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おはなし



「お″わああああ」
「うっるさ」
お風呂から出てきた中原くんが、ぶかぶかのタンクトップにゆるゆるのハーフパンツ姿だったので、思わず錯乱して叫びながらその場で膝をついてしまった。手に持っていた花束(今日のクランクアップでもらったので花瓶に生けようとしていた)が床に散乱したが、全然構ってられない。え?なんでそんな格好してんの?なんのつもり?手と膝を床についたまま動かない俺を見て、うんざりした声を一度上げたものの、なにかあったのかと心配になったらしい中原くんがそろそろと寄ってくる。
「……えっ……なに……?しんじょ……?」
「ゔわああああ」
「わあ」
恐る恐る、といった感じでゆっくり覗き込まれて、いろんなところに隙間が空きまくってて肌色が死ぬほど見えてるアングルに、また悲鳴を上げてしまった。なんなら頭も抱えた。中原くんは俺の声にビビって自分の身を抱くようにちっちゃくなっている。かわいい!
「な、なに……」
「……なん……なんでそんな、ぇひっ……ひひっ……ふひひっ」
「……ひっ……」
普通にマジの悲鳴だった。だって中原くんも悪くない?顔上げたら肩とか鎖骨とか膝とか丸出しの中原くんが怯えた顔してたんだよ?そりゃ俺だってうっかり笑うよ。自分でも引くレベルの気持ち悪い笑い方出るよ。いやこれやべえなと思ってるのに全然止まらなくて、しばらく一人で「ぃひ……」「……んひひ……」って押し殺した変な笑い声を上げ、中原くんに割とガチで怯えられてから、ようやく落ち着いて口を開いた。中原くんはしっかりドン引きしてから俺の話を聞いているので、手が届かない距離にしっかり遠ざかっているし、何ならいつの間に持ってきたのか手にクイックルワイパーを持っている。俺がなにかしたらそれで殴る気だな。中原くんが武器を装備したところで、いつもは5ある戦闘力が7に上がった程度のものなので、痛くも痒くもない。一般男性の戦闘力は20から30あるものとする。
「あの。なんでその、そんな格好してるの……?」
「……あついから」
「……は?」
「え、や、お風呂上がりいつも俺、汗ひかないから……寝る前に着替えるし、涼しくなるまではこれでいっかって……」
「……………」
「……ええ……?」
中原くんの顔に「これ以上正当な理由があるだろうか……」って書いてある。いや、理由は納得なんですよ。中原くんが一回ぽっぽしたらしばらく引かないのは知ってる。熱を逃すのが下手くそなのだ。でもこう、分かるんだけど、なんで突然そこまで軽装なんですか?の問いに答えられているかと言われたら、多分答えられていないのだ。だってそんな格好したら俺に邪な目で見られることなんて分かってるでしょ?えっ?もしかしてお分かりでない?それは学習能力ゼロでは?高校生の時から性対象に見られておいて、男という概念に胡座をかきすぎでは?俺への信用がベースならそんなに嬉しいことはないけれど、それはそれとしてその信用はぐちゃぐちゃに踏みにじりたいし泣かせたいし逃げ惑っても意味がないと分からせたいのだが?じりじり近づかれていることに気づいたらしい中原くんがはっとして、フローリングの線をクイックルワイパーでなぞった。
「ここ、こっから入ったら殴る」
「どうせ着替えるんだったら汚しても同じじゃない?」
「大きい声を出す。町田に電話をかける」
「寝る前に着替えることが確定してるんだったら今着てる服がどうなろうと構わないよね?」
「水棹さんに連絡する。二週間ぐらい家に帰ってこれないくらい仕事を入れてもらう」
「まあ洗濯物をわざわざ増やすこともないよねえ!」
あからさまにほっとされた。けど、今のは完全に中原くんの勝ちなので、何も言えない。武蔵ちゃんに泣きつかれたら終わりだ。「もしナカハラが女の子だったらぜひ付き合いたい」とかいう類のことを公然と俺に、中原くんと現在付き合ってる俺に向かって堂々と言ってのける程度には好意を寄せられているので、絶対武蔵ちゃんは中原くんの味方をする。なんなら別に中原くんのことが好きじゃなくても俺の味方はしないけど。あの人俺のこと金の成る木に見えてる時あるもんな。今だって、休息って大事だよね!と何度も何度も繰り返し言ってようやく、嫌そうな顔をされながら1日オフの日を作ってもらってるのだ。労働基準法違反だよ。だから中原くんが二週間休みなしとか武蔵ちゃんにお願いしたら、嬉々としてそうされる。海外とかに飛ばされるかもしれない。怖い。
仕方がない。クイックルワイパーで突かれながら、床に散らばった花を集める。ぶちちゃんが寄って来なくてよかった。まああの子も頭良いから、変なものかじったりとかはしないんだけど。
「まだ暑い?」
「もう完全に引いた。新城が気持ち悪いから」
「着替える前にちょっとだけ」
「嫌」
「まだちょっとだけ何をしたいか言ってないのに……」
「どうせあれだろ。覗かせてとか、そういう変な欲求」
「違うよ!中原くんが嫌がるならもう見たりしない!目隠ししても良いよ!ちょっと嗅ぐだけだから!」
「いや……むしろマイナスだろ……目隠しして嗅ぐって何だよ……」
「脇だよ!?」
「死ね」
「じゃあ肘の内側でもいいよ……譲歩するから……」
「どこが?」
「だって脇は嫌なんでしょ?」
「嫌だよ。お前だって嫌だろ」
「俺は中原くんにされることなら何だっていいよ。マジでなんだっていい。匂い嗅ぎたいから3日風呂入らないでほしいって言われたらそうするぐらいなんだってする」
「……怖……」
「なんだってするからね!」
「こっち来ないで」
せっかく熱意を込めて伝えたのに。ふいとソファーの方に行ってしまった。もう暑くない、とは言っていたけれど、エアコンの風がよく当たる一番涼しいラグの上にぺたりと座り込んでテレビをつけた。ソファーに座らないってことはまだぽかぽかしてるんだろう。ていうかよくぺたって座れるな。俺無理だよ、女の子みたいに座るの。こっちに背中を向けているから、丸っこい肩とか足とかがよく見える。ぺらいタンクトップにハーフパンツだから尚更かもそう見えるだけしれないけど、相変わらず中原くん、背後から見るとおよそ成人男性には相応しくない身体してるなあ。もう女児だよ。小学生二年生ぐらい。背が低いからとか髪が伸びてきたからとかそういう理由じゃなくて、筋肉と縁が切れてるのだ。まだ未成年の頃の方が、細っこくて骨っぽかったけど、男の子の身体してた。だって、なに?あの足の裏。すごいやらかそうなんですけど。二の腕とか、胴体と腕の隙間に指挟みたいんですけど。俺の舐めるような視線に気付いたのか、ただ座りが悪かったのか、もそもそと足を伸ばした中原くんが、手をついて背中を反らした。見ていたのはどうやらお笑い番組だったらしく、んはは、と呑気な笑い声まで聞こえてくる。ていうかお尻突き出さないでよ馬鹿!ほんとに馬鹿なんじゃない?どうして「脇の匂いを嗅ぎたい」とか言うほど性的な目で見られてることを知っててそういうことするの?襲ってくださいお願いしますってこと?別に俺の欲求はファッションでもなんでもないんですけど!
「中原くん!」
「んあ」
「やっぱり俺我慢できなうわおっぱい見えてる!」
「……そんなものないんだけど……」
「ある!見えてるよお!ブラつけてよ!」
「つけねーよ」
集めたきり握りしめていた花束を花瓶に突っ込んで、足音も荒く中原くんのところへ行ったのに、タンクトップがゆるゆるのせいで上から覗き込んだらおっぱいが丸見えとかいう最高のトラップのせいでまた膝をつく羽目になった。思わず顔を覆えば、呆れ返った溜息をつかれた。
「新城のテンション時々ついてくのめんどくさくなる。今とか」
「今までついてきてくれてたの……?ありがとう……」
「どういたしまして」
「その服もう二度と着ないで」
「そうする。お前がいない時にしか着ない」
「何で俺がいない時にそういうことするの!?なんなの!?」
「うるさい」

それが夏のことだ。てろてろした素材のゆるいズボンを「涼しいから」という理由で好んで履いていたものの、ちょっと気を抜くと俺が下から覗き込み、いくら言ってもやめないし踏んでも蹴っても諦めずズボンの中を下から覗いてくるから、もう二度と着ねえとブチ切れてその場でゴミ箱にズボンを投げ込んだのが夏の終わり頃のこと。だって覗きたかったんだもん。どうしても。スカートの中を盗撮する男の気持ちが分かるような気がした。
「ゔわあああああ」
「うわ」
「あああ……うう……ううう……」
現在の季節は、秋を通り越して冬に近づいてきた辺りである。夏の再演のように絶叫しながら膝をついた俺に、片眉を上げて引いた目を向けた中原くんが、大回りに避けながら通り過ぎて行った。もう心配もしてくれないじゃん。まあそりゃそっか。ソファーに座った中原くんが、あちあち、とマグカップに口をつけて舌を出している。
「……な……中原くん……」
「なに」
「そ、そのお洋服、どうしたの……?」
「町田がくれた。あったかいからって」
お風呂上がりの中原くんが着てきたのは、薄茶色のもこもこしたパーカーだった。ちょっとでっかいみたいで、お尻と手のひらはすっぽり隠れるくらいのサイズ感。見た感じ、肌触りは確かにすごく気持ち良さそう。似た色のズボンを履いているということは、パジャマセットなんだろうか。いやしかし。
「……町田様……」
「気持ち悪」
「……くまちゃんみたいで可愛い……」
「なんで分かんの?」
「へ?」
「町田の友達が作った服なんだって。ここにくまがいんの」
ここ、とふわふわ生地を引っ張って二の腕のあたりを見せてくれた。確かにふわふわの中に埋もれて、可愛いと凶悪の狭間みたいな顔をしたくまちゃんがいる。あいつ着ないからって貰ったけどあったかいし気持ちいい、と長い袖を頬にもふもふ当てて満足そうにしている中原くんに、背中に回した自分の手の甲を自分で思いっきりつねって我慢しながら、にこにこした。
「かっ、わいいね!」
「……?」
「あ、くまが!くまがね、なんかブランドのキャラクターとかなの?」
「知らない……高尾さんに聞けば」
「誰」
「町田の友達」
「ふーん。かわいいねっ」
「……………」
訝しげな目で見られている。ふかふかでぽかぽかで着心地が良さそうな服を俺が下心なく褒めてるんだから、すんなり納得してよ。先に言い淀んだのはこっちだけどさ。
いや、だって、もふもふでかわいいねえ!かわいいからとりあえずベッド行こっか!って本心をそのまま口に出したら、絶対カチ切れるじゃない。他にもさ、そのふかふかごと中原くんをぎゅっとしたいし身体中弄りたいし、えっていうかズボン邪魔じゃない?くまちゃんパーカー一枚になった中原くんが見たいなあ!せっかくふわふわの気持ちいい服なのにべちゃべちゃにしちゃったからお洗濯しなきゃいけなくなって悲しくて泣いちゃう中原くんのことはもっと見たい!それにどうせちょっとおっきいんだからパーカーのフードの耳のところ摘んで縫って耳作ってあげようか?そしたらそれで俺に向かって両手構えてがおーってやってくれる?あっもうダメ想像だけでかわいいからダメです。新城くんの新城くんがわくわくしてるので中原くんには責任を取ってもらいます。責任っていうのはまあなんていうか、詳しく言うと年齢制限に引っかかっちゃうと思うからあれなんだけど。とかっていうのを口に出したら100%怒るでしょ。だからわざと、あえてそういうのを口に出さずに我慢して「かわいいね」で済ませたんですよ。
俺だっていつも欲望を口に出すわけじゃない。堪えるべきところは堪えているのだ。なんなら今すぐに口先三寸で丸め込んでズボンを脱がせたいけど、中原くんがおニューのふかふかパジャマでにこにこしながらマグカップをふうふうしているのが可愛いから、自制のために自分の手の甲をめちゃくちゃに抓りながら我慢している。えらくない?後でズボン脱いでもらお。
「中原くんは首……革……赤って好き?」
「……普通」
「ほんとはわんちゃん用なんだけど、プレートにちゃんと「あらたくん」って書いてあるからね。安心してね」
「なにに?」

それから約一年後。
「中原さんパジャマいります?」
「え。去年もらったからいらない」
「そっすよね」
大きな紙袋を下げてやってきた町田くんが、じゃあこれは?こっちは?と中原くんの体に服を当てている。されるがままの中原くん。あんまり自分では選ばないタイプの系統だから、分からないらしい。物持ちいいからずうっと同じ服着てるしね。
去年の冬に大活躍したふわふわもこもこのくまちゃんパジャマは、前に町田くんが連れてってくれた服屋さんのものなんだとか。そこのデザイナーさんと町田くんがそもそも友達で、中原くんを連れてったら「あまりモデルやターゲットに選ばない、自分の店に積極的には来ないタイプ」かつ「妹の高尾めいりを知らない」と気に入られたそうで、それからちょこちょこ町田くん伝いに服が送られてくる。ブランド名だけ言われたら俺も知ってる。そこのデザイナーさんが、知り合いの女優の兄だとは知らなかったけれど。袋からふかふかのパーカーを出した町田くんが、自分の体に当てた。
「じゃー俺が着よっかな。気持ちいですよね、これ」
「うん」
「人気だったみたいで、バージョンアップしたんすよ。爪とかー、ほら、尻尾とか。ちょっとなりきりっぽくてかわいいんですよねー。新城さんもそう思いません?」
「ん?うん。かわいいよ」
「……………」
「……ん?」
「……………」
中原くんがゴミカスを見る目を向けてくる。町田くんが体に当ててるパーカーを指して、かわいいですよね?と聞かれたから、かわいいですね、と同意を返しただけなのだけれど。そんな目で見られる筋合いはないのでは。ていうかそのパーカーとほぼ同じの中原くんも着てたし、かわいいねって俺言ったじゃん。町田くんの手からパーカーを奪い取った中原くんが、ぎゅうぎゅうと袋に押し込んだ。
「あー。なにすんすか」
「家で着ろ。あいつの目につかないところで」
「えー。ここ泊まる時用に置いとこうかと思ったのに」
「勝手にうちに私物増やさないでくれる?」
「ここでは着るな」
「なんで中原さんに決められないといけないんですか」
「なんでも」
持って帰れ!と袋を押し付けた中原くんが、もう一度こっちに向かって威嚇した。なんで?かわいいけど、かわいいアピールのために俺に威嚇してるわけじゃないと思う。中原くんにそういう、あざといとか狙うとかいう知恵ないし。どうしたんだろう、としばらく考えて、町田くんが別の服を中原くんに当てて、どうせ外なんか出ないのに新しい服そんなにいらない、とうんざり気味に言われ、外出ればいいじゃないですか…とつまんなそうな声を上げた辺りでようやく気づいた。
「あ!中原くん俺がくまちゃんパーカー着てる人間のこと誰彼構わず首輪つけて引き回したいってエロい目で見てると思ってるんでしょ!」
「うわなに、デカい声で突然狂わないでくださいよ」
「……………」
「そんなことしないよー。町田くんがそれうちで着てても、何も感じないよ。中原くんが着てたらまたちょっと大変かもしれないけど」
「お前は大変じゃない」
「俺だって大変だよ。中原くんをどう壊すか、うーん、言い方悪いな、どう、頭おかしくするか?どう……どう人間じゃなくするか……」
「熟考してるとこ悪いんですけど、エロい目で見られるのはマジで勘弁なんでこれは家用にします。安心してください」
「だから町田くんのことなんかそんな目で見ないって!絶対!賭けてもいい!」
「言い方が腹立つ……いいんですけど……」
「町田くん単体をそんな不躾な目で見るわけないでしょ!そんな見境なしだと思わないで!」
「見境はないだろ」
「見境はないですよね」
「あるよ!」
今度は二人揃って疑いの目を向けてくる。ひどい。そりゃ中原くんは八割がた欲望を込めた眼差しで見ていることは事実だけど、中原くんと同じ格好をしてる人間が目の前をうろうろしていてもそれに対しては何の感情も抱いていないというところは、はっきりさせておかないとならない。そうじゃないと俺、変な人じゃん。いや充分変な人かもしれないけど、全人類に対して無差別に危害を与えかねないタイプの変な人じゃなくて、中原くんにだけ迷惑をかける異常者だと思ってもらって構わないから。対象が多数じゃなくて単体なだけで善良だと思わない?そう力説すれば、中原くんには中指を立てられたけど、町田くんには一応納得したような顔はしてもらえた。
「八割なんすね」
「そう」
「中原さんがエプロンつけて台所に立ってたらどうするんですか?」
「えっ……それは……中原くんが誘ってるのがいけない……」
「じゃあ中原さんが普通に、ふっつーのグレーの上下スウェットで転がって寝てたらどうするんすか?」
「それも中原くんがいけない。寝てるっていうのは同意ってこと」
「新城さんが仕事から帰ってきたら、じゃあこれ、このトレーナーとガウチョの中原さんがゲームしてました。ソファーで。どうしますか?」
「これ手ぇ突っ込みやすくていいね。ぶかぶかで」
「十割ですよ。八割なんて嘘。もう安寧は諦めてください」
「……今本当に引いてる」
「えー。流石に中原くんが発熱してたりしたらなんもしないよ」
「中原さん、病気になるしか性的搾取から逃げる手段ないんですね。かわいそう」
「町田んちに住みたい」
「だ、ダメだよ!長めの鎖用意しちゃうよ!」
「監禁される……」
「今も実質軟禁みたいなもんなのに?」
だって中原くんに抵抗されたことなんかないもん。ほんとに嫌な時は俺だって無理強いしないし、その区別ぐらいついてるつもり。そう告げれば、抵抗してる!って噛みつかれた。いや、してないし。その文句が既にいつものやつじゃん。町田くんも流石に「いつものやつか」って顔をしている。ていうか中原くんに聞こえないように横向いてちっちゃい声で「いつものやつじゃないですか」って言った。聞かれたらめんどくさいのに我慢できなかったらしい。ぷんすかしている中原くんに、町田くんが抵抗なんてできてないって馬鹿にしてるよ、と教えてあげてもよかったんだけど、やめた。ぽんぽんと頭に手を置いて撫でながら口を開く。
「わかったわかった。してるしてる。俺が悪かった」
「触んな」
「中原くんが俺の手叩いた。えーん」
「服どうします?着ない分は持って帰りたいんで。めーくんがせっかくくれたんだし」
「無視?」
「新城さんの劣情が止まらないなら全部あげるんで全部使ってもらってもいいですけど」
「人のこと色情狂みたいに……」
「違ったんですか?えっ?」
「いらない」
「全部?嘘でしょ。これとこれ、あとー、この辺?さっき着るかもって言ってたやつ。あとは持って帰りますんで」
「うん……」
「それじゃ俺帰りますね。帰るんでなんか食べるものください」
「えー、ちょっと待ってね」
作り置いてあった肉味噌そぼろを適当に丼にして卵を乗せて渡せば、家で食べますね!と帰っていった。ここで食べたら帰れなくなると踏んだんだろう。まあそれはそう。数着服を置いていかれた中原くんは、着るかなあ、と広げて見ている。パッチワークみたいになってるデザインのトレーナー。あんまイメージないけど、着てみたら似合うんじゃない?中原くん、身長こそないけどあんまり似合わない服とかないから。女装は似合わないけど、それはデイリーユースではないので。
「新城着れば」
「俺はいいよ。服は事足りてる」
「俺も足りてる……」
「中原くんが新しい服着てるとこ見たいなっ」
「……………」
すごく嫌そうな顔をされた。ちゃんとかわいこぶって、ほっぺにグーも当ててきゅるっとしたのに。なにがいけなかったんだ。

数日後。
撮影が押してかなり遅くなってしまった。中原くんには、夜ご飯は冷凍庫に作り置きがあることとか、待ってなくていいこととかを合間に連絡したけれど、逆に言えば連絡するのでギリギリだった。わかった、がんばれ、と端的ながらも優しい返事が来ていたのを見れたのはもう帰りの車中で、時間的にも大分遅いからもし寝てたらと思うと何も送れなくて、せめても車を飛ばして帰宅した時にはへろへろだった。一応、ただいまを小さく言ったけれど、勿論返事はなし。まあそうだろう。待ってなくていいって言ったの俺だし。そう思いながら靴を揃えて、足を止める。リビング、電気ついてない?
「……うお……」
歓喜の悲鳴と絶叫を抑え込んだ結果思わず漏れてしまった声なので、これぐらいは我慢して欲しい。とりあえずこれ以上声が漏れないように自分の口を押さえて、スマホで写真を撮っておいた。後で後悔すると思って。
中原くんが寝ている。ソファーにくずおれていること、手元にスリープモードになったゲームが転がっていること、部屋着じゃないこと、などなどを鑑みると、寝落ちだろう。それ自体は割とよくある。今日みたいに仕事が押して、待ってなくていいって言った時に、低確率で起こるレアイベって感じだ。大体ベッドで寝てる。もしくは起きてる。だからそれ自体はいい、中原くん待ってたかったのに寝ちゃったんだな〜あ〜かわいいな〜耳の裏舐めたい!ぐらいのもんだから。問題なのは、服装である。
中原くんは基本部屋着だ。外出ないし、部屋着って言ってもパジャマ着てるわけじゃない。ジャージだったりスウェットだったりパーカーだったり、ゆるくて動きやすそうな服を好む。しかしながら今着てるのは、ぶかぶかサイズのトレーナーに、割とぴったりしたスキニー。あと裸足。これ、この前町田くんにもらった服である。俺がかわいこぶって「着てほしいなっ」ってお願いして嫌そうな顔されたやつ。試しに恐る恐るトレーナーをめくってみたんだけど、ぺったんこのお腹とおへそが見えたので、急いで手を離して逃げた。見ちゃいけないもんだと思って。
えっ、だって、着たとこ見してやろっかな…と思って新しくもらった服着て、でも俺が遅くなっちゃったから待ちくたびれて寝ちゃったってことでしょ?これ。えっ…完璧かよ…シチュエーションとして完璧か?すごい自分の荒い息がうるさい。めっちゃはあはあしてる。これ以上近づいたらなにをするか分からないと自分でも思っているので、さっき逃げた分の距離から近づけない。いっそ起きて欲しい。そっちの方が余程ちょっかいかけやすい。安らかに寝られちゃってるとまたそれはそれでいいんだけど、今現在に関しては、俺のために何かしてくれている途中なのにそれを踏んでなんかするのは嫌なんだよなあ。あれ?でもよく考えたら、中原くんお風呂どうしたんだろ?入ってからこれに着替えた?それともまだ入ってない?真偽を確かめるべくいろいろ見て回ったところ、台所はまだ洗い物も住んでなかったし、お風呂場も濡れてなかったし、洗濯カゴは空だった。ということはですよ。中原くん、まだお風呂入ってないな?ああはい。はいはい。そういうやり方ね。そうですか。
「寝込みを襲って驚かしたいし怯えさせたい」と「ちゃんと起こして俺に服を見せて嬉しそうにするところを見たい」で、後者に揺れかけていた天秤が、「まだお風呂に入ってない中原くん」というキラーパスによって粉々に大破したので、とりあえずめちゃくちゃ撮りながらめちゃくちゃなことした。よし。


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