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みじかいのまとめ




「悪いな、手伝ってもらって」
「いえ……」
一人で練習しようと思ってスタジオ借りにきたら、関さんがでかい機材を奥に運び込んでは戻ってきてまた機材を抱えて奥へ、と一人でやっていたので、受付に人がいなくて困ったし、ただ見てるのも気持ちが悪いから手伝ったら、お礼を言われた。他に誰もいないんだろうか。
「はいこれ鍵。あとで差し入れするよ、なにがいい?」
「別にいいです」
「スポドリかコーヒー」
「……コーヒー」
「よし」
それからしばらく練習して、扉がノックされたから返事した。ものの、数秒間が空いても扉が開かない。返事が聞こえてないんだろうな、防音だから、と一人合点してそっちへ向かい、ドアノブに手をかけた。
「はい」
「うわぁあのそのっコーヒーっ」
「あっつ」
「あひゃああぁごめんなさあああ」
「球磨、なにしてるんだ」
「おじさああああゔええええ」
「熱いんですけど」
「あっお前!もう!こっち来て脱ぎなさい!」
「どっちに言ってるんすか」
「両方!」
扉を開けたら、中学生ぐらいの子どもが目を閉じたままコーヒーを手に突っ込んできて、俺の服に全部ぶちまけてすっ転んで泣いた。あまりに声がでかかったので、熱さを上回って「うるさい」が先に立ってしまった。恐らくは泣き声を聞いて飛んできた関さんに引きずられるように、スタッフルームにぶち込まれる。奥から、受付で見覚えがある女がのんびり出てくる。
「由井ちゃん球磨の服着替えさして!火傷とかないか見て!姉ちゃんに殺される!」
「なにしたんですかあ」
「コーヒー被った!」
「被ったのは俺です」
「ほんとだよな!ほんっとごめん!」
自分よりも焦っている人間がいると一周回って落ち着く。上はまあちょっとかかったぐらいだけど、下が酷い。目に見える火傷はしてないけど、ちょっとじんじんする。コインランドリーで洗って乾かすか一走り行って買ってくるか、と俺のズボンを持ってうろうろしている関さんに、別にそんなに気にしなくてもいいと言ったが、聞いていないようだった。そんなにいいやつでもないし。
関さんの姉の息子、らしい。中学一年生。以前からよくスタジオに遊びには来ていたが、今日だけ頼むと置いていかれ、バイトの女子と遊んでいてもらったものの、手伝いたいとずっとそわそわされ、仕方ないから差し入れのコーヒーを持っていくのを頼んだら、ああなったと。よりによって淹れたて。とりあえずの折衷案でロッカーにあった着替えを借りながら、そんな話を聞いた。ベースくんを五倍ぐらい濃縮還元して小さくしたらあんな感じなんだろうな。
「巻き込んで本当に悪かった……」
「別にいいです」
「……あとさっきから気になってたんだけどさ?」
「はあ」
「……なんていうか……熱烈な彼女だな?」
「……は?」
目を逸らし気味に言われて、向き直る。服をまくって見たものの、なにを基準に言われてるのかさっぱりだった。ていうか、見て分かる範囲なら風呂かなんかで気づいてる。そもそも彼女?今俺彼女いたっけ。こないだ殴られてからいない気がする。彼女はいないけど、いないってだけだけど。
「そこじゃない。下の、この、太腿の裏」
「全然見えない」
「体固いなー。ここだよ。見えないの分かっててやられてんな」
「……なんかありますね」
「ペンじゃなくてシールかなんか?タトゥーシールとか」
自分じゃよく見えない。用意周到な彼女だな、かわいい悪戯じゃん、と関さんは笑っているけれど、彼女がいないので誰にやられたかがさっぱりだ。しかもこんなとこ。太腿の裏っていうかほぼ尻の付け根だろ。スマホで無理やりなにがあるのか見て、まあそういう用途のスラングとそういう用途のハートマークに似せた記号ががっつり貼ってあるのを見て、ズボンを履き直す。心当たりがない。少し欠けてる部分があるので、多分そんなに新しくもない、と言うとしばらくの間は自分の体に貼られたこれに全く気づかなかった自分に嫌気が差すけれど、仕方ない。しばらく考えて首を捻った。誰だ。
「うーん。洗ってくるのと買って返すのどっちがいい?お前ジーパンとか洗わない派?」
「そのまま捨てるんで大丈夫です。これ貸してください」
「……洗ってくるからしばらくここで待っててくれるか?」



その日の夜。心当たりがなかったので、とりあえず疑わしきを罰することにした。
「お前か」
「えっなに?なに、なんでペン構えてんの?どこに入れるの?」
「どこにも入れねえよ」
「怖……りっちゃん全裸にされてからペン持たれたことある?超怖いよ」
「ちゃんと油性だから」
「だめじゃん?ぎゃっくすぐったいやめて!なに書いてんのやめてよ!」

「俺そんなことしてないよお」
「じゃあ誰がやったんだよ」
「知らねえ〜……どうすんだよもお……こんな落書きだらけにされちゃってさあ……」
疑わしかっただけでマジでやってないなら申し訳なかったと思う。一応。分かりやすいかと思って有らぬところに架空の回数の正の字とか書いたりした。シャワーを浴びた後なのにくっきり残っているそれを見て、油性だから全然消えないじゃんか!と悠が服を投げつけてきた。
「もー最悪……油性ペン、消す方法……」
「いいだろ別に、服着てれば隠れるんだから」
「服着てれば隠れるからってエロい落書きそのままにするほど人間やめてない」
「は?」
「歯磨き粉かあ……りっちゃんがテンション上がっていっぱい書いたから……あとすーすーすんのやだしな……」
「タトゥーシールの落とし方も調べて」
「自分でやってよ」
「これいくら擦っても取れない」
「んー……あ、これじゃん?三週間ほど長持ちするものも中にはあり、クレンジングオイルなどでも落ちません。長持ちさせたい方におすすめ!だって」
「……俺の肌が綺麗になるまでお前に落書きしてもいい?」
「そんな八つ当たりある?」
絶対女だよ、また知らんとこで恨み買って浮気防止に貼られたんだよ、とスマホを放り出した悠が布団に潜りながら言うので、そんな相手はいただろうか、と考える。浮気防止というほど仲が深まった相手なんてここ最近は。
「あ」
「……俺とばっちりでしょ?」
「いや。これが落ちなかったらまた3日後ぐらいに書くから」
「もうやだ」



「え、遅くない?嘘じゃん」
「……………」
「あたしも貼ったもん、おそろい」
「……足開くな」
「パンツ履いてんだからいくない?」
ねー、と鼠蹊部ぎりぎりにある似たような柄を見せられて、額に手を当てた。一週間ぐらい前に一晩明かした、なんだっけ、美大系のデザイナー。自分の全く知らない分野の話を聞けて興味深かったからそっちばかりが印象に残っていたけれど、そういえばやることはやってた。海外で発注したから誰かに貼ろうと思って持ち歩いてたとこにちょうど良かったよね、と笑われて、サイコパスかと思った。そんなものを持ち歩かないで欲しい。
「……落ちないんだけど」
「落ちないよ。しばらくは」
「……………」
「えーテンション低くない?かわいいじゃん?大丈夫だよお、一生残るわけじゃないし」
「……そうか」
「そおそお。増やす?今日の記念に」
「増やさない。いつの間に貼ったんだよ」
「あたしがシャワー浴びてる間に寝てたじゃん。その時」
「……二度と人の前で寝ない」
「見えるとこに貼れるやつもあるよ?こういうのとかー、あ!」
デザインの依頼はお仕事だからね!ちゃんとお金払ってよね!と手をがっしり握られて、目の中に金の文字が映っていそうな顔に、うんざりしながら溜息をついた。とりあえずしばらく落ちないことは確定したから定期的に落書きしよう。


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