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我妻さんは声が大きい





「べーやあん!」
「わああああ」
お弁当食べてたら後ろから大声で飛びつかれたからびっくりして、箸ごとシュウマイが飛んでった。からんからーん、と落ちた音に、俺の肩に絡んでいた手が、ゆっくり離れる。
「……ご……ごめん……まだ俺お弁当食べてないから……落としちゃった分あげるから……」
「え!いっ、いいよ別にっ、そんな、俺、気にしてないし」
「べーやんから……貴重な肉を奪ってしまったわけだし……!」
貴重な肉って。何時代だ。そんなに切羽詰まってない。ぐっと堪えるような顔で宣言してくれた手前、申し訳ないけれど。
一人で食べてんの?お腹空いちゃったの?なんてあっけらかんと聞かれたけれど、お腹は空いてないけど今腹に入れておかないとこの後食べる余裕がなくなることは自明の理なので完全に義務感で食事をしている、とは言いにくい。今日はテレビの収録なので、リハーサルの時点から絶対緊張するのは分かってるし、そんな状況でお弁当なんて食べてられないし、かといって食べなかったらそれはそれでふらふらするし、なので折衷案として特にお腹は空いていないけど食べられるうちに食べておくことを選ぶしか無いのだ。そもそも空腹では無い上、半分だけでもいいからと思って食べ始めたから、箸を止めたら食べる気がなくなってしまった。続きは後でにしよう。お弁当の蓋を閉めて箸をしまうと、ああごめん、と手を合わせられたので、首を振る。別に何もボーカルくんのせいじゃないから。
「さっきねえ、マネージャーさんがなんか差し入れもらったって言ってたよ。ロールケーキみたいなやつ」
「そうなんだ……」
「後で食べよ。デザートがいい」
「……食べれるかな」
「そんなでっかくなかったよ!こんぐらい」
手で大きさを表してくれてるボーカルくんに、そう、と曖昧に頷いて、見上げる。ええと。なにか用事があって話しかけてきたんじゃないんだろうか。それとも今の、差し入れがある報告のために飛びついてきたのか。それなら話は終わったかな。それじゃ!と言われるの待ちでぼんやり見上げてたら、ボーカルくんもにこにこしながらこっちをずっと見ていた。あれ。
「……?ぇ、あ、え?あの、ど、どうしたの……?」
「え?どーもしないけど」
「……そっか……」
「さっきどらちゃんがさあ、なんか女の子に声かけられてたからムカついて横から口挟んでやったら怒られたよ」
「そ……それはそうなるよ……」
「あ、どらちゃんじゃなくてね、女の子に怒られた。邪魔しないでよ!っつって」
「……うん……」
「すげー怖かった。ちょっとふざけただけなのに」
どらちゃんだけじゃなくて俺とも仲良くしてくれたらいいのにねーえ、ともたれかかられて、返事になったか微妙なレベルの声が漏れた。用事、なんだろう、もしかして用事とかそういうのは無いってこと?ただ暇だったから声かけられてるだけ?それならそれで、いやでも俺に声かけたところで暇を潰せるとは思えないんだけど。ギターくんとよくくだらないこと喋ってるの見るし、そっちの方が楽しそうだから、そうしたらいいのに。それともギターくんが捕まらなかったから、仕方無しに俺と話してるんだろうか。そうかもしれない。べったりくっつかれたまま、それを退かすとか跳ね除けるとかそういうことはできないので、されるがままに口を開く。
「ぁ、あの、ギターくん、探すなら、俺も手伝うから」
「え?ぎたちゃん?」
「そう……」
「ぎたちゃんならどらちゃんに連れてかれたよ。ほっとくとすぐいなくなるからって」
「……あ、だから、俺……」
「ん?」
「……えっ?」
「べーやん、ぎたちゃんに会いたいの?」
「いや別に……ボーカルくんが、あの、俺なんかより、ギターくんとかと話してた方が、楽しいんじゃないかと思って……」
「なんだー、何かと思った。そんなことないよお」
本腰入れてここにいることにしたらしい。だはー、と息を吐いて脱力したボーカルくんが、近くにあった椅子を持って寄ってきた。ついでに机の上にあった雑誌も。
「これ見た?」
「み、見てない……」
「どこだっけなー、インタビュー記事が載ってるって、お、これかな?俺もまだ見てなくて、一緒に見よ」
「……うん……」

「……なにしてんの」
「あれ?ぎたちゃんは?」
「あいつダメだ、連れてってもいなくなる」
ほっといてもいなくなるし連れ歩いてもいなくなるってどういうことだよ、と嘆息したドラムくんが椅子に座って脱力した。ぎい、と軋んだ音がして、目線だけがこっちに向けられる。なにしてんの?と繰り返されて、ボーカルくんが雑誌を片手に口を開いた。
「これ見てた」
「ああ……ボーカルくん大丈夫?読めた?漢字ばっかだけど。それかカタカナ」
「読めたわ。馬鹿にすんな」
「馬鹿は馬鹿だろ」
「そうだけど今は頭いいべーやんがいる」
「辞書なんかスマホで事足りるのに……」
面倒そうな声で用無し宣言をしたきり、3分ぐらいぐったりしたまま固まっていたドラムくんが、体を跳ね起こしてこっちに来た。突然動かれるとびっくりするからやめてほしい。普通の顔でそっちに目をやったボーカルくんが、またすぐ雑誌に視線を戻す。
「どらちゃん見た?」
「見た。見本誌あったじゃん」
「なにそれ。べーやん知ってる?」
「……し、知らない」
「じゃあどらちゃんの幻覚か……」
「マネージャーにもらった。お前らの信用がないだけじゃない?」
「なんだとー!」
ボーカルくんが怒っているけれど、その通りかもしれないので何も言えなかった。ドラムくんが一番こう、対外的なことをやってくれているのは事実だし。
だらだら喋りながらしばらく経ったものの、ギターくんが帰ってこない。迷子にでもなってたらどうしよう。一応そう進言したけれど、「ほっとけ」で一蹴された。でも、困ってたら連絡来るかな。それがなければ平気ってことだろうか。時間までには戻ってきてくれると助かるんだけど。
「どらちゃんなんか甘いもの食べた?」
「食べてない。香水きつい女にまとわりつかれたからそれじゃない」
「こんだけ残るって何?その人お花の化身かなにか?」
「ボーカルくんが鼻いいだけだと思うけど。ベースくん分かる?」
「ぇ、あ、わ、わかんない」
「ほら。ボーカルくんの嗅覚が鋭敏なだけ」
「俺がすごいってこと?」
「そう」
「悪い気はしねーわ……」
なんかドラムくんの言い方的に、ちょっと騙されているような気がするんだけど。どこか馬鹿にしている気配を感じる。ボーカルくんが満足そうなので、俺には何も言えないが。ポケットからスマホを取り出して、ああ、とボーカルくんが漏らした。
「ぎたちゃん帰ってくるって」
「勝手に消えるなボケカス死ねっつっといて」
「か、って、に、きえ、る、な」
「あいつの放浪癖ほんとどうにか……何科にかかれば治してもらえんだろうな……」
「耳鼻科じゃない?送った」
「ありがと」
耳鼻科では絶対にないと思うんだけど、そうは言えない。俺は全くわからないけれど、指摘されると気になるのか、ドラムくんが服をばさばさしていた。自分から自分じゃない匂いがするのは確かにちょっと嫌かもしれないなあ、と思いながらぼんやり見ていたら、扉が開いた。
「ただいまー」
「あ、ぎたちゃんおかえりー」
「りっちゃんにお客さんだよ。楽屋の場所探して迷ってたから連れてきたげた」
「特に求めてないんだけど」
「でもでかくて目つきが悪くて頭が丸い人に用があって探してるって言ってるから一人しか思いつかなくて」
「俺じゃないかもしれないだろ」
「どらちゃん以外にその特徴いる?」
「いないよねえ」
「うるさい。いるかもしれない」
「いないよ」
「ねー、この人でしょ?」
「……………」
「……………」
ギターくんの後ろから顔を出したのは、あまり背の高くない女の子だった。若そう。長い黒髪を下ろして、嫌そうな顔のドラムくんと無言で見つめあっている。しばらく間を置いて、ギターくんに向き直った彼女が口を開いた。
「あの。人違いです」
「おー、ごめんね」
「いいえ……あの、でも雰囲気は似てました」
「それはよかった」
「すみません。ありがとうございます」
「ううん、へーきへーき」
「また迷子になったら教えてくださいね。案内できるかもしれないので」
「え?いや、だから俺迷ってないって」
「ありがとうございました」
「言ってんじゃん……行っちゃった……」
「ぎたちゃん案内してもらったの?」
「俺が案内してあげてるつもりだった」
「なにそれ」
「だって困ってたから、てゆか行っちゃったし。りっちゃんの知り合いでしょ?」
「違う」
「えー?」
「意味分からん」
話が混線している。そもそもドラムくんの知り合いでもなんでもなく、あの人はギターくんがふらふらしてるから迷子になってると思って親切に助けてくれただけで、人を探しているというところから勘違いなのではないか?と思ったけれど、そうじゃなかったら恥ずかしいから言うのはやめた。じゃあなに?あの子は誰?局のスタッフには見えなかったっていうか普通にかわいかったけど?でもどう見ても若そうだったし絶対犯罪になるけど?と徐々に話がずれていっているので、口を挟める隙もなくなった。ボーカルくんが混線していく話についていけなくなって、頭を抱えた。
「え?もう分かんない」
「りっちゃんは高校生までならアリって話」
「違う」
「俺は相手側が良ければ高校生と付き合ってもいいと思っている」
「捕まるんじゃない?警察に」
「捕まるの?お互いが合意の上でも?」
「分かんない。りっちゃんに聞いて」
「知らねえよ。なんなんだよ」
「えっ?だって、なんだっけ、どらちゃんの彼女が高校生?で、ええと、かわいければ何歳でもアリだから、えーと?」
「ボーカルくんふわふわ喋んないで」
こうやって話が拡大解釈されていくんだろうなと思った。


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