しいし、いっぱい合わせたいし、できるようになりたいのたくさんあるし、やりもしない勉強なんだったら時間無駄だなって思うし」
「ヒノキみたいなこと言ってる」
「将来使わない勉強はマジで無駄だと思う」
「そうですよね!そうっ、俺もそう思って、でも親はそんなの聞いてくれないし、普通に大学行って普通に就職して、バンドなんて趣味でいいでしょって……最近家にも帰ってこないって、悪い友達ができたんだとか言われて、そういうんじゃないって言ったのに、聞いてもらえなくて、ぇ」
「うお」
「……………」
「ひっ、ひぐ、ぅ、ゔー、そんで、めぢゃげんかしてえ、家飛び出してぎぢゃっでえ……」
「……………」
「あ、うん。ありがと」
突然ぼろぼろ泣き出したナナセに、無言のままだけど多少はびっくりしたらしいヒノキが、俺伝いにティッシュを渡した。自分で渡してほしい、と思ったけど、もしかしたらこいつは人間が泣いているところをまともに見たことがなくて驚いているのかもしれないので、お礼を言って受け取っておいた。一瞬でぐじゅぐじゅになった顔面を手でべそべそ拭いているナナセに箱ごとティッシュをやれば、こもった声でありがとうございますを言われる。
「……え?親と喧嘩したのがショックだったってこと?」
「ぢ、っちがいますゔ、おれ、なんも、なんっにも言い返せながったのが、ゔぅ、くやしぐてえ、ゔええ」
「はあ……ヒノキなんかアドバイスある?」
「直接言うのが難しいなら、録音して持っていくとか書面にするとかはどうだろう」
「親との喧嘩の解決方法じゃねんだよなあ」
「そうか……ああ、なら、相手の言葉も録音しておくといい。言質がとれる」
「だから状況分かってる?相手親なの。そこまでボッコボコにしろなんて誰も言ってないの」
「ボイレコ貸しでぐだざああ」
「嘘でしょ」
引いた。でもナナセが泣きながら床に丸くなってしまったので貸した。それから数日、ちょうど連休に差し掛かったのもあってナナセはほぼうちに泊まり込んでて家に帰らなかったが、学校があるので平日になったら帰ったし、その日の帰りにまた来た。ケロッとした顔で戻ってきたので、親とは顔を合わせなかったのかと思ったら、「帰らなかったらめちゃくちゃ心配したみたいで、謝られました」だそうで。なんも解決してない。ボイスレコーダーは返してもらった。

春になった。ナナセは無事卒業した。
「だから、英詞がいいなら誰かに頼まないとまともなのが書けないだろ」
「ナナセがやるっつってんじゃん」
「はい!がんばります!」
「英語4取ったことあるって」
「この曲調で英語4レベルの歌詞なんて付けたくない」
「英語4レベルでごめんなさい……」
「あーあ!ヒノキがナナセのこと落ち込ませた!青もじゃお化けになっちゃった!」
「ちょっと。青もじゃお化けって言われんの嫌なんですけど」
「結わいてやるから」
「わーい」
「違えだろ!歌詞!じゃあ逆に誰かに頼むって頼む宛あんのかよ!」
「まだない」
「先輩とお揃いにしてくださいっ」
「わかった」
「だからじゃあナナセに一旦やらせりゃいいだろせっかくライブ出させてもらえるの決まってんだからさあ歌うこっちの身にもなれよ歌詞ねえと困るんだよ鼻歌で誤魔化せって言うんですかァ!?」
「あーあ。ヒノキさん、先輩大の字になっちゃいましたよ」
「この狭くて汚い部屋でよく大の字になれたな」
「うるせーなどこが狭くて汚いんだよ!大の字にぐらいなれるわ!なんなら後二人余裕で行けるわ!寝てみ!」
「嫌だ。ななせどうぞ」
「えー、俺も嫌です」
「全部捨ててからでよければ寝る」
「おめーこないだその汚くて狭い部屋で寝潰れて俺の服に頭埋めてたからな!写真あんだからな証拠に撮ったやつ!ナナセ見て」
「ほんとだ。あはは、ヒノキさん雪だるまみたい」
まあ、なんとかやっている。先らしい先は、よく見えないけど。


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