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おはなし



「なんかさ……やっぱり?大事なのは、愛なんだなって……分かっちゃったよね……」
「……?」
「……あ、待って。やり直す。″″理解″″っちゃった、よね……」
ちょっと目を離した隙に、瀧川がヤバウザキモくなってる。ヤバいとウザいとキモいのどの要素もマイナスできない辺り、手遅れだ。ほんの5分ぐらい家の方に引っ込んでただけなのに。だって母が「虫!!!!!」って召集かけるから、しょうがないじゃん。もう今日は店じまいとか勝手に決めて引っ込んでたうめさんが俺とチェンジして、俺は家の台所の虫退治をした。俺だって虫の相手よりは瀧川の相手の方がマシだと思ってたよ。今は正直イーブンになってしまったけど。
「たーちゃんおっかえりー。帰ろ」
「待って。なにあれ」
「知らないけど。なんか突然″″理解″″りはじめた」
「うめさんなんかした?」
「してない」
「ほんとに?」
「してないってばー」
「神に誓える?」
「首賭けてもいいわ」
「賭けてんの誰の首?」
「眼鏡」
「あっ俺!?やめてよ!」
瀧川の隣に座ってるけど反対側を向いていた朔太郎が振り返った。よし。お前だけ知らんぷりなんかさせないからな。
なにがあったの?と朔太郎にも聞いたものの、よく分からないフニャフニャした答えしか返ってこなかった。まあ朔太郎は基本フニャフニャ喋ってるからいつも通りといえばいつも通りなのだけれど、それじゃ今は困る。このキモウザヤバい瀧川をどうにかするか、どうにもならないなら早いとこ外に捨てないといけない。なにかあったの?と本人に聞くのが一番簡単だが、話が長くなりそうで嫌だ。
「朔太郎聞いてよ。なにが分かったのか」
「違うよ。″″理解″″ったんだよ」
「声に出したら一緒でしょ!あれ?航介は?」
「カラオケおじさんたちに巻き込まれた。ほらあそこ」
「ぐっ……そっちの方が数倍楽しそう……!」
「だから俺そっち向いてたのに。都築が現実に引き戻した。最悪」
「一人で逃げるとかあり得ないと思って……」
あっち、と言われた方を見れば、確かによく来るおじさんたちが航介を囲んでやいのやいの言ってた。「歌わねえっつってんだろ!」「うるせえ歌え」「さもないとみわこちゃんに言いつけるぞ」「母親の名前を出すな」「なになら歌うんだ?演歌か」「もっと若い子の歌じゃねえと分かんねえだろ」「これなら分かるか?」「分かる」「よし」「歌わないからな」「もう入れた」「自分で歌えよ!」「んん。ゔゔん」「一丁前に喉調整してやがるこのオヤジ」とがやがや言っているのが聞こえる。あっちの方がマジで楽しそうなんだけど。
航介は基本酒に強いし自分のリミットを分かっているが、ごくたまにものすごく酔っ払うことがある。そういうことになると、一人で騒ぐだけ騒いで、カラオケを独占してめっちゃ歌いまくって、暑くなって脱ぎ散らかして、その辺で寝るのだ。その「めっちゃ歌いまくって」の部分を知ってるおっさんたちは、航介が割と歌がうまいのを知っていて、いつか素面で歌わせてえなあ、と思っている。そもそもにして航介は声がでかいし、あと音もそんなに外さないし、若干こぶしが効いた癖っぽい歌い方をする。俺は個人的に好きだけど、航介本人はそんなに目立ちたがりでもないので、酔っ払いでもしてないと歌ってくれない。でも酔っ払ってると変なとこで飽きてぶっつり途切ったり、酒で焼けて声が出なくて誤魔化したりする。だからこう、素面で歌ってほしいカラオケ大好きおじさんたちの気持ちは、ほんとによくわかる。それで俺もあっちに行きたいわけ。おじさんたちと一緒に航介に歌ってほしい曲を選びたい。同じように思っているらしい朔太郎が俺の手を抜けて瀧川の相手から逃げようとするので、必死になって追いすがる。
「離して!」
「逃がすか」
「なあ……知ってる?愛って……偉大なんだぜ……?」
「ウワこっち来た!朔太郎パス!」
「ねえー!航介こないだあれ歌ってたよね部屋で一人であの車のCMで流れてるあの題名なんつったっけなアレ!」
「あっクソ!」
クソでかい声で捲し立てた朔太郎が、自分から椅子を転げ落ちて逃げ出した。どこにどこをぶつけたんだか知らないけど、ガッッ!て痛そうな音がした。思いっきし打ったよね。地面に一度手をついてクラウチングスタートの姿勢をとり、発射の言葉が相応しい速さであっち側に紛れ込んでしまった朔太郎は、流石に戻ってこないだろう。ちくしょう。
「都築。聞いて」
「……………」
「都築」
「……………」
「たーちゃん。都築。ねえ、都築」
「……………」
「忠義」
「……はい」
こいつ。普段だったらこっちが聞いてるか聞いてないかなんて関係なく勝手に話し始めるというのに、よりによって一番面倒臭そうな今回ばっかりは、わざわざ聞こうとするまで話し始めないつもりだ。最低。人に嫌がらせする天才なの?意味わかんない。名前を呼ぶのに合わせてぺたぺたと触られていた手を払えば、にへらにへらと締まりのない笑顔を浮かべたまま再び握られた。お前。しょうがないから、出来るだけ優しい声で返事をしてやる。とっとと聞くだけ聞いて、早く終わりにしよう。
「なあに」
「こんなこと言うのも……なんていうか?みんな知ってることではあったと思うんだけど……俺は今まで知らなかったんだよね。こう、この世界における……愛?そう、愛の、偉大さってやつ……」
「ォエッ」
「大丈夫?体調悪い?吐いてもいいよ、吐き終わってから話そっか?」
「ううん、話し終わってから吐く」
「あらそう」
「そう。うふふ」
「ふふ」
胃酸がせぐり上がってきた。死ぬ。早く終わりにしてくれ。カラオケおじさん側では、「車のCMってこれか」「知らねえこの曲」「なんだよ!眼鏡坊主お前」「この曲じゃないよ!もっとこう、ン〜フフ〜フゥ〜って感じ」「なんだよそれ」「曲名が分からない」「若者、スマホで検索しろよ」「ンフフ〜フゥ〜って?」「バカなの?」「この子はもうほんとにバカ」「じゃあこれは俺が歌うとして……」「おめーは引っ込んどれよ音痴!」「ヴヴン。ヴン。あー。いい感じ」「どこが?」「おっさんどいて、酒飲みたくてここ来てんだから」「一杯につき一曲って決まりがあるんだけど知らない?都築さんちで飲む時はみんなそう」「そう」「それはそう」「うるさいどいて」と相も変わらずがやがややっている。羨ましすぎる。俺もそっちに混ぜてほしくてたまらない。朔太郎の顔色がさっきよりも良さそうなのが拍車かけてる。ツヤツヤしてんじゃねーよ!
「都築」
「ゲロ袋持ってきていい?」
「いいよ。待ってる」
「もう口調変わってんじゃん気色悪……」
「俺がどうして愛の尊さに気づいたか、知りたい?」
「ウン」
顎をなんとかしゃくって、首を無理やり縦に振った。ふふ、と薄く微笑んだ瀧川が、ひそひそと囁く。1回目、マジで声がちっちゃすぎてなんて言ってんのかさっぱりだった。お前ここどこだと思ってんの、飲み屋だよ。あっちでカラオケやってんだよ?聞こえるわけないじゃん。
「え?なに?聞こえない。愛犬でも死んだ?」
「違えバカ耳の穴かっぽじって聞け」
「あれ?今瀧川いた?懐かしい感じした」
「いたいた」
「いなくなったか……」
「彼女。できちゃったよね」
「……………」
「ふふ。彼女。ああ、わかりにくい?なんて言ったらいいかな、こう……愛?愛を誓い合った相手っていうの?そういう人が、できちゃったよね」
「集合!集合ーッ!」
フライパンを叩いてガンガン鳴らしながら集合を叫べば、やっと解放されたって感じの顔した航介と、まだマイクを持ってる朔太郎が来た。なんで朔太郎がマイク持ってんの。バックで流れだしたの「いぬのおまわりさん」に聞こえるんだけど、まさか歌うつもりだった?ごめんね邪魔して。どうやらまだスイッチが入っているらしいマイクを構えた朔太郎が、口を開いた。
「なに?」
「あっうるさ!マイク切って!」
「でも俺、あっ!まいごのまいごの」
「分かった分かった!歌い切ってからでいいから!」
「こねこちゃん〜」
「……何?」
あなたのおうちは、と歌いながら戻って行った朔太郎に代わるように、航介が割り箸を割りながら言った。なんか食べたいのかな。誰が頼んだのかいつからあったのかも不明なイカゲソバター炒めをつついているので、何が食べたいか聞いた。卵焼きだって。じゃことネギ入れてあげよ。
「瀧川が彼女できたとか言ってる。脳に腫瘍があるかも」
「病院行ったら?」
「何科かな」
「外科」
「は?腫瘍じゃなくて彼女できたんですけど。マジなんですけど」
「2時間前まで欲しいっつってただろ。そんな突然できるか」
「そーだそーだ!席を立ってもないくせに!」
「はあ。お前ら可哀想にな。前時代の人間だから、まあ理解できないのも当然っていうか?しょうがないな?仕方がないから優しい瀧川時満くんは時代遅れ二人に教えてあげるけど」
「は?死ね」
「ハゲろ」
「おぶっ、いってえな!ビンタすんな!」
「腹立った」
航介が瀧川をスッ叩いてくれたので、俺からは手を出さずに済んだ。よかった。うっかり刃物が飛び出しちゃうところだった。とびだせ!ほうちょうの森。ちゃかちゃか卵焼きを作っていたら、朔太郎も帰ってきた。静かに右拳を掲げている。なんなんだ。
「やりきった……」
「あ。朔太郎おかえり」
「情感たっぷりに歌い上げてきた」
「いぬのおまわりさんだよね?」
「もうみんな泣いてた。寂しさと愛しさと侘しさが入り混じって素晴らしいって。全米泣くって」
「瀧川彼女できたんだって」
「えー。平面?」
「立体だボケ」
「何センチ?」
「フィギュアかなんかだと思ってんの?」
「たまごやきどーぞ」
「醤油」
「はい」
「そういやこないだ都築が貸してくれたドラマ」
「あー。金曜10時の?」
「面白かった」
「泣いた?俺あれ見ると情緒グチャグチャになって泣いちゃう」
「泣かなかった。ギリ」
「俺の彼女の話に興味を持てよ!!!」
瀧川がカウンターに拳を叩きつけたので、がっちゃん、とお皿やグラスが鳴った。ひょいと卵焼きの皿を持ち上げてそれを回避した航介が、背後から忘れ物だと手渡されたジョッキを受け取って呷りながら、面倒そうな顔をする。このために集合をかけたのか?と言いたげだ。そうなの。ごめんね。朔太郎は電源の切れたマイクをくるくる回している。二本あるから、一本ここにあっても問題ないらしい。
「彼女」
「勘違いじゃなくて?」
「勘違いじゃない。さっきテレビでマッチングアプリの特集してたの見た?」
「見てない」
「知らない」
「マチングーア・プリって誰?」
「朔太郎だけちょっと事前知識が足りないみたい」
要は女の子との出会いの第一歩目を済ませるためのものである、とざっくり説明する。実際に会ってみてどうするのかも、そもそもお眼鏡にかなう相手と出会えるのかも、全て自分次第。俺だって利用したことはないけれど、どんなものかはなんとなーく知っている。知らない、と言い放った航介も、へーえ、と薄い返事をしていた。一昔前だったらオフ会とかいうやつをするために顔も知らない相手と事前に仲良くなっておくものということ?と、朔太郎が首を傾げるので、まあそんなもんなんじゃないかと濁しておいた。詳しくはないので。朔太郎の言い方だと手段と目的が逆転してしまう。が、そんなもんなのかもしれない。
「だからね、登録してみたの。そしたら彼女できたよね」
「は?」
「はっ?」
「話が飛躍した」
「そんなみんな利用してるなら俺もやったれ!と思って」
「それに登録したら彼女が錬成される仕組みなの?」
「もうそれはログインボーナスじゃん」
「違う。生身の人間」
「でも会ったことないんでしょ」
「だから今週の土曜会う。実際会うことによって彼女になるのだから、会うことが決定した今もう彼女は俺の彼女であることに変わりはないのでは?」
「断られるって選択肢ないんだ」
「頭お花畑か?」
辛辣に切り捨てた航介が、ぺらぺらとメニューをめくる。お腹空いてんの。何が食べたいかと聞けば、「米」と身も蓋もない答えが返ってきた。瀧川相手なら生米を出してやるが、航介なのでしない。焼きおにぎりなんてどうでしょうかね。俺も、と挙手した朔太郎の手には空のグラスがあったので、おかわりをあげた。反対の手にはまだマイクを握っているのだけれど、おっさんたちは気づいていないんだろうか?なんか一昔前の歌でめっちゃ盛り上がってるけど。そばにい〜たいよォ〜!っつって。君のためにできること、僕にもうないでしょ。
「俺に可愛い彼女ができるからって僻むなよ」
「顔見た事ないくせに」
「写真は送られてきた」
「写真〜?そんなの詐欺だよ、今時どうにでもなるでしょ」
「見せねえぞ!」
「見たいって言ってない」
「そこそこの彼女とそこそこの生活営んでそこそこ妥協してそこそこの式場で結婚式挙げるの楽しみに待ってる」
「そこそことか言ったら失礼だろ」
「確かに。女の子に対しては失礼かも」
「ごめん、まだ見ぬそこそこさん」
遠くから野太い声のトリセツが聞こえる。そうね。女の子ってやつは、余計なことを言うと藪蛇になるし、突如不機嫌になったりもするけれど、「とにかく可愛い」わけだから。定期的に褒めると長持ちする?とんでもない。他人を見返してやろうとかあの子にだけは負けたくないとか、そういう負のエネルギーの方がよっぽと根強い。俺の話じゃない。うめさんの話だ。この前珍しく見た目に気を使い始めたと思ったら、肌艶も整えて絞るところは絞って、要は自分のことを完璧に磨き上げた状態で、バチバチに強めのメイクして綺麗な格好着てすげー高さのピンヒール履いて出かけてった。なんでも、田舎暮らしだと見た目に気を使わなくていいから楽よね(笑)的なことを言われたことがある相手に会うことになったので、嫌味ったらしくぶちのめしたかったそうだ。考え方が悪役のそれだし、俺は話を聞いて普通に引いた。「とにかく可愛い」の裏には、凄絶な努力と執念が隠されている。「え〜私なんてスキンケアとかなんにもしてないんです〜!」は十中八九嘘だ。怖い。
ちなみにメイクバチバチうめさんのことは、瀧川(店の前ですれ違った)も朔太郎(駅前で見かけた)も当人と認識しなかったらしいが、うめさんが家を出る寸前に明日の仕入れの確認をしに来た航介だけは「……え?何それ?」とドン引き顔で言ったらしい。本人曰く「都築かと思った」「姉とは思わなかった」そうだが、兎角タイミングが悪い。ていうかナチュラルに俺がバッチバチに化粧して女装してることにされてるの、嫌なんだけど。いくら顔似てるからってそこを間違えるのだけは勘弁なんですけど。まあうめさん身長割と高いし、都築家の三人の子どもたちは全員顔が似てるし、責められないけど。いやそりゃ責められないけど嫌だよ、なんで俺、姉と間違えられてんの?高校生の時からの友達に。しかもドン引かれてるし。
「終わった感じにしてない?この話」
「焼きおにぎり」
「いただきます」
「いっただっきまーす!」
「俺の彼女の話、何勝手に終わらせてんの?」
「もー。わかったから、会ってからにしなよ」
「ふぉふぉろはもひへはいほ」
「朔太郎もこう言ってるし」
「何言ってんのか分かんねえよ」
ちっ。頭の中でも違う話にすり替えたのに、意外としつこい。写真見たい?見せないけど?いやでも頼むなら見せてやってもいいけど?まあ見せないけど?でもどうしてもって言うなら見せてあげようかなって思わなくもないけど?と「見せたい」を500枚ぐらいオブラートに包んだ言い回しでチラチラこっちを見ている瀧川を無視し続けていたら、泣いた。普通にガチ泣きだった。ほんとに泣いちゃうと思わないじゃん。ごめんて。お前もふざけてるから、ふざけてもいいやつなのかと思ったんだよ。
「見して」
「……………」
「もー、早く」
「……………」
「ありがと」
無言のままスマホを操作してこっちに渡した瀧川が、そのままもそもそと丸くなる。航介と朔太郎と頭を突き合わせて件の写真を見た、わけだけど。いやこれ。
「普通に超可愛いじゃん」
「えー。ずる」
「年下?」
「そうっぽいけど、女の子は分かんなくない?実際の年齢」
「あーね」
「写真は詐欺だって言ってたろ」
「まあそうだけど、んなこと言ったら本腰入れて化粧したら素の顔わかんないじゃん?それと一緒でしょ」
「じゃあ普通に会ってもこの子か……」
「は?腹立たしいんですけど」
「なにスタンダードに可愛い子と知り合ってんの?」
「家出て2秒で自転車に轢かれろ」
「会ったはいいけど会話弾まなくて地獄の空気流れろ」
「靴紐がぶち切れろ」
「……………」
無言の中にニヤニヤが混ざってきた。煽てるつもりで示し合わせたところは確かにあるけど、それ以上に写真の女の子が可愛すぎて腹立つからほぼ本音だ。まっすぐに揃えられた肩口の黒髪、控えめな笑顔。大人し系の子なんだろうなってのが見て取れるし、なんていうか、普通にシンプルに、顔が可愛い。呪いを三人してぶつくさと吐いていると、精神が回復したらしい瀧川がアメリカンな身振り手振りで復活した。うざいよお。泣かしたままにしとけば良かった。
「まあ〜?なんていうか〜?ごめんね〜?お前らとは違うってところがやっぱ分かんだよねこういうとこでさ」
「うざ」
「死ね」
「前歯折れろ」
「独り身共もやったらいいじゃんマッチングアプリ、あっ!俺のやつ使う?教えてあげよっか?二番煎じみたいになっちゃうけど、はは」
「明日の朝瀧川の車のタイヤパンクしてますように」
「なんか?彼女、結婚願望あるって教えてくれたし?なんつーか、もうこれは彼女っていうより妻ってことになるのかな?悪いね〜抜け駆けしちゃって!」
「彼女の連絡先教えて、俺も仲良くするから。友人として」
「は?朔太郎には絶対教えない。絶対って言葉の意味知ってる?絶対ってことなんだけど」
「なにもしないから」
「九割九分九厘で寝取られるから嫌」
「俺も自分に彼女できたとしても朔太郎にだけは紹介しない」
「仲良くしたいだけなのに……」
「自分の下半身にもっと責任持てるようになってからその台詞言って」
「あれ?航介は?」
「さっき俺のマイク持ってった」
いつのまにかカラオケおじさんたちの方に帰っていた。瀧川に可愛い彼女ができた現実があまりに認め難かったんだろうか。それとも面倒になったのか。後者に500円賭けてもいい。「よっお帰り!」「待ってました!」「なに歌うんだ!」と群がってくるおっさんたちを意にも介さずポチポチと機械を操作して、イントロが流れ出す。ド演歌じゃねえか。
「彼女云々の話してたのに突然天城越え歌うのってどうなの?」
「未来予知かもしれん」
「やめろや!」
「航介あれ歌って。あのー、ドラマの。待って今曲名調べる」

あれから、二週間か三週間ぐらい。そういえば最近瀧川来ないなあ、唐突にできた彼女と意外とうまくいってるのかな、と思ってたら頬にでっかい青痣作った状態で来た。土曜夜だったので、航介と朔太郎もいた。二人は示し合わせて連絡してから来てくれたけど、瀧川からの連絡とかは一切なかったので、突然来たことに驚いたらいいのか頬の痣に驚いたらいいのか分からずに固まっている間に、当の本人はずかずか店内に入ってきてしまった。大丈夫?二人とも気付いてないみたいなんだけど。さっきからテレビ見ながらやいのやいの揉めてるんだけど。
「なんで全員いるの?航介なら笑わないで聞いてくれそうだから航介以外帰ってほしい」
「いやここうちなんだけど……」
「だから2番だって」
「絶対3番だから。クジラはあんな骨の形じゃない」
「イルカだって違う。航介本物のイルカ見たことないんじゃない?」
「あるわ」
「水族館行ったことある?ないか。デブだから」
「は?」
「あいっ、痛い!すぐ暴力!」
「はいはい喧嘩しないで。ほら離れて。離れなさい、こら」
「なんの話?」
「あ!聞いてよ、あのクイズ番組のうわああああめっちゃ痛そう今日一の怪我人!!!」
「うるさ」
「どうしたの!?二トントラックに轢かれた!?」
「そしたらもっとグチャグチャになるだろ」
「大変!瀧川が轢かれた!みんなに知らせないと!」
「誤報誤報!やめろ!」
「こうやって朔太郎発信のデマって作られるんだね……」
「話聞かないからな」
みなさーん!とクソデカい声で叫び回りに行きかけた朔太郎をなんとか止めて、座らせる。ちなみに、なんとか止める、の内訳は、俺が服を掴むのが二割、瀧川が同じぐらいの声量で大丈夫だと叫ぶのが三割、航介が「お前うるさい」と足払いをかけてその場で転倒させたのが五割だと思う。床に叩きつけられてたもん。
「で?どうしたの?」
「お前たちは笑うから話したくない」
「笑われるの分かってるんだ」
「学習したじゃん」
「航介ならちゃんと聞いてくれる。ねっ航介。友達だもんな」
「うーん」
「ほら!」
「微妙な返事じゃなかった?今」
「航介テレビ見てるから多分それに向かって唸ってるよ」
「ほんとだ……」
「笑わないなら話してやってもいいけど」
「努力する」
「善処する」
俺はまだ努力だから良くない?朔太郎の善処はもうほぼノーに近いじゃん。瀧川もものすごく嫌そうな顔だったけれど、まあ嫌そうな顔をしたところで俺たちが消え失せるわけでもないので、話すことにしたらしい。クイズ番組がちょうど終わって、航介の興味もテレビから逸れたことだし。
「彼女できたじゃん。俺」
「ああ。ログインボーナス」
「もうそれでいい」
「殴られたの?彼女に」
「ううん。男に殴られた」
「はあ」
「つーかもう詐欺だよあんなもん!騙されたっての!」
初めて会ってから数日で、ほぼ彼女宅に泊まり込みの勢いで怒涛のお付き合いを開始したらしい。最近めっきり顔を見せなくなったのはそのせいか。すごい積極的だし顔かわいいしめっちゃ気の利く子だし、でも一緒にいる時間が長い方がいいとか離れてると寂しいとか一人で寝たくないとか我儘言われちゃったらもう従うしかないじゃないですか。と瀧川が頷いている。ベタ惚れじゃねーか。でもまあ確かに、かわいい女の子からそういう系の我儘言われたら、下手に突っ撥ねるわけにもいかないし、デレデレ言うこと聞いちゃうのが正解って気もするけど。そういう女の子相手でも強すぎる自我を押し通しせるので逆に相手に後を追わせるタイプの朔太郎は、「え?そんなんほっといて家帰ればいいじゃん」ってきゅうりを齧っていた。みんながみんなお前みたいに過ごしていたら人類は破滅している。そんな朔太郎を無視しながら瀧川の話を訥々と聞いている航介が、首を捻った。
「仕事どうしてたの」
「無理やり通ってた。彼女んちから車飛ばせば1時間半で着くから」
「……忙しい時期じゃなくて良かったな」
「ほんとよ」
それで。かわいい彼女と突然はじまった幸せ同居生活に、もうこれは勝ち確定ですわ、と瀧川は思ったそうだ。そんなん俺でも勝ち確定だと思う。一人暮らしにしては食器の数が揃っていたけれど、元彼ぐらいいただろうと納得したそうだ。だって布団は一組しかなかったし。もう夜ご飯の一口目とか、あんまり自信なくって…ってしおしおしながら言うもんだから、あーんしあいっことかしちゃったりしたとか、……そういえば、彼女の写真可愛かったよな。なんか急に殺意が芽生えてきたんですけど。あと女の子にデレデレしている瀧川のことは想像すると普通に笑いそうになる。けど、瀧川は本当に真面目に話を聞いて欲しそうだったので、なんとかして堪えるしかない。親が死んだレベルまで想像しなくてもいいから、こう、ちょっとテンション下がるようなこと考えよう。例えば、家出てからギリ引き返してもいいけど面倒な距離に到達したタイミングで忘れ物に気づくとか。ペットボトルの蓋を落として裏返っちゃったのを踏むとか。洗濯物干しといたら、すっごい微妙な小雨が降るとか。いいぞ。萎えてきた。頑張ってテンションを下げていたら、思い出しにやにやしていた瀧川が、真顔に戻った。
「そしたら一昨日さあ、夜8時ぐらい?玄関開いて」
「は?」
「ただいまーっつって。男が入ってきて、そんで誰だお前!ってなって、こうなった」
「……え、なんで?」
「合鍵だろ?そもそも元彼ですらなかったってことだよ」
「え怖!」
「急に怖い!」
「どういうこと?」
航介がいまいち分かっていなさそうなので説明すると。そもそも、例の可愛い彼女には、彼氏がいたのだ。なんの事情だか知らないが、彼は彼女と同居している家を留守にしていた。普通にただいまって帰ってきたところからすると、喧嘩とかではないだろう。順当に考えたら、泊まり込みの仕事か。何日か船乗りっぱなしの仕事とかあるし、心当たりがないわけじゃない。それでまあ、久しぶりに帰ってきた家で、自分の彼女と知らない男を見たら、誰だお前!とはなるだろう。彼女の浮気を疑わなかったのだろうか?と聞けば、彼氏が帰ってきた段階で素早く彼の背中に隠れて、さも私はあの人に脅されて従っていました風を装われたらしい。ひどい話だな。そこまで三人で説明してようやく事を認識したらしい航介が、眉を寄せた。
「はあ。分かった」
「もう詐欺じゃん」
「詐欺だな」
「ていうか超痛かった。グーで殴られたんだけど」
「言えばよかったのに。そっちの彼女に誘われてって」
「やー、信じないでしょー。ていうか常習犯だったりして」
「まあ……確かに俺、迷いなく殴られたからな……」
「騙されてる彼氏さんも可哀想」
「いやそれは可哀想じゃない。彼女の顔がかわいいし、俺殴られたから、そこは全然可哀想じゃない」
「心狭男」
「ひどくない?俺はほんとにちゃんと好きだったのに。純真な心を弄ばれたんですけど」
「あ!だからあんな登録してすぐ釣れたんじゃない?何にも知らない不慣れな奴を待ってたんだよ」
「うわ怖い!なんで朔太郎そういうこと思いつくの!?」
「思いついちゃった」
照れないでほしい。褒めてない。それは瀧川が被害者、あっちが悪い、と言う航介に、瀧川が縋り付いている。うえ〜ん!とかじゃない盛大な泣き声がする。それは嘘泣きだよね?流石にキツイんですけど。
「もう俺マッチングアプリしない」
「やめろやめろ」
「じゃあ記念に航介歌って」
「は?嫌だ」
「なんで!瀧川の傷を癒してあげてよ!福山入れるから!」
「瀧川福山好きなの?」
「いや別に」
「都築、瀧川福山別に好きじゃないって」
「そうだよ!俺が聞きたいから歌って」
「もう瀧川関係ないじゃん」
「しかも傷を癒すなら俺自分で歌いたいんだけど。大声出したいんだけど」
「ほら航介福山新曲!はいマイク!」
「嫌だ」
「マイク!ほら!早く!」
「歌わない」
「しょうがねえなー、俺が代わりに」
「チッ!演奏中止!」
「てめえ!歌わせろや!」
「俺こないだテレビで見た、赤とんぼ歌うウィーン少年合唱団やるから、マイク貸して」
「朔太郎の歌のレパートリーって童謡か唱歌しかねえの?」
「他にもあるよ、トトロとラピュタ」
「……それ広がってなくないか?」
「あー!航介助けて!瀧川が俺のこと脱がす!破廉恥!」
「語弊のある言い方するな!この服が勝手に脱げるんだろ!」
「見てて、俺の赤とんぼ。あ、ゆりに見せるから動画撮って」
「いいのか?背後で都築が全裸だけど」
「全裸じゃない!全裸じゃ!半裸!」


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