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おはなし



「今日大晦日じゃん」
「……………」
「ねえ!大晦日!」
「うるさい」
「あ!」
「なにぎたちゃん」
「今日から三ヶ日まで、ゴミ回収来ないのに、昨日ゴミ捨てんの忘れた」
「あーあ」
「あーあー」
「あんまゴミないからいっかー」
「いいんかよ」
あー、なんて声と共にさしていた指を下ろしたボーカルくんが、おおみそかだけど、と尚も続けた。ついさっき思い出したようだったけど、日付が急に飛ぶわけはないので、今日は朝から大晦日だ。
「腹減ったから飯食いに行こうよ」
「さんせーい」
「今日の話もしたいし」
「反省会てこと?」
「ううん。楽しかったことだけ話したい」
「ドポジティブじゃん」
「俺帰りたいんだけど」
「えー」
「りっちゃん空気読めー」
「電車混んだら嫌だし」
「スマホとったー!」
「返せ」
「あだだだだ顔潰れる助けて」
無理やり奪ったスマホを返したらいいんじゃないかと思う。どうやら気づかれないようにポケットから素早く抜いたらしい。アイアンクローを決められているボーカルくんが、スマホを取り返そうとするドラムくんからじたばたしながら手を遠ざけて、ギターくんにパスした。こっちにはパスしないでくれ。
「返せってば」
「きゃー、痴漢。ベースくんパス」
「ヒッ」
「誰が痴漢だ」
「いったっ、持ってないのに俺殴られるの?パスしたじゃん」
「べーやん今度こっちパス!このままどっか入るぞ!」



「お疲れ様でしたー!」
「おつかれしたー」
「おつかれさま」
「……おつかれさまでした……」
結局、ギターくんが二回に一回はスマホのパスに失敗して地面に落としかけるので、ドラムくんが折れた。寒くて上手く掴めない、そうだ。ボーカルくんが手袋を貸してた。かたっぽしかリュックに入ってなかったらしいけど。
適当に入った居酒屋で、ジョッキを打ち付け合う。昨日まで仕事に追われていたので、やっと一息つけた気がする。といっても、一旦停止しただけであって終わったわけではないので、年が明けたらすぐに頭を抱える羽目になるのだとは、思う。まあ今くらいは、忘れてもいいか。忘れられるわけないけど。
手近にあったきゅうりを齧っていたら、ふと目を上げたボーカルくんが振り返った。俺とギターくんからは見えるけど、ドラムくんとボーカルくんからは背中側に、テレビがある。大晦日なので、なにかの特番をやっているらしい。年末年始は、何時間もやる特番が増えるから。
「紅白かガキ使が良かったなー」
「言って変えてもらえば」
「そういうことできんの?」
「知らない」
「なんだよお」
「ギターくんのとこだけごっそりからあげないんだけど」
「お腹空いてた」
「米でも食べてろよ」
「おかわりしていい?」
「俺もー」
一気飲みしてしまったらしいギターくんが手に取ったメニューに、ボーカルくんが指を伸ばしている。ボーカルくん、一気飲みしたら真っ赤っかになるのに。だいじょぶかな。
なんでもないことをだらだらと話して、注文で店員さんを呼ぶのが3回目ぐらいになった頃。しぱしぱと眠そうにまばたきしたボーカルくんが、そいえばさ、と口を開いた。
「クリスマスってみんななにしてたの?」
「……仕事……」
「えー、べーやん仕事ー?さびしいなー」
「う」
「俺も友達とボウリングしてたんだけどね」
「なんでボウリング」
「普通に仕事あってー、夜友達と会って、なんか流れで。賭けボウリングになった」
「勝った?」
「ボロクソに負けたしその後全部奢る羽目になった。最悪のクリスマス」
「あはははは」
「笑うのはひどくない?せめて慰めてほしいんだけど」
「俺はバイトしてた。コンビニにいた」
「かわいそうに」
「む。俺がいなかったらコンビニでケーキとかチキンを予約してた人が困るんだからな」
「そういうどらちゃんは何してたの?」
「女といた」
「どうせすぐ振られるよ」
「どらちゃんは長続きしないから」
「は?別に彼女とかじゃないんですけど」
「だって。泣いていい?」
「いいよ」
ボーカルくんが机に突っ伏した。結構痛そうな音がしたけど、おでこは大丈夫だろうか。りっちゃんいつか刺されるぞー、とギターくんが言っているけれど、焼き鳥を食べながらなのであまり危機感がない。むしろ焼き鳥の串の先がふらふらしていて、ギターくんに刺さりそうでハラハラする。恨みがましい目で顔を上げたボーカルくんが、ふにゃふにゃの指でドラムくんを指す。
「どういうこと?友達?ただの友達とクリスマスに会う?」
「クリスマスイブに彼女には振られた」
「やーい!」
「やーい」
「指さすな」
「痛い!さかさまに曲げたら折れちゃう!」
「今度はどーしたの?趣味悪いプレゼントでもあげた?」
「私以外の女の子と話さないで以下略って感じでキレられてレストランで金置いて先に帰られた。LINEもブロックされてる」
「ぷぷー!完全にさみしいくりぼっち一直線コース」
「……でもクリスマスはその子と過ごしてるんじゃ……女の子と一緒って」
「別の女だけど」
「……………」
「……………」
「……………」
「……誰かなんか言えよ」
ぼそぼそとボーカルくんが言ったけれど、この空気で何か言える度胸はない。ギターくんが笑わなかった時点でどうにもならない。この淀んだ空気が特に気にならないらしいドラムくんが、イカ焼きを突つきながら答え合わせをしてくれた。しなくてもいいんだけど、そんな歪んだ答え合わせ。
「なんか、その彼女、元彼女か。その友達も連絡先知ってて。泣きながら電話来たんだけど酷くない?みたいなこと言ってくるから、突然勝手にあっちがキレましたって説明してたら、ラチ開かないから会おうって言われて、なんかそのままなんとなくそうなった」
「え……?どういうこと?彼女の友達に手ぇ出してるよね?今の話聞く限りだと」
「え?今魚の骨取ってて聞いてなかった。ごめんね」
「ぎたちゃん聞いてたでしょ!ししゃもなんかいつも頭から食べるじゃんか!」
「ベースくんは聞いてたって」
「聞いてない聞いてない何も聞こえなかった」
「ベーやん首そんなに振ったらもげちゃう」
「その後どうなったかボーカルくん聞いてよ」
「やだよ!そういうのはフィクションの中だけでいい!リアルで身近にそういう人がいるとか普通にやだ!」
「女ならもうなんでもいいのかって聞いて」
「嫌!」
「全部こっちに聞こえるように話すのやめてくんない?」
「りっちゃんは来年中には病院沙汰の怪我すると思う。女の子にやられて」
「俺も。100円賭ける。べーやんは?」
「……じゃあ100円賭ける……」
「怪我しない方に賭ける人がいないじゃんか」
「そんな怪我してたまるか。5000円賭けてやる」
「もう一声!」
「競るな」
恐ろしい話を聞いてしまった。夢だったと思おう。無かったことにしたくてジョッキの中身を空にしたら、全く同じタイミングでほぼ同じことをしていたボーカルくんと目があった。こうするしかないでしょ。怖すぎる。
それからまたなんとなくだらだら話して、ギターくんは明日コンビニのシフトが入っているらしい。オフィス街にあるコンビニなので年末年始は時短営業になるらしいが、かといって入る人もいないので、と。今年はそんなだから実家の家族に会うのは2日かな、とのんびり言われて、少し目を逸らした。ボーカルくんは大晦日から元旦にかけてのどこかしらでなんとかして毎年帰っているらしい。ふわふわしている。ドラムくんも、年末年始ぐらいは実家に顔見せるって言ってた。俺にも話は振られたけど、遠いからちょっととか、新幹線とかも混むからとかって、誤魔化してしまった。飛び出したっきり絶縁状態とか知られたら、変な目で見られるんだろうか。そしたら流石にしばらく立ち直れない。話に参加しないで済むように、ずうっと飲み物を傾けていると、あれ、とギターくんが指をさした。
「このドラマだっけ。主題歌、前にライブ出さしてくれた人たちがやってるの」
「そーそー。配信のやつでしょ」
「ゾンビだって」
「現実味がない」
「りっちゃんすぐそういうこと言うー」
「登録すんのがなー。お金かかるじゃん」
「ボーカルくん見たいの?」
「これ原作のマンガ読んでて、んー、おもしろいっちゃおもしろかったから」
「なにその微妙なの」
「なんか長いんだよな。最初の頃はおもしろかった」
「じゃあ最初の頃の面白いとこをドラマにするんじゃない」
「そんないいとこ取りある?」
「……………」
「さっきからギターくんが突然動かなくなって怖いんだけど」
「寝ちゃった?ぎたちゃん」
「どっちかというと電池切れだろ」
「……俺がー、もしゾンビになったとしたら」
「したら?」
「多分誰のこともかじれないから、俺がゾンビになっちゃったらりっちゃんとボーカルくんとベースくんは自分から噛まれに来てほしい」
「怖……」
「突然黙って考えることがそれ?」
「ていうか嫌だよ!なんで噛まれに行かなきゃいけないの」
「一人でゾンビやるのさびしそうだし……」
「俺らじゃなくても他にもゾンビ仲間はきっといるだろ。そっちと仲良くやって」
「ゾンビって言葉喋る?」
「喋んないんじゃない?見る限り」
「じゃあ無理。仲良くなれない」
「言っとくけどこっちだって人間やめるの無理だよ」
「なんでえ」
「なんでもクソもねえだろ」
「でもぎたちゃんがゾンビになってたら多分俺もゾンビだしべーやんもゾンビだよ」
「俺……俺ゾンビなの?」
「だって逃げ切れる自信なくない?俺はない」
「なんでりっちゃんだけ抜かすの」
「だって他人を盾にして生き残りそうだから」
「ああ」
「ああ……」
「腹立つから帰っていい?」
「嘘嘘!そういう生き残り方するやつは必ず途中で死ぬから安心して!」
「なにに?」



「は」
「あ。ベースくん起きた。おはよ」
「お……は……?どっ……」
「あとちょっとで着くよー」
「……ど……どこここ……」
「こここ?」
ニワトリじゃない。とりあえず首を横にたくさん振れば、隣に座っているギターくんが可笑しそうな息を漏らした。そういう意味ではないということだけは伝わっただろうか。どこここって、電車の中だろうなっていうのは見ればなんとなく分かるんだけど、何処線の何行きなのかを知らないのが問題だ。ちなみに、他にも乗客はいる。誰もいなかったら怖すぎる。ふと、ギターくんとは反対側の肩に違和感を感じて目を向ければ、そっちにはボーカルくんが寄っかかって寝てた。びっくりして飛び退こうとして、ギターくんにぶつかる。なんだこれ。
「ぎゃっ」
「いてて」
「うぐっ」
「ひ、なに、どこここ、なに、なんで」
「顔色すごいけど気持ち悪い?吐く?」
「は、はかない、なに、なんですか……」
「うー……んん……べーやん起きたの?俺寝てた?」
「寝てた」
「ごめんぎたちゃん……」
「いーよお、俺も寝てたし」
「電車の中で連れ全員寝るほど危険なことある?」
「ちゃんとアラームつけてたから平気」
「そっか……えらいな……」
俺を挟んで会話したギターくんとボーカルくんに、視線をあっちこっちさせていたら、大きなあくびを漏らしたボーカルくんが説明してくれた。と思ったらギターくんが揺れながら「こっちはダメそうだ」とか言い出して、よく見たらドラムくんがいた。寝てる?多分。顔が見えないからちょっとよく分からないけど、あれだけ揺らされて微動だにしないってことは死んでるか寝てるか気絶してるかのどれかだろう。ていうか、驚いて起きたまま落ち着く間がないせいで、心臓の音がやばい。こっちが死にそうだ。
「べーやんどこまで覚えてる?」
「……ご飯を食べに……居酒屋に……」
「まあそりゃそこへ覚えてるよな」
「隣の大学生のグループと飲み比べしてめっちゃ盛り上がってたのは?」
「な、なにそれ、知らない」
「じゃあその前の、ぎたちゃんが頼んだなんかのボトルをマイクにしてすげー歌い出したのは?」
「しっ、知らない、俺じゃない」
「いやおめーだよ」
「動画見る?」
「ううう……」
「まあそのへんは割といつものことだからいいんだけど」
「ベースくんがひと暴れして寝ちゃってー、俺とボーカルくんで、おそば食べたいねって。年越しそば食べよーってなったけど、居酒屋にはなくてさー」
「そしたらどらちゃんが帰る帰るってうるさくて、みんなで年越しそば食べよって言ってんのに。なー」
「ねー。あんまりしつこくてうるさいから、店にあるいろんな種類のお酒を順番に飲ませた」
「……死……死んでる……?」
「一応息はある。確認した」
「ボーカルくんもうとうとしてたもんね」
「俺がうとうとさえしなければ、どらちゃんはぎたちゃんのおもちゃにならなかったのかと思うと、ちょっと面白いからそのまんま連れてきた」
「い、嫌がらなかったの。ドラムくん」
「飲む前は嫌がってたけどすぐ壊れちゃった」
「ぎたちゃんその言い方やめてってさっきも言ったでしょ」
「んー。りっちゃん日本酒ダメみたい」
「知らんかったね」
「前は飲めてなかったっけなー。てゆかダメなら飲まなければいいのにね」
「見栄っ張りだから」
いやダメなら飲むなとか見栄っ張りがどうこうじゃなくて、飲まされたからだろ?と言いたかったが飲み込んだ。幸いなことに、ものすごいショックと共に目覚めたおかげか、ほぼ酔いは抜けている。むしろちょっと心因的な意味で体調が悪い。ちょうど止まった駅のホームをぼんやり見ながら、これは何線だったっけ、と考えていたら、ギターくんが口を開いた。
「次で降りよ」
「やっとかー」
「……ぇ、あの、ど、どこに行くの……?」
「え?うち」
「う……えっ?」
「ぎたちゃんちにおそばあるって」
「サヤがこないだくれた。おせーぼ?」
「なんかどこの店も混んでたし、あるならもうぎたちゃんちでおそば作って食べよーってなって」
「電車で一本だったしねー」
「どらちゃんも起きてくんないかな」
「りっちゃん立って、歩いて、自分でどうにかして、足長いんでしょ」
めっちゃ揺らされてるし蹴られてるし叩かれてる。後で殺されるんじゃなかろうか。しばらくされるがままだったので、本当に息はしているんだろうかと心配になったが、電車がホームに滑り込む頃にはふらふらと立ち上がった。無言だけど。意識ある内に入るんだろうか、この場合。居酒屋から駅までは歩いてたのにね、と和気藹々話すボーカルくんとギターくんについていく。ここで、あっじゃあ帰りますね、とか言ったら、俺もドラムくんみたいにされてしまうのかもしれない。それは嫌だ。あんな生きる屍みたいになりたくない。そういえば覚えてる限りのさっきまでの思い出に、ゾンビの話をしていたような気がする。伏線回収かな。ははは。
一人でそんなことを考えている間に、ギターくんの家に着いた。さむいさむい、とギターくんが悴んだ手で鍵を開ける。ボーカルくんが靴紐を解いている間にドラムくんがその横をすり抜けて、靴を脱ぐっていうか靴を散らかすって感じで玄関を荒らしてからふらふらと直進して、倒れた。部屋の電気をつけたギターくんに危うく踏まれるところだった。
「うわ。りっちゃん真ん中に寝ないでよお」
「ていうか年明けちゃったな」
「……ほんとだ」
「あけましておめでとうございます」
「おめでとーございます」
「……おめでとうございます……」
「今年もよろしくお願いします。そば作ろ」
「すげー邪魔」
ギターくんに蹴り転がされて、端に寄せられている。さっきからドラムくんがあまり人間扱いされていないように思うんだけど、俺だけだろうか。うつ伏せで壁に寄り添って横たわっているので、恐る恐る呼吸しているか確認したら、してた。そりゃそうなんだけど、心配になるんだよ。一人ほっとしていると、ギターくんが「服着たままじゃ寝れないからしばらくしたら起きるよ」と教えてくれた。それが知りたかったわけではない。
「ぎたちゃん鍋どこ」
「あったかなー」
「そばはあった。箱開いてないんだけど」
「開けていーよ。めんつゆもねー、もらったんだ、あったあった」
「お皿は全員分ないみたいだけど」
「あ、ぇ、俺、ちょっとでいい……だから、ちっちゃいお皿で、全然いいから」
「じゃあそばいくつ茹でる?」
「俺お腹空いた」
「ぎたちゃんお腹空いてない時ないじゃん」
「りっちゃんは食べないと思うからいーよ。ボーカルくんは?」
「俺もそんなに食べれないと思うんだよなー」
とかなんとか言いながらわいわいやっている内に、すぐできた。出来上がってから「あ。こないだ大掃除した時に割り箸捨てちゃった」とギターくんが爆弾を落としたので、俺とボーカルくんはフォークで食べることになった。しかもコンビニでもらえるスイーツ用のちっちゃいやつ。いいけれども。薬味とかそういうのはないので、ただの蕎麦とつゆだけで、いただきます。ボーカルくんが気を利かせて付けつゆを煮沸かしてくれたので、あったかい。
「いただきまーす」
「うまい」
「うん……」
「なんかテレビ見る?」
「なにやってっかなー」
「あれ。うーん、あれ、だめだ、テレビつかないわ。ごめんね」
「リモコン電池切れてんじゃない?」
「そっかなあ。安いのだから壊れたのかもしれん」
「貸してみ」
「うん」
「こうゆうのは気持ちが大事だってうちの母親が言ってた。よしよし、リモコンがんばれ」
「わはは、絶対嘘」
「動かないとお前のことを捨てるからな。分かったなオラ!ほら。ついた」
「……なんか後半思ってたのと違った。違ったよね?ベースくん」
「……ちょっと違ったかもね……」
「お笑い見る?CDTV見る?」
「どっちでも、お」
「……………」
「起きたあ?」
なんでナチュラルに「起きた?」とか聞けるんだ。さっきまで壁際で横たわってたはずのドラムくんが、いつのまにかギターくんの背後にいて肩を掴んでいる。ぶたれる。それか絶対痛いことされる。足踏んだりとか。こっちがはらはらしているのも知らず、ボーカルくんが普通にそばを啜ってもぐもぐしている。テレビがうるさかったんだろうか、それ以前に俺たちの話し声とか食べ物の匂いが嫌だったんだろうか。ボーカルくんがもぐもぐしてたのを飲み込むぐらいまでぼおっとしていたドラムくんが、ようやく口を開いた。
「……なにそれ」
「おそば。食べる?」
「……いらない……水……」
「どーぞ」
ふらふらと台所の方へ歩いて行った。え?怒んないの?寝ぼけてるんだろうか。それか酔っ払ってたからギターくんに乱暴に扱われていたことは忘れてしまったのか。後者であれ。新年から人が殴られるところは見たくない。めっちゃ深い溜息をついたドラムくんが水を飲み終わって、ボーカルくんが声をかけた。
「どらちゃん覚えてるー?」
「……大体。シャワー借りる」
「うん。あっ待って服着て」
「この家寒いから脱げない」
「人の布団全部奪って服脱ぐじゃん、はいこれとこれ」
「うん……」
「とってよお」
ぽいぽいとギターくんが押し入れから引っ張り出して投げ渡した服類を全部上手く受け取れずに床に落としたドラムくんが、のろのろそれを拾って、恐らくは脱衣所の方へ消えた。意識が戻った代わりに反射神経が死んだようだ。歩くのめっちゃ遅いし、しょうがない。ちょっとして水音が聞こえてきて、がたがたなんか鳴ってるのも丸々聞こえてくる。ドラムくんも言ってたけど、ギターくんはちゃんと暖房つけてくれてるんだけど、この家寒い。隙間風はさすがにないけれど、今日が特別寒いのもあいまってなのか、全然あったまらない。家の中の音が外に筒抜けるほどではないとは思うけれど、壁が薄いのかもしれない。部屋同士の間の壁が薄い、とかそんな感じ。しばらくして、姿は見えないドラムくんの声がした。
「悠タオルない」
「あるよお」
「ない。凍え死ぬ」
「もー」
「……なんか眠たくなってきた。べーやん、眠くないの?」
「お、俺は、多分さっき寝てたから……」
「シャワーとか浴びたら100%寝る。浴びなくても寝る気がする」
「えっ、がんばって、起きてて」
「すげー眠い。急に眠気が来た」
「ぎ、ギターくん、ボーカルくんが寝ちゃう」
「えー?そこの押し入れにお布団あるからかけていいよ」
「いえー。あんがとー」
俺が言いたかったのはそういうことじゃない。ドラムくんの方に行ってるギターくんが顔だけ出してお布団情報を教えてくれ、言われた通りに押し入れから布団を引っ張り出したボーカルくんは、寒いから半分かけな、と俺にも布団をかけて、丸まってしまった。どうしよう。人の家にこうやって泊まりに来たことなんてほとんど無いし、そもそも他人がいる場所で寝られる気がしない。酔っ払ってたら別なのかもしれないけど、今更それは無理だ。タオルの場所を勝手に変えるな分かりにくい、ここは俺の家なので俺が使いやすいように置き場所を変えるぐらいいいでしょうが、とやいのやいの言い争いながら戻ってきたドラムくんとギターくんが、テレビの前に座ってしまった。
「頭痛い。俺も寝たい」
「お布団そんなにないよ」
「敷布団使うからいい」
「人んちでやりたい放題かー」
「人の体にやりたい放題したのはどっちだ」
「うわ。やな言い方」
「暑い」
「服だけは着てて」
「凍死するから脱がない」
「ベースくんもシャワー使う?あ、服貸そっか。多分着れるしょ」
「あ、い、いいっ、だいじょぶ……」
「そー?ボーカルくんは?」
「……………」
「寝てるし。俺もお風呂入ろ、なんか適当にしてていいよー」
「ぁ、はい……」
どうしよう。ボーカルくんはもう寝ちゃったみたいだし、ドラムくんも静かになってしまった。一応テレビは消したし、電気もちっちゃくした。そのせいで、なにもできることがなくなってしまった。せめてお片付けぐらい、と思ったけど、暗すぎて無理だ。なにして待ってたらいいんだ。ていうかそもそもこのままじゃ、朝が来るまでどうやって持ち堪えればいいんだろう。ギターくんが帰ってきたとしても、うるさいからお喋りするわけにもいかないし、朝までお喋りとか逆に地獄だ。やっぱり帰れば良かった。今からでも遅くないかな。ギターくんがシャワーから出てきたら、用事があるとかなんとか誤魔化して、今からでも帰ろうかな。せっかくの年末年始のお休みなんだし、家で猫も待ってるし、ギターくんもボーカルくんもドラムくんも家族に会うって言ってたし、俺はそんなことないからただ家に帰るだけだけれど、普通だったら実家に顔見せるのが当たり前っていうか。膝を抱えて考えていたら、なんか涙が出そうだった。めでたいお正月なのに。なんでいつもこうなんだろう。帰ろっかな。でもせっかくこうやって、家に呼んでもらったりとか、おそばも美味しかったし、お泊まりみたいなの、したことないし、楽しくないわけじゃないし、帰りたくないかと言われたらそうじゃないけど、じゃあ今すぐ出て行きたいかと言われると、それも違うっていうか。



「うあ」
「あ、ごめん。起こした?」
「……平気……」
ほぼ寝てなかった。ギターくんがお風呂から出てきたところでうとうとしてたのから起きて、その後片づけを手伝ってからまたちょっとだけ寝ては起きを繰り返し、今はちょうど、冬だからなかなか外が明るくなってくれないなあ、なんて気づきを得た辺りだ。まあ寝れないだろうとは思ってたけどこんなに寝れないとは思わなかった。伸びをしているボーカルくんがスマホをいじって、こっちを向く。
「初詣行きたくない?」
「は、……えっ……い、今から?」
「いつも実家にいると、日が明ける前に家出て明るくなった頃にお詣りして、帰ってきて朝ごはんなんだけど。こうじゃない?」
「……うちの実家は、違ったかな……」
「そうなんだ。ぎたちゃーん、はつもうでようよー、この辺になんかもうでられるところないの?」
「うぶ」
「どらちゃんも起きてよー」
ひい、って声が喉から漏れてしまった。なんで起こすんだ。敷布団をかけていたドラムくんとキャンプ用らしき寝袋に埋まっていたギターくんに乗っかってじたばたしているボーカルくんに、行くなら俺行くから、二人は寝かせといてあげたほうが、と声をかけたものの、全く聞こえていないようだった。こんなまだ暗いうちから起こして、怒られたくない。新年早々。ギターくんは唸ったきり動かないけれど、ドラムくんがむくりと体を起こした。
「……うるさい……なに……?」
「初詣」
「寒い」
「どらちゃんお腹出てる」
「冷たい。触んないで」
「初詣行こうよー、そんでおみくじ引こ」
「去年大吉だったからいい」
「どらちゃんのバカ!呪われろ!」
「……腹減った」
もそもそと布団から抜け出たドラムくんが、冷蔵庫や棚を勝手に漁っている。水をヤカンに入れて火をかける音がして、コップにお茶を入れてこっちに来た。リモコンのボタンを押して、テレビがつかなかったのでもう一度押して、それでもつかなかったのでリモコンを机にがんがんぶつけてからボタンを押して、ようやくついた。一連の流れを茫然と見ていると、お茶?というようにコップを持ち上げられて、あそこにあるけど、と台所を指さされた。違う。他人の家で他人の持ち物なのにあまりに使いこなして我が物顔をしていたから驚いているだけだ。ポケットを漁ったドラムくんが、スマホがない、と鞄に手を伸ばした。
「あった。ギターくん、充電器どこ」
「ぎたちゃん起きてー!」
「だめだあれは。ベースくん充電器ある?」
「な、ない」
「あったわ。頭いった……ギターくん充電器使うから」
勝手の締めくくりにコンセントに刺さっていた充電器を引っ張り出したドラムくんが、自分のスマホにそれを刺して横たわってしまった。多分明るくなるまでは起きないよ、と転がりながらドラムくんが言ったのは、ぎりぎりボーカルくんにも聞こえたらしく、ようやく静かになった。
「もう!ぎたちゃん起きない!」
「おみくじ」
「え?なに?」
「初詣はやだけど。おみくじ引けば?はい」
「なにこれ。え!なにこれ!」
ドラムくんが差し出したスマホには、おみくじがあった。心を静かにしてボタンを押しましょう、って書いてある。今時はこんなのもあるんだ。深呼吸したボーカルくんが、お願いします!の声と共にタップする。
「中吉」
「中吉っていい?」
「大吉よりは良くない」
「なーんだ」
「勉学。励みましょう」
「どういう意味?」
「分かんないならいい。仕事、出世の兆しあり」
「キザシってなに?」
「分かんないならいい」
「えー。じゃあもう中吉ってことしか分かんないじゃん」
「ベースくんも引いたら」
「え、あっ、うん、はい」
「小吉」
「俺のとどっちが強い?」
「ボーカルくん」
「イエーイ」
「健康。今年は特に気をつけるべし」
「き、気をつける……」
「恋愛、結納は避けるが吉」
「ユイノー」
「ベースくんは結婚できないってことだよ」
「で、できる、できないとは書いていない」
「え?べーやん結婚したいの?彼女いるの?」
「……………」
「かわいそうだから聞いてやるなよ」
「……ど、ドラムくんも、おみくじ引きなよっ」
「俺は神様とか信じてない派だから」
「あ、ず、っずるい……」
「ねえ、お湯沸いたみたいだよ」
「お茶漬けあったけど食べる?」
「食べる!」
結局、お茶漬けを食べてから二度寝してしまった。日が出てまぶしくて目が覚めた頃には、全員その辺で転がっていて、布団をかけて回った。ギターくんのバイトがあったからみんなで初詣には行けなかったけど、いつかは行けますように。帰り道に寄った神社で、そうやって手を合わせておいた。


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