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おはなし




ヒノキがちょっと待ってろって言うから、暇つぶしにスマホでパズルゲームやってたら通知が来て、画面の上部分が隠れたせいで落ちてくる色が分からなくなってスコアが伸びなかった。普通に無視したかったが、一瞬見えた内容が内容だったので、開く。『今目の前にいるんですけど家にいますか』。距離詰め過ぎのメリーさんかよ。目の前っつっても、と思いながら返事の前に玄関から覗こうと思って扉を開ければ、何か固いものにぶつかった音がした、ような気がする。とりあえず下にはなんもない。顔をあげると、額を抑えて俯いている男がいた。
「いったい……」
「目の前にも程があんだろ」
「……俺ちゃんと連絡しましたもん」
「なに?掃除なら先週したじゃん」
「俺のことメイドさんか何かだと思ってます?」
便利さで言ったらそんなもんだろうとは思ってる。うちメイドいたことないから知らんけど。とりあえず用事はないので扉を閉めようとしたら、足を挟んで邪魔されたし普通に入ってきたので、部屋の中に踵を返す。積んである雑誌と服を跨いでさっきまで座ってた場所に戻れば、しょぼくれながらちゃんと人の家の鍵をかけたナナセが、肩を落としながら服をかき集め始めた。
「はあ……あー……もう……これ全部洗っていいやつですか?」
「いい」
「そっすか……うわ洗剤空っぽだし……詰め替えはあ?」
「知らん。あっ、あー待って、もしもし?ヒノキ?」
『そう』
「終わった?俺もう繋いでる」
『今やる』
「そう言うと思って俺前に買ってきたの隠してあるんですよ、詰め替え。見て」
「洗濯すんならさあ、寝るとき着てたやつも洗えよ。そこにあるから」
「どれですか?そこにあるが多すぎてわかんない」
「あるだろそこに」
『誰?ななせ?』
「え?そう。ナナセが来てる。は?知らん、急に来た」
「ヒノキさんですか?」
「ゲームやるから黙って」
「はあい」
自分が座る場所を確保したいらしいナナセが、洗濯機を操作して戻ってきて、積んであったのが崩れたものたちをせっせと積み直して横によけて、満足げに一息ついたくせに数秒後に膝を抱えて丸くなった。忙しいやつだな。携帯ゲーム機に目を落としながら、なんか用?とか、手土産も無しになに?とか、色々ナナセに言ってるんだけど、はあとかうんとかで全然答えにならない。スマホで通話を繋ぎっぱなしにしてるのに、ヒノキはなんにも言わないし。なんかあったのー?ぐらい聞けや。そんなの聞かれたら俺笑っちゃうけど。しばらくゲームを進めていたら、不意打ちで一発いいの食らって死にかけになった。
「あ!あっ、ねえ失敗した。一回落ちたい。ヒノキ。ヒノキ?おい。聞いてる?俺しか口開かなかったら通話してる意味ないだろバカ」
「……先輩……」
「今話しかけんな!」
「……無茶苦茶言うじゃないすか……」
「死ぬって!回復して」
『しない。時間の無駄』
「てめえ今度殴るからな」
「あの、先輩。おれ、あの」
「ナナセうっさい!掃除しろ!」
「大事な話があって、」
「後で!」
結局なんとかどうにか死なずに済んだ。助けに戻ってくる時間を切り捨てて効率を取ったヒノキは死んでしまえばいいと思う。それなりにしっかり文句は言ったものの、ヒノキは聞いてるようで聞いてないので、多分なに一つ響いていない。都合のいい耳をしているので。途中までずうっとぶつくさ言ってたけど、気づいたら静かになってたナナセの方に目を向ければ、また膝を抱えて小さくなっていた。いや、場所取ってるから。充分でかいわ。ヒノキと繋がりっぱなしになってるスマホを片手に、足の爪先を伸ばして突っついたら、ぐず、と鼻を啜る音がして、顔が上がる。
「は?なに泣いてんの」
「……泣いてないです」
「ほっとかれたから泣いちゃったの?赤ちゃんかよ」
「泣いてないです!」
「あっそ。ヒノキ、ナナセ泣いてる」
『なに?』
「電波と耳どっちかイカれてんの?ナナセ、腹減ったからなんか食いに行こ」
「俺!おれ、っあの、やめ、やめますから!」
「なにが?急に人んち来て掃除すること?」
「バンドやめますからあ!」
「は?」
『……は?』
ナナセが顔を真っ赤にして叫んだ渾身の大声はしっかりスマホ越しに聞こえていたらしく、唸り声と聞き違えるぐらいめちゃくちゃ低い疑問符を最後に、通話が切れた。それに気づいたのはしばらく後だったけど。

「落ち着けって」
「お、おちついてます、おれ、っぐず」
「泣きながら喋るやつは落ち着いてないし目ぇロンパってんぞ」
「おえっ」
「酔ってんの?」
洗濯回し始めた時は普通だったのに、ほっといてる間に一人で追い詰められてこんなんなっちゃったぽい。そんなことある?俺なんか悪いことした?ちなみに、回り出した洗濯機はほんの数分前に止まって、ピーピー鳴ってた。こいつ干す気ないよな。俺がやるんだろうか。めんどくさいな。
ナナセはそもそも泣き上戸の節があるので酔っ払い説を挙げたんだけど、ぶんぶん首を横に振られた。何故かさっきから両手で俺の片手を握りしめているので、手汗がすごい。あったかいっていうか熱い。いくらナナセ相手でも、若干うえって思うんだけど。他人の手汗嫌だろ、普通。青くて長い髪をべたべたほっぺに引っ付けたナナセが、ひいひいしながら口を開いた。
「いいよもう喋んなくて。ヒノキつながんないから来るよ」
「り、理由を、っりゆうが、あるんです」
「なに?太ったとか?」
「違います!」
「声でか。元気じゃん」
「俺っ、俺は、先輩離れをしなきゃいけないんです、ゔえっ」
「吐くなよ絶対。絶対吐くなよお前。二度とうちに入らせないからな」
「き。きもちわるくないぇす」
「顔色ドブみてえ」
絶対どっかで死ぬほど酒飲んでから来てると思うんだけど、そうは認めようとしないので、そうでないことにしておいてあげよう。俺は今鼻が詰まっているので、こいつが酒臭いかどうかが分からない。到着時ご機嫌気味だったのは、まだ酔いが深刻でなくて気分がふわふわしてたからだろうか。ていうかこんな休みの日の真っ昼間から酒浴びるなよ。そして人の家に来るな。死んでも吐くな。フリじゃなくて。
全く要領を得ないナナセの話から読み取ると。今朝方なんかあって、なんかあったの部分は意味不明なので無視して進めるとして、その挙げ句に「俺はバンドをやめる」と決めたらしい。要約しすぎて内容量がゼロだ。理由がある、というのを本人が何度も何度も、最終的に床に転がりながら何度も言うので、まあそうなんだろうな…といった感じ。こんなまともじゃない状態の人間から話を聞いて、はいそうですかと信用するのは馬鹿だと思う。
「もういいって。正気に戻ってから話せよ」
「正気です!」
「うわブス……タクシー呼んでやるから帰れって。金は自分で払えよ」
「ちが、ちがくて、おれえ」
「とりあえず手離して」
「なんでそんなこと言うんですか!」
「ベタベタして気持ち悪い」
「なんでっ、なんっ、そうゆうこと言うんですかって言ってるんですよ!」
「警察呼ぶ?」
「先輩のバカ!九九言えないくせに」
「言えるわ。ふざけんなよ」
うええん、とついに床に臥せって泣き出したナナセをとりあえずムービーに収めた辺りで、チャイムが鳴った。一応、さっきの反省を生かして玄関扉はそおっと開けた。立ってたのはヒノキで、はいこれ、と普通の顔をして缶の入った袋を渡された。ビールだった。なんでだよ、と変な顔を浮かべて数秒、ああこいつそういえばナナセの惨状を見てないから知らないのか、と思い至って声をかけようと振り返ったのと、ヒノキがナナセの首根っこを引っ掴んで持ち上げてるのが目に入ったのがほぼ同時だった。
「は?」
「ぅ、え」
「ななせ、」
「はい、ぇぶっ」
「……………」
「おい。こっち見ろ」
いや殴ったんだけど。当然みたいな顔で。流石に絶句した。左手でナナセの襟首引っ掴んで、右手グーにして振り抜いたのを、目の当たりにしてしまった。ていうか、普通の顔して人を殴るなよ。人を殴るって、もっと激昂した時の最終手段だと思ってた。人の家すたすた入ってきてとりあえず繰り出す手段ではないことだけは確かだ。名前を呼ばれてちゃんと返事したナナセが可哀想なレベル。そもそも泣き伏してヨレヨレだったところを殴られたので、思いっきり首がっくんってなったけど、平坦な声のヒノキが引っ張り戻して揺すってる。大丈夫?死なない?
「ななせ」
「……ぁい……」
死に体の返事だった。首やべー方向に曲がってる。乱れまくった髪の毛をぱっぱっと払いのけたヒノキが、首を傾げるようにしてナナセを観察して、一つ頷いた。何に納得したんだろう。俺にはナナセの頬にしっかり殴られた痕が残ってるようにしか見えない。それに満足したなら頭がおかしい。ヒノキは俺に背中を向けているので、俺からはナナセしか見えない。ヒノキの顔が見えないのが怖い。笑ってたらどうしよう。ナナセの命はもう諦めるしかない。俺ヒノキが笑ってるとこ見たことないもんな。
とりあえず手持ち無沙汰になったので、ヒノキが持ってきた袋から缶を出した。すぐそこのコンビニで買ってきたらしく、まだ冷たい。もっと冷やしたいところだけど、いづらいからなんか飲んで誤魔化しとこってのも強いので。
「やめるって?」
「……ぃあ、あの、……えっと……」
「やめるっつった?さっき」
「……そ……そっすね……」
「やめてもいいけど。だったら、ななせの代わり連れて来れるんだよな」
「か、かわり?」
「そう。明日からななせの場所できる人連れて来れるなら別に明日やめてもいい。やめるだけやめて逃げるのって無責任だよな」
「……ぇと」
「な?」
「……はい……」
「じゃあそれで。よろしく」
「……ぁ、あの」
「家帰れる?タクシー呼ぶ?」
「あ、えっ、ヒノキさん、俺」
「立てない?無理か。呼ぶから、家帰って。連絡待ってる」
「せ、せんぱ」
「先輩今ビール飲んでるんで無理ですね」
「ひどい!」
「いづる。ここってこれで合ってる?」
「合ってる」
「じゃあななせ、もうすぐ来るって。外で待ってな」
「ヒノキ、つまみない」
「買ってあるからよく探せ。あとこの前送ってもらったデモ曲、ピアノが邪魔だった」
「は!?なに急に!」
「ピアノ弾けないからって憧れが全面に出てるのが痛々しい」
「なんでそういうこと言うの?オブラートって知ってる?」
「食べるやつ」
「バカ?あと別に俺ピアノに憧れとかないから」
「あっ、あの!俺!」
「ななせは帰って休め」
「つーか邪魔とか言うなら代案あるんですかァー!?」
「嫌すぎるんですけど!これで帰るの!」

「代わり見つかったの?」
「……その節はどうもすいませんでした……」
帰りたくないんですけど!と喚きながらナナセが帰らされてから、数日が経って。今度はちゃんと事前に連絡があり、何日の何時に行きます、と指定も決めてから来たので、ナナセは狂っていなかった。ヒノキはいつも、ナナセが来てしばらく経ってから来るので、まだいない。そういえば先日ナナセが回した洗濯機の中身は、俺が忘れたので2日ぐらいそのままになった。しょうがないから回し直して干したけど。
「説明してもいいですかね……」
「別に聞きたかないけど」
「言い訳さしてくださいよお!」
「ヒノキもいる時にしろよ。二度手間でめんどい」
「それもそっか。そうですね」
あっさり引っ込めたナナセが、じゃあこの辺ぱぱっとお片付けしちゃいますね!と袋にゴミを詰め始めた。そのまとめたゴミどうするつもりなんだろ。ごみ収集の日、明後日とかなんだけど。
ナナセが片付けをして二人ぐらいは座れるかなってスペースが空いて、あとなんかぐちゃっとしてた服とかも畳み直されて、ヒノキが来た。ナナセが一発目で謝ったけど、「ああうん、この前の練習で渡したのやっぱ差し替えるから返して」と全然違う話をされていた。そういうやつだよ。ヒノキに人の心とかないから。3人とも座ったところで、意を決してといった感じのナナセが口を開いた。
「あのですね」
「いづる。ここの歌詞は変える」
「変えない」
「変える」
「あの!」
「変えません〜俺はこれでしっくり来てます〜!歌う人がいいっつってんだからいいんです〜!」
「変える。語呂気にしすぎ」
「あのお!聞いてください!」
「ナナセうるさい!」
「ごめんなさい!」
「……えっ?なんで言うこと聞かないんだ?いつももっと素直だろ」
「ヒノキが今回に限って俺がめっちゃ考えたとこばっか直そうとするからですうー!俺の意見ちゃんと聞いてから考えてくんない!?」
「聞いてもいい。変えた方がいいと思う」
「あのお」
「耳鼻科行けば?耳腐ってる?俺の声聞こえてないのかも」
「聞こえてる。意見は聞く。歌詞は変えてほしい」
「っはああああ強情!頭カチコチか!?何食ったらそうなんの!?」
「朝は食べてない」
「あのお!俺!」
「ナナセうるっさい!」
「聞けって言ってるでしょうが!」
ナナセが机をぶっ叩いたせいで紙が散らばって水物が溢れたので、これ以上引っ張るのも面倒だし話させることにした。どうせ大した理由じゃないって。ヒノキなんか全然聞く気ないもん。二人とも聞いてなかったらまたナナセがうるさいので、無視の態度を先にとられた以上、聞いてやるしかない。めんどくさいなー。
「あのお、あの日の朝、彼女と喧嘩して」
「お。別れた?」
「……別れたかどうかはいいじゃないですか」
「別れた?」
「……喧嘩して、そのきっかけっていうのが、俺が何回も彼女のこと先輩と呼び間違えるからなんですけど」
「それもうお前何億回目だよ。ヒノキ覚えてる?」
「先輩って名前の女と付き合った方が早い」
「だってよ。合理性の鬼が言ってんだからそうだよ。俺もそう思う」
「そうじゃなくてえ!」
「それで?別れた?何ヶ月続いたっけ、三ヶ月?」
「三ヶ月じゃありません!半年です!」
「短っ。お前ほんと長続きしないよな」
「なが、そっ、俺だって、ちゃんといつも優しくしてるのに、なんか知んないけどみんな嫌になっちゃうって……」
「フラれて自棄になってめっちゃ酒飲んでもうバンドなんかやめてやるーっつってうち来たの?あーそ、あるある。かわいそうかわいそう」
「違います!」
「違うこたねえだろ。それ以外のルートなかったよ、今の話に」
「だからっ、彼女のこといっつも先輩って呼んじゃうし、それもう人としてどうかと思うって別れ際に言われたし、俺もなんかそれもそうだなって思って……だって俺、なんで先輩の家の掃除とかしてるんすか……?」
「やれなんて言ってない」
「でも先輩といない時よりいる時のことの方が思い出すし……」
「それは俺のせいではない」
「俺人としておかしいんですか!?」
「ナナセっておかしい?」
「なにが?」
「ヒノキ聞いてないからもうこの話終わりにしよ」

その後。ナナセに飯を作らせている間。別に俺が作れっつったわけじゃなくて、ナナセが自主的に「俺こないだ家でお好み焼きやったら上手に出来たんですよお、作りますね!」って言いだして勝手に買い物に行ったからだ。今は台所にいる。さっきまでのことは買い物中に忘れたらしく、上機嫌そうな鼻歌まで聞こえてくる。
「そういえばヒノキってなんでナナセのこと殴ったの?」
「……殴るのに理由いるのか」
「いるだろ……無差別犯かよ怖えな……」
「傷ついたから殴った」
「は?なんで?」
「やめるとか言うから」
「ていうかお前に傷つくって感性がまだ残ってたことに驚きなんだけど」
「……えっ……ヒノキさん、俺がやめちゃうと傷つくんですか……嫌なんですか……!?」
「そこまで言ってない」
「う、うれしい」
「あーほら、変なとこで興奮さすなって、めんどくさいだろ。飯食いそびれたらどうすんだよ」
「困る」
「当たり前のことをはっきり言うなや」
「やめませんからねっ、俺、先輩離れもしませんからねっ」
「それはしてくれ」
「ななせは女を諦めた方がいいんじゃないか」
「でもあいつすぐ告られっからなあ……しかも全員オッケーするし……拒否ればいいのに」
「いづるは告白なんかされないのにな」
「されるわバカ。されまくるわ。断ってやってんだわこっちから!クソ童貞には分からんかもしれんけど!」
「ああ。はいはい」
「流すのが大人の対応だと思ってんのかてめえ!」
「もうすぐできますよお」


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