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おはなし



「ただいまあ」
返事はない。まあ靴がないから、帰ってきてないんだろうとは思ったけど。真っ暗な廊下に、人感センサーで灯りがつく。便利だな。外の気温に合わせて部屋の中も薄寒いので、リビングでとっととエアコンをつけた。ごう、と暖かい風が吹き出すのを確認して、台所へ向かう。冷蔵庫を開けると、なんだかよくわからないけど美味そうな肉料理と、彩りが綺麗なサラダと、なにがしかのポタージュ。あと、ご飯かパンか選んでいいよ、とメモが貼られていた。すごくどっちでもいい。パンを探したら、切ってないフランスパンしか見当たらなかったので、面倒で白米を食べることにした。
レンジを何度か操作して晩飯を温めながら、時計を外す。部屋があったかくなってきたから、ジャケットも脱ぐ。着替え、はご飯食べた後でいいや。どうせシャワー浴びるし、明日休みだし。汚さなければどうとでもなる。さすがにこの歳にもなって、シャツやスーツがぐちゃぐちゃになるまで食べこぼしたりはしない。
テレビをつけたものの、あんまり興味をそそられなかったので、録画してあったドラマを再生する。見たことあるやつなんだけど、別に、他に見るものないし。名称不明の肉料理は確かに美味しかった。これを作った本人が帰ってきたら、なんていう料理なのか聞こうと思う。
のんびり晩飯を食べたけど、帰ってこない。今日、なんかあるって言ってたっけ。よく覚えてない。シャワーを浴びようと思ったもののお風呂場が極寒だったので、暖房をつけてリビングに逃げ帰った。なんかないかなと思って冷蔵庫を漁ったら、プリンがあった。食べてもいいかな。二つあるってことは、一つは俺の分だよな?多分。違かったら後で謝ろう。ぺりぺりとフタを開けてスプーンを差し込んだら、玄関の鍵が開く音がした。
「あ。おかえり」
「……………」
「……?」
玄関が開いて、二歩ぐらい廊下を歩く音がしたのに、こっちに来ない。普段だったら、ただいまの声量とテンションは近所迷惑を疑うレベルだし、延々喋りまくる上にこっちがいくら嫌だやめろと言ってもべたべたされるし、なんならただいまと同時に抱きつかれて離してもらえないし、今なんてまだシャワーも浴びてないから三割増しでその危険性が高いぐらいだというのに。自分でそう思うのも悲しい話だけれど。とりあえず、変だ。しばらく待ってみたものの、足音が全くしないので、まさか体調でも悪くて蹲ってやしないだろうな、とプリンを持ったまま覗きに行く。その場合、救急車を呼べばいいのか?倒れていませんように、と祈りながら顔を出したら、ぼけっと突っ立っているのが見えた。なんだ、心配して損した。というか一体なにをしているんだ、こいつは。
「新城?」
「……………」
「なに突っ立って、……え?なに?」
「……中原くん?」
「……そうだけど……」
「……………」
「えっ……え、なに、怖……怖い、なに、なんだよ!」
無言のまま真顔でゆっくり寄ってこられて、思わず下がる。何故か本人確認されたし。じわじわと距離を詰められて、ついに踏み切る足音がした。あっこれこいつ突っ込んでくる、と思ったのが早いか、反射的に体を守る体勢をとって目を閉じたのが早いか。新城に飛びつかれて俺が耐えられるわけがないので、普通に倒されて背中を床に打った。プリンが無残に床にべしゃってなってるのが見えて、俺の上で丸くなっている新城の背中を叩く。
「おいお前!俺のプリン!まだ一口も食べてなかったのに!」
「……………」
「どうすん、だよ……」
「……………」
「……な、……え?なに……そんな痛かった?てか……別にプリン、あ、プリンやっぱ食べちゃだめだった……とかそういう……」
「……………」
「わけじゃ……なく、て?」
無言、というか。俺を突き飛ばして飛びついてきたのは、顔を見られたくなかったからなんじゃないかと、思う。しゃくり上げる声や嗚咽までは聞こえないから、察するしかないけど、ただ、そっと手を当てた背中は震えていた。

「中原くん、なんでそんな格好してるの?」
「……仕事終わりだからだろ……」
「仕事」
「お前と違って定職についてる」
「どゆこと?」
「……頭でも打った?」
「そうかも」
大真面目な顔をして頷かれて、なにも突っ込めなかった。どう考えても様子がおかしいわけだし。
俺の上で丸まったまましばらく動かなかった新城は、前触れなくむくりと体を起こしたかと思うと、改めたように俺の顔をしげしげと見て、そのまま手を引かれ、ソファーに連れていかれた。目でも赤くなってれば泣いたってのが分かるのに、全くそんなこともなく普段通りの顔だった。隣をぽすぽす叩かれて座ると、やーなんかびっくりしちゃってごめんごめんってゆうか頭とか打たなかった?たんこぶできてないか見たげるからとりあえず後ろ向いてついでに服脱いでできたら俺のお膝に座るか中原くんの膝枕に俺が寝転がるかの二択を早く選んで欲しいんだけどどうしたい?と箍が外れたように喋りだしたので、耳を塞いだ。きゃいきゃいうるさかったので、わざとふざけなくていい、と告げれば、静かになった。なんなんだ、一体。
「……病院行く?」
「行かない」
「記憶失われてんじゃん」
「うーん、あれ?ぶちちゃんは?プリンって猫食べちゃだめじゃない?先に掃除してくるよ、俺」
「は、ねこ?」
「えっ?ぶちいないの?中原くんがお世話してる、にゃご……」
「……………」
「……オッケー、うそうそ、じょうだーん」
「……病院に行こう」
「行かない行かない!違うんだって!」
話の食い違いが酷い。頭を打ったことを既に覚えていないんじゃないのかと、べたべた髪の毛の中に指を差し入れて触ったけれど、くすぐったい♡とにやにやでれでれされるだけで異常はなかった。むしろ普段通りだ。血とかついてたら怖すぎる。
「名前は?」
「新城出流です……」
「俺は?」
「俺のかわいいスイートはにぽよちゃん……」
「誰だよ」
「中原くん外出て平気なの?」
「ここの家賃払ってんの誰だと思ってんの?」
「俺」
「死んで」
「……変な夢でも見てたのかなあ」
「ラリってんじゃなければいいけど」
「わからん。基本狂っている」
「知ってる」
新城いわく。夢の中では、ぶちちゃんっていう猫を飼ってて、俺はいろいろあって外に出れなくて、自分はそんな俺の面倒を見ていた、と。変な夢だな、と告げれば、困ったように笑いながら、そうだね、と返された。じゃあ現実のことは思い出せるのかと聞けば、微妙そうな顔をされた。どっちだよ。
「いいよ。なんか、なんとなくやるよ」
「いつも通りだな」
「お腹空いたあ」
「そうだ、今日のこれなに?うまかった」
「えー?牛肉の赤ワイン煮とかじゃない?」
「自分で作ったんじゃないのか」
「作れるから作ったんだと思う……多分……」
「……突然倒れるのとかだけは勘弁しろよ」
「えっ!?大丈夫だよ!全然元気!」

「プリン買ってくる」
「えっ、ごめ、俺行くよ」
「いいよ別に……」
「じゃあ一緒に行く」
一口も食べてないのに床にぐちゃっとしてしまったので、プリンの口になってるのがどうにも気分転換できなくて、言っただけなんだけど。床の掃除をしていた新城が、もう終わるから一緒に行きたい、と見上げてくるので、一応頷いた。別にいいのに。
「一応聞くんだけど、俺の変装は必要?」
「は?なんで」
「あ、ううん、いい。もうなんでもない」
「何で変装?命でも狙われてんの」
「有名人だから……」
「いい加減に目を覚ませ」
「いったい!蹴らないで!」
適当な上着を羽織って外に出る。靴を履いていた新城が、先に一歩玄関から出た俺のことを見上げて、変な顔をした。眉が歪んでいる。なんか言いたげな、ちょっと悲しそうな、嫌なものを見た時の顔。黙って待っていたものの、こっちをちらちら見ながら靴紐を結んでは失敗してまた結んでは失敗するので、いい加減にしてほしくなった。
「やっぱお前待ってろよ」
「や、やだ、俺は夢を見てたんだ、悪い夢を、だからだいじょぶっ」
「……どんな夢だったの?」
「……………」
「靴紐も結べなくなるぐらい怖い夢?」
「……怖い夢……」
「貸して」
ぐず、と鼻を啜った新城の顔を見ないように、靴紐を蝶々結びにした。我ながら上手にできたと思う。立ち上がって、フードを頭に被せてやれば、膝を抱えてしまった。行かないならいいって、お留守番しててくれればいいのに、なんだかな。しょうがないから玄関を閉じて目の前にしゃがみこめば、ぼそぼそと布に籠もって聞き取りづらい声で話し出した。
「……中原くんが……自分で言い出して、外に出るって……すごい久しぶりに。あの、前に行った水族館、大学生の時に行ったとこが、改装してリニューアルオープンしたってニュースでやってて……」
「ああ。行ったっけ」
「だから俺、嬉しくて、一緒に行こうって、すごい楽しかったし、中原くんとこうやって外で普通に遊べることとかもうないと思ってたし、そうしたのは俺だけど、そうしたくてしたわけじゃなかったし……」
「うん」
「……だから、一人で家に帰ってくるのが、すごい嫌で……」
「……うん?」
「……………」
「おい。途中から説明になってない」
「……雪見だいふく食べたい……」
「おーい。新城。電波が混線してる」
「……多分、簡単に言えば、一番最近君と一緒にこの玄関から外に出た時、帰ってくるのも一緒じゃなかったのが嫌だった、もしかしたらまたそうなるかもしれない、それが怖いなあ、ってだけなんだよ。俺は」
「お」
顔を上げた新城が、ぼんやりとこっちを見上げる。寝ぼけてるんだろうか。全然理解できないし、あっちも理解させようとして話してないと思う。はあ、と深い溜息を吐いたきり、数秒目を伏せて、立ち上がった。
「どっちが夢?」
「は?」
「俺今起きてる?」
「……多分」
「じゃあ向こうが夢。行こ、プリン買お」
「雪見だいふくは?」
「はんぶんこ」
「お前そういえば飯は?」
「もうお腹空いてないから平気ー」

「プリン」
「どっちがいい?」
「……かたい方」
「俺やらかい方にしよ」
マンションの下のコンビニで、カゴに適当に買いたいものを入れる。新発売だって、とレモンのシャーベットを指さした新城が、それもカゴに入れた。いいけど。部屋は暖房で温まってるし、あったかい部屋で冷たいものを食べるのはおいしい。そもそも財布を持ってきていないらしく、レジの前でポケットを探って愕然とした顔を向けられたので、そんなことだろうと思った。
「手ぇつなぎたい」
「嫌です」
「だって中原くんのほねほねした手が凍っちゃう……」
「人間の手は凍りません」
「凍りますー。ほら冷たい!かわいそうな中原くんの手」
「無視されてる俺本体の方がかわいそうだろ」
「あっためといてあげるねっ」
袋を下げていない方の手を繋がれて、数回振ったけど全く離れなかったので、諦めた。しつこい。コンビニの袋と新城で両手が塞がってしまったので、家の前までついて、ポケットから鍵を出させた。
「鍵開けて」
「うん」
「さむ……」
「ちょっと歩いたらお腹空いてきた」
「だから飯食ってから行けば、」
よかったんじゃないの。そう続けようとして、言葉が出なかった。振り向いた先には鍵だけが落ちていて、まるで最初から誰もいなかったみたいに。
最初からなんとなくわかってた。救いようもない方が現実で、「変な夢」はこっちの方。少しずつ全てがずれていて辻褄が合わないのにそれが当たり前なのも、ここが夢の中だから。誰が見た夢なのかまでは分からないけれど、こんな嘘だらけな夢を見たかった誰かが現実に戻ったから、新城がいなくなったんだろう。願えるなら、できれば、さっきまでの会話も戯れあいも全部忘れて目覚めてくれるといい。戻れないのに「あっちの方が良かった」と思われるのは、気が引けるから。
夢なら夢らしくすとんと終わってくれればいいのに、新城がいなくなっても、俺の身体は動くし、世界は終わらない。鍵を拾って、玄関を閉めて、暖かい部屋に戻ってプリンを開けた。おいしい。
「……やっぱり飯食わせれば良かったな」
一人で溢した声が部屋に響いた。夢のなかでものを食べると現実には戻れなくなるとか、言うじゃないか。だから、だったら、あの新城があんな顔をするぐらいの現実なら、戻れない方がいいんじゃないかって。
そう考えたのを咎めるように、視界が罅割れた。



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