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全部お前のせい



「あ!関さん今日ありがとうございました!」
「ううん、こっちこそ助かったよ」
「今度また……あ、メンバー、ちょっとみんないないんですけど」
「いいのいいの。打ち上げなんだから」
遅くならないうちに帰るんだよ、と言い置き、他の人に呼ばれて行ってしまった背中を目で追う。好きなんですかあ?とニタニタした眞澄を引っ叩いた。
大学で組んだバンドは、特にその前から交流があったわけでもないメンバーで、やりたいことも方向性も全く一つに定まっちゃいなかったけれど、これはこれで、あたしは気に入ってた。あたしはボーカルで、理由は至って単純に、楽器ができないからなんだけど。ボーカル志望なんていっぱいいるんだろうな、だから別にどこにも入れてもらえなくてもいっか、そしたら諦めるか、くらいに思ってたのを何となく仲間に入れてもらったのが最初のはじまりだ。眞澄はドラム。一人だけ学年が下。だからといって何がどうということもないけど。ベースの祐末は今日は用事があるっつって来れなかった。あと、今ここにいない、キーボードの智花と、ギターの愛菜がいる。愛菜は多分誰か男とどっかに消えたんだろうけど、智花がいつのまにかいないのは気になる。人が多いからはぐれちゃったんだろうか、それとも体調でも悪かったとか、とスマホを取り出すと、タイミングよく智花から連絡が来た。「明日早いので、先に帰らせてもらいます。忙しそうだったから、直接言えなくてごめんね。すずほちゃん、今日もとってもかっこよかったよ!」だって。それをなんとなく3回ぐらい読み返して、画面を暗くした。
「眞澄、智花帰ったって」
「えー!じゃあ眞澄も帰りますよう」
「ダメでーす」



智花の様子がおかしい。
「じゃ、あたし用事あるから」
「パパ活すか?」
「そう。大人しくてかわいくて従順なふりしとくだけでお金が手に入るすごい仕組み」
「私もやろうかな……」
「祐末みたいな綺麗系も人気あるよ」
「あいちゃん先輩見てると真面目にバイトしてる自分が悲しく思えますよね」
「あたしだってバイトもしてっから!バイバーイ」
「ばいばーい」
眞澄と愛菜と祐末のイかれた会話はさておき。
智花とは講義もいくつか被ってるから、大学でも顔を合わせる機会が多いのだけれど、なんだかずっとぼおっとしているのだ。何かを考え込んでいるみたいな感じ。今だって、全く会話には参加しようとせずに黙って静かに片付けをしている。まあ確かに、元々そんなに騒がしい方でないけれど。あと、白米大好きなくせに「今日ちょっとお腹いっぱいで…」とか言ってご飯を減らそうとする。最初はダイエットでもしてるのかと思ったけど、食べるのも辛そうっていうか無理やり胃に入れてる感があるから、それも違うみたいだし。体調が悪いのか、考え事が食欲にまで来てるのか。眞澄が自分もバイトなんで!と出て行って、祐末も彼氏と待ち合わせしているからと出て行って、部屋の中が二人きりになる。智花、と声をかければ、びくりと肩を揺らした。
「え、あっ、ごめんねっ、今片付け終わって、もう出れるから」
「なんかあった?」
「な、ぇ、なにもないよ」
「……………」
「……………」
「……こっち見なよ」
「……………」
「なんもないの?」
「なんもないよ」
「こっち見て」
「……あ!今日用事が」
「うちで夜ご飯食べよ」
「よ、用事が」
「夜ご飯。なにがいい?」
「……………」
「じゃああたしが好きなものにしよ」

鍋にした。スーパーで買い出ししてる間もずうっとそわそわしてた智花は、あたしがキッチンで準備してる間も「手伝おうか?」「何かできることある?」と後ろをちょろちょろし続け、今は大人しく座っている。智花らしいといえば智花らしい。けど、こっちを窺っている感が強いのが気になる。取り皿を用意してカセットコンロの火をつけて、手を合わせた。
「いただきます」
「……いただきます……」
「体調悪い?なら食べに来ないか」
「……体調は……うん、平気」
「お豆腐もうちょいかも。野菜は平気」
「おいしそう」
「食べなって」
うん、と一つ頷いた智花が、覚悟を決めたように箸を伸ばした。締めをうどんにするか雑炊にするかで何度か揉めたことがあるので、今日は智花が好きな雑炊にすることにしている。田舎から上京してきた同志、入学式からすぐに気が合って、バンドどうこう関係なしに何度もこうやって、この部屋で二人一緒に夜ご飯を食べてきた。好きなものも嫌いなものも、知っているつもりでいる。
「おいしい……」
「あちち」
「ふふ、すずほちゃん、そんなに急がなくても平気だよ」
ああ、やっと笑った。優しくて、人のことばかり考えていて、心配症で、一人で抱え込む癖のある智花は、放っておくと割と高確率で眉を下げて困ったような顔をしている。ここ最近は尚更、笑った顔どころか、そんな素振りも見せなかったから。あったかい、おいしい、と嬉しそうに笑う顔を見て、少し安心した。
智花をバンドに誘ったのは、あたしだった。のんびりおっとりしていて、大きい音が得意ではない彼女。どう考えても不向きだっていうのは分かってた。けど、幼い頃からずっと趣味で続けているというピアノがあまりにも、それだけで腐らせておくにはもったいなさすぎて、どうにかして誰かにも聞いてほしいのに、一人でステージに立つのは断固として嫌だと言う。だからそれなら、あたしと一緒ならどうかと持ちかけたのだ。そして今に至る。何度かおかわりして、満足いくまで食べたらしい智花が、箸を置いた。
「ごちそうさまでしたっ」
「雑炊どうする?」
「もうちょっと後に……あっ、すずほちゃん食べたかったら、今でも」
「無理無理。入んないよ」
「そっか」
ばたりとクッションに倒れ込んだあたしを、牛さんになっちゃうよ、と智花が覗き込んで笑った。陽だまりみたいな顔だ。だから余計に、さっきまでの影が気になってしょうがない。細い手首を掴まえて、口を開いた。
「……なんかあったの?」
「……………」
「あったでしょ。どう見てもなんかあったのは分かってんだけど、なにがあったのかまでは分かんないからさ。言えないこと?」
「……う……」
「言いたくないっていうのは無しね。智花」
「……………」
「待ってるから。どんなことでも聞くから」
きゅ、と手首を掴まえていたあたしの手に指が絡められた。縋るような目。愛菜や眞澄も顔立ちは整ってると思うけど、あの二人はバチバチにメイクしてるから圧が強い。祐末は顔も雰囲気も口調も立ち振る舞いも大人びているので、また違った意味で圧がある。しかし智花は、顔のパーツも身体の出来も、そもそもの作りが全体的にかわいらしくて女の子っぽいので、化粧っ気が薄くても全然かわいい。だからこういう顔されるとこっちも女の子だけどすげーどきどきするよな、かわいいもんな、とぼんやり思っていたから、聞き間違いかと思った。
「……せ、生理が、来ないの……」
「……はあ」
「さっ、三ヶ月」
「……は?」
「……に、っに、あの、赤ちゃん、できたかもしれな……」
「はあッ!?」
「ひい、あの、だ、だから」
「彼氏!?いつっ、病院は!?検査は!?」
「か、あ、い、いってない、してない」
「あぁ!?」

曰く。
智花はずっと、愛菜に憧れていたらしい。大人しくて引っ込み事案の智花が、どちらかというと唯我独尊系で派手な愛菜に。最初は、友だちがたくさんいていいな、と思っていたらしい。仲が深まるにつれ、友だちというかなんというか、という周りとの距離感に気づき、自分では絶対に至れないその遣り方に、憧れを抱くようになったそうだ。いやその時点で突っ込みたいんだけど。あんなんに憧れないでよ。仮にも友人をあんなん扱いするのも申し訳ないけど、憧れという単語から程遠い生き方であることは事実だ。まあ、智花では逆立ちしても愛菜にはなれないのは分かるし、逆に愛菜だって智花のように慎ましく淑やかで柔らかい雰囲気はどう頑張っても醸し出せないだろう。一回死んでやり直さないと無理だ。
それで。先日、見学兼お手伝いで行かせてもらったライブの打ち上げで、全く面識のない人に誘われたらしい。この後二人で飲み直さない?と。今現在この場所以外の自分のことを知らない人間。うまくやれば、嘘を突き通せるんじゃないかと思ったらしい。さも遊んでますみたいな顔して、自分も愛菜みたいになれるんじゃないかと。他人事目線で言わせてもらうと、その嘘は確実にバレるだろうし、かといってバレたところで彼方様には関係ない。だって智花おっぱいおっきいし。別に太ってるとかじゃない。本人はお腹のお肉が云々って気にしてるけど、全然そんなことない。一緒にお風呂入るとガン見しちゃうぐらいにはいい身体だし。恥じらって眉寄せておろおろしてる無知な初心、絶対逃したくないでしょ。初心かもしれないけど処女ではないし、超ラッキー物件じゃん。ていうか愛菜だったらお金貰わないと寝ないと思う。それか自分のステータス。まあそれは関係ないので置いといて、そんなことがあって、現在に戻るわけだ。確かにあのライブからは三ヶ月以上は経ってるし、智花の顔が曇り始めたのはここ一ヶ月か一ヶ月半前くらいのことだし、時系列的な辻褄は合う。合うんだけどさ。
「検査!」
「だ、だって、こ、怖くて」
「今しろ!もうここでしろ!買ってきてやるから!」
「やだあ、やっ、すずほちゃ、待ってえ」
「うるっさい!結果によっては明日産婦人科だからなお前!」
「お母さんになんて言えばいいの!」
「正直に言え!」
「いやあああっ」
縋り付いてくる智花を振り払って家を出る。玄関が閉まりぎわに見えた智花はマジで半泣きになってたので若干良心は痛んだが、これも未来のためである。一番近くのドラッグストアに駆け込み、二分で買い物を済ませて走って帰る。音を立てて扉を開ければ、鞄を持って帰ろうとしている智花と鉢合わせたので、首根っこを掴んでトイレに押し込んだ。
「きゃああああ」
「おら使え」
「いや!」
「使ってやってもいいんだからな」
「きゃあああ!?脱がっ、脱がさないで!パンツ、いやっ、すずほちゃん!お、怒るよ!」
「早く」
「自分でやりますから!」
ワンピースの下から手を突っ込んで、ストッキングごと下着をずり下げた。申し訳ないとは思っている。絶叫と共に扉を閉められて、中から啜り泣く声がする。でもこんぐらいしないと勇気出ないっしょ。
しばらくして。まあ、すっと出てくるはずもないと思っていたので、時間がそれなりに経過したのには目を瞑ろう。じゃー、と水が流れる音がして、扉が開いた。項垂れた智花が出てくる。
「どうだった?」
「……陰性だった……」
「でしょうよ」
「でっ、でしょうよ!?」
「一晩しか遊ばない相手に避妊しないわけないし、リスクでかすぎるでしょ。なんでそう思わなかったのよ」
「だ、だって、し、そっ、それは……」
「……え?しなかったの?」
「し、したよ!」
「……………」
「……………」
若干怪しいが、まあいい。肩を落としたままの智花を連れて、リビングへと戻る。座らせて、事前に調べておいたページを開いて見せた。
「ストレスも生理不順の原因になるの。妊娠したかもってずっと心がかりで、ご飯もろくに食べてないしあんまり寝てなかったんでしょ?」
「う……」
「不安なら病院に行ってちゃんと検査してもらってもいいと思うけど。十中八九ここにはなんにもいない。いないったらいない」
「た、叩かないで、お腹を」
「だから今日はゆっくり寝なさい。こないだ置いてったジャージ洗っといたから」
「……………」
「雑炊食べる?」
「……食べる……」

結局、たっぷりご飯食べて、二人でゆっくりお風呂入ってあったまって、昼過ぎまで寝たら、あたしのベッドは一部分が血の海になってた。現金かよ。智花は真っ青になって大慌てしてたけど、別に構わない。むしろ、病院に行くお金が浮いて良かったんじゃない?



そんなこんなで智花の悩みは解決したわけだけど、あたしには心残りがあった。智花は優しくてお人好しで、押しに弱い。かわいい智花を一晩誘った男が誰だか知らないけれど、そいつがまた智花に言い寄ってくる可能性も無きにしもあらずなのだ。それは困る。困るというか、許せない。なので、釘を刺しておく必要がある。だってなんか避妊も曖昧な感じだったし。そんな男にもう一回言い寄られる可能性があるという時点で、潰しておきたい。なので、一生懸命調べた。あのライブに出てた人も来てた人も含め、打ち上げに参加していた人に伝手を使っては聞き込みを重ね、そういうことをしそうな奴を炙り出した。ていうか、そんなに苦労しなくても時間をかければ容易に分かった。あの人じゃない?って出てくる名前が割と統一されていたからだ。なんて不名誉な人だろう。ていうかそんなあからさまな人に引っかかる智花も智花では。疎いにも程がある。
どうやって「もうこの子に関わらないでください」を伝えようか悩んだのだけれど、こんなことに悩むのも馬鹿らしくなったので、直接会って話すことにした。よくいるって教えてもらったスタジオ行ったらいたし。
「すいません」
「……?」
「この子知ってます?」
「……知らないですけど……」
「またどらちゃん女の子に詰め寄られてる」
「先行ってるよー」
「知ってますよね?」
「知りません」
「嘘つかないでください」
「いやほんとに見たことない……」
「そうやってシラ切ったらなかったことになると思ってるんですか!?」
「うわ」
「もう金輪際この子に近づかないでください!分かりました!?」
「誰だよ」
「はあ!?てめーのせいで智花がどんだけ傷ついたと思ったんだ!クソ野郎!」
「いって!」
「バーカ!死ね!二度とツラ見せんなよ!」
「……は……?」
勢い余って叩いてしまった。でもグーじゃなくてパーだったからまあいいか、という心持ちである。兄に「すぐに手を出す癖を改めろ」と再三言われていたのを今更思い出した。兄はあたしに常にボコボコにされていたのだった。
それから数日後、元の食欲を取り戻した智花が普通に体重がめちゃくちゃ増えたのでダイエットに勤しんでいるところに、愛菜がスマホを見せた。練習してよ。スタジオでダイエットするな。
「智花この人知ってる?」
「んん、えっ?だあれ?」
「……だよね……なんかそんな気してた……」
「どうしたの」
「鈴穂この人知ってる?」
「この前殴った」
「智花のことで?」
「そう。なんで知ってるの?」
「鈴穂、よく聞いててね。智花もう一回見て。この人知ってる?」
「し、知らないよ。すずほちゃん、人のこと叩いちゃだめだよ……」
「鈴穂意味分かった?」
「分かった。謝ってくる」
「いいいいもうあたし誤解といたし絶対そうだと思ったから!つーかなんなの!?なんで急にそういうことすんの!?」
「絶対に智花を守らないといけないと思った」
「えっ……」
「智花ときめくとこじゃないから!あんたたち二人ともほんとズレてるよね!田舎もんが!」
「愛菜にズレてるとか言われたくない」
「うるせえ勘違い暴力女!」
普通に謝るのはめちゃくちゃ癪だったので、会う機会あってもガン無視しようと思った。まあそもそもそんな機会ないだろうけど。





大学卒業を機にばらばらになりバンドは解散して、智花に「すずほちゃんの歌好きだからこれからも歌ってほしいな」と涙ながらにかわいくお願いされたあたしは、その通りに一人で動画投稿などをしていたところ、ちょっとしたきっかけでバズって跳ね、深夜帯の音楽番組で地上波デビューを飾ることになったのだが、右も左も分からないテレビ局に行ったら勘違いからぶん殴った男とその仲間たちがいたので別人の振りをしたものの、二秒でバレたのであった。
おしまい。


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