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だから好きだって言ってるじゃないですか!!!




「お疲れ様でした」
「あ!お疲れ様でした!」
「ちょっといいですか?」
「ん?あ、はーい。俺でいい?」
「誰でも。顔見せるだけなので、新しい番組のプロデューサーさんに」
「いってきまー」
「いってらっしゃーい」
ソファーにぐったりしていたギターくんがひらひらと手を振って、閉まった扉によってマネージャーとボーカルくんが話す声が途切れる。音楽番組の収録。とはいえもう終わって、あとは帰るところだけど。ベースくんは俺の斜め前に座っている。ぱっと立ち上がってこっちに来たかと思うと、机の上に置いてあったペットボトルを傾けたギターくんが、がっくりした。
「ない」
「持ち上げた時に分かれよ、軽いの」
「もしかしたら一滴ぐらい残ってないかなって思った」
「一滴でどう喉を潤すんだよ……」
「自販行ってこよー」
「……場所分かんの?」
「分かんない」
「じゃあ行くな、めんどくさい」
「えー、渇き死んじゃう」
「どうせ迷子になるだろ。ボーカルくんが戻ってきたら帰れるんだから帰り道でやって」
「喉渇いたのにー」
「あっ、じゃっ、おれ、っ一緒に行くよ、そしたら……」
「ベースくんやさしい。りっちゃんは鬼」
「危機管理能力が高いって言って」
ベースくんに自販機の場所は分かるのかと聞けば、さっきエレベーターホールで見た、とびくびくしながら言われた。じゃあいいか。それなら近いし、ギターくん一人だとどこかにふらふら行って帰って来ないだろうけどベースくんがいるなら多分帰ってくるし。なんか飲む?と聞かれたので、適当に頼んだ。二人が楽屋から出て行って、しんとする。暇だったので、雑誌とか適当なものを読んでしばらく暇を潰した頃、扉がノックされた。マネージャーかとも思ったが、ボーカルくんと一緒に出て行ったからそれはないか。誰かが挨拶にでも来たんだろうか、と手に持っていた本を机に置いて顔を上げた。
「はあい」
「……こ、こんにちはっ……」
「……………」
げえ、と言わなかったのを褒めてほしい。返事をしてしまったのが間違いだった。開いた扉の隙間からそろそろと顔を出したのは、なんたらってアイドルグループの、吉片育だった。ストーカーである。我ながら気のない挨拶を返しながら、席を立つ。できれば扉から中に入れたくない、と思って歩いて行ったのだが、察したのかなんなのか、素早く侵入された。まだ入っていいとは言ってない。俺より低い頭が後ろ手に閉めた扉に、面倒だなあ、と他人事に思う。
「……どうかしましたか」
「あのっ、今日第二スタジオで収録してましたよね!俺は第一だったんです、だからご挨拶したくって」
「ああはいありがとうございます」
「あっ」
特に笑顔を取り繕うこともなく、余計なことを言われる前に追い出そうと思って、ストーカー越しにドアノブに手をかける。ノブを捻って扉を開けようと、して。
「開きませんよ」
「……は?」
「開かないでしょ?ねっ」
がちゃ、と音が鳴った。ノブが捻れるのに、扉が開かない。何度かがちゃがちゃと鳴らしたものの、開かなかった。この扉には鍵はなかったはずだ。人懐こそうな笑顔を向けられて、ノブから手を離した。開かないのがそもそもおかしいだろ。なにしたんだ、こいつ。
「秋さんしかいないんですか?」
「……………」
「ふ、ふたりっきり、ですね」
わざわざ確認するような言葉に、まさかどこかにカメラでもないだろうな、と目で探したものの、当然分かるはずもなかった。というかそもそも、ボーカルくんは「誰でもいい」と言ったマネージャーに連れられて出て行って、ギターくんは喉が乾いただけ、ベースくんはギターくんの迷子防止なので、俺だけが残される確率はそんなに高くなかったはずだ。俺を一人にしてこいつに会わせたかったなら、三人が出ていく手段がもうちょっと違くなってくるのではないかと思う。自発的に出て行ったように見えるギターくんとその付き添いのベースくんが仕組んだタチの悪いドッキリだとしたら、話は変わってくるかもしれないけれど。考えるのが面倒くさい。それが結局どうだったとして、今こいつと楽屋に二人で残され、何故か扉が開かないのは動かしようもない事実なのだ。入り口付近でそわそわしているストーカーに、椅子にでも座ればいいのに、と思った。立っていられても邪魔だし。しかし促さないと座らないだろうな。嫌だな。
「……どーぞ」
「!はいっ、えへっ、あの、秋さんっ」
「疲れたから静かにして欲しい」
「ぁえ、う、はい……」
一応言葉は通じるらしい。もごもごと黙ったストーカーに、踵を返してドアノブを捻って扉を押せば、やっぱり開かなかった。誰かが押さえてるなら、気が抜けた頃かと思ったのに。じゃあ、なにかの細工がしてあるということだろうか。絶対ストーカーがやった。ボーカルくん辺りに早く帰ってきて欲しい。外からなら開けられるんじゃないだろうか。
対面だろうが横だろうが、一緒に椅子に座るのは勘弁なので、迂回して壁際にあるソファーの方へと向かう。テレビだとこういうところにカメラが潜んでいるよな、と思ってソファーの隣にあった観葉植物を一応見たけど、ただの木だった。じゃあほんとにただこいつの運がめちゃくちゃ良くて、ちょうど俺が一人のタイミングで来て、なんらかの不思議な力でドアが内側からは開かなくなったってだけなのか。ふざけるな。そんなわけあるか。
「……秋さん……」
「うわ」
「お疲れですか……あの、俺、えと、お話ししてもいいですか……」
「……その辺でどうぞ」
勝手に椅子を立たないでほしい。いつの間にか背後に立たれていて、肩が跳ねた。近い。その辺、と俺が指で示した少し離れた辺りを見て、悲しいです、と書いてある顔をしたので、無視をした。いやだから、近づいてほしくないだけなんだって。なんだかもうどっと疲れてソファーに沈み込めば、嬉しそうに寄ってきた。隣に座るとかマジで無い。来ないでくれ。わざとソファーに足を上げて座れるスペースをなくしたら、視線がうろうろした挙句に、目の前に立たれた。邪魔。
「あのっ、新曲聞いたんですけど、PVめっちゃかっこいかったです!あとその、なんかいつもと違って、恋愛の曲だったので、ちょっとどきどきしたっていうか」
「はあ」
「えと、お、大人な感じ?だなって思って、俺にはあんまよく分かんないけど、別れても好きみたいなのが、こうなんていうか、未練がましく無いっていうか!」
「……はあ」
「普通だったら未練たらたらみたいに感じちゃうんですけど、諦めて吹っ切れよ!と思っちゃうっていうか、俺あんまそういう曲に共感はできないのに、今回のは共感っていうか、あーなんか俺も大人になったらこういう恋愛するのかなーとか思っちゃって、どきどきしたんです!あとピアノがかっこよかったですっ」
長え。出かけた欠伸を無理やり飲み込んだ。生返事を適当なタイミングで打っている間も感想戦は続いていて、途中で何度か疑問形の言葉も挟まっていたような気もするけれど、答えを待っている感じもしなかったので全部まとめて聞き流した。なんというか、予想していた通りの感想を片っ端から吐き出してくる奴だな。そうやって受け取られることを予測してこっちもやってる。滅多に書かない恋愛を主軸に置いた歌詞も、映えるように入れたピアノも、大人びた言い回しと色気を纏わせた単語も、全部。Amazonのレビューでも読みあげてるんだろうか。まあ、予想してなかった変に穿った尖りまくりの感想を投げつけられても、は?こっちはそんなこと思ってませんけど、深読みお疲れ様です、としか返せないので、どちらかといえばこっちの方がマシか。止めない限りは喋り続けるらしいストーカーが忙しなく手をばたばたさせながら口を動かしているのをぼんやり見ていたら、突然動きが止まった。電池切れかな。
「……………」
「……えっ?む、無視しないでください……」
「……は?なに、聞いてなかった」
「あっ、なんだ、そうですよね!びっくりしたあ」
聞いてなかったのと無視のなにが違うんだろうか。聞いているのに聞いていなかったフリをされる方が、精神的に来るのかもしれない。そもそも聞いていないのも嫌じゃないか?さも安心したという感じの様子なので、そこについては放っておくけれど。
「あのっ、だから経験談なのかなって、えへへっ、お、大人の恋愛……」
「……経験談」
「そ、そうです、秋さんにあったことなのかなって思って、聞きたいなーとか思っちゃって、うへへっ」
笑い方が気持ち悪い。そのせいでいまいち内容の理解に時間がかかった。いやだって、なんでこんなやつがアイドルで女にキャーキャー言われてるんだ?いひひだのふへへだの、およそ平常な人間が出す笑い声じゃないだろ。なんかずっと顔赤いし。熱ある?帰ってほしい。
実体験に基づいた歌詞ですか?っていうのは、まあ聞かれるだろうなとは思っていた。そうだとも違うとも答えるつもりはなかったし、実際問題別にそういうわけじゃない。聞かれたとしても、どっちだと思います?って濁す予定だった。そっちの方がみんな自由に想像できて、話題性が高い。ただ今のこの状況でこいつに「どっちだと思う?」と聞くと、話が長くなる予感しかしない。ただでさえしばらく拘束されて、しかも尚且つ今なんか見下ろされているのだ。まあ見下ろされてるのはこっちがソファーに座ってて相手が立ってるってだけなんだけど、もう理由なんてどうだっていいから早く帰ってもらいたい。ドア開かないけど、なにかしらの仕掛けをした本人のこいつが自主的に出ていくなら開くんじゃなかろうか。多分。
「……別に実体験とかじゃない。そういうこともあるかと思って書いた」
「えーっ!すごいリアルだったから、秋さんがそういう、悲しい恋をしたことがあるのかと……そう思って俺泣いちゃったのに……」
「ない」
「でもないなら良かったです!それはそれで!幸せな恋愛ならあるってことですよね!えっ!?幸せな恋愛!?聞きたい!」
「うわ」
一人で勝手に興奮して飛びかかってきた。ソファーに座る場所を作らないためにずっと足を投げ出していたので、必要以上に驚いて縮こまってしまった。全身びくってなった。ソファーの背もたれに手をつくように覆いかぶさられて、どうにかして脱出しようと腕の下から抜けようとしたら、防がれた。背もたれについていない方の手を俺の頭の横に、足を逃げ場を通せんぼするように突かれて、思わず見上げる。えっ、気持ち悪い。
「き、聞きたかったんですよ、秋さんの、恋愛的なこと……なんかネットニュースとか雑誌とかでは見たことあるんですけど、どこまでが本当かは分からないじゃないですか?だから、本人に聞くのが一番なんだろうなとは思ってて、ずっと」
「……そうすか……」
「こっ、こんな機会ないし、ぉ、教えてください、あのっ、恋話しましょ!」
全然したくない。そんな話誰ともしたことないし、する気もない。うひうひと気色悪い笑い声をあげるストーカーに、とりあえず上から退いてくれないかと聞いたものの、不思議そうな顔で聞き流された。都合の悪いことを聞こえなかったフリをするだけの頭はあるらしい。
「好きなタイプとかっ、あ!最近彼女いました?」
「……いた。もう別れた」
「はああ……大人……当たり前のように最近まで彼女がいる……あ!どんな人でした?どこが好きでした?」
特に相手のことは好きではなかったし、どんな人かは深く知らない。そういうことを言ったらまた騒ぎそうなので、言いたくない、とお茶を濁したら、再び異様に輝いた目を向けられた。なんの電波を受信したんだ。答えても答えなくても同じじゃないか。
というか、退いて欲しい。押し倒されてるみたいで気分が悪い。あんまり相手に触りたくないので、できるだけ隙間を狙って抜け出そうとはしているのだけれど、全部失敗している。失敗する度に覆いかぶさられてる率が上がっていくので、もう挑戦しない方がいいかもしれない。だんだん顔が近くなってる気がするのが嫌だ。気のせいじゃないかもしれない。はふはふ聞こえるし。
「やっぱりピアノ弾けるとモテるんですか!?明楽も昔からめっちゃ女の子に声かけられてたし……俺も声はかけられるけど、なんか違うし……好きです付き合ってくださいみたいなのなかったし……」
「はあ」
「あ!そうだ!あのっ、あと一つだけお願いしてもいいですか?今日一のお願いなんで!」
あと一つ。ということは、それを聞いたらこいつは俺の上からも退くし、この部屋からも出て行ってくれるのだろうか。だったらもうなんでもいい。百万円寄越せとかじゃない限り聞く。疲れすぎてお腹空いてきた。もう逃げる体力もない。そろそろ時間もないし!とにこにこしたストーカーが、突然俺の服に手をかけた。
「脱いでください!」
「……は……?」
「上だけでいいんで!」
「は?え、ちょっ待っ、なに」
「いつもライブだと遠いしドラムもあるからあんまり見えないし……この距離で見たい……はっきりとこの目に焼き付けたい」
「や、っめろ、この、破ける!」
「ライブでは自分から脱ぐじゃないですか!見してくださいよ!」
着てたシャツの裾を思いっきり引っ張られて、咄嗟に押さえたものの、ボタンがぎちぎち鳴ってるのが分かる。このストーカー、世に出しちゃいけない人間だろ。人の上に覆いかぶさって服脱がそうとしてくるようなやつは頭がまともじゃない。保護者はなにをしてきたんだ。ていうか、もしボタン飛んだら帰り道どうしたらいいんだ。縫うものなんてないし、前全開で帰るんだろうか。どんな悪いことしたら唐突にそんな目に遭わなきゃいけないのか誰か教えてほしい。たくし上げられないように下方向に押さえつけてる俺の力と、もうボタンを引きちぎる気でいるらしいストーカーが服を上げるのを諦めて横に勢いよく引いた力のせいで、ボタンが限界の悲鳴を上げた。一番下から一個上がどっかに吹っ飛んでったのが見えて、半分叫ぶように口を開いた。
「分かった分かった脱ぐ脱ぐ脱ぎます!やめろ壊れる!」
「やったー!撮っていいですか?」
「社会的に死んでもいいならどうぞ」
「今が良ければもう後はどうだっていい」
こっちももうどうにでもなれだ。人の上に乗ったまま器用にスマホを構えられた時点で、ああ退く気は一切ないんだな、と言外にはっきりと分かったので、諦めてシャツを脱ぐ。ほぼソファーに寝転がっているからとてもやりにくい。ていうか写真撮りたいなら、この体勢だとばっちり自分が影になるから、見にくいんじゃなかろうか。すげー息が荒いのと動画の撮影を開始する音がしたのはもうほっとく。写真じゃないんだ、動画なんだ、真性だな。
「脱いだ」
「……………」
「もういい?寒い」
「……………」
「聞いてんのか」
「……俺の声は入れたくないので……なんかもうちょっと喋ってください……ていうかうわこの角度エロ」
「うん、そお。中にどらちゃんがいるは」
「……………」
「……………」
「……………」


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